OVERLORD:The Invisible Watchmaker   作:Stormgren

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[notice]
※彼女の〝正体〟について、そろそろ大半の読者が「お前……あいつか!」と勘付くころかと思われますが
 いちおう本編中で明かされるまでは、引き続き感想欄でのネタバレ予想等をお控えいただけますと幸いです。






▼幕間:導く星が墜ちた地は

 るぅぅぅぅううううううぅぅぅぅ――

 

 平坦で、不気味で、どこか物悲しい警報音が、夕暮れの『霧の王国(ミスティラント)』にこだまする。

 緑の髪の少女はその音を、屋台で買ったばかりの串焼き肉を頬張りながら聴いていた。

 

「ほふ。うま」

「食ってる場合か嬢ちゃん! ()()が鳴ったら〝動ける奴は避難〟の合図だ、さっさと王宮に向かえ!」

 屋台の店主に頭をひっぱたかれ、少女の――ケイト・ナヴィの視界に星が散る。

 

「ふわぁ!? おちおち食事もできない街かな、ここは……」

 などと言いつつ、彼女は脂したたる肉をもう一口。

 塩と少量の香辛料だけという素朴な味付けだが、これが存外、脂身の多い肉をさっぱりとした味わいにまとめている。

 旨い。唯一、店主にも何の肉かよくわからないというのが玉に瑕だ。

「緊急事態だっつってんだろーッ!」

 

 髭面の店主は、逞しい腕でケイトを小脇に抱え上げると、その日の売り上げも回収せず一目散に駆け出した。

 向かう先は、魔法的に成長させられた巨木が身を寄せ合う白い群塔。女王メイラスの住まう処にして、国政の中枢――『霧の王国(ミスティラント)』仮王宮。

 災害や侵略など、有事の際に国民が避難するよう教えられている公共施設のひとつだ。

 

 抱えられたままのケイトが周囲を見渡せば、市場に並ぶ屋台や露店の客も、店員たちも、みな緊迫した様子で〝じぇいあらーと〟の避難指示に従っている。急ぎながらもパニックは起こさず、整然と人が道を流れてゆく。

「いやあ、壮観だねえ。寄り合い所帯なのに、よく訓練が行き届いてる。火事場泥棒が出る様子もないし」

「そりゃおめぇ、泥棒なんぞ働こうもんなら……」

 

 店主がちらりと視線を向けた先、走る姿勢の傾きに合わせてケイトもそれを見る。

 赤黒いオーラを漂わせるフランベルジュ……ではなく、なにやらオレンジ色に光る棒を規則正しく振って、避難誘導を行う死の騎士(デス・ナイト)の隊列。なるほどあんなものが目を光らせている街中では、たとえ非常事態と言えど、常人には魔が差す隙もあるまい。

 

「首から提げてる看板の字が読めると可愛いんだけどなあ。おじさん読める? あの子の看板、『小足(こあし)()てから昇龍(しょうりゅう)余裕(よゆう)でした』だって。何のことだろうね?」

「知るかァ黙ってろ! 舌噛むぞ!」

 

 

 エルフの魔法で舗装された街路を駆け抜け、ドワーフが架けた橋を渡り、串焼き屋台の店主は王宮前まで辿り着く。ここからは役人の振り分けに従って、避難民たちが王宮の各区へ収容されることになる。

 

 彼が思わず目で探してしまった人は、向こうも同じように探していたおかげか、すぐに再会することができた。

「あんた! 大丈夫だったかい!」

 走り寄ってくる恰幅のいい中年女は、取り立てて見目の良い方ではない。だが店主にとっては、他の誰を見つけるより大きな安堵で心を満たしてくれる相手だった。

 妻なのだ。長年連れ添い、子供も三人いる。家族全員で、この国へ移住してきた。

 

「おう母ちゃん、そっちこそ大丈夫だったか。俺ぁこの音聞いたらどうするかまでは覚えてんだが、どんなときにどんな()()()するかまでは分からんのだ。何が起きてる?」

「あんたねぇ……()()()のときは、敵襲だよ。どっかの国が攻めてきてるんだ」

「なんだとォ?」

 

 警報音のパターンを律義に覚えていた妻の解説に、店主のドワーフめいた髭面が厳めしく歪む。

「敵が来てんならよ、俺も戦いに行っちゃ駄目なのかい。こう見えても(わけ)ぇ頃は、畑を荒らすゴブリンの一匹や二匹は叩ッ殺して……」

「やめなやめな。兵隊さんたちの邪魔になるだけさぁね。それにどうせ戦うんなら、ここであたしと子供らを守ってくれにゃあ」

 

 ぶっきらぼうな物言いでも、それが妻なりの諫言であり照れ隠しであるということは、付き合いの長さで店主も解っていた。

 そんな妻と子供たちを守るため、いざというときは武器を取るのだと己の腕を意識し――遅ればせながらようやく、自分が()()を抱えていたはずであることに気付いた。

 いつの間にか、緑髪の少女がいなくなっている。

 

「……あっれ? 嬢ちゃんはどこ行った?」

「ちょっと、何さあんた、女連れてきてたのかい」

「ちげぇよ客だよ! 髪が緑でよ、すげえ別嬪さんなのに自分を『ボク』なんて言う、どーもボンヤリした娘がいてなぁ……逃げ遅れそうだったから()()()きたんだが、どっかで落としちまったか……」

 

「――ボクなら大丈夫だよ。ありがとね、謎肉のおじさん」

「おわッ」

 

 耳元で囁かれるような声がして、店主は飛び上がった。

 振り返り、そのままぐるりと周囲を見回すも、少女の姿はない。

「……あんた、何やってるんだい?」

「いやぁ、今、確かに嬢ちゃんの声が……」

 

 そうこうしているうちに役人たちが準備を整え、王宮への整列入場が始まる。

 店主は少しばかり少女のことが心配なままだったが、決して幻聴などではなかった最後の声を信じて、彼女を探しに行かないことを決めた。

 妻の言う通りだ。亭主が家族を守らなくて、どうするというのか。

 

 

 

 合流した妻とともに避難民の列に並び、王宮へ入っていく屋台の店主。

 その姿を遥か数十メートルの樹上から見送ったケイトは、まだ串に残っていた幾片かの肉を、愛おしげに食い取った。

「冷めちゃったけど、これはこれで……うまうま」

 

 実際のところ、味や食感や香りといった美食的な品質でいえば、カレルレンたちの拠点で供される料理の方が遥かに上だ。それこそ天地の差がある。

 しかしケイト・ナヴィは、それでもこの素朴な串焼き肉を、希少食材のフルコースと同じように味わい深く食すことができる。

 こちらの世界へ来てから、大抵()()()()食べられる悪食の自分が、少しだけ好きになった。

 

「まったく、笑っちゃうよ……よりにもよって()()()()()、危ないから避難させようなんてさ……」

 

 蟻の軍隊が攻めてくるからと言って、竜を逃がそうとするようなものだ。

 危険の度合いでいえば、彼らは本来ケイト()()こそ避難すべきだというのに。

 

 むろん、せっかくもらった外出許可を取り消されるような真似はしない。

 ケイトはこの混沌とした活気のある国が気に入りつつあったし、そこに生きる人々のことは、もう好きになってしまっている。

 

 屋台の店主の粗野な優しさを思うと、噛み締めた肉の滋味が増すような気がするのはなぜだろう。

 そんな男が家族と再会し、仲睦まじくしていたことを、我が事のように嬉しく思うのはなぜだろう。

 ユグドラシルでは知らなかったことばかりだ。新しい世界は、未知に溢れている。

 

 詩のような言葉を、少女の唇が詠う。

「〝ああ、なんと多くの善き人々が、ここには居ることだろう――〟

 見ろよラーフ。世界はこんなにも……こんなにも、美しいじゃないか」

 

 美しいばかりでは、ないのだろう。

 ケイトはそれを知っている。ある意味では、この世界の誰よりも。

 

 数多の世界を見てきた。かつて世界樹に青々と茂った葉叢を。その一枚として、美しいだけ、優しいだけの世界ではなく。

 いかなる世界も、まるでそれなくして存在できないかのように、醜さと残酷さを内包していた。

 それでも。

 

「〝滅びるべき世界〟なんて無かった。ボクたちのしてきたことは、無駄だったんだ。

 あまりにも、遅すぎたけれど……いまならボクは、そう思えるよ……」

 

 膝を抱いて蹲る少女の、重く静かな呟きに応える声はなく。

 ただ陰鬱な警報音と、風が哭くばかり。

 

 

 やがて夕陽が傾き、西の地平に落ちてゆく。

 熾火のような夕闇の向こうから、蒼く昏い夜が迫る。

 いましも森の中で、戦いが始まろうとしている。

 

 ケイトはその戦いに介入しない。

 事前に説明を受けた折、冗談交じりに「手を貸そうか」と言ってみたら、カレルレンが慌てふためいて「何もするな」と釘を刺しに来たのは見ものだった。三度も念押しされたので、いちおう言われた通り、大人しくしているつもりだが。

「……ふふ。あんなに怯えなくて、いいのになあ」

 

 ケイトがかつて()()()()()()を鑑みれば、仕方のないことではある。

 けれど、いつかは心を開いてくれたらいい、とも思う。

 

 だから彼女は、気長に待つのだ。

 思いがけず与えられたこの〝休暇〟を、ただ楽しみながら。たまにふらりと訪ねてくるカレルレンとの対話を、楽しみにしながら。

 

 ()であり()()でもある、臆病で変わり者のプレイヤー。

 彼は未だ知らない。ユグドラシル最後の日に、自分が何を成し遂げたのか。〝何もしなくていい〟ということが、ケイト・ナヴィにとってどんな意味を持つのか。

 

「カレルレン……きみは、ほんとうに……わかっていないんだね。

 あの日、ボクたちが、どれほどの絶望の中にいて……

 どれほど、きみのしてくれたことに、救われたかを……」

 

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