OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
城下町の八方にある落水点は、砂漠の民にとって貴重な水源であり、とくに多くの人口が集住するポイントでもあった。
高所から流れ落ち、飛沫となって拡散する水を受け止めるため、降水範囲をおおよそ覆うように貯水池が広がっている。そこから多方へ伸びる水路があり、上下水道のようなものも整備されつつある。ここでもNPCたちが都市計画に口を出しているらしい。
そうした落水点の一つ、毎日決まった時刻に虹がかかる貯水池のそばに、ミサキの〝診療所〟がある。
地球の医学に基づく専門的な医療施設というわけではなく、傷や病を抱えた者に魔法的治療を施すだけの場所だ。しかし魔法が一部の種族にしか使えないこの世界では、低位の回復魔法ですら奇跡の癒しをもたらす聖者の業となる。
ミサキが不在の間は拠点NPCや傭兵モンスターが運営しており、近ごろは評判を聞きつけて砂漠の外からも客が来るようになったという。
この日は珍しく開設者のミサキ自身が戻ってきていると聞き、カイはここを訪ねることにしたのだった。
自身の護衛NPC・ミンシェンに人払いを任せ、診療所へ入る。
常駐の召喚モンスターが来客受付に出てくるかと思っていたが、石造りの廊下の奥から軽やかな足音が響き、ミサキ自身が出迎えた。
「あっ、カイくん! なんだか久しぶりに会ったような気がするね~!」
「僕は基本的にここを離れてないですけど、ミサキさんは大陸のあっちこっちを飛び回ってますからね。ここひと月くらいは〈
最近は……どうですか? 変わったことや、悩み事でも。あれば聞きますよ」
「おっ、情報収集が上手いね~カイくん! でも女の子にあんまりそういう言い方すると勘違いさせちゃうから、もうちょっと大きくなったらやめた方がいいよ。あっという間に異世界ハーレム王になっちゃうからね!」
「ユグドラシルの天使は年を取らないはずなので、もしかすると僕は、ずっとこのままの姿なのかもしれませんが……」
「そうだっけ? じゃあ永遠のショタコンホイホイだね!」
にひひ、と悪戯な笑みを向けてくる少女。さらに幼い少年の姿をしたカイのアバターも合わせ、見た目だけなら美しい子供たちの他愛ない会話。
ミサキの様子は、転移直後とさして変わっていない。
女児向けアニメの変身ヒロインめいた撫子色の髪を二つ結びに束ね上げ、服の上下は白系のデザインで統一されたセットアップコート。胸元や腰回りに並んだ道具入れのようなポケットが、微かに彼女の
一方で、見覚えのないものもあった。
「それで……そこの子供は?」
ミサキの後ろで診察台に腰かけ、カイをじっと見つめ返してくるのは、灰色の少年。
全身薄汚れて、襤褸切れのような服を着ていた。燃え尽きた灰の色をした髪。白く生気のない肌。瞳だけが、青く昏く光って、どこか見通しがたい意志を秘めている。
「この子はねー、ルナンくん! ここから東の方にあるなんとかって小さな国で、ストリートチルドレンやってた子なんだけど、いろいろあってスカウトしちゃった。
すっごく頭いいし、あと名前の響きと、目つきの悪さも気に入ってさ。これから助手として育てようかと思ってるんだ」
ふ、と灰色の少年が乾いた笑みを浮かべる。
「おれの名前の響きを気に入ったなんて言うやつは、趣味が悪いか、無学なだけだ」
「そんな言い方はないだろ。自分の名前が嫌いなのか?」
ミサキに拾われた身で彼女を貶すようなことを言う
ルナンはいささかも怯むことなく、怜悧な眼光で迎え撃った。
「どういうわけか言葉は通じても、どうやら無学らしいあんたに、ひとつ教えてやろう。
ルナンってのは、
おれたち路上生活者は、役人や貴族どもにまとめて〝
カイは暫し絶句し、それからミサキに向き直った。彼女は驚く様子もなく、慈しむような眼差しをルナンに注いでいる。
「ミサキさん……そういう事情があるなら、彼にちゃんとした名前を付けてあげるべきでは……」
「どうして?」
「どうして、って……被差別階級の蔑称みたいなものなんでしょう? そのまま名乗らせるのは可哀想だし、不適当ですよ」
これを聞いて、ミサキとルナンが同時に笑った。
「にゃはは! カイくんカイくん、それは〝機能〟の話だよね? あたしが気に入ったのは、あくまで
それに、意味だってそう悪くないよ……あえてジョン・ドゥを名乗るようなもんだと思えば、ちょっとカッコよくない?」
「
心配ご無用、大きなお世話だ。他の〝
それに……このミサキとかいう頭のおかしい女に名前を
「ルナンくんは意地悪かわいいね~! ……でも、名前を含めて予感があるんだよね。
きみは将来、きっと大きなことを成し遂げる人になる。世界を変えてしまうような、
力関係でいえば隔絶しているはずの二人の間に、どこか気安い独特の親しさが通うのを見て取って。
カイの胸に無名の小さな感情が、疼いた。
嫉妬と呼ぶには弱々しく、疎外感と呼ぶにはまだ温かい、奇妙な心の微動。
ミサキに従者として付けたNPCが、ルナンを風呂に入れるべく連れて行ったあと。
いかにもこちらが本題といった調子で、カイは切り出した。
「……現地の人々の間で、僕たちの評判はどうですか?」
NPCたちや、その指揮下で働いている傭兵モンスターたちの諜報活動により、この未知なる世界の情報は着実に集積されつつある。
たとえば、百年前にも自分たちのような理外の力を持つ人々が現れ、北方の森を越えた向こうに人間種の国――スレイン法国を築いたこと。
生態系の頂点に立つ竜種、その中でも力ある個体は
だが、カイがここへ来て訊きたかったことは、ギルドとその構成員への盲目的な信仰を抱えたNPCからでは得られない情報。
システム的には未だギルドメンバーの一人でありながら、実質的には外部の人間としての視座を有するミサキなら、NPCほどの強烈な
「んーん……まず、カザマさんは評判いいよ。あちこちで披露してる演奏が、すごい勢いで種族も超えた音楽ブームを起こしてる。
ラーメンさんも文化人ポジションで受け入れられてるかな? 人間種の中だともう料理の神って感じで、亜人種や異形種の方にも食文化を発展させようって動きが感染し始めてるみたいだね。まあ場所によっちゃ人間とかも料理
地球では国際的な評価を受ける音楽家だったというカザマは、
これは彼の〝ある
妻と子が、帰りを待っているはずだからだ。
本来の肉体がどうなっているかは不明だが、自分がいなくなったままでは、家族はアーコロジーで暮らしていけない。
そのような心配が、カザマにこの世界で生きていくという道を選ばせなかった。音楽家らしく己の演奏で名を揚げながら、彼の関心は常に、あの薄汚れた地球に置いてきてしまった家族のもとへ帰ることにのみ向いていた。
カイが聞く限り、リアルへの帰還に繋がる手掛かりは発見できていない。ミサキの方でも注意はしているものの、同様らしい。
近ごろのカザマは〈
それができなければ……もし自暴自棄にでもなって、なりふり構わぬ強硬手段に訴えるようなら……
一方、リアルでもユグドラシルでも料理人専業でやってきたというアーメン†ラーメンは、早々に自力での帰還を諦めた側のプレイヤーである。
リアルに残してきたものはある。帰る手段があるなら帰りたいとも思う。しかしこの世界なら、地球では決して叶えられなかった夢を叶えられる。
ならば一料理人として、ファンタジーの世界に地球の食文化を伝道し、数多の幻想食材に挑んでみようではないか――と。
現在のアーメン†ラーメンは、この城下町を中心に周辺地域を巡っては〝料理教室〟などを開いているという。
直接戦闘能力は当人の言う通り皆無に近いが、護衛のNPCを付けているし、なにより
定期的に交わしている近況連絡では、つい最近も元気そうにしていた。カイとしては、アーメン†ラーメンのことはさほど心配していない。
とはいえ、それもプレイヤーを巡る情勢がどう動くか次第だ。
「ヨシツネさんとオッスさんは、あんまり話題に上らないね。まあ派手な活動してないから当然かも?」
「かたや大樹海でエルフ美女を集めてハーレム形成中、かたや現地人女性と結婚して田舎で農耕生活でしたか。波風の立ちようがないですね。
となると、やはり……問題は、
「セントエルモさんとイクルミさんかぁ。
「あの白い竜……トリシュさんの警告した通りになってるわけか」
プレイヤーの中で、ある意味最も
転移後の歳月で彼らが見て知ったこの世界は、人間種が強大かつ邪悪な異種族に脅かされ、支配され、文字通り食い物にされる暗黒の世界だった。
それは明白な
ここは明らかに現実だし、ゲームではない――そう言い募るカイの制止に、セントエルモは理解できぬものを見る目つきで返した。
「DMMO-RPGじゃあないだろうさ。もちろんユグドラシルⅡでもない。実体のある異世界って意味じゃ、ここは確かに一つの現実かもしれねえ。
だが、考えてもみろ――仮に人が異世界へ転移するなんて超常現象があったとして、もしそれがまったくの無作為だとしたら。俺たちはユグドラシルのアバターそのままの姿と力で、
間違いなく、誰かの作為がある。それが神か悪魔かは知らねえが、俺たちにやらせたいことがあるんだ。何か大きな……使命みたいなもんが。
だから俺は、こいつを
俺たちの
そうだ――俺は百パーセント明白に、人間に肩入れする。当たり前だよなァ?
根拠なき憶測と断定。英雄願望と絶対的人間中心主義。セントエルモの宣言は、
それほどまでに、この大陸での人間種の立場というものは低く、弱く、劣悪だった。
人間を救う。この上なく正義であるはずの題目に対して、心の底から共感できなかったのは、おそらくカイだけだ。
それが天使となったことによる精神の非人間化である、と気付いたときはショックを受けもしたが、さりとてもはや人間を同族と思えぬ感性の乖離そのものは如何ともしがたい。
カイはただ理性で以て、精神的孤立に耐えた。
プレイヤー間の殺し合いを避けることを最優先にルールを取りまとめ、現地種族への干渉については具体的な制限をほとんど設けなかった。そうしなければ、急進派の二人だけでなく、他の五人も納得しないであろうと思われたから。
その結果が、今も東進を続ける二つの戦線である。
ギルドの資産は持ち出していない。セントエルモとイクルミは、彼ら自身の能力と財産だけでそれぞれ大勢力を形成し、大陸の地図を塗り替え始めている。
竜族側の折衝役を自任し、先んじて
このまま緊張が高まり続ければ、いずれプレイヤーと竜王の全面戦争が始まらないとも言い切れず。そうなったとき、穏健・中立の立場にあるプレイヤーたちが無関係でいられる保証はないのだ。
だからこそ、一部の過激な動きはまずプレイヤーの間で掣肘してもらいたい、というのが〝
致命的な破局を予感していながら、それを避けるためにどうすればいいか解らず、ただか細い連絡網だけを維持している。そんな、無力なギルドマスターが自分だ。
カイは独り密かに、忸怩たる思いを抱え込んでいた。
「カイくん……きみにはたいていのことならできる力がある。足りないのは力じゃなくて、成し遂げようと決める意志の強さだよ。エゴって言ってもいいかな」
物思いに沈みかけたカイの心を見透かすように、忠言めいたことを言うミサキ。
いつも明るい笑顔を絶やさない彼女が、この瞬間は真剣な表情を見せていた。透徹した眼差しが、アバターの奥の魂を覗き込んでくるかのごとく感じられる。
「本気であの二人を止めたいなら、まずはギルドから除名すればいいんだ。拠点中枢ならマスターソースも開けるって言ってたし、ギルドマスター権限でメンバーの除名、できたよね?
たぶんそれで、NPCたちの忠誠心の対象から、二人は外れる。そうしたら一〇〇レベルNPCを六体くらいと、あとは八十レベル以上の傭兵もできるだけ引き連れて……ひとりずつ、潰しに行けばいい。一対一の状況に持ち込めば、カイくんなら勝てるよ」
人類の救世主たらんとして、この世界への侵略者となりつつある二人を止めたければ。
そんな言葉が目の前の少女の口から発せられたとは信じられず、カイは震えた。
「どうして……そんな恐ろしいことを言うんです?
僕たちは確かに、ゲームの中では必ずしも関係良好とは言えなかったかもしれない。でも、同じゲームを楽しんだプレイヤーだ! 同じ日本人で……同じ世界から飛ばされてきた、たった八人の仲間じゃないですか!?」
「法国のスルシャーナさんも入れたら九人だね。でも、ゲームじゃないからこそ本気で対立するし、PVPじゃ済まない殺し合いになることだってある。珍しくも異常でもない。それがリアルな人間関係ってやつだよ。
やろうと思えば、きみは勝てる。その力は確かに持ってる。だけど
「……僕は……どうしたら。どうしろって言うんです」
追い詰められた鼠のように呻くカイを、ミサキは再び快活に笑って、励ました。
「……ま、ゲームじゃないと思えばこそ同郷のプレイヤーに優しくなっちゃうのも、カイくんの良いとこかもしんないけどね~!
やりたくないことなら、やらなくてもいいんじゃない? 案外あの二人も、口で言ってるほど過激なこと、実際やるつもりは無いかもしれないし。あったとしても、この世界にはめちゃくちゃ強い竜王が何体もいるらしいから、普通に止められちゃうかもね!」
「あんまり脅かさないでください……」
セントエルモとイクルミの暗殺。ミサキもそれを、本気で唆していたわけではないのだ。そうと解って、カイは全身の力が抜けるような心地だった。
ギルドマスターとしての影響力を自覚させるために、敢えて怖いことを言ってくれたのだろう。できるからこそ、そこには責任が伴う。やるかやらないか。選択権は己の手の中にあるから。
この先、あの二人と竜王たちの対立が決定的なものとなり、全てのプレイヤーを巻き込む戦争が始まるのだとしたら……そのとき自分は、選べるだろうか。
誰と戦い、何を守るのか。
あるいは誰と戦わず、何を切り捨てるのか。
そんな日が来なければいいと願ってしまう少年は、近づく運命の足音を、未だ聴かない。
――その王は、慈悲深さで知られた。
天に浮かぶ己が居城のもとで、弱き者たちが生きることを許した。
比類なき闘いの技を持ちながら、この世の自然の美しさを愛するがゆえ、徒に破壊を拡げることを良しとしなかった。
誰よりも正しく、誰にでも優しくあろうとした。
しかしまた、定かならぬ語り手が残した、後世の伝承は語る。
その王は、正しくありたいという欲のために、成すべきことを成す意志の強さを持ち得なかった。
優しくありたいという欲のために、最も優しさからかけ離れた結末を避けるための、行動の機を逸し続けた。
誰よりも強く、武の天稟に恵まれながら、その力を望みのために活かせなかった。優柔不断の王であるという。
史に刻まれた名は、『慈救王』カイ。
八人のうち、功罪ともに最少と伝えられる王である。
◆蛇◆
キャラクター名鑑 #0201
【
役職:ギルド『セラフィム』ギルド
八欲王の一人、『慈救王』
住居:ギルド拠点『天上兵器都市 ヴァーラスキャールヴ』至神聖堂
種族レベル:(※2)
職業レベル:
など
[種族レベル:取得総計10レベル]+[職業レベル:取得総計90レベル]=計100レベル
※1:プレイヤーのカルマ値は(スキル等で固定されていない限り)行動によって変化する。また、実績によって数値が変動するのであって、数値が精神に影響するわけではない。この点はNPCよりも現地人に近いシステムが適用されている。
※2:『上位種族転生リビルド』と呼ばれる種族レベル圧縮テクニックにより、通常では不可能なレベル構成となっている。
◆足◆