いじめられていた女子生徒がどうにか泣き止んだのは、彼女を校庭の水飲み場に連れてきた時のことだった。
「あ、ありがとう……」
口を濯いでいる僕に背中から礼を述べたのは、やはり同学年生だった、
泣き腫らした目をやや長めの前髪の裏に隠し、あまり血色の良くない唇を震わせている。だが、骨格肉付きはしっかりしている。特に、下半身が。なにか運動をやっていたようだと本人が口を開く前に分かった。
そんな彼女を突き放すわけにもいかず、かといって自分から慰めるような術を持たず、痛々しい沈黙の時間が続いた。
「あなた、転校生?」
結奈がおもむろに尋ねた。僕は言葉もなく頷いた。
「何となく、空気で分かった」
と彼女は続けて言った。
「私も、転校してきたの」
と。
そのうえで、身の上話を聞かされ続けた。
かつては陸上部に所属し、走り高跳びの選手としてそれなりに記録も残していた彼女は、スポーツ特待で同校に入学したという。
けれども、肉体の資質はともかくとして、心がアスリート向きじゃなかったらしい。
コーチ陣からの期待と重圧。いわれのないやっかみ。善意も悪意問わず、周りの目線や態度は繊細な彼女の心を脅かし、そしてそれに引きずられる形で身体も壊した。
そして逃げるようにこの『織学』に入学したという。
「もちろんこの学校でも居場所は作れなかったけど、葉月先生がいた」
最初に担任してくれたのが、当時一教師に過ぎなかった弓束葉月だった。
彼は情熱を持ち、親身になって彼女の身体を労わり、リハビリに根気強く付き合い、そして励まして心の支えとなった。
「少し変な形だけど、高く飛べるためのお守りもくれた……そういう付き合い方が、あの人たちに誤解されちゃったのかも」
そういう彼女は、あながち誤解曲解でも無さそうな、恍惚と優越を俯く顔に浮かべていた。
また、吐き気がこみあげる。
脳裏に、葉月学年主任と似た所作が蘇る。
結果として、それを拒んだ僕自身も。
「あなたにも、似たような経験がある?」
まるでそれを見透かしたように、結奈が問いかけてくる。
僕は、答えなかった。
憧憬、期待、転落、逃避。
まさに、どこかで聞いたような話だ。だけど同情はしない。
どこにでもありふれた話だし、ただの傷の舐めあいに過ぎないと、分かっているはずなのに、察していたとしてどうして聞いてくる必要がある? 答える必要がある?
だから、一礼とともにその場を去る。その沈黙をこそ、返答代わりにして。
通り過ぎる間際、ふとなんとなしに、彼女の閉じられた掌の硬さが気になった。
例のお守り、とやらでも握られていたのだろうか。
果たして、その内に秘められていたのは、なんだったのか。