最弱の国の隠れた名将に   作:韓人

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第7話 密談

 洛亜完と共に移動した俺は、先程の玉座の間とは別の、宮殿の一室へと細い道を通って移動する。

 ここが主に、俺と大王、そして他数名の密会の場となっている場所だ。

 

「大王様、あれを連れてきました」

「入れ」

 

 大王の許可を受けて、扉を開けて俺と洛亜完が中に入る。

 中にいるのは大王と丞相の二人のみで、他には文官も兵士も姿は無い。

 本当にごく少数だけの会話の場だ。

 

「あれとは失礼なやつだな」

「お前の名前が聞かれるとうるさいのがいるからな」

「来たか二人共座ってくれ」

「大王様、先程は粗末な献上品、失礼致しました」

 

 洛亜完との言い合いからの流れるような大王への拱手。

 失礼にならないギリギリを見計らっての挨拶。

 こんなのももう慣れたものだ。

 

「よい。あれそのものではなく、お前が献上すると言った製法に価値がある。そういうことだろう?」

「そういうことです。といってもどう扱えば良いかは私でもはかりかねるのですが」

「しかし確かに、あれが何らかに使えるのは確かだろう」

 

 大王に進められるままに卓についた俺と洛亜完の前に、茶が入った湯呑が置かれる。

 それを置いたのは丞相だ。

 この集まりでは話を聞かれないように使用人などもつけないようにしているのである。

 

「ありがとうございます」

「丞相殿、ありがたくいただきます」

「なんの。大王様にお飲みいただくならば、武官に入れさせるわけにはいかんからな」

 

 さらっとこっちに毒を刺してくるあたり、流石は外交によって国を守っている国の丞相だけあると言うところか。

 それに文官が武官を好まないのはいつの時代も同じである。

 特に丞相は俺の必要性は認めているが、それでも気に入らないというたぐいの人間なので、この対応も当然といったところだろう。

 

「藍章、改めて楚との戦い、ご苦労だった」

「ありがとうございます。幸い敵が退いてくれましたので助かりました」

「敵将を討ち取ったと聞いたが」

「確かに討ち取りましたが、数が数でしたからな。そのまま分離して居座られでもしたら手間がかかるところでした」

「そこで出来んと言わないところがお前の頼りになるところだ」

「ありがたきお言葉」

 

 先程まで文官どもの前でしていた会話よりも遥かにテンポが良い。

 元々大王がもったいぶるタイプでもないので、俺と大王の会話はこれぐらいの速度でサクサク進むのだ。

 

「しかし、本当に褒美は長城建設の認可と人の招集の許可で良いのか?」

「むしろ他の金品などは私は求めていませんし、大概のものは領地で賄えますから」

 

 俺が大王に以前から頼み込んでいたこと。

 それは俺の領地を囲うように長城を作ることである。

 秦の函谷関ほど堅牢なわけではないが、俺の領地は王都新鄭に比べていくらか守りやすい。

 そこを要塞化してしまいたいのである。

 

「そうか。そう言えば、あの味噌と醤油、だったか? 見た目が少々不気味だったが、食べてみるとことの他美味かったぞ」

「ありがとうございます。食は人に明日への活力を与える、というのを私は目指してますから」

「あれを作ったのはお前だったのか。確かに、米と、以前お前が作っていた出汁とやらと味噌で食べると美味かった」

「それは良かった。だが下手に美味いものを広げてしまうと今度は、戦場で食べるものが限られるときにまずくて食えない、なんてことになりかねんからな。今はまだ、一部で楽しむしか出来ないのが歯がゆいところだ」

 

 俺の言葉に洛亜完が顎に手を当てる形になる。

 大王も宰相も、そこまでは考えていなかったらしく驚いた表情だ。

 

「……確かにそうか。戦場では泥すらすするような時もある。下手に質の高い食事に慣れてしまえば、そのときに食べることを嫌がる者が出るということか」

「最悪餓死まで行くだろうな。美味いものを知らなければまずいものも食べられるが、一度上を知ってしまうと下に降りられなくなるのが人間だ」

「そこまで行くか……」

 

 元々身分が高く良いものを食べている彼らでも、出汁や洗練された調味料というのは別格な味に感じられるだろう。

 そこに俺がこの時代の米だが丁寧に炊いたりして提供すれば、それは隔絶した旨さになりうる。

 それほどにこの時代の食事というのは、料理の技術や方法ではなく素材の質の良さで旨さを追求しているのだ。

 

「お主のことだ、何か考えがあるのではないか?」

「あるにはあります。ですがそれは、ただ戦場に美味なものを運ぶ方法を考えるだけでなく、国全体で上は王族の方々から下は農民、下僕にまで美味なものが当たり前になるようで無ければ、うまく扱い切れるものではありませぬ」

 

 俺の言葉に大王が首をかしげる。

 少し遠回しというか抽象的過ぎたらしい。

 

「懸念していることが何か、端的に申してはいかがか?」

「では、端的に言わせていただきます。この食事、というのは、人間にとって生きる活力であります。如何ほどに仕事がつらかろうとも、如何に過酷な戦をしようとも、美味なものをお腹一杯にまで食べれば、明日も頑張ろうという気力が湧いてきます。ですがこれは逆に、普段の食事が美味しくないものに変わると、食べなければならないのに気分が沈み、それで働く力が失せ、それでもまずい食事をしなければならない。悪循環を生んでしまいます」

「……戦場で例えるならば、食事をするごとに士気が下がり続けるような状態になる、ということか?」

 

 洛亜完の確認に首肯を返す。

 つまり国民の士気が下がり続ける、ようなことにもなりかねない。

 

「とはいえ、うまく使うことが出来れば良い効果も与えられます。民が頑張って働けば偶に買うことが出来る高級品、という位置づけに置けば、それを目指して民がより一層奮起するようなことも考えられます」

「……つまり、結局どうしろというのだ?」

「私には、そのどちらもが予想出来、判断がつかぬということです」

 

 歴史上の多くの新しいものの発明、発見というのはおそらくそうだったのだろう。

 現代では既に情報網や流通網が大きく広がっているが故に、どこかで新しいものが発明、発売されても、遠く離れた地で手に入れることが出来る。

 

 だがこの時代はそうではない。

 変に新しく便利なもの、生活を豊かにするものがどこかから普及し始めてしまうと、それが変な人の動きを呼び、大きな波となる可能性すらある。

 そうなったときに何が起こるのか。

 おそらく普及するまでは、大きな諍いが起こる可能性もあるし、うまい飯で舌が肥えてしまって、糧食でまずい飯を食うことが出来なくなり士気が低下、場合によっては餓死してしまう可能性も考えられる。

 他にも供給が滞れば反乱だって起こる可能性すらあるのだ。

 

「お主の領地ではどうするつもりなのだ」

「後数年かけて、製法と材料を領地内に広める。それと合わせて、より確かな兵站及び領地内の輸送網の確立、及び戦場での食事を作る専門の兵種を育てることを考えている。加えて少しでも美味い糧食の開発が出来ればなお良い。それが全て完成した暁には、ようやく民に与えることが出来るかもしれないが……」

「どう考えても無理だろう」

 

 洛亜完のツッコミに今度は肩をすくめるに留める。

 そんなことは俺が一番わかっているのだ。

 新しいものが広まるときに起こる混乱をこの時代で完全に制御してしまおうなどと。

 

 現代ならば流通網があり、更に既に多くのものが溢れているので代替品があるので命がけで求めるようなことはそうはない。

 だがこの時代でやれば、多くの民がこぞって命がけで手に入れようとする可能性がある。 

 そうなれば大混乱だ。

 

「では、藍章よ。お前はそれを世に出すつもりはない、ということか」

「綿布と食は重要性が大きく違います。綿布は領地内に普及させますが、食については、しばらくは普及させるつもりはありません」

「ならばいつ世に出すつもりだ?」

 

 その言葉に、しばし考える。

 どう答えるのが一番丸いのか。

 

「……韓が、変わらぬことを必要としなくなったそのときには」

 

 俺の答えに、言わんとすることを理解した大王は目を閉じた。 

 つまり、そういうことだ。

 

 俺が今韓の臣をしているからこそ、これは世に出せないのである。

 なぜなら韓は、今のある程度安定した戦国七雄の力関係の中にのみ成り立っているからだ。

 これが何らかの原因で大きく激しく動いたとき、それに対抗する力がもっとも弱いのが韓なのである。

 

 綿布ならばせいぜい新しい布ですむが、食料関係はそうはいかない。

 飯は人類の根源である。

 衣食住なんていうが、この中で欠かせば確実に死ぬのが食なのだ。

 

 とはいえ、ここまでは俺の被害妄想、大げさな考えに過ぎないと言えば過ぎない。

 あるいは穏やかに中華に広がっていく可能性もあるかもしれない。

 

 だが、それでも激動を呼ぶ可能性があるならば避けなければならないのが、韓に所属するということである。

 あるいは他の六国ならば。

 多少の混乱程度あれど、気にする必要は無かったかもしれないが。

 その混乱は、韓にとっては致命傷になってしまうのである。

 

 故に、「韓が存続のために中華の均衡にすがる必要が無くなるまで」は広めることは出来ない。

 その日は韓が更なる力を得るのか、それともどこかに併合されて守ってもらえるように成るのかははわからないが。

 

「何年の後になるのだろうな……」

 

 力なく、他の大国との外交にしか生きる道を探すことが出来ない韓。

 その大王ですら、その力の無さを知り、嘆く。

 それに返す言葉は、俺も洛亜完も丞相も、持ち合わせていないのだった。

 

 

 

******

 

 

 

 その後食事を取りながらしばらく俺の領地に関する歓談を行った後に、いよいよ大王が本題を切り出してくる。

 

「藍章」

「はい」

「秦が魏の軍勢を打ち破り、魏火龍七師の呉慶が討ち取られた。次は、どこが動くと見る?」

 

 大王が俺を呼び出した本題がこれだ。

 もちろん数少ない俺との会話の機会を逃さない、というのもあるだろうが、それ以上に俺と俺の領地にある研究所の分析能力を頼みにしているのだ。

 

 大王の軍事顧問といえる立ち位置にいるのは洛亜完だが、その彼もあくまで将軍の一人であり、軍略家として国家規模の戦争や戦略、各国の目的の推測などが完全に出来るわけではない。

 言い方は悪いが、直近に起きた戦いに対する場当たり的な対処がせいぜいで、細かく分析をして将来に向けた最適解を選ぶ能力はない。

 

 そしてそういうのをやっているのが、俺や俺の領地の研究所である。

 

「まず燕と趙の国境での争いは変わらず続くでしょう。その上で大きく動くならば秦です。楚は黙らせることが出来ます故」

「続けよ」

「はっ」

 

 三人が見守る中、俺は部屋に用意されていた小型の中華の地図を卓の上へと運んでくる。

 こういうのは図を見ながら話した方が早いのだ。

 

「我らの周囲を見るならば、魏、秦、楚と国境を接し、趙とも場合によっては接します」

「うむ」

「そのうち魏は、先の秦との戦で魏火龍の呉慶と多くの兵を失い、大きく打って出る力が今はありません。加えて言うならば、それが出来る程の将もいません。せいぜい数万程度で城を一つか二つ狙ってくる程度、それ以上の思い切った侵攻は出来ないでしょう」

「だが魏には趙から廉頗が亡命しているだろ。あれが出てくるとは考えないのか?」

「そこは私も気になるな」

 

 洛亜完の問いに大王が同意する。

 流石にそれぐらいの情報は中央も掴んでいる、というわけか。

 そもそも韓は外交と他国とのパワーバランスのゲームに勝利し続けて今もなお七雄の一角に居座っている国だ。

 その諜報網は、おそらく他国と比べても更に広い。

 

 そして俺もそれとは別の形で諜報網を広げまくっている。

 情報戦で負けることはそうそう無いはずだ。

 

「どうやら魏で流れている噂によれば、廉頗は魏王に疎まれているようです」

「ほう、では出てこないか」

「いや、出てくる。ただしそれは、ここぞというときだけだ。私はこの廉頗と魏王の不仲を、他国を欺くための謀だと見ています。魏王は廉頗を追放した趙王と違って暗愚ではありません。廉頗という鬼札が手元に転がり込んできたなら、例え気に入らなくても使うでしょう」

「ならば警戒する必要があるのではないか?」

 

 その言葉に首を振って、俺は複数の人形を地図の上に並べる。

 

「今すぐにはありません。廉頗は魏にとって鬼札です。切る場面は選びたいはず。加えて、廉頗と魏王の不仲説が流れているのを考えると、韓を攻めるために廉頗が出てくる可能性は低くなります。仮にこの不仲説が本当ならば、たかが韓を攻めるときに廉頗を呼ばないでしょう。使うのは魏が秦か趙に攻め込まれて絶体絶命になるときか、あるいは秦、趙、韓のいずれかを確実に滅ぼせるときぐらいでしょう。逆に不仲説が嘘であっても、それはすなわち廉頗を使うという事実を隠しているということ。であれば、やはり韓を攻める程度で手札はさらさないはず。秦や趙といった強敵を粉砕するときこそ、その封が解かれるはずです」

 

 説明を終えて人形を起き、視線を上げると、三人が微妙な表情をしてこちらを見ていた。

 

「何でしょうか?」

「……そなたが歯に衣着せぬ言い方をするのは知っているが、あまり我が国をけなすような発言をしてくれるな」

「……はっ、以後気をつけます」

 

 うぬん、やはり韓を下げる発言はあまり良くなかったか。

 だが実際韓が弱いのは事実だ。

 だからこそ相手の戦力や思考が読みやすくなるのだが、とはいえ言われて気分が良いものでもないのだろう。

 

「以上の理由から、魏は一時的に停滞するでしょう。秦に反撃に出ることはあるでしょうが、こちらへの攻勢は弱くなるかと」

「そうか。ではその秦はどうだ?」

「秦こそ今警戒すべき国です」

 

 そして次がこの国。

 俺が一番警戒している国である秦だ。

 

「秦の目線で話しますが、今秦にとって脅威になる敵がいません。趙は廉頗なきあと大軍を率いる将が存在しません。一応邯鄲の防衛に燕との国境から扈輒大将軍が呼び戻されたようですが、これはおそらく王都圏の防衛隊です。外に打って出ることは無いでしょうし、そもそも秦は燕と戦っていた扈輒将軍を良くは知らないでしょうから、警戒もしていないでしょうが。次に魏も、先程言った通り今すぐ秦を攻める力はありません。趙、魏の国境沿いに先の戦いで魏を打ち破った麃公将軍をおけば抑えとして十分となります」

 

 そう言いながら、駒と人形を地図の上にポンポンと並べていく。

 

「となれば、秦と接する残り二つは我ら韓と、南の大国楚です。大将軍など複数の大駒を失った魏、趙と違って、秦には未だに麃公、張唐、蒙驁、一線を退いていますが王騎、武一辺倒の猛将蒙武と、他国を大きく攻めるのに十分な人材が複数残っています。となればおそらく、趙、魏が停滞するこの隙に秦は動いてきます」

 

 俺がそういうと、聞いていた洛亜完が駒を一つとって、その先端を韓に向けて地図の上に置いた。

 

「韓に来るか」

「だろうな。四国でどこが攻めやすいかなど目に見えている」

「困ったものだな」

 

 洛亜完も、ここまで来れば容易く話が読める。

 この状況で動かない理由が秦にはない。

 

「だが楚は脅威であろう?」

「秦の南には南虎塁があります。そこに先に上げた大将軍を一人配置すれば、楚が攻め込むにはよほどの大軍が必要となるでしょう。そして楚は燕を除く五国と接する大国。秦を滅ぼすほどの覚悟を持って攻め込むならば、他の四国が逆に楚に侵攻します」

「……では、秦が攻めてくるか」

「その可能性は高いかと。あるいは趙や魏を攻める可能性もありますが……備えておくべきだと考えます」

 

 今の状況がやはり色々と終わっているのだ。

 中華は各国同士のパワーバランスによって、どこかに大きく攻め込むときには他から攻め込まれるという状況が常に生まれることで大きな侵攻が起こりづらい状況になっていたのに、この状況だ。

 魏と趙が勝手にパワーダウンしやがったせいで秦がフリーになり、そのツケがうちに回ってくることになってしまった。

 

 趙とか魏を攻めてくれればいいが、どこが一番攻めやすいかって言ったら間違いなくうちだ、という判断をするだろう。

 なんせうちが一番の弱兵だし。

 表に出てる韓の軍は基本的に力不足なやつばかりだ。

 俺のところや洛亜完の下には精兵もいるが、そいつらはそうそう前線に出ないか噂にならない。

 

「秦に対する対策は会議で話し合う。それで、楚についてはどうだ?」

「楚についてはそろそろ一度戦を終わらせるべきかと」

「勝っているのではないのか?」

「楚のあれは、楚の国力を考えればまだ小手調べの段階です。しかし下手に撃退し続けると、あちらの大国としての矜持に火をつけてしまう可能性があります」

 

 先日楚とやった戦もせいぜいがこちらが三万五千、楚が四万程度。

 韓としてはそれでもかなり大きな兵力だが、楚からすれば本当に容易く起こせる小手調べ程度の兵に過ぎないだろう。

 

「……それについては文官の仕事だな。丞相」

「はい。楚との停戦について会議を持ちまする」

 

 だが小手調べにちょっかいをかけてきた程度でしか無い分、贈り物なんかで利益を与えてしまえば相手の溜飲も下がる。

 下手に出るのは屈辱と言えば屈辱だが、理由付けはなんだって出来るし、韓はそうやってずっと生きてきた国だ。

 そのあがきを賞賛こそすれ、恥ずかしく思うはずがない。

 

「他に留意しておくべきことはあるか藍章」

「……対秦の献策でもよろしいですか?」

「構わぬ、言ってみよ」

「では、秦と真っ向から戦うのを避けるべきだと私は考えます」

 

 地図の上の駒を一度全てどけて、韓に侵攻する秦の軍を置く。

 

「ではどうする? ほしいだけ土地をくれてやるか?」

「いえ、前線では強力な防衛を行わずに──」

 

 そのまま秦の駒を侵攻させると同時に、南側から迂回した駒で、秦軍の退路を断つ。

 

「引き込んだ後に出口を塞ぎ、やせ細らせます」

「……意味がないな。それでもある程度戦えるぐらいの兵糧は持って移動しているはずだ。後ろを塞いでも新鄭まで迫られては意味がない。それなら出来る限り浅いうちに戦った方がましだ」

「韓だけで戦うならばもちろんそうだ。だが秦の侵攻を、韓が単独で跳ね返すのにどれほどの労力がいる?」

 

 洛亜完にそう逆に問いかけると、大王が駒を二つ取り上げて、静かに地図の上に置いた。

 それぞれに、魏と趙の上に置かれる駒。

 

「趙と魏の援軍、か」

「はい。このとき侵攻直後に韓単体で秦軍にぶつかれば、韓は大きな被害を受けてしまいます。そしておそらく戦力差で打ち破られる。しかし引き込み、そこで魏、趙の援軍とともに戦えば被害を減らすことが出来ましょう。更にこのときに出口を塞ぎ敵の兵站を断っていれば、秦は焦り撤退するか、あるいは無謀な戦いをして崩壊することも考えられます。場合によっては戦わずに撤退させることも出来るでしょう。その間に後方の城を抑えておけば、新鄭に迫られるどころか、奪われた土地すら取り戻すことが可能です」

 

 俺の説明に、洛亜完が腕を組んで唸る。

 

「……確かに一見理に適っているが、机上の空論だ。うまくいかなければどうする」

「どうせ俺の策がそのまま通るはずも無い。後はお前が中心になって検討しろ。それに策がうまく行く保証なんていつも無いだろうが。だが今の秦には六将はいない。戦の形が変わったときに、六将のようにそこから戦を展開するようなことはない。それにこの策の肝は韓が単独で秦とぶつからないことだ。ぶつかってしまえば大きな被害を受ける。二国の援軍が来るまで前線を下げつつ、下げた分の前線を敵が去った後に奪い返しておこうと、それだけだ」

「秦と戦わない気か」

「韓にとってはそれが一番良い。あるいは俺に大軍を預けてくれれば真っ向からやり合ってみるが、どうだ?」

 

 俺の言葉に今度は洛亜完が肩をすくめて鼻で笑う。

 俺の中央からの信頼度でそんなことが起こるはずが無いのだ。

 

 これが六将がいたら、入り込んだ場所にそのままどこかを占拠して拠点を作り、更にそこから戦を展開するようなこちらにとってはたまらない馬鹿をやらかす可能性が高い。

 だが今の秦にその制度は存在しない。

 そんな状況で侵攻中に兵站が断たれ出口が塞がれたとなれば、本営は後退させる、という選択を取るしか無い。

 

 そしてもちろん出口を塞いだ韓が、そんな伝令を通すはずもない。

 結果秦軍は、自分たちで撤退か続行かを選ぶことになる。

 そしてそこで続行を選ぶことが許されるのは、かつての六将のみ、

 今の大将軍ならば撤退を選ぶしか無い、というわけだ。 

 

 自力で敵を粉砕出来ない、というのは情けなくはあるが、韓という国の国力はそんなものだ。

 

「心にとめておこう」

「ありがとうございます」

 

 取り敢えず大王も、聞くだけは聞いてくれたらしい。

 とはいえ敢えて敵の侵攻を許すという奇策なので選ばれる可能性は低いだろうが。

 普通に考えれば、兵を集めてぶつけて跳ね返すのが普通の防衛戦だ。

 

 厄介なのは、秦が十五万以上連れてくるとそれを受ける韓の兵が枯渇しかねないということだ。

 

「他にはあるか?」

「ではあと二つほど」

 

 ついでに会う機会も少ないし、伝えておくべきことは伝えておこうと思う。

 

「一つ目は戦争に赴く軍の偏りです。私の軍や領地の民が戦に出ることに不満はありませんが、出来れば他の地方からも兵を徴兵して戦わせるべきだと考えます」

「……洛亜完はどう思う」

 

 そこで俺に聞かずに洛亜完に問いかけるのが、大王の俺と洛亜完に対する信頼の差を示している。

 まああっちは韓第一将にしてずっと大王の軍事的補佐をしている将軍だから、その差はむしろ妥当だとすら言えるだろう。

 俺も一応信用されているとはいえ、それは戦略眼だけだ。

 

「藍章が気にしているのは兵の練度でしょう」

「……なるほど。藍章の領地の者たちばかりが戦に強くなるということか」

「はい。私の兵も練兵は重ねておりますが、民から徴兵する一般兵は実戦が無ければ戦う経験が積めませんからな。それを全て藍章に任せていると、有事の際に他の一般兵が戦えないような事態になりかねませぬ」

 

 流石に洛亜完はわかっているらしい。

 嫌がらせ半分で俺と俺の領地の兵達に戦わせるのは良いが、それでいざ国家存亡の危機、となったときに戦えるのが俺の領地の民だけではお笑い草だ。

 

 ならば、数少ない戦の機会で、少しでも徴収兵に戦を経験させて置くべきなのだ。

 

「もう一つはなんだ?」

「はっ。秦の次の侵攻先ですが、山陽を狙いに来た場合には、警戒が必要となります」

 

 山陽、と突如として魏国の地名が出したが、大王はわずかに知っているものの詳しくは知らないらしい。

 一方洛亜完が完全に把握しているのは、流石に軍人ということだ。

 

「洛亜完」

「はい。魏西部にある中華の要地です。これを奪われれば魏は大きく後退しましょう」

「……その山陽が、何かあるのか?」

 

 大王の問にコクリと頷き、俺は駒を山陽の地に置く。

 

「秦が本当にそこまで狙っているのかはわかりません。あるいはただ選んだだけで意味が無いかもしれません」

「もったいぶるでない。率直に言わんか」

 

 こういうとき丞相はちょっとうるさい。

 せっかく人が大王と会話しているというのに、先を急げとせかしてくる。

 だが部下に指示するならともかく、内容を理解してもらいたい大王相手には長くなるのも仕方ないというものだ。

 

「秦が中華の統一を目指すならば、その過程で大きく意味を持つのが山陽という土地です。故に、秦がこれを狙うようならば大きく警戒をしてください」

「……それほどか?」

「あれはそれほどの土地だ。間違いない」

 

 俺一人の予想だけならば断言はしなかっただろうが、その俺の予想に基づいて軍略研究所で幾度も行われた模擬実験が、秦が山陽を取ると碌なことが無いと言っているのだ。

 様々な可能性を試してもやはり駄目だった、ということが示された以上は、それはもう事実と言って問題が無いはずだ。

 

「わかった。山陽については目を配っておくことにしよう」

「ははっ、ありがとうございます」

 

 大王に拱手で礼を示す。

 こんな胡散臭い存在の意見をちゃんと聞き入れてくれる韓王は、本当に器が広い人物だと思う。

 これもう少し儒家以外にも理解があればね……。

 

 ぶっちゃけ軍事の話とか農業の話は結構あうが、俺の領地で施行してる法の話になると途端に機嫌が悪くなってしまうのだ。

 

 取り敢えずここからは、そこに触れないように話して行くようにしようと思う。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 翌日、一晩新鄭にある自分の屋敷に泊まったおれは、再び王宮を訪れていた。

 大王との用事は全て昨日のうちに済ませてある。

 今後の中華の動きなどの軍事関係の話から、様々な農地改革などを成功させつつ在る俺の領地の発展の話など、様々なことを話した。

 王も文官達の手前俺のやり方に賛成できるわけではないが、成果の出ている農業関係の研究などはいずれ国に広めたいというつもりでいるらしい。

 

 今日はその大王本人ではなく、王族の一人である韓非子が俺に用事があるということで、俺は宮殿の一室に案内されていた。

 なお本殿とは別の宮殿には多数の部屋があり、文官が仕事をしていたり、こうして地位の高い者たちの会合の場となったりする。

 

 さておき、来ると言っていた韓非子がなかなか来ない。

 とはいえ、この時代である。

 まだまともに時刻を表す言葉すら使われていないような時代だ。

 

 一刻で十五分程度を表したりはするものの、待ち合わせともなれば時間指定ではなく、先に来たものが後から来るものに使いをやってその場で待つ、という形が多い。

 例えば「〇〇前に○時集合」などというのは、この世界では成立しないのである。

 せいぜい正午とか夕刻とか朝とかそれぐらいだ。

 

 そんなことを考えていると、ようやく外から韓非子らしき足音が近づいてきた。

 なお他の文官との足音の違いは、文官が急ぎ足なのに対して、韓非子がいささかゆっくりな点だ。

 

 扉が開けられて、何度か見たことのある顔が見えた。

 実のところを言えば、俺が基本的に新鄭に近寄らないので、会った回数はたいして多くない。

 が、どうもこの時代には珍しい細く童顔な顔つきは簡単に覚えることが出来た。

 

「お久しぶりです、韓非子様」

「ひ、ひさしぶり、だ、だね、あ、藍章将軍」

 

 部屋に入ってきた豪華な服を来た人物。

 彼こそが、韓の王族であり、同時に遥か未来にまで届く書を記した伝説の法家、韓非子である。

 以前初めてあったときに絡まれて以来、何かと機会があれば話しかけてくるようになってしまったのだ。

 

 俺は正直法律関係の話は、性善説性悪説なんかの哲学ではなく、実際に使える法としての形の方に興味があるので、彼との話はあまり噛み合わないのだが。

 俺は「法が必要である」という前提に立っているのに、彼は「そもそも法は必要なのか」という話をしてくるのだから、そりゃあ噛み合わないわけである。

 

 哲学は他所でやれ。

 と言いたいところであるが、残念ながら公子なので雑な扱いをするわけにもいかない。

 

「今日は一体どのようなご要件でしょうか?」

「うん。わ、私も、あ、あなたの、り、領地に行きたいと、お、思ってね」

 

 いきなり何を抜かすのかこの公子は。

 という思いを視線には込めないで、冷静に答える。

 

「私の領地ですか。しかし何も無い場所ですが」

「あ、あなたの、り、領地は、ほ、法が、し、施行されていると、き、聞いた。わ、私も、じ、実際に、ほ、法が使われる、ば、場所に行きたいんだ」

 

 その言葉だけで韓非子の言わんとするところがわかってしまうのが厄介だ。

 わからなければわからないフリをして無視が出来たものを。

 

 つまり、この法の怪物韓非子という男は、俺の領地の奴らを除いて誰よりも深く法について知っているにも関わらず、政で活躍することが出来ていないのである。

 だから、もっと活躍できる場所、いや、彼の目的を考えるならば、実際に法が施行された場所の様子を観察し、より良い形の法を作る参考にしたい、とそう言っているわけだ。

 

 そしてこの韓において、それに相応しいのは俺の領地だけである。

 そもそも名家や中央の連中に儒家思想が強くはびこる国なので、それと対立する形になる法家思想なんてもってのほかなのだ。

 韓非子が認められ、また己の知的欲求を満たすことが出来る場所は、一つしかない。

 

「……大王様はなんとおっしゃっているので?」

「だ、大王様は、お、お認めに、な、なったよ。お、お優しい、こ、ことだ」

 

 体の良い厄介払いだ、とは口にしないが、そう思っているのがまるわかりの言い様である。

 優男然として平気で毒舌を吐くのが韓非子という男だ。

 いや、毒舌ではなく、耳に痛い真実、とでも言うべきか。

 

「わかりました。では韓非子様を我が領地へとご案内します。ですが何分大したものの無い領地ですから、大きな歓迎など出来ませぬが……」

「あ、ありのままの、り、領地の、よ、様子が、み、見たいんだ。へ、変に歓迎、な、なんてしないで、ほ、ほしい」

「承知しました。ではご準備の方は」

「も、もう済んで、い、いるよ。そ、外に、ば、馬車を待たせてる」

 

 なんとも準備が良いことで。

 というか俺が来る前から既に大王と韓非子の間では話が出来上がっていたな。

 公子なんてデメリットにしかならないから抱えたくは無かったのだが。

 逆に公子だからこそ、ここまで頼まれてしまえば断ることは出来ない。

 

「では、参りましょうか」

「よ、よろしく、た、頼むよ」

 

 こうして俺の領地にまた一人、史実では法家の怪物として名を残した傑物が加わることとなった。

 これ研究所に入れてやらないと駄目だろうか。 

 隠しておいたらばれなかったりとか。

 

 

 

******

 

 

 

 

 韓非子とともに、韓非子が馬車を待たせている外に出ると、その馬車の手前でまだ十に届くか届かないか程度の少女が立っていた。

 着ているものは非常に高価な見た目をしており、それだけでその少女がどんな身分の人物なのかわかろうというものだ。

 

「韓非子様、お見送りがいらっしゃる様子ですが」

「こ、困った、ね。か、彼女は、つ、連れてはいけない」

 

 お前の責任だろうがどうにかしろよ、と暗に言ったにも関わらずなめらかに流されてしまった。

 まったく、本当にいい性格をしている。

 法律を考えるやつはこれぐらいしていないとやっていけない、ということだろう。

 

 こちらを睨みつけていた少女は、俺と韓非子が馬車の側まで近寄ると俺の方を睨みつけながら言ってきた。

 

「韓非子様を連れて行っちゃやです!」

「は、申し訳ありませぬ寧公主。しかし、韓非子様がどうしてもとおっしゃるものですから……」

「だめなのはだめ!」

 

 そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまう。

 放っておけば良いと言えば良いのだが、相手は公主。

 立場としては韓非子に近い存在で、俺などからすれば一応雲の上とまではいかないがかなり上の存在である。

 

「(おい、なんか言ってうまいこと言えお前)」

 

 もうこの辺りで韓非子に敬語を使うのが面倒くさくなって、俺は彼に敬語抜きでそうささやく。

 どうせこれから領地に来て色々見て回られるのだからこの扱いで良いはずだ。

 それを聞いた韓非子はこちらを見てわずかに微笑んだ後、寧公主の前にしゃがんで言った。

 

「わ、私は、ご、五年で、す、全てを学んで、か、帰ってくる。そ、それまで、ま、待っておいて、ほ、ほしい」

「……でも韓非子様がいないといやだもん」

「で、では、それまでに、わ、私が、し、記した韓非子の、し、書を読んで、お、おいてくれ。わ、私が考えたことと、ほ、本当の世で、お、行われた法が、ど、どう違うのか。そ、それを話せる、よ、ように」

 

 韓非子の言葉に、少ししてから寧公主は頷いた。

 内容の全ては理解していないが、韓非子から何事か頼まれた、ということで満足したのだろう。

 子供の扱いはうまくいくと途端に簡単になるのだ。

 

「では、行きましょう韓非子様」

「う、うん。い、行こうか」

「韓非子様、きっと帰ってきてくださいね! きっとですよ!」

 

 そういう可愛らしい少女に見送られて、馬車にのった韓非子と、部下が連れてきた馬に乗った俺は、王宮を後にするのだった。

 




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