アビドス砂漠の砂糖スレ自作概念置き場   作:砂糖堕ちハナエちゃんの人

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第7話ジュリ(3)

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夕暮れ時の喧騒をそのまま引きずり込んだかのように、ジュリのバイト先のカフェの店内は、立錐の余地もないほどの大盛況に沸き返っていた。

 

「はい、お待たせいたしました! ベリーのタルトとカフェラテです!」

 

ジュリは額の汗を拭う暇もなく、満面の笑みを浮かべてトレイを回す。客席から次々と上がる注文の声を頭の中で完璧に整理しながら、彼女は目まぐるしいスピードで厨房へと舞い戻った。

 

調理場に足を踏み入れた瞬間、ジュリの表情からウェイトレスの柔らかさが消え、職人のそれへと切り替わる。

本来であれば、ここにはもう一人、ベテランのシェフがいたはずだった。しかし、あの時に負った酷い怪我のために長期の戦線離脱を余儀なくされ、現在、この広大な調理場を一人で切り盛りしているのはジュリだけだった。

普通の人間なら、この尋常ではない客数とオーダーの山を見た時点で、とっくにキャパシティをオーバーし、店を開けることすら諦めていただろう。

 

だが、今のジュリは「普通」ではなかった。

体内に深く染み渡った『砂漠の砂糖』――それがもたらす超常的な身体能力の強化は、彼女の動きを人間業とは思えない領域へと押し上げていた。

 

「ジュリ、左のコンロの火力が強すぎるわ! マカロンの生地を焼くときはもっと繊細に! 右の手は休めない、同時にガナッシュの攪拌を続けなさい!」

「はい、フウカ先輩!」

 

誰もいないはずの空間から響く、いつも学生食堂の厨房で自分を導いてくれた先輩の叱咤激励。ジュリの瞳にだけ映る「幻覚のフウカ」は、調理台の脇に立ち、的確な指示とアドバイスを出し続けている。

その声に導かれるように、ジュリの身体は滑らかに、そして電光石火の速度で動いた。

ガナッシュを混ぜる手は残像を結び、オーブンのタイマーを合わせる動きには一切の無駄がない。ほぼ完全なワンオペレーションであるにもかかわらず、押し寄せるオーダーは恐ろしい効率で消化されていく。

 

(あはは……すごい、すごいです! 私、ちゃんと料理ができてる……!)

 

骨がきしみ、筋肉が悲鳴を上げているのは分かっていた。心臓は早鐘を打ち、全身から脂汗が吹き出している。それでも、ジュリの胸を満たしていたのは、かつて味わったことのないほど純粋な「仕事の楽しさ」と充実感だった。

 

脳内で響くフウカの冷徹な叱咤に背中を押されるようにして、ジュリはただひたすらに、狂気的なまでの集中力で厨房を動かし続けた。

やがて、あれほど押し寄せていた客たちの喧騒が引き、怒涛の営業時間が終わりを告げる頃には、調理台の上には山のような注文をすべて捌き切ったという、圧倒的な成果だけが残されていた。

 

「ふぅ、ふぅ……。お、おわり……ました……っ」

 

ジュリは荒い呼吸を繰り返しながら、汗が滲む額を腕で拭った。

疲れ果てて今すぐ床に倒れ込みたい。重い四肢はすでに感覚を失いかけており、冷たい床にそのまま頽れてしまいたい衝動がジュリを襲う。

 

『よく頑張ったわね、ジュリ。本当に見事な手際だったわ』

 

不意に、耳元で優しく、しかし確かな温かみを持った声が響いた。

振り返れば、そこにはいつだって自分を導いてくれる憧れのフウカ先輩が、慈愛に満ちた笑みを浮かべて立っている――もちろん、それがただの幻覚だとは、今のジュリには気づく由もない。

 

『でも、まだ片付けが残っているわ。料理人は、厨房をピカピカにするまでが仕事。ほら、これを舐めて、もう一踏ん張りしなさい』

 

幻覚のフウカが差し出してきたのは、どこか禍々しい輝きを放つ、特製の『砂漠の砂糖』の飴玉だった。

 

「あ、ありがとうございます……フウカ先輩……っ」

 

ジュリは吸い寄せられるようにそれを受け取り、割れそうなほど乾いた唇の隙間へと滑り込ませた。

 

瞬間、脳を直接灼くような、暴力的なまでの甘美が口いっぱいに広がった。

「――っ!、ぁ……!」

ジュリの背筋がビクンと大きく跳ね上がる。限界を迎えていたはずの細胞の一つ一つが、おぞましい速度で強制的に叩き起こされ、融かされていく。内側から熱い疼きが突き上げ、心臓がトクトクと早鐘を打ち鳴らす。荒い吐息とともに口端から溢れ出そうになる涎を慌てて飲み込むと、全身の肌が粟立ち、指先まで痺れるような全能感がジュリの肉体を支配した。

 

疲れが嘘のように消え去り、脳内が快楽物質で満たされる。ジュリは恍惚とした表情のまま、震える身体を抱きしめるようにしてその甘味を貪った。

 

「すごい……体が、軽い、です……。これなら、まだ何時間でも……!」

 

生真面目な彼女は、その異常な覚醒感を「フウカ先輩の愛情と、仕事の充実感」だと信じて疑わない。みなぎる狂気的な活力のままに、ジュリは手早く調理器具を洗い、飛び散った砂糖の結晶を拭き取って調理場を完璧に片付けると、弾むような、しかしどこか虚ろな足取りでフロアのレジカウンターへと向かった。

 

ジュリはまず、カウンターに置かれた決済用のタブレット端末をタップし、本日の電子決済の集計データを確認した。画面に表示された売上額は、普段のこの店の数日分に匹敵する恐ろしい桁数に達している。

 

「すごい……っ。電子決済の売上だけで、こんなに……!」

 

しかし、この店に押し寄せたのはスマートフォンでスマートに支払いを済ませる一般の生徒たちだけではない。学校組織からはみ出し、ブラックマーケットの騒乱の中に生きるスケバンやヘルメット団のような少女たち。身元の割れる電子決済を使えない、あるいはそもそも端末すら持てない彼女たちもまた、あの暴力的な甘味の噂を聞きつけ、狂ったようにこの店に押し寄せていたのだ。

 

ガチャリと音を立てて開いたドロワーの中には、その形跡がまざまざと残されていた。

 

溢れんばかりの紙幣と硬貨が、乱雑に詰め込まれている。カツアゲや裏稼業で稼いだのであろうシワシワの千円札や、財布の底から掻き集められたような小銭の山。それらは彼女たちが理性を融かされ、どうしてもジュリのお菓子を貪りたくて叩きつけていった執念の証だった。端末のデジタルな数字と、目の前の生々しい現金の山。その両方が、ちょうど半々ずつの割合で信じられないほどの巨額を形成している。

 

「これなら……これだけあれば、店長さんも、きっと喜んでくれますよね……!」

 

砂糖の力で脳を麻痺させたジュリは、恍惚とした笑みを浮かべたまま、莫大な現金を一枚一枚丁寧に集め、決済データの入った端末と一緒にバッグへと収めていく。自分の流した汗と涙が、これほどの確かな結果として目の前にある。その事実が、彼女の疲弊しきった身体に再び小さな活力を与えてくれた。

 

電子決済のデータが入った端末と莫大な現金をバッグに収めると、ジュリはそれを愛おしそうに、しっかりと胸に抱きしめた。自分の流した汗と涙がこれほどの確かな結果になったという事実は、砂糖の快楽に痺れる彼女の身体に、誇らしげな達成感を与えていた。

 

 

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厨房の明かりを落とし、静まり返ったフロアを一人通り抜ける。

一日の激務を終えた安堵感とともに廊下の奥へと進み、ジュリは目指す薄暗い事務所の前に辿り着いた。ずっしりとしたバッグの重みが小さな肩にのしかかるのを感じながら、トントン、と遠慮がちにノックの音を響かせ、重い扉を押し開ける。

 

「失礼します、店長さん。今日の分の売上金、持ってきました……!」

 

ジュリがバッグを抱えて入室すると、デスクの椅子にふんぞり返っていた店長は、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。その目は、早く金を見せろとでも言うように、ギラギラとした強欲な輝きを放っている。

 

「おう、遅かったじゃないか。ほら、早くそれをこっちに渡しなさい」

 

店長はジュリの労をねぎらう言葉一つかけることなく、彼女の手からひったくるようにして売上金の詰まったバッグを奪い取った。

すぐさまデスクの上にバッグの中身をぶちまけると、そこから溢れ出たのは、これまで見たこともないような大量の紙幣と硬貨の山、そして決済用のタブレット端末だった。

 

「な、なんだこれは……!?」

 

店長は息を呑み、脂ぎった顔を驚愕に歪めた。

信じられないという手つきで、狂ったように札束を数え始める。指を舐め、ガサガサと音を立てながら現金を数えていく店長の背中は、浅ましい執念に満ちていた。だが、驚きはそれだけでは終わらなかった。

 

店長は、現金と一緒に転がっていた端末の画面へ視線を落とし、本日分の電子決済の総計データを目にした瞬間、その動きを完全に硬直させた。

 

「お、おい……嘘だろ。現金だけでもいつもの数十倍はあるってのに、キャッシュレスの売上データが、さらにその倍以上……ッ!? 計算が合わん、これ、本当に今日一日だけの数字なのか!」

 

液晶画面に表示された、暴力的なまでに跳ね上がったデジタル数字の羅列。

スケバンたちが叩きつけた生々しい現金の山と、一般生徒たちがスマートに決済していった莫大な電子マネー。その二つが合算された総売上額は、この寂れた個人店が普段なら丸一ヶ月、下手をすれば数ヶ月かけてようやく稼ぎ出すような、一日分のあがりとしては文字通り破格の領域に達していた。

 

「はい、はいっ……! 今日はなぜか、お客様が途切れなくて……。新しく試してみたメニューが、ものすごく評判が良かったみたいで……!」

 

ジュリは、怒られるのではないかと少し身を縮めながらも、自分の成果が認められた嬉しさから、頬を少し高揚させて答えた。

 

しかし、店長はもうジュリの言葉など耳に入っていない様子で、デスクの上の札束を両手でかき集め、狂おしげに端末の画面を凝視しながら、うっとりとした表情でその大金を見つめていた。

 

(これだけの金が、たった一日で……。電子マネーも現金も、すべて私のものだ。この小娘一人を囲っておくだけで、無限に富が湧き出てくる……!)

 

液晶の冷たい光と、潤沢な紙幣の輝き。その二つにギラギラと顔を照らされながら、店長の脳裏には、数日前にこの事務所で繰り広げられたジュリとの「交渉」の光景が、醜悪な満足感とともに蘇っていた。

 

あの日、ジュリの『神秘』の暴走によって厨房が爆破された直後、店長はまず監督責任者である給食部のフウカを呼びつけ、この事務所で怒髪天を突きながら土下座を強要し、責任を厳しく追及した。

 

だが、店長にとっての本当の「収穫」は、その悪夢のような説教の日のさらに後日、フウカに内緒でジュリが単独で謝罪に訪れた、あの日の光景だった。

 

責任を感じ、罪悪感に押しつぶされそうになりながら一人でドアを叩いたジュリは、この事務所の床に文字通り額を擦り付け、大粒の涙を流しながら土下座をしたのだ。

 

----(回想シーン)------

 

『店長さん、本当にお願いします……っ! フウカ先輩にはこれ以上迷惑をかけたくないんです! もう一度だけ、私一人にチャンスをください……っ!』

 

震える声で懇願するジュリに対し、店長はデスクをわざとらしく激しく叩き、冷酷に突き放してみせる。

 

『ふざけるな! 先日、君たちの部活の責任者(フウカ)にたっぷり油を絞ってやったばかりだというのに、よくもまあ本人がノコノコと図々しいことが言えたものだ! 君のような破壊神に二度と厨房を触らせるか!』

 

怒声に怯え、肩を小さくすくめながらも、ジュリは自分をかなぐり捨てるような勢いで必死に食い下がった。彼女にとって、料理を奪われることは、自分の存在意義を否定されるに等しい絶望だったからだ。

 

『何でもします……! お店の雑用でも、皿洗いでも、どんな過酷な仕事でもやります! お給料だって、一円も要りません! 全額、お店の弁済に充ててください! だから、だからお願いです……! もう一度だけ、私に調理をさせてください……っ!』

 

床に伏せ、必死に許しを請うジュリ。その時、店長の目がふと別の歪んだ色を帯びた。

土下座によって強調された、15歳という年齢にはあまりにも不釣り合いな、豊満で肉感的な胸の膨らみ、そして制服スカートの上からでもはっきりと分かる、張り詰めた肉厚な尻のライン。

大人の下劣な品定めのような如何わしい視線が、ジュリの無防備な身体を舐めるように這い回った。

 

(ほう……お給料は要らない、ね。それに、何でもする、か……)

 

少女の絶望と純粋さを人質に取った瞬間、店長の脳内にどす黒い計算が閃いた。これだけの身体と労働力を、文字通り「タダ」で完全に支配できるのだ。大人の優位性を誇示するように、店長はわざとらしく長い沈黙を置き、冷酷な圧力をたっぷり含んだ声で告げたのだった。

 

『……ふん。そこまで言うなら、君の”誠意”とやらを免じて、少しだけ様子を見てあげることにしよう。ただし……わかっているね? 次また同じような事故を起こしたり、私の指示に背くような真似をしたら……その時は、ただじゃ済まないよ? 言葉通り、身ぐるみ剥がしてでも、その身体で全額きっちり責任(懲罰)を取ってもらうからね。……いいね?』

 

『は、はい……っ! ありがとうございます……!』

 

 

--------(回想シーンここまで)------

 

それが、この監禁にも等しい無給ワンオペ労働の始まりだった。

 

(ククク……あの時の恐怖を、この小娘は今もしっかりと引きずっているわけだ)

 

過去の忌まわしい記憶と支配の構図を思い出し、店長は醜悪な優越感に浸りながら、デスクの上の札束をあらかじめ用意していたアタッシュケースの中へと手際よく掻き込んでいった。バチン、バチンと大きな音を立ててケースの鍵を閉めると、未だに目の前で小さくなって自分の顔色をうかがっているジュリへ、わざとらしい溜息をこれみよがしにつく。

そして「お前は債務者であり、私は慈悲深い被害者である」という上下関係を維持するため、いかにも苦しげな聲音を作って見せた。

 

「いやあ、それにしても本当に大変だよ、ジュリさん……。例の、君の『神秘』が暴走して店がめちゃくちゃになった件なんだけど。実は店舗の修繕費や機材の買い替え費用が、後から後から想像以上に膨らんでいてね」

 

店長は胸ポケットから取り出したポケットチーフで大袈裟に額の汗を拭い、いかにも申し訳なさそうな被害者を演じる。だがその目は、ジュリが「あの日の従順さ」を保っているかを値ぶみするように鋭く観察していた。

 

「これだけ連日、大勢のお客さんが来てくれて、今日みたいな破格の売り上げがあってもだ。そのほとんどは、そっちの莫大な弁済費用に消えてしまうんだよ。本当に心苦しいんだけど……今日も、君に給料は出せないんだ。すまないね」

 

「いえ! そんな、滅相もないです! 元はといえば、私の未熟さのせいで派手に壊してしまったんですから、当然です!」

 

ジュリは慌てて両手を振り、恐縮したように何度も深く頭を下げた。

あまりにも純粋で疑うことを知らない彼女は、目の前の大人が必要経費などとっくに差し引いた、数百万、数千万にも及ぶ巨額の純利益をすべて自身の懐に着服しているなど、微塵も疑っていなかった。それどころか、あの不条理な脅し文句さえも「自分が悪いのだから当然のペナルティ」だと捉え、チャンスをくれた店長に心から感謝していたのだ。

 

店長は足元へとそっとアタッシュケースを隠し、ジュリの罪悪感をさらに煽るように、探るような目でその顔を覗き込んだ。

 

「そう言ってもらえると、私も救われるよ。……ところでさ、ジュリさん。君が最近作る、あの驚異的な売り上げを叩き出しているスイーツだけど……一体、どんな隠し味を使っているんだい? 本部の仕入れデータを見ても、特別なものは何一つ載っていないじゃないか。もしよければ、私にもその『秘密のレシピ』を教えてくれないかな? ほら、もっと効率よく量産して他でも売ることができれば、君の借金だってあっという間に完済できると思うんだ。君のためを思っての提案だよ?」

 

言葉巧みにレシピを奪おうとする店長。その甘い誘惑の言葉が出た瞬間、ジュリのすぐ背後に立つ幻覚のフウカが、いつも以上に冷徹な声音で耳元へと囁いた。

 

『絶対に教えちゃダメよ、ジュリ。この男の目は、料理人のそれじゃない。ただの強欲な獣の目よ。私たちの、あなただけの”宝物”を、こんな奴に渡してはならないわ』

 

「え、あ……それは……」

 

ジュリは一瞬、きょとんとした表情で虚空を見つめたが、すぐに視線を泳がせて口を濁した。店長への申し訳なさを受け止めつつも、フウカとの約束を破るわけにはいかない。彼女はぎゅっとエプロンの裾を握りしめた。

 

「その……企業秘密というか……フウカ先輩との、大事な約束、なんです。それに、あの味は計量カップで測っているわけじゃなくて、その時の感覚というか、文字通り『神秘』的なインスピレーションで味付けしているので……言葉にしてレシピに起こすのが、すごく難しくて……。ご期待に沿えず、すみません」

 

申し訳なさそうに眉を下げるジュリに対し、店長の笑顔が一瞬だけ、ピキリと凍りついた。

 

「……そうかい。まあ、職人のこだわりなら仕方ないね」

 

店長はすぐにいつもの温和な笑顔を取り繕ったが、その目の奥には隠しきれない明らかな不信感と、激しい苛立ちの火がパチパチと灯っていた。あの土下座の時のように、もう一度強硬な手段(圧迫)を使ってでも吐き出させるべきか、という冷酷な思考が頭をよぎる。だが、ここで下手に追い詰めて、金のなる木である彼女に逃げられては元も子もない。彼はすぐに表情を切り替えると、足元のアタッシュケースを手に取って立ち上がった。

 

「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。ここ数日、君が閉店後に残って熱心に新作の試作をしているのは知っているけど、夜更かしもほどほどにね。体が資本だから。あ、それから戸締りだけは絶対に忘れないでおくれよ?」

 

「はい! お疲れ様でした! 戸締りはしっかり確認しておきます!」

 

ジュリのハキハキとした元気な声に見送られながら、店長は重いアタッシュケースを抱え、満足感と不満が入り混じった複雑な足取りでお店を後にした。

 

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静寂が支配する夜の店内。

調理場の一角だけが蛍光灯に照らされ、白い光のベールを作っている。ジュリは再びエプロンを締め直し、砂漠の砂糖をふんだんに使った新作スイーツの試作に没頭していた。

 

昼間の喧騒が嘘のように静まり返った空間に、カチカチと刻まれるタイマーの音と、ボウルの中でクリームが微かに擦れる音だけが規則正しく響く。

ジュリの目の前には、怪しくも美しい輝きを放つ『砂漠の砂糖』の結晶が置かれていた。これをどれだけの割合で配合し、どのタイミングで生地に練り込むか――それが、彼女の課された夜の「宿題」だった。

 

「ジュリ、そこで手を止めない! メレンゲの角が立ちすぎる前に、素早く砂糖を三回に分けて投入しなさい。一瞬の迷いが、焼き上がりの食感をすべて台無しにするわ!」

「はいっ、フウカ先輩……!」

 

誰もいないはずの暗がりに向かって、ジュリは真剣な眼差しで返事をする。彼女の網膜にだけ鮮明に映る「幻覚のフウカ」は、腕を組みながら、オーブンの温度や生地の絶妙な硬さを冷徹に見つめ、容赦のない声を飛ばし続けていた。

 

昼間の激務で、ジュリの肉体はとうに限界を迎えていたはずだった。足の筋肉は鉛のように重く、意識の端々は疲労で白く霞みかけている。

しかし、ひとたび『砂漠の砂糖』を指先で舐め、その圧倒的な甘味が脳を突き抜けると、全身の細胞が強制的に覚醒した。骨の軋みも、心臓の悲鳴も、すべてが心地よい全能感へと書き換えられていく。

 

(もっと……もっとフウカ先輩に認めてもらえるような、完璧なお菓子を作らなきゃ……!)

 

トントン、と小気味よい音を立ててフルーツを刻むナイフの動きは、昼間よりもさらに鋭さを増していた。ボウルを握る手には、15歳の少女のものとは思えない超常的な力がこもり、ガナッシュを攪拌する泡立て器は、もはや目視できないほどの残像を描いている。

 

額から大粒の汗が流れ落ち、ジュリの頬を伝って顎から床へと滴り落ちる。エプロンの下で、熱を帯びた肉体が激しく脈打っていた。

狂気的なまでの集中力の中で、彼女の五感は研ぎ澄まされていく。オーブンから漂い始める、甘く、それでいてどこか脳を痺れさせるような濃厚な香りが、白い蛍光灯の光の中にじわりと満ちていった。

 

 

 

トントン、

 

静まり返った調理場の入り口のドアが、控えめにノックされたのはその時だった。

 

「ひゃいっ!?」

 

ジュリは思わず短い悲鳴を上げ、肩を震わせた。こんな夜更けに一体誰だろう。泥棒か、あるいは……。

恐る恐るその真新しいドアへと近づくと、改装されたばかりの頑丈な金属製の扉の向こうから、防音性の隙間を抜けて、聞き馴染みのある、しかしどこか冷徹な鈴の音のような声が響いた。

 

「……ジュリ? まだ居るのかしら。私よ、ヒナよ」

 

「ヒナさん!? どうされたんですか、こんな時間に!」

 

驚いたジュリが慌てて鍵を開けてドアを引くと、そこにはゲヘナの風紀委員長――空崎ヒナが静かに佇んでいた。

 

「こんばんは。夜遅くに押し掛けてごめんなさい。今、少し良いかしら?」

「いえ、お構いなく! どうぞ、中へお上がりください」

 

ジュリがヒナを迎え入れようとしたその瞬間、彼女の影に隠れるようにして、もう一人の人影が立っていることに気がついた。ジュリの視線に気づいたヒナは、ふっと表情を和らげる。

 

「今日はね、ジュリに会わせたい人がいるから連れてきたの。彼女も、ここに入れても良いかしら」

 

ヒナの纏う穏やかな、しかし絶対的な信頼の空気を感じ取り、ジュリはコクコクと頷いた。

 

「はい、もちろんです。どうぞ中へ」

 

二人の少女が、夜の厨房へと足を踏み入れる。

 

「紹介するわね。この子は小鳥遊ホシノ。この『砂漠の砂糖』を最初に発見して、皆に広めている私の仲間なの――いえ、正確には、私が彼女の仲間、ね」

 

ヒナに促され、一歩前に出た少女を見て、ジュリは息を呑んだ。

腰まで届く、柔らかそうな桃色の長い髪。そして最大の特徴は、左右でまったく異なる色彩を宿したオッドアイの瞳だった。優しげで、どこか眠たげな雰囲気を漂わせるその少女は、ふにゃりと締まりのない笑みを浮かべた。

 

「うへぇ~、夜遅くにごめんねぇ~。おじさんが小鳥遊ホシノだよぉ~。よろしくね~、ウェイトレスちゃん」

 

「ホシノ……この子にはジュリって名前があるの。ちゃんと名前で呼んであげて」

 

すかさずヒナがジト目で注意を入れると、ホシノは「えぇ~」と頭を掻いた。

 

「わかったよ、ヒナちゃん。じゃあ、ジュリちゃん。ちょっとおじさんから聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」

 

「はい、何でしょうか……?」

 

首を傾げるジュリに対し、ホシノはオッドアイの片目を細め、まるで見透かすような視線を投げかけてきた。

 

「――ねえ、ジュリちゃん。”甘いものは好き?”」

 

突然の、あまりにもひょんな質問だった。ジュリが「えっと……」と答えに詰まった、次の瞬間。

 

ピキリ、とジュリの脳内で何かが弾けた。

彼女の意思とは無関係に、顎の筋肉が勝手に駆動する。まるで肉体を別の凶悪な意識に乗っ取られたかのように、ジュリの口が勝手に動き、歪んだ言葉を紡ぎ出した。

 

「”至上の喜び”――」

 

蛇のように顔を歪ませ、口の両端を耳の近くまで釣り上げるような、邪悪で不気味な満面の笑み。

その口から漏れ出たのは、砂漠の砂糖の中毒者同士が交わす隠語――それも、ごく一部の選ばれた最上位の幹部しか知り得ない、狂信の合言葉だった。

 

「ッ……!」

 

ホシノの目が、一瞬で据わった。

隣にいたヒナもまた、息を呑んで驚愕の表情を浮かべる。

 

「……ヒナちゃん?」

 

ホシノが首をゆっくりと傾け、冷たい視線をヒナへと向けた。その声のトーンは、先ほどまでの「おじさん」の軽薄さを完全に喪失しており、底知れない闇と暴力を孕んだ、背筋が凍るような威圧感に満ちていた。

 

「言っておくけど、私は何も言っていないわ」

 

ヒナもまた、声音を一段と落とし、鋭い眼光でジュリを睨み据えた。

 

「……ねぇ、ジュリ。その言葉、どこで誰から聞いたの? なぜあなたが、その言葉を知っているわけ?」

 

二人の圧倒的な強者の気配に睨まれ、ジュリは完全に竦み上がった。

 

「あ、う……あ、私は……」

 

ジュリ自身、なぜ自分の口がそんな言葉を発したのか、全く理解できずに困惑し、恐怖に震えていた。

 

じり、じり、と間合いを詰めてくるヒナとホシノ。圧倒的なプレッシャーが厨房を満たし、破裂寸前の風船のようになった、その時だった。

 

ヒナとホシノの二人が、同時にピクリと動きを止めた。

彼女たちの耳にしか聞こえない「声」が、それぞれの脳内に響いたのだ。

 

「アコ……? どういうこと? ……そう、そういうわけがあったのね。貴方がそこまで言うなら、私は気にしないわ」

 

ヒナは、誰もいない斜め上の空間――少し身長の高い「誰か」が佇んでいるであろう虚空を見上げ、納得したように呟いた。

 

一方のホシノもまた、視線を上方に向け、何もない空間に向かって耳を傾けるように顔を上げていた。

 

「何? ユメ先輩? …………。あぁ、そういうことか」

 

ホシノは、まるでそこに誰かが寄り添い、真実を囁きかけているかのように、静かに虚空へと語りかけ、一人で納得したように小さく頷いた。

 

ジュリには、二人が一体誰と会話しているのか全く分からなかった。ただ、二人の強者がそれぞれ「目に見えない何か」と対話しているという異常な光景に、涙目でオロオロとするばかりだった。助けを求めようとして、調理台の脇に目を向ける。

しかし、そこにいる幻覚のフウカは、信じられないことに床に膝を突き、額を地面に擦りつけるような、最大級の敬意を表す「最敬礼」の姿勢を取っていた。

 

「ふ、フウカ先輩……!? 何をされているんですか!?」

 

声をかけるが、幻覚のフウカは微動だにしない。ただ、何事かをブツブツと呪文のように呟いているようだったが、ジュリの耳には全く届かなかった。

 

「――あはは、ごめんねぇ~!」

 

突然、部屋を支配していた殺気が霧散した。

ホシノが、先ほどまでの恐怖が嘘だったかのような、いつもの柔らかい笑顔を浮かべてジュリの手を握った。

 

「何でもないよ! とりあえず合格、合格! これからよろしくね、ジュリちゃん」

 

「は、はい……? よろしくお願いします……?」

 

狐につままれたような顔で、差し出された手を握り返すジュリ。

 

そんな彼女を見つめながら、ヒナがホシノへと説明を始めた。

 

「この子はとても優秀よ。砂漠の砂糖をゲヘナに広めるために、なくてはならない重要なポジションにいるの。私はね、あなたが私に預けてくれた砂糖の精製工場を、一つ彼女に与えたいと思っているの」

 

「へぇ~、そんなにぃ?」ホシノは少しニヤニヤしながら、オッドアイを細めた。

 

「ヒナちゃん、随分この子に入れ込んでるねぇ」

 

「実際の物を見れば、あなたも理解できるわ」

 

ヒナは誇らしげに胸を張ると、ジュリを振り返った。

 

「ジュリ、ホシノにあなたの自慢のスイーツを食べさせてあげて」

 

「あ、はい! ちょうど試作品がいくつかあります!」

 

ジュリは慌てて冷蔵庫や棚から、今日作り上げたばかりのスイーツをいくつか取り出し、二人の前に並べた。

 

一つは、淡いパステルカラーに染まった美しい**マカロン**。

 

もう一つは、何層にも重なったパイ生地の間に漆黒の特製クリームを挟み込んだ**ミルフィーユ**。

 

そして最後の一つは、宝石のように輝く透明なジュレを乗せた**パンナコッタ**だった。

 

「ほぅ、これがねぇ……」

 

ホシノはしげしげとそれらを見つめた。見た目的には、どこにでもある普通の、少し出来の良い洋菓子にしか見えない。

「食べてみればわかるわ」というヒナの言葉に促され、ホシノはまずマカロンを指でつまみ、口へと運んだ。

 

サクッ、という繊細な歯触りの、次の瞬間――。

 

「ッ……!!!!」

 

ホシノのオッドアイが、限界まで大きく見開かれた。

脳髄を直接ハンマーで殴られたかのような、凄まじい甘味の衝撃。

 

砂漠の砂糖を使ったスイーツは、今やゲヘナだけでなく、キヴォトスの至る所で流通し始めている。ホシノ自身、多くのそれを口にしてきた。しかし、このジュリが作った一品は、それらとは完全に一線を画していた。

 

何これ……!? この子、あの『砂漠の砂糖』と完全に同調している……。素材の持つ危険なポテンシャルを何一つ損なうことなく、極上の甘味へと昇華させて、脳髄を直接融かしてくるような……底知れない純度を引き出しているんだ……!)

 

それだけではない。これほど大量の砂糖を使えば、通常なら元のスイーツの味や風味が壊れてしまうはずだ。しかし、このマカロンも、ミルフィーユも、素材の味や香りを一切邪魔していない。見た目も、匂いも、砂糖中毒者でない一般の生徒が食べれば「ただの美味しいお菓子」としか認識できないだろう。だが、ひとたび「こちら側」の人間が口にすれば、とてつもない純度の衝撃が脳を支配するのだ。

 

「……すごい。ここまで砂糖を完璧に使いこなしている子は、初めて見たよ」

 

ホシノは恍惚とした表情で、ジュリを大絶賛した。

 

「ねえ、ジュリちゃん。このスイーツ、おじさんのアビドスにも作って送ってくれないかな? どうしても、これを食べさせてあげたい子たちがいるんだよねぇ」

 

「アビドス、ですか……? はい! 私で作れるものなら、喜んで作ります!」

 

ジュリは嬉しそうに胸を躍らせ、快く承諾した。

しかし、その様子を見ていたヒナが、少し心配そうに眉をひそめる。

 

「待って、ホシノ。彼女はただでさえこの店のワンオペでキャパシティが限界に近いのよ。これ以上負担をかけるのは……」

 

ヒナは眉をひそめ、明確な制止の意を込めてホシノを遮った。いくら優秀な人材であり、砂糖の精製工場を任せる予定があるとはいえ、限界を超えて潰れてしまっては元も子もない。幹部として、またジュリの能力を高く評価しているからこそ、彼女の肉体が過労で壊れることは避けたかった。

 

「大丈夫、大丈夫!」ホシノは悪戯っぽく笑いながら、懐に手を入れた。

 

「ジュリちゃんにはさ、もっと『純度の高い』砂糖をあげるからね」

 

ホシノが取り出したのは、一粒の飴玉だった。

しかし、それは今ジュリが使っているものとは明らかに異なっていた。結晶の密度が桁違いであり、部屋の明かりを反射して、まるでダイヤモンドのように強烈な輝きを放っている。それと同時に、脳を狂わせるような暴力的に甘い香りが、一瞬で調理場全体に充満した。

 

「……なるほどね。それを出すわけなのね」

 

立ち込める濃厚な芳香に、ヒナは小さく目を細めた。自身も組織の幹部として最高峰の純度の砂糖を日常的に摂取しているヒナにとって、その飴玉がどれほど上質な代物であるかは一目で分かった。組織で厳重に管理されている一級品にも匹敵する極上品。

 

ホシノがそんな貴重な秘蔵の品を、出会ったばかりのジュリに躊躇なく差し出した。その事実こそが、ホシノがジュリの「同調の異能」を対等なビジネスパートナー、だとと判断した何よりの証拠だった。

 

これほどの高純度エネルギー塊であれば、ワンオペによる肉体的な疲労や負担など、文字通り一瞬で無に帰すことができる。ホシノが提示した「絶対的な解決策」とその本気度を前にして、ヒナはフッと口元を和らげ、静かに得心した。

 

「あ……あぁ……」

 

その最高純度の輝きを前にした瞬間、ジュリの思考は完全に消し飛んだ。

とろけた表情になり、口元からはダラリと涎が垂れる。脳の芯から突き上げるような快感に、下腹部が熱く疼き出し、無意識に擦り合わされた太ももの隙間からは、愛液が幾筋もの線となって床へと滴り落ち始めた。

 

「これがあれば、疲れなんて一瞬で吹き飛ぶよ~」

 

ホシノの言葉に、ヒナも静かに頷き、ジュリの熱っぽい瞳をまっすぐに見据えた。そこにあるのは、優秀な部下へさらなる投資を惜しまない、冷徹で確かな信頼を寄せた幹部としての眼差しだった。

 

「ホシノがそれを惜しみなく与えるというなら、私の心配は杞憂だったわね。ジュリ、あなたのその溢れる才能と、その高純度の砂糖があれば、アビドスへの供給も含めて何も問題はないはずよ。カルテルのため、そして私たちのために――素晴らしい成果を期待しているわ。頑張ってね、ジュリ」

 

「は、ひゃい……! がんばり、ましゅ……!」

 

二人の絶対的な存在に肯定され、その労力を正当に評価され、そして最高の砂糖を約束されたジュリは、今までにない幸福感の絶頂に浸りながら、熱い吐息を漏らすのだった。

 

 

 

 

――だが、その夜の厨房の静寂と、少女たちの秘められたやり取りを、完全に遮蔽された闇の向こうからじっと盗み聞きしている者がいた。

 

それは、アタッシュケースを抱えて一足先に店を後にしたはずの、あの店長だった。

 

車へ向かう途中で事務所に忘れ物をしたことに気づいたのか、あるいは、昼間とは明らかに違う甘く暴力的な香気が店外の排気口からまで漏れ出しているのを不審に思ったのか。

いずれにせよ引き返してきた大人は、調理場の勝手口へと続く裏通路、建物の外壁の死角に身を潜めていた。

 

少し開けられた換気用の窓。そのすぐ真下の暗がりに完全に気配を殺してうずくまり、店長はガラス越しに漏れ聞こえる少女たちの会話にじっと耳を傾け、窓枠の僅かな隙間から中の様子を凝視していた。

 

(……まさか、あの小娘の料理に、そんな秘密があったとはな……)

 

息を潜め、完全に壁の陰に隠れながら、店長は歓喜に震える唇を歪めて邪悪な笑みを浮かべた。

 

店長は思い出す。最近ブラックマーケットの裏取引や噂話の間で、まことしやかに囁かれていた奇妙な情報を。

 

――『キヴォトスの生徒たちを内側から狂わせ、依存させる、麻薬のような謎の物質が出回っている』と。

 

元より銃火器を素手で扱い、普通の大人では逆立ちしても敵わない超常の「神秘」を宿した少女たち。その彼女たちを、いとも簡単に骨抜きにし、その屈強な肉体と精神を内側からドロドロに融かして屈服させる恐るべき力を持った代物。

ジュリが作っていたあの驚異的なスイーツの正体、そして今、ゲヘナの風紀委員長であるヒナとアビドスの少女が取引しているダイヤモンドのような結晶こそが、その噂の主――『砂漠の砂糖』だったのだ。

 

(ククク……クハハハ! これは使える、使えるぞ……!)

 

店長の脳内で、どす黒い野望のパズルが急速に組み上がっていく。

この砂糖の価値は、単に店を繁盛させて大金を得るなどという、安い次元の話ではない。

キヴォトスにおいて、大人は常に生徒たちの「神秘」の暴力の前に無力だった。だが、この砂糖さえあれば形勢は逆転する。世界の中心で銃を握り、理不尽なまでの力を行使する最強の生徒たちを、この手で、合法的に、文字通り「お菓子一つ」で飼い慣らし、支配下に置くことができるのだ。

 

すでにジュリの弱みを握り、逆らえない債務者として縛り付けている自分なら、いくらでも彼女を利用してその利権と密輸ルートの核心に食い込める。生徒たちを跪かせ、この世界の真の支配者として君臨する未来が、すぐ手の届くところに見えていた。

 

「そうだ……。あの小娘を、徹底的に使い潰して絞り尽くしてやればいい……」

 

薄暗い廊下で、店長はアタッシュケースを抱える腕にギリギリと力を込め、脂ぎった顔を歓喜に歪ませた。

額の土下座でみせた従順な姿、無給のワンオペ労働さえも「自分が悪いから」と受け入れるあの盲信的な純粋さ。どれほど過酷に搾取しようとも、彼女は自分を「優しい恩人」と信じて疑わないのだ。

 

「ゲヘナの風紀委員長だろうが、アビドスの化け物だろうが関係ない。この砂糖の首輪さえ嵌めてしまえば、どいつもこいつも私の前で這いつくばる雌犬にすぎん……。キヴォトスのすべての権力と神秘を、この私の足元に跪かせてやる……!」

 

建物の外壁に守られた暗闇の中、大人の剥き出しの強欲が、ネバついた低い笑い声となって漏れ出す。室内の白い光は外壁に遮られ、彼の姿を映し出すことはない。世界を裏から牛耳る万能の支配者になったかのような全能感が、彼の脳髄を狂おしいほどに満たしていく。

 

悪意に染まった大人の魔の手が、外壁のすぐ向こう側から迫り、その鋭い牙を剥こうとしていることに。

至高の甘味と幸福に酔いしれるジュリも、キヴォトス最強の一角であるはずの二人の生徒も、この時はまだ、誰も気づいていなかった。

 

つづく

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