OVERLORD:The Invisible Watchmaker   作:Stormgren

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▼幕間:東方にて

 東雲(しののめ)の空を翼で割って、白金色の竜がきらりと舞い降りてくる。

 

 竜の眼下に広がるは、朝餉の煙をたなびかせ、今日という日に目覚めゆく(みやこ)の姿。

 規則正しく積まれた石垣。朝靄に白く映える漆喰。要所に建つ、小屋をまっすぐ幾重にも積んだような望楼。

 色とりどりの瓦屋根に彩られた鮮やかな街並みは、こうして天空から見渡す竜たちの眼を楽しませるため、地上の人々が様々な趣向と計算を凝らした美観であるという。

 

 竜は――ツァインドルクス=ヴァイシオンは、この景色を見慣れている。

 しかし、幾たび見下ろしてもなお、美事(みごと)であると思う。

 

 この早朝から道を出歩き、あるいは窓を開いていた町人たちの一部が、上空を飛ぶ〝白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)〟に気付いた。

 手を振る者。飛び跳ねる者。深々と頭を下げる者――

 子を抱いて涙ぐむ女の、(まなじり)に光る雫さえも、竜のすぐれた視力は見分ける。

 

 彼らの声は遠すぎて、竜の耳にも聞こえない。

 だが、口の動きを読むまでもなく、彼は知っている。人々が何と言ったのか。この地で自分がどのように呼ばれているか。

 

 ()()()()

 

 歓迎されているのだと、解ってはいても。

 祈りが無形の鎖となって巻きつくような心地を覚え、(ツアー)は嘆息した。

 

 ――相変わらず、この地の民の信仰は……重い。

 

 

 白金の巨竜は、己の帰還を報せるように都市上空をゆっくりと周回し、それから北側に並ぶ尖った岩山のひとつへ翼を向けた。

 都を挟むように六対、天を衝く灰白色の鋭鋒。

 当地の神話によれば、それは世界の礎となった〝始祖竜〟の、化石に変じた肋骨の先端であるという。

 ツアーにしてみれば、伝承が事実かどうかは疑わしい。しかし半神の如き力ある竜をして、自然の神秘を感ぜしめる光景ではあった。

 

 そのような謂れある奇岩の中腹、竜王たちのために築かれた(やしろ)がある。

 岩肌を彫り抜いた奥行(おくゆき)あるテーブル状の舞台に、(むら)なく塗色された木造の御殿が、ぴたりと嵌め込まれている。左右の翼廊はぐるりと岩山を取り巻いて裏手へ延び、禰宜(ねぎ)と称される竜司祭(ドラゴン・クレリック)たちの住居や、麓へ続く階段などがあることをツアーは知っている。

 

 神代より生きる竜王の鎮座すべき天つ宮であるから、主殿は相応に巨大な建造物だ。

 それでも、正面に開かれた大門(おおと)は、ツアーが翼を畳んで猫のように身を細め、ようやくすり抜けられる程度の大きさしかない。

 これはなにも、(やしろ)の建造資金が足りぬとか、宮司らが竜王を敬っていないとかの事由で()()なっているのではない。竜が出入りするたびに、壊れることが()()のつくりである。

 

 随分と昔――自分がここで祀られる竜王の一柱となったころ――門を壊さぬよう、注意深く身を縮めて通ろうとして、当時の宮司に窘められた。そのことを、ツアーは今も覚えている。

 曰く、『竜宮』の正門は()()()()()()守護竜の力と威光を示すもの。

 壊れた(やしろ)の修復は宮大工たちの生業の一つであり、誉れでもある。ゆえに気遣い無用、むしろ彼らの仕事を奪ってくれるな、と。

 

 老いた人間の男だった。戦う力など何一つ持たないような、脆弱きわまる生きもの。それが、竜帝の最後の継嗣たる〝白金〟に対し、まるで子供に言い聞かせるような口ぶりで説くのだ。目の前の強大な生命を恐れる様子など、これっぽっちも見せず。

 

 ツアーは怒るでもなく、不敬を咎めるでもなく、ただ己の無知を正してくれた老人に感謝した。そういうものか、と頷いて。

 門の破壊と修復を繰り返して喜ぶ彼らの心理を、真に理解できたわけではない。結局は金と労力を徒に費やす、無益な営みであろうとも思う。

 けれども爾後、出入りの際にはいつも、正門を()()()()()()ようにしている。

 

 件の老宮司は、とうに亡い。遠い、遠い日の記憶だ。

 世界が変わってしまう前、未だ多くが失われていなかった頃の――

 

 

「〝紅炎〟様をお目覚まし奉れ! 皇子(みこ)様のご帰還である!」

 思い出の情景は薄れて消え、朝靄にけぶる現在(いま)の『竜宮』が、ツアーの眼前にあった。

 いつものように、門を壊しながらの殿中入り。飛散する建材の破片をするりと躱し、凛と張った声で禰宜たちを走らすのは、一見すると人間の若い女。

 

 纏う羽衣は竜の秘宝の一つ。もはや同じ物は作れない、失われた旧き魔法の遺産。

 夏の夜空に似た濃紺の髪を、連なる二つの輪に束ねて留める、珠飾りの(かんざし)もまた魔を帯びた逸品。

 女の上背は周囲の男たちとさほど差がなく、しかし首・肩・腰と流れる輪郭の滑らかさは、竜の目にも〝これはヒトの雌だな〟と瞭然に察せられるほど。

 ――と言っても、彼女は人間種()()()()のだが。

 

「やあ、斎王。長らく留守を任せてしまって、悪かったね」

 やわらかな声でツアーが話しかけると、女はさっさと祭殿の奥へ向かって歩き出してしまう。少しばかり慌てて、竜王は四足で後を追った。

 

「無事のお報せを戴いてから、ずいぶん時をかけてお戻りになりましたのね? 皇子(みこ)様の翼であれば、たとえ西の果てからでもひとっ飛びでございましょうに……」

 拗ねたような女の顔と声。種の隔たりを越えて、機微な感情を読める程度には、ツアーと〝斎王〟の付き合いは長い。

 

「君たちがこの地を守っていてくれるから、安心して寄り道をしながら帰って来られたのさ。

 なにしろ私がいなくなったと聞いた途端、喜び勇んで悪さを始めた輩が方々にいたものでね……少しばかり挨拶回りをして、()()()()()来たよ」

「まあ怖い」

 

 ふふ、と艶っぽく笑う斎王。通りがかった禰宜の男がそれを見て、煙でも吹きそうなほどに顔を赤くしている。その反応を、ツアーは興味深く眺める。

 おそらく人の尺度でも、彼女は美しいのだろう。魅力的なのだろう。

 なにしろ、人間の男どもの反応ときたら、彼らの()()()()()()変わっていない。

 

「――グレン(おう)は眠っていたのかい? 無理に起こさなくてもよかったのだけど」

皇子(みこ)様がお戻りになったら、()()()使()()()()()起こせとお命じになったのは、その〝紅炎〟様ですのよ」

 

 翁の言いそうなことだ、とツアーは微笑した。そもそも武技が届く距離まで彼に近づける者など、人の世界にはいないと思うが。

 生きている同族の中では最も古い知己となった老竜――〝紅炎(プロミネンス)〟ことグレン翁は、古老(エインシャント)年齢段階(エイジカテゴリー)に至って久しいツアーを、未だに幼年(ドラゴリング)のごとく危なっかしい仔竜と見ている節がある。またぞろ戦傷でも負って帰ってくるのではないかと、心配されていたのだろう。

 

 実際は傷どころでなく、敗れて死に瀕し、〝敵〟の手で生かされ――不気味なほど旨すぎる()()話まで手土産に持たせて――送り返されたのだが。死にかけたあたりは(ぼか)して話そう、と白金の竜は秘かに決める。

 

 

 主殿の奥、人の身長の数倍も高い段差を登った先。

 本来は火山ならぬ岩山を縦貫する〝火口〟が、ぽっかりと(ひら)けていた。

 

 山の底から吹き上がり、遥か上方の円い空へ抜けてゆく熱気流。この先へ立ち入れるのは真なる竜王か、同格の強者だけだ。

 斎王は西方でいう〝神人〟に匹敵する、超越者とも呼ぶべき破格の個であるが――彼女とて、〝紅炎〟の纏う灼熱に曝されれば、長くは生きられない。

 

「出迎えご苦労さま、斎王。ここまででいいよ。グレン翁には、私から話をする」

「……あとでゆっくりと、イツハにも土産話を聞かせてくださいましね?」

 イツハ、というのは斎王自身の名である。禰宜や宮司たちの前で、彼女がこのような子供じみた物言いをすることはない。

 

 露骨に甘えられるほど信頼を勝ち得たのだ、と喜ぶべきか。

 自分のような小狡い竜にしか甘えられぬ彼女を、憐れむべきか――

 惑うツアーを残して、斎王は来た道を戻っていった。

 

「……さて。――グレン翁、私だ! 戻ったぞ!」

 気を取り直し、ツアーは翼を広げて〝火口〟の底へと降りてゆく。深く、深く。

 陽も届かぬ山体の内奥である。本来ならば暗いはずの大空洞は、しかし赤熱する岩に下方から照らされて、明るい。

 

 どれほど下ったか――見えてくるは縦穴の最深部。

 煮えた溶岩の地底湖に身を浮かべて、一頭の巨大な赤竜が微睡んでいる。

 

 紅炎の竜王(プロミネンス・ドラゴンロード)、グレノーディラン=ミヒクルアエル。

 

 途方もない巨体であった。人から見れば充分に巨竜と形容し得るツアーよりも、なお三倍近く大きい。

 熔鉄の輝きを宿す赤鱗と、老いても隆々たる筋骨に、刻まれた数多の古傷。八欲王やその眷属がつけた傷ではない。もっと古く――〝紅炎〟が竜帝の懐刀であった時代、全盛期の竜族が始祖なる巨神人(ティタン)らと天地の覇権を争った、神話の大戦(おおいくさ)の名残であるという。

 

 ツアーの見るところ、どうやら禰宜たちの〈伝言(メッセージ)〉による目覚ましは成功しなかったようだ。それとも、敢えて聞こえなかったふりを決め込んでいるものだろうか。真なる竜王の多くがそうであるように、グレン翁もまた位階魔法を嫌厭して軽んじるところがある。

 どうあれ、同族にして()()と仰ぐ〝白金〟の呼びかけには、この老いた赤竜も応えた。

 

「おお……よくぞご無事に戻られました、皇子(みこ)どの。あのまま行方知れずなどということになれば、御尊父に顔向けできぬところでしたわい。

 無傷も同然で戻られたということは……此度の〝ぷれいやー〟どもには、快勝なされたのですかな? それにしては、長く消息を絶っておられましたが」

 

 グレン翁の巨体がただ在るだけで放つ熱は凄まじく、同じ竜王でさえ至近距離には近づけない。

 翼を広げ、離れた空中に留まりながら、ツアーは己の師にして腹心たる古竜へ語りかける。

「ちゃんと話すよ。いろいろと、相談して決めなきゃいけないこともあるからね――」

 

 

 語った。

 大陸中央に出現した雲塊はやはり〝ぷれいやー〟の拠点であり、彼らが災いを成す前にと、最速での奇襲を敢行したこと。

 死力を尽くして戦ったがなお及ばず、虜囚の身で生かされていたこと。

 今代の〝ぷれいやー〟から奇妙な取引を持ち掛けられ、彼らの〝事業〟を監視する百年の契約と引き換えに、解き放たれたこと――。

 

 途中からは驚きを露わにしつつ聞いていたグレン翁が、語り終えたツアーにまずぶつけたのは、静かで重い叱責だった。

「軽挙でしたな。……あまりにも」

 

 まったく正しい。ツアーには返す言葉もない。

 翁に事前の相談もなく飛び出してしまったこと、相手を見極めもせず殺しにかかったこと、端末でなく本体で挑んだこと――挙げればきりがないほどに、すべてが裏目に出た。

 

 慢心、だったのだろう。八欲王が遺した眷属どもの討伐に明け暮れ、力を付けたつもりでいた。

 これこそ最小の犠牲、最良の手段と信じて。〝今なら負けない、万事は勝てばよい〟と前のめりになって。畢竟(ひっきょう)、ようやく訪れた復讐の機会に飛びついただけではなかったか。

 本当に討ちたかった仇は、もういないというのに。

 誰より殺したかったのは、かつての戦いで何ひとつ守れなかった、()()()()だというのに――

 

 結局、自分はまたしても敗れた。それも最初から最後まで、手心を加えられて。

 こうして生還できたのも、奇襲を受けた〝ぷれいやー〟たちがこの地を巻き込んだ苛烈な報復に出なかったのも、ひとえに()()の――ツアーを生かしたがっているのはどうやら一人だけのようだったから、()のと言うべきか――奇矯な気質が生んだ奇跡でしかない。

 

 一歩間違えば……新たな〝世界の敵〟を、第二の八欲王を、自分の愚行で生み出してしまうところだった。

 臓腑が凍るようなその可能性にツアーが気付けたのは、囚われた不可解な空間から釈放され、外の世界が()()平和である様を見てようやくのこと。

 

 戦いの中で、自分が死ぬ覚悟は済ませていた。そのためにひとりで出陣もした。――だが、滅びるのが()()()()()()()()()()と、なぜ思い至らなかったのだろう。

 

「力を持つ者は、その力の揮い方に注意を払い、また行いの結果に責任を持たねばならない……ワシらは教えたはずですぞ。あな、嘆かわしや……。

 憎き〝ぷれいやー〟どもに感謝するなど業腹の極みなれど、此度はそうせねばなりますまい。皇子(みこ)どのは奴ばらに、大いなる借りをお作り申されたのです。お解りか」

 

「ああ……彼らとの契約については、真摯に取り組むとも。

 ここへ戻ってくる道中にも、端末を一体送って、彼らの仕事ぶりを見てきたところさ。あれが今後も続くのなら……そう……悪くはないと、思えてしまった。

 ――けれどグレン翁、あの〝ぷれいやー〟たちを()()()()信じるかどうかは、別だろう?」

 

()()()()でございましょう」

 ツアーがまた感情に流されて判断を誤らぬように、との気遣いか。わざとらしいほど強い口調で、老竜はぴしゃりと断言した。

 

「あまりに不気味。どう考えても、真の意図を隠していると見るのが自然……皇子(みこ)どのが看破したごとく、〝ぷれいやー〟を己の膝下へ集めて、一大軍団を組織しようとでも企んでおるのでは?

 なればこそ、あなたは奴らの望み通りに〝監視者〟の役割を全うせねばなりません。奴らの真意……本性……そして弱点。それらが奈辺にあるのかを見極めるためにも、あえて懐に深く入り込むのです。

 ワシの身体が満足に動けば、お役目を代わって差し上げたかったのですが」

 

「これは私の失態が招いたことだよ……責めも役務も、私が負うのが筋だろう」

 グレン翁は八欲王の時代でさえ、もう戦えないほどに傷つき、老いていた。

 今もこうしてツアーの頼れる相談役ではあってくれるし、この地の運営を任せてもいる。しかしもはや、戦力として数えるわけにはいかない。

 当人は「あと一度くらいなら、全盛期の力を絞り出してみせましょうぞ」などと気張っているが――それをさせれば、彼は死ぬだろう。

 

 だから、ツアーはひとりで戦うしかない。これから先もずっと。

 竜帝の仔。呪われし血の宿命。誰にも頼れないと、覚悟したはずだ。

 ……それとも、()()()があるのだろうか?

 

 ――お前はもうひとりで戦わなくていい。

 

 あのカレルレンなる〝ぷれいやー〟がぬけぬけと言い放った台詞を、なぜか可笑しさと共に思い出す。

 もし……自分たちが疑うような〝真の意図〟などというものはなく、彼らが本当の善意であのような展望を語っていたのだとしたら。

 

「ばかなことを……運命は既に決まっている。あの日、私が、自分で選んだ。

 彼らが真に善き〝ぷれいやー〟なのだとしても……()()()()()()()()()()()()

 

 誰に聞かせるでもない言葉だった。

 だが、瞑目したツアーの脳裏に、定かならぬ彼方からの(いら)えが返ってくる。

 

《ふふふ……御立派ですよ、皇子(みこ)様。

 此度の〝ぷれいやー〟たちが、真にそのようなお人好しであるなら……貴方が正しく導き、大義のための礎となってもらえばよいではありませんか》

 

 絡みつくような、(なま)めく女の声。少なくとも、竜の雄にはそのように聞こえる。

 ツアーはグレン翁に視線をやった。老竜は皺と傷だらけの顔を盛大にしかめている。彼にも聞こえたのだ。

 ならばこの〝声〟はツアー個人ではなく、()()()を目標として届けられたものか――。

 

「盗み聞きとは趣味が良くないな、〝真言(トゥルーワーズ)〟……貴女を呼んだ覚えはないが、どこから聞いていた?」

《ええ、ええ。御免あそばせ。()()()()のはちょうど今ですから、御安心なさって。

 皇子(みこ)様がお戻りになられたと聞いて、つい耳を(そばだ)ててしまいましたの……なにせ貴方は、()()の要なのですから。軽々に命を捨てるような真似は、慎んでいただかなくてはねぇ……》

 

 嫌味たらしい口ぶりだが、これも正論だ。ツアーは元々、この声の主――〝真言〟の推し進める()()に、乞われて協力する身である。

 必要とされるものは竜帝の血筋。代えは利かない。十中八九、勝手に先走って死にかけた話まで聞かれていただろうから――盗聴の是非はともかく――向こうが自分の妄動を責めたくなる気持ちは、ツアーとて理解できる。

 

「……あの〝ぷれいやー〟たちが仮に、世界を汚す存在でなくても……貴女の計画を蔑ろにするつもりは、私にはない。そこは、安心していい」

 

《ホホホ! 素晴らしいですわねぇ、流石は皇子(みこ)様。そうでなくてはなりません。

 もし、件の者どもを討たねばならぬときは――斎王(イツハ)()をお使いなさい。あの娘の異能(タレント)ならば、相手が()()()()()()()()()必ずや、一死一殺を成し遂げましょう。

 それでも足りぬとあれば……我らが教団の信徒を、いつでも、御身の贄と――》

「やめろ!」

 

 敢えて考えないようにしていた〝奥の手〟に言及され、ツアーの顔が歪んだ。

「そんなことはしないし、させない。ただ戦って勝つために、一切の手段を選ばなくなれば……今度は私たちが、世界を汚す者に堕するだろう。

 ()()()()()()()が、〝ぷれいやー〟だけに限られるとは思うな」

《お優しいこと……》

 

 多分に嗤笑(ししょう)を含んだ声で、〝真言〟はツアーを白々しくも称える。

《その強き御心こそ、皇子(みこ)様がただひとり生き延びた所以(ゆえん)なのでしょう。相応しき魂持つ者に、相応しき使命が課された。

 運命ですよ――さきほど御自分で、そうおっしゃった通り。星の巡りのように、すべては定められているのです。

 ツァインドルクス、貴方は正しい……御父上の為されたことは、息子が責任を取らなくてはねぇ……?》

 

 幾度となく聞かされ続けた言葉を残して、〝真言〟の気配は消えた。

 もっとも、まだ盗聴されている可能性は排除できない。話の続きは後日にすべきか――思案するツアーの耳に、苦り切ったグレン翁の声が飛び込む。

「……毒婦め。八欲王の()()()()に乗じて成り上がっただけのあれを、〝慈母(マザー)〟などと呼んで奉じる輩は、どうかしておる」

 

「よさないか、グレン翁。彼女には……いろいろと、助けられてもいる」

 あの女怪が陰口の一つ二つでへそを曲げるとも思えないが、わざわざ聞こえよがしに罵ってまで、余計な隔意を持たせるべきではない。

 同族に疎まれがちな〝竜帝の息子〟にとって、組織力を有する協力者は貴重な存在だ。ツアー自身の目的を果たすためにも、互恵的な関係を維持する必要がある――少なくとも、()()()()までは。

 

 まったくもって、反りは合わない。彼女と話すたびに精神がささくれ立つ。しかし今日は少しだけ、いつもより気が楽だった。笑える余裕すらあった。

 カレルレンの何も考えていなさそうな言葉を、また思い出したからだ。

 

 ――親の罪を子が償う必要なんかない。ないんだよ。

   あると言ってくる奴がいたら、そいつはお前に汚れ仕事を押し付けたいだけのクソ野郎だ。

 

 彼の(いい)に従えば、はて、慈母(マザー)も〝クソ野郎〟ということになるが――

 目的の違いや、日ごろの物言いに含むところあるとはいえ、ツアーも彼女をそこまでの卑語で罵倒しようとは思わない。カレルレンの意見に同意もしない。

 けれど、そう――ほんの少し――愉快な心地には、なった。

 

「ふ……私たちは人間のように無責任ではないよ、〝ぷれいやー〟……」

 竜帝の最後の仔として、責任を果たす。だがその相手は〝ぷれいやー〟ではなく、この世界の方だ。

 すべてを救うことはできない。選べるのは二つに一つ。

 ツァインドルクス=ヴァイシオンは、とうに選んでいる。

 押し付けられたから、やるのではない。これが己の使命と信じればこそ、殉ずるのだ。

 

「あの戦いを……本当の意味で経験し、()っている者は、私ひとりになってしまった。

 もう誰も残っていない。マハナも、ジンも、トリシュ先生も。無様に生き残ったのは、私だけだ……()()()()()()()()()

 

「ワシがおります、皇子(みこ)どの。この老いぼれがくたばるまで、御身にお仕えいたしましょうぞ――」

 

「ああ、そうだね……グレン翁。父が消えた後、どこへでも行けた貴方が、こうして支えてくれることには感謝しかないよ。

 けれど、貴方はもう戦えない――私が戦わせない。これ以上、喪うのは御免だ」

 

 老いた赤竜は、(いた)ましいものでも見るような目をツアーに向け、嘆息した。

「僭越ながら、皇子(みこ)どの――そのように情深くあられては、竜は生きてゆけませぬ。

 我らの生は永くあれば、同族の先達も、定命の友も、みな先立ってゆくものです。それが、自然の定めたもうた摂理でもある」

 

「長く生きれば生きるほど、喪ったものばかりが増えてゆく……それが当然だから、受け容れて生きていけと言うのか?

 ほんとうに皆、こんな虚しさに耐えているのだとしたら……すごいな。この世界は、心強き者たちで溢れている……」

 

 この世の最強種たる竜でありながら、こんなことに悩み患うのは、きっと自分が弱いからだ。ツアーはそう思っているし、それは仕方のないことだと、どこかで諦めてもいる。

 自分はそのように生まれて、生きてきた――いくら敵を屠っても、強大な魔法を身に着けても、心まで強くすることはできない。

 

「……無駄なぼやきを聞かせてしまったね。忘れてほしい。

 そろそろ私はお(いとま)しよう。あの〝ぷれいやー〟たちの活動について、報せるべきことがあれば、また来るよ」

 

 翼を翻し、火口へ昇ってゆくツアー。

 去り際の背に、何かを悟ったようなグレン翁の声が聞こえた。

 

「なるほど……命は儚いと知ればこそ、竜は古来、財宝を求めるのやもしれませんな。

 死せず、腐らず、輝きを失わぬ、不変の価値を……」

 

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