OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
▼法国転進 謳われざる神の御名は(1)
リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドは光の神殿に仕える神官である。
スレイン法国、法都シクルサンテクスに生を享け、幼少の
温厚篤実にして博学
位階魔法の研究が未だ充分に体系化されていないこの時代にあって、六大神の血を引かぬ者としては
やわらかな人柄ゆえ市井の人々に親しまれ、神殿に訪れる者の傷病をよく癒した。ときには戦場へ召集され、敵対的異種族と戦う兵士たちを鼓舞し、守った。
そうした実績が、彼女に若くして副神官長の地位を与え、また『光の聖女』なる通り名を国内外に広く轟かせもした。
しかしリーマイヤは、近いうちに己が
彼女が予知の異能を持っていたわけではない。奉ずる神から、己の運命についての神託を下されたわけでもない。
純粋に、
建国二百年の節目――スレイン法国と人類の未来について、リーマイヤは上役たる光の神官長と激しい議論を交わした。
それ自体は珍しいことでもない。議論は聖職者の仕事のひとつでもある。
歴史書や口伝に残る神々の言動。聖典の文言。それらの解釈や教義上の意味を違えることは、民草に正しい信仰の導きを与えるためにも許されない。
光の神官長とて、議論による教説錬磨の必要性を解っていたし、若く有能な副神官長に対して特段の悪感情を持っているわけでもなかった。
だがこの時の議論は、場所と内容がよくなかった。
リーマイヤは神殿で定期的に開かれる公開討論の場に出席し、あろうことか「
そこいらの胡乱な辻説法や、無名の一神官が言ったことなら、単に現実を見ない愚かな夢想として片付けられたであろう。
だが『光の聖女』の威光は、もはや当代の誰にとっても無視できるものではなくなっていた。加えて彼女の論調はあくまで理路整然としており、歴史と教義を盾に反駁していた神官長でさえ、「一理はある」と認めざるを得ない提言だった。
曰く――人類以外の全てを敵とする現在の方針では、法国は勢力を拡大するほど「
数でも力でも知能でも、人間種を凌駕する種が多くあるこの世界で、一体いつまで人類至上・異種排斥の姿勢を貫けると思っているのか。
神の力添えと、建国来二百年の歴史を通じた尽力によって、人類が一定の生存圏を得た今こそ。法国は強硬路線を改め、異種共存の可能性を探るべき時ではないか。もはや亜人も異形も二百年前と異なり、
異形の神たるスルシャーナが実在していた時代から、未だ百年足らずしか過ぎていない。〝正史〟における四百年後ほどには、法国人の選民意識も盲目的なものではなかった。
結果――周囲で唖然としながら二人の激論を聞いていた神官たちや、聴講を許されていた神学校の生徒ら、そして傍聴席の一般市民の中からも、彼女の思想に感化され〝アスハルド派〟を称する
最終的にこの議論は、国の上層部から大衆に至るまでを巻き込み、当事者たちの想像以上に大きな波紋を広げてゆくこととなる。
法国を揺るがした公開討論から数ヶ月後。
ときは深夜。光の神殿、図書室の片隅。
写本製作などで用いる作業台に向かい、リーマイヤはひたすら己の思想を書きつける作業に没頭していた。
――わたしは甘かった。
民衆や神官たちに広く意を問い、自分の思想が支持されたなら、この国の未来を変えられるかもしれない。そう思い、長年温めてきた構想を公の場に持ち出した。
だが、都合の良い可能性ばかり目で追って、当然あるべき反発の
尽きることなく湧きいずる後悔。自分があの場で間違ったことを言ったつもりは、今もない。だが結果を見れば、言うべき
せめて最初は、光の神官長との個人的な議論の形で持ち出すべきだった。
彼ならこの思想が巻き起こすであろう政治的影響を正しく予見し、もっと注意深く立ち回るよう諫めてくれたはずだ。また仮に説得できたなら、神官長クラスの最高意思決定会議でリーマイヤの提言を
――謹慎を命じる。追って沙汰あるまで、神殿を出てはならない。
公開討論からしばらくして、神官長にそう言い渡されたときは、ショックを受けもした。だが、続く言葉にはそれ以上の衝撃と、痛みが伴った。
――君の思想は、守旧的な体制に反発する若者たちを煽動してしまったのだよ。いまや国中で私たちの宗教論争が再現され、暴力事件までもが起きている。人類を守るべき国軍が、同胞を叛徒として弾圧せざるを得ない状況だ。
言外に、これは
だが同時に、悟った。謹慎とは方便に過ぎず、真意はリーマイヤを守るための措置であると。
異種との共存など、単なる愚説を越えた
すなわち、リーマイヤ本人への脅迫。あるいは暴行、拉致、暗殺すらもあり得る。
一方、いわゆる〝アスハルド派〟の運動家たちにとってみれば、リーマイヤはまさに生ける精神的支柱である。当然、〝保守派〟が彼女を害そうとする可能性にも思い至るであろう。運動を拡大するためにも、宗教的指導者の身柄は自分たちとともにあることが望ましいに相違なく、ことによると強引な手段で攫いに来るかもしれぬ。
最悪、体制への不信と怒りを煽りつつ、運動の象徴たるリーマイヤを
そして、二派に分かれて争う、怒れる民衆からは身を隠せたとしても。
「甘かったんだ、わたしは……!
神官長たちは変化なんて望んでいない。民の意思がどうあれ、わたしが火をつけてしまったあの運動は葬られる。不満分子を異端として一掃し……統制を引き締め直すための、生贄にされる!」
――神官長会議は、例の〝アスハルド派〟に
本当に残念だよ――と言い添えた光の神官長に、リーマイヤは深々と頭を下げることでしか涙を隠せなかった。
宗教国家たるスレイン法国において、異端の信仰は重罪である。
財産は没収され、年齢に応じた回数の鞭打ちに処せられ、果ては〝矯正修道院〟なる思想犯の収容所へ送られる。リーマイヤが迂闊にも感化
ましてや異端の教派を
名誉喪失刑。その者の功績、思想、人間的活動の足跡すべてを歴史から抹消し、忌むべき悪名だけを後世に残す究極の断罪。むろん抗議などできないよう、当人の口も永久に封じられる。
法国の歴史上、ただ一人この刑に処された者は、闇神スルシャーナ御自らの手により裁かれたという。伝承によれば、咎人と同時にその一族郎党全員が死に絶えたとも、
粛清は避けられないだろう。リーマイヤ自身も、家族や親類も、〝アスハルド派〟の者たちも。自分ひとりの力では、もはや止めようがない。
ならば、せめて――この犠牲が無駄でなかった可能性を、後世に残したい。
ゆえに、この深夜。
人も立ち入らぬ図書室の奥まった場所で、彼女は最後の〝思想書〟を書き残している。
いつか祖国が、変革を受け入れられるだけの強さと勇気を育んだとき。
自分が遺した異種共存の思想を、誰かが拾い上げてくれればいい。
著者名を記せば焼かれてしまう。だからこの本は無記名のまま、本棚の片隅に隠していく。
己の死よりも、何よりも、人類の行く末をこそ案ずる。
国の現首脳部と考え方こそ違えど、リーマイヤもまたスレイン法国の民として、人類救済の教えを叩き込まれて育った信仰の人であった。
耳が痛いほどの静寂の中、ちき、ちき……と規則正しく鳴る微かな音がある。
普段なら意識しなければ聞こえないような音だが、一度気になってしまうと、信心深いリーマイヤにとっては何かの啓示のようにも思えてくるものだ。
彼女は首にかけた鎖を手繰り、懐から円い金属板を取り出した。
なめらかに磨かれた蓋が開く。中には円形の文字盤と、回転する幾本かの針。
道具の名を、
各神殿に勤める副神官長以上の聖職者には、これと同じものが貸与されている。神官たちにとっては見慣れたものだが、起源を辿ればこれも六大神の遺産とされるマジックアイテムの一種である。建国二百年を経てなお、法国の技術でこれと同じものを作ることはできない。
「わ、もうこんな時間……」
リーマイヤが時計の文字盤を見ると、短針はいつの間にか、夜明けが近づく時刻を指している。
もうしばらく経てば空が明るみ始め、日が出る前に神官たちは朝の勤行を始めてしまう。立ち去る頃合いだろう。
すべてを書き記したとは到底言えない。だが、もとよりそんな時間はなかった。
未練を断ち切るように羽ペンを置き、リーマイヤはこの世に遺すべきたった一冊の本を閉じる。
「……うん、最低限の骨子は書けた。あとは、これを読み解く誰かに――」
「ざぁ~~んねぇ~~~ん! そいつは誰にも読まれねぇよ。あんたの叛逆行為は今日ここで、全部終わりだ」
聞き覚えのない、悪意に満ちた声が背を打つ。
がたん、と椅子を蹴って。振り向きながら立ち上がると同時、リーマイヤは無詠唱化した目くらましの〈
「おせぇよ雑魚」
左上腕、左膝、右腿裏。
三点同時に、熱く鋭い衝撃が走ったと思うや、リーマイヤはその場に崩れ落ちていた。
――なにを、された?
床に広がっていく赤色。自分の血だと気付くころ、ようやく傷の痛みが追い付いてくる。
戦場へ出た経験もあるリーマイヤには、それが刺突による傷だと解った。だが――声はすぐ後ろから聴こえてきた。
既に白兵の間合いとはいえ、『光の聖女』の無詠唱呪文より速く、三連撃?
痛みに歯を食いしばりながら、彼女は首をめぐらし、〝敵〟を見た。
「よーう、聖女サン。わりぃね。国はどうやら人気者のあんたを裁判にかけることさえ怖くて、
短い黒髪を逆立てた、若い男だった。
左右非対称の派手な鎧を身に着け、その華美さに釣り合わないみすぼらしい槍を手にしている。本棚に囲まれたこの閉所で、こんな長物を使って一瞬に三撃を放ったのだとすれば、恐ろしいほどの使い手だ。
戦闘が本業でないリーマイヤに、勝ち目はない。
「筋書きはこうだ――共存の美名のもとに外患を呼び込み、法国を
最初から最後まで、でたらめの塊である。
リーマイヤが異種共存を唱えたのは、あくまで
国外逃亡云々に至っては、事実無根の完全なでっち上げでしかなく――しかしこの男は、そんな茶番を押し通すために、ここへ送り込まれてきたのだ。
「怖いよなァ~名誉喪失刑。あんたの名前は公文書に載せることすら禁忌扱いされ、徹底的に貶められた蔑称だけが後世に残るんだ。
でも仕方ないよな? あんたは法国の理想を汚した――なァーにが
男が腰から抜いた
「ぁア゙ッ熱っ!? やめ――やめて!
熱波に焙られながら無記名の原稿を守ろうとするリーマイヤだが、自由に動かせるのが右腕一本では満足に狙いもつけられず。間近で燃える炎の熱と、傷の痛みが精神集中を阻害して、無詠唱化した呪文すら発動できない。
紙束が燃えていく――あれほどの覚悟を込めて刻んだ文字たちが。思想が。未来が。
「言葉が通じるゥ? ああそりゃ知性があるってことだよな、人外連中にもさ――
人間より強くて賢い種族ってのはなぁ、
絶滅戦争あるのみ――これが法国の正義だ。いつか人類以外の全てを、
――無理だ、そんなことは。
リーマイヤは目の前の愚かな男に、叶うなら何時間でも説教をくれてやりたかった。自分が導き出した共存という結論は、考えに考え抜いた未来予測に基づくもの。決して甘い感情論や、根拠なき楽観論に根差した理想主義などではない。
国がこれまで掲げてきた異種排斥とて、理由も意義もあってのこと――それは解っている。
神々は地上を去り、人類には余裕がない。
外交政策も、軍事上の
だがそれで、
たとえ人類がこの先、生物としての弱さを補うほどの、高度にして強大な文明を築けるとしても。
他種族にだって、同じことができない理由はないというのに。
人類があらゆる異種に敵対的なまま、力をつけていったとして――敵視された者たちが、いつまでもそれを傍観するほど愚鈍であるわけはない。
人が人外すべてを滅ぼそうとするなら、その前に人以外のすべてが人を包囲し、滅ぼすだろう。こんなことは、火を見るより明らかな未来ではないのか。
「お願いします……わたしはどんな汚名でも、苦痛でも受け容れます。だから……わたしの言葉だけは、遺させてください……!
本一冊でいいんです。名前も入れません。この思想は……いつか、スレイン法国にとって、必要なものになる! 生き残れなくなるんだ、
「必要ねェ」
ひゅん、と槍が回転した。
「か、はっ、ぉゴ――」
石突で喉を強打され、リーマイヤは呼吸も満足にできなくなる。ごぼりと溢れる己の血で溺れないようにするのが精一杯。
虫の息の聖女を、槍使いの男が嗤う。
「なぜなら人類には、俺たち
神人。
神の血を引き、その隔絶した力の一部をも受け継ぐという、無双の存在。
この男がそうだというのか。これほどの強者が、他にもいるのか。
神の祝福ゆえに神人が生まれ続け、人類が他種族を個の武力で圧倒できるというなら。
リーマイヤが描いた未来の前提は覆る。たとえ〝世界の敵〟になろうとも、神人を擁する
自分は間違っていたのか。
何もかも、無意味な犠牲だったのか――
息ひとつ自由に吸えぬリーマイヤの意識は混濁し、次第に
嗤う暗殺者。燃える図書室。祭服の少女。滅びゆく祖国。失われる未来――
……少女?
「そりゃ、無理じゃの」
槍使いの後方、本棚のひとつに腰かけていた少女が、羽のようにふわりと飛び降りた。
白地の祭服。肩から垂れる群青色の飾帯。炎を照り返して揺れる金髪。幼くも人間離れした美貌には、どこか老成した微笑が浮かぶ。
いつから居たのか。誰なのか。なにひとつ解らない。
だが、槍の男が警戒もあらわに穂先を向けた以上、どうやら彼女はリーマイヤが死に際に見ている幻覚ではない。
「……ア? おいガキ誰だてめぇ。何が無理だって?」
「
瞬間――
あまりにも重く、どす黒く、濃密な殺気が、神人を名乗る男から放たれていた。
仮にも第三位階の
あの殺気を
「んー、あー、誰でもいいや。敵だなてめぇ。……舐めやがッッ死ッッッ」
大気の弾ける音がした。
神人が槍を動かす瞬間までは、リーマイヤにも見えていた。
その先は一瞬――影が踊り、虹のような多色の光が閃く。倒れ伏すリーマイヤの上を何かが横切って、本棚ごと壁をぶち破り、神殿の外へ吹き飛んでいった。
「……は、え?」
室内に残っているのはリーマイヤと、澄明な光で象られた弓を構える、謎の少女のみ。ならば、いま壁に大穴を開けて飛んで行ったのは……。
「レベルは七十前後といったところか。前衛がこの距離で、
壁に空いた大穴の外を見やり、少女がぼやく。
「 が あ あ ぁ あ あ ッ 」
獣のような唸り声に、リーマイヤは痛みも忘れて振り向いた。
図書室の壁に開いた穴の向こう、〈
「ガキがッ! 殺すッ! 殺してやるぞッ! この俺に……この神人の俺に! そんなちんけな弓で、よくも傷をッ!」
殺気の濁流を泰然と受け流していた少女が、ぴくりと眉を動かした。
「創造主より賜りし『
……まあ、いまは儂の体格に応じたサイズであるから、小ぶりにも見えようが。にしても小僧、ちと礼を失しすぎておるぞ」
「〈能力向上〉――〈能力超向上〉――何が礼だクソガキ、俺は神人だぞ!
人間なら!
自己強化の武技を重ね、完全に戦闘態勢に入る神人。
少女は処置なしとでもいうように、首を振った。
「おぬしに
大気に光が満ち、きらめく羽が舞った。
出現したのは翼の集合体ともいうべき巨大な天使。笏を持つ腕のほか、およそ人間とは似ても似つかぬ異形の存在。
夜風に乗って届く清浄な匂いが、リーマイヤの記憶を刺激する。あの姿と、芳香――文献で見た覚えがある。
「まさか……
光神アーラ・アラフが好んで使役したという、最高位天使。
それが
槍の男を囲むように滞空し、召喚者の命令を待っている。
「この国では
「な……く……糞がァああああ!」
一瞬で巨大な天使に包囲され、狼狽を露わにした槍の男だったが――腐っても神人。強大な召喚術師に対抗するための最適解を、一瞬で選択する。
すなわち召喚モンスターを突破し、術者本体を叩くこと。
神人の踏み込みは、リーマイヤの目には見えなかった。
それを阻むように滑り込んできた二体の主天使が、交差させた笏で槍を受け止めたことで、ようやく突撃と妨害の一合が交わされたのだと理解できる。
主天使を五体同時召喚――しかも、それを意のままに操っている。疑う余地なき神業だが、ほんとうに恐ろしいのはそこではない。
位階魔法における召喚は通常、位階に応じた強さのモンスターなら一体。それより下の位階に対応するモンスターなら、複数体を召喚することができる。
つまり、あの少女は本来なら、主天使よりも
リーマイヤの聞き間違いでなければ、少女は
そんな超高位魔法は、神官たちが法国の秘宝と大儀式を併用してさえ実現不可能であるはず。
ならば、それを単身で行使する彼女の正体は――
「クソ、糞が、何が
威勢は良くとも、神人が劣勢なのは明らかだった。いまや五体の天使は連携し、男を包囲の中に捉えたまま、次々と重量感ある笏による打撃を繰り出している。
神人は信じがたい膂力で槍を打ち振るい、それら天界の武器を弾いてみせる。合間に反撃を加え、天使に傷さえ与えている。人類最高峰の技倆である、と言えただろう。
それでも、数の差を覆し得るほどには、主天使たちも弱くはなかった。
「こやつらは儂のスキルで強化されておるが、おぬしの力量でも一体までなら勝てよう。二体で苦戦、三体なら絶望的。四体以上は――」
「だァまれェェっ! ふざけるなよ――俺は、俺は最強なんだ。俺はァッ!」
縦横に襲い掛かる笏。回避、回避、
「俺は、特別で――」
打ち上げられ無防備を晒す神人に向け、天使たちが笏を掲げる。
その笏が、砕け散った。
聖なる輝きを帯びた笏の破片が、所有者たる主天使の周囲を旋回し始める。
「人類の守護者で――」
金属質の、非人間的な、それでいて美しい声が輪唱する。
「〈
「〈
「神人なんだよォおおおおーーーーッ!!?」
五本の光の柱が収束し、一本の眩い光条となって、落ちた。
黒髪の男が倒れている。
聖なる光に全身を灼かれ、ぴくりとも動かない。
第七位階魔法〈
それを主天使の権能で強化されたものが、五発同時に直撃したのだ。まず命はないとしても、人の身で原型を残しているだけで驚嘆に値する。
などと思っていたリーマイヤの背に、それを読んだような少女の声が掛けられる。
「殺してはおらぬ。あれでも『人類』の貴重な戦力じゃ。再教育すれば、使いようはあろう」
振り返れば、図書室を燃やし尽くさんとしていた火は消し止められており、半焼の跡に謎の少女が立っていた。
あれほどの超高位魔法を発動したにもかかわらず、消耗した様子ひとつ見えない。光の弓もどこかへ消えていた。
少女はただ泰然と笑んで、リーマイヤを見つめている。
――きっと自分は、ここで何が起きたか理解できないまま死ぬのだろう。
己の負った傷を今さら思い出し、諦観しかけるリーマイヤ。だが落ちかけた意識は不思議とクリアで、槍に貫かれた三箇所の傷は、既に灼けるような痛みを失っている。
おかしい。流れ出る血が止まっている。喉も、正常に呼吸できる。
傷が、
「おぬしに死なれては困るのでな。勝手に癒させてもらった。
――リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルド。おぬし、己の思想に人生を捧げられるか」
魔法を使ったそぶりも見せず、癒した――とこともなげに言う少女。
自身も信仰系
己の説いた道に、殉教できるか。そう問われているのだ。
いつなんどき、相手が誰でも、答えは決まっていた。
「捧げられます」
迷いなき即答に、少女はにんまりと笑った。
さらに問われる。
「『人類』を救うためなら、
リーマイヤに権力欲と呼べるものはほとんどない。
人の上に立ち、支配することを思うと、どうしても責任の重さに気後れしてしまう
しかし理想を実現するための手段として、いずれは光の神官長となり、国政に携わらんとの意思は持っていた。
ゆえに、頷く。
「あります」
「ならば、
少女が手を差し伸べる。白く細く、いまだ幼い子供の手。
しかしこの小さな手の持ち主が、神人を圧倒する超常の力を発揮したのだ。どう考えても、ただの子供ではない。
神人と同等以上の存在。リーマイヤが知る限り、それは三種類に絞られる。
ひとつは
ひとつは大罪者。百年前、世界に混沌を齎し、闇神スルシャーナを放逐した欲望の魔王たち。
そして、言うまでもなくもうひとつは――
「あなたは――神、なのですか?」
いまここが、なにかの分岐点であるような気がした。
自分自身の人生。法国の未来。人類の存亡。測りがたい、大きな運命の岐路が己の足許にあり、眼前の少女の手を取るか否かで行く先が変わる。そんな予感が、天啓のようにリーマイヤを貫き、震える唇で訊ねさせた。
汝は神なりや、と。
少女は慈愛に満ちた微笑を返し、それから首を横に振った。
「おぬしが想像した意味での〝神〟ではない。しかし、神に仕える者ではある。
わが主神は、儂にこの国の
差し出された手の指がなめらかに畳まれ、一本残った人差し指がリーマイヤに向けられている。
「おぬしの唱える〝異種共存〟は、わが神の描く未来に近い。法国の人間でありながら、六大神頼みの妄想を排して現実と向き合い、あの発想へ至った明知は称賛に値する。
ゆえに――同志となれ、『光の聖女』よ。わが神の望みは、人が己の足で歩いてゆくこと。おぬしがこの国の導き手を務めるなら、儂はその守護天使となろう」
ふたたび開かれる五指。少女はじっと待っている。
リーマイヤが、その手を取るのを。
わが主神、と少女は言った。ならば彼女は、おそらく従属神――それも口ぶりからして、六大神のいずれでもない
二百年前の六大神、百年前の八欲王に続き、神話の存在が
神人による暗殺から救われた恩はある。それ以上に、なんとしても法国の味方につけねばならない相手と言える。
だが、畏れ多くも『光の聖女』なる異名を拝する者として、差し出された手を取る前にどうしても、確かめておかねばならぬことがあった。
「……わたしは法国の神官です。六大神への信仰を、棄てるつもりはありませんよ?」
「それでよい。わが神は棄教など求めはせぬ。なんなら自分のことは信仰さえしなくてよい、と仰せになるであろう。
じゃが、願わくば――おぬしの内なる
独特の言い回しからは、彼女とその主神との、どこか風変わりな関係が垣間見える。
宣言した通り、リーマイヤに六大神への信仰を棄てる気はない。だが目の前の少女が仕える未知なる神に、興味は湧いた。
これはスレイン法国への裏切りだろうか。
正統とされてきた教義に背き、正体不明の
しかし、それで人類を救えるものならば。
「……
聖女は守護天使の手を取った。
そして、壁に穿たれた穴から神殿の外へ出ると、そのまま夜の闇に消えた。
リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドは本来、この夜に死ぬ運命の女だった。
異端の教派を興した魔女とされ、名を残すことさえ禁じられた大罪人。後世の歴史に彼女が顧みられることはなく、スレイン法国の行く末に彼女の思想が影響を与えることも、また無かった。――〝
新たなる神の介入により生きながらえた彼女は、その導きと後援を得て、法国の未来を大きく変えてゆくこととなる。