最弱の国の隠れた名将に   作:韓人

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紫詠視点の主人公を書こうと思ったらガッツリ紫詠の話になってしまった。

主人公の過去については後半で少し触れています。


第3話 紫詠の過去

《紫詠視点》

 

 紫詠が藍章の元にやってきたのは、もう十年以上も前のことだ。

 

 当時の紫詠は魏の軍で、母の再婚相手である紫太という男に戦場で酷使され、どれほど活躍しようともその活躍を紫太に奪われていた。

 それどころか軍の兵士たちからも疎まれ、死を願われてすらいたのだ。

 その生活は、過酷の一言に尽きる。

 

 そんな紫詠にとって大切だったのが、自分と同じく別の母親の連れ子として虐げられていた紫季歌である。

 ともに家でも軍でも虐げられ、互いに頼りとできるのはお互い同士しかいないという有様であった。

 

 これがもう少し後になれば、紫詠の名も上がって魏火龍に任命されたことで頼れる部下も出来ていたのだろうが、当時の紫詠にはそんな者達は存在しなかった。

 

 そんな折に、義理の父から自分と妹の紫季歌をまとめて他国へ売る、という話を聞かされた。

 それが決定事項であり、逆らうことは出来ない、とも。

 

 紫詠に、その当時の家と居場所に対する未練は無かった。

 家は自分と紫季歌を虐げる者ばかりであり、二人の居場所は無いも同然だった。

 故に、家を出ることに否やはない。

 

 ただ、売られて行く先については警戒していた。 

 当時の家では、虐げられるとはいえ紫季歌は安全に暮らすことが出来ていた。

 

 だがもし売られていく先の人間が、紫季歌を傷つけることを厭わないような人間であったなら。

 そのときには、なんとしても妹だけは逃がそうと紫詠は決意を固めて、迎えの馬車に乗って紫季歌とともに、自分を買ったという人物のもとに運ばれていった。

 

 そうやって着いたのは、魏国内のとある城邑にあったそれなりの大きさの屋敷。

 そこで穏やかな表情をした屋敷の主に迎えられて、これが自分達のこれからの主人になるのかと、ぼうっと考えていた紫詠に、その男はこう声をかけた。

 

「よくいらっしゃいました、紫詠様、紫季歌様。私は商人の馬有と申します。以後お見知りおきを」

「……なぜ、そんな言葉遣いを?」

 

 あまりにも二人に対しておかしな対応に、思わず紫詠は突っ込んでしまった。

 

 そこではっとした表情をした馬有と名乗った商人は、慌てて口をつぐむと、二人を屋敷の中へと案内する。

 紫詠たちも、下手に逆らって痛い目にあいたくはないので、大人しくそれに着いていった。

 

 やがて完全に屋敷に入り、人目が無くなったところで馬有は再び口を開いた。

 

「詳細については、後ほど説明させていただきますので。ひとまず、湯浴みと食事をしていただいてよろしいでしょうか」

 

 馬有の言葉に、紫詠と紫季歌は自分たちの姿を見下ろした。

 実家では大した服も着せてもらえずみすぼらしい姿をしていたが、自分達を売った相手の印象をよくしたいのか、売られる際にはそれなりの服を着せてもらっているので、みすぼらしいということもない。

 

 そんな二人の様子に、慌てて馬有が口をはさむ。

 

「いやいや、お二方が汚れているとかそういう話ではなく、ですね。お疲れでしょうから、先に湯浴みや食事にされてはどうかと思いまして。あるいは、先に詳しい説明をしたほうがよろしいですか?」

 

 その言葉に紫詠は考える。

 取り敢えず、今すぐ自分たちを粗雑に扱うつもりはないようだ。

 だが、まだ安心できない。

 

 例えば二人が離れ離れになったところで、見目の良い紫季歌だけ着飾らせて、誰かのところに売り払う、なんてことも考えられる。

 

 だから紫詠は、先に詳しい説明とやらを聞くことにした。

 

「先に説明を、聞かせて、ください」

 

 一応主になるのだから、と義理の父にさせられていたように敬語を使う。

 

「わ、わかりました。では、こちらに来てください」

 

 その言葉にわずかに動揺した馬有だが、別に順序を入れ替えることには問題がないのでそのまま彼らを客人を迎えるための部屋に案内する。

 

「さ、どうぞ、座ってください。おーい、誰か茶を三つ持ってきてくれ」

「はーい」

 

 馬有が大きな声を張り上げると、家人が室外から答える。

 説明を待った紫詠と紫季歌だが、馬有は説明を始めようとしない。

 

「あ、あの……」

「ん、はい、なんでしょうか」

「お話は、しないのですか?」

 

 紫季歌が口を開いた際に、相手の勘気を被ってはまずいと止めようとした紫詠だが、相手が丁寧に対応をしているのを見てやめておいた。 

 取り敢えず、相手にこちらを下に見るような意識はない、というのがわかっただけでも救いだ。

 

「あまり余人には聞かれたくない話ですので。茶が届いてから話しましょう」

「そ、そうなんですね」

 

 納得した紫季歌がこくりと頷いて、わずかに紫詠の方へと寄る。

 不安を隠そうというその姿に、紫詠は肩を抱き寄せ、馬有は何も口を挟まない。

 

 少しして、お茶を運んできた家人を下がらせると、ようやく馬有は二人に説明を始めた。

 

「さて、説明と言いますか、まず、お二方を買われたのは、私ではありません」

「……ではなぜここに私達を?」

「私はあくまでお二方を買う際の代理人と、そしてお二方を主の元へ送り届ける送迎役、ですね。配慮しない言い方をするならば、お二人という商品を代理で購入し、そして購入者様の元へ届けて代金と手数料をいただく商人。こういう形と思っていただければ良いでしょう」

 

 馬有の説明はわかりやすく、紫詠はその内容を理解した。

 二人の主は別にいて、その主がこの馬有という商人に買ってくるように指示を出した、ということだ。

 

 だが、何故そんな手間なことを?

 

「行き先が、国の外になりますから。売り渋られるのを警戒されたようです。故にまずは、魏に拠点を持つ私が購入しました。その後どう扱おうと私の勝手、となりますからね。そして私が、国外へ送り届ける、ということです」

「……その、私達を購入した方とは一体どなたですか?」

「名は言えませんが、かなり良い地位にいる方です。けして、紫家のような扱いはされないかと」

 

 その言葉を、紫詠は信じることしか出来ない。

 あるいは嘘をつかれていても判別する手段も逃げ出す手段もない。

 

 と、そうやって覚悟決めた紫詠に、ふと思い出したように馬有が言った。

 

「あ、その御方から紫詠様に言葉を頂いております」

「俺に?」

「ええ。んん゛っ」

 

 一旦咳払いをして声を整えた馬有が、その言葉を口にする。

 

「『お前の今の働きを正確に評価するなら、既に千人将級だ。それだけの禄があれば、大切な者の一人ぐらい容易く養えよう。適切な評価をするゆえ、俺の元に来い』。とのことです」

 

 その言葉を、紫詠は一瞬飲み込めなかった。

 それはつまり、一兵卒に過ぎず、大した禄も貰っていなかった自分を──

 

「取り立ててくれる、ということか」

「さあ、わかりませぬ。随分と変わった方ですから。ですが、実力は正確に評価される方です。わざわざ他国から紫詠様を呼ばれたのも、その実力を評価されてのことでしょう。紫季歌様については、あの方というよりは紫詠様のために合わせて買った、という部分が強そうですが」

「兄様のために、ですか?」

「ええ。有能な人間に全力を発揮させるために必要なものがあるなら、それを与えるからその分働けとおっしゃる方ですから。あるいは、禄の前払い、と言ったつもりがあるやも……。まあ私ごときでは正確に推し量ることは難しいのですが」

 

 ははは、と笑う馬有に、紫詠と紫季歌は顔を見合わせる。

 その言葉が本当ならば、これまでのような苦しい生活をするような必要もなくなる、ということだ。

 すぐに信用出来るほどに楽な人生を送ってきてはいないが、それでも二人の心に僅かな希望の火が点った。

 

「ささ、それでは湯浴みと食事をどうぞ。出発は明日になりますので、今夜はごゆるりとお休みください。部屋は二部屋ご用意しておりますが……」

「……二人一緒の部屋にしてもらっても良いでしょうか」

「わかりました。ではそのように。私は仕事をしておりますので、何かあれば家人にお申し付けください」

 

 そう言って促す馬有に押し出されて、二人は部屋の外に出る。

 そこへ廊下を歩いてやってきた家人が、二人を浴場へと案内する。

 

「浴場はここです。入る人からどうぞ。もうお一人は部屋の方に案内します」

「……離れ離れになるのが不安故、二人で居てもいいだろうか?」

 

 その紫詠の言葉に怪訝な表情をして二人を見た家人だが、主である商人に詮索しないようにと言われていたのを思い出し、視線をそらした。

 別に浴場で良からぬことをするわけもないだろうし、言った通りに兄妹が離れるのが不安なのだろう。

 ならば脱衣所と浴場で別れれば問題ない。

 

 そう言い訳を考えつつ、家人は二人に答えた。

 

「構いませんよ。では先に部屋も教えておきますね」

「……頼む」

 

 その後、部屋の場所を教えられた二人は、改めて浴場に戻ると一緒に湯船に浸かる。

 互いしか支えがいなかった二人が、そういう仲になっているのは当然のことだと言える。

 当然二人に血の繋がりはないので、なんの問題もないし、別にこの場でおっぱじめるつもりもない。

 

 そもそも二人にとってはそんなことより、互いが隣にいるというぬくもりが大切だった。

 

「……優しい人だと良いですね」

「……そうだな」

 

 交わされるのはそんな短い言葉。

 急転の状況変化にまだ心が追いついていないというのもあるが、二人の間では、これでも互いに心が伝わるのだ。

 

 浴場から出て用意された服に着替えた二人は、その後馬有とその妻とともに食事をとった。

 馬有の妻も、商人の妻として話は聞かされているそうで、二人を安心させるような言葉を与えてくれる。

 

 それにほのかに温かいものを感じながら食事を終えれば、後は与えられた部屋で二人で眠りにつく。

 

 久しぶりに穏やかな時間の中で、二人は眠りについた。

 

 

 

*****

 

 

 

 翌朝から馬有とともに他国へ向けて出発した二人は、数日の旅程を経て目的の城邑のある地域に到着した。

 辺り一帯への人の流入の管理をしているという城邑でいくらか手続きをした後に、いよいよ新しい主の待つ城へと向かって馬車を進める。

 

「……随分、栄えていますね」

「ここ一帯の領主様が、長いことかけて改革をやってまして。お陰様で、他国には知られてはいないでしょうけど、このあたりは中華でも有数の豊かな地域になってるんですよ」

 

 田畑で農作業をしている者たちの雰囲気も、苦しい生活をしている者たちの放つ暗く淀んだ雰囲気とはどこか違う。

 

「……皆さん、楽しそうですね」

「ここでも他所と同じく税で結構取られるんですけどね。ですがその分、領主様が祭りを催したり大きな市を開いたりと、民を楽しませるようなことをやっているんです。働いたことに、些細でも良いから報いがある。そう思うから、民も頑張れるんでしょう。もちろん皆がそんな領主を愛しているからこそ、頑張れるというのもあるのでしょうけど」

 

 このあたりの領主はかなり有能らしい。

 そんなことを考えながら馬車の窓から外を眺めていた紫詠は、遠くから聞こえる聞き慣れた音に気づく。

 

 慌てること無くしかし速やかに、馬車を操作する馬有の肩を掴む。

 

「おおっ!? びっくりしました……。どうしたんですか?」

「馬車を止めろ。この先で戦が起きている」

 

 敬語をかなぐり捨てて告げる紫詠。

 紫詠が義理の父親に放り込まれ、こき使われた場所。

 故に紫詠は、それに対する感覚が敏感だった。

 

 わずかに聞こえる馬蹄に矛がぶつかる音。

 そして戦場特有のひりつく匂い。

 何故か血の匂いは鼻にはつかないが、それらがこの先に戦場があると紫詠にうったえていた。

 

 が、その言葉に馬有は笑って馬車を止める。

 

「ああ、そう言えば紫詠様は軍に身を置いたことがあるのでしたね。先にお伝えしておけばよかったですね」

「……何をですか?」

「先程の城邑で申請をした際に聞いたのですが、今日は目的の城の付近でこの一帯を拠点とする将軍の軍が演習を行っているようです。紫詠様が気づかれたのは、おそらくそれでしょう」

 

 演習。

 それであれば確かに血の匂いがしないことも、一方で馬蹄といつもよりわずかに低く聞こえる武器がぶつかる音も納得だ。

 とはいえ、紫詠の警戒はまだ完全にとけていない。

 

「取り敢えず、ギリギリ見える場所まで近寄ってみますか?」

「……お願いします。すぐ逃げれる場所で」

「わかりました」

 

 紫詠の言葉を笑わずに、馬有は馬車を再び進め始めた。

 

 紫季歌の身の安全が第一。

 それが紫詠にとっての前提条件だ。

 

「お兄様……」

「大丈夫だ。きっと」

 

 とは言え、妹を安心させるためにこういう言葉も口にする。

 なんにつけても、紫詠の全ては妹を中心に回っていた。

 

 

 しばらく進んでいくと、いよいよ合戦をしている音が大きく響くようになっていた。

 馬車は森に入り、小高い丘の上まで進んで足を止める。

 どうやらその先に、戦場があるらしい。

 

「ここからならよく見えますよ」

 

 馬有のその言葉に、紫詠は紫季歌を馬車に残したまま外に出た。

 周囲には木々が生えており、その先は崖になっている。

 その崖の先まで出ていくと、下に広がる平原で、かなりの数の軍同士がぶつかり合っていた。

 

 そして不思議なことに、その周囲に何やら杭が立てられており、その外側から戦場には無関係そうな市民がそれを眺めている。

 中にはどうも声を挙げ、腕を突き上げてどちらかを応援しているような様子も見える。

 

 そしてその戦場は、たしかに激しいぶつかり合いが行われてはいたが、血しぶきが舞ってはいなかった。

 矛の殴打で落馬する者もいれば、剣で叩かれてうずくまる者もいる。

 おそらく骨を折る者も怪我をする者もいるだろう。

 

 だが死人は出てはいない。

 その様子が、紫詠には見て取れた。

 

 眺めている間にも、戦場にはいくつもの動きが起きていく。

 指揮官の指示に従ってか歩兵が陣形を幾度も変えてはぶつかり合い、その間を騎馬がかけて衝突する。

 流石に馬が吹っ飛ぶほどのぶつかり方はしていないが、それでも突撃の衝撃で何人も態勢を崩したり落馬したりしている。

 

 そこまで見て、紫詠はたしかにこれは演習だと判断し、踵を返す。

 激しいぶつかり合いは見えるが、所々に手加減が見える。

 特に騎馬のぶつかり合いなどはそれが顕著だ。

 武器を使った戦いは激しいが、衝突の瞬間は、双方勢いを落としているのが見て取れた。

 確かに戦いは武器の刃を無くすなり木剣にするなりすれば死人は出ないが、衝突の瞬間は下手をすればそれだけで死人が出るし、落馬した者が幾度も踏まれれば命に関わる。

 

 そういったところに対する配慮が垣間見えたあれは、たしかに戦ではなく戦のマネごとだった。

 

「どうでしたか?」

「大丈夫でした。目的の城へ向かってください」

「わかりました。では」

 

 紫詠の言葉を聞いて、馬有が馬車を動かし始める。

 不安そうな視線を向ける妹に頷いて安心させつつ、紫詠は目的の都市と新しい主に思いを馳せた。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 目的の城邑についた後、紫詠と紫季歌は大きな屋敷へと案内された。

 その大きさは、世話になった馬有の屋敷どころか義理の父親の屋敷よりも大きいほどのもので、紫詠は特に臆しなかったが、紫季歌がわずかにびくついてしまった。

 

 そんな二人が屋敷の前で立ち止まっていると、後ろから馬有が

 

「殿」

 

 と言う言葉が聞こえた。

 二人が振り返ると、ちょうど今くぐった屋敷の門を、馬に乗った大柄な男がくぐるところだった。

 その男から強烈な武の香りを嗅いだ紫詠は、思わず妹を庇って大きく下がる。

 

「ご苦労、馬有。その二人が例の二人か?」

「はい。確かにお連れしました」

 

 馬から降りた男は馬を用人に預けると、ずんずんと二人の方へと歩いていくる。

 怯えて背中に隠れようとする紫季歌をかばいつつ、紫詠はその男を睨みつけた。

 その紫詠の顔を見て、男は愉快そうに笑った。

 

「良い目をしているな。強い武士の目だ」

 

 その言葉に紫詠が答えないでいると、馬有が慌てて止めに入った。

 

「紫詠様、その御方がお二人の主となられる方です」

「……この方が……」

 

 それでもなお固まる紫詠に、男は笑いながら言った。

 

「はは、何、そんなに緊張してくれるな。まあ、なんだ。取り敢えず良い時間だ、飯にしよう。小難しい話は、腹が膨らんでからでも遅くはない」

 

 ついてこい。

 そう言って背を向ける男の後ろを、馬有に連れられた二人が慌てて追う。

 

 

 このときから、紫詠の、藍章の部下紫詠としての人生が始まった。

 

 

 

******

 

 

 

 食事を終えた紫詠と紫季歌に、改めて男、この城邑の主にしてここら一帯の領主、そして将軍を務める藍章が話しかける。

 

「さて、それでは今後の話をしよう」

 

 その言葉に紫詠はわずかに身構えた。

 今後。

 それは紫詠と紫季歌がこれからどうなるか、という話だったからだ。

 

「まずは紫詠。お前には、この俺、藍章の下で軍に務めてもらいたく今回魏から買った」

「……はっ」

「戦場で磨かれたその槍術、期待している」

「……わかりました」

 

 やることはこれまでと変わらない。

 それよりも紫詠が気になるのは紫季歌のことだ。

 

 だが、藍章の話はそこでは終わらなかった。

 

「だがな、紫詠。俺はお前に、ただの兵士以上の成長を求める」

「……将になれ、ということですか?」

「お前にはその才能があると俺は思っている。というより、今の時点でお前の一兵士としての能力は十分以上だ。ならばそれを磨くのに加えて、将としての能力も身に着けなければもったいない。だからお前は、軍に務めながら戦術や軍略について学べ。学ぶ場所については用意しよう」   

「……わかりました」

 

 そう言うと、藍章は口を閉じる。

 しばし室内に沈黙の帳が降りる。

 その沈黙が痛くなった頃に、再び口を開いた。

 

「まあ後はお前次第だ。お前が俺の軍で少数を率いる指揮官で終わるのか。それとも俺と肩を並べるような将軍となるのか。あるいはうちから出ていくのか。お前たちを買った金額はそんなに高くないから、それさえ払ってくれれば出ていってもいい。まあ韓には残ってほしいけどな。その道はお前が選べ」

「俺が、選ぶ……」

「そうだ。もともとお前がこの中梁(ちゅうりょう)にやってきて兵士になる時点で、俺の目的は果たされている。後はお前がどうなりたいのか、何がしたいのか次第だ」

 

 後で藍章に聞いたところによれば、虐げられ、人間不信になっていた紫詠に、下手に命令を下しても良くないと思ったらしい。

 それゆえに、紫詠がその武力だけで将軍になれると思っていた藍章は、あえて紫詠に選択肢を与えるような話し方をしたのだ。

 

 当然ながら藍章の願いとしては紫詠が優れた将に育ってほしかったし自分の片腕になってほしかったが、それを求めるのではなく、紫詠が自らそう志すように恩を与えていこうと考えたらしい。

 もともと何も持たなかった紫詠だからこそ、与えられたら応えたくなるだろう、という打算もあったそうだ。

 

 他にも、紫詠の扱いを藍章の所有物とするのかあるいは食客として迎えるのか、一人の対等な人間として付き合うのか。

 そういう話も藍章としては処理しておきたいことではあったが、紫詠を混乱させないために言うのはやめておいた。

 どちらにしろ、藍章が権利を主張する形になる所有物という形をするつもりはない。

 そこに収まってもらっては困るので、食客にしろ対等な個人にしろ後で話しても問題ないというのが藍章の考えだった。

 

 この藍章が敢えて多くを語らず口をつぐんだことによって紫詠は、藍章に反発を抱くことなく、新しい生活に身を慣らすことが出来た。

 そしてその生活に身が慣れる頃には、紫詠の心はもう決まっていたのだ。

 

 『俺の作戦勝ちだな』と後に言った藍章に、紫詠は『私の目標通り藍章様に仕えることが出来たのですから、私の勝ちです』と返したのだった。

 

「紫季歌は、どうするのですか?」

「逆に聞くが、どうしたい? 正直に言えば、俺はお前の力が欲しくてお前を呼んだ。そのお前が大切にしているから、紫季歌も一緒に連れてこさせた。仕事がしたいというならば与えよう。あるいは紫詠が養うというならそれも良いだろう。友が必要ならば、俺の屋敷で女中や俺の妻達と過ごしてもらっても構わない」

 

 藍章の返答に、わずかに安堵しつつも紫詠は紫季歌に視線を向ける。

 不安そうな妹の表情を見て、今この場で決めるのは難しいと感じられた。

 

 それを感じたのは藍章も同じだったようで、紫詠が口を開く前に藍章が口を開いた。

 

「今すぐ決めなくてもいい。数日は猶予を与えるから、その間に家の確認や今後どうするか、二人でよく話しておけ」

「……はい」

「家には明日案内させるが、泊まりたければこの屋敷にいてもらっても構わない。後は……太地(たいぢ)!」

 

 藍章がそう声をかけると、少しして家人がやってきた。

 紫詠にはわからなかったが、藍章の家の使用人の中で第二の地位にある男である。

 使用人をまとめる家人の下で様々な場面で少数をまとめたり、あるいは重要な客人の歓待を受け持ったりする人物だ。

 

「参りました、藍章様」

「彼をお前達の世話役とする。わからないことがあったらあれに聞け」

「……ありがとうございます」

「では、良き眠りを」

 

 聞き慣れぬ言葉を受けて、藍章の言葉にお辞儀をした太地に促された二人は、藍章を残して部屋を出る

 以後、中華に名を残す二人の邂逅は、こうして穏やかな終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 そこから、紫詠の藍章の領土での生活が始まった。

 結局紫詠と紫季歌は同じ家で暮らすことにしたが、紫季歌は藍章の屋敷の女中として雇われることになった。

 日中一人にすることになる紫詠にとってはそちらの方が安心できたし、紫季歌も、他の女中とともに管弦や詩を学ぶなど、家に一人でいるよりそちらのほうが良かったのだ。

 

 一方の紫詠は、兵士になってもらう、とは言われたものの、いきなり戦に連れ出されるようなことは無かった。

 そもそも韓という国は他国から激しく攻撃はされておらず、更に藍章がある程度本営と距離を置いていたのもあって、すぐには戦の機会が巡ってこなかったのだ。

 

 その分紫詠は、藍章の領土の兵で定期的に行われる演習と日々の調練、そして将となるための学術や、自分の部隊になる兵士たちとの意思疎通や隊の調練に時間を費やすことになる。

 

 その間、藍章が紫詠に何かしら接触してくることは一切無かった。

 代わりに、紫詠と紫季歌の生活について、困ったときに相談すべき相手は伝えられたものの、普段からの補佐は無かった。

 良くも悪くも一人の百人将として扱われたのだ。

 

 本当に藍章が言った通り、紫詠を連れてくることこそが目的だったような放置ぶり。

 だが、半ば人間不信になっていた紫詠にとっては、接触してこない主というのは非常にありがたい存在だった。

 

 むしろ、いきなり与えられた百人隊の兵士たちとの意思疎通の方が苦痛であったと言えるだろう。

 それでも、日々の調練や演習でしつこく声をかけてくる部下たちとの仲は、幾度かの戦を経て次第に深まっていった。

 藍章が、紫詠の部下になる兵士たちに、有能な者ではなく紫詠の心の壁を溶かすような性格の者たちを集めたのも、紫詠と部下たちがうまくいった要因の一つであろう。

 

 ついでに自分より遥かに劣る者たちを率いる経験と、自分の手駒を育てる経験を紫詠にさせたかった、というのもある。

 実際、数年後に将軍となった紫詠の軍の中核を担うのは、大きく成長したかつての百人隊の面々であり、藍章の目的は一定の成果を残したと言えるだろう。

 

 そうやって次第に中梁での生活に慣れ、かつてと比べ物にならない生活を妹ともに手に入れた紫詠だが、だからこそその幸せに戸惑ってしまった。

 もともと持たない人生しか歩んでこなかった紫詠だ。

 突然の恵まれた生活に、頭がついてこなかったのである。

 

 恵まれた妹との生活は幸せで、穏やかで。

 気が置けない中となった部下や同僚達とも交流は深まり、酒を酌み交わすことも多く在る。

 軍での鍛錬もきつく、だからこそやりがいがある。

 

 それでも。

 生きるために必死だったときとは大違いで、だからこそ紫詠は、どこかその生活を空虚に感じるようになってしまった。

 何かに命を尽くして向かい合っていた紫詠が、何にも命を尽くさない穏やかな生活に違和感を覚えた、ということも出来るだろう。

 

 その焦燥感が、自分に目的と言えるものが存在していないからだと気づかせてくれたのは、妹であり良い仲にもなっていた紫季歌との会話だった。

 

「兄様は、これまで私を守ろうと必死で頑張ってくれましたから。兄様が全力で頑張らなくても大丈夫なところにきて、急に力が抜けてしまったんじゃないでしょうか」

「……何のために生きるか、という目的、か」

「ふふっ、そういうことも出来ますね。これまでは、生きるために生きてましたけど、今はそうじゃないです。けど、兄様は全力な人ですから」

 

 きっと、大きな目的を見つけたら、また兄様は全力で突き進みますよ。

 紫季歌にそう言われてから、紫詠は、新しく与えられたこの命を、なんのために使うかを考えるようになった。

 

 そんなことを考えていた時期にふと考えたのが、ここに来てから一切接触していない藍章だった。

 といっても、それにすがろう、などと思ったわけではなく。

 ただなんとなく、どういう人物なのか今更になって気になったのである。

 あるいは、それほどの大人物について知れば、何かが見えるかもしれない。

 そんな考えもあった。

 

 情報を集めるのは簡単だった。

 都市の市民達や周辺地域で農業をやっている民。 

 あるいは自分の部下や、千人将に上がったことで交流が生まれた上官。

 

 そういった人物から、藍章に関する話を集めた。

 

 そして先に結末を告げるならば、紫詠はそこで藍章に心惹かれ、自分の生きる目的を定めることになる。 

 

 その当時の紫詠の心の動きや出来事についてはここでは詳しく語ることは避けるが。

 

 多くの民や兵士から集まった彼に関する話は、おおよそ共通していた。

 

 曰く、

 

「近隣に居着いた宋の残党を追い払った優れた将軍」

「私財を出して農地を開拓し、収穫量を上げることで民の生活を安定させた優れた統治者」

「忙しいのに、普段からよく城下にあらわれては民と交流する、親しみある領主」

「多くの者に知識を与え育て上げる、優れた教育者」

「あれほどの人物は、中華を探してもそうはいない」

「それでいて自身が掴む野望はなく、ただ民のため国のために尽くす忠義の男」

 

 曰く、曰く、曰く。

 その殆どが、藍章の凄さを讃えるものだった。

 故に、今更の話にはなるが。

 

 部下や民との交流で人間不信が消えて久しい紫詠は、藍章に近づいて、近くでその姿を観察したいと思ったのである。

 その旨を、ずっと勝手にしてきた身では勝手ながら太地を通して申し出たところ、次の戦いで藍章の側近に加えられた。

 とはいえまだ他の側近や信頼される将や文官ほど側に置かれるわけではなかったが、それでも接する機会は増えた。

 

 その後、他国との戦いや、豊かになった藍章の領土を奪わんとする近隣領土の領主との戦い、そしてかつて存在した宋という小国の残党との激しい戦いを紫詠は藍章とともに駆け巡った。

 あるいは、ときに民を慰撫し、ときに農地改革や治水工事にまで関わる藍章の姿を遠くから観察し、紫詠は藍章の多くを見た。

 

 それでも全てとは言えないのが、藍章という男の深みを示しているが。

 

 そうして藍章を知るほどに、この大きな人物の隣に立てるようになりたい、いや、超えるほどの人物になりたいという思いが芽生えたのだ。

 それはあるいは、生まれて初めて、紫詠が目指すものを見つけた瞬間だったかもしれない。

 

 故に紫詠は、藍章に忠誠を誓ってはいるものの、ずっと劣ったままでいるつもりはない。

 主として、城主として、そして大軍を率いるときは大将として従いはするし、その実力も能力も認めている。

 あるいは、自分と妹を地獄から拾い上げてもらい、多くの成長の機会を与えられた恩もある。

 

 だが紫詠の目的は、藍章に比肩する人物へと成長することだ。

 藍章を崇拝し、付き従うことではない。 

 その道は未だ遠く、将軍としての能力だけでなく文官としての能力も併せ持つ藍章は、中華でも唯一の存在だろうと紫詠は思っているが。

 

 それでも上を目指さずにはいられない。

 藍章が紫詠に与えた向上心は、紫詠に、実際はそうあったはず以上の遥かに大きな成長を生んでいるのである。

 

 もっともその目的に、「藍章が期待した以上の成長をすることで恩を返す」という要素が入っている以上、例え目標を達成しても紫詠が藍章のもとを離れるようなことは無いだろうが。

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