最弱の国の隠れた名将に   作:韓人

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第8話 秦 侵攻

 韓非子を俺の領地に連れて帰ってから半年近く。

 今日もまた執務をしている俺のところに、韓非子が法の草案を持って詰めかけてきた。

 

「あ、藍章、あ、新しい、そ、草案を、つ、作ったのだけど、ど、どうかな」

「だから俺は法の専門家じゃないとあれほど……というかまた細かい法作ってきたな。もっと簡略化した上で包括したような法にはならんのか? こっちの文言をここに入れたりとかで──」

「そ、それでは、だ、だめだ。げ、厳格に、さ、定めて、おかなければ」

「厳密に定めるのは良いんだよ。ただもっと民がわかりやすいような簡単な文言にだな──」

「し、しかし、そ、それでは、あ、あるべき、ほ、法の形を──」

「民の教育が追いついて──」

 

 こんな言い合いも、ここ最近は日常茶飯事である。

 

 領地に来てしばらくの頃はまだ大人しかった。

 うちの領地をしばらく見て回っては施行されている法や、それに基づいて都市の運営をする文官や裁きを行う裁判官などを見て回りながら思索を深めたり、自分に与えられた屋敷でそれを木簡にまとめたり。

 

 それが変わったのはやはり、あの場所の存在について韓非子が気づいてからだろう。

 

「あ、藍章、き、君の、り、領地の、ひ、秘密の、が、学問所に、ぼ、僕も行かせて、く、くれないだろうか」

 

 ある日の領地をあげてのちょっとした祭りの日に、久しぶりに出会った韓非子に開口一番そう言われたのである。

 

 どうも韓非子は、俺の領内の民の話を聞く中で、特に法の運用に携わる文官や裁判官などの法に対する理解を試すとともに、その師が誰なのかをさりげなく尋ねていたようなのである。

 当然最初は諜報などではなく単純により法について問答が出来る相手を求めてのことであったが。

 

 もちろんそこは俺もちゃんと考えていて、本当に深く学ぶ必要のある軍師などではなく、ある程度の理解と運用能力さえあれば十分な文官達については、あの軍略研究所を置いている甘青という城邑とは別に、普通の城邑の中に文官や育成するための学問所を何箇所か置いている。

 これは文官に限らず戦術を学ぶ兵士も同様で、一定の知識で十分な連中はそちらで学ぶようにさせている。

 

 そのため、文官達や兵士たちの師を辿ったところですぐに甘青にはたどり着かないようになっているのだ。

 

 だが韓非子は、そこで授業の内容を見て違和感を覚えたらしい。

 この領地で運用されているそれなりに洗練された法からすると、教えているものの知識が足りない部分があったり、また木簡の記述を参考に教えている部分がある。

 これはつまり、この教師すらもまた、誰かから教えを受けている、あるいは教える内容の指示を受けているのか。

 

 そう考えて色々と話を聞いて回っているうちに、何か俺が隠している場所がある、そしてそこでは法や軍略に関する研究が行われているはずである。

 そこまで韓非子は確信を抱いたようだ。

 

「流石に諜報部の顔をやってたようなやつは調べ方の出来が違うな」

「す、すまない」

 

 別に嫌味程度に言っただけなのでそんな気にしなくて良いんだけども。

 しかし取り敢えず、法関連の知識に詳しく領地全体を見て回る余裕と権力がある奴が来ると甘青の存在もばれてしまうことがわかった。

 とはいえ甘青で生み出した知識を中で使わないわけにもいかないので、更に厳重に不自然にならないようにするしか無いのだが。

 

「まあ、お前なら良いか。連れて行ってやるよ」

「あ、ありがとう、あ、藍章」

 

 その後韓非子をあの軍略研究所に隣接して立つ法学研究所に連れて行った。

 ちなみに軍略研究所のあの大規模模擬実験設備だが、使い方次第で法を新しく施行したしたときの民の反応や国の動きであったりを模擬実験することも出来る。

 

 そういったところで他の研究者達とより思索や新しい法に対する考えを仕上げた韓非は、その身分故にあそこに閉じ込めっぱなしにしているわけにはいかないという特権もあって、時折出てきては俺に論戦をふっかけてくるのである。

 

 なぜ俺なのかといえば、以前俺が彼を言いくるめたことがあるからだろう。

 もう随分前の思い出だが、性善説だ性悪説だのという話をする彼に俺の考えを叩きつけたことがあるのである。

 

 それを未だに引きずっている、というか本人としては議論として楽しかったと思っているのだろう。

 

 

 

 そんな韓非子とのちょっとした議論の最中、一人の男が、複数人の文官と兵士に抱えられるようにして、俺と韓非子の元まで連れてこられた。

 ちなみに俺は、祭りを見るために城邑の中心部の城の中でも外が見渡せる位置に一人でいたため、ここまで連れてくるのはいつもの執務室よりも大変だっただろう。

 

「で、伝令!」

「話せ」

 

 俺も韓非子も、互いに毒を吐きつつも和やかだった空気から一辺、ぴりついた表情をする。

 支えが解かれて荒く息を吐きながらも、礼の姿勢をとった男が話し始める。

 

「秦の軍勢およそ二十万が国境線を突破! 韓内部へと侵攻してきました!」

 

 その言葉に一瞬ざわつきそうになった護衛の兵や文官らを軽く挙げた右手で抑えて、伝令に続きを促す。

 

「俺たちに何か指示はあるのか?」

「はっ。『藍章将軍以下鎮央(藍章の領地)の軍六万にて、藍章将軍の策の通りに敵退路を塞がれたし』とのことです。また『時期を合わせるために少数ながら将と兵を送る』ともおっしゃっていました」

 

 ほう、と思わず眉が上がる。

 あの良く知らない者からすれば恐怖でしか無い策を本営が選択したのか。

 洛亜完がうまく説得したのか成恢か、あるいは存外奴らも度胸があったか。

 いずれにしろこれで国力をそこまで削られずに撃退することが出来そうだ。

 

 一方で、将と兵を送る、とあるが、これは俺に実績を残させないための措置だろう。

 俺が何かしら実績を残しても、その場にいたということで送られてきた将軍と兵にくれてやることが出来てしまう。

 まあ俺はそういう意味での戦果とか褒章には興味がそこまでないので、邪魔をしないでいてくれるならばそれでいい。

 

「敵将は?」

「判明する前に私は発ちましたので詳細は……不明です」

「そうか」

 

 出来ればもう少し余裕を持って、敵がわかってから来てほしかったが……。

 とはいえ俺の領地である鎮央から軍を起こして秦との前線に向かうにも数日はかかる。

 そのことを考えると少しでも早く発ってほしかった、というところだろう。

 

 それに将自体は、向こうがちゃんと伝令を出してくれれば後からでもわかる。

 流石に洛亜完あたりはその辺りの重要性を認識してるから出してくれるだろう。

 

「城にいる将達を急ぎ招集せよ! 他は兵とともに元甲(がんこう)に集結させろ! 残すのは最低限の防衛隊だけだ! 兵数六万を常備軍中心に集めよ!」

「「「はっ!」」」

「それと誰か伝令殿に水と食事を出してやれ」

「はっ」

「文官長に後は任せると言っておけ。今回は紫詠も連れて行くぞ」 

「はっ」

 

 指示を出した後は、俺も出陣の用意をする。

 まずはお湯で濡らした布で体を拭い、服を着替える。

 そして使用人に手伝って貰いながら鎧を装備し具足を履き。

 兜と仮面、武器は親衛隊の兵士に渡して持っておいてもらう。

 

 準備を終えて軍議の間へと向かうと、既に何人かの将達が集まっていた。

 今日は祭りの日ではあったが、秦の侵攻の可能性を懸念して、ここ一月ほど将達にはいつでも行動を起こすことが出来るようにと頼んでいたために、俺の伝令から即座に動き出したか、場合によっては既に備えをしていた者たちだろう。

 

 ちなみにこういった場面で集めるのは三千人将以上の将達と決まっている。

 それ以下の千人将や二千人将には、移動中、もしくは移動先で指示を出す方針だ。

 そもそも数万単位の軍となると、千人将程度では戦の全容がまったく説明されないなんてことも普通にあるのである。

 俺は今は千人将の人間にも思考力を養ってほしいので説明はするようにはしているが。

 

 しばらくして中梁にいたであろう者たちが集結した。

 なお番香や俺と紫詠以外の階級将軍など一部の将達には中梁内の屋敷とは別に城をそのまま一つ与えていたりするので、この場に集合していない者たちはここに来るのではなく、兵とともに西に軍を送る際の拠点となる元甲へと向かっているはずだ。

 俺たちもここで軍議をした後すぐにそちらに向かい、合流することになる。

 

「皆揃ったようなので軍議を始める」

 

 俺の言葉に、めいめい話したりしながらもこちらに意識を向けていた将達が一気に静まりかえる。

 この切り替えの早さ、見事なものよ。

 

「秦軍二十万が我が国への侵攻を開始した。我が軍六万は楚方面よりこれと接触することなく迂回し、敵が落とした後の城を奪還して敵の退路を塞ぐという命を受けた。けして敵軍にバレてならんゆえ、全軍に気をつけさせろ。場合によっては多少楚領を通過しても良い。どうぜ国境線ギリギリには城も無い」

「将軍」

 

 俺が言葉を切ると、すかさず声が上がる。

 

「二十万の敵に対して、我らも中央の軍とともに戦わなくて良いのですか」

「しかり! 退路を塞いでいる間に新鄭が落とされてでもしたらたまりませんぞ!」

「新鄭の方は中央の軍と趙、魏の連合軍であたることになる。敵の侵攻速度によっては、敵の背を塞ぐことで敵を迷わせ、その進軍の足を遅らせるのが俺たちの一つの役割となるだろう」

 

 本当ならば、中央軍及び趙、魏連合軍と秦軍が接触しそうな距離で後方が塞がれたという報が入るのが理想的だ。

 そうやって焦り混乱した敵をこちらの連合軍が殴り、更に撤退する背を追い打ちする。

 そして退路を塞いだ俺の軍とで挟撃して殲滅。

 完全勝利だ。

 

 だが、相手の進軍速度次第ではそうも言ってられないだろう。

 趙、魏の援軍が間に合わなければ意味がない。

 そうなると、順序を入れ替えて俺たちが敵の退路を塞ぐ時期を早める可能性もある。

 

「そうなれば、我らが引き返した敵軍と交戦する可能性もありますな」

「俺もそう考えている。敵軍は二十万。これで韓に侵攻するならば、二つか三つに軍をわけているだろう。俺たちが敵の退路と兵站を塞いだ場合、このうちの一つ、およそ六万から十万が戻ってくる可能性がある」

「その場合は戦うのですか?」

「本営からの指示はない。が、俺の考えを言うならば、敵全軍が後退を始めるまでは戦うことになる。あるいは敵が全軍で後退を始めるならば、直前まで後方の連合軍と挟撃する構えをしつつ戦わずに撤退する」

 

 結局のところ今回の戦いは真っ向からやり合うためのものではない。

 いかに相手にやりづらい状況を作り、撤退したくなるような状況を作り、時間を稼いで下がらせるか。

 そういう作戦だ。

 

「少々複雑な作戦となりそうですね」

「戦にならんのはつまりませんぞ、将軍!」

「うるさい田楽。流石に二十万は無理だろうが。敵の一部だけが兵站と後方を開放するために引き返してくるのを祈ってろ」

「では、私も祈っておきましょう。秦との戦は相当に久しぶりですからな」

「おお、岳羽殿も! やはり強大な敵と戦うのが一番滾りますからなあ」

「そうだそうだ。楚の奴らはどうも歯ごたえが無くていかん。秦の奴らは歯ごたえがあって欲しいものよ」

「滾る戦の後で飲む酒はたまりませんからな」

 

 どうしてこうもうちの将達は皆好戦的なのだろうか。

 やはり俺がそもそも好戦的過ぎるせいか?

 多分そうだろうな。

 好戦的な将が軍を作り上げ育てれば部下たちまで好戦的になるのは当然のことだ。

 

 その後いくらか打ち合わせを行い、我が軍の行動方針を定めていく。

 敵が確保した後の城はどういった順序で落とすのか、何人程度かけるのか。

 誰の隊が敵伝令に対する封鎖をするのか、誰の隊が敵兵站を狙って潰すのか。

 

 多くの取り決めが終わったところでいよいよ出陣だ。

 

「では、皆武運を祈る!」

「「「「「ははっ!」」」」」

 

 バシリ、と拱手の際に打ち付ける拳の音が声とともに響く。

 俺はこの瞬間がたまらなく好きだ。

 

 

 さあ、戦をしよう。

 

 

 

 

******

 

 

 

《藍章軍 行軍中》

 

 

 元甲で軍と合流した藍章らは、すぐさま移動を開始した。

 情報統制が万全どころではなく整えられた鎮央を発した軍は、一路楚との国境沿いへ向けて南下を開始。

 秦と韓の国境線からまっすぐ東に向かって進軍を行っているだろう秦軍に対して、楚国境沿いを大きく迂回して、敵の背後に回り南側から敵の退路を断とうという狙いだ。

 

 北側は魏、趙の援軍が考えられるため、秦の諜報も十分に行われている可能性がある。

 それを考えての、楚側に突出している南からの迂回だ。

 

 六万もの軍を南下させれば楚を刺激することになりかねないが、そこは中央からもほとんど切り離されて情報統制が行われている鎮央、軍の起こりすらも楚に悟らせることは無かった。

 それは、これまで藍章と中央の文官達が、対立しながらも共に藍章とその軍の存在を隠し続けてきたおかげであった。

 

 そうやって静かに行軍した藍章とその軍が、三つに分かれた秦軍が最初に落とした三つの城の南にあたる地域に到着したのは、秦の侵攻が始まってから三週間後。

 秦軍主力の蒙驁軍が、当初の目的であった安方を攻めようとしているまさにそのときであった。

 

栄博(えいはく)殿、中央からの伝令はなんと?」

 

 三つの城からは見えない位置に軍を隠した藍章は、少数を率いて城の確認に向かっていた。

 その城を遠目に見ながら、中央から送られてきた武官、階級としては将軍であるらしい栄博に尋ねる。

 

「すぐさま安朱、高右、南処の三城を奪還するように、と。あの、ほんとにそんなことが出来るのでしょうか」

「やれというならばやるしかないでしょう」

 

 それにどうせこれは、確実に取り切れ、というよりは敵の気を引いて行軍を遅らせろ、ということであろう。

 相手がどの程度の守りを城に置いているかはわからないが、藍章の放った斥候によれば、敵軍が大きく減っている様子は無いらしい。

 ならば兵力はない、攻め続ければ落とせはするはずだ。

  

 敵が転進してくるか、他の城の守りの兵まで出てくるならば野戦に切り替えてしまえば良い。

 

「高右から順に行きましょう。栄博殿は後ろで控えておられよ」

「う、うむ。しかし私も──」

「栄博殿には奪還した城に韓の旗をつきたてていただきますので」

 

 この栄博という男、階級は将軍で中央から連携のために、と送られてきた男である。

 だが実際のところは、将軍ほどの実力などとても無いし、将軍として軍を率いた経験も形だけしか無い。

 ただの地位を飾りにしただけの人間だ。

 

 そういう将軍が時々いるのが、今の韓という国の実情だ。

 実力主義を国として大々的に挙げている秦とは違い、韓では未だに、名家の箔付けで軍が使われ、使い物にもならない将軍が量産されていたりするのだ。

 

 とはいえ強く言えば一切口を出してこないだけマシである。

 これで変に口を出してくるならば、藍章は適当なところで戦死させるぐらいのことはするつもりだったのだ。

 戦の邪魔をする馬鹿を、藍章は嫌うのである。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 《藍章視点》

 

 

 密かに行軍するためにそれなりの時間をかけて、山野の中を移動してきた。

 お陰で楚にも秦にも感知されることなく、目の前には秦に奪われた城がある。

 そしてこれに秦軍は気づいてはいない。

 

 一つ懸念があるとすれば、韓に奪われた城の民の殆どを、事前からの計画で城が攻められる前に韓中央の方へと逃していることぐらいか。

 それ自体はこちらの城攻めがしやすくなるので良いのだが、今回韓に侵攻してきたのは蒙驁の軍である。

 その副将には、あの得体のしれない王翦と桓騎がいる。

 

 ちょっとした違和感から気づかれて対策をされている、なんてことが無ければ良いのだが。

 

「城攻めを始めるぞ。全軍前進」

「全軍前進だ!! 速やかに高右を包囲せよ!」

「全軍前進ーー!!」

 

 俺の指示が周囲の兵たちによって軍全体へと伝わっていく。

 丘の影から出現した俺の軍に、ようやく気づいたのか高右の城壁の上が騒がしくなる。

 真面目に索敵してればいくら丘の影に入ったとはいえ数万の軍、気づくことは出来ると思うが、完全に油断していたのだろう。

 

 そのまま何をさせることもなく、俺の軍が高右を包囲する。

 時折散発的に矢が飛んでくるが、今のところ抵抗らしい抵抗はそれぐらいだ。

 

「始めろ」

「第一部隊前進ーー!! はしごをかけるぞー!!」

「前進ー!!」

 

 俺の合図が伝わって、正面に位置する俺の軍と、側面の番香と岳陵の部隊、そして反対側の紫詠の部隊が前進を始める。

 それに応じるように城壁からそれなりの量の矢が放たれ、反対に下からも矢がガンガン放たれていく。 

 

 城攻めの始まりだ。

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