最弱の国の隠れた名将に   作:韓人

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第5話 結局試行回数が勝つという話

《藍章視点》

 

 

 農産業研究所から帰還した俺たちは、一度中梁に戻って護衛の兵士を増員し、そこから改めて次の目的地へと移動する。

 

 先程まで居た研究のために作った城邑は、その重要性はともかくとして規模は小さく、生活のための機能すらも多くを中梁に頼っている城壁の外に作った小さな施設に過ぎなかった。

 だから俺の拠点とする中梁からの距離も非常に近く、それこそ一里、現代で言う所の四百メートルあるかないかという程度だったので護衛も少なくて問題は無かった。

 

 だがこれから向かう場所は、それ自体が大きな城邑の一角を占める大規模施設となっている。

 場所も農産業研究所のように新規で作った場所でなく、既存の城邑を大きく改装する形で作っているので中梁から十里以上離れた場所にあるため、護衛をしっかりつけて向かう必要があるのである。

 

 俺たちの次の目的地。

 それは、俺が若くして領主になってすぐに作った軍略研究所だ。

 ここもまた、主に軍事力や戦術戦略研究、及びその他の思想研究の面において、俺の領地の発展の要となっている。

 

 軍略研究所と銘打っているものの、そこで研究されているものは戦術や一戦争における戦略等の、直接的に戦争に関わるものに限らない。

 中華の情勢関係で言えば、他国の政治的情勢や有力者の存在、王や有力者、有力な将軍の思考及び行動目的の推測、様々に条件を変えた上での今後の中華の動きのシミュレーションなど、中華の今後の動きを大きな規模から小さな規模まで様々な規模で研究し続けている。

 

 他にも、法家の思想から更に進んで実利的な法律案について練り続けていたり、経済学の雛形と言えるような、金と物、人の動きに関する研究、思索、場合によっては商人を使った実践も行われている。

 

 また、当然ながら一戦場、戦争規模の戦術戦略、用兵術に兵站なんかの研究もしているし、それら研究した内容を編纂して書にまとめたり、あるいは基礎的な内容を領地中から集まった生徒達に教えたりもしている。

 

 現代で言うところの大学、あるいは城邑をまるごとひとつ使っているから研究学園都市というのが近いだろうか。

 

 それが、今日二つ目の俺の目的地である。

 

 

 

******

 

 

 

 

 しばらく移動を続けて、中規模の城邑の前に到着する。

 日中であるにも関わらず正門に繋がる橋は上がって門は固く閉ざされており、この中華でも珍しい水濠が城の周囲にぐるりとめぐらされている。

 城壁の上から周囲を警戒する兵士の数も通常の城邑より多く、平時だが厳戒態勢そのものの有様だ。

 

 そんな城壁の門の下に立ち、こちらを警戒する兵士たちに向けて俺は声を張り上げる。

 

「門を開けてくれ!」

「合言葉は!」

「『夏に梅の花が咲いた』!」

「了解した! 細橋下ろせぇ!」

 

 俺が合言葉を答えると、やり取りをしていた兵士が片手を挙げながら指示を出す。

 それを伝達するように、複数回『細橋下ろせ』と命令を復唱する声が響く。

 城門の上からこちらを見下ろす男の指示が、複数人の伝達によって跳ね橋を操作する装置のある部屋へと伝わっているのだ。

 

 僅かな間の後、城に繋がる跳ね橋のうち、大きなものの脇にある細い跳ね橋が降ろされる。

 幅は馬が二頭、人ならば三人並べる程度の細いもので、この橋から攻め込もうとしてもすぐさませき止められると同時に、橋の先に入り口に設置された柵が降ろされて、突破が不可能になるだろう。

 

 その橋を、まずは俺と紫詠が先頭になって渡る。

 

「確認しました、藍章様、紫詠様、お通りください。兵は全て護衛部隊ですか?」

「ああ、そうだ。全て護衛部隊の兵士だ」

「承知しました」

「警備ご苦労。酒を持ってきた故、皆で飲んでくれ」

「ははっ、ありがとうございます」

 

 俺と紫詠の二人だけ、細橋から細い門を通って城壁の内側に入る。

 それと同時に大きな跳ね橋が降ろされて、ついてきた護衛の兵士たちもそれを渡って城壁の内側へと入る。

 全員が渡りきれば再び跳ね橋は上がり、城門は固く閉ざされる。

 これがこの城の厳しい警備体制だ。

 

 なおこれでも、俺と紫詠という高い地位にある存在と、その領地内での護衛部隊という身元が確実な兵士たちだったので、この都市の入城確認としては非常に簡易な部類だ。

 この集団においては、俺と紫詠という個人が確認できれば、それに付き従う兵士が身元の確実な護衛部隊で、間諜等が紛れている可能性が無いことが一度に証明出来るからである。

 

 これが例えば、物資を運んできた輸送部隊の一団であったり、あるいは俺の護衛部隊のように厳重な身元確認が保証されていない一般の部隊を俺が連れていた場合はより厳重な確認が行われる。

 

 輸送部隊の一団ならば、この城邑に物資を供給している特定の城邑でのみ発行される()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()と、それに付随する名簿による人員の確認、そして荷物に不審物が無いかの確認までが、城の外側で行われる。

 あるいは、一般の兵士の部隊が俺に着いてきていたならば、それについても同じく発行された許可証と名簿によって確認が行われることになる。

 

 他にも文官や将校についても、特別に許可が出ていない限りは、許可証の発行がなければ入ることは認められない。

 

 更に城邑の四方にある門だが、許可証事に行かなければならない門が指定されており、それを違えた時点で怪しい者と判断して捕縛が行われるようになっている。

 

 この城邑がこれほど厳重な警備体制をしき、入城確認についても厳重に行われているのは、それだけこの城にあるものが他に漏らしてはならない機密であるからだ。

 

 この時代あまり意識はされないが、戦も国同士のやり合いも、勝つのはより多くの情報を集めたものである。

 ただの戦一つとっても、どこにどれほどの常備兵力があるのか徴収できる潜在兵力があるのか、どの将がどこにいるのかなど、知っていれば有利になることは多い。

 あるいは敵将が誰で何万の軍を率いているかわかるだけで、名の知れている将であればその軍の実力と対策がわかってしまうものだ。

 

 ここに絡め手を使い始めると、相手が前線に集めている兵糧の量から侵攻を予測したり、逆に兵糧攻めに出来る城邑がわかってきたりもする。

 更に自国が仕掛けようとしている相手だけでなく、その国と隣接している他の国が軍をどう動かしているか知ることで、侵攻に対して敵国がどれぐらいの戦力を割くことが出来るのかといった敵国の戦略まで読むことすら出来ることもある。

 

 あるいはそういった戦況予想の更に先に、出す情報を操作することで敵を罠に嵌めることだって出来る。

 例えば、敵の迎撃に出した軍とは別に隠した軍を敵の裏に回すことで敵の補給路を断って弱った軍を殲滅したり。

 逆に軍ではなく将を隠すことで、特定の将を予想して攻めてきた敵の目論見を外して戦況を有利に運んだり。

 場合によっては、完全に情報封鎖・情報操作によって存在を隠した軍を、見せるための侵攻軍とは別に放つことで、迎撃に出てきた敵軍、敵将を罠に嵌めて討ち取ることすら出来る。

 

 現代のような情報化社会ではないが、いや、情報化社会ではないからこそ、情報についてより深く備え収集し秘匿した者が優位に立つのだ。

 

 故にその拠点となっているこの都市は、他国どころか韓の中央の者たちにも知られてはならないのだ。

 そのためにこれほど厳重な警備を敷き、物資の搬入を担うものやこの城邑を警備する兵士は厳しい教育と適正試験をこなした上で、只の物資運搬や警備と比較すれば法外な禄を与えて雇っている。

 

 加えてその身辺も監視しており、怪しい接触があった場合には、与える給料は変わらないまま仕事を変えて別の地に飛ばし、そこで別の仕事をさせる。

 当然これは情報漏洩の危険性とともに教育内容に組み込んであるので、不満が出ようはずがないし、不満を漏らそうものなら次の日には消えることになる。

 

 また一般の民や商人については、この地域に近づいてはならないと厳命をして、人が近づかないようにしているほどだ。

 

 他にも二〇〇〇年後に生きた経験のある俺が考えられる限りの、ガチガチの防諜体制を仕込んである。

 そもそも物資の生産から運搬、警備まで全てこの地で生まれ育ち、この地と俺に忠誠を誓う者達を選抜してあるので万に一つも無いはずだが、その万に一つを引き当てないためにも、過剰に思えるほどの警備体制が必要なのだ。

 

 唯一心配があるとすれば、中で研究を行う思想家達、ではなく、それに学びに来る生徒達だ。

 この生徒については、出来る限り調査をしているものの、まだ若い者や流れてきた者もいたりと絶対にシロと言い切ることが出来ないのである。

 

 逆に中にいる思想家連中については、よほど楽しいのか今のところ一度入ったやつが出たいと言い出したことが無いので心配が一切無い。

 家族についてもこの城邑から出さないことを最初に説明してあるし、納得した人だけが入っている。

 それに中では運動出来る場所や娯楽などを用意しているので、そういう人たちも学問をしつつ自由に暮らしてくれている。

 

 そんな厳重な警戒がされている都市に入ると、入り口付近には有事の際に兵士が通過するための広場があり、その奥に住居や商業施設、そして居酒屋など娯楽のための施設が広がっている。

 そしてその更に奥、城邑の中央付近にある複数の巨大な建造物群が、研究や教育を行っている施設だ。

 

 城邑の中はそれなりに広いのと活気のある城邑に比べれば人通りは少ないので、馬でそのまま研究所の入り口まで行き、そこで馬を預けて研究所の中に入る。

 なお研究所の入り口にも衛兵は立っているが、俺と紫詠は基本的に顔パスだ。

 他にも生徒や思想家達は、木の板に彫られた個人専用の身分証を持っており、それを示すことで出入りが出来るようになっている。

 

 建物に入るとすぐに、建物の外にも聞こえていた大きな声が更に聞こえるようになる。

 まずは一つの目的地、というかこの軍略研究所の名物でもあるそれを見るために、そちらに足を向ける。

 

 階段を一つ登って先の部屋、そこは、床に広げられた巨大な地図と多数の小さな木の板をぶら下げた大きな掲示板が多数存在する部屋だ。

 階段を登った分俺と紫詠は部屋の床ではなく、二階部分にわずかに飛び出している観覧席に足を踏み入れる。

 

 その部屋に、隣の部屋や廊下と繋がる扉から人が入ってきて、地図の上の駒を動かしたり木の板を入れ替えたり、何らかを書いた紙を貼り付けるごとに、歓声やどよめきが上がり、そこから見ている者同士の議論が始まる。

 見ている者達の中には、机と石の板とチョークもどきを持ち込んで、複数人で何やら書いては消し書いては消しをしながら激しい議論を交わしているような者たちもいる。

 

 そんな光景を上から見ていると、一人高い席からそれを見下ろしていた老人が俺たちに気づき、手招きをしてきた。

 せっかくお呼ばれしたので、紫詠とともに下の階に降りて老人の元まで歩いていく。

 

 なお、この施設内ではこの施設外部での身分というものを完全に廃止しているので、俺や紫詠に挨拶をしに来るものはいない。

 まあ議論に忙しくて気づいていない、というのもあるのだろうが。

 

 老人の座る席に近づくと、ようやく彼と話し終えてちょうど降りてきた人物が俺達に気づいてくれたようで、静かに拱手を向けてくれた。

 俺たちもそれに返礼してから、部屋の側面によった観覧用の席の一番高い場所に陣取る老人の元へと上がっていく。

 

「久しいな、宋翁(そうおう)

「お久しぶりです、お師様」

「久しいの、紫詠。元気そうで何よりじゃ」

 

 俺たちの挨拶にちらっと視線を向けるものの、すぐに下に視線を戻しながら翁は答える。

 

「長すぎるわい。お主半年も何しとったんじゃ」

「あんたも知ってるだろうよ。ずっと楚とやり合って、一息ついたと思ったら北、そしてやっと帰れたと思ったらまた楚だ」

 

 翁を挟むように座りながら、翁との会話を続ける。

 なおこの間も、俺と翁の視線は常に更新され続けている下の戦況図に向いているし、紫詠はそれを見ながら更に翁の前の机に積まれていた紙束に目を通している。

 

「楚も大分しつこいのぉ。なんでそんなしつこいんじゃ。これはちくと条件を変えにゃならんかのう」

「最初はちょっかいかける程度だったのが、手痛い反撃を受けて面子を傷つけられたんだろうな。どうも今の考烈王は、そういうのにかなりこだわりがあるらしい」

 

 俺の返答に、翁は手元の紙にそれを書きつけると下の段に座っている人物を呼びつけてそれを渡す。

 

「介玲、これも楚王の条件に加えておけ」

「はい、わかりました」

 

 それを渡された女性は静かに部屋を出ていく。

 多くの情報を記録している部屋に行って、新しい情報として書き加えておくのだろう。

 

「これは秦が天下統一に動き始めたら、という条件か。……それにしてはいくらか秦の勢いが強いが……。何か他にも条件を加えているな。魏……山陽を奪取した前提で始めているのか」

「秦の怪鳥が復活し、更に六将相当の人材が六人揃うという条件も加えておる」

「……厳しい条件をやるものだな。うちの国なぞもう風前の灯火ではないか」

「お前さんや紫詠みたいなのが他の国におる可能性も考えねばと思うての。それに、ほら、おるじゃろ、蒙武と王翦、桓騎だったか? 得体の知れん奴らが」

 

 その言葉に俺は肩をすくめて見せる。

 そう言われてしまっては、隠れた名将、隠れた戦力を標榜する俺としては、他国にも似た戦力があるのを警戒しないわけにはいかない。

 何より秦には、ここ数年戦場に出ていないもののまだ六大将軍の一人王騎が存在してもいるのだ。

 これが復活しない前提で、中華の模擬実験をやるのは馬鹿だろう。

 

 そう、今俺達の眼前で行われているのはまさに、これからの中華の動き、各国の動きを見るための模擬実験である。

 現代風に言うならば各国の動きのシミュレーションだ。

 

 今現在俺たちのいる部屋はその模擬実験の中心となる部屋で、今下に広げられている複数の地図とその周囲にかけられているいくつもの木の板がそれぞれに、戦場となっている場所や領土の変遷、人の動きや人材の動きなどを示している。

 

 国家の動きや軍の動きは、ただの予想やサイコロを振って決めているのではなく、多くの部分を、こことは別室に設けられた各国の本営や、各国の前線部隊の司令部などが検討と決定を行っている。

 

 そこで為された決定をこの部屋に持ってきて情報を統括し、逆にそれぞれの陣営が情報収集を行った場合にはこの部屋からそれを提供する。

 そうやって、この施設のこの実験棟に無理やり中華をそのまま再現しているのである。

 

 あ、韓が後退した。

 

「なんとか生き残ってるか?」

「そうじゃの」

 

 王都の新鄭含めて大部分が吹っ飛んで、うちの領地周辺に作っている長城の内側に引きこもる防衛戦に移行した。

 

 現代であったならば、これはコンピューターと操作者が複数人いれば、それぞれの国に指示を出して、その演算をコンピューターが画面に結果を写してくれた。

 どの生産力を上げ、どの程度人を集め、どこに何人送り込む。

 そして他国と衝突したり同盟を結んだりして、世界が動いていく。 

 

 それをこの施設では、人間の手でより大規模にやっているわけである。

 キングダム原作であった、地形を再現した盤の上で軍を模した駒を動かす軍略囲碁。

 あれをより大規模に細部まで拘ってやっているのだ。

 

 それぞれの国の本営が別々の部屋に設置され、大王役やそれぞれの国の丞相や有力者役がいるのに加えて、例えば秦ならば対楚、魏、韓、趙の国境線を担う前線司令部が、楚ならば各国と接している前線の司令部が、本営を置いてある部屋とは別に小部屋で置かれていて、それぞれが刻一刻と半ターン制半リアルタイムで変化していく状況に合わせて判断し、あるいは本営に指示を仰ぎ、決定を下す。

 その決定が、現在の中華の状況を示すこの部屋に反映されて、中華の動きを描き出していく。

 また模擬実験ごとに採用するときと採用しない場合があるが、不確定要素として、急病による重要人物の死去なんかを無作為に発生させ、不測の混乱が起こる可能性も盛り込んでいる。

 

 ときに国の間で、この施設においては情報伝達用の人を介して書簡をやり取りしたり、あるいは疑似本営で何らかの役を担っている人が、直接他国の王都である部屋に自ら赴いての同盟の会談をしたりと、実際の中華の状況を出来るだけ再現できるようにしてある。

 当然そうしたやり取りには距離を鑑みて相応の時間がかかる仕組みにしている。

 

 盤面の上で駒が動き、軍が動き、戦い。

 しかしそれを判断、指示する役には全て生身の人間が入って、実際にどうなるかを模擬実験して、その結果から現実でどうなるかを推測する。

 

 それが、この施設が誇る模擬実験装置だ。

 

 大規模な遊びに見えるかもしれないが、これは結構本気である。

 ずっと人を変え品を変え模擬実験を続けているので多くの情報や実験結果が蓄積され、分析され、更に精度を高めた予想に繋がっていく。

 

 実際に、十数年前の秦・趙の間で行われた長平の戦いの結末を、確信は無かったものの可能性の高い結末の一つとして、この研究施設は予想してみせた。

 実際に本営役や前線の指揮官役に生身の人間が入って指示をやることで、二〇〇〇年後のコンピューターゲームでも難しいような自由な決定が出来るようになっているのだ。

 それこそ、他国の王都に噂を流したりとか。

 

 そう考えると、どこかTRPGに近いものも含まれているかもしれない。

 

「秦が本気で中華統一に乗り出した場合、一国で止めるのは困難ですね」

「じゃのお。下手に広く他国と接している楚よりも波に乗ったときが怖いわい」

 

 書簡に目を通していた紫詠が言う。 

 彼が目を通していた木簡は、それぞれの国の本営になっている部屋についている書記がまとめたもので、ただどんな判断をした、という結果だけでなく、どういった理由で、どういった議論が為されてその判断に至ったか、ということまで細かく記録されている。

 紫詠はそれを読んで、秦の脅威を再認識したのである。

 

「特に今回の条件のように山陽を抑えられると、大変なことになりますね」

「だろうな。あそこはただの一地方の要地じゃない。あそこが秦のものになれば、時間の問題で魏とうちが落とされる」

「そうなると他国が介在できないうちに中華一の勢力が出来てしまいますな。そしてそれに対抗しようにも、中華の中央を抑えられたために四国は分断されている」

 

 国の取り合い領土の取り合いというのはただの軍の強さではない。

 どちらが要地を抑えるか、いかにそこを拠点化して前線に人や物資を送れるか。

 

 そういった地形的、地政学的な要素が大きく関わってくる。

 故に力の総量では勝っているからと余裕をこいていると、いつの間にか詰みの盤面が出来上がっていたりするわけである。

 

 国家のやり合いは、小さな規模で見れば人間個人個人の問題だが、大きな視点で見ると水や砂のような、もっと単純なものの流れのように見えてくる。

 

 中華規模で見ると流石にマクロ過ぎてわかりづらいが、一戦場で見るとわかりやすい。

 人は分子でそれが集合して軍という単一の物体を形成している。

 軍同士がぶつかるときは物体同士が衝突するのと同じだし、策で力の流れを作ったりするのはまさに、流れる水の勢いを板を差してそらしたりしているようなものだ。

 そしてそれを分断したり、散らしたりしていると、勢いのあった水の流れがいつのまにか小さな水しぶきになっていたりする。

 

 この俺の発想は、今見ているような中華規模の模擬実験だけではなく、戦術規模の模擬実験や議論、研究において大いに役立ってくれているらしい。

 分子、という考えを持っている俺ならではだったが、水と石と砂と言い換えれば多くがわかってくれた。

 軍を流体として捉える、という突飛な、けれど理に適った用兵術や戦術は、楚との戦いや実際の演習でも大いに効果を発揮していた。

 

「止めるならば山陽を取られる前、ですか?」

「それが理想だが、な。流石にそこまで先を読んで進言したところで、王に認めていただけても他の奴らが認めん」

「では黙って見ていると?」

 

 紫詠の言葉に俺は肩をすくめる。

 

「俺の権限ではな。一地方の領主に過ぎんのだ。まあ、使える遊説家が何人かいるから大きく賭けてみてもいいが……」

「相変わらず突飛なことを考えるのう」

「すぐ気づくあんたもあんただ」

 

  むしろ何故今の短い会話で気付ける。

 

 ちなみにこの宋翁という老人だが、彼もまた一角の人物である。

 原作には存在しなかった大駒、と言い換えてもいいだろう。

 

 今はこうして主に軍略を中心に、この時代には早すぎる統計学を含む経済学や新しい形の法体系など、多方面に渡って研究及びその監督を行ってくれているここの所長を務めているが、その正体は、かつて滅びた小国の王である。

 

 といっても、この時代には戦国七雄以外の小国というのは割と普通に存在している。

 特に数十年ぐらい前まではまだ戦国七雄にまとまりきっておらず、多くの、それこそ城一つしか無いような国がいくつもあった。

 今もいくつか存在しているし、どうも趙、魏、楚の国境線が交わる辺りで三国相手に情報の流しをしている、小城一つで碌な兵力もない小国も存在しているようだ。

 

 だが、今は無き彼の国はそんな小さな国ではない。

 数十年前まで韓の東方に存在していた宋という国。

 その規模は、勢力や人口で言えば韓に匹敵するか、あるいは上回るほどのものがあったのだ。

 

 悪かったのはひとえに外交の方針だった。

 つまり宋は、他の国々とうまくやれなかったのである。

 まあこれはプライドの肥大化した他所から流れてきた遊説家がやらかしたせいだと後で判明したのだが。

 

 ついでに言えば、南北を楚と燕に挟まれ、東では海にぶつかって拡大の望めない斉と接する位置にあった、というのも滅んでしまった原因の一つだ。

 

 韓との違いは、韓が他国とうまく外交をし、更に中華の中央に位置する事でどの国も手を出しづらい場所に存在したのに対し、宋は他国にうまく取り入れず、更に強国の力関係的に攻めづらい場所でもなかったという点だけ。

 

 それは逆に言えば、その軍事力などは韓と同じ水準にあった、ということである。

 

 

 そんな国の王であった宋翁と俺の初めての出会いは、戦場であった。

 

 俺が子供の頃には既に、斉に追いやられた宋の民や王族、そしてまとまった軍までもが、韓の東まで逃れてきて住み着いていたのである。

 しかもそのあたりは魏と趙も領土を有している土地だったが、いずれからしても細長く伸びた領土の先の土地で辺境に近く、楚と接していることもあって労力を払ってまで追い払おうという気概が無かったのだ。

 

 そのため韓の中でも東の方に領地を持つ俺の家は、宋の残党軍、彼らの主張ならば新生宋国と幾度も激しい戦いを繰り返してきたのである。

 韓の本営はこれを地方勢力の小競り合い程度と見逃していたが、そんなわけはない。

 

 削れているとはいえかつては韓に匹敵した国との戦いだ。

 しかもこちらが彼らを追い出したいだけでなく、宋国の方も、あわよくば韓の王都まで攻め寄せて乗っ取ってしまいたいという考えがあり、かなり苛烈な攻撃をしかけてきた。

 

 俺の親父が死んだのもこの戦争の最中である。

 まあ、正直親父は統治者としては完全にアウトな部類だったし父親としても全然良い父親ではなかった、というかそもそも俺にほとんど会おうとしなかったので、死んだことについて思うことは別に無かった。

 それでも丁寧に葬らなければいけないのが儒教が主体の韓のめんどくささだが。

 ちなみに母親は優しく俺との仲も良く、俺の活躍を我がことのように喜んでくれて、数年前に大往生した。

 

 さておき、自分を鍛え上げ他国との前線で数年戦を経験していた俺は、領地の兵たちを鍛え上げながら、宋翁が率いていた宋軍と幾度もぶつかりあった。

 俺はときに自ら矛を振るって敵陣を砕き、槍を手に敵将を屠り、あるいは本陣から軍全体を動かす、武と知を併せ持つタイプの将として、そして宋翁は、軍師として全軍を動かすタイプの将として幾度も戦いあった。

 

 宋翁自身は非常に優れた軍師で俺も幾度も危うい場面があったし、彼に支えた将達も皆腕利きばかりだった。

 実際彼らは国を滅ぼされたとはいえ楚や斉、趙といった数に勝る大国の軍を幾度も跳ね返しており、国が滅ぶ際にもしっかり戦力や物資を温存した上で民とともに韓の方に流れてくるほどの能力があった。

 

 これでも滅ぶのが戦国か、と思ったが、同時にそれはもったいないのではないかと俺は思ったのだ。

 

 彼らの力を取り込めれば、より強くこの領地を、国を守るための力となるのに、と。

 そこから俺は、戦いをしつつも徐々に徐々に宋の民達を取り込むような働きかけをしていった。

 元々俺が親父が死ぬ前から農地改革や治水等様々なことをやっていたのもあって、当時俺の領地はどんどん豊かになっており、明確な国を持てず苦しい思いをしていた宋の民の中にはこちらに流れたがる者も現れ始めた。

 

 そこで今度は宋王だった宋翁に会談を持ちかけた。

 民は領地の民として大切に扱い、宋翁を始めとした将や指揮官達、文官達は手厚く遇するので、韓に来て俺に仕えてくれないか、と。

 

 当時宋翁も、これ以上の戦いは民のためには良くない、さりとてこの戦国の世で亡国の民がどんな扱いを受けるかはわかりきっているので、戦いをやめることは出来ないという葛藤の中にいたらしい。

 そのため、俺の提案をのんで降ってくれた。

 

 これが、俺と宋翁が出会い、仲間になるまでの話だ。

 仲間になって以降の宋翁は、一時期は軍師として中央から使われるようになった俺の軍で活躍していたが、やがてより学問を、探求を深めたいとこの研究所に入り、今に至る。

 

 もう大分歳だが、今でも軍略、戦術の話をさせれば、この時代では明らかにオーパーツな知識を備えた俺と同じレベルで語れる傑物だ。

 俺自身も誇張抜きに中華有数の能力を持っていると自負しているので、それに相当する宋翁の能力はやはり高い。

 伊達に亡国とはいえ韓と同等規模の国の王をしていないし、大国の侵攻を跳ね返していないというわけである。

 

 ちなみにそんな凄い人物だったので、紫詠が戦術や軍略を本格的に学ぶ際には彼に指導をしてもらった。

 傑物を育てるのは凡人で難しいのだ。

 

 ちなみに彼の忠臣達は、文官はまだまだ現役の者が多いし、武官も多くは年をとって実戦を退いても、練兵や新兵たちの特訓で活躍してくれている。

 当時若かったものや、老いてなお盛んな者たちは今では俺の軍の一員だ。

 

 民も、流石に長年やり合っただけあって最初は恨みが強かったが、催し物を通して交流をさせたのと、俺の領地では飢えまで行くことがなく庶民にもちょっとした盤遊戯など娯楽が広まっていたことで、心の余裕が生まれていた。

 そのため、数年をかけて次第に同化していくことが出来、今ではもう誰が宋人だったのかわからない。

 宋翁はそれには少し複雑そうではあったが、同時にこんな穏やかな併合があるのだと感動もしていたように思う。

 

 これが、俺の軍の裏の頭脳を務める宋翁という人物だ。

 

「遊説家を使うとなれば、他国との同盟でしょうか。魏と韓が滅ぼされる危険性を説けば、少なくとも趙は動いてくれます」

「そのあたりが妥当だろうな。燕や斉、楚に説いたところで目の前の脅威でなければ見えないやつが多い」

「ふん、もう一つやりようはあるがの」

 

 俺の答えを否定するように宋翁が言う。

 しかもその表情はわずかに楽しげだ。

 どうやら宋翁は、俺と同じ考えに行き着いているらしい。

 

「どういった方法ですか?」

「前は東の大国にやったからの。今度は西の大国にやってみようという話じゃ」

「……合従軍、ですか」

 

 そこですぐ思いつく紫詠も紫詠だ。

 ただ一戦場での戦いだけでなく、より柔軟に広い視野を持てるというのは非常に頼りになる。

 そういう意味では、俺と宋翁の会話にヒントありだが着いてこれるというのは、本当に紫詠が将軍の域を超えて、一国家の軍略家として語れる程の能力を持つほどに成長したことを示している。

 

 本当にどこまで成長してくれるのか、楽しみだ。

 

「だが、今の中華には楽毅はいない。かろうじて練れるのが廉頗か春申君ぐらいだろうな」

「それほどに合従軍の策を練るのは難しい、ということですか」

「いや、策の話じゃない。もちろん大軍を動かす能力もいるが、それ以上に合従軍には、『他国が兵を出してもいいと思えるほどの信用』が必要になる」

「楽毅が合従軍を起こせたのは、あやつが中華の歴史を見ても五本の指に入るほどに名の知れた傑物だからじゃ」

 

 俺と宋翁の説明に、紫詠は理解の表情を示す。

 

「つまり、合従軍を他国に出させるほどに名の知れた人物が必要、ということですか。そしてそれは今の中華では、廉頗将軍と楚の宰相春申君だけだ、と」

「俺だって、いくら有能という評判でもその有能さの証明がされていない人物の言葉では軍は出さん。実績や名前の大きさというのは、そういう場面で本当に強い。だから廉頗や春申君が声をかけてくれば、その実績を知っている以上は、出してやろうという気にもなる」

「ほう、そう転ぶか」

 

 まさに、俺たちが合従軍の話をしたその瞬間。

 我らが韓を、俺たちの領地しか残らないほどに追い込んだ秦に対して、五国から合従軍という形で軍が発された。

 ちなみに我が韓は死に体な上に、防衛戦の長城まで攻め込まれて大変なことになっているので初動にはついていけていない。

 

「この国力差じゃあギリギリ秦が保たせるな。少しばかり時期が遅い。せめて韓、魏、趙がもう少し削られる前だったらな」

「韓は延命するが……。しかし時間は稼げるの。秦の国力も無限じゃないわい」

「なるほど。一度一国を攻め滅ぼす程に力を入れた後に自国に戻って合従軍を受け止め、更にもう一度続けて侵攻する力は秦にも無いですか」

「侵略もちょっとした乳繰り合いなら良いが、本気でやり出すとたまらんぞ。よっぽど国力が強くないと保たんわい」

 

 そこでふと、紫詠が何かひらめいた表情で顎に手を当てる。

 

「合従軍の時期次第では、逆に秦を滅ぼすことも出来ませんか?」

 

 その言葉に、俺も宋翁もハッとする。

 そこまでは考えついていなかった。

 

 つまり、俺たちは合従軍という戦国の鬼札の破壊力を知っているが故に、それを発動することばかり考えていたのだ。

 その後どうなるかは、発動時点の互いの戦力次第で勝手に決まる。

 というかそもそも発動された国の確実な負けだと思いこんでいた。

 だが確かに俺たちは今、この状況なら秦が国力で耐えそうだ、という話をしたばかりではないか。

 実際過去に受けて大きく打ち破られた斉でさえ、生き残って今こうして確かな勢力を持っている。

 

 合従軍をより効率的に使う方法なんて考えて無かったのである。

 なぜなら効率を求める必要が無いと思っていたからだ。

 

 だが確かに、合従軍というのも策の一つだ。

 普通策について考えるならば、どういう場面で使うか、どのような効果があり戦場に影響を及ぼすかを考える。

と考えれば、それがより効果を発揮する時期や局面について、合従軍も少し考えてみても良いかも知れない。

 

「宋翁」

「うむ、ちくと研究しておくわい。中華統一に乗り出した強国を相手に、合従軍を使うべき時機をの」

「まあ秦と楚だろうがな」

 

 ちなみにこんな話をしているが、何も俺たちは秦が嫌いというわけではない。

 が、この中華で立地や他国との力関係でどこが一番脅威かと言えば、秦が一番に上がるのも事実なのだ。

 

 故にしばらく、秦には模擬実験の被害者になってもらわなければならない。

 遥か遠くの秦に、俺は心の中で手を合わせておいた。

 

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