OVERLORD:The Invisible Watchmaker   作:Stormgren

25 / 94
法国転進
▼法国転進 謳われざる神の御名は(1)


 リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドは光の神殿に仕える神官である。

 スレイン法国、法都シクルサンテクスに生を享け、幼少の(みぎり)より光神アーラ・アラフの敬虔な信徒として育った。

 

 温厚篤実にして博学才穎(さいえい)。ことに信仰系魔法への造詣は深く、人の手に渡ってから百年を経るに過ぎない()の技術を、既に第三位階まで修めている。

 位階魔法の研究が未だ充分に体系化されていないこの時代にあって、六大神の血を引かぬ者としては(たぐい)(まれ)な高位階への到達者と言えた。

 

 やわらかな人柄ゆえ市井の人々に親しまれ、神殿に訪れる者の傷病をよく癒した。ときには戦場へ召集され、敵対的異種族と戦う兵士たちを鼓舞し、守った。

 そうした実績が、彼女に若くして副神官長の地位を与え、また『光の聖女』なる通り名を国内外に広く轟かせもした。

 

 しかしリーマイヤは、近いうちに己が()()()()()()()()()()()であろうことを知っている。

 

 彼女が予知の異能を持っていたわけではない。奉ずる神から、己の運命についての神託を下されたわけでもない。

 純粋に、()()()()()としてそうなるだろう――という、予測である。

 

 

 建国二百年の節目――スレイン法国と人類の未来について、リーマイヤは上役たる光の神官長と激しい議論を交わした。

 それ自体は珍しいことでもない。議論は聖職者の仕事のひとつでもある。

 歴史書や口伝に残る神々の言動。聖典の文言。それらの解釈や教義上の意味を違えることは、民草に正しい信仰の導きを与えるためにも許されない。

 光の神官長とて、議論による教説錬磨の必要性を解っていたし、若く有能な副神官長に対して特段の悪感情を持っているわけでもなかった。

 

 だがこの時の議論は、場所と内容がよくなかった。

 リーマイヤは神殿で定期的に開かれる公開討論の場に出席し、あろうことか「()()()()()()()こそ、このさき法国と人類が採るべき生存の道である」――などと(のたま)った。六大神が地上を去って以来、法国が掲げてきた排他主義を、真っ向から否定したのである。

 

 そこいらの胡乱な辻説法や、無名の一神官が言ったことなら、単に現実を見ない愚かな夢想として片付けられたであろう。

 だが『光の聖女』の威光は、もはや当代の誰にとっても無視できるものではなくなっていた。加えて彼女の論調はあくまで理路整然としており、歴史と教義を盾に反駁していた神官長でさえ、「一理はある」と認めざるを得ない提言だった。

 

 曰く――人類以外の全てを敵とする現在の方針では、法国は勢力を拡大するほど「()()()()()()()()」として警戒されるようになっていく。

 数でも力でも知能でも、人間種を凌駕する種が多くあるこの世界で、一体いつまで人類至上・異種排斥の姿勢を貫けると思っているのか。

 神の力添えと、建国来二百年の歴史を通じた尽力によって、人類が一定の生存圏を得た今こそ。法国は強硬路線を改め、異種共存の可能性を探るべき時ではないか。もはや亜人も異形も二百年前と異なり、()()()()()()()()()()()()のだから……と。

 

 異形の神たるスルシャーナが実在していた時代から、未だ百年足らずしか過ぎていない。〝正史〟における四百年後ほどには、法国人の選民意識も盲目的なものではなかった。

 

 結果――周囲で唖然としながら二人の激論を聞いていた神官たちや、聴講を許されていた神学校の生徒ら、そして傍聴席の一般市民の中からも、彼女の思想に感化され〝アスハルド派〟を称する信奉者(フォロワー)が続出。

 最終的にこの議論は、国の上層部から大衆に至るまでを巻き込み、当事者たちの想像以上に大きな波紋を広げてゆくこととなる。

 

 

 法国を揺るがした公開討論から数ヶ月後。

 ときは深夜。光の神殿、図書室の片隅。

 写本製作などで用いる作業台に向かい、リーマイヤはひたすら己の思想を書きつける作業に没頭していた。

 

 ――わたしは甘かった。

 

 民衆や神官たちに広く意を問い、自分の思想が支持されたなら、この国の未来を変えられるかもしれない。そう思い、長年温めてきた構想を公の場に持ち出した。

 だが、都合の良い可能性ばかり目で追って、当然あるべき反発の()()()()()を見誤っていた。

 

 尽きることなく湧きいずる後悔。自分があの場で間違ったことを言ったつもりは、今もない。だが結果を見れば、言うべき()()()()を間違えたことは明白であり、やはり自分は愚かだったのだろう。

 

 せめて最初は、光の神官長との個人的な議論の形で持ち出すべきだった。

 彼ならこの思想が巻き起こすであろう政治的影響を正しく予見し、もっと注意深く立ち回るよう諫めてくれたはずだ。また仮に説得できたなら、神官長クラスの最高意思決定会議でリーマイヤの提言を(はか)るよう、根回しの足掛かりにもできただろうに。

 

 ――謹慎を命じる。追って沙汰あるまで、神殿を出てはならない。

 

 公開討論からしばらくして、神官長にそう言い渡されたときは、ショックを受けもした。だが、続く言葉にはそれ以上の衝撃と、痛みが伴った。

 

 ――君の思想は、守旧的な体制に反発する若者たちを煽動してしまったのだよ。いまや国中で私たちの宗教論争が再現され、暴力事件までもが起きている。人類を守るべき国軍が、同胞を叛徒として弾圧せざるを得ない状況だ。

 

 言外に、これは()()()()()のだ、と詰られているような気がした。

 だが同時に、悟った。謹慎とは方便に過ぎず、真意はリーマイヤを守るための措置であると。

 

 異種との共存など、単なる愚説を越えた()()()()()()()である――そう食って掛かってきた神官や市民は、あの討論以来数知れず。神官長が仮に〝保守派〟と呼んだ彼らが、事態のエスカレートに伴い、より過激な手段を行使してくることは想像に難くない。

 すなわち、リーマイヤ本人への脅迫。あるいは暴行、拉致、暗殺すらもあり得る。

 

 一方、いわゆる〝アスハルド派〟の運動家たちにとってみれば、リーマイヤはまさに生ける精神的支柱である。当然、〝保守派〟が彼女を害そうとする可能性にも思い至るであろう。運動を拡大するためにも、宗教的指導者の身柄は自分たちとともにあることが望ましいに相違なく、ことによると強引な手段で攫いに来るかもしれぬ。

 最悪、体制への不信と怒りを煽りつつ、運動の象徴たるリーマイヤを()()()するための一手として、自作自演の暗殺で殉教者に仕立て上げようとする可能性すらあった。

 

 そして、二派に分かれて争う、怒れる民衆からは身を隠せたとしても。

「甘かったんだ、わたしは……!

 神官長たちは変化なんて望んでいない。民の意思がどうあれ、わたしが火をつけてしまったあの運動は葬られる。不満分子を異端として一掃し……統制を引き締め直すための、生贄にされる!」

 

 ――神官長会議は、例の〝アスハルド派〟に()()()()を出す方向で話を進めている。名を冠されてしまった君も、無事ではすむまい。

 

 本当に残念だよ――と言い添えた光の神官長に、リーマイヤは深々と頭を下げることでしか涙を隠せなかった。

 

 宗教国家たるスレイン法国において、異端の信仰は重罪である。

 財産は没収され、年齢に応じた回数の鞭打ちに処せられ、果ては〝矯正修道院〟なる思想犯の収容所へ送られる。リーマイヤが迂闊にも感化()()()()()()人々の辿る運命が、それだ。

 ましてや異端の教派を()()()張本人となれば――これは間違いなく、死刑すら生ぬるく見えるという極刑中の極刑が科される。

 

 名誉喪失刑。その者の功績、思想、人間的活動の足跡すべてを歴史から抹消し、忌むべき悪名だけを後世に残す究極の断罪。むろん抗議などできないよう、当人の口も永久に封じられる。

 法国の歴史上、ただ一人この刑に処された者は、闇神スルシャーナ御自らの手により裁かれたという。伝承によれば、咎人と同時にその一族郎党全員が死に絶えたとも、()()()()()()()()()()とも伝えられる。いずれにせよ、それがリーマイヤ自身の未来ということになる。

 

 粛清は避けられないだろう。リーマイヤ自身も、家族や親類も、〝アスハルド派〟の者たちも。自分ひとりの力では、もはや止めようがない。

 ならば、せめて――この犠牲が無駄でなかった可能性を、後世に残したい。

 

 ゆえに、この深夜。

 人も立ち入らぬ図書室の奥まった場所で、彼女は最後の〝思想書〟を書き残している。

 

 いつか祖国が、変革を受け入れられるだけの強さと勇気を育んだとき。

 自分が遺した異種共存の思想を、誰かが拾い上げてくれればいい。

 著者名を記せば焼かれてしまう。だからこの本は無記名のまま、本棚の片隅に隠していく。

 

 己の死よりも、何よりも、人類の行く末をこそ案ずる。

 国の現首脳部と考え方こそ違えど、リーマイヤもまたスレイン法国の民として、人類救済の教えを叩き込まれて育った信仰の人であった。

 

 

 耳が痛いほどの静寂の中、ちき、ちき……と規則正しく鳴る微かな音がある。

 普段なら意識しなければ聞こえないような音だが、一度気になってしまうと、信心深いリーマイヤにとっては何かの啓示のようにも思えてくるものだ。

 彼女は首にかけた鎖を手繰り、懐から円い金属板を取り出した。

 

 なめらかに磨かれた蓋が開く。中には円形の文字盤と、回転する幾本かの針。

 道具の名を、()()()()という。

 各神殿に勤める副神官長以上の聖職者には、これと同じものが貸与されている。神官たちにとっては見慣れたものだが、起源を辿ればこれも六大神の遺産とされるマジックアイテムの一種である。建国二百年を経てなお、法国の技術でこれと同じものを作ることはできない。

 

「わ、もうこんな時間……」

 リーマイヤが時計の文字盤を見ると、短針はいつの間にか、夜明けが近づく時刻を指している。

 もうしばらく経てば空が明るみ始め、日が出る前に神官たちは朝の勤行を始めてしまう。立ち去る頃合いだろう。

 

 すべてを書き記したとは到底言えない。だが、もとよりそんな時間はなかった。

 未練を断ち切るように羽ペンを置き、リーマイヤはこの世に遺すべきたった一冊の本を閉じる。

「……うん、最低限の骨子は書けた。あとは、これを読み解く誰かに――」

 

 

「ざぁ~~んねぇ~~~ん! そいつは誰にも読まれねぇよ。あんたの叛逆行為は今日ここで、全部終わりだ」

 

 

 聞き覚えのない、悪意に満ちた声が背を打つ。

 がたん、と椅子を蹴って。振り向きながら立ち上がると同時、リーマイヤは無詠唱化した目くらましの〈太陽光(サンライト)〉を――

「おせぇよ雑魚」

 

 左上腕、左膝、右腿裏。

 三点同時に、熱く鋭い衝撃が走ったと思うや、リーマイヤはその場に崩れ落ちていた。

 ――なにを、された?

 

 床に広がっていく赤色。自分の血だと気付くころ、ようやく傷の痛みが追い付いてくる。

 戦場へ出た経験もあるリーマイヤには、それが刺突による傷だと解った。だが――声はすぐ後ろから聴こえてきた。

 既に白兵の間合いとはいえ、『光の聖女』の無詠唱呪文より速く、三連撃?

 

 痛みに歯を食いしばりながら、彼女は首をめぐらし、〝敵〟を見た。

「よーう、聖女サン。わりぃね。国はどうやら人気者のあんたを裁判にかけることさえ怖くて、()()()()()()()()()()()方針に決めたみたいでさ。一番確実な刺客として、俺が指名されちゃったってワケだ」

 

 短い黒髪を逆立てた、若い男だった。

 左右非対称の派手な鎧を身に着け、その華美さに釣り合わないみすぼらしい槍を手にしている。本棚に囲まれたこの閉所で、こんな長物を使って一瞬に三撃を放ったのだとすれば、恐ろしいほどの使い手だ。

 戦闘が本業でないリーマイヤに、勝ち目はない。

 

「筋書きはこうだ――共存の美名のもとに外患を呼び込み、法国を化物(モンスター)共の餌場に変えようとしていた〝人類の裏切り者〟は、なんと大陸中央の人外勢力圏から送り込まれた工作員だった! 国内世論をかき回すだけかき回したあげく、派手にやり過ぎて企みがバレそうになったんで、アホな信者どもを当局への撒き餌にしつつ国外逃亡……ってな」

 

 ()()()()をされているのだ、とリーマイヤが理解するまでに、数秒かかった。

 最初から最後まで、でたらめの塊である。

 リーマイヤが異種共存を唱えたのは、あくまで()()()生存戦略としてだ。野蛮な食人種族が好むような、おとなしく強者の食い物にされる弱者であれ、などという腑抜けた諦めを説いたつもりは断じてない。

 国外逃亡云々に至っては、事実無根の完全なでっち上げでしかなく――しかしこの男は、そんな茶番を押し通すために、ここへ送り込まれてきたのだ。

 

「怖いよなァ~名誉喪失刑。あんたの名前は公文書に載せることすら禁忌扱いされ、徹底的に貶められた蔑称だけが後世に残るんだ。

 でも仕方ないよな? あんたは法国の理想を汚した――なァーにが()()だボケが。あるわけねーだろそんな未来!」

 

 男が腰から抜いた短杖(ワンド)を一振りすると、炎の渦が噴き出し、書き上げたばかりの〝思想書〟を作業台もろとも呑み込んだ。

「ぁア゙ッ熱っ!? やめ――やめて! ()()だけは!」

 

 熱波に焙られながら無記名の原稿を守ろうとするリーマイヤだが、自由に動かせるのが右腕一本では満足に狙いもつけられず。間近で燃える炎の熱と、傷の痛みが精神集中を阻害して、無詠唱化した呪文すら発動できない。

 紙束が燃えていく――あれほどの覚悟を込めて刻んだ文字たちが。思想が。未来が。

 

「言葉が通じるゥ? ああそりゃ知性があるってことだよな、人外連中にもさ――()()()()()脅威なんだろうがッ!

 人間より強くて賢い種族ってのはなぁ、()()()()()()を許しちゃいけねぇんだ。そいつは俺たちから、この世に生まれてくる意義を、尊厳を、心の平穏を! ただ()()()()()()()で奪っていくッ!

 絶滅戦争あるのみ――これが法国の正義だ。いつか人類以外の全てを、竜王(ドラゴンロード)さえも駆逐して、この世を人間のためだけに開かれた楽土とする。共存の余地はない。滅ぼすか、滅ぼされるかだッ!」

 

 ――無理だ、そんなことは。

 リーマイヤは目の前の愚かな男に、叶うなら何時間でも説教をくれてやりたかった。自分が導き出した共存という結論は、考えに考え抜いた未来予測に基づくもの。決して甘い感情論や、根拠なき楽観論に根差した理想主義などではない。

 

 国がこれまで掲げてきた異種排斥とて、理由も意義もあってのこと――それは解っている。

 神々は地上を去り、人類には余裕がない。()()()()()()()などという例外的存在を探し、見極めるだけのリソースを投じるよりも、人ならざる者すべてを敵と断じて排除する方がよほど安上がりではある。

 外交政策も、軍事上の原則(ドクトリン)も、シンプルである方が強固かつ効率的な国家体制を構築できる。リーマイヤはそうした現実を否定しない。

 

 だがそれで、()()()()行ける?

 たとえ人類がこの先、生物としての弱さを補うほどの、高度にして強大な文明を築けるとしても。

 他種族にだって、同じことができない理由はないというのに。

 

 人類があらゆる異種に敵対的なまま、力をつけていったとして――敵視された者たちが、いつまでもそれを傍観するほど愚鈍であるわけはない。

 人が人外すべてを滅ぼそうとするなら、その前に人以外のすべてが人を包囲し、滅ぼすだろう。こんなことは、火を見るより明らかな未来ではないのか。

 ()()()()()

 

「お願いします……わたしはどんな汚名でも、苦痛でも受け容れます。だから……わたしの言葉だけは、遺させてください……!

 本一冊でいいんです。名前も入れません。この思想は……いつか、スレイン法国にとって、必要なものになる! 生き残れなくなるんだ、()()()()()()()()!」

「必要ねェ」

 

 ひゅん、と槍が回転した。

「か、はっ、ぉゴ――」

 石突で喉を強打され、リーマイヤは呼吸も満足にできなくなる。ごぼりと溢れる己の血で溺れないようにするのが精一杯。

 虫の息の聖女を、槍使いの男が嗤う。

 

「なぜなら人類には、俺たち()()がいる。だから人は、選ばれた種族なんだ……この絶対の力と、神が遺した武具さえあれば! 法国はいずれ人類の敵を一匹残らず、この世から絶滅させることもできるッ!」

 

 神人。

 神の血を引き、その隔絶した力の一部をも受け継ぐという、無双の存在。

 この男がそうだというのか。これほどの強者が、他にもいるのか。

 

 神の祝福ゆえに神人が生まれ続け、人類が他種族を個の武力で圧倒できるというなら。

 リーマイヤが描いた未来の前提は覆る。たとえ〝世界の敵〟になろうとも、神人を擁する()()()()()()人類は絶対的強者であり続け、味方など必要ないのかもしれない。

 

 自分は間違っていたのか。

 何もかも、無意味な犠牲だったのか――

 

 息ひとつ自由に吸えぬリーマイヤの意識は混濁し、次第に(くら)(かすみ)がかってゆく。

 嗤う暗殺者。燃える図書室。祭服の少女。滅びゆく祖国。失われる未来――

 ……少女?

 

「そりゃ、無理じゃの」

 

 槍使いの後方、本棚のひとつに腰かけていた少女が、羽のようにふわりと飛び降りた。

 白地の祭服。肩から垂れる群青色の飾帯。炎を照り返して揺れる金髪。幼くも人間離れした美貌には、どこか老成した微笑が浮かぶ。

 いつから居たのか。誰なのか。なにひとつ解らない。

 だが、槍の男が警戒もあらわに穂先を向けた以上、どうやら彼女はリーマイヤが死に際に見ている幻覚ではない。

 

「……ア? おいガキ誰だてめぇ。何が無理だって?」

()()()()()()()()()()()がいくら居たところで、この世界の頂点に届きはせぬ。まとめて薙ぎ払われるだけであろう」

 

 瞬間――()()()()()()。少なくとも、リーマイヤはそう錯覚した。

 あまりにも重く、どす黒く、濃密な殺気が、神人を名乗る男から放たれていた。

 

 仮にも第三位階の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である自分だからこそ、意識を保っていられるのだ。常人が()()()()()を浴びれば、即座に心臓が止まってもおかしくない――リーマイヤの見立ては正しかった。それだけに不可解だった。

 あの殺気を()()向けられているはずの少女は、なぜ平然としていられる?

 

「んー、あー、誰でもいいや。敵だなてめぇ。……舐めやがッッ死ッッッ」

 

 大気の弾ける音がした。

 神人が槍を動かす瞬間までは、リーマイヤにも見えていた。

 その先は一瞬――影が踊り、虹のような多色の光が閃く。倒れ伏すリーマイヤの上を何かが横切って、本棚ごと壁をぶち破り、神殿の外へ吹き飛んでいった。

「……は、え?」

 

 室内に残っているのはリーマイヤと、澄明な光で象られた弓を構える、謎の少女のみ。ならば、いま壁に大穴を開けて飛んで行ったのは……。

「レベルは七十前後といったところか。前衛がこの距離で、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の弓に撃ち負けるとは情けないのう」

 壁に空いた大穴の外を見やり、少女がぼやく。

 

「 が  あ  あ ぁ  あ あ ッ 」

 獣のような唸り声に、リーマイヤは痛みも忘れて振り向いた。

 

 図書室の壁に開いた穴の向こう、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉に照らされた神殿の中庭で、跳ね起きた男が再び槍を構えている。漆黒の殺意はますます強く、空間そのものが軋みを上げるかのよう。

「ガキがッ! 殺すッ! 殺してやるぞッ! この俺に……この神人の俺に! そんなちんけな弓で、よくも傷をッ!」

 

 殺気の濁流を泰然と受け流していた少女が、ぴくりと眉を動かした。

「創造主より賜りし『黎明の弧(ホライズンメーカー)』を、〝ちんけな弓〟とな?

 ……まあ、いまは儂の体格に応じたサイズであるから、小ぶりにも見えようが。にしても小僧、ちと礼を失しすぎておるぞ」

 

「〈能力向上〉――〈能力超向上〉――何が礼だクソガキ、俺は神人だぞ!

 人間なら! ()()! 敬意を払えッ!」

 自己強化の武技を重ね、完全に戦闘態勢に入る神人。

 少女は処置なしとでもいうように、首を振った。

「おぬしに神人(それ)以外の誇りはないのか? ……なんという、安い男じゃ。

 ()()せねばなるまい――〈第十位階天使召喚(サモン・エンジェル・10th)〉」

 

 大気に光が満ち、きらめく羽が舞った。

 出現したのは翼の集合体ともいうべき巨大な天使。笏を持つ腕のほか、およそ人間とは似ても似つかぬ異形の存在。

 夜風に乗って届く清浄な匂いが、リーマイヤの記憶を刺激する。あの姿と、芳香――文献で見た覚えがある。

「まさか……威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!?」

 

 光神アーラ・アラフが好んで使役したという、最高位天使。

 それが()()

 槍の男を囲むように滞空し、召喚者の命令を待っている。

 

「この国では主天使(ドミニオン)が最高位とか言われておるのじゃろ? 神人とやら、せいぜい踊ってみせよ」

「な……く……糞がァああああ!」

 一瞬で巨大な天使に包囲され、狼狽を露わにした槍の男だったが――腐っても神人。強大な召喚術師に対抗するための最適解を、一瞬で選択する。

 すなわち召喚モンスターを突破し、術者本体を叩くこと。

 

 神人の踏み込みは、リーマイヤの目には見えなかった。

 それを阻むように滑り込んできた二体の主天使が、交差させた笏で槍を受け止めたことで、ようやく突撃と妨害の一合が交わされたのだと理解できる。

 

 主天使を五体同時召喚――しかも、それを意のままに操っている。疑う余地なき神業だが、ほんとうに恐ろしいのはそこではない。

 位階魔法における召喚は通常、位階に応じた強さのモンスターなら一体。それより下の位階に対応するモンスターなら、複数体を召喚することができる。

 つまり、あの少女は本来なら、主天使よりも()()()()()()天使を召喚できるということ。

 

 リーマイヤの聞き間違いでなければ、少女は()()()()と言った。

 そんな超高位魔法は、神官たちが法国の秘宝と大儀式を併用してさえ実現不可能であるはず。

 ならば、それを単身で行使する彼女の正体は――

 

「クソ、糞が、何が主天使(ドミニオン)だこんなデカい的並べてッ! この俺が止められるか、倒せるかッ!」

 威勢は良くとも、神人が劣勢なのは明らかだった。いまや五体の天使は連携し、男を包囲の中に捉えたまま、次々と重量感ある笏による打撃を繰り出している。

 

 神人は信じがたい膂力で槍を打ち振るい、それら天界の武器を弾いてみせる。合間に反撃を加え、天使に傷さえ与えている。人類最高峰の技倆である、と言えただろう。

 それでも、数の差を覆し得るほどには、主天使たちも弱くはなかった。

 

「こやつらは儂のスキルで強化されておるが、おぬしの力量でも一体までなら勝てよう。二体で苦戦、三体なら絶望的。四体以上は――」

「だァまれェェっ! ふざけるなよ――俺は、俺は最強なんだ。俺はァッ!」

 

 縦横に襲い掛かる笏。回避、回避、受け流し(パリイ)、防御――最後の一合の、角度がよくなかった。すくい上げるような笏の打撃を、みすぼらしい槍で受けた男は上空へ。

「俺は、特別で――」

 

 打ち上げられ無防備を晒す神人に向け、天使たちが笏を掲げる。

 その笏が、砕け散った。

 聖なる輝きを帯びた笏の破片が、所有者たる主天使の周囲を旋回し始める。

「人類の守護者で――」

 

 金属質の、非人間的な、それでいて美しい声が輪唱する。

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の代名詞たる、第七位階魔法を。

 

「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」

「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」                   「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」

「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」    「〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉」

 

「神人なんだよォおおおおーーーーッ!!?」

 

 五本の光の柱が収束し、一本の眩い光条となって、落ちた。

 

 

 黒髪の男が倒れている。

 聖なる光に全身を灼かれ、ぴくりとも動かない。

 

 第七位階魔法〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉。神話によれば、強大なアンデッドを一撃で消滅させたともいう、伝説の呪文。

 それを主天使の権能で強化されたものが、五発同時に直撃したのだ。まず命はないとしても、人の身で原型を残しているだけで驚嘆に値する。

 

 などと思っていたリーマイヤの背に、それを読んだような少女の声が掛けられる。

「殺してはおらぬ。あれでも『人類』の貴重な戦力じゃ。再教育すれば、使いようはあろう」

 

 振り返れば、図書室を燃やし尽くさんとしていた火は消し止められており、半焼の跡に謎の少女が立っていた。

 あれほどの超高位魔法を発動したにもかかわらず、消耗した様子ひとつ見えない。光の弓もどこかへ消えていた。

 少女はただ泰然と笑んで、リーマイヤを見つめている。

 

 ――きっと自分は、ここで何が起きたか理解できないまま死ぬのだろう。

 己の負った傷を今さら思い出し、諦観しかけるリーマイヤ。だが落ちかけた意識は不思議とクリアで、槍に貫かれた三箇所の傷は、既に灼けるような痛みを失っている。

 おかしい。流れ出る血が止まっている。喉も、正常に呼吸できる。

 傷が、()()()いる。

 

「おぬしに死なれては困るのでな。勝手に癒させてもらった。

 ――リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルド。おぬし、己の思想に人生を捧げられるか」

 

 魔法を使ったそぶりも見せず、癒した――とこともなげに言う少女。

 自身も信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)なればこそ、リーマイヤはその異常さが解る。しかし謎めいた治癒も、少女自身の正体さえも、投げかけられた問いが霞ませてしまう。

 

 己の説いた道に、殉教できるか。そう問われているのだ。

 いつなんどき、相手が誰でも、答えは決まっていた。

「捧げられます」

 

 迷いなき即答に、少女はにんまりと笑った。

 さらに問われる。

「『人類』を救うためなら、()()()()()()祖国を導いてゆく覚悟はあるか」

 

 リーマイヤに権力欲と呼べるものはほとんどない。

 人の上に立ち、支配することを思うと、どうしても責任の重さに気後れしてしまう性質(たち)である。

 しかし理想を実現するための手段として、いずれは光の神官長となり、国政に携わらんとの意思は持っていた。

 ゆえに、頷く。

「あります」

 

「ならば、(わし)とともにこの国を変革しようぞ」

 少女が手を差し伸べる。白く細く、いまだ幼い子供の手。

 しかしこの小さな手の持ち主が、神人を圧倒する超常の力を発揮したのだ。どう考えても、ただの子供ではない。

 

 神人と同等以上の存在。リーマイヤが知る限り、それは三種類に絞られる。

 ひとつは竜王(ドラゴンロード)。上古の時より、この世界を支配してきた生物種の頂点。

 ひとつは大罪者。百年前、世界に混沌を齎し、闇神スルシャーナを放逐した欲望の魔王たち。

 そして、言うまでもなくもうひとつは――

 

「あなたは――神、なのですか?」

 

 いまここが、なにかの分岐点であるような気がした。

 自分自身の人生。法国の未来。人類の存亡。測りがたい、大きな運命の岐路が己の足許にあり、眼前の少女の手を取るか否かで行く先が変わる。そんな予感が、天啓のようにリーマイヤを貫き、震える唇で訊ねさせた。

 汝は神なりや、と。

 

 少女は慈愛に満ちた微笑を返し、それから首を横に振った。

「おぬしが想像した意味での〝神〟ではない。しかし、神に仕える者ではある。

 わが主神は、儂にこの国の()()を命ぜられた。当初は儂ひとりで、神官長会議を掌握するつもりであったが……」

 差し出された手の指がなめらかに畳まれ、一本残った人差し指がリーマイヤに向けられている。

 

「おぬしの唱える〝異種共存〟は、わが神の描く未来に近い。法国の人間でありながら、六大神頼みの妄想を排して現実と向き合い、あの発想へ至った明知は称賛に値する。

 ゆえに――同志となれ、『光の聖女』よ。わが神の望みは、人が己の足で歩いてゆくこと。おぬしがこの国の導き手を務めるなら、儂はその守護天使となろう」

 

 ふたたび開かれる五指。少女はじっと待っている。

 リーマイヤが、その手を取るのを。

 

 わが主神、と少女は言った。ならば彼女は、おそらく従属神――それも口ぶりからして、六大神のいずれでもない()()()()()に仕える者。

 二百年前の六大神、百年前の八欲王に続き、神話の存在が三度(みたび)地上に現れたのだ。

 

 神人による暗殺から救われた恩はある。それ以上に、なんとしても法国の味方につけねばならない相手と言える。

 だが、畏れ多くも『光の聖女』なる異名を拝する者として、差し出された手を取る前にどうしても、確かめておかねばならぬことがあった。

「……わたしは法国の神官です。六大神への信仰を、棄てるつもりはありませんよ?」

 

 ()()を迫られるのではないかというリーマイヤの懸念を、少女は呵々(かか)と笑い飛ばした。

「それでよい。わが神は棄教など求めはせぬ。なんなら自分のことは信仰さえしなくてよい、と仰せになるであろう。

 じゃが、願わくば――おぬしの内なる万神殿(パンテオン)に、一柱を()()()()()()ほしい。『人類』の誰ひとり、あの犠牲と献身に報いぬままでは、あるじ殿があまりに()()じゃ」

 独特の言い回しからは、彼女とその主神との、どこか風変わりな関係が垣間見える。

 

 宣言した通り、リーマイヤに六大神への信仰を棄てる気はない。だが目の前の少女が仕える未知なる神に、興味は湧いた。

 これはスレイン法国への裏切りだろうか。

 正統とされてきた教義に背き、正体不明の()つ神を勝手に招き入れる――少なくとも、これまで国を運営してきた先達らにとっては、裏切りであろう。

 

 しかし、それで人類を救えるものならば。

「……()()()()()()()()は、わたしをお赦しになるでしょう」

 

 聖女は守護天使の手を取った。

 そして、壁に穿たれた穴から神殿の外へ出ると、そのまま夜の闇に消えた。

 

 

 

 リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドは本来、この夜に死ぬ運命の女だった。

 異端の教派を興した魔女とされ、名を残すことさえ禁じられた大罪人。後世の歴史に彼女が顧みられることはなく、スレイン法国の行く末に彼女の思想が影響を与えることも、また無かった。――〝()()〟においては。

 

 ()()()()においては異なる。

 新たなる神の介入により生きながらえた彼女は、その導きと後援を得て、法国の未来を大きく変えてゆくこととなる。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。