OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
エレリス・ブラックエッジは焦れていた。
地上より来援したスレイン法国の兵たちが、首都アムディオルへ入洞してから三日が経つ。本来なら昨日には軍議を終え、悪魔に奪われた
だが、長引く魔群との戦いで多くの傷痍兵を抱えるアムディオルの現状を知り、法国側は急遽予定を変更。儀式魔法に通じた神官団を追加召集し、大儀式による傷病者の集団治癒を行う……という
それ自体はいい。
無限に湧き出る悪魔や
彼らの傷が癒えるなら、たとえその後に法国の援軍がなくとも、精強なダークエルフの戦士たちはまだまだ戦い続けることができる。
不満なのは、連合軍の出征が遅れたために、エレリス自身も首都に留め置かれていることだ。
先日までの戦いで負った傷は全て、同胞の神官たちによって優先的に癒されている。一日休んで疲労も取った。
ならばこの国の最大戦力たる自分は、一刻も早く前線に戻り、再び剣を振るう役目に没頭すべきではないか――そう気が急いて、仕方ないのだ。
頭では、それができぬ理由も解っている。
此度の戦に味方として馳せ参じたスレイン法国だが、アムディオルからすればまともな交流もない、遠く地上に住む異種族たちの国である。一言でいえば、
そのような異国の軍勢を、有事の味方とはいえ首都に招き入れて、民が不安にならぬわけはない。宮廷に仕える貴族たちや、妹王リフィリスまでもが、前線に飛び出していこうとするエレリスを押し留めるべく懇願してきたほどであった。
要するに……たとえ法国の兵たちがこの都市で狼藉を働こうとしても、国家的英雄たる〝王姉将軍〟エレリス・ブラックエッジが市内で目を光らせていてくれるなら、アムディオルの臣民は
ただそれだけのために、一騎当千の駒が後方に拘束されているのである。
愚かとは言うまい。民の安寧を守ることこそ、兵の本懐。英雄の責務。優れた武力は戦場へ出て敵を切り刻むだけでなく、味方を鼓舞し、勇気を与え、秩序を維持するための
自分の
前線では今も、戦友たちが戦い、傷つき、死んでいくというのに。
どうして自分だけがここにいて、剣を抜かず血を流しもせず、ただ安穏と時を空費しているのだろう――と。
法国の兵士たちが、懸念されたような乱行に及ばないのは幸いだった。彼らは異郷の市中にあっても統率と規律を固く保ち、アムディオルの市民には礼儀正しく接しているという。
まれに末端の兵が揉め事を起こすことなどはあるようだが、法国軍の指揮官たちはそのような不祥事を速やかに把握し、鎮圧し、謝罪と当事者の処分まで含めた報告を都市側に連携してくる。そうした機敏な誠実さが、事態の深刻化を防いでいた。むしろ見習うべき軍規の高さと言えよう。
しかしいずれにせよ、彼らにとっても自分たちにとっても、今の状況が長く続いて良いことはない。戦働きを本懐とする兵士が、平和な市民生活の場に緊張を持ち込むばかりで、これといった役に立っていないのだ。
近いうちに出征があると分かっていればこそ耐えられたが、そうであるがゆえに肉体を限界まで酷使するような訓練も行えない。
総じて、両軍の戦士たちは力と戦意を持て余していた。
これが最高潮に高まったタイミングで、敵に叩きつけられるならよい。だが、もし市中で
「姫様、ここにおられましたか。――もう少ししたら〝儀式〟が始まります。お早く、聖堂へ参られませ」
副官のエルゴーン・ツァウバーに呼ばれ、エレリスは悶々とした物思いから覚めた。
「ようやくか。待ちくたびれたぞ。これで動員可能な兵力が増えると考えれば、甲斐のない待機ではなかったが」
兵営を出て歩く道中、もう一人の腹心である死霊術師フェイノール・アウルダーヴィスも供に加わり、三人で聖堂を目指す。
「儀式の祭場に使うということだが、
「はっ、そちらは万全と報告を受けております。法国の
「なるほど。徹底しているな……」
エレリスが訊ねたのは、三日前に聖堂の大天幕を半壊させた
この国の
地上から訪れたダークエルフの傭兵兄弟が、余所者の身柄ゆえか、霊樹に敵と看做されたことが発端らしい。それを聞いたとき、エレリスはまず二人の――無意識にではあるが、とくにあの美しい弟の方の――身を案じた。次に、なんという厄介ごとを持ち込んでくれたのだと憤った。
だが詳しい情報が入ってくるにつれ、あの二人が事態を収めるために偉業とも呼ぶべき活躍をしていたことが判明する。
霊樹の暴走を察知するや、彼らは参拝客の避難を誘導し、不可解な魔法の障壁によって自分たちごと聖堂を封鎖した。そして怒れる神の前に跪き、自分たちは御身の民に仇なす者ではないと、決死の宣誓祈願によって身の証を立てたのだという。
結果、神なる霊樹は兄弟の勇気を認め、怒りを鎮めて再びの眠りについた。
二人がその場で命を懸けてくれなければどうなっていたか、考えるだに恐ろしい。
彼らは逃げ出すこともできた。むしろ立場的にも、生き物の本能においても、そうして当然だった。霊樹の聖雷に灼かれて生き延びられるダークエルフなど、居ないのだから。
そして、もし彼らが逃げていれば――未だ昔日の大戦より癒え切らず、夢現の境にまどろむ霊樹の怒りは、敵が潜む
そうなると分かっていたから、兄弟は結界で自らの逃げ道を塞いでまで、英雄的な自己犠牲に踏み切ったのだろうか。
あまりにも尊く、悲劇的なまでに気高い決断だった。同じ状況に置かれたなら、まことの英雄と称されるエレリスにも真似できる自信はない。
大いなる貸しを作った国に対して、傭兵兄弟は何らの報酬を求めるでもなかった。
厚かましくも、正しい作法を心得ぬ余所者の身で参拝し、神を怒らせてしまったこと。雷撃による聖堂の半壊を招いたこと。云々――といった内容について、兄の方が平身低頭の謝罪を述べてきたばかりである。
弟の方は不満げであったが、それも当然であろう。彼らはいわば、何の義理もない異国の民のために命を懸け、ひとつの都を救ったのだから。
むろん
エレリスの妹にして『
が、兄弟の意向はとにかく「大ごとにはして欲しくない」の一点張りであり、そこには単なる謙遜以上の切実さが覗いていた。
ことによると彼らも、身分を隠すべく傭兵に身を窶しているだけで、やんごとなき理由から氏族を離れて旅する貴人なのではないか――そんな推測も立つようになる。
一時は貴族の誰かが、「いっそ我が国の民となってもらい、王姉将軍を娶っていただくというのは如何か」などと言っていたらしい。露骨な政略ありきの縁談。この案は「お姉さまは
徹底して印象を消そうとするかのような、不気味な兄の方はともかく……奇跡のように無垢で、甘美なほどに可憐な、あの弟の方となら……。
「……いや、これは弟くんの方が可哀想だな。私では
微量の寂寥を滲ませた主君の呟きを、耳ざとく聞きつけたか。
こそり、とエルゴーンが歩きながら耳打ちしてくる。
「姫様、姫様、街中を歩きながらいかがわしい妄想に耽るのはおやめください。民が見ております」
「なっ、馬鹿なッ、違うぞこれは! 縁もゆかりもない国の都合で、未来ある若者を人生の獄に繋ぐような真似は、すべきでないと思ってだな……!」
「ならばそれを、顔にも口にも出さんでいただきたい! 栄光ある王姉将軍閣下が、頭の中では美少年を裸に剥いて舐め回しているなどと民に知れた日には、王家の威が地の底へ堕ちますぞ……!」
「――
猥談まがいの軽口を囁き交わしながら、英雄と従者たちの三人組は聖堂へ入場した。
焼かれた大天幕や飾り帯は見事に修繕され、破壊の後は見受けられない。しかし聖堂内部の光景は、単なる〝復旧〟に留まらず様変わりしていた。
霊樹の主根を囲うように組まれた祭壇。常ならば民が憩えるよう並べられていた長椅子の代わりに、広く開けられた床面を覆う魔法陣。
いずれも本来の聖堂には備わっていなかった魔法的設備だ。
魔法陣の周囲には、病院や戦地から集められた、自力では動けぬ重症の傷病人が並べられている。
少しでも多く儀式魔法の効果範囲に人数を収めるべく、幾段にも重ねられた架台へ詰め込むようにして寝かせる徹底ぶりだ。みな狭苦しさを耐え忍んで、大魔法がもたらす癒しの時を待っている。
その外側には、比較的軽症の者たちが座る席。軽症といっても手足のない者や、耳目を失い二度と戦えそうにない者もいる。
治癒魔法では、欠損した器官までは再生しない。それが魔法学における常識である。しかし法国の神官たちは、そうした〝
神々の魔法を再現するという大儀式なら、あるいは……と。不自由な身体に淡い期待を抱いて、彼らは集った。
これで治らぬとあれば、却って反感を招きかねないが……法国の儀式とは、本当にそれほどの魔法を発動可能にするのだろうか。
魔法の専門家であるフェイノールが、興味津々の体で魔法陣を分析する。
「凄まじいですね……儀式魔法では、多人数の
法国の神官たちは、わが国の民を癒すために、いったい何位階の魔法を……?」
「
ばっ、と主従三人が武器に手をかけ、声の方を向く。
いつの間にか、小柄な人物がエレリスの傍らに立っていた。
だがその口ぶりは達観と老成を感じさせ、薄絹の奥から注がれる眼差しは、不思議と慈しみに満ちていることが解る。母のごとき暖かさだ、とエレリスは連想した。
「あなたは……?」
「儂のことは……
ま、
どうやら法国の神殿が抱える、秘蔵の人材らしい。そんな重要人物を派遣してくれるほどに、彼らは本気なのか。
エレリスの政治的考察は一顧だにせず、フェイノールが屈み込んでサヤに尋ねる。
「第九位階とおっしゃいましたね――伝説にしか伝えられていない神々の魔法。やはり、実在するのですか? スレイン法国では、儀式魔法でそこまでの領域に手を掛けたと?」
「うむ。もっとも、人数を揃えて場を整えれば、何度でも使える……というものではない。
祭壇と魔法陣を構えての大儀式に加え、適した
それゆえ効果は折り紙付きじゃ。第九位階〈
「素晴らしい! しかし、それほどの貴重なアイテムを使ってまで……なぜです?
こう言っては何ですが、我々は所詮、あなた方にとって他人であり異種族のはず。かつてのスレイン法国は、地底の民に冷たく当たったとも聞きます。それが、どうして?」
あまりに直截な同僚の物言いに、慌ててエルゴーンが割り込んだ。
「やめんか、フェイノール! ……申し訳ない、サヤ殿。此奴は決して、地上
「よいよい。学者気質というやつであろう。
法国はいま、ちょうど過渡期にあるのじゃ。己等のみが選民と信ずる閉ざされた国から、神の教えと恩寵を外界へ広めてゆく、開かれた国への……な」
学んだ歴史を語るような他人事の口ぶりで、妙に実感の籠った台詞を吐くサヤ。エレリスはそこに微かな違和を覚えたが、好奇心が先走ったフェイノールは気付く様子もない。
「聞けば今回の派兵に際しても、法国はわが国に対し、ほとんど見返りを求めなかったとか。……いかに貴国の信仰が篤くとも、にわかには信じかねます。
どれだけの国力と余裕があれば、
「そこは今代の最高神官長、リーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドの改革がもたらした成果じゃな。
あらゆる分野の技術革新を先導した才人にして、史上初の第五位階到達者。彼女が法国を強く豊かにすると同時に、緩やかな方針転換を図った結果が、
サヤの口調に、誇らしげな響きが混じる。
法国は現在の地上における最大の人間種国家であるという。その情勢を知ることは、アムディオルの王族たるエレリスにとっても重要であった。
「方針転換、とは?」
思わず割り込んでしまった彼女に、サヤが面紗の奥で微笑む気配。
「『
すなわち、人間種に限らず――亜人であろうと異形であろうと、
種を超えて共栄し、存続するための大同盟。いわば自然の荒海に漕ぎ出す、文明の方舟よ。その、大いなる無形の船を守ってゆくことが、法国の新たな指針となった」
現在のアムディオルに、海はない。だが氏族領の旧き版図には、東方に広がる巨大な地底湖の一部も含まれたという。
その〝内海〟を異種族と奪い合い、幾隻もの軍船を建造した時代があった。エレリスが生まれる以前の国史は、かく伝える。
ゆえに朧気ながら、想像はできた。〝文明の方舟〟なる概念が、いかなるものであるか。
「法国は、おぬしら
一方で、死と破壊を振り撒き対話もできぬ、地の底より沸き立つ魔群を『人類の敵』と認定した。
ならば成すことは一つ。『人類』の存続を期して、儂らは未来の友を助ける。……突き詰めれば、此度の〝援軍〟はそれだけの話なのじゃよ」
「はあー……そのアスハルドという人は、随分……過激な改革をなさったんですねえ。
自国には一文の得もないことを、
フェイノールの感想は、言葉こそ暢気なものだったが、その声色にはどこか辛辣な安心の響きがある。
宗教的理念が先走って自国の民を蔑ろにする、気高くも愚かな施政――法国の現体制に対し、そんな評価を下しているのかもしれない。
しかしエレリスは、まったく異なる思いを抱いている。
種族という絶対的な差異によって分断された世界が、〝無形の船〟によって制覇され、変革してゆく未来。彼女は束の間、それを幻視した。
「……
「ほう。王姉殿下はそう思うかの」
当然のように、名乗ってもいない自分の素性を見透かされている。エレリスは驚かなかった。このサヤという少女には、何を知られていてもおかしくないという神秘性がある。
「力で覇権を手に入れようとした国も、種族も、古来いくらあったか知れない。
すべての国境を剣で打ち破り、すべての異種族、異教徒、異民族を鎖で繋いで、支配して……世界征服。統一王朝。そんな夢を見た誰もが、成功しなかった。ゆえに
だが、法国が始めた
どんな魔法より恐ろしい武器だ。感染性の病か、あるいは……
「よく本質を捉えた見解じゃ。思想の伝播はしばしば疫病に似る。
しかし、この征服は
恐ろしい、
フェイノールがぽかんと口を開けている。エルゴーンは眉を顰めている。
どちらもサヤの言ったことを理解し切れていないのだろう。エレリス自身、思考がまとまるより先に言葉が飛び出しているという感覚がある。昂奮のようであり、恐怖のようでもあった。
説明しろと言われても無理だ。これは、ただ――
自分の前に、無数の運命を束ねた
どこか浮ついた気分の中で、エレリスは言葉を選んだ。
「そうだな。……うん。正直に言えば、私はそれを夢物語だと思うが……どこかで、期待もしている。
私はこの国の王ではない。法国にも、『人類』にも、何ら言質を与えることはできない。
それでも、あくまで私見を述べるなら……
「大いに結構! 最高神官長どのも喜ぶじゃろう。
……さて。ぼちぼち儀式も始まる頃じゃ。健康な者どもは、傷病者に場所を譲るがよい。魔法陣や祭壇を壊さぬようにな。
ああ、そうじゃ――」
一方的に話を切り上げ、祭場の中央から三人を追い払おうとしておきながら、〝小聖女〟サヤは最後にエレリスを呼び留めた。
「――先ほどは、第九位階の〈
ここはおぬしらの神の、祝福
そのときは、霊樹の加護に感謝するとともに……神官どもの献身を労ってやろうぞ」
なぜか――まったく無根拠ではあったが――エレリスの中に、二つの確信が灯った。
ひとつは、面紗の奥でサヤが悪戯っぽく笑い、ウインクを投げて寄越したであろうこと。
もうひとつは、去りゆく少女の仄めかした〝奇跡〟が、きっと
[memo]
■霊樹の聖雷
・〝
・自然の雷やユグドラシルの[雷]属性魔法とは異なる法則の上に成り立つ現象のため、分類上は[雷]属性でありながら完全耐性でも無効化できない(半減に留まる)。
・一発のダメージはさほど大きくない(プレイヤー基準)が、きわめて燃費が良く、乱射しても
・カレルレン曰く「威力が〈
■〝小聖女〟サヤ
・スレイン法国が行う魔法儀式の場に、しばしば姿を見せる謎めいた人物。
何らかの
・最高神官長となる前のリーマイヤ・ハルヴィ・アスハルドが、何処かで才能を見出し連れてきた秘蔵っ子であり、彼女の権力形成に決定的な役割を果たしたとも噂される。
ほとんどは根拠のない憶測だが、リーマイヤはそれらの風聞を否定していない。
・
不思議なことに、数十年にわたり声や体格に変化がない。