OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
閑話ですが思いのほか長くなったため、前後編に分割します。
八重樫
芝生を割るように引かれた白砂の道。行き交う人々は人間だけでなく、
森の外では敵同士、あるいは捕食者と被食者の関係にしかなれない……と聞く種族同士が、当たり前のように同じ空間を歩いている。至近距離で無警戒にすれ違い、会釈し、ときには足を止めて談笑さえする。
その光景を、道端に立つ大柄な
通り過ぎる子供たちが、炎を纏う悪魔に「憤怒くん元気ですかー」「おは憤怒!」などと挨拶していく。ランはそれを聞いて思い出したのだが、確かあの悪魔は
もっとも、ランが知る
人の言葉は理解しているようなのだが、どうも「憤怒」以外の言葉を発することを禁じられているらしく、悪ガキどもにおちょくられては「ふんぬー!」と唸る様子がすっかり日常風景の一部になっている。
おまけに使役モンスターの証として掛けられた珍妙な日本語看板のせいで、見てくれの恐ろしさも半減している。
今日の〝憤怒くん〟は三枚の看板をぶら下げており、文言はそれぞれ「ネコと
魔将の後ろでは、ときおりガタガタと不格好な音を立てながら、芝生の上を
テスト走行中の
だが将来は分からない。なにしろあれは
「ま……あれでも
近くには誰の姿もない。にもかかわらず、ランは誰かが聞いているかのように呟く。
弟のレオなどは、この世界の魔法技術を用いて実現された自動車の在り方に興味津々のようだったが、ランにはそこまでの関心を持てない分野だった。
どのみち自分が車に乗ることはそうないだろう、という思いもある。〈
いまはまだ〝自走する高級馬車〟といった風情の車を見送り、彼女はまた歩き出す。
遊歩道の左方には林立する巨木の壁。
エルフの
人口増大に伴って建てられ始めた、集合住宅の類だろうか。あるいは図書館や、学校という線もある。この国の
右方には澄んだ淡水の湖。遠く湖畔に
黒い軟体の異形種は日光浴をしながら昼寝中としか見えないが、あれで数学的思考に長けた種族であり、頭の中では何らかの難問と真剣に格闘中ということもあり得る。
初めて見たときは、いかにも
やがて目的地が見えてくる。
一見するとむき出しの岩山。しかし目を凝らせば、遠くともその表面に精緻な壁画や
ドワーフの石工たちが隙あらば彫刻の範囲を広げ、また
神話。
ユグドラシルとプレイヤーにまつわる〝神話〟の舞台裏をいくらか知るランにとっては、馬鹿馬鹿しく思えるときもあった。だがこの世界に生きる人々にとっては、たかがゲームのキャラクターやアイテムが、天恵にも災厄にもなり得る。それがここの〝現実〟だと呑み込めてからは、自分こそが異邦人であるという自覚を忘れないようにしている。
現地人にとって、あの
近づいていくと、彫刻に覆われた岩山の麓に洞窟が並び、それらが内部から暖色の灯りに照らされているのが見える。
この岩山は単なる種族と国家の
ランは洞窟のひとつに入り、壁に埋め込まれた坑道案内図の金属板をしばらく見て、目指す番地へと向かった。
そこは老いたドワーフの菓子職人が営む店である。看板商品は焼き菓子だが、店内席で食べられる料理も提供している。
今日のランは久々に、
「
老ドワーフの店主自らが恭しく出迎えるという異常事態に、面食らいながらもランは店へ入る。店内に他の客の姿はない。今日は貸し切りだ。
食事スペースの奥、
「あっ、ランちゃん! ご無沙汰してますね~!」
「ボクもひさしぶりな気がする。元気してたかな?」
「メイラスちゃんおひさ~。ケイトも。あたしめっちゃ元気だよ、
未だ幼いエルフの少女と見えるのは、そのじつ建国よりこのかた数十年玉座にあり続ける初代女王、メイラス・レッドゴールド。
公務のときに纏う装飾の多い祭祀装束ではないが、それなりに格の高そうな魔法のローブをファッショナブルに着こなしている。服の丈はキッズサイズ、着ている人物も幼女としか見えない見た目であるのに、子供っぽさを感じさせないのは落ち着いた居住まいゆえか。
もう一人の先客は、ショートボブの緑髪が目に鮮やかな、人間
外見年齢はメイラスより上だが、ケイトは
だいいち、この二人を前にした八重樫ランも――人間という種族ではあれど――実年齢相応の姿をしてはいない。
実年齢の半分以下、おおよそ十七歳程度の外見で、彼女の肉体は時を止めている。
かつて十歳の少女としてこの地に飛ばされてきたランは、母親の調査事業を手伝いながら過ぎゆく歳月の中で、元の世界へ戻る望みが薄いことを理解しつつあった。
この世界で生きてゆくという、覚悟を決めるべきなのだろう。……そう思いながら、
なぜなら人間は、他種族に比べ寿命が短い、と知ってしまったから。
この地で生きるランの近しい人々は、みな人間よりも長命な種族として生まれるか、あるいはゲームを介してこの世界へ放り込まれる際にそう
転移直後、心が壊れる寸前まで自分たちを守ってくれた母・リナも。国主の重責を担いながら、努力を欠かさず成長し続ける親友・メイラスも。ともにエルフだ。千年に達する寿命を持ち、その大半の期間を若々しいままの姿で生きる。
双子の弟・レオでさえ、人間に比べれば長命である。この世界のドワーフの寿命については諸説あるが、少なくとも二百年は下らないだろうと言われている。
自分だけが、友や家族よりも早く老いて死ぬ。その未来はランに恐れを与え、そして信仰系術者として探求すべき
師の一人であるヘスの助言もあり、彼女が選んだ信仰領域は『時』。研究のテーマは自分自身の――叶うことなら他人も含め――老いを克服する術を探すこと。
それは投げ込まれた状況の中でもがいていただけの無力な新人プレイヤーに、明確な指向性を与えた。
人生の指針が定まれば、彼女の行動は果断だった。
聖者ヘス。賢者エルスワイズ。死霊術師ミハネ。小聖女サティア。建国神話にも功績が残る名だたる面々の指導を得て、ランはユグドラシルプレイヤー式の、いささか荒行めいたパワーレベリングに挑んだのである。
ゆっくり着実に鍛冶の技術を磨いていった弟とは対照的な、リスクを取っての急成長。
そうまでして急いだ理由は、先達プレイヤー・
時間系特化の上級魔法職、
この
転移してきた家族三人の中で、唯一リアルの自分と外見がほとんど変わらなかったランであるが、その肉体はプレイヤー用アバターのもの。すなわち一〇〇レベルまでの成長可能性を約束された、万能の天才たり得る器。
超人の才器に相応しい成長速度で知識とレベルを積み上げ続けたランは、弱冠十七歳にして
もう少し大人になってから
文献を読み漁り、実験に明け暮れ、気付いたら昼夜が二巡している――そんな生活は、実年齢相応の肉体で暮らしていれば、流石にそろそろ厳しい頃だったはずだ。
なにより……半世紀以上生きているはずなのに、まだ幼女のような
いずれは
丸テーブルに着席したランは、まずテーブルクロスの白さと模様の繊細さに目を奪われる。
それから店内の調度品を見回し、感心の声で所見を述べた。
「ドワーフ街にあって、店主もドワーフなのに、なんか内装が
この店を見つけたのはケイトのはずだが、なぜかメイラスが「よくぞ訊いてくれました」とばかり、得意げに腕を組んで頷いている。お子様の見てくれだからこそ活きるあざとい可愛らしさ。ランはこうしたメイラスの外見相応なところが嫌いではない。
「おっ、気付きましたか? さすがランちゃん。人間のかたはあんまり気付かないらしいんですけどね~。
こちらの店主はドワーフの菓子職人さんですが、なんとその奥さんがエルフなのです!」
「ドワーフとエルフの夫婦? 珍しいね、なんか……あんまり相性良くなさそうなイメージあるのに。
あ、いや別にどっちの種族にも含むところはないよ? ただ文化がさ、ほら。岩と鉄と火と油! って感じのドワーフに対して、水と風と光と樹、って感じなのがエルフじゃん?」
「そういう〝おとぎ話みたいに優雅なエルフ像〟を語ってくれるランちゃんが大好きです……!」
「懐かしいなぁ。エルフとドワーフの仲が絶望的に悪い世界も、ユグドラシルにはあったよ。
二千年くらいずっと種族間戦争が続いてて、もう誰も開戦の理由なんか覚えてないのに、お互い怨みだけで戦ってるような有様でさ……」
「んん? お母さんから聞いたユグドラシルの九大世界葉に、そんなのあったかな……」
「プレイヤーが呼ばれた〝九つの世界〟には含まれていないよ。彼らが来るより、ずっと前に滅びたからね」
「ケイトさん暗い話題はそのへんで……!」
「あっ、ごめんよ。ボクの話題の引き出し、暗い話ばっかり詰まっててさ」
「これからは、明るい話も詰めていきましょう!」
「メイラスちゃんのそういうとこ好きだなぁ……」
とりとめもなく、話題は不規則無軌道に二転三転を繰り返し、それでも三人は楽しげに笑い合う。
それぞれに事情があり、過去があり、立場や責任も背負った女たち。誰しも子供のままではいられない。しかしこのときばかりは肩の荷を下ろして、見た目通りの少女のように戯れることができた。
互いにそうふるまうことを許せる関係こそが、あるいは〝友〟であるのかもしれない。
気恥ずかしくて口には出せないが、ランは密かにそんなことを思う。いかなる[時間]の魔法も永遠には留め得ない、この穏やかなひと時の尊さを噛み締めながら。
やがて料理が運ばれてくると、三人は手を付ける前にひとしきり、その
皿の上に
それらは配色や盛り付けの妙によって再現された
「はぇ~、なるほど~。ドワーフといえば、鍛冶や建築に強いイメージがどうしてもありますけど……職人としての適性が食品づくりに発揮されると、こうなるんですね」
「
「店をお勧めしたリピーターとして、味も保証するから、ぜひ食べてよ。ボクが知る限り、これほど美味しい〝世界〟はユグドラシルにもなかったくらいさ」
「〝世界〟を
「ふふ――こう見えてボクは、
皿の上の小宇宙を目で味わい、いよいよそこにフォークを入れようかという段になって、三人は視線を
「じーーー。なのです」
円形のテーブルを囲い、正三角の位置関係で座っていた三人の間に、いつの間にか新たな顔ぶれが三人、ちょこんと立っている。
見た目はメイラスよりなお幼い、黒髪の幼女。三つ子のように同じ顔、同じ髪型、同じ体格をしている。唯一、身に纏う黒地の
和装の三姉妹は愛らしく整った顔立ちに茫洋とした無表情を浮かべ、しかし瞳だけは控えめにきらめかせて、
席に着いている三人は顔を見合わせ、苦笑した。
「……シズク様にそんな顔をされては、仕方ありませんね」
「うちのシズクだけじゃないんだ、このおねだり攻撃……」
「シズクちゃんかわゆ……心がもちもちする……」
突如出現した三姉妹は、見た目通りの人間の女児ではない。
メイラス、ラン、ケイトそれぞれの世話係として付けられた、『
むろん単なる雑用に一〇〇レベルNPCが配備されるわけはない。彼女たちはそれぞれ異なる意味において重要人物である席上の三人を、普段は装備の一部に化けて護衛している。
裏を返せば、それは
そして唯一シズクが
かくして小さな従者たちは、無言の下剋上を果たす。
着座した女三人、誰からともなく皿を差し出し、自分が連れてきたシズクに一口目を譲った。
鏡映しのように同じ動きでフォークを一刺し、それぞれ異なる
「これはお仕事の一環ゆえ仕方ないのです。毒味は必要なのです」
「うまうまなのです」
「役得なのですー」
「ひじょうに美味なのです」
「これに比べるとYMOKさんの鮎はカスなのです」
「そういう褒め方はよくないのです」
……容姿相応かどうかは疑問の余地を残すリアクションだったが、ひとまず見守る女三人は満足した。たとえ仮初の姿でも、幼子が美味しいものを食べて喜んでいる姿を眺めることは、彼女たちにとってその一口を自分の皿から与えるに足る眼福の報酬となる。
そういう需要を解っていて付け込みに行くのがシズクであったし、ランたちもそのようなあざとさを知った上で乗ってみせる。総じて、
「……お、これは本当に、おいし……!」
「熟練の菓子職人が手掛けた昼食メニュー、って感じがしますね。〝川〟の部分のフルーツソースとか」
「そうでしょそうでしょ。この〝城〟の生地とか、たぶん焼き菓子の技術を究めてないと作れないバランスだと思うんだよね。味と触感と香ばしさと、あと色合い……うーんボクでさえ食べるのが後ろめたいほどにアート……」
「ケイトの食レポが微妙に一般人を置いてくやつで笑う」
自分たちでも料理に手を付け、外観の美しさに負けない〝食べ物〟としてのクオリティに舌鼓を打つ三人。今回もケイトの推薦に間違いはなかった。ランとメイラスに美食家的感性を褒められ鼻高々のケイトだが、別にグルメリポーターが彼女の
一座の面々が主菜を食べ終え、デザートを待ちながらひと息つく間に、店主が挨拶に訪れた。
来店時にも会った店主は、ランの目から見ても相当に年老いていることが分かるドワーフで、同族にありがちな
「この度は女王陛下、ならびにご友人の方々にお越しいただき、誠に光栄に存じます。
シェフのバーリ・プリサイスフィンガーと申します。当店の料理は、皆様のお口に合いましたでしょうか」
「いつも通り素晴らしかったよ、バーリじいさん!」
計算ずくか天然か、〝国王の友人〟らしさを一切装わぬケイトの賛辞を皮切りに。
「わたしは初めての来店ですが、とても美味しくいただきました。デザートも楽しみにしておりますね」
己を陛下と呼ぶ相手に合わせ、瞬時に〝女王らしさ〟を纏ったメイラスのコメントが続く。
ランは二人の友のどちらに寄せて応えるべきか逡巡し、結局は素直な感想を自己流の表現で伝えることにした。
「えっと、どうも。八重樫 ランです。あたしも初めていただいた料理ですが、なんというか……とても、奥深い世界を覗いた気がしました。
もちろん、きれいで美味しくて、大満足です。よければ、また来たいと思います」
リアルでは大財閥を率いる名家の生まれとはいえ、幼少期に覚えたマナーなどは長い異世界生活の中でほとんど忘れかけている。この場に適した言葉を選べたか不安になるランであったが、菓子職人バーリは色褪せた髭の下で破顔した。
「お初にお目にかかります、ラン様。ご活躍はかねがね伺っておりました。かの大魔女リナ様のご息女にして、『時の聖女』と称される偉大な神官にお会いできるとは!
どうぞ遠慮なさらず、いつでも、何度でもいらしてください。歓迎いたしますとも」
自分の
同じ料理でも、三人それぞれの皿で微妙に味付けや香りが違うらしい、とシズクに指摘されて気付いたときは感動したものだ。
途方もない高み。この世界がいかにゲームめいていようとも、眼前の料理人が人生をかけて築き上げたものは本物だった。自ら味わったその真実に、ランは素直な賞賛の念を覚える。
そんなバーリ老人は、見た目にまだ幼いメイラスを子ども扱いしないどころか、建国の初代王として本気で崇敬しているらしい。当然、その王の友人として招かれた二人に対しても礼を失することはなかった。
しかし年齢不詳のケイトはともかく、ランとメイラスにとっては遥か年上の相手である。こうも自然に
その後も老ドワーフは、「今日という日を生涯の誉れとする」「陛下と『人類』の神々に至上の感謝を」「『
大演説は、デザートを運んできたエルフの女性が
[memo]
■憤怒くん
・『
・昔は普通に喋っていたのだが、口が悪くてよく子供を泣かせたので、「憤怒」以外喋ってはならないという命令を下されてしまった。
・冬場になると、最低出力で〈炎のオーラ〉を展開し、通行人にちょっとした暖を提供したりもする。
・近所のおじさんが彼の炎で芋などを焼きに行くたび「憤怒ゥ!」と怒るのだが、なんだかんだ焼いてくれる。長くやっているので火加減が巧くなってしまった。
・感謝されると嫌そうな顔で「ふんぬふんぬ」と首を振る。好意や善意を向けられるのは苦手らしい。悪魔という種族の悲しいサガである。
■三本の眼柄を持つ黒い生き物
・ネスランと呼ばれる水棲軟体種族。分類は異形種。本文中に描写されている通り、巨大なナメクジ、あるいはウミウシの類に似ている。
・基本的に知的かつ温厚、数学的思考に優れる。また
■バーリ・プリサイスフィンガー
・『
・エルフの妻とは『
・実は四十レベルを超えており、人間国家の尺度で言えば逸脱者相当。ただし料理人や職人のクラスが大半のため、戦闘能力はレベル換算で三分の一程度。
・若い頃、『美食王』アメンラームに料理の才を見出され、教えを受けたことがある。