OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
「ひぃやああああああああああああああああああああああ!?!」
絶叫する子供たちとともに落下しながら、莉奈はひとり苦笑していた。
運営がサーバーダウンの操作を誤ったかなにかで、昼間のマップの、しかも上空に飛ばされてしまったのだろう。思い出深いゲームの最後がこんなアクシデントで飾られるというのは、しまらなくはあるが、しかしどこかユグドラシルらしいとも感じた。転移罠を踏んだわけでもないのに妙な座標へ飛ばされるバグの類は、ユグドラシル史上に幾度となく現れ、〝アップデート後の魔物〟などと恐れられていたのだから。
眼下に広がる大地は、記憶にあるどのワールドとも異なる、見覚えのないフィールドだった。BGMすら流れていない。デバッグ用のテストマップにでも飛ばされたのだろう、と適当に納得しておく。
長く離れていたとはいえ、莉奈もユグドラシルの理不尽きわまるゲームデザインに順応できたプレイヤーの一人である。異常事態に際しての切り替えは、早い。
きのう子供二人には戦闘もさせなかったから、レベル一のままだ。当然、このまま着地すれば落下ダメージで死んでしまう。
日が変わったらすぐに寝ると約束させたのだから、墜落死からそのままログアウトさせてもよかった。しかし現実と同じ姿の我が子が、ゲーム内の表現とはいえ、死体になって横たわる姿を見たくはない。
ゆえに彼女は
「落ち着いて。大丈夫よ――〈
淡い光が三人を包み、落下を止める。
複数対象に飛行能力を与える魔法。使い慣れた呪文が無事に発動できて、莉奈は内心ほっとする。どうやらこのマップには魔法阻害のフィールドエフェクトなどは発生していないようだ。
遠く微かな、けれど小さくはない違和感があった。
何か大きな――致命的な齟齬を、見落としているような――。
「おわ……うわ、すげー! 飛んでる! 空飛んでるよぉ!」
「えっなにこれ? すごーい! 考えただけでびゅんびゅん飛べちゃう!」
ゆっくりと降下しながら考えに耽る莉奈の周りで、早くも魔法による飛行のコツを掴みつつある子供たちが、はしゃいで飛び回っている。
楽しげに笑って、驚いて、リアルと同じ顔で、表情豊かに――
「表情……が、ある?」
莉奈は自分の顔に触れた。現実の肉体よりも若々しい、つるりとした張りのある肌。柔らかく、温かく、弾力の奥に筋肉や骨の堅さまでもが感じ取れる。
ユグドラシルのVRインターフェースが再現する触覚は、
表情筋を動かし、様々な顔を作ってみる。口を大きく開けたり、瞼に力を入れて目をつぶったり。……顔を
舌を出せる。濡れた粘膜が風を受ける、その冷たさを感じる。手の甲を舐めてみた。ごく薄い塩気のある、人肌の味。
何もかもが
「……なに、ここは? この場所は……?」
地上に近づいていくと、そこが乾燥した草原のような場所とわかる。
かつてアフリカや南米に存在したサバンナ地帯、その乾季の姿に似ているだろうか。二一三八年の地球には、ほとんど残っていないような景色だ。莉奈も当然、記録映像や仮想現実上の再現マップでしか見たことはない。
さらに高度を下げると、子供たちが騒ぎ出した。
「ん? なんか……臭くない?」
「うへ、ほんとだ。くっせー! 何これ?」
莉奈もその匂いを、敏感に嗅ぎ取っている。
あまり良い匂いではない、と感じた。むしろ明確に臭い。排泄物に近いが、人間のそれとは違う、より強い臭気。莉奈が知らない匂いだ。
「この姿で、嗅覚まであるなんて……でも、本当に、何? この匂い……」
――莉奈が知らぬ、一つの事実として。
彼女たちが降り立とうとしている場所は、周囲数キロにわたり、
その種族は、生態系の弱者であった。ゆえに、上位捕食者を寄せ付けぬための知恵を身に着けた。
強大な魔獣の糞を盗み出し、それを自分たちの縄張りに撒くことで、あたかもそこが
莉奈たちが嗅いだ異臭とは、この獣糞の匂いである。
「お母さん、あそこ、何かいるよ」
ついに地上へ降り立つ三人。
最初に子供たちが、
「人かな? ……でも、なんか色とか、違うような」
反対側を向いていた莉奈も、遅れて気付く。
草むらに隠れてこちらを窺う、小柄な人影がいくつかあった。
体格だけを見れば、藍や玲央と大差ない、人間の子供のようでもある。しかし――肌の色が違う。顔つきが違う。
「……
亜人種、
ユグドラシルで見慣れたそれとは、まるで別種だ。肉付きは貧相で、武装も整っておらず、なにより面構えが凶悪に過ぎる。
しかしそれが、強いて何かと問われれば――ゴブリン以外のものには見えなかった。
「あの! ……すみません、プレイヤーの方でしょうか?」
子供たちの前に出ながら、莉奈は声をかける。
野生モンスターとしてPOPするゴブリンとは、あまりにデザインが違う。となれば、プレイヤーが敢えて粗野な外装のアバターを操作している、と考えるのが
集団でやっているところを見るに、同好の士で集まったクランやギルドであるのかもしれない。あり得ないような話だが、ユグドラシルはなにしろ魔境だ。蛮族ロールプレイを徹底する〝リアルゴブリン同好会〟とでも呼ぶべき団体が、存在していてもおかしくはない。
もう一声、何か言ってみるべきか。あるいは、この異常な場所にもゴブリンRP
常識は後者を選択している。莉奈がそうしなかったのは、かつてプレイヤーとして培った勘のようなものが囁くからだ。
目の前の
「ギギ……ニンゲン、サンビキ」
「ミミ、ナガイ。オンナ、エルフ」
「オンナトコドモ。ヤワラカイ。ニク」
「ウマソウダ。――エモノダ」
「ヤレ! カカレ!」
片言の会話を交わし、草むらからゴブリンの群れが飛び出してくる。手に手に構えた武器。明らかに、向こうは
「……もう! 最終日まで
ユグドラシルのモンスターは、ボスかユニーク個体でもない限り、言葉を発したりはしない。また、そうした特殊モンスターであっても、プレイヤーの数や種族、性別までを踏まえた台詞のパターンが用意されていたりはしない。
消去法で、目の前の彼らはプレイヤーということになる。それも、話し方まで蛮族風を徹底するほどの演技派だ。厄介そうな連中に絡まれてしまった。
相手の動きはどういうわけか緩慢で、〈
戦闘機動までゆっくりにしているのは、あまりに遊びが過ぎるというものだろうが――莉奈はあくまで油断なく、初手から最高位魔法を発動する。
今にも終わるであろう
「〈
魔力系
カンスト級のプレイヤーをこれで止められるなどと期待してはいない。狙いは、子供たちへの攻撃が通らない状況を作り出すこと。
藍と玲央は時間系効果への耐性を持たないため、〈
そして、
偶然手に入れたはいいものの、ほとんど死蔵していた
が、誰も動かない。
「……え、うそ? ……全員止まってる?」
ゴブリンたちの誰ひとり、〈
莉奈からすれば信じがたいことに、このゴブリンたちは時間対策もなく魔力系
それとも、雑魚として蹴散らされるところまでが、彼らのロールプレイの範疇なのだろうか――だとしたら、まったく大した役者一座というほかないが。
「最後にそんなこだわり見せられてもね……〈
莉奈はゴブリンたちの眼前に発動遅延化した魔法を仕掛けて回り、〈
むろん、単発ダメージ最高の呪文を三重最強化したとはいえ、攻撃魔法の一発程度でプレイヤーを倒せるなどとは考えない。さらに子供たちを守る障壁魔法、自身への
MP残量を気にかけない大盤振る舞い。ただでさえ頭数の差で不利な上に、どうせ
「まあ、〝子供を守って戦う母親〟なんてカッコいいシチュエーションが最後に演じられたのは、怪我の功名かしら――」
止まった時間が動き出す。
敵の次なる手は、どう来るか。身構える莉奈の周りで、現実性の断層に地形ごと切り刻まれたゴブリンたちが、バラバラの肉片となって吹き飛んだ。
「……よわ。え? ていうか、グロっ」
全員が一撃で死んだ――これは、拍子抜けではあるが、わかる。単に相手が、思ったほど強くなかっただけのこと。
だが、血と内臓をぶちまけたままの死体が、消えるでもなく残っているのはおかしい。仮にも全年齢対象のユグドラシルに、ここまでのゴア表現はなかったはずだ。
それを言うなら、
これは本当にゲームなのか、と。
「おおおお!? なに今のすっげー! 瞬殺じゃん!」
「お母さんつよーい……ひょっとして結構やり込んでた?」
莉奈が張った半透明の障壁の中で、子供たちが騒いでいる。まるで緊張感というものがない。
当然だ。表情や五感がいくら精細になったところで、ここは
魔法の障壁を消し去り、莉奈は落ち着いた母親らしい声を出そうと努める。
「はいはい、最後にちょっとサプライズはあったけど……もうずいぶん遅くなっちゃったでしょう? 二人とも、すぐにログアウトしなさい。明日はちゃんと、学校に間に合うよう起こすからね」
「はーい。……あれ、コンソールどうやって出すんだっけ?」
「なに言ってるの藍。トレーニングハウスでケイトが説明してくれたでしょ。視線クリックでもコマンドワードでも、リングコマンドのショートカットからでも呼び出せるって……」
「出ないよ? コンソールも、ショートカットの輪っかも……」
そんなわけはない。
少なくとも自分は、ついさっきまでリングコマンドから魔法を――
そこでようやく、莉奈はずっと残っていた最後の違和感の正体に思い至る。
あまりにも自然に出来てしまっていたから、ここまで気付けなかった。このマップへ来てから、
ユグドラシルの魔法は、仮想視界上のコンソールから選択して発動するものだ。
多重構造のリングコマンドを操作する姿が、傍からは魔法の詠唱に伴う身振り手振りらしく見える、という凝った設計の
愕然とした。
一度気付いてしまえば、魔法以外もそうだ。スキルの発動も、ショートカットに登録したアイテムの取り出しも。すべてユグドラシル本来のインターフェースを介さず、ただ自然に
五感が完全再現されるようになった、どころではない。
操作系がまるで変わってしまっている。
コンソールを呼び出そうとする。表示されない。
チャット機能。GMコール。非常時用の強制ログアウト。すべて不発に終わる。
ゲーム固有の操作システムはともかく、ニューロンナノインターフェース上で実行されるVRドライバの、基本機能まで停止させるのは不可能であるはずだ。これが
目を背けていた疑念が、どうしようもなく大きな影を落として、迫る。
これは本当にゲームなのか。
自分たちは、まだユグドラシルの中にいるのか。
このリアルすぎる感覚も、魔法やスキルを手足のように操らしめる未知の力も、すべてが電子的に入力された信号から成る仮想の夢であるのか。
もし
「なん、なの……これ。電脳誘拐? わざわざ違法規格の感覚エミュレータまで実装して? そんな馬鹿なこと……」
あり得ない、と叫びたかった。
だが、異常に高度な技術で構築された違法VR空間に監禁されている――という荒唐無稽な可能性を捨てれば、
すなわち、これはゲームでも仮想現実でもなく――。
「
玲央が足を押さえて蹲る。その悲鳴が、莉奈を物思いから呼び覚ました。
見ると、小さな蛇が一匹、玲央の足元からするすると逃げていく。
油断していた――まさかこの奇妙な場所に、
「まさか。噛まれたの? ――見せなさい、玲央」
咬み跡は足首にあった。血を流す二つの傷口は、見る間に周囲の肉ごと腫れ上がり、どす黒い紫色へと少年の肌を染めていく。
毒だ、と素人目にも解った。
「うぁ、あ……! 痛いよぉ、熱いぃ、お母さんこれいつ終わるの……!」
痛みに喘ぐ息子を前に、莉奈の混乱と焦燥は頂点に達する。
毒蛇に噛まれた場合の応急処置――そんなものは知らない。アーコロジーの住人には必要のない知識だからだ。
傷口から毒を吸い出す? 脚を縛って血を止める?
そもそもこれはゲームなのだから、
「お母さん! 毒消しの薬とか、状態異常に効く魔法とかないの!?」
娘の叫びに、莉奈は半ば祈りながら虚空へ手を伸ばした。
何も起きないはずだ。これが現実なら。
しかし目の前で、空間に黒い窓が開く。――アイテムボックスが、使える。
わけがわからない。現実であるはずがない。まるで悪い夢だ。
だとしても。
「これを! ……解毒の
莉奈が取り出したポーションの小瓶を、藍がひったくる。
「使い方は!? 傷口にかけていいの?」
「えっ!? と……とりあえず飲ませてみて!」
藍は躊躇わず玲央の口に小瓶を突っ込み、中身を流し込んだ。
効果は即座に、劇的に表れる。
紫に変色した皮膚が、目に見える速度で赤みのある肌色を取り戻してゆく。腫れ上がった肉が平らかになり、小さな二つの傷口だけが残る。
「えっと……毒でHPも減っちゃってるかも。回復アイテムはある?」
藍の問いかけに応じ、今度は玲央に
あり得ざる超自然の治癒。その様は、
「……ここを離れましょう。なんだか分からないけれど、この場所は、危険だわ……」
苦痛の残響に未だ呆然としている玲央を抱き上げ、莉奈は再び藍を伴って、空へと舞い上がる。
あまり高くは飛べない。目立つからだ。
一〇〇レベル・キャラクターの能力を持ったままの莉奈はともかく、一レベルの状態でここへ来てしまった子供たちにとっては、おそらくどんな敵と遭遇しても死の危険がある。遠距離からの狙撃による奇襲などは、最も警戒すべき攻撃と言えるだろう。三人で高所を飛んでいれば、的になりかねない。
ここにはプレイヤーともモンスターともつかない脅威が存在していて、攻撃されれば実際に苦痛を感じる――少なくとも、蛇に噛まれた玲央はそうであるように見えた――ことが判明している。であれば、警戒は最大限にしなければならない。
ゆえに莉奈は、三人全員を魔法で不可視化したうえ、さらに地表スレスレの低空を遮蔽物づたいに飛んでいく移動法を選択する。
ユグドラシルで未踏地に挑むときの、常套手段の一つである。足跡を残さず、地下からの奇襲や接地型トラップを回避しながら、対空狙撃リスクを低減し、不可視化を見破る目の持ち主からも一定の掩蔽を確保しつつ移動できる。行軍速度は落ちるが、安全性はそれなりに高い。
もはやゲームであるとも思えなくなりかけているこの空間で、ゲーム的な戦術を採るのは愚かなことかもしれない。
だがリアルでは戦闘ともサバイバルとも縁のなかった彼女にとって、眼前の
母子三人で初めての、不慣れな旅をした。
未知なる世界は広大で、危険に満ちていた。莉奈がユグドラシルの装備と能力を引き継いでいなければ、一日と生き延びられなかっただろう。
一〇〇レベルプレイヤーの探索行とは思えないほど、遅々たる歩みだった。
当然である。彼女はこの未知なるフィールドの正確な危険度について、何一つ情報を持っていない。たとえば莉奈と同レベル帯の敵が急に出てきたら、子供たちはおそらく攻撃の
神経をすり減らすと分かっていても、なお最大限慎重に安全を確保しながら進むしかなかった。
ときおり短距離の転移も挟むが、それも大丈夫だろうと判断できる範囲でだけ。専業の
横着をして長距離転移でフィールドを突っ切ろうとした結果、転移ルートを捻じ曲げる結界型スキルでユニークモンスターの縄張りに吸い込まれ、瞬殺される――などという事故は、ユグドラシルなら日常茶飯事だった。ここで同じことが起きないと、誰に言えよう。
魔法やアイテムに関しても、僅かなリスクさえ恐れてしまい、使いたくても使えないものが多くあった。
たとえば召喚魔法はいくつか覚えているし、傭兵モンスターの召喚アイテムも持っている。それらが設定通り従順な使い魔として尽くしてくれるなら心強いだろう、と一度は思った。
だが莉奈にとって、ユグドラシルの召喚モンスターというのは、お世辞にも賢いとは言えない戦闘AIで動く〝頼りにならない味方〟である。双子の些細な喧嘩から発覚した、〝この世界では
そもそも――召喚したモンスターが言うことを聞いてくれるという保証はあるのか? いや、聞いてくれたとして、ユグドラシルには召喚モンスターを〝離反〟させるような魔法を使ってくる敵もいた。
自分だけを守ればいいならともかく、子供たちを連れたままでは……やはり、駄目だ。余計なリスクは冒せない。
臆病になりすぎているのではないか、とも思う。何もかも、杞憂かもしれなかった。
それでも、〝かもしれない〟に子供の命を賭けるくらいなら、自分の手で守ってやればよいではないか――そのような抱え込み方をして、自分を追い詰めてしまうのが莉奈という女だった。
長距離転移も、召喚モンスターを護衛兼囮にして進む戦法も使えない。
結局は、馬鹿馬鹿しいほどの時間をかけてでも、魔法的隠形を維持したままの低空飛行を続けるほかなく。
自分ひとりなら、音や匂いすら消し去る完全不可知化もできた。が、子供たちも一緒に身を隠すとなると、莉奈が使える魔法では単純な不可視化までが限度である。
そのため、視覚以外の手段で不可視化を見破れるような相手からの襲撃までは、完全に避けることができなかった。
なぜか人間種に敵意むき出しの亜人や、血肉に飢えた魔獣の類が、何度蹴散らしても毎日のように襲ってきた。
ときには戦場跡と思しき荒地で、アンデッドの群れに
その中に誰ひとりプレイヤーはおらず、しかし明確な知性と悪意を持って殺しに来る者が少なからず存在した。
莉奈は一レベルでも装備可能な防具やアクセサリをアイテムボックスから引っ張り出し、子供たちに与えていた。二十レベル程度までの敵の攻撃なら完全に防げるが、とても安心できる性能ではない。実際何度か、明らかに三十レベルを超える魔獣や恐竜に襲われもした。
夜は『天幕の杖』という簡易拠点作成アイテムを使い、外界からは見えない異次元空間のテントで休んだ。予備含め二つしか持っていなかった『
三日が過ぎ、五日が過ぎ、一週間が経った。
隠れ逃げ惑う日々の中、襲ってきたビーストマンから〈
いつからか、この世界をゲームの中だと思うことはやめていた。
食べ物に味がある。飲み食いすれば大小便も出る。疲労も眠気もリアルに感じられる。傷つけられれば痛みを覚え、生き物を傷つければ血を流す。絶叫する。死体は消えない。データクリスタルもドロップしない。
湖のそばで返り討ちにした
双子を戦闘に参加させ、パワーレベリングをしてみてはどうか――頭の片隅に浮かんだゲーマー的アイデアも、リアルすぎる殺し合いに怯える二人を見ていれば、提案さえ口にできない。
この
こんなものがゲームであるはずがない。
そう思えても、現実であると納得できるかは別の話だ。
莉奈は混乱を胸に抱えたままよく戦い、子供たちを守った。が、育児に最も忍耐が要求される時期を専門業者に委託することで、ユグドラシルにのめり込む時間を得ていた女である。このような極限状況で、心身ともに疲弊していく子供たちを支え続けるような、〝親としての強さ〟を充分に身につけられてはいなかった。
人間種の住まう地は未だ見えず、あと何日放浪すればいいのかもわからない。そもそもそんな場所は実在するのか。あったとして受け入れられるのか。
アイテムボックスに入っている食料も、無尽蔵ではない。ひとたび底をついてしまえば、野外生活で安全に食べられるものを調達する方法など、莉奈は知らない。
食料や水の生成・浄化は信仰系魔法の分野だ。かつて属したクランでの彼女の役割は
混乱と焦燥。疲弊と絶望。
母も子も、等しく追い詰められてゆく。
もうやだ帰りたい、と玲央が泣いた。
そんなの言ってもしょうがないでしょ、と藍が食って掛かり、双子は喧嘩を始めた。
うるさい、黙って、静かにして――精神的に疲れ果てていた莉奈が、思わず叱りつける。一〇〇レベル・キャラクターの怒気を浴びせられた二人は失禁し、親に向かって土下座しながら謝罪を始める。ごめんなさい許してください。
一度ではなかった。こんなことが、何度も続いた。
そのたびに、母と子の間にあった見えない絆が壊れて、二度と戻らない別のなにかに変質していくような気がした。
限界だった。
この世界への〝転移〟から、二週間が過ぎようとするころ。
乾いた原野の只中で、莉奈はもう一歩も進めなくなっている自分に気付く。
ここで出会った〝敵〟はいずれも弱く、自分なら片手間に殺し尽くせるような低レベルの存在ばかり。だというのに、莉奈はそれらが恐ろしかった。
本物の敵意。本物の殺意。そんなものを向けられた経験など、箱入り娘の人生にあったはずもない。
この世界の住人に、自分を殺すことはできないかもしれない――だが、子供たちは違う。きっと槍の一突き、毒の一滴で容易く死んでしまう。
どうすればいいのか分からなかった。何を選んでも間違いであるような気がした。
夢なら覚めてほしい――そんな現実逃避ばかりが、頭の中を占める。
この際ゲームの不具合でも、電脳犯罪でもいい。どこにも訴えたりしない。金を要求されれば払う。身体を差し出せと言われれば、そうする。
「助けて……お願い、誰か。誰でもいいから、助けて……!」
他人に道を整えられ、傅かれ、流され続けて生きてきた女の、そこが限界であった。
このようなとき、たとえ手の中に神の如き力があってさえ、彼女は他者の助けを待つほかにすべを知らない。
かくして八重樫 莉奈の意思は挫けた。爾後、〝正史〟に彼女の足跡は残っていない。
子供を守り抜くことはできたのか。二人の子よりも遥かに長いエルフの生涯を、どのように生きたのか。
人知れぬ辺境に隠棲したのか。竜王の怒りに触れて滅ぼされたのか。あるいは失意や狂気に囚われ、自ら命を絶ったのか――その顛末はすべて、闇の中に消える。
しかし
「ん? いま誰でもいいって言ったよね?」
精根尽き果て、ただ救いを求めることしかできなくなった莉奈の前に、
ぼやけた人型の影。
そうとしか呼べないものが、いつの間にか三人の前に立って、座り込む莉奈を静かに見下ろしていた。