アビドス砂漠の砂糖スレ自作概念置き場   作:砂糖堕ちハナエちゃんの人

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牛牧ジュリさんのお話になります。

本文の装飾や微修正が出来てない為、読みづらい場合はテレグラフ公開版を見る事をお勧めします。

テレグラフ公開版(容量オーバーの為前後編に分けてます)
前編
https://telegra.ph/%E8%A9%A6%E4%BD%9C%E3%82%B2%E3%83%98%E3%83%8A%E7%B7%A8-%E7%AC%AC5%E8%A9%B1-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA1-06-04

後編
https://telegra.ph/%E8%A9%A6%E4%BD%9C%E7%A0%82%E7%B3%96%E5%A0%95%E3%81%A1%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%A9%B1%E3%82%B2%E3%83%98%E3%83%8A%E7%B7%A8%E7%AC%AC%E4%BA%94%E8%A9%B1-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA1%E5%BE%8C%E7%B7%A8-06-05


この物語はブルーアーカイブのゲーム版バレンタインデーイベント「『パンデミック・ハザード ~奇跡の一枚~」から台詞や情景描写を流用しています。





第5話 ジュリ(1)

【ゲヘナ学園・学園食堂。それは学園一の『戦場』である。】

 

 

生徒数、数千名。自由と混沌を愛する問題児ばかりが集まるゲヘナ学園において、全生徒の胃袋を支える学園食堂は、毎日が文字通りの戦場だ。

ひとたび昼休みのチャイムが鳴れば、空腹に狂った生徒たちが銃火器をぶっ放しながら押し寄せ、お目当てのメニューを巡って日常茶飯事の銃撃戦が勃発する。

 

そんな地獄のような狂騒の中、たった2人で数千人分の給食を毎日作り続けている組織がある。――それが、ゲヘナ学園・給食部。

 

彼女たちの任務は、単なる調理に留まらない。

押し寄せる不良生徒たちに威嚇され、予算不足や食材の強奪(主に美食研究会によるもの)と戦いながら、意地でも「時間通りに、全員分の温かい飯を出す」こと。

今日も学園食堂からは、香ばしいソースの香りと共に、激しい爆音と銃声が響き渡っている。

 

 

ゲヘナ学園の食堂は、文字通りの「戦場」である。

 

 

「ジュリ! そっちの巨大鍋、火が通ったらすぐに引き上げて! 次は4000人分のスープの味付けよ!」

 

「は、はい、フウカ先輩っ! うう、お鍋が重くて腕がちぎれそうですぅ!」

 

給食部の愛清フウカと牛牧ジュリは、押し寄せるゲヘナ生たちの胃袋を満たすため、悲鳴を上げながら調理場を駆け回っていた。凄まじい熱気と湯気、そして包丁の音が響き渡る。4000人分という気の遠くなるような量の料理を前に、二人の体力はとっくに限界を迎えていた。

 

「ハァ、ハァ……あと、あと少しで、全部完成、です……!」

 

額の汗を拭い、ジュリは安堵の息を漏らした。だが、その一瞬の油断が命取りとなる。

疲労でふらついたジュリの指先が、仕上げを待つ大鍋にセットされた大型のお玉に、うっかりと触れてしまった。

 

――その瞬間、料理の入った鍋から禍々しい紫色のオーラが噴き出した。

 

「え……? あ、あわわわ!?」

「ちょっとジュリ、まさか――!?」

 

フウカの絶叫も虚しく、4000人分のスープと食材が瞬時に融合し、巨大に膨れ上がっていく。ボコボコと不気味な音を立てて誕生したのは、無数の牙と狂暴な瞳を持つ、超巨大なパンケーキのバケモノ――「パンちゃん」だった。

 

『グォオオオオオオ!!!』

 

「ああっ!? せっかく作った料理が、またバケモノにぃぃ!!」フウカが頭を抱えて叫ぶ。

 

さらに最悪なことに、食堂で待たされていたゲヘナ生たちの堪忍袋の緒が切れた。

 

「おい! まだ飯は出ねえのかよ!」「腹が減って死にそうだ、ぶっ殺してやる!」

 

怒り狂った生徒たちが一斉に銃を乱射し始め、食堂内は一瞬で蜂の巣に。そこへさらに「最高の食材の気配がしますわっ!」と美食研究会の面々が窓ガラスを派手に突き破って乱入。パンちゃんを捕獲しようと、ハルナの合図で爆薬を容赦なく投げ込まれる。

 

ドガァァァン!!!

 

凄まじい爆発音と共に、食堂内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。

 

「ぎゃあああ!? 飯が、飯が襲ってきたぞ!」

 

「助けてくれ! 腕を噛まれた!」

 

叫ぶ生徒たちが、巨大化したパンちゃんの触手(シロップの触腕)に捕まり、次々と宙に吊り上げられていく。

 

銃撃戦の嵐の中、パンちゃんはちぎれても千切れても、飛び散った破片がそれぞれ小さなミニパンちゃんへと分裂。

 

「キシャアアア!」と鳴く無数のミニバケモノたちが、逃げ惑うゲヘナ生たちの顔面に張り付き、視界を奪ってパニックを加速させる。

 

 

「おい、このバケモノ、意外と弾を弾き返しやがるぞ!」

 

「うわっ、こっちに来るな! 撃て、撃ちまくれ!」

 

狂乱した生徒たちが四方八方に銃火器を乱射し、跳弾が食堂の柱や天井を削り取る。

美食研究会のイズミは「わあ、動くパンケーキ! 食べ放題だあ!」とバケモノに飛びかかったものの、逆にパンちゃんに飲み込まれそうになり「ぶはっ、窒息するー!」と大暴れ。アカリとジュンコも容赦なくグレネードをぶち込み、調理場のシンクや冷蔵庫が木っ端微塵に吹き飛んでいく。

 

「やめて、みんなここで撃ち合わないでぇぇ!!」

 

フウカの必死の制止も、爆音と悲鳴、そしてパンちゃんの咆哮にかき消される。

弾丸と悲鳴、そして飛び散る謎の紫色のスープが嵐のように吹き荒れ、ゲヘナが誇るマンモス食堂は、一分と経たずに完全な壊滅状態へと陥っていった。

 

 

 

 

ようやく事態が収拾したのは、日が完全に傾いた夕方だった。

グチャグチャに荒れ果て、壁や天井にスープやパンケーキの残骸がこびりついた食堂。ジュリとフウカは、疲れ果てた体で片付けをしていた。

 

「うぅ……ごめんなさいフウカ先輩……全部私のせいで……」

 

「はぁ……いいのよジュリ。いつものこと、と言ったら悲しいけれど……。それよりジュリ、あんた夕方からアルバイトが入ってたでしょう? もうそろそろ時間じゃない?」

 

時計を見たジュリは青ざめた。出勤開始時間までにアルバイト先たどり着くには今すぐにもここから出発しないといけない。

しかし、この惨状を置いて自分だけ行くわけにもいかなかった。

 

「でも、私がこんなことをしたのに、自分だけバイトに行くなんてできません!」

 

「いいから行きなさい!」

 

フウカはジュリの背中を強く押した。

 

「ここは私一人でも何とかするから。遅刻したらお店に迷惑がかかるわ!」

 

「う、うう……すみませんっ!」

 

後ろめたさと深い罪悪感に胸を締め付けられながら、ジュリは食堂を後にし、全力でアルバイト先のカフェへと向かった。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ! 空いているお席へどうぞ!」

 

パステルピンクとホワイトを基調とした店内、SNS映えするネオンサイン、そして甘いホイップクリームと焼き立てのワッフルの香りが漂う空間。ジュリがアルバイトをしているのは、トレンドに敏感な女子高生たちの一部で密かに人気の、スイーツメインの可愛いカフェだった。

 

フリル付きのキュートなエプロン制服に着替えたジュリは、昼の失敗を取り戻そうと、必死に笑顔を作って店内を駆け回っていた。

 

「お待たせいたしました! いちご山盛りの特製パフェと、ふわふわシフォンケーキです!」

 

「わあ、可愛い! 写真撮ろ!」

 

「すみません、あっちの席のパンケーキもおかわりで!」

 

「はいっ! ただいまお持ちします!」

 

いつもなら料理を運ぶ手元が狂ってトレイをひっくり返したり、注文を取り間違えたりするジュリだったが、今はフウカへの罪悪感から、いつも以上に神経を尖らせて完璧な接客をこなしていた。

 

(頑張らなきゃ……! フウカ先輩が一人で片付けをしてくれているんだから、私は私の仕事をしっかり全うしなきゃダメだよね……っ!)

 

可愛い制服の袖で額の汗を拭い、丁寧にお皿を並べていく。店内は可愛いスイーツを楽しむ女子高生たちの楽しげな笑い声で溢れ、雰囲気は極めて平和そのものだった。

 

しかし、不運の連鎖は、ジュリがほんの少しだけ胸を撫で下ろした瞬間に訪れる。

 

「あー、マジだりぃ。風紀委員の連中、しつこく追いかけてきやがって」

「これ、どっかに隠しとこうぜ」

 

カフェの入り口付近のテラス席を通りがかった、ガラの悪いゲヘナ生たちが、悪びれもせず火薬の詰まった密輸ビンをゴミ箱へポイ捨てした。それが運悪く、厨房の勝手口から入り込んだ風に煽られ、まさに今、シェフが看板メニューの「クレームブリュレ」を仕上げようとしていたバーナーの火元へと転がっていった。

 

「ん? なんだこのビンは――」

 

シェフが気づいた時には、すでに遅かった。

 

――ドガァァァン!!!

 

激しい爆発音が響き、厨房のガラス窓が粉々に割れて黒煙が噴き出す。

 

「キャー――ッ!?」

 

「何ごと!? 爆破テロ!?」

 

店内は一瞬にして悲鳴に包まれた。

 

「いっ、今の音は……?」

 

「調理室の方からですっ!」

 

ジュリと店長はすぐに駆け出し、もうもうと煙が立ちこめる調理場へと足を踏み入れる。

 

 

「み、皆さん!大丈夫ですかー!?」

 

「ゲホッゲホッ……こっちだぁ……た、助けてくれぇ~~~」

 

煙の向こうからカフェのシェフの声が聞こえる。

ジュリはすぐさま声の聞こえる方へと煙を飛び越え駆けつけていく。

爆風で吹き飛ばされたカフェのシェフは、厨房の床に倒れ込み、右腕を強く押さえて呻いている。

 

「シェフさんっ!大丈夫ですかっっ!!」

 

「う、うう……腕が……。すまない店長、とてもじゃないがパレットナイフも泡立て器も握れない……」

 

「シェフ! しっかりしてください! ああ、なんてことだ……!」

 

駆け寄った店長が顔を真っ青にする。厨房からは甘い香りの代わりに黒い煤煙が立ち込め、店内にはまだ、可愛いスイーツを心待ちにしている大勢の女子高生たちがお客として取り残されていた。

 

 

「すいませ~ん!注文したパンケーキまだですか~?」

 

「グレープフルーツジュースってこんなに時間かかるっけ……??」

 

「いくら混んでるからって、遅くない……?」

 

「ほんと……。口コミ見て来たのに、ガッカリ」

 

 

店内からは注文を待つお客たちの声が聞こえてくる。徐々に苛立ちの色を纏い始めた声が――。

 

「て、店長!お客様から不満の声が……!」

 

「ああああ……どうすれば……どうすれば……」

 

このままでは店が潰れてしまう――パニックに陥った店長は、ふと、ウェイトレス制服を着たジュリに目を留め、救いを求めるようにその肩を掴んだ。

 

「そうだ……ジュリさん! 君は確か、ゲヘナ学園の『給食部』に所属していると言っていたね!?」

 

「えっ!? は、はい、そうですけど……」

 

「申し訳ないけれど、代わりに厨房に入って急ぎのスイーツを作ってくれないか!? この状況だ、簡単なパンケーキやパフェだけでもいい! 君しか頼れる人がいないんだ!」

 

「む、無理です! 絶対に無理です!」

 

ジュリは血の気が引くのを感じ、必死に手を振って拒絶した。

 

「私、自分が食材に触れたり調理したりすると、とんでもない大変なことになっちゃうんです! お店が……お店が物理的に壊れちゃいます!」

 

「何を冗談を言っているんだ、給食部の生徒だろう!? 謙遜している場合じゃない!」

 

事情を知らない店長は焦りを募らせ、全くジュリの警告を信じようとしない。

 

「そんなことを言っている場合じゃないんだよ! お客さんをこれ以上待たせたら、可愛いスイーツを求めてきた女の子たちが暴動を起こす! ……あ、そうだ。ジュリさんがそこまで自信がないと言うなら、君の先輩……給食部のフウカさんを呼ぼう! 彼女ならこの規模の調理はお手の物だろうし、今すぐ連絡を――」

 

店長がポケットからスマートフォンを取り出し、画面を操作し始める。

 

「待ってください!! 繋がないでください!!」

 

ジュリは悲鳴のような悲痛な声を上げた。昼間、あれだけの地獄絵図を作り出し、片付けのすべてをフウカに押し付けて逃げるように出てきたのだ。フウカ先輩は今頃、まだ一人で壊れた食堂の床を磨いているかもしれない。疲れ果てているはずだ。

 

これ以上、大好きな、そして頭が上がらないフウカ先輩に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

「フウカ先輩は呼ばないでください! お願いです、店長さん! 電話をやめてください!」

 

「いや、背に腹は変えられないよ! うちの店が潰れてしまうんだ!」

 

店長は焦りのあまり聞く耳を持たず、受話器を耳に当ててコール音を鳴らし始める。

 

(あ、ああ……どうしよう……! このままじゃ、フウカ先輩にまた私の尻拭いをさせることになっちゃう……!)

 

ジュリの脳裏に、昼間流したフウカの涙と、ため息がフラッシュバックする。

追い詰められたジュリは、涙目で拳を握りしめ、叫ぶように遮った。

 

「……っ、分かりました! 私が、私が作りますから!! だからフウカ先輩には電話しないでください!!」

 

「おお、やってくれるか! 助かるよ、ジュリさん!」

 

店長がホッとした表情でスマートフォンをポケットに仕舞うのを見届け、ジュリは悲壮な覚悟を胸に、黒煙が薄れつつある厨房へと足を踏い入れた。これが、さらなる絶望の始まりだとも知らずに。

 

 

 

 

(お願い、何も起きないで……!)

祈るような気持ちで、ジュリは慎重に食材に触れ、調理を開始した。

すると、どうしたことか、今回は意外なほど上手くいった。パンケーキの生地はきれいに膨らみ、生クリームもダレずに美しくツノが立つ。料理からおかしなオーラは出ず、普通に美味しそうなベリーパンケーキや、色鮮やかなフルーツパフェが完成していく。

 

 

「お待たせいたしました……! 特製ベリーパンケーキです!」

 

恐る恐る料理を運ぶと、お客の生徒たちは「可愛い!」「めっちゃ美味しい!」と言って笑顔で食べ始めた。

 

「良かった……今回は大丈夫なんだ……」

 

誰も暴れず、自分の料理を喜んで食べてくれている。その光景にジュリはすっかり安心し、張り詰めていた緊張を緩めて、笑顔で次々とパンケーキを焼き続けていた。

 

しかし、その油断が再び「怪異」を呼び寄せる。

 

最後に仕上げた、お店の看板メニューである特大タワーパンケーキの皿にジュリの手が触れた瞬間――

 

ドクン、と料理が鼓動した。

 

「え……?」

 

ジュリが息を呑んだ瞬間、純白のホイップクリームがドロドロとどす黒い紫色に変色し、パンケーキの表面から無数の、爛々と輝く狂暴な瞳がギョロリと開いた。

 

『パ、パパパ……パンギャアアアアア!!!』

 

「ひっ……!? うそ、嘘でしょお!?」

 

ジュリの悲鳴を皮切りに、すでに客席に運ばれていたすべての料理、さらには厨房に残った小麦粉やミルク、イチゴのパックまでもが次々と暴走を始めた。パンケーキのバケモノ「パンちゃん」が、瞬く間に大量発生していく。

 

「キシャアアア!」

 

「いやあああ! 食べ物が襲ってきた!」

 

楽しげだったパステルカラーの店内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

お皿から飛び出したミニパンちゃんたちが、女子高生たちの顔面に張り付き、髪の毛をホイップクリームでベタベタに汚しながら牙を剥く。特大のパンちゃんは触手のようなシロップの触腕を振り回し、お洒落なガラステーブルを叩き割り、ネオンサインをなぎ倒した。逃げ惑う客、割れる食器、飛び散るイチゴソースが血飛沫のように壁を汚していく。

 

 

 

 

同じ頃、カフェの外の通りでは、ゲヘナ風紀委員会の火宮チナツと銀鏡イオリが、数人のモブ風紀委員を引き連れて巡回を行っていた。

 

「はぁ……。昼間の食堂の暴動といい、今日のゲヘナはいつも以上に騒がしいなぁ……」

 

イオリが大きなスナイパーライフルを肩に担ぎながら、面倒そうにため息をつく。

 

「そうですね。ですが、怪我人が増える前に取り締まるのが私たちの仕事ですから」

 

チナツが医療バッグの紐を正しながら、冷静に答えた。

 

その時、先行して路地を曲がったモブの風紀委員の少女が、顔を真っ青にして全力で走って戻ってきた。あまりの恐怖に息を乱し、イオリの制服の袖を掴んで叫ぶ。

 

「い、イオリ先輩! チナツさん! 大変です! 前方のスイーツカフェで異常事態発生です!!」

 

「落ち着けっ。なんだ?また不良(バカ)どもの抗争か?」

 

イオリが眉をひそめるが、モブの風紀委員は激しく首を振った。

 

「違います! 中から銃声と、女の子たちの悲鳴と……あと、何て言うか、すごくドロドロした咆哮が聞こえてきて……! 窓ガラス越しに見えたんです、生クリームを吐き散らしながら暴れる、巨大なパンケーキのバケモノが!!」

 

「……は? パンケーキのバケモノ?」

オリが呆気にとられた瞬間、件のカフェの窓ガラスがガシャーン!!と派手に割れ、中から悲鳴を上げる女子高生たちが次々と飛び出してきた。その後ろから、紫色のシロップを滴らせた凶悪なパンケーキの触手が伸び、彼女たちの足を掴もうと蠢いている。

 

「――っ! 冗談じゃないっっ!」

 

イオリの目が鋭く光る。

 

「チナツ、突入するぞっ!」

 

「はい。負傷者の救護班は外で待機! 逃げてきた生徒たちの避難誘導を優先してください!」

 

「了解しました!!」

 

モブ風紀委員たちが迅速に散る中、イオリとチナツは武器を構え、混沌の渦と化したカフェの扉を蹴り開けた。

 

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・開けろ!デトロイト市警だ!!!

 

・ヴァルレ!トマキューレ公安局だ!

 

・ケンカの話の時間だ!コラァ!!(!?)

 

・開けろ!ゲヘナ風紀委員会だっ!!

 

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「風紀委員会だ! 暴れているバケモノは、一匹残らずハチの巣にしてやるっっ!!」

 

イオリの激しい銃撃が、店内で暴れ回っていた中型のパンちゃんを正確に撃ち抜く。パンちゃんはシロップを撒き散らしながら爆散した。チナツも即座に救護用の銃を構え、前線で戦うイオリをバックアップしながら、逃げ遅れた客たちを外へと誘導していく。激しい銃撃戦の末にすべてのバケモノが駆除され、ようやく事態は収拾された。

 

激しい銃撃戦の末にすべてのバケモノが駆除され、ようやく事態は収拾された。

しかし、お洒落だったパステルピンクの店内は見る影もなく、壁や天井には紫色の怪しげなシロップと生クリームのシミがべっとりとこびりつき、割れた食器やネオンサインの破片が散乱していた。

 

「ああ……ああ、なんてことだ……! 私のお店が、めちゃくちゃだ……!」

 

頭を抱えて絶望する店長の横で、ジュリは煤とクリームにまみれたフリルのエプロン姿のまま、ガタガタと震えて立ち尽くすことしかできなかった。

 

「牛牧ジュリさんっ!」

 

店長が鬼のような形相でジュリを睨みつける。

 

「君が料理を作ったら大変なことになるなんて、私はただの謙遜だと思っていたんだ! なのに、まさか本当にバケモノを生み出すなんて……! これだけの損害、君一人の責任じゃ済まされないぞ!」

 

「ご、ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」

 

涙をボロボロとこぼしながら謝るジュリの手から、店長は荒々しくスマートフォンをひったくった。

 

「こうなったら、さっき言った通り、君の所属している『給食部』の責任者を呼ぶからな!」

 

「あ、お願いです、それだけは――!」

 

ジュリの悲鳴のような制止も虚しく、店長は無慈悲に通話ボタンを押した。

 

 

 

 

同じ頃、ゲヘナ学園の食堂。

愛清フウカは、たった一人で壊滅した調理場の床をモップで磨き続けていた。腰は激痛を訴え、腕は疲労で感覚がなくなっている。

 

「はぁ……はぁ……。やっと、やっと少し床が見えてきたわ……」

 

額の汗を拭い、フウカがふぅと息を吐いたその時、エプロンのポケットで端末がけたたましく鳴り響いた。画面を見ると、見知らぬ番号からだった。

 

「はい、給食部の愛清ですが……」

 

『もしもし! 給食部の責任者の愛清フウカさんですか!? 私は牛牧ジュリさんのバイト先の店長ですがね、今すぐうちの店に来てください!』

 

「えっ? ジュリのバイト先……? 一体何があったんですか?」

 

『何があったかも何も、君のところの部員が、うちの店でパンケーキのバケモノを大量発生させて、店を完全に破壊したんだよ! 風紀委員会が出動するほどの大騒ぎだ! とにかく今すぐ来て、一緒に謝罪と弁償の話をしてもらいたい!』

 

「……え?」

 

店長の怒鳴り声を聞いた瞬間、フウカの頭の中が真っ白になった。

 

(パンケーキのバケモノ……大量発生……店を、破壊……?)

 

昼間、4000人分の料理を台無しにされ、命からがら片付けを終えたばかりのフウカの脳裏に、最悪の光景がフラッシュバックする。

 

「う、嘘でしょう、ジュリ……あんた、またやったの……っ!?」

 

フウカは崩れ落ちそうになる足に鞭を打ち、投げ出すようにモップを放り捨てると、這うような足取りで夜の街へと駆け出した。

 

 

 

 

 

それからしばらくして、カフェの扉が弱々しく開いた。

 

「ハァ……ハァ……っ、ジュ、ジュリ……!」

 

息を切らせて現れたフウカの姿は、あまりにも痛々しかった。昼間の食堂の片付けによる疲労で顔色は土気色に変色し、目の下には濃い隈が浮き出ている。制服のあちこちには、昼間の「パンちゃん」の紫色の残骸がまだ残ったままで、文字通り満身創痍の状態だった。

 

「あ……フウカ先輩……っ」

 

ジュリは罪悪感で心臓が潰れそうになり、先輩の顔を見ることすらできなかった。

 

「君が愛清フウカさんだね!」

 

店長がフウカに詰め寄る。

 

「待っていたよ! 見てくれ、この惨状を! 君のところの部員が仕出かせたことだ!」

 

「……っ!」

 

フウカは、紫色のシミだらけになり、ガラスや家具が木っ端微塵になった店内を見渡し、絶望に目の前が暗くなった。だが、給食部の部長としての責任が、彼女の意識を辛うじて繋ぎ止める。

 

フウカはボロボロの体のまま、床に膝をつき、額を地面に擦り付けるようにして深く頭を下げた。

 

「……本当に、本当に申し訳ありませんでした……! 給食部部長として、部員の管理が行き届いておらず……お店に、取り返しのつかないご迷惑をおかけしてしまいました……っ!」

 

「先輩……! 私のせいで、フウカ先輩がどうして……!」

 

ジュリも慌てて隣で土下座をしたが、店長の怒りは収まらない。二人の頭上から、激しい叱責が容赦なく降り注ぐ。

 

「謝って済む問題じゃないんだよ! 幸い風紀委員会がバケモノを退治してくれたからよかったものの、一歩間違えればお客さんに死人が出ていたんだぞ!? 給食部と言えば聞こえはいいが、こんな危険人物を街に放し飼いにしておくなんて、ゲヘナ学園の教育はどうなっているんだ! 弁償はもちろんのこと、今後の営業補償だって請求させてもらうからな!」

 

「はい……おっしゃる通りです……本当に、申し訳ありません……」

 

店長の怒声を受け止めながら、フウカは震える声で何度も謝罪を繰り返した。その小さな背中が、疲労と心労で一回りも二回りも小さく縮こまっているように見えた。

 

 

 

風紀委員会のイオリとチナツが事後処理の書類を店長に手渡し、ようやく解放されたのは、夜もすっかり更けた頃だった。

 

帰り道、街灯だけが冷たく照らす暗い夜道を、二人は並んで歩いていた。

 

重苦しい沈黙の中、ジュリは涙をボロボロとこぼしながら、擦り切れるほど謝罪の言葉を繰り返した。

 

「フウカ先輩、ごめんなさい……ごめんなさい……! 私が、私が余計なことをしたせいで、先輩にまたあんなに頭を下げさせて……本当に、ごめんなさい……!」

 

ジュリの悲痛な声に、前を歩いていたフウカの足がピタリと止まった。

フウカは深く、深く、重いため息をつく。その肩は疲労で小刻みに震えていた。今すぐ叫び出したいほど限界のはずだった。けれど、フウカはゆっくりとジュリの方へ振り返ると、泣きじゃくる後輩の顔を見て、酷く歪んだ、今にも崩れそうな「笑顔」を無理に作った。

 

「……ううん、いいのよ、ジュリ。あんた、私のために……電話させないために、頑張って厨房に入ってくれたんでしょう? 店長さんから、さっき聞いたわ」

 

フウカはかろうじて絞り出すような、掠れた声で慰めの言葉を紡ぐ。

 

「あんたの優しい気持ちは……嬉しかったから。だから、もう、気にしないで。明日からまた、片付け、一緒に頑張りましょう……?」

 

それは、フウカが先輩として、必死の思いで取り繕った優しさだった。

しかし、その声にはいつものハツラツとした力強さは微塵もなく、ただただ疲弊しきった哀れみが滲んでいた。

 

(ああ……フウカ先輩、無理をしてる……)

 

ジュリには、それがはっきりと分かってしまった。自分のせいで心も体もボロボロなのに、先輩としての責任感だけで、自分を責めないように必死に取り繕ってくれている。その痛々しい笑顔が、ジュリにはどんな怒声よりも、冷たい拒絶よりも残酷に突き刺さった。

 

「じゃあ、私はこっちだから……。ジュリも、気をつけて帰るのよ」

 

フウカはそれだけ言うと、力なく背を向け、重い足取りで一人去っていった。

闇の中に消えていく先輩の小さく頼りない後ろ姿を見送りながら、ジュリの心の中には、底なしの罪悪感が泥のように溢れ出していた。

 

(私のせいで……私のせいで、大好きなフウカ先輩をあんな風にさせちゃった……。私が、全部めちゃくちゃにしたんだ……!)

 

その壊れた心の隙間に、夜の闇から最悪の悪意が忍び寄る――。

 

 

 

 

夜の帳が完全に降りたゲヘナの街。街灯の冷たい光だけが、ぽつり、ぽつりと寂しげにアスファルトを照らしている。

その下を、牛牧ジュリは一人、壊れた人形のように力なくトボトボと歩いていた。

 

アルバイト先の可愛いウェイトレス衣装から、いつもの見慣れたゲヘナ学園の制服へと着替えてはいたものの、昼間の爆発の煤や目立たないシミが微かに残り、ジュリの心と同じようにどこか薄汚れてしまっている。今のジュリには、自分の身なりを気にする余裕など一ミリも残っていなかった。

 

歩みを進めるたびに、今日一日の凄惨な光景が、まるで呪いのように脳裏にフラッシュバックしてはジュリの心を激しく抉る。

 

(私、またやっちゃった……)

 

目をつぶれば、給食部の食堂で4000人分の料理が悍ましいバケモノ「パンちゃん」へと変わり、ゲヘナ生たちが叫びながら銃を乱射し、食堂が木っ端微塵に崩壊していく爆音と悲鳴が耳の奥で生々しく蘇る。

それだけじゃない。フウカ先輩に背中を押されて向かったお気に入りのアルバイト先でも、自分が食材に触れたせいで、可愛いカフェが瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わってしまった。

 

(私のせいだ。全部、私が……!)

 

何よりジュリの胸を締め付け、息を詰まらせるのは、先ほど別れたフウカの姿だった。

心身ともに限界のはずなのに、泣きじゃくる自分を責めることもせず、あの痛々しい、今にも崩れそうな笑顔で「気にするな」と無理に取り繕って見せたフウカの優しい言葉。それが、かえってジュリの心に「取り返しのつかないことをした」という巨大な罪悪感を植え付け、重くのしかかっていた。

 

(フウカ先輩に、あんな顔をさせるくらいなら……私なんて、いっそのこと……)

 

涙が視界をにじませ、足元がおぼつかない。世界のすべてから拒絶されたような圧倒的な孤独感と絶望の泥に足を取られながら、ジュリが薄暗い路地裏の角へと差し掛かった、その時だった。

 

「おいおい、待ちやがれよ。そこのゲテモノ料理人ちゃんさぁ」

 

暗闇から、無骨なアサルトライフルやショットガンをジャラジャラと担いだスケバン(不良女子生徒)の集団がゾロゾロと姿を現し、ジュリを完全に包囲した。逃げ道を塞がれ、銃口を突きつけられながら、強引に暗い路地裏へと押し込まれる。

リーダー格のスケバンが、自身のサブマシンガンの銃口で額を小突きながら、ドスの効いた声でジュリを睨みつけた。

 

「てめえ、さっきのスイーツカフェにいやがったな? あたしらが店で特製パンケーキを優雅にキメようとしたらさぁ、てめえの作ったあの不細工なバケモノが飛び出してきやがったんだよ! おかげであたしら、銃を撃つ暇もなく身ぐるみ剥がされて、大勢の仲間の前で大恥かかされたんだわ。あぁん? どう落とし前つけてくれんだよ、ワレ!」

 

「ご、ごめんなさい……! そんなつもりじゃ……!」

 

「うるせえよ! すんませんで済んだら風紀委員会はいらねえんだよ!!」

 

ドガガガガッ! と激しい銃撃がジュリの足元を穿った。

 

「ひゃああっ!?」

 

「真面目くさったツラして無駄にでけぇ脂肪の塊見せつけるような着崩したウェイトレス制服なんか着やがって! 舐めてんじゃねえぞ!」

 

スケバンたちは一斉に銃口を向け、ジュリに向けて容赦のない銃撃を浴びせ始めた。狭い路地裏にアサルトライフルの轟音が反響し、火花が夜闇を照らす。ジュリの体は一瞬でボロボロになっていく。制服は引き裂かれ、擦り傷から血が滲む。

 

「ごめんなさい! ごめんなさいぃ!」

 

激しい衝撃に吹き飛ばされ、ジュリは冷たいコンクリートの床に激しく叩きつけられた。その拍子に、彼女がいつも肌身離さず持っていた愛銃(給食部の護身用銃typeB)が手から滑り落ち、無情な金属音を立てて、数メートル先の暗がりの奥へと転がっていってしまった。

 

(あ……私の、銃が……)

 

視界の端で遠ざかっていく愛銃を見つめながら、ジュリはそれを拾おうと手を伸ばすことさえしなかった。キヴォトスの生徒にとって、銃から手が離れることは完全な敗北と無抵抗を意味する。けれど、今のジュリには、もう抵抗する気力も、自分を銃で護る資格すらないように思えた。

 

完全に、心が折れてしまったのだ。

 

ジュリは泥と涙にまみれたまま、ピクリとも動かなくなり、ただただ地面に伏せて小さく震え続けた。その哀れな姿を見下ろしながら、スケバンたちは銃口を向けたまま、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて言葉をかけ合う。

 

「おいおい、見ろよ。もう戦意喪失か? 給食部のくせに、銃を拾おうともしねえよ」

 

「あはは! 傑作じゃん! 散々街中でバケモノ撒き散らして大暴れしたくせに、いざ自分が銃で撃たれたらこれかよぉ?」

 

「おい、このまま身包み剥いでにして転がしとくか?」

 

冷たい言葉の雨が、容赦なくジュリの背中に突き刺さる。その時、這いつくばるジュリの顔の横に、リーダー格のスケバンの厚底ブーツがドカッと踏み下ろされた。

 

「……いや、待てよ。このまま転がして置くだけじゃ、あたしらの気が済まねえわ。――そうだ! いいこと思いついちゃった」

 

リーダーは邪悪な閃きに顔を歪ませると、構えていたサブマシンガンを背中に回し、代わりに腰の後ろからズシリと重い「大型の肉切り斧」を引き抜いた。街の厨房から強奪してきたのか、それは料理に使うにはあまりにも巨大で、鈍い銀色の光を放っている。

 

「こいつ、ゲヘナのゴミ料理人で、料理を作るたびにバケモノ出してんだろ? だったらさぁ、料理人らしく『刃物』で落とし前つけてもらおうじゃん。二度とシャバで包丁を握れねえように、その利き腕を綺麗に叩き切ってやろうぜ!」

 

「ギャハハ! それ最高!」「お肉みたいに綺麗にチョンパしてやろうじゃん!」

 

スケバンたちの間で下劣な歓声が上がる。銃社会のゲヘナにおいて、あえて原始的な刃物で肉体を損なおうとするその執拗な悪意に、路地裏の空気が一気に凍りつく。

 

リーダーのスケバンは狂気的な笑みを浮かべ、両手でずっしりとした斧を高く振り上げた。横たわるジュリの無防備な利き腕に向けて、鋭い刃先が狙いを定める。

 

「この刃で腕を根元からおろしちまえば、二度とあの気味の悪いバケモノ料理も作れねえだろ? あぁん!?」

 

「いや……嫌です……! お願い、やめて……! 誰か……っ!」

 

ジュリは恐怖で身をすくませ、ぎゅっと目を瞑った。もう終わりだ。自分の料理のせいでフウカ先輩にも見捨てられて、お店も壊して、愛銃も失って、最後には腕まで失って、私は――。

 

 

 

――その絶望の刃が振り下ろされる直前、冷徹極まりない、しかし凛とした少女の声が暗い路地裏に響き渡った。

 

 

 

「そこまでよ。何をしているのあなた達」

 

 

 

 

「え……?」

 

 

リーダーが斧を止める。スケバンたちが声の主を探そうと、上空の闇へ視線を向けようとした、まさにその刹那。ヒナの姿を認識することすら許さない速さで、夜の街を凍りつかせるような冷酷な声音が、彼女たちの鼓膜を直接震わせた。

 

 

 

「絶対に許さないわ……消えなさい」

 

 

 

 

その瞬間、夜空を引き裂くような、圧倒的な質量を持ったビームの如き銃撃の嵐が、頭上から吹き荒れた。

 

 

 

ズガガガガガガガガドン!!!

 

 

 

「ぎゃあああああ!?」「な、何これ、上から――!?」

 

 

悲鳴を上げる暇さえなかった。凄まじい衝撃波と爆音。ジュリの腕を狙って斧を振り下ろそうとしていたリーダーを含め、スケバンたちは誰が攻撃してきたのかすら気付かないまま、一瞬にして木の葉のように吹き飛ばされていった。ヒナの愛銃『デストロイヤー』から放たれた無慈悲な弾幕は、路地裏のコンクリートごと不良たちを一瞬で蹂躙した。

 

静寂が戻り、ジュリが恐る恐る目を開けた。

硝煙が立ち込める路地裏。そこには、数え切れないほどのスケバンたちが何人も折り重なり、身体から煙を上げながら完全に意識を失って山のように転がっていた。彼女たちが持っていた銃火器や、凶器の斧も無残にひしゃげて転がっている。

 

その不良の山の中心に、彼女は立っていた。

ゲヘナ学園風紀委員会委員長、空崎ヒナ。

 

背中の黒い翼を静かに羽ばたかせ、巨大な機関銃を肩に担う彼女の姿は、辺り一面に散らばり倒れているスケバンたちの山も相まって、まるで鬼神のようであり――同時に、天から舞い降りた救いの女神にも、あるいは美しき堕天使のようにも見えた。

 

ヒナは静かにジュリへと歩み寄る。

 

「大丈夫? もう安心して良いわ」

 

機関銃の銃口を下に置き、ヒナは優しく微笑みながら、ジュリへと小さな手を伸ばした。

 

「あなたは私が護るから。だからもう泣かないで、牛牧ジュリ……」

 

その瞬間、ジュリの張り詰めていた感情が決壊した。

目の前にいるヒナの身長は142cmと非常に小柄で、170cmある高身長の1年生であるジュリとは28cmもの圧倒的な身長差がある。しかし、その小さくて華奢な3年生の先輩が、今のジュリには世界の何よりも大きく、頼もしく見えた。

 

「う、うわあああああん!! 委員長さん、風紀委員長さんんんっ!!」

 

ジュリは我を忘れてヒナにすがりつき、その小さな体に思いっきり抱き着いた。背の高いジュリが、小柄なヒナの肩に顔を埋めるようにして、子供のように大声を上げて泣きじゃくる。ヒナは身長差ゆえに、少し背伸びをするような形で、ジュリの大きな背中にそっと手を回し、優しく優しく撫で続けた。

 

「怖かった……怖かったですぅ……!」というジュリの震える声を、ヒナは黙って受け止めていた。

 

 

 

 

ジュリの激しい慟哭が徐々に小さくなり、ひっく、ひっくと短く息を吐きながら落ち着きを取り戻してきた頃合いを見計らい、ヒナは顔を上げてジュリを優しく見つめた。

142cmのヒナが見上げる先には、まだ涙で大きな瞳を濡らした170cmのジュリの顔がある。ヒナはその涙を小さな指先でそっと拭ってあげた。

 

「……それで、どうしてこんな目に遭っていたの? 良かったら私に教えてくれない?」

 

ヒナの静かで、それでいてすべてを見透かすような声音に促され、ジュリは再び俯きながら、ポツリ、ポツリと今までの経緯を話し始めた。

昼間、給食部で4000人分の料理をバケモノにしてフウカ先輩に大迷惑をかけたこと。逃げるように向かったバイト先のスイーツカフェで爆発が起き、フウカ先輩を呼ばせないために必死で調理した結果、またパンちゃんを大量発生させてお店をめちゃくちゃにしてしまったこと。そして、ボロボロの体で駆けつけてくれたフウカ先輩にまた土下座をさせてしまい、帰り道にあの痛々しい笑顔で無理に慰められたこと――。

 

「フウカ先輩、私のせいで心も体も限界なのに、先輩だからって無理して私に優しくしてくれたんです……。それが、何より辛くて、申し訳なくて……っ」

 

一通り話し終えると、ジュリは完全に希望を失った目で、スケバンたちの銃撃でボロボロになった自分の手のひらを見つめた。そして、すべてを諦めたように力なく微笑む。

 

「……私、もう給食部を辞めます。私が料理をすると、大好きなフウカ先輩も、周りのみんなも、全部めちゃくちゃになっちゃうんです。私はゲヘナに、料理の世界に、いいえ……キヴォトス自体にいちゃいけない人間なんです」

 

「――駄目よ」

 

ヒナの低く、しかし断固とした口調が路地裏に響いた。

 

「給食部を辞めるなんて、絶対に許さない。あなたはこのゲヘナに、絶対に、私に必要な存在なんだから」

 

「だったらどうすれば良いんですか!?」

 

ジュリは耐えきれずに叫んだ。大粒の涙が再び頬を伝う。

 

「私が料理を作るたびに、みんなが不幸になって、バケモノが暴れて、銃で撃ち合って、最後にはフウカ先輩があんなに悲しい顔をするんです! 辞める以外に、私にどうしろって言うんですか……っ!」

 

激昂するジュリを前にしても、ヒナは表情を崩さなかった。それどころか、憐れむような、同時にどこか妖艶な笑みを薄く浮かべ、黒い制服のポケットから一粒の飴玉を取り出した。

 

「この魔法の飴を舐めれば、貴女の願いは叶うわ。辛いことも、苦しいことも、全部消えてなくなる」

 

それは、少し甘い香りが強いだけの、どこにでもある普通のお菓子の飴玉に見えた。心まで疲れ果てていたジュリは、そのおもちゃのような提案に、突き放すような声を出す。

 

「……そんなもので、何が変わるんだと言うんですか……! 子供騙しはやめてください!」

 

ジュリが拒絶しようと顔を背けた、その瞬間だった。

 

ヒナの小さな手が、電光石火の速さでジュリの顎を強引に掴み固定した。息を呑むジュリのわずかな隙を突き、ヒナはその飴玉をジュリの口の中へと無理やり押し込んだ。

 

「んむっ!? ――ん、んぅ……っ!?」

 

拒絶する間もなく、飴玉はジュリの舌の上に転がされた。

 

――シュワシュワ、パチパチ。

 

口に含んだ瞬間、脳の髄まで直接突き刺さるような、強烈極まりない甘みと、炭酸のように激しい刺激がジュリの口内いっぱいに広がった。

 

「っ!?!? ――あ、あま……い、美味しい……っ!?」

 

今まで生きてきて、あるいは給食部でどんな料理を扱ってきても、体験したことのない異次元の甘味。濃密で、暴力的で、麻薬的なまでの快感が味覚から神経を伝わり、ジュリの脳みそをドロドロに溶かしていく。

 

すると、どうだろう。

つい数秒前まで自分を激しく苛んでいた、フウカ先輩への死ぬほどの罪悪感も、スケバンに包囲されて銃を突きつけられた恐怖も、料理に対する絶望も――そのすべてが、驚くほど「どうでもいい、ちっぽけなこと」のように思えてきたのだ。

 

頭の中の思考回路が純白の砂糖一色に染まり、ただひたすらに圧倒的な幸福感だけが全身の細胞を満たしていく。

 

「あは……、何だか、すごく……頭がぽかぽかして、幸せ、です……」

 

ジュリの大きな体から完全に力が抜け、視線はトロンと虚空を彷徨う。170cmの体躯が、まるで糸の切れた人形のように、142cmのヒナの体へと完全に寄りかかった。ヒナは当然のようにその重みを受け止め、満足そうにジュリの髪を撫でる。

 

「ありがとうございます、風紀委員長さん……」

 

とろけた声でお礼を言うジュリの唇に、ヒナはそっと人差し指を立てて囁きかけた。

 

「ヒナ――。私の事は、ヒナって呼んで」

 

「はい……ヒナ、さん……えへへ……」

 

すっかり二人の心は打ち解け合い、路地裏にはドロドロに溶け合った甘い空気が充満していた。

 

「そうだ、これをジュリにあげるわ」

 

ヒナは、背後の闇から大きな袋を取り出した。それは、先ほどジュリの脳を融解させた『砂漠の砂糖の飴』がギッシギシに詰まった大袋だった。

袋の隙間から漂う強烈な甘い香りに、ジュリの顔は一瞬で真っ赤に上気し、体中が内側からカッと熱くなっていく。

 

「これを……全部ですか? 本当に、本当に全部私が頂いていいんですか……?」

 

ジュリの口元からは、抗いきれない快楽への渇望として、ダラダラと涎が止まらなくなっていた。完全に理性が砂糖の香りに乗っ取られている。

 

「ええ、全部あげるわ。でも、食べる量には気を付けなさい。一度に食べ過ぎるのは良くないわ」

 

「はい……わかりました、ヒナさん……早く、食べたい、です……」

 

「それじゃあ、今日はここで。おやすみなさい、ジュリ」

 

「はい……おやすみなさい、ヒナさん……えへへ、あはは……」

 

ヒナから大量の飴が入った大袋を両腕でしっかりと抱きかかえ、ジュリは幸せそうに頬を緩めながら、フラフラと覚束ない、まるで夢遊病者のような足取りで夜の街の雑踏の中へと消えていった。その背中からは、異常なほどの甘い香りが周囲に撒き散らされていた。

 

 

 

 

大量の飴が入った大袋を愛おしげに抱え、フラフラと夜の街へ消えていくジュリ。その背中を、空崎ヒナはただ黙って、冷徹なまでに静かな瞳で見送っていた。

 

 

「これで良いかしら――アコ」

 

 

ジュリが角を曲がり、完全にその姿が見えなくなった瞬間、ヒナのすぐ横の空間が揺らぎ、一人の少女――砂漠の砂糖の幻覚が生み出したもう一人の天雨アコが音もなく姿を現した。

 

 

【はい、十分ですよ。さすがは私の委員長。あの子の心を完全に手中に収めましたね】

 

幻覚のアコは、その端正な顔に歪んだ、妖しげな笑みを浮かべて深く頷いた。本物のアコならヒナに見せないような、酷くサディスティックで、底の知れない微笑。

 

「アコに言われた通り、砂漠の砂糖の飴を大袋全部あげたけれど。本当にこれで良かったの?」

 

ヒナが問いかける。

 

【ええ、大丈夫ですよ。何の問題もありません】

 

「でも、あの子……あの様子だと、我慢できずに今晩中にすべて食べてしまいそうよ。本当に良いの?」

 

【ふふっ、良いんです。むしろ、今晩中にすべて食べてもらわなければ困るのですから。明日になれば、あの子はもう、自分の意志で料理を作る恐怖に怯えることも、給食部を辞めたいなどと泣き言を言うこともなくなります。全てが砂糖の幸福に塗りつぶされるのですから……】

 

妖しげに笑みを深めていく幻覚アコ。その言葉に、ヒナの脳裏にほんの一瞬だけ、違和感が過った――。

 

しかし、ヒナ自身が気づくことすらできない無意識のレベルで、彼女の思考は一瞬にして切り替わる。すでに「砂漠の砂糖」の甘さに脳まで染まりきっているヒナにとって、目の前の幻覚アコの言葉は絶対の真実であり、すべてだった。

 

「……そうね。アコが言うなら、間違いないわね」

 

廃糖蜜にようにドス黒く染まったヒナの瞳が――、盲目的な妄信だけを湛えた目でアコを見つめる。幻覚アコが黒と言えば黒、白と言えば白なのだ。

 

【ええ。さぁ委員長、明日は朝一にジュリさんをお迎えに行きましょう。きっと、朝には、私たちの望む形に、素晴らしく“仕上がっている”はずですから】

 

「ふふ、楽しみね……。明日が待ち遠しいわ」

 

そう微笑み合うと、ヒナと幻覚のアコもまた、夜の帳の中へと溶けるように消えていった。

二人が去った後の無人の路地裏には、ゲヘナの夜をドロドロに侵食していくような、甘く、どこまでも残酷で甘い、砂糖の香りだけがいつまでも漂い続けていた。

 

 

(つづく)

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