OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
店主夫妻の退場後、ある意味で菓子職人の本領が発揮されたデザートの甘味類にまた沸き立つ女たち。
シズクによる恒例の〝毒味〟を経て、皿に付いたクリームも惜しいとばかり綺麗に平らげた三人は、至福の表情で食後の余韻に浸っていた。
――たくさん食べて、たくさん話して、たくさん笑った。
今日はもう、これでお開きでもいいかなぁ……。
ランがそう思っていると、メイラスがおもむろに表情を引き締めた。
出会った頃と変わらぬ少女の顔で、長年の友を案ずる女王の眼をしてみせる。そんなメイラスの姿を見るたび、ランは友人の成長を実感する。
純粋に、友達と食事を楽しみたい。そこに嘘はなかっただろう。――が、
いまや国家的要人の一柱たる『時の聖女』八重樫ランに対し、この機会に
「ランちゃん……リナさんとの関係は、まだ修復できそうにありませんか?」
ふ、とランは苦笑する。
なまじ影響力を持ってしまったばかりに、親子のちょっとしたすれ違いまで国家の一大事にされてしまうのは、リアルの有名人や権力者と変わるところがない。
「大袈裟だよ。べつに親子の縁が切れたとかそんなレベルの話じゃないし。
ただ、母親が
八重樫リナが
一〇〇レベル術者としての絶大な魔力と、その力に――あるいは美貌と、
この世界で現実化した位階魔法の理論を後付けで一から学び、人を動かし、体系的な研究計画を立て……手持ちの情報が増え、出来ることが増え、協力者の顔ぶれも多彩になった。
にもかかわらず、目標は遠ざかる一方だった。
知れば知るほど、
最初は転移魔法の応用でどうにかできるのではないかと思っていた。だがすぐに、単なる空間座標の移動では戻れないことが分かってきた。自分たちをここへ召喚した力は、もっと遥かに複雑なプロセスを踏んでいる。
まず物理法則が違う。この世界では明らかにエネルギー保存則が成立して
それでも自分たちが生きていられるのは、地球に生きた人間の精神を納めたこの肉体が、こちらの法則に合わせて破綻なく再構成されているからだろう。
おまけにリアルからこの世界への直接転移でなく、そもそも
エルスワイズの同僚だという
「テグマーク式
逆に言うと、ユグドラシルを経由したとはいえ
リナにもランにも詳しくは理解できなかったが……概ね共通の数学的構造を持っていたユグドラシルの
また別の機会には、いかなるコネによるものか
「貴女がた〝ぷれいやー〟の出現には、〝竜帝〟と呼ばれた存在が関わっている……少なくとも同族の間では、そう考えられている。
竜帝は、かつて世界の全てを支配したと言っても過言でない、強大な竜だった。しかしあるとき彼は、何らかの巨大な魔法が発動した痕跡だけを残し、忽然と姿を消した。異界の人や物が落ちてくるようになったのは、それからのことだ。
仮にユグドラシルからの召喚が竜帝の仕業だったとして、貴女がたがそれを解析し、模倣し、いわば
ひとつ前の周期に来た〝ぷれいやー〟が
要するに、「来たのと同じ方法で帰る」という確実性の高そうなルートも、環境の変化と技術体系の違いにより難しいということ。
失敗しそうなアプローチを事前に教えてもらえたのはよかったが、それを知ったリナが喜んだかといえばそんなことはなかった。むしろ大きな希望のひとつが断たれ、方向性を見失った帰還手段の研究は、ここから目に見えて停滞し始める。
歳月が過ぎる。レオはドワーフ街の職人たちを父親代わりに育ち、ランは人間の短命を克服するため
歳月が過ぎる。レオは『
歳月が過ぎる。レオはいつしか鍛冶師として妻に次ぐ名声を得ており、遠方のドワーフの国でルーンなる現地独自の魔化技術を学び始めていた。ランはこの世界で生きていく覚悟を表明するように、パワーレベリングに耐えて寿命なき超越者となった。
リナは折れた。
諦めたのだ。もはや自分の中に、あの世界へ戻りたい、という意志の火が灯っていないことに気付いてしまったから。
ユグドラシルにログインしていた自分たちの肉体がどうなったかは分からないが、リアルでも同じように時が流れているなら、とうに夫は前を向いて己の人生を歩いているだろう。妻子がどうなっていたのだとしても。
だから気に病むことはないと、ランは母を励ました。
――遅すぎたくらいだよ。これからは、この世界で楽しく生きていくことだけ考えよう。なんなら恋したっていいじゃん。エルフはずっと若いんだから。言っちゃなんだけどお母さん好きな人いるよね。ずっと前からバレバレだったよ――
娘に諭されて泣き、からかわれて赤くなり、酒に溺れて眠り……翌日、リナは地球への帰還という未成の夢を手放した。
研究事業自体は
気楽な立場となった彼女の前に開けたのは、これまで「いつか去る場所」としか見ないようにしてきた世界の美しさと、圧倒的な自由だった。
一〇〇レベル
人生をリスタートする決意さえ固めてしまえば、八重樫
神にも魔王にもなる気はなかった。彼女が自覚した望みは、ちっぽけな等身大の感情。
アーコロジーの女学園で過ごした少女時代から、家と会社の意向で決められ始まった結婚生活に至るまで、丁寧に封じられ除去され無視され続けてきた欲望。
すでに火は着けられていた。自分たち家族をこの国へ導き、それからもずっと親身に支えてくれた、美しい男の手によって。
あの人を全身で愛して、同じほどに愛されることができたなら、ああ――どんなに。
それから、さほどの時は置かずして。
美貌の賢者として知られる『
「……そりゃさー、こっちも煽ったし悪いとは言わないよ?
あたしもレオもお父さんに会えないのは寂しいけど、こんな異常事態に巻き込まれて十年もこっちで生活してたんだから、もう帰れないんだろうなーって覚悟はあったし。
お母さんのことだって、お父さんやあたしたちへの義理だけで芽の出ない研究をずーっと続けていくぐらいなら、すっぱり諦めて心機一転、この世界で幸せになってくれた方がいいなって思ったよ。
思ったけどさ……だからって自分の母親が男と
だん、と十七で時を止めた少女の手がグラスを置く。
注がれていたのは果実酒。友人二人の前で、ランはしこたま酔っていた。
「思えばリアルの実家じゃお父さんがすっごい淡白な方で、あたしもレオも
あの日は確か……神殿の修行が、先生の都合で早く終わってさ? まだ日も高い……つってもこの国だと
そしたらベッドの上で
お母さんはあのエロボディをぶるんぶるん振り乱して獣みたいに喘いでるし、賢者様は日頃のすまし顔どこ行ったんですかってぐらい全身グリグリ使って激しく攻めアンド責めよ。もうなんかヤバいの。美女と野獣ならぬ、美獣と美獣。イケメンセックスマシーンに死ぬほど鳴かされる豊満魔女の図」
「は……はわ~~~!」
真っ赤な顔で放心しながら煙を上げているメイラスには、まだ早すぎる話だったようだ。ケイトは苦笑しつつも落ち着いているが、人聞きを憚ってか周囲に視線を巡らしていた。
「高級店を貸し切ってまで、昼間から酒飲んで猥談かぁ……ランちゃんが酔うとこうなるのは予想外だったな……。
まあ気まずかっただろうね。ひょっとすると目の前で、歳の離れた弟か妹が
「あ、ごめんケイト、その発想はなかった。あんたもなかなか畜生度高いわ」
「自分からぶっちゃけといて梯子を外すのに容赦ないねぇ!?」
ランはけらけらと笑った。あの日の衝撃を、今こうして笑い話にできることが嬉しかった。
当時は……まだ気持ちの整理がついていなくて、
「と、とにかく……そんな場面を見てしまったのがショックだったから……それで家を出て、一人暮らしに?」
自分で頬をぺちぺち叩き、どうにか火照りを冷まそうとしながら、メイラスが先を促す。
「まあ、もうあたしも大人だったし。レオは先に結婚して新居に移ってたから、あたしだけいつまでも残ってるのもね。
もう会えない夫に操を立て続けろなんて馬鹿なこと言わないし、賢者様がお母さんの相手ならそれもいい。むしろ最高じゃない? 男が持ち得るあらゆるスペックがカンストしてる感じ。スーパー美魔女になっちゃったお母さんに釣り合うのなんてあの人くらいでしょ。今だったら普通に祝福できるし、
「だったら……どうして、リナさんのところにもっと顔を出してあげないんです?」
困ったように、少し悲しげな眼と声で、問いかけてくる小さな女王。
この顔はずるいと思いながら、何と言ったものか、ランは胸の中に答えを探す。
「つまんない
ランはもう子供ではない。母が一人の女に立ち戻って、かつての夫との間にはついぞ育み得なかった情熱的な愛を、この世界で見出すなら止めはしない。
ただ、あの日――エルスワイズに抱かれながら、母が放った一言だけが。いまもランの中で、痛みを発する傷となって残っている。
その傷が、母と顔を合わせるのをひどく億劫にさせている自覚もあった。
深い意味など無かったのだろう。あのとき、八重樫リナは忘我の境にあった。冷静な思考など、一片でも残っていたかは疑わしい。
それでも、娘が見ていることに気付きもせず、彼女は涙を流しながら叫んだのだ。
――ああ、エルスワイズ! お願い……
「
自分も大概面倒な女になってしまっている、とランは思う。
もう面影も朧な父が、男としてエルスワイズに勝る点などあったようには思えない。これが他人の話なら、たとえ
母の新たな恋人が、どんなに男として完璧であっても。
たったそれだけの子供じみた抗議を表明するために、母親と何年も音信なく過ごす不孝な生活を常態化させている。
成長を止めた肉体とともに、精神まで大人になり損ねたような気がして。
ランは果実酒の甘い残り香の中に、苦い自嘲を噛んだ。
……と、アンニュイな空気が重い沈黙を拡げかけたところで。
「……なに? シズクちゃん」
頭がもちもちする。
というのはつまり、膝の上に乗せていたシズクが肩へよじ登り、さらに登って頭上に陣取った感触である。
その個体は平素の通り、淡々と涼やかな幼女の声でランに語りかけてくる。
「人間さんは命が短いので、いっときの悩みを焦って解決しようとして、かえって迷妄に陥りがちなのです。
でもランさまは永遠の十七歳なのです。急がずまったり構えておくのです。時間が解決することもあるですよ」
他の二体のシズクも、それぞれランの膝と背中によじ登ってくる。
大した重さではないが、動くに動けない。通常の三倍のもちもち。触感がいつまでも完結しない。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ずなのです。
こじれた人間関係も、
「因縁生起、有為転変、色即是空なのですー」
何を言っているのかよく解らないが……これはひょっとして、励まされているのだろうか。
幼女スライムに
あまりに馬鹿馬鹿しい。
親子の距離について、とてもシリアスな気分を維持できる状態ではない。
「……そーだね。もちもちだね」
ついにランは、強いて自分を悩ませることをやめ、無心のままシズクを撫でたり捏ねたりする作業に没頭した。何やらうずうずしているメイラスや、羨ましげに見つめてくるケイトから、さりげなく目を逸らしながら。
[memo]
■『時の聖女』
・主人公と同時期(数か月後)に転移してきたプレイヤー。人間、女性。
神殿の聖職者たちに学び、信仰系(クレリック系列)の術者としてヒーラービルドで成長。女王メイラスの親友にして王宮筆頭癒術師、という地位にある。
・『
このスキルは本来、加齢効果だけでなく[時間]属性全般への完全耐性を与える方が主眼であるが、異世界では[時間]系の攻撃をしてくる相手などいないため、不老化以外の面では死にスキルとなっている。
・合意の上、実験目的でワールドアイテム『忘却の壺』も併用され、一時は七十以上まで伸ばしたレベルをあえて下げている。そのぶん上級職が圧縮されたレベル構成となっており、通常の同レベル帯プレイヤーより強力なスキルが多い。
もっとも、ユグドラ動物園と揶揄されたクソゲーの過酷なPVP環境を戦い抜いた経験はないため、戦闘技術は歴戦のプレイヤーに遠く及ばない。師として指導に当たったヘスからは「戦闘能力はあくまで自衛程度と考えること」と釘を刺されている。(※プレイヤー基準)
↓以下、書くうちに長くなってしまったが超どうでもいいので読む必要はまったくないやつ。
本編中で役に立つかどうかすら不明。
■
・前話に登場した試作車両の動力源。この世界の技術で作成可能な、魔法的原動機の一種として研究されている。ただし、まだまだ完成度は低い。
・仮に〝魔法の車〟を作る場合、性能だけを追求するなら、車全体を一個のマジックアイテムとして魔化してしまうのが最も優れた方式である。現に大陸の先進国でも、馬車の規格でならこのようなアイテムは既に作成されている。
が、このやり方はゴーレム制作の亜種じみた工程を必要とするため、現地技術ではコストが途轍もなくかさむ。優秀な
・『
この方式の利点は、とにもかくにも生産コストの低下である。設計・製造に関わる術者の仕事を小規模かつ単純な部品単位に絞ることで、必要な魔力量も術式の複雑さも、ひいては全工程の属人性に由来する総合的な人件費をも、劇的に下げることができる。これは技術的難度・製造期間・素材の自由度など純マジックアイテム車に付きまとう多くの問題を解決し、将来的には大量生産と広範な普及への道を拓くことに繋がる。
それでいて、完全非魔法構成の車では避けて通れない廃棄物や燃料の問題をもスマートに迂回する、まさに魔法車と物理車の〝都合のいいところだけつまみ食い〟を狙ったデザインと言える。
・機能部品だけを量産可能なマジックアイテムとして開発する、という一連の研究事業の中でもとくに原動機技術が重要視されているのは、関連分野の広さゆえのこと。
車だけでなく、たとえば船舶や航空機(理論上は可能である)の動力にも当然転用できる。純物理的な工業部品の高精度化・量産化に必要な工作機械も、高位ドルイドを必要としない大規模農業の前提となる諸種の農機類も、非魔法的な水道網の構築を大いに助ける自動ポンプも、リアルでいう家電に相当する生活用品さえも、動力機関さえあれば作れるようになる周辺製品としてまとめることができる。また軍事分野では機関銃、対竜チェーンソー、
・『自己再動ねじ巻き』や『無限屈伸クランク』など多くの競合案がある中、注目度の点で『
理論としての
閉鎖系内で熱量の純然たる消失を引き起こすなど、エントロピー増大則に真っ向から違反する〝魔法的装置〟の極致とも呼ぶべき万能のポテンシャルを秘めた機構。しかしその高機能性ゆえ、要求される魔法工学的技術の水準は非常に高い。「最低限動くだけ」の技術実証用テストモデルの製造ですら、現状では第八位階の術者を必要としてしまう。この高コストは研究の趣旨を考えれば本末転倒の欠点であり、量産化の可能性を探る上での重大なネックとなっている。
「たまたま基礎理論を発見してしまい、面白いので研究していますが、本来これは
・カレルレンに言わせると、これらの技術はいずれも「マジックアイテムとかいう
最終的には不要となる過渡期の技術かもしれないが、それはそれとしてこの世界で何ができ得るのか、今後どのような技術が登場してきて現地文明社会にどのような影響を与えるのか……といったデータを蓄積するために、有り余るリソースを投じてとりあえず研究してみている――というのが実情に近い。
・要するにこの研究自体は、テクノロジーと社会に関する実験(およびアンダーソンの趣味)の域を出ておらず、現地世界を変革するための秘密兵器とかではまったくない。