OVERLORD:The Invisible Watchmaker   作:Stormgren

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▼おとぎ話のような国(2)

 ファーノが目を開けると、そこはもう戦場ではなかった。

 中位将軍ジーロスの術で操られ、戦いの中で倒れたまま、巨人たちの怒号を遠くに聞いていたところまでは覚えている。苔の匂い。投げ出された提灯(ランタン)の光。黒い鎧。『人類』。お前たちを解放する、と言った、あの力強い声。

 死地のフラッシュバックに、呼吸が乱れかける。だが鼻腔をくすぐる清らかな香りが、彼を正気に引き戻した。

 

 周囲を見回す。

 静かで清潔な、どこかの病室らしい。並んだベッドの一つに、自分が寝かされている。

 身を包むのはふかふかとした白いシーツ。部屋は柔らかな光に包まれ、窓から差し込む朝日が淡くきらめいている。傷一つなく癒され、かつてなく快調の身体を検めながら、ファーノはありえない光景に呆然とする。

 

 あのあと巨人国(ブロジンラーグ)に回収されたのか? ――否。奴隷用の医療施設にしては、待遇が良すぎる。これではまるで貴人扱いだ。

 人間種の奴隷の中でも特に蔑まれる提灯持ち(ランタンベアラー)が、傷病兵とはいえ、このような上等の寝台を宛がわれるはずがない。不潔な襤褸切れ一枚の上に転がされるならまだ良い方で、冷たい石の上に放置されたまま凍えて死んでゆく仲間さえ、ファーノは何人も看取ってきた。

 

 しかし、巨人国(みかた)でないなら、誰が?

 そもそもここは()()なのだ、と窓の外へ目を向ければ――そこには現実離れした世界が広がっている。

 

 森の中に、町があった。

 枝同士を橋のように繋げた巨大な樹や、規則正しく並ぶ石造りの家、開けた草地に密集して張られた天幕の群れ。一定間隔で宙に浮かべられたクリスタルは、ファーノも見慣れた〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の輝きを宿し、この都市が明らかに高度な魔法技術で支えられていることを主張する。

 そして、建材も建築様式も不揃いな家々を出入りし、きれいに舗装された道を歩く住人たちの姿もまた、なんと多様なことか。

 

 人間がいる。森妖精(エルフ)がいる。山小人(ドワーフ)がいる。のみならず亜人種も――人間種にとっては敵となることの多い種族も、当たり前のように同じ空間を行き来している。

 あの虎らしき獣頭の種族はビーストマンか? 木陰で人間の老人と話し込んでいるのは、北方大地の半人半馬(ケンタウロス)ではないか?

 他にも直立した猫のような種族が露店を開いていたり、四本腕のカマキリめいた人型生物が池のそばで蜥蜴人(リザードマン)と何らかの盤上遊戯に興じていたり、東方のモンクに似た僧服を纏うホブゴブリンが長椅子(ベンチ)で本を読んでいたりする。

 

 極めつけは、人間種と亜人種の入り乱れる公共空間に紛れた、異形の存在たち。

 あの妙に大柄な、首から何かの看板をぶら提げた黒い騎士は……アンデッドではないのか? その向こうの、角と翼を生やした――そして、やはり看板つきの――見るからに邪悪な造形の何かは、ファーノの目には悪魔としか思えない。

 上に目を向ければ、仄かに光る雲の渦のようなものが、ときおり空中を通り過ぎる。さらに遠くの空では、光輪と翼を備えた無機質な人型……おそらく天使だろう……が幾重もの輪になって回っている。

 

 なぜ人間種が奴隷にも餌にもされず、自由に出歩いている?

 なぜ敵対種族と……捕食者と、同じ町で平然と暮らしている?

 あの看板を提げたアンデッドや悪魔は何なのだ? 上空の天使は?

 理解が追い付かない。何をどうすれば、こんな光景が可能になるというのか。

 まるで――()()()()()()だ。

 

 ひょっとすると自分はまだあの戦場にいて、死に際の混濁した意識が夢を見ているのではないか。

 それとも、ファーノという人間はすでに死んでいて……これが〝死後の世界〟というもの、なのだろうか?

 

「驚くだろう、この国の様子には」

 

 かけられた声は、どこか聞き覚えのあるもの。

 振り向くと、浅黒い肌をした人間の男が一人。窓にかぶりつくファーノを、微笑ましげに見守っている。

「その声……あんた、もしかしてあの鎧の」

 

 あのとき耳にしたのは鎧越しのわずかな言葉だったが、それでも強烈な印象を残す声だった。間違いない。

 中位将軍ジーロスの術で操られるまま斬りつけたファーノを、どういうわけか殺さず見逃し、そのまま巨人たちの本隊へと斬り込んでいった。あの黒い鎧の男だ。

 若く精悍な顔つき。短く刈り揃えた髪。鍛え上げられた肉体。鎧を着ていなくとも判る、戦士の出で立ちであった。

 

 少なくとも、彼がここにいるということは。

「ここは……例の……樹海の中にある国、なのか」

 

 噂に聞く〝理想郷〟。実在するなどとは思っていなかったが……あの戦いで巨人国の軍勢を迎え撃つべく現れた謎の戦士たちや、窓の外の景色を見れば、ファーノも納得せざるを得ない。

 ここが本当に〝理想郷〟であるかはともかく、驚くべき()()が『無明樹海(ナグド・フィガイ)』の奥に存在している。そのことだけは、事実だったと。

 

「おれは……捕虜になったのか? おれをどうする気だ?

 それに、あの戦いは……どうなった?」

 ここが一つの国家なら、巨人国はそこへ攻め入ろうとした外敵ということになる。当然、提灯持ち(ランタンベアラー)として従軍していたファーノも例外ではない。

 

 まさか()()上位将軍ソーン率いる巨人国軍が敗れたとは思えないが、窓の外の街並みは平和そのものであり、巨人たちに蹂躙されている気配はない。とすれば、一当たりして撤退し、地の利を活かして追撃を撒いたものだろうか。

 

 その際にファーノを拾ってきたのだとして、目的は何だ?

 巨人国は人間種の捕虜ひとりを奪還するために兵を出しなどしない。身代金による交渉にも当然応じない。最下等の奴隷である提灯持ち(ランタンベアラー)に、利用価値などあろうはずもないのに。

 

 今は鎧を着ていない男が、両手を上げて笑った。

「急かすな。一つずつ答えるとも。俺の名はグイド……この国の軍人をしている。

 そちらはファーノだったか。お前の立場は、いま暫定的には捕虜だが、この先()()()()()については選択肢がある。

 戦闘の結果は……()()()()()()、とだけ言っておく」

 

 どうせ真偽を確かめようもないことについては記憶するに留め、ファーノは質問を重ねる。

「おれの名を、どうして知っている?」

 

「同じ提灯持ち(ランタンベアラー)隊の者たちに聞いたからだ。彼らはもう元気になって、退院している。

 お前が最後だ。外傷は少なかったのに、体力の消耗が酷くてな。何日も目を覚まさなかった」

 

 隊の仲間たちが生きていると聞いて驚き、戦闘から数日が経過していると知ってまた驚く。だがそれらは後だ。いまは、自分のことを優先する。

「……この先どうなるかの、選択肢ってのは?」

 

「お前が選べる道は三つある。

 ひとつ――巨人国の兵士として国に忠義を尽くし、我々との戦闘を再開する。いちおう忠告しておくが、これを選ぶとお前は死ぬ。個人的にはお勧めしないな。

 ふたつ――巨人国の兵士として降伏勧告を受け入れ、巨人国へ強制送還される。五体満足で国へ帰れるが、帰った後でどんな扱いを受けるかはよく考えた方がいいぞ」

 

 ろくな選択肢がない。戦って死ぬなどは論外としても、巨人国へ帰されたところで、提灯持ち(ランタンベアラー)の生還を喜ぶ者などいない。なまじ上等な治療を受けてしまったせいで、下手をすれば敵方に寝返ったと看做されるか、戦わずに敵前逃亡したものと判断されかねない。いずれにせよ巨人国の軍法では、極刑に処される重罪である。

 

「……三つめは?」

 期待すれば裏切られる。そのように考える習慣が頭に根付いたファーノは、常のごとく期待せずに先を促す。

 グイドと名乗った軍人は、よくぞ訊いてくれたとばかり、にやりと笑った。

 

「みっつ――このままこの国へ()()する。お前は『人類』の一員として迎え入れられる」

「……〝じんるい〟って、何だ?」

「そこからだよなぁ」

 

 俺もあんまり説明のうまい方じゃないが……とぼやきながら頭を掻くグイド。その視線が、ふと窓の外へ飛んだ。

「ああ、要するにな――『人類』とは、()()()()を可能にするものだ」

 

 ファーノもつられて、再び窓外を見やる。

 人間種と亜人種、さらには異形種までもが同じ空間に暮らす異界都市。おとぎ話のようなこの光景を、実在せしめるものがあるとしたら。

 絶対的な力か?

 人知を超えた魔法による支配か?

 グイドが続けた説明は、そうしたファーノの予想とはかけ離れていた。

 

「たとえば……俺はまだ死にたくない。生きていたい、と思う。お前はどうだ」

「なに? そんなこと……当たり前だろう」

 生存は生き物の本能だ。言うまでもない。何故わざわざそんなことを訊くのか。

 訝るファーノの声に、グイドは深く頷く。

 

「俺は幸せになりたい。美味いものを食って、温かい家庭を持って、誇りを持てる仕事をしながら生きたい、と思う。お前はどうだ」

「だから、そんなのは当たり前だ! 誰だってそうに決まってる……!」

 苛立ちが、ファーノの声を荒くする。

 当たり前の願い――しかしそれは、提灯持ち(ランタンベアラー)が一つとして叶えられなかった願いばかりだ。

 

 そんな、迫害されてきた者たちの境遇も、無念も。

 すべて知っているのだと言うように、グイドはまた頷く。

「ならば俺は、お前にその権利があることを、認める。()()()()()()

 

「な……にを」

「生きたい。幸せになりたい。俺がそう願い、そうする権利を、()()()認めるか」

 ファーノはかぶりを振る。話の脈絡が掴めなかった。

「認めるも何も……あんたの人生だ。勝手にすればいいだろう?」

「そうは行かない。ここで重要なのは、お前自身の意思だからだ」

 

 この問答に何の意味があるのかはともかく、答えねば解放されないらしい。半ば投げやりになって、ファーノは答えた。

「……わかったよ、認める。おれも、あんたの権利を認める。これでいいか?」

 

「いいとも。これで、俺とお前は()()()()()()()『人類』となった。

 ……こういうことだ。わかるか? ざっくり言えば『人類』ってのは、お前の言う〝当たり前〟の望みを尊重し合おう、と約束を結んだ関係の名前だ」

 

「なんというか……簡単すぎやしないか?」

 なにか絶大な強制力をイメージしていたファーノにとって、明かされた『人類』の正体は、拍子抜けもいいところの口約束と聞こえた。

 当たり前を認め合う。理想は美しいだろう。だがそれで、いったい何が変わる?

 

 グイドは気を悪くしたふうでもなく、親指で窓の外を指す。

「簡単すぎる……本当にそう思うか? ()()()()()()()とでも、同じように簡単だと言えるか?」

 ファーノは目を見開く。空が、広がるような感覚があった。

 同じ言葉を話せる知性があるのに、ただ種族を違えるだけで、〝当たり前〟の約束事など不可能に思えてくる。

 

「いや……できるはずがない! 同じ種族でさえ利害は衝突するんだ。人を食う種族だって、いるだろうに」

 だがこの国は、その不可能を実際に成し遂げているのだ。現実を前にして、常識に縋るファーノの否認はいかにも虚しい。

 そんな見苦しさを、グイドは嗤わなかった。気持ちは解る、と言うように頷くだけだ。

 

「もちろん実際の社会運営には、最低限の約束より複雑なルールを導入しなくちゃならん。そのために法律があり、警察力があり、俺のような軍人も存在している。

 しかし共通の法が平等に適用され、破ればきちんと取り締まられる、と信じられたなら……人は争いの調停を国に委ねることができる。肉食性の亜人種だって、同じ国民を襲ったりせず、猟師なり農家なりが売った合法の肉だけを食って暮らせるようになる」

 

 ファーノはまた窓の外を見る。何度見ても、美しく異様な異種共存の景色はそこにあり、幻のごとく掻き消えたりはしない。

「夢物語だ、そんなことは……」

 

「まあ実際、この区画ほど種族の混在化を進めた町づくりは、まだ実験段階らしいからな。最終的にはうまく行かないかもしれん。

 でもな、我らが女王様はこの国を、〝おとぎ話のような国〟にしたいとお望みなのさ」

 

 おとぎ話のような国。――それは、まさに。

 ファーノがこの国の様子を見たとき、感じたことではなかったか。

 支配する巨人。虐げられる人間種。そのような世界だけが現実だった男にとって、この窓の外にある長閑(のどか)な都市は……ああ、なんと。

 涙がこぼれるほどに、魅力的で……憧れを掻き立てる〝異世界〟であることか。

 

「実をいうとな、俺も巨人国の奴隷だったクチだ。お前らは家畜だ、劣等種だと吹き込まれて育った。だからこそ、女王陛下の理想に心を震わされもした。

 弱肉強食こそが現実だというなら、そんな現実はクソ喰らえだと。我らは旧い世界を喰らい尽くす、『人類』というおとぎ話の尖兵になるのだ、と……。

 俺はここへ来て、初めて自分の生に誇りを持てたよ。夢物語? いいじゃないか。俺みたいな路傍の石にも、変革の礎となる一石の役目が与えられたんだ。

 願わくば俺は、この甘美な物語の中を生きて……『人類』の一員として、死にたい」

 

 グイドが曝け出した胸中は、ほとんど初対面のファーノが気後れするほど熱く生々しい、鮮血のごとき切望だった。

 火を点けられた、と感じた。防ぎようもなく、心に灯った羨望。

 この男のようになりたい。

 この男と同じ地平を、眺めてみたい――。

 

「……おれは。提灯持ち(ランタンベアラー)だ。巨人国から来たなら、知ってるだろう」

「ああ」

「汚れ仕事だ。誰からも敬意なんか払われない。蔑まれて、怨まれて……最後は使い捨てられる。おれたちはゴミだ。生まれてきたことを呪ってばかりの」

「お前を捨てて省みない国になど、義理立てする必要はない。望みを言え!」

 

 本当は、森の中の町を一目見たときから思っていた。

 この世界へ行きたい。

 この世界で生きたい。

 だが許されないとも思った。自分のような穢れた者が入り込むには、あまりに清浄な光景であるように見えたから。

 

 それでも――グイドは待っている。

 ファーノが本当の望みを口にするまで。決してお前を見捨てないと、まなざしで語りながら。

 

 短い対話の中で、彼を尊敬すべき男と見込んだファーノは、その声なき声を信じることにした。

 嗚咽混じりに、腹の底から、言葉を絞り出した。

 

「おれはっ……生きたい! 幸せになりたい!

 あんたと同じ、『人類』に、なりたい……!」

 

 差し出された、逞しい手。ファーノが掴むと、グイドは熱く、強く握り返してきた。

「ならば歓迎しよう。――ようこそ、『霧の王国(ミスティラント)』へ」

 

 

 

 ――その後。

 捕虜待遇で『霧の王国(ミスティラント)』に収容された、提灯持ち(ランタンベアラー)隊を含む従軍奴隷たち。その全員が亡命の提案を受け容れ、新たな国民として『人類』に加わる道を選んだ。

 彼らの嘆願を受けて、巨人国に残る同僚やその家族たちも後日の作戦で〝救出〟され、みな新たな祖国と幼い女王に報恩の忠誠を誓ったという。

 

 むろん、これは宰相エルスワイズが巧妙に恩着せがましい言辞を弄したからでもあるのだが……事実として迫害のない新天地は〝劣等種〟と呼ばれた者たちにとって理想郷(ユートピア)に等しく、持て余すほどの歓喜を国家元首への感謝にすり替えられたところで、彼ら自身に一向思うところなどはなかった。

 

 胃を痛めたのは、狂信者を増員されて辟易する女王メイラスただ一人である。

 

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