OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
デケム・ホウガンは地底の闇の中にいた。
忠実なる
森の中で突然襲い掛かってきた――ということに彼の中ではなっている――不快な痴れ者どもから逃れ、その追手を撒くべく地下に潜ったまま移動しているのだ。
森では丸腰のところへ
黄金の
勝利とは生き延びること。それが自然の掟である。賢王デケム・ホウガンはそれを知っている。
「とはいえ、いつまでもこのような場所にいるのも気が滅入る。王の在所ではない」
周囲を広く照らし出す魔法の光は、行けども変わらぬ地下洞の景色ばかりを左右異彩の両眼に映す。岩壁、石筍、ときおりかさこそとベヒーモスから逃げてゆく蟲や爬虫類。
地下は
だが、もとよりデケムは忍耐強い方ではない。
もう何日も、ひたすら地下を移動するだけの生活を続けていた。さいわい食料はマジックアイテムの
さすがにもうよいのではないか、という思いが日増しに強くなる。
疲れを知らぬベヒーモスが、何者よりも自由に動ける地下空間を、全力で逃げ続けたのだ。敵も何らかの追手を放ってはいたようだが、ここまで付いて来られたとは考えがたい。
実際、三日ほど前からは追跡者の気配を感じなくなった。こちらを見失ったのだろう。
実際のところ、それは追う側が追跡手段を切り換えただけのことであり、召喚モンスターのリソースを浪費し続けるより念視系の魔法に絞った方が安上がりという判断だったのだが……デケムにはそれを察知するだけの経験も知覚力も、未だ備わってはいない。
デケムがベヒーモスに、地上を目指すよう指示を出そうとした、そのとき。
洞窟の行く先、
「……女? こんなところに、裸で? いや……」
現れたのは三人の女たち。一見すると人間のようで、小さな金属板で局部を隠しただけの、ほとんど全裸と言ってもいい姿をしている。
美女などは
明らかに、人間種ではない。魔性のものだ。
「その姿。父から聞いたことがあるぞ。何と言ったか……確か、悪魔の一種で……そう、
ふむ。ふむふむふむ。そうか。そうだな。悪魔にも穴はあるのだったな……」
くすくす……と、誘うように笑う、三体の淫靡な悪魔たち。
若き王は鎧を脱ぎ、堂々と裸身を晒して応えた。
「よかろう。ならば……我の子種をくれてやろう!」
二度と戻ることはないと思っていた故郷を目にして、ジノーヴィ・アルゼイニは自分でも意外なほどの懐郷の念に駆られていた。
かつて『
大地の深みより切り出された良質の石材を惜しみなく用い、大空洞の天井部から側壁、床面、更なる地下深部までも都市構造物として彫り抜き組み上げた、ひと連なりの建築芸術。
都市最奥に聳え立つ、黒く磨き抜かれた石造の巨城、『黒耀城』は種族の誇りだった。同族の社会より追放されたジノーヴィの心をすら、その威容は今なお震わせる。
重厚にして陰鬱。剛健にして峻厳。
人間や
だからこそ、許せないものがある。
街路に、広場に、家々の壁や屋上に。まるで彫刻でも展示するように掲げられた、肉色の奇怪なオブジェたち。
初めはそれが何なのか理解できなかった。道具でもなく、武器でもない。何らかの魔法装置か、はたまた儀式の類かとも思ったが、魔力すら感じられない。
ただ血臭と腐臭と、それらの肉に
芸術品なのだ。
誰が? ――決まっている。この都市を攻め落とし、占拠した悪魔たちが。
何のために? ――機能も目的もないなら、遊びだったのだろう。
一つ一つの構造物に創意工夫が凝らされ、ひとつとして同じデザインのものはない。無尽蔵の悪意を以て、制作者たちはきっとこれを楽しんだ。
ほとんどのオブジェは、その形にされた時点で
自身の生家を目指す道中、ジノーヴィは何度も吐いた。胃が空になると、代わって涙が溢れた。
こんなことが許されていいはずがない。
だが、この都市を地獄に変える手助けをしたのは、向かう先にある家でかつて共に暮らした、自分の父親なのだ――
「ゴーレムに偵察させておいた通り、街中は悪魔どもの〝作品〟だらけで酷い有様だが……やはり、ずいぶんと手薄だな。歩哨一体にすら出くわさんとは」
「都市奪還のために攻め込んできた、連合軍を迎え撃つので手一杯なんでしょお? それを期待して、こっちも潜入を待ったんだから。街中はガラガラになっててくれないと困るわ」
ジノーヴィの案内で後ろをついてくる、
振り返れば、彼らの姿を見ることができる。鍛冶師の夫妻、ミリアベルとレオも同様に。
だが実際には一行の全員が、きわめて強力な魔法の視覚強化がなければ見破れない、高位の不可視化を掛けられている。音や匂いまで消しているようだから、あるいは不可
それでなぜ互いが見えているかといえば、まさにその不可視化を見破れる〈
どの魔法もキャロルが使ったように見えたのだが、彼女曰く「神様にお願いして使ってもらった」ものだという。
呪文のレパートリーから、ジノーヴィは彼女を魔力系の術者だと思っていたが……実は信仰系魔法も使える、ということなのだろうか?
ともあれ、そのような手段で姿を隠すだけが彼らの手管ではない。
ビロモールへの潜入に際しては、市内を占拠している悪魔との遭遇戦を徹底的に避けるべく、事前にサラムのゴーレムを忍び込ませての予備偵察が行われた。
その結果、最速タイミングでの突入は会敵のリスクが高いと判断され、ジノーヴィたちは都市近郊の小空洞で数日、時を待つことにした。サラムが何らかの魔法的交信で遠方の仲間から得た情報――「ビロモール奪還を期した多種族の連合軍が来る」という状況を利用するのだ。
連合軍を迎撃すべく悪魔たちが前線へ出払った隙を見計らい、不可視化の魔法を駆使して都市へ潜入。アルゼイニ家からジノーヴィの研究に関する資料や試作品を回収し、脱出する。これが作戦の要諦である。
そこまでする必要があるのか、不可視化だけでも充分ではないのか……とジノーヴィは疑問を投げたが、サラム曰く、高位の悪魔はあらゆる幻術や透明化を看破する眼を持つことが少なくないという。
侵入経路を探すため見て回った都市外周で、ジノーヴィたちは破壊された〝聖根〟をいくつも見かけた。末端とはいえ神の防御器官だ。それを打ち破れる時点で、敵の中にも神の領域に踏み込んだ超越者がいる可能性は高い。
そうした強敵に見咎められるリスクを最小化するためにも、まず市内に悪魔がいなくなったタイミングを狙い、その上でさらに魔法的隠形を駆使するという念入りな作戦が必要になる。一戦とて交えず、静かに目的を果たして去るのが理想である。
そこまで丁寧に説明されれば、ジノーヴィとて納得しないわけにはいかない。
悪魔たちが、想像を遥かに超えた冒涜的な〝作品〟で都市を穢していたことは赦し難いが……死すら辱められた同胞たちの復讐は、今まさに援軍を得て戻ってきたという、氏族の戦士たちに任せればいい。
ジノーヴィに悪魔と戦う力などないし、キャロルたちにそれを頼むのは、いくら相手が協力的とはいえ気が引けた。命懸けで戦ってもらうに値する報酬を、自分は何一つ支払えないのだから。
せめて、彼らが興味を示してくれた自分の研究成果が、無事な形で残っているといいのだが――
悪魔に蹂躙された都市で、その望みはいかにも儚いもののように思えた。
だが、ジノーヴィが辿り着いた生家は――幸運にも、と言うべきだろうか――記憶の中の姿のまま、そこにあった。
「ここ?」
「そうです。父の工房と、防具店と、僕たちの暮らした家がひとつになった……」
何の変哲もない石造りの、落石除けの尖った屋根を備えた、鍛冶屋の家だ。
外から見ると、店舗と工房が建物の大部分を占めていて、住居部はかなり狭いことが容易にわかる作りだった。いくら
悪趣味なオブジェを見た時とは別の涙がこぼれそうになり、ジノーヴィはかぶりを振った。
――過去のことも、未来のことも考えるな。
いまはただ、取るべきものを取って出ていく。それだけに集中しろと、己に言い聞かせる。
「実験記録や設計書類などの資料は、二階にある僕の部屋。強化鎧の試作品は、工房の隅に置いてあります。時間がかかりそうなのは資料の方ですが……」
「あいにく時間をかける気はねえ。二階の方はこの場で選別せず、それらしいものを丸ごと貰っていくことにしようや。――シズク、頼めるか」
サラムの懐から、指でつまめそうなほど小さな、黒いものが飛び出す。掌の上で弾んで形を変える、不定形の、液体のような――
「持っていくだけなら五分も掛からないのです。おまかせなのです」
そのままふわりと浮き上がり、弾かれた小石めいて家の二階へ飛んでいく。
会話可能な知性と、明らかに魔法的な飛行能力。さらには、おそらく大量の資料を持ち運ぶ手段までも備えている。ただの粘体ではあり得なかった。
一部の錬金術師は粘体を道具として利用したり、魔物同士を合成して新種の生物を作り出したりもするという。
もしかすると、あのシズクなる黒い小粘体は、サラムが錬金術的な手段で生み出した使い魔なのだろうか――そんな推測をするジノーヴィに、ミリアベルが工房を指し示す。
「それじゃあわたしたちは~、鎧の試作品を回収しましょうかね~~」
鎧の保管場所は覚えている。工房への出入りには鍵が必要だが、ジノーヴィは避難の際にも自分用の鍵を持ち出したままだったから、問題なく入れる。
何の障害もないはずの回収作業。
その想定は、工房の中央に鎮座する禍々しい鎧を見たとき、泡と消えた。
「……あれが強化鎧の試作品か? ずいぶんと……
「いえ――
鎧鍛冶の工房に鎧があることは、何らおかしくない。
実際、完成品から加工中の品まで、幾領もの鎧が壁際に並べられている。ジノーヴィの試作品も、そうした並びの奥にある。
が、工房中央の作業用スペースで椅子に座り、自分たちに背を向けたまま邪悪な存在感を放つ
赤黒く生物的なフォルムを持った装甲。
全身を巡り、ときおり血管のように脈動する紅い光。
冑から伸びる捻れた角。肘や膝から突き出た鋭いスパイク。
両肩に埋め込まれ、ぎょろぎょろと周囲を見回す眼球。
体格こそドワーフ系種族向けのようだが、明らかに剣呑なマジックアイテムである。どのような技術で作られた鎧なのか、そもそも人工物なのかさえ解らない。
なぜあんなものがここに? 誰が作った?
混乱するジノーヴィは、鎧の肩で回っていた眼球が、自分の居るあたりを走査していることに気付く。
高位の不可視化で姿を消しているはずの自分が――
「あら。マズいわね、あの鎧……焦点は合ってなさそうけど、〈
「鎧だけじゃねえ。
「そもそも鎧なんですかねぇ~? どうも、ナマモノっぽいような気がしますけど~」
キャロルたちも相手が見ていることに気付き、既に対策を検討し始めている。
「あれも悪魔流アートの一種じゃないかしら。どうする? 灼いちゃう?」
「中身がいるなら、敵じゃないですかねぇ~? 正体不明の敵と遭遇したときは~、とりあえず撤退でもいいと思いますけどぉ~」
「撤退なら、坊主の試作品を回収してからでも遅くはねえ。あれが障害になるとしても、
「ここまで来てジノーヴィの鎧を諦めるってのもアレだよな。強行突破でいいんじゃねーか?」
物騒な相談を背後に聞きながら、どうせ気取られているのならと、ジノーヴィは禍々しい鎧に近づいていく。
予感があった。鎧を纏う者の正体について。
まさかこんなところで会おうとは予想していなかった人物。されど、
有角の魔鎧が、振り返った。
「……なんだって? 俺には何も見えねェが……そこに誰か、いるのか?」
奇妙な反応だった。高位の不可視化すら看破する鎧を纏いながら、まるでその力が着用者には与えられていないような。
また、同じく不可視化を見破る視覚強化を与えられたジノーヴィが見ても、鎧の男は独りだというのに……いったい
謎は残るが、少なくとも明らかになったことが一つある。
赤黒い鎧が発した声は、ジノーヴィにとって聞き慣れたものであったから。
「やっぱりそうか。……親父」
予感が告げた通り――鎧の中にいたのは、ザハール・アルゼイニ。
ジノーヴィ・アルゼイニの実父にして、鎧鍛冶の師。
そして、都市と種族を裏切り、人類の敵となった男。
[memo]
※さらっと流された描写の解説シリーズ。特に興味がない人は読まなくても問題ありません。
■「音や匂いまで消しているようだから、あるいは不可知化というのが正しいかもしれない」
・ジノーヴィたちに配られた隠形の魔法は第九位階〈
・〈集合体〉に属していないジノーヴィにも効果が共有されているのは、「自身が受けた回復・バフなどの有益効果を他者へ転送する」シズクのスキル〈
■「高位の悪魔はあらゆる幻術や透明化を看破する眼を持つことが少なくない」
・ユグドラシルではだいたい五十レベル程度から、常時発動型の〈
・そこまでの相手を警戒しないのであれば、もっと低い位階に集団を不可視化させる魔法などもある。
■「あの鎧……焦点は合ってなさそうけど、〈完全不可知化〉見破ってるじゃない」
・厳密にいえば、これは鎧の眼球が〈
・理屈としては、シュエンが見えていなくとも高い能力値(による〈知覚〉判定成功)でおおよその位置は特定できていた原作十五巻のデケムに近い。が、そのデケムが気付けなかった〈
※完全不可知化状態の相手であっても、知覚能力が充分に高ければ捕捉できるのは原作で描写されている(11-132,137)。加えて今回はジノーヴィの基礎能力値がアインズや同行者四名と比べてかなり低いため、そのぶん〈隠密〉判定の成功率が下がり、〈知覚〉判定で発見されやすかったという事情もある。流石に魔鎧の知覚力がアウラ並だったというわけではない。
・各種判定の基礎変数となる能力値を地道に上げていくよりも、最終出力となるダメージや判定成功率を各種ボーナスで直接盛った方が、強化効率は遥かに高い。このあたりもユグドラシルが人間種優遇のスキルゲーと呼ばれた所以の一つ。
(ゲーム的な実戦性能だけを求めていくと、能力値成長率を伸ばせるという種族レベルの恩恵が相対的に薄い)