空は、今日も遠かった。
雲の流れは速く、風は強い。だがそれら一切に関心を振り向けることなく、飛口結奈はさらにその先を、学園の屋上で想う。
大気圏。宇宙。星。月。太陽。惑星。銀河。さらにその向こう側へ。深奥へ。
――行きたい/還りたい――
それが果たして、本当は誰の感情ないし本能によるものかはもはや彼女には判別がつかなかったが。
「でよー、あいつのカオってったら……」
「マジで!? それウケるわー」
そこに、侵入者が現れた。
結奈に攻撃的に絡む、スクールカーストであれば中の下程度に位置する、女子生徒たちのグループだった。
元より本来の校則ではそこは、立ち入りを禁止されている。
であればこそ、彼女たちのような健全ならざる学生たちの格好の溜まり場だったわけだが、むしろ結奈こそが、そのテリトリーに踏み込んできた招かれざる客だった。
「……またオメーか!! この電波女」
と開口一番罵声を飛ばし、結奈に掴み掛かる。
「いっつもいつもハヅ先とあたしらの周りウロチョロしやがって」
「ジャマだって分かんないかなぁ!?」
「ほんっとキモいしウザいなこいつっ」
まるで輪唱のように、取り巻きが続く。
歌のように。
歌。
あぁ、歌が、聴こえる。
あの短い歌が。
「マジでここから落とされたいのか、あぁ!?」
彼女たちの恫喝は、結奈の麻痺した精神には届かない。
「……落とす?」
だが特定の言葉には反応し、ゆるやかに振り返った。
多かれ少なかれ、その不良らも精神汚染、認識が歪曲されているものの、その『本物』の顔には大いに怯えた。
「違うわ。わたしは……高く昇るの」
〈Rocket On〉
その手に握られた、スイッチを押しつつ誰にともなく呟く。
瞬間、手を離された結奈の身体は、銀色の半固形物に囲まれた。それらは、スイッチと同様のオレンジ色へと変わり、やがて硬質な外皮となって彼女を覆う。
それは中世ヨーロッパの
蛇の如く、前へと突き出た顔はどこが目鼻か分からず。
円筒状に変形した右の上腕より先、その関節部からは紅蓮の業火が噴き出る。
荒々しい声から一転、甲高い悲鳴をあげる少女たちに、怪物と化した結奈……ロケットユーナイトの左腕が伸びる。
〜〜〜
この数日間、学内外で飛口結奈の姿を探していたけど、影も形もなかった。
そして今、僕は周囲の騒ぎに反応して、ふと見上げた空に彼女の姿を認めた。
……変わり果てた、オレンジの怪物が空に浮く様を。
それを、呆然と仰ぐ。
その右手の点火の浮力によって天高く浮上し、そんな不安定な上昇のまま、左手で生徒の一人を吊し上げている。
遠目で見る限りそれは、彼女を虐めていたグループのリーダー格だ。
『どう? 高く飛べた気分は? 宇宙の、彼の意志を感じる?』
皮肉か本心からの言葉かさておいて、喜悦と恍惚を含んだ声が響き渡り、更なる恐慌を掻き立てる。
「……あれが、飛口、なのか」
「みたいだねー」
そして、同じくこの数日間姿を消していた天火が背後に立っていた。
「あれじゃ、ローゼの射程外だ」
険しい顔で顧みた僕のことなんて歯牙にもかけない様子で、まるで花火でも見学するような気軽さで言う。彼女は正義の味方じゃない。加害者も被害者も、救う義理なんてない。
ここに来る中、異変にまったく関心を示さない生徒や教員たちもいたのが恐ろしかった。
……助けられる人間が、今この学園にはいない。
奥歯を噛み締める僕の、そんな焦慮を見抜いてか。
曰くありげな笑みを浮かべた天火は、僕に鉛色の物体を披露した。
「君のドライバーの追加アタッチメントだよ。これを使えば、凍結状態にあるシステムを強制的に開放し、かつ不足分のスイッチを補える。そしてコズミックエナジーの出力レベルをダウンさせることで、君にも十分に使えるよう調整されている」
「……なんで、そんなものを。なにが目的だ?」
「理由なんてないよ。ただそうした方が面白いから」
善も悪もなく、ただ嘘偽りもなく、
「『X』はどうひっくり返しても、『X』だ。裏も表もないよん」
財団Xの少女は、言った。
「ただフェアになるよう言ってはおくよ? ……これを使えば、君はもうお仲間のところへは帰れない」
それでも、これさえあれば。
せめて一端でも今僕が持っているスイッチを扱うことが出来るのなら。
逡巡する僕を見透かすように悪魔は、そうとは見えない無邪気な笑みで、悪魔の無骨な発明を差し出した。
――答えは、決まっていた。