アビドス砂漠の砂糖スレ自作概念置き場 作:砂糖堕ちハナエちゃんの人
ゲヘナ自治区内にある大病院の病棟は、いつも通りの喧騒から少し離れた静けさに包まれていた。
ジュンコは足早に廊下を進み、目的の病室の前で足を止めると、軽くドアをノックして中へと入った。
「やっほー、今日も来たわよイズミ!」
元気よく声をかける。病室のベッドの上では、上半身を起こしてじっと窓の外を眺めていたイズミが、ジュンコの声に弾かれたように振り向いた。
「あ、ジュンコ。いらっしゃい……」
返ってきたのは、どこか張り付いたような空元気の声だった。しかし、お見舞いに来られた嬉しさで舞い上がっているジュンコは、その微かな違和感に気がつかない。
「そういえば、精密検査の結果はどうだったのよ?」
「うん。どこも異常なしだって。明日には退院していいって言われちゃった」
イズミの言葉を聞いて、ジュンコは「ほら見なさい!」とばかりに自慢げに胸を張った。
「私が言った通りでしょ! 大げさに検査なんて受けるから心配したけど、もう退院できるじゃない」
「うん……ジュンコの言う通りだったね」
力なく笑うイズミ。そんな彼女の様子を気に留めることもなく、ジュンコは持ってきた大きめの紙袋をゴソゴソと楽しげに漁り、中からお目当ての品を取り出した。
「はいこれ! イズミに一日早い退院お祝いだよっ!」
ジュンコが満面の笑みで差し出したのは、たっぷりとタレの絡んだみたらし団子が24本も詰め込まれた、ずっしりと重い大きなパックだった。
だが、それを見た瞬間、イズミの身体が文字通り凍りついた。
「え……?」
心なしか血の気が引き、顔色が急速に土気色へと変わっていく。差し出された団子を見つめるイズミの肩が、小刻みに震え始めていた。
「どーしたのよ、イズミ? 顔色悪いわよ?」
「う、ううん……なんでも、ないよ……。食べるよ……お団子……」
引き攣った笑みを浮かべ、イズミは震える手でみたらし団子を1本手に取った。まるで、未知の危険物を扱うかのように恐る恐る、それを口元へと運んでいく。
そして、一口齧ったその瞬間――イズミの目から、ボロリと大粒の涙が溢れ出した。
「ど、どうしたのよイズミっ!? どこか痛むの!?」
慌てふためくジュンコの前で、イズミは涙をボロボロと流しながら、狂おしいほどの安堵を噛み締めるように声を震わせた。
「おいしいよぉ……っ。甘くない……ううん、ちゃんと甘いんだけど、あの邪悪な甘さじゃないの……っ。砂の味がしない、普通のお団子だよぉ……っ!」
「あったり前でしょーが! 私がいつも並んで買ってる、お気に入りのお団子屋さんなんだから!」
ジュンコが呆れたように言うのも耳に入らない様子で、イズミは「ううう、おいしいよぉ……」と泣きながら団子を口に運び続けた。
最初は恐怖で恐る恐るだったそのペースが、一口ごとに、いつもの見慣れた大食いモードのハイペースへと加速していく。その様子を見て、ジュンコは胸の内でそっと胸を撫でおろした。
(良かった……。泣くほど美味しかったのね。いつものイズミに戻って安心したわ)
安心したジュンコは、自分も一本もらおうかとトレーに視線を向けた。
そして、次の瞬間――「あっ!」と驚愕の声をあげる。
あんなに大量にあったはずの団子の山が、いつの間にか綺麗さっぱり消え去り、ラストの1本になっていたのだ。
しかも、その最後の1本は、まさに今、イズミが指先でつまみ上げ、口元へと運ぼうとしている最中だった。
「…………どうしたの、ジュンコ?」
最後の一本を唇の上に乗せた絶妙な体勢のまま、イズミが不思議そうに首をかしげる。
手を伸ばしかけた中途半端な姿勢で、ジュンコは恨めしそうにイズミを見つめて固まっていた。
その視線の意図にようやくピンときたのか、イズミはハッと目を見開いた。
「あっ、もしかしてこれ、ジュンコの分だった……? ご、ごめんね、気がつかなくて……今戻すから……」
「き、気にしないでっ! それ全部、イズミにあげたやつだからっ!! だから全部食べていいわよっ!」
慌てて手を振って制止するジュンコに、イズミは申し訳なさそうに上目遣いで尋ねる。
「本当に、いいの……?」
「私がいいって言ってるんだからいいのっ!! 私はほら、来る前にお団子屋さんで、もうお腹いっぱい食べてきたからさっ!」
咄嗟に見栄を張って嘘をつくジュンコ。イズミはしばらく困ったように団子を見つめていたが、やがてパッと表情を明るくした。
「……ありがとう、ジュンコ!」
そう言うと、最後の一本をそれは嬉しそうに頬張った。その幸せそうな顔を見てジュンコは、まあ……いいか。イズミが元気になったんだし、と完全に諦めることにした。
◇
「はい、お茶。甘いお団子の後は、このアツアツのお茶が最高なんだから」
ジュンコはお団子屋がオマケで付けてくれた、昔ながらのポリ茶瓶から、湯気の立つ熱いお茶をミニコップを兼ねた蓋――プラスチックのキャップ――へと注いで手渡した。
「ありがとう~……。ふぅふぅ、アツッ、アツツ……」
熱がりながらも、イズミは嬉しそうにお茶を啜っていく。
「ほら、まだボトルにお茶残ってるわよ。お代わり注ぐから……って、どうしたのよイズミ」
声をかけたジュンコの手が止まる。
イズミは、お茶を飲み干した小さなキャップを両手で包むように持ったまま、じっとそれを見つめて微動だにしなくなっていた。その瞳の奥に、深い翳りが落ちている。
「ねぇ、ジュンコ……」
「ん?」
「最近……ハルナ達に会った……?」
ポリ茶瓶の蓋を見つめたまま、ぽつりと落とされたイズミの問い。ジュンコは一瞬面食らったが、すぐに思い当たって不満げに顔を顰めた。
「ハルナ達? そういえば、あの事件以来全然会ってないわよ。会合も開かれないし、いつものたまり場にも来ない。電話にも出ないし、モモトークなんて既読無視どころか、未読無視よ、未読無視! まったく、何考えてるんだか……」
ジュンコは腕を組んで憤慨した。
美食研究会が発足して以来、少なくとも自分やイズミが加入してからは、ハルナたちの連絡がここまで完全に途絶えることなど一度もなかった。
たまり場にしている怪しい飲食店や潜伏先の隠れ家に行けば、いつも誰かしらがたむろしていたし、ゲヘナ風紀委員会の狂暴化したガスマスク姿の委員たちの激しい追撃から必死に逃亡している最中でさえ、モモトークでの生存確認や作戦会議(という名のテロ予告)は途絶えなかったのだ。
そんなジュンコの怒り混じりの愚痴を聞きながら、イズミはさらに声を低くして、衝撃の事実を告げた。
「……あのね。実は、昨日……ハルナ達がここに来たんだよ」
「えっ!? 本当にっ!?」
「うん。ジュンコが夕方帰った後……ハルナとアカリがお見舞いに来たの。でも、あの二人は――」
イズミの脳裏に、昨日の夕暮れ時の光景が鮮明に蘇る。
◇
夕闇が迫り、オレンジ色の不気味な影が伸びる病室。
コンコン、と静かにドアが開き、姿を現した二人の影に、ベッドの上のイズミは心臓が跳ね上がるのを感じた。
「見つけましたよ、イズミさん☆」
「こんなところへ隠れていたのですね、イズミさん」
現れたアカリとハルナの姿は、イズミの知る彼女たちとは決定的に異なっていた。
頬は不自然にやつれ、肌の血色は最悪だ。しかし、その瞳だけは濁りながらも、獲物を狙う肉食獣のようにギラギラと異様な光を放っている。
そして何より、二人の身体からは、鼻が曲がりそうなほどに濃厚で強烈な「あの甘い香り」が漂っていた。
「ど、どうして……二人がここに……っ」
恐怖に身をすくめるイズミへ、ハルナは一歩、また一歩と、感情の失せた足取りで近づいてくる。
「どうして逃げたりしたのですか? あんなにも素晴らしい美食を拒絶するなんて、美食研究会の一員として悲しい限りですわ」
「しかも、トイレで全て吐き出すなんて、本当に罰当たりですね★」
いつもの穏やかな笑顔のはずなのに、アカリの目が全く笑っていない。
「ですが、ご安心くださいイズミさん。私達は怒ってなどいませんよ」
「ええ。ジュリさんはとっても優しいですから、イズミさんが吐き出しちゃったことも全然怒っていませんし、気にもされていませんでしたよ。『次はぜひ残さず食べてほしい』って仰っていました。だから、安心しなさい★」
ゆらり、ゆらりと近づいてくる二人の放つ異常なプレッシャーに、イズミは総毛立ち、震える手でベッド脇のナースコールを必死に連打した。何度も、何度も、狂ったように押し続ける。
しかし、ナースステーションからの応答は、静寂に消されるだけで一向にない。
「無駄ですよ、イズミさん」
「ナースステーションなら、ここへ来る前に私達が『制圧』しておきましたわ。イズミさんの隠れ場所を中々吐かなくて、少々骨が折れましたけれど」
気がつけば、二人はベッドのすぐ脇にまで達していた。
アカリが冷酷な手つきでイズミの腕からナースコールを奪い取ると、そのまま力任せにコードを引っ張った。
バキィッ!!!と、病室の壁に埋め込まれていた接続パネルが粉砕されて抉り出される。アカリの凄まじい馬鹿力によって、金属製の端子はひしゃげ、千切れた配線が剥き出しになったパネルが壁から虚しくぶら下がった。
アカリは何食わぬ顔で、引きちぎったコードを流れるような動作でイズミの両手首に巻き付け、ベッドの柵へと固く縛り付けていった。
「嫌ぁっ!! やめてぇっ!! 放してよ!!」
「騒がないでください、イズミさん。せっかくの食卓が台無しですわ」
暴れるイズミに対し、ハルナは何の躊躇もなく愛銃を構え、その腹部へと至近距離から銃弾を撃ち込んだ。
――ドンッ!!!
「ぐえっ、あ、ガハッ……っ!?」
衝撃と激痛にイズミの身体が折れ曲がり、動きが止まる。その隙に、アカリはコードの残りでイズミの両足をもベッドへ完璧に固定していった。完全に自由を奪われ、のたうち回ることすらできない。
「さあイズミさん、お食事の時間ですわよ」
「はい、イズミさんの大好物――チーズチョコレートハンバーガーです★」
アカリが手元に持っていた紙袋から、包み紙に包まれたハンバーガーを取り出すと、それを恭しくハルナへと手渡した。
その瞬間、病室の中に、脳の髄を直接殴りつけるような、あの狂気的な甘ったるい悪臭が充満した。
「イズミさんは幸せ者ですね。ジュリさんが、わざわざイズミさんが食べやすいようにと、あなたの大好物をアレンジして作ってくださったのですよ。バンズも、パティも、フィリングも、コンドミメントも……すべてに『砂漠の砂糖』がたっぷりと練り込まれているんですの。ああっ……匂いだけでも脳が蕩けてしまいそうですわ……!」
ハンバーガーから放たれる狂ったような甘い香りに、ハルナはうっとりと目を細め自身の身体を抱くようにして興奮に身を震わせた。
その様子は美食の探求者などではなく、完全に何かの依存症患者のそれだった。アカリもまた、飢えた目でそれを見つめていた。
「これならイズミさんも安心して食べられますよね、さぁどうぞ★」
アカリが催促する。ハルナは、イズミの眼前にその塊を突きつけた。
見た目は、イズミがいつも好んで食べている大好きなハンバーガーそのものだった。
しかし、そこから放たれる強烈な異臭が、イズミの生存本能を激しく刺激する。
食欲など一瞬で消え失せ、全身からダラダラと脂汗が噴き出した。
これ以上あれを口にしたら、今度こそ自分の脳も身体も壊れてしまう。
「い、要らないっ! こんなもの要らないよぉ!! どっか持ってってよぉ!!」
必死に頭を振り、涙を流して拒絶するイズミ。しかし、アカリの細い手が容赦なく伸びてきて、イズミの顎をがっしりと掴んだ。ミシリッ、と骨が鳴るような凄まじい怪力で、イズミの口が無理やりこじ開けられていく。
「イズミさんも我が儘が過ぎますね。仕方がありません。あまり美食的ではありませんが……無理やりにでも、その綺麗な口にねじ込み、押し込みましょう」
ハルナは美しく仕立てられたブラウスの袖を静かにまくり上げると、狂気を孕んだ真顔で、そのハンバーガーをイズミの口へと容赦なく押し当てた。
「んぐ、ううっ!! 嫌ぁっ、嫌ぁぁーーっ!!」
大粒の涙を流し、喉を鳴らして必死に抵抗するイズミ。だが、容赦のない力で肉厚なバーガーが唇を押し潰し、少しずつ、確実に口内へと侵入してくる。あと数ミリで、あの邪悪な味が舌へと接触する。
(ああ……もうダメだ……。私も、あの二人みたいになっちゃうんだ……!)
イズミが今度こそ世界の終わりを確信し、絶望に目を閉じた、まさにその時だった
――ズガガガガガガガガガガガガガッッ!!!!
突如として、鼓膜を破らんばかりの凄まじい重機関銃の爆音が轟いた。
直後、病室の頑丈な窓枠が壁ごと文字通り粉砕され、嵐のような弾幕が室内を獰猛に薙ぎ払う。
「なっ……!?」
「きゃああっ!?」
不意を突かれたハルナとアカリの身体が、一瞬にして弾き飛ばされた。凄まじい衝撃波と共に、二人の身体は病室のドアを突き破り、遥か先の廊下の外へと文字通り吹き飛んでいく。
もうもうと立ち込める硝煙と瓦礫の塵の中、激しく咳き込むイズミが恐る恐る目を開けると、そこには、完全に破壊された窓の縁に、静かに佇む一人の少女の姿があった。
「まったく……世話が焼ける子達ね、本当に」
巨大な翼を広げ、愛銃『終幕:デストロイヤー』を冷然と構えたゲヘナの最高戦力――ゲヘナ風紀委員会、空崎ヒナ風紀委員長だった。
その手には、今しがた火を噴いたばかりの巨大な機関銃が握られている。
「ゲホッ、ゴホッ……ふ、風紀委員長……」
「イズミ? 大丈夫かしら」
チラリとイズミの容態を確認したヒナは、すぐに視線を廊下へと向け、ゆっくりと歩みを進めた。
廊下の向こうでは、吹き飛ばされたハルナとアカリが、苦痛に顔を歪めながらもどうにか立ち上がり、それぞれの武器を構えようとしていた。
それを見たヒナは、ただ、手のひらを外側に向けて横に一閃させた。
それはまるで、目の前を飛び回る羽虫でも追い払うかのような、極めて無造作な、しかし圧倒的な「力」の差を見せつける有無を言わせぬ一動。
それだけで、廊下の空気が一瞬にして凍りついた。ハルナとアカリの身体が目に見えて強張る。
ヒナの放つ絶対的な威圧感を前に、二人は完全に戦意を喪失し、震える手でゆっくりと銃口を下げた。
「ハルナ、アカリ。……こんな事をしろとは言ってないわ。今すぐ立ち去りなさい」
「くっ……ですが、ヒナさん。これは私達の、美食の――」
「私は、立ち去れと言ったの。……聞こえなかったのかしら?」
ヒナの声音が、一段と低くなる。
部屋の温度が数度下がったのではないかと思わせるほどの重圧。
ハルナとアカリは這う失意のままそそくさとその場から退散していった。
静けさを取り戻した病室で、イズミは「助かった……」と、ようやく深く胸を撫でおろした。
と同時に、極限の緊張から解放された反動で、急激な眠気が泥のように押し寄せてくる。
ヒナがベッドに近づき、イズミの手足を縛っていたコードを静かに解いていく。
「ありがとう……風紀委員長……」
その言葉を最後に、イズミの意識は深い闇へと沈んでいった。
完全に意識が途切れるその刹那、自分を見つめるヒナの表情が、微かに柔らかい笑みを浮かべたように見えた。
そして……鼻腔の奥を、微かに、本当に微かに「甘い香り」が掠めた。――そんな気がした。
◇
「何よそれ……っ!!」
イズミから事の顛末を聞き終えた瞬間、ジュンコは凄まじい憤怒と共に立ち上がった。怒りで全身の毛が逆立つような感覚だった。
「ちょっとハルナ達に、一発文句言ってこなきゃ気が済まないわ!!」
「待って、ジュンコ! 行っちゃダメだよ!」
引き留めるイズミの制止の声を完全に振り切り、ジュンコは怒りに任せて病室を飛び出した。
そのまま病院を飛び出し、ゲヘナ自治区の冷たいアスファルトを、ジュンコは全力で駆けていた。
息を切らしツインテールを振り乱しながら、ハルナ達が普段潜伏していそうな通りやお気に入りのレストラン、果ては美食研究会の秘密のアジトに至るまで片っ端から巡っていく。
「あいつら、一体どこに……!」
焦燥感に駆られながら、ある寂れた裏通りへと飛び込んだ時。
前方にお馴染みの、しかしどこか違和感のある二人の後ろ姿を見つけ、ジュンコは喉が裂けんばかりに叫んだ。
「やっと見つけたわ……! ハルナッ! アカリッ!!」
ジュンコが全力の声を張り上げる。その呼びかけに、二人がゆっくりと振り返った。
しかし、その顔を見た瞬間、ジュンコはあまりの衝撃に言葉を失い、息を呑んだ。
「な……に、それ……」
二人とも、酷くやつれていた。
肌の顔色は土色に近くあの美しかったハルナの目の下にはくっきりと黒い隈がこびりついている。
何より、あの潔癖症でいつも身だしなみを完璧に整えているアカリの服の袖やスカートが、油や砂糖のシミで汚れたまま放置されている。
そんなことは、今までの彼女なら絶対に考えられない異常事態だった。
「あら、ジュンコさん。どうされたのですか?」
アカリが声をかけてくるが、その声にはいつもの艶がない。
「何ですかジュンコさん。何がご用ですか? 私達は先を急ぐのですが」
いつものハルナの気品ある声ではない。どこか焦燥感に駆られた、乾いた声。
「どうもうこうもないわよ! 最近どこに行ってたのよ! 全く姿は見せないし、電話も出ないし、モモトークは既読も付かないし……!おまけにイズミにあんな酷いことして……!」
荒ぶる感情のままに吠えるジュンコに対し、二人はあからさまに苛立った様子で、ピクリと眉を動かした。
「イズミさんなら、私達の親切を無下にされただけでしょう。それより私達は、以前お伝えしたジュリさんのスイーツ店に行かなければならないのです。とっても美味しくて、毎日通っているんですよ☆」
アカリが虚ろな目を細めて笑う。
「ええ。今では私達もお菓子作りのお手伝いをしているのですから。本当に素晴らしい体験ですわ」
ハルナが早くここを去りたいと言わんばかりに足をそわそわと動かした。
「それで、ジュンコさん、何か御用ですか? 私達は早くあのお店のスイーツを堪能したいんです。水分も睡眠も、あの甘美の前に比べれば些末なことですから☆」
「ええ。くだらない長話なら、また今度にして頂けますか? 大事な話でしたら、お店から帰ってきてから聞きますので……」
まるで何かに急き立てられ、1秒でも早くその場を去りたいと言わんばかりに会話を切り上げようとする二人。
その異様な佇まいを前にしてジュンコはこれまでに味わったことのない、底冷えするような最悪の予感を抱いた。
直感が警報を鳴らしている。このまま二人をあの店に行かせたら、もう二度と、自分の大好きな「美食研究会」には戻れなくなる。
これは、このまま放置すれば取り返しのつかない大変なことになるという確信めいた予感だった。
ジュンコは瞬時に地を蹴り、素早く二人の前に回り込むと、両手を大きく広げて立ちふさがった。
「……その店に行くの、もうやめなさい」
重く、強い意志を込めたジュンコの言葉に、二人の動きが止まる。
「……はい?」
アカリの笑顔から、すっと温度が消えた。
「何をおっしゃっているのですか、ジュンコさん?」
ハルナの声が、ワントーン低くなる。
「行くなって言ってんのよ!!」
思わず感情が爆発し、声を荒らげて叫ぶジュンコ。
その瞬間、場の空気が一瞬にして張り詰め、完全に凍りついた。
静寂の時間は、実際には数秒にも満たないはずだった。
しかし、ジュンコにとっては永遠のようにも感じられる息苦しい沈黙。
それを破ったのは、ハルナだった。
「ジュンコさん。それはつまり……私達の美食を邪魔する、と言う事でよろしいのでしょうか?」
ゆっくりと、だが確実に、剥き出しの怒気と明確な「殺意」を纏った言葉が、ハルナの薄い唇から漏れ出た。
その顔からは一切の感情が抜け落ち、まるで無機質な能面のような真顔だった。
アカリに至っては、ジュンコが反応するよりも早くすでに愛銃の引き金に指をかけ、その銃口を正確にジュンコの眉間へと突きつけていた。
笑顔のまま、その瞳の奥には狂気的な飢餓感だけがギラギラと渦巻いている。
「――――っ」
二人に正面から睨みつけられ、ジュンコは喉が完全に張り付いて声が出なくなった。
突然、目の前の二人から発せられた強烈な殺気。それは単なる敵意や喧嘩の域を遥かに超えていた。それはまるで、目に見えない強烈な「質量」を持った、濃厚な殺意の塊だった。
周囲の空気が過密を極め、肺に吸い込むことすら拒絶されるような錯覚に陥る。喉の奥が引き攣り、まともな呼吸ができない。
(逃げなきゃ、殺される……!)
脳内で最大級の警報アラートが鳴り響いているのに、足がすくんで自分の肉体ではないかのように一歩も動かない。
ガチガチと醜く震えていた膝がついに支えを失い、ジュンコはその場に力なく崩れ落ちた。
ハルナの放つ、絶対的な拒絶を孕んだ冷徹な殺気。
アカリの放つ、飢餓感に満ちた笑顔の狂気。
二つの巨大な『怪物』に見下ろされながら、ジュンコは涙目で冷や汗を流しただガタガタとアスファルトの上で震えることしかできなかった。
そんなジュンコの姿を一瞥すると、ハルナは冷たく言い放った。
「ジュンコさんに免じて……今の発言は、聞かなかったことに致しましょう」
「肝に銘じなさい★」
「私達の『美食』の道を阻むのであれば、例え誰であろうと容赦は致しません。……ジュンコさん、そこで頭を冷やしてくださいね」
完全に戦意を喪失したジュンコを置き去りにし、二人は再び、何かに取り憑かれたような足取りで歩き出した。
二人の後ろ姿が、通りの向こうへと小さくなり、やがて完全に見えなくなる。
ジュンコは、立ち去る二人の背中に向かって手を伸ばすことすらできなかった。ただ地面にへたり込んだまま、涙で霞む視界でそれを見つめることしかできなかったのだ。
この瞬間。
二人を止める本当の意味での「最後の機会」を、自分は完全に逃してしまったのだという絶望だけが、ジュンコの胸に重くのしかかっていた。