アビドス砂漠の砂糖スレ自作概念置き場   作:砂糖堕ちハナエちゃんの人

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【本作を読む前にお読みください】
この物語は、原作公式ゲーム「ブルーアーカイブ」の公式シナリオである、


・2026年7月実装イベントシナリオ「出航!万魔船 マコト議長の華麗なる避暑」

・2026年8月実装メインストーリー第2部 Vol.1「炎と影」編(通称:ゲヘナ編)


の発表前に構想・執筆された作品です。

上記シナリオにて明かされた最新の公式設定や新事実は一切反映されておりません。

この設定の乖離はあくまで構想・執筆時期によるものであり、原作の未履修や知識不足によるものではございません。


公式設定との乖離や矛盾が多々あるかと存じますが、以上の点を十分にご留意の上、お楽しみいただけますと幸いです。


第13話 美食研究会(3)

 

赤司ジュンコは気がつくと、熱い風が吹き抜ける見渡す限りの砂漠のど真ん中に立っていた。

 

「なんで砂漠に居るのよ……ここはどこなのよ」

 

どこまでも続く乾いた砂の海。ジュンコが困惑して辺りを落ち着かない様子で見回していると、背後からふいに名前を呼ぶ声が届いた。

振り返った先には、ハルナとアカリ、そして入院しているはずのイズミの三人が並んで立っていた。

 

駆け寄ろうとした瞬間、昨日の凄惨な記憶――裏通りでハルナたちから銃口を向けられた時の圧倒的な殺気と絶望――が脳裏にフラッシュバックし、ジュンコは思わずその場に立ちすくんでしまう。

 

「ジュンコさん、本当にごめんなさいっ!!」

 

次の瞬間、ハルナとアカリが突然、砂に額がつくほどの勢いで深々と頭を下げた。

自分たちがどれほど間違っていたか、イズミやジュンコに対してどれほど酷い仕打ちをしてしまったか。

二人は消え入りそうな声で、必死に謝罪の言葉を繰り返す。

 

その異常な低姿勢にたじたじとなっていたジュンコだったが、やがてある決定的な変化に気がついた。

昨日までハルナとアカリの全身から漂っていた、あの胸を悪くするような邪悪で悍ましい甘い香煙が、きれいさっぱり消え去っているのだ。

 

「ハルナ、アカリ……もしかして、正気に戻ったの?」

 

恐る恐る尋ねるジュンコに、ハルナは涙を浮かべて大きく頷いた。

 

「ええ……イズミさんとジュンコさんのおかげです。特にジュンコさん、あなたの必死の叫び声が、深い闇の中にいた私を目覚めさせてくれたんです!」

 

「だからこそ、私たちはあなたに謝りたいんです。本当に、本当に申し訳ありませんでした……」

 

何度も頭を下げ続ける二人の姿に、ジュンコの胸から頑なな恐怖が溶けていく。

もう気にしていない、謝らなくてもいい、と手を取り合おうとしたその時、ハルナがどこか悲壮な微笑みを浮かべた。

 

「許していただけるのですね……。本当に良かった。もうこれで、思い残すことなく逝けます」

 

「えっ……? なに言って……」

 

不穏な言葉に驚くジュンコの目の前で、ハルナは自身の制服から『美食研究会 会長職』を示す特別なワッペンを引きちぎり、それをジュンコの両手へと押し付けた。

 

「これをあなたに差し上げますジュンコさん。今日からあなたが美食研究会の会長です。美食を汚した愚かな私たちに代わって、どうか究極の美食の道を究めてください」

 

「ちょっと、何言ってんのよ! これはハルナが持ってなきゃダメでしょ!?」

 

怒って突き返そうとするジュンコだが、ハルナの力は強い。無理やりワッペンを握らせられた、まさにその瞬間だった。

 

——ゴゴゴゴゴッ!!

 

腹の底に響くような低い地鳴りとともに、足元の砂地が激しく揺れ動いた。

バランスを崩し、尻餅をつくジュンコ。砂まみれになりながら上体を起こした彼女の瞳に、信じられない悪夢のような光景が映し出される。

 

ハルナとアカリの足元の砂から、砂漠の景色に溶け込むような砂色の鱗に覆われた無数の蛇が飛び出し、二人の手足や胴体へと容赦なく巻き付いていた。

鋭い牙が肌に深く突き刺さり、二人の身体から鮮血が噴き出す。

 

「ハルナっ!! アカリっ!!」

 

激しい地震の中で砂がすり鉢状に崩れ始め、二人は無数の蛇に喰らいつかれたまま、底なしの流砂へと引きずり込まれていく。

砂の底へと沈みながら、ハルナとアカリは儚く美しい笑顔を浮かべ、ジュンコに向かって最後の別れの言葉を口にした。

 

「さようなら、ジュンコさん。……あなたと囲んだ食卓は、本当に最高の美食でしたわ」

 

「今までありがとう、ジュンコさん。あとのことは……全部任せましたよ★」

 

「嫌ぁっ! 待って、二人とも! 今助けるからっ……!!」

 

何度も何度も、名前を叫び、手を伸ばそうとしても、激しい揺れで立ち上がることも這って進むこともできない。

ジュンコができるのは、仲間たちが無残に砂の奥底へと飲み込まれ、消えていく姿を見届けることだけだった。

二人の姿が完全に砂の下へと消え去った瞬間、あれほど激しかった地震は嘘のようにぴたりと止む。

 

「ハルナ! アカリ! うそでしょ、出てきてよっ!!」

 

半狂乱で叫びながら、二人が沈んだ場所へ這いずり、必死に両手で砂を掘り返すジュンコ。

だが、どれほど深く掘っても、出てくるのは冷たい砂ばかりだった。

 

「もうやめようよ、ジュンコ。……手遅れだよ」

 

ふと、背後からどこか空虚な声が響いた。

 

「はぁっ!?何言ってんのよ――」

 

イズミのいつもの優しさが嘘のように消え失せた、あまりにも冷淡な言葉。その言葉に宿る酷薄(こくばく)な響きに、思わず振り返ったジュンコは、息を呑む。

そこに立っていたのは、大蛇の極太の胴体に全身を締め上げられ、利き腕が不自然な方向に折れ曲がった血だらけのイズミだった。

 

「イ、イズミ……!? なんで……」

 

悲鳴を上げ、助けようと手を伸ばすジュンコ。しかしイズミは、苦しむ素振りも痛がる様子も見せず、ただ寂しそうな、すべてを諦めたような笑みを浮かべる。

 

「ごめんね。……ばいばい、ジュンコ」

 

メキメキと骨が軋む不気味な音が響き、目の前でイズミの身体が大蛇の圧倒的な怪力によって締め上げられ、無残に握りつぶされた。

散り飛んだ鮮血が、ジュンコの着ていた制服と頬を真っ赤に染め上げる。砂漠の空の下、ジュンコの絶望の叫び声が虚しく響き渡った。

 

 

 

---

 

 

 

「きゃあああああっっ!!!」

 

自室のベッドから跳ね起きるようにして、ジュンコは叫んだ。

荒い呼吸を繰り返しながら周囲を見回す。そこは血塗られた砂漠でもなく、見慣れた自分の部屋だった。

見下ろせば、身につけているパジャマには血の痕など一切ついていない。

 

「ゆ、夢?……よかった……夢、だった……」

 

全身にびっしょりと冷汗をかいたジュンコは、安堵に大きく息を吐き出した。

今日はイズミの退院日だ。学校は自主休校して迎えに行く予定だったため、早朝から焦って起きる必要はない。

 

もう一度横になって心を落ち着かせようとしたジュンコだったが、ふとベッドサイドテーブルに目をやると、スマートフォンの着信ランプが点滅していることに気がついた。

 

画面をタップすると、イズミからの着信履歴と、留守番電話にメッセージが残されているとの通知が表示されている。

なぜか先ほどの悪夢と重なるような嫌な胸騒ぎを覚え、ジュンコは慌ててメッセージを再生した。

 

『もしもし、ジュンコ? イズミだよ! あのね、聞いてよ!ハルナたちがね、正気に戻ったんだよっ! さっき私の病室にお見舞いに来てくれて、この間のことをすごく謝ってくれたの!』

 

弾んだ明るい声に、一瞬だけほっと胸を撫で下ろす。だが、続く言葉にジュンコは耳を疑った。

 

『それでね、ハルナたちが「元凶であるジュリの店をこれから爆破しに行く」って言ってたんだけど……でも、何だろう……何だか、ものすごく嫌な予感がするの。だから私、これから病院を抜け出してハルナたちの後を追うことにしたんだ!』

 

「はぁっ!? なんでそうなるのよ!」

 

一方的に録音されたメッセージだと分かってはいても、そのあまりに突拍子もない行動力と危なっかしさに、ジュンコは思わずスマホに向かって激しいツッコミの声を上げてしまっていた。

だが、留守電の音声はそんな彼女の混乱をお構いなしに続く。

 

『だからジュンコ、今日病院に来て私が居なくても心配しないでね! あっ、そうだ! もし看護師さんたちが慌ててても適当にフォローしておいて! 入院費とか請求されたら悪いけど立て替えておいてね! じゃあね〜!』

 

そこでメッセージは通話終了のブザー音に変わった。

着信時間を確かめると、すでに3時間以上が経過している。窓の外へ目を向ければ、すでにすっかり明るい朝の光がカーテン越しに部屋を照らし出していた。

心臓の早鐘が止まらない。あの悪夢の光景が、現実の予兆として胸を締め付ける。

 

「ああっもうっ! 揃いも揃って馬鹿ばっかり!!」

 

居ても立っても居られなくなったジュンコは、パジャマを脱ぎ捨てて素早く制服へと着替えると、すっかり明るくなった午前の街へと大急ぎで駆け出していった。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

——時を少し遡る。早朝のジュリのカフェ店の厨房。

 

 

 

まだ日の出前の澄んだ空気が漂う中、店舗奥の広い厨房では牛牧ジュリと、アビドスから訪れた『小隊長』、そして彼女が率いる元アリウス小隊の少女たちが白熱したお菓子作りを繰り広げていた。

 

「いいですか皆さん! お菓子作りにおいて最優先されるのは、力強さでも火力でもありません。繊細な計量と、食べる人への優しさです!」

 

ジュリの指導のもと、4つの班に分かれた少女たちの動きには、一切の無駄がなかった。

かつてカタコンベで暗殺や遊撃の訓練に明け暮れていた彼女たちは、その驚異的な集中力と手先のアスリート並みの器用さを今はパティシエとしての技術へと全振りしている。

 

だが、その光景はどこか戦場さながらの異様な緊迫感に満ちていた。

 

「1班、タルト生地へのフルーツ装飾ライン、均一性を維持せよ! 1ミリのズレも許されない!」

「2班、シフォンケーキのメレンゲ気泡確認! 撹拌速度、規定値でホールド!」

「3班、ミルフィーユ用パイ生地の温度上昇を検知! 直ちに冷蔵庫へ退避させろ、急げ!」

「4班、ガトー・ショコラのテンパリング完了! 型流し込みのフォーメーションへ移行!」

 

各班の班長たちが、まるで市街地戦の戦術指示のような鋭い声を飛び交わせる。

果物をカットするナイフ捌きは目にも留まらない神速であり、ボウルを回す手つきは精密機械のように正確無比だった。

 

そんな部下たちの奮闘を視界の隅で確認しながら、小隊長自身は厨房の最奥で洋菓子における最高難易度の双璧——『シュークリーム』と『マカロン』に挑戦していた。

 

「……くっ、このシュー生地の練り具合、手根管に伝わる抵抗値が変わった……!」

 

額に汗をにじませる小隊長に、試作を見守っていたジュリが優しく微笑みかけながらアドバイスを送る。

 

「小隊長さん、シュークリームはですね、内部を限界まで空洞にして膨らませる、いわば繊細な風船のようなものなんです。オーブンの温度を少しでも間違えたり、途中で扉を開けて冷たい風を当ててしまえば、その瞬間に萎んでただの硬いクッキーになってしまうんですよ」

 

「ああ、なるほど……」と、小隊長が真剣なまなざしで頷く。

 

「マカロンも同じなんだな。1グラムの水分量の狂い、あるいは今日の部屋の湿度、メレンゲの泡立て時間の数秒の差……その僅かな変数だけで、表面は無残にひび割れてしまう。戦場での勘や物理的な力押しが一切通用しない、極めて繊細で、同時に魔法のような領域だ」

 

その時、4班の少女が焦りからバーナーの火力を最大出力に上げようとするのが見えた。

 

「待て、4班! 火力が過剰だ!」

 

小隊長は即座に手元を止め、かつてジュリから教わった通りの、落ち着いた温かい口調で指示を響かせた。

 

「お菓子は、私たちが倒すべき敵ではない。……力でねじ伏せようとするな。優しく、だが心にはたっぷりの敬意を持って、生地の声を聞くんだ」

 

隊長からの言葉に、少女たちはハッと息を呑み、火力を適正値に戻して丁寧にヘラを動かし始めた。

 

やがて——厨房に設置された複数のタイマーが、一斉に終了のベルを鳴らした。

 

オーブンの扉がゆっくりと開かれる。

その瞬間、厨房全体を包み込んだのは、香ばしく焦げたバターと甘いバニラ、そして濃厚なカカオの芳醇な香りだった。

 

「これは……」

 

広めの作業台の上に並べられたのは、まさに奇跡のような光景だった。

小隊長の作ったシュークリームは完璧な黄金色に膨らみ、マカロンには美しいピエ(フリル)とツヤやかな光沢が宿っている。

4つの班が手掛けたタルト、シフォンケーキ、ミルフィーユ、ガトー・ショコラもまた、寸分の狂いもなく美しい仕上がりを見せていた。

 

殺風景で実用一辺倒だった厨房が、まるで宝石箱をひっくり返したかのような、甘く美しい夢の世界へと変貌を遂げていた。

 

「すごいです……! 本当に素晴らしいです、皆さん!」

 

ジュリが感動に声を震わせ、小隊長の方を向いて大きな拍手を送った。

 

「誰も一度も失敗しないで、こんなに綺麗に焼き上げるなんて……。小隊長さんが全員をここまで立派に導いたんですね。本当にすごいですよ!」

 

その言葉を受けた小隊長は、白っぽい小麦粉とバニラの甘い香りが染みついた自身の両手を止め、そっと自分の手のひらを見つめた。

かつては冷たい銃身を握り、引き金を引くためだけにあった、硬く荒れた手。

 

彼女の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「……いいや。私がすごいわけじゃない」

 

小隊長は涙をこらえながら、ジュリへとまっすぐに顔を向けた。

 

「ジュリが、私たちに教えるのがとても上手かったからだ。……ただ生き延びるためだけじゃなく、誰かを幸せにするためにこの手を使う喜びを、お前が教えてくれたから。だから私は、この子たちの手を、もう一度『人を幸せにする手』に導くことができた」

 

胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめる。

 

「私たちを……ただ戦うだけの兵器ではなく、もう一度人間に戻るきっかけをくれて……感謝する、ジュリ」

 

温かい感動と祝福の拍手が、厨房の中を優しく満たしていく。まさにその、幸福の頂点でのことだった。

 

 

 

——ガチャリ。

 

 

 

店舗裏口の扉が開き、二人の人影が厨房の前へと姿を現した。黒舘ハルナと、鰐渕アカリだった。

二人は最近、ジュリの生み出すスイーツの魅力に憑りつかれて頻繁にお店を訪れており、試食の手伝いから新製品のアイデア出しまでこなす常連となっていた。

 

その姿を認めたジュリは、何の疑いも抱かずに満面の笑みで歩み寄る。

 

「あ、ハルナさん! アカリさん、おはようございます! こんな早い時間にいらっしゃるなんて珍しいですね。あっ、ちょうど良かったです! 小隊長さんたちが素晴らしいお菓子を作り上げたところなんですよ〜。よかったら、試食していきませんか?」

 

だが、入り口に立ったままの二人は、凍りついたような冷たい表情で動こうとはしない。

 

「……どうしたんですか?」

 

「……よくも、私たちを騙しましたわね」

 

「はい? ……あの、何を言って——」

 

ハルナの瞳に、暗く濁った狂気の殺意が宿る。彼女は懐から、冷たい光沢を放つ物体を取り出し、高く掲げた。

 

「問答無用!! 天誅ッッ!!!」

 

叫びと同時に、ハルナはその物体を厨房のど真ん中へと投げ込んだ。

 

「ジュリッッ!!! 危ないっっ!!」

 

小隊長の鋭い叫声。

次の瞬間、世界を白く塗りつぶすほどの凄まじい閃光と、内臓を揺らす轟音が厨房を完全に飲み込んだ。

ジュリの意識は、その圧倒的な破壊の嵐の中で暗闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 

【……リ……ュリ……ジュリッ……しっかりしなさいっ!! ジュリッッ!!】

 

耳元で響く必死の呼び声に、ジュリは重い瞼を少しずつ開いた。

視界が揺れている。激しい頭痛と、全身を打ちのめすような鈍い痛みが走る。

 

「フウカ……先輩……? 私……」

 

状況を理解できないジュリの目の前には『幻覚のフウカ』が悲痛な面持ちで立っていた。

辺りを見回すと、先ほどまでの美しい宝石箱のような厨房は跡形もなく消え去り、焦げた鉄骨と砕けたコンクリートの瓦礫が散乱する無残な廃墟と化していた。

自分の身に何が起きたのか、頭が追いつかない。

 

「いったい……何が……?」

 

その時、ジュリはふとあることに気がついた。

これほどの破壊に巻き込まれたというのに、自分の身体には致命的な傷が一つもない。エプロンが煤で汚れている程度だ。

 

「フウカ先輩……あなたが、私を守ってくださったんですね……?」

 

感謝を込めて呟くジュリに、幻覚のフウカは首を横に振った。

 

【違うわ……私じゃないわよ】

 

「え……?」

 

その時、ジュリは自身の背中から頭部にかけて、何か温かく柔らかい重量物が覆いかぶさっている感触に気がついた。

ポタ、ポタ……と、生温かい滑り気のある液体がその柔らかいものから垂れ落ちてきて、ジュリの白い頬を伝う。

震える手でその液体に触れ、視線の先に移すと——指先はべったりと濃い鮮血に染まっていた。

 

恐る恐る後ろを振り返り、上を見上げたジュリの心臓が凍りつく。

 

そこにいたのは、全身を血に染めた『小隊長』だった。

彼女は爆風と崩れ落ちる天井の梁からジュリを全身で庇うため、背中から抱きしめるような姿勢のまま、その重い鉄骨を一身に受け止めて押しつぶされていたのだ。

 

「ジュ……リ……無事……か……」

 

血を吐きながら、小隊長がかすれきった声で呟く。

 

「小隊長さんっ!? 私、私は大丈夫です!」

 

「そう……か……よ……かった……間に……合っ……た……」

 

満足そうな微笑みを残し、小隊長の頭上のヘイローが弱々しく揺らぎ、その意識が完全に途絶えた。

ジュリを抱きしめていた両腕からスッと力が抜け、彼女の身体から温もりと、生命の源である血液が瓦礫の隙間へととめどなく流れ出していく。

 

さらに周囲を見渡せば、崩落した瓦礫の山の下で、タルトやケーキを焼いていたアリウス小隊の少女たちまでもが、血を流して物言わぬ状態で倒れている。

 

「ああ……ああっ……! 小隊長さん! 皆さんっ! 嘘でしょ、起きて、死なないでっ!!」

 

完全なパニックに陥り、涙を流して瓦礫を素手で掘り返そうとするジュリ。そんな彼女に向かって、幻覚のフウカが静かに、しかし抗えない厳しさを含んだ声で語りかけた。

 

【泣き叫んでいる場合じゃないわ、ジュリ。……そんなに彼女たちが大切なら、ただ悲しむのをやめて、あなたの力で今すぐ救いなさい】

 

「私に……私にそんなことできるわけがありませんっ!!」

 

【できるわ。……パンちゃんなら可能よ。あなたが特別な願いと力(神秘)を込めて生み出す、特別なパンちゃんなら、彼女たちの生命を繋ぎ止められる】

 

その言葉に、ジュリは藁にもすがる思いで幻覚のフウカに向き直った。

 

「やります! お願いです、やり方を教えてください! みんなを助けられるなら、何でも言うことを聞きますから、どうか力を貸してくださいっ!!」

 

【特別なパンちゃんを生み出すには、ジュリ……あなた自身の命の源、神秘そのものを削り出す必要があるわ。大変危険で、あなたがどうなるか分からないリスクが伴う……それでも、できる?】

 

「できますっ! みんなを……この優しい人たちを救えるなら、私の命くらい、いくらでも差し出しますっ!!」

 

必死に叫ぶジュリの覚悟を聞き届けると、幻覚のフウカの顔に、底知れぬ冷酷な笑みが浮かんだ。

 

【いい覚悟ね。……なら、あなたのその大切な神秘、少しいただくわよ】

 

幻覚のフウカが、ゆっくりとジュリの胸元へと右手を伸ばす。

その手は物理的な肉体をすり抜け、ズブリ……と、ジュリの胸部深層、魂の核がある場所へと直接沈み込んでいった。

 

「――っ、んぐ……っ!!」

 

激痛ではなかった。それよりもはるかに恐ろしい、自分という存在の根底から一番大切なものがごっそりと引き剥がされ、奪い取られるような絶対的な喪失感。あまりの不可解な苦痛に、ジュリは歯を食いしばり、声にならない呻きを漏らして静かに耐え忍ぶ。

 

(ダメだ、ソレを受け入れるな! その力を渡してはいけない!!)

 

自分の中のもう一人の自分が、本能の警鐘を鳴らす。

 

【ジュリ、抵抗して邪魔をしないで……。小隊長さん達を見殺しにしてもいいの?】

 

落ち着いた、それでいて冷え切った幻覚の声に、ジュリは内なる警鐘を必死に理性で押さえつけた。

 

(いいえ、みんなが助かるなら……私は!)

 

ズブズブ……ズルリッ!!

 

虚脱感とともに、ジュリの胸の奥底から何かが強引に引きずり出された。

それは、目もくらむような美しい水色の神秘の光を放つ、小さな結晶のようなエネルギーの塊だった。

自身の命の一部が削り取られたことを理解し、ジュリは息を荒げながらその光の結晶を両手で包み込むように掴んだ。

 

「お願い……パンちゃん来て! アリウス小隊のみんなを、小隊長さんを助けてっ!!」

 

願いと共に手の中の光の結晶が眩い閃光を放ち、爆散した。

飛び散った光の粒子が瓦礫の間に散らばる壊れたシュークリームやケーキの残骸へと宿っていく。

次の瞬間、それらのスイーツがぐにゃりと生物のように脈打ち、パンケーキのクリーチャー——『パンちゃん』へと変貌を遂げた。

 

生み出された数十匹のパンちゃんたちは、ジュリの願いを正確に解する忠実な僕として即座に救助行動を開始した。

 

まずは大型のパンちゃんたちが瓦礫の隙間に潜り込み、自身の弾力のある身体を限界まで風船のように膨らませて小隊長たちの上に重くのしかかっていた鉄骨やコンクリート塊をメキメキと押し上げ、退避スペースへと排除していく。

 

続いて、通常サイズの小さなパンちゃんたちがわらわらと集まり、血を流して倒れている小隊長とアリウス小隊の少女たちの身体へと這い寄った。

傷口へと直接張り付いたパンちゃんたちが生きた医療用絆創膏のように出血部位を完全に覆い隠すと同時に、別の個体群が少女たちの半開きの口や鼻の穴、耳の穴へと細長い触手を伸ばし、内部へと深く入り込んでいく。

 

ドクン、ドクン……と、体内へと侵入した触手から直接細胞を活性化させる高濃度の回復体液が注入される。

と同時に、傷口を覆ったパンちゃんたちの本体がジュブジュフと音を立て、白っぽい湯気を上げながら少しずつ神秘の光のエネルギーへと融解し始めた。

 

外側からは傷を塞ぎ、内側からは体液によって損傷した臓器や体力を強制的に引き上げる。

ジュリの目の前で、小隊長の背中の重傷がみるみるうちに塞がり、失われかけていた顔の血色が穏やかな肌色へと戻っていった。

周囲に倒れていた少女たちの傷口が消え血色が良くなり、呼吸も次第に深く安定したリズムを取り戻す。

 

「よかった……っ、本当によかった……!」

 

仲間たちの生命が繋ぎ止められたことを確認し、へなへなとその場に座り込みそうになるジュリ。

だが、幻覚のフウカの静かな声が彼女の脳髄にゆっくりと染み込んできた。

 

【安心するのはまだ早いわ、ジュリ。……まだ、何一つ終わっていないのよ】

 

「え……?」

 

【思い出して。なぜこの厨房がこんな姿になってしまったのかを。誰がこの爆撃を仕掛けたのかを】

 

その言葉にジュリは息を呑み、崩れ落ちた壁の向こうに広がる街路へと意識を向けた。

爆破を仕掛けたのは——ハルナとアカリだ。彼女たちは爆弾を投げ込んだ直後に退散したが、あの二人がこの程度の破壊で満足するはずがない。

 

「どうして……どうしてハルナさんたちが、こんな酷いことを……っ! 私たち、あんなに仲良く一緒にお菓子を作っていたのに……!」

 

【騙されていたのよ、ジュリ。あいつらは最初からあなたを排除して、あの「砂漠の砂糖」の利権を自分たちだけのものにしようと企んでいたの】

 

幻覚のフウカがジュリの背後から耳元へと口を寄せ、感情の波を抑えた静かで丁寧な声で、毒のように猜疑心を煽り立てる。

 

【これまであいつらが、給食部(私達)に対してどのような略奪と破壊を繰り返してきたか知っているでしょ? あいつらはジュリの純粋なお菓子作りを利用し、最後にはこうしてすべてを奪い取りに来たのよ】

 

「そんなこと……ありえません……」

 

【事実よ。このままでは砂糖もお店も奪われ、あんたはここで亡き者にされ、最後には私と給食部までもがあいつらの手で徹底的に踏みにじられる……! ジュリ、アンタはまた、すべてを奪われるだけの無力な存在に戻るつもりなの?】

 

幻覚の静かな言葉が、少しずつ、しかし確実にジュリの心を引き裂いていく。

仲間を傷つけられた悲しみと信じていた者への裏切りの絶望が、心優しい少女の胸の奥底で、かつてないほど濃密で黒い『憎悪』と『怒り』の炎へと変わっていった。

 

「奪わせない……」

 

ジュリの瞳から、光が消えた。

血走った殺意だけが、黒い炭火のように赤く熱を放ち始める。

 

「許せない……絶対に、許せないっっ……!!」

 

彼女が完全に憎悪の虜となり冷静さを失ったことを確認した幻覚のフウカは、口元を三日月のように歪ませて囁いた。

 

【さぁ、ジュリ。銃を手に取って、立ち上がって。……あの裏切り者たちに、相応しい罰を与えてあげるわよ】

 

幻覚の声に導かれるように、ジュリは瓦礫の中から自身の愛銃——給食部の護身用銃typeBを拾い上げた。

銃身に付着した血と煤を払い、エプロンを揺らしながら、彼女は立ち上がる。

 

粉塵と甘い香煙が渦巻く爆心地の向こう側——。

瓦礫を乗り越え、外の街路へと踏み出したジュリの視線の先には、再び襲撃の機を伺うために引き返してきた、黒舘ハルナと鰐渕アカリの姿があった。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

ドドド……と地鳴りのような爆風の余韻が小さく引き、周囲を覆っていた濃密な粉塵の壁が風に流されて消えていく。

 

 

視界が少しずつ晴れ渡ると、そこにはかつて「店舗」であったはずの場所が瓦礫と焦げた鉄骨の山という変わり果てた無残な姿を晒していた。

焦げた「砂漠の砂糖」の重々しく甘い香煙が、黒煙と共に爆心地からゆらゆらと立ち上っている。

 

その破壊の光景を、街路に立ち止まった黒舘ハルナはどこか満足げな、やりきったような清々しい表情で見つめていた。その美しい瞳には、一筋の迷いすらない。

 

「ハルナ……手を抜きましたね。……炸薬の量を減らしたでしょう?」

 

背後からいつもの艶やかな足取りでアカリが歩み寄り、ハルナの隣へとそっと寄り添った。

その問いかけに、ハルナはフッと口元を和らげ、愛銃《アイディール》の長銃身を撫でる。

 

「フフッ……さすがはアカリさん。よく気がつきましたね」

 

「伊達に何年付き合っていると思っているんですか、すべてお見通しですよ。………狙いはジュリですね?」

 

アカリが首をかしげながら意味深な微笑みを浮かべる。ハルナはゆっくりと首を縦に振った。

 

「ええ、その通りです。ジュリさんの犯した罪は店ごと吹き飛ばせば許されるものではありません。あのような冒涜的なものを生み出し、私たちの美食を歪めた罪……。私がこの手で直接、徹底的に叩きのめさなければいけないのです」

 

「私も賛成です。ジュリさんには、しっかりと罪を償ってもらわなければいけませんからね★」

 

二人は微笑み合い、何一つ疑問を抱くことなく自身の「正義」を確信していた。

 

 

 

その時――。

 

 

 

ガタッ、ガラガラガラッ……!

 

崩れ落ちた店舗の瓦礫の山が内側から激しく揺れ動いた。

大きなコンクリート片を押しのけるようにして、土煙の中から一人の少女が姿を現す。

 

 

牛牧ジュリだった。

 

 

直前にアリウス小隊の小隊長が全身で覆いかぶさって庇ってくれたおかげで奇跡的にも彼女の身体には傷一つない。エプロンや制服が煤と粉塵で少し汚れている程度だ。

 

だが――庇ってくれた仲間たちの血と惨状を目の当たりにし、無傷で生き残ってしまったジュリの瞳は、かつての優しさを完全に失っていた。

血走った激しい殺意と絶望の濁りを宿し、全身を激しく震わせている。

 

(ハルナさん達は……最初から私を排除するつもりだった……! お店も……砂糖も……大切なフウカ先輩も……全部私から奪って、私を消そうとしている……!!)

 

幻覚が脳裏に焼き付けた「嘘」をジュリは完全に信じ込んでいた。目の前に立つ二人への恐怖と怒りで喉が絞り出される。

 

「ハルナさん……アカリさん……」

 

ジュリの口から、低く掠れた声が漏れ出た。

 

「あら、ご無事でしたかジュリさん。しぶといのは良いことですが……」

 

ハルナが冷ややかな目を向け、愛銃を優雅に構え直す。

 

「聞こえていますか、ジュリさん。あなたの犯した不徳は、爆風一つで清算できるほど軽いものではありませんわ」

 

「そうですよジュリさん★ 私たちの前に立つ以上、相応の覚悟はできておられるのでしょうね?」

 

アカリもまた、愛銃《ボトムレス》の銃身下部に装着されたアンダーバレル・グレネードランチャーに指をかけ、不気味な笑みを深める。

 

二人から向けられる、逃げ場のない圧倒的な殺意。

 

ジュリはそれを「砂糖とフウカ先輩を奪い、自分を亡き者にするための悪意」として受け取った。

 

「奪わせない……っ」

 

ジュリの手に、愛銃《給食部の護身用銃typeB》のグリップが強く、軋むほどに握りしめられる。

 

「私の……お店も……砂糖も……先輩も……! 最初から、私を騙して……全部、奪うつもりだったんでしょ……!? 許さない……絶対に、許さないんだから……!!」

 

血を吐くようなジュリの叫びが、粉塵舞う爆心地に虚しく響き渡る。

それを受けたハルナは一瞬だけ瞳を丸くしたかと思うと、くつくつと喉を鳴らして冷ややかな笑いを漏らし始めた。

 

「……騙す、ですか? フフ……あははっ! そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ、ジュリさん……!」

 

静かな怒りから一転、狂気を孕んだ嘲笑を浮かべるハルナ。

愛銃を構えるその手の指先が、怒りで僅かに打ち震えている。

彼女の瞳の奥には、黒く渦巻く情念が炎のように燃え上がっていた。

 

「言葉巧みにあんな不格好で邪悪な毒を『美食』と偽り、私たちに差し出したのは……他ならぬあなたではありませんか! 私たちの理性と美食の尊厳を泥で塗りたくり、あのような身を切られるような苦痛と屈辱を与えておきながら、自分だけ被害者面をするなど、断じて許されることではありませんわ!」

 

かつて砂糖によって理性を狂わされ、気高き美食家としての尊厳を踏みにじられた記憶――砂漠の砂糖によって増幅されたその屈辱が、ハルナの口から激痛のような激昂となって吐き出される。

 

「ええ、騙していたのはどちらですか★」

 

ハルナの背後から、アカリが冷ややかな笑みをたたえて踏み出した。

銃身下部のグレネードランチャーをジュリへと向け、その引き金に指をかける。いつもの軽快な口調でありながら、その瞳からは一切の温もりが消え失せていた。

 

「あんな凶悪な甘みで私たちの脳を狂わせ、正気すら奪おうとしたのはジュリさん……あなたでしょう★」

 

「私たちの信頼を裏切り、愚弄しておきながら……どの口で被害者を気取るのですか。言葉を交わす価値すら感じませんわ」

 

ハルナの冷徹な一言が、冬の刃のように空間を切り裂く。二人にとって、ジュリの叫びは『自分たちを毒で狂わせた元凶が吐く見苦しい自己弁護』にしか聞こえていなかった。

 

「――その不徳、今ここで直々に断ち切って差し上げます!」

 

「渡さない……ハルナさんたちになんて……絶対に、奪わせない――っ!!」

 

ジュリは返答の代わりに愛銃の銃口を二人へと向け、全身の怒りを込めて咆哮した。

 

互いに「自分こそが裏切られ、奪われた被害者だ」と固く信じ込んだまま、すれ違う言葉。

全壊した店舗の焦げた匂いが風に舞う中、救いのない破滅的な撃ち合いの火蓋が、ついに切られたのだった。

 

 

 

――ズドンッ!!

 

 

 

開幕の合図となったのは、ジュリが放った愛銃のショットガンからの重い散弾だった。

火花を散らす大量の鉛弾が瓦礫を削り、ハルナとアカリの立っていたアスファルトを爆砕する。

 

「アカリさん、散開しますわよ!」

 

ハルナが敏捷にステップを踏み、崩れかけたコンクリート壁の陰へと滑り込んだ。

間髪入れず、アカリが愛銃の銃口を跳ね上げ、ジュリの牽制弾幕に向かって反撃のフルオート射撃を叩き込む。

 

 

ダダダダダダッ!!

 

 

「くぅっ……!」

 

ジュリは、降り注ぐ爆発の弾丸を避けるように瓦礫の影へと身を捻った。だが、その動きを予測していたかのように、ハルナの狙撃銃《アイディール》の銃口が瓦礫の隙間から正確にジュリを捉える。

 

「くっ……! この私が、本気で急所を穿っているというのに……なぜ倒れないのですか……!?」

 

ハルナから放たれる大口径の狙撃弾が、正確にジュリの胸元と膝を穿ち、衣服を大きく切り裂く。

その一撃一撃には、移動せずその場に留まることで極限まで高められた必殺の威力が込められていた。

間髪入れず、アカリが銃身下部の榴弾発射機の引き金を引いた。

放たれた高爆薬榴弾が至近距離で炸裂し、重装甲すら粉砕する凶悪な爆風と衝撃波がジュリの全身を容赦なく呑み込む。

 

本来なら、その凄まじい衝撃だけで脳揺れを起こし、即座に気絶して頭上のヘイローが消え去るほどの重火力だ。

 

だが――、炎と煙の向こうから現れたジュリの頭上のヘイローは明滅する素振りすら見せず、むしろ狂気に満ちた輝きを増していた。

生まれ持った並外れた精神力と生命力、そしてアルバイトに励むことで培った莫大な体力によって、致命的な衝撃を完全に受け止めていたのだ。

 

「渡さない……フウカ先輩も……砂糖も……全部……!!」

 

ジュリが重い足取りで前進する。

その一歩ごとに、彼女の肉体はダメージを負うどころか、まるで底なしの体力をどこかから汲み上げているかのように、ますますその威圧感と重みを増していく。

 

「おかしいですね★ 私の狙いも、榴弾の着弾も外れていないはずなのですが――――指が、重い……!?」

 

アカリが焦りに顔を歪めた。連射を続けようと引き金を強く引き絞るが、まるで空気が粘着質に固まったかのように銃身を振り抜く速度と攻撃のテンポが死ぬほど減速させられている。

ジュリが無意識に放つ威圧感が、最も危険な敵であるアカリの腕を狂わせ、その動きを縛り付けていた。

 

さらに、ジュリの周囲から焦げた砂糖の禍々しい煙と氷のような寒気が噴き出した。

 

「ひっ……!?」

 

その煙から放たれるおぞましい悪寒と、脳を刺すような本能的恐怖――。

直撃を受けたアカリは、思わず脚をすくませて数歩後ろへと物理的に跳ね飛ばされるように後退させられた。

 

「アカリさん!?体勢を立て直しますわよ――っ!!」

 

ハルナが叫び、再び狙撃用のスコープを覗き込む。ジュリの眉間へと完全に照準を合わせ、一瞬の躊躇もなく引き金を弾いた。

 

――だが、弾丸がジュリの肌に届く直前。

 

ハルナたちの目には""何一つ見えない""はずの空間が、ふわりと不自然に歪んだ。

 

ジュリの前に、まるで「温かい重箱の湯気」のような不可視の何かが揺らめき、狙撃弾の持つ絶大な運動エネルギーを何もない空間の中で綺麗に死殺して弾き落としたのだ。

ハルナの神秘の銃弾は本来、敵の肉体や装甲をまっすぐに貫通する破壊の軌跡を描く。だが、ジュリに寄り添う幻覚のフウカが展開した、かつてない分厚い「祈りの防護壁(シールド)」が、その致命の一撃を根底から打ち消していた。

おまけに、無意識下で常にジュリと自身の傷を癒し続ける支援の光が、着弾の傷さえも瞬時に塞いでいく。

 

「なっ……!? 空間に弾かれましたわ……!? 何も、無いはずなのに……!!」

 

ハルナが息を呑んだのと同時に、ジュリが三銃身の散弾銃を構える。

通常なら反動の強い銃を構え直し、連続で射撃を行うには一瞬の「タメ(隙)」が生じるはずだった。

 

しかし、ジュリの動作から一切の無駄なタメが消滅していた。

まるで""誰かプロの手練れが手元に添えられ、淀みなく銃身をサポートしている""かのような、目にも留まらない異常な手返しで、ゼロ距離の散弾が連射される。

彼女が少し前へ踏み出しながら銃を振るうだけで、弾丸はハルナとアカリの急所を的確に削り取る。さらに、強い衝撃で自身の意識が揺らぎそうになる瞬間でさえ、体内から無限に湧き出す癒しの力によって即座に持ち直すという、理不尽なまでの不屈さを誇っていた。

 

 

ドンッ!! ガギィンッ!!

 

 

「きゃああっ!?」

 

「くぁっ……!?」

 

ただの散弾ではない。何もない空間から注ぎ込まれている目に見えない「何か」の支援によって、攻撃のテンポと破壊力が壊滅的に跳ね上がっていた。

放たれた散弾は反動を完全に殺した状態でハルナたちの銃身を正確に捉え、弾け飛んだコンクリート片と焦げた砂糖の破片が広範囲に散らばり、二人の足場ごと叩き潰していく。

たとえ銃弾が重い装甲に弾かれ火花を散らしたとしても、爆発的なエネルギーの余波と毒を帯びた甘い粘液が、二人の皮膚をじわじわと侵食していった。

 

「着弾の衝撃が……凄まじいですっっ!!まるで大砲の直撃を受けているような……!」

 

「くっ……傷を追うごとに手返しと勢いが増している……!? 姿は見えませんが、まさか何か別の存在が彼女を守っているのですか……!?」

 

ススにまみれながらも、目に見えない絶対的な防護壁と支援に守られた狂戦士のように、一切足を止めずに前進を続けるジュリ。

 

手加減なしの本気で急所を狙い、榴弾までぶち込んでいるハルナとアカリの二人は、その「理屈の通らない不屈さと超威力」の前についに顔から余裕を失い、冷汗を流して激しく焦り始めるのだった――。

 

「このままでは押し切られます……! アカリさん、一気に間合いを詰めて武器を弾きますわよ!」

 

ハルナの鋭い決断に、アカリは無言で頷いた。

ハルナが狙撃銃でジュリの射線を遮るように瓦礫を撃ち抜き、その隙にアカリが地を滑るように急速接近する。

ジュリがショットガンの銃口を向けようとしたその瞬間、アカリは愛銃の銃身で強烈な打撃を叩き込み、ジュリの手から散弾銃を弾き飛ばした。

 

「きゃあっっ!?」

 

カラン、コロン……と音を立てて、愛銃が遠くの瓦礫へと転がっていく。

 

「ああっ……!」

 

手元から武器を失い、ジュリが悲鳴を上げて散弾銃に手を伸ばそうとする。だが、その隙を老練な美食研究会が見逃すはずもない。

 

「させませんわ――ッ!」

 

ハルナの鋭い一喝と共に放たれた狙撃弾がジュリの伸ばした手の先をかすめ、地面を激しく爆砕する。

さらにアカリが容赦ない追撃の蹴りを見舞い、ジュリの華奢な身体を後方のコンクリート壁へと吹き飛ばした。

 

ガッ、ガギィンッ!!

 

「きゃああっ!?」

 

壁に激しく背中を打ち付け、崩れ落ちるジュリ。武器は数メートル先の瓦礫の向こう側だ。

手を伸ばそうにも、ハルナの放つ牽制射撃が足元を穿ち、一歩も動くことができない。

 

「やりましたっっ……! これで素手になりましたわ!」

 

ハルナが息を荒らげながら、勝利を確信して叫ぶ。

 

「ふぅ……冷や汗をかかせてくれましたね★ これで終わりです――」

 

アカリが銃口を突きつけ制圧を宣言しようとした、まさにその時だった。

 

(そんな……こんなに、頑張ったのに……っ!)

 

壁際に追い詰められ、絶望がジュリの胸を締め付ける。

アリウス小隊のみんなが命懸けで残してくれたチャンスだった。

自分の命の一部すら削り出して、ようやくここまで戦い抜いた。

それなのに、やっぱり私は無力で、このまま負けてすべてを奪われてしまうのだろうか。

 

視界が歪み、諦めかけたその時——。

 

【――諦めちゃ駄目よ、ジュリ】

 

温かい、あまりにも優しい声が耳元で響いた。

誰よりも大好きな人。自分にしか見えない『幻覚のフウカ』が、そっと後ろからジュリの華奢な肩を抱きしめていた。

 

【あなたは一人じゃないわ。……泣かないで、ジュリ。私が、いつでもあなたについている】

 

「フウカ……先輩……」

 

【さぁ、私の力を使いなさい。私があなたを守るから、もう一度立ち上がって、あの泥棒たちを追い払うのよ】

 

幻覚のフウカの優しい言葉と抱擁が、ジュリの心に冷たい狂気の勇気を吹き込む。

 

次の瞬間、ジュリの動きがぴたりと止まった。

 

そして――彼女の胸元、心臓のあたりに朱色と水色の混じった不気味で禍々しい光が集まり始めた。

 

「なっ……!? 何ですか、その光は……!?」

 

ハルナの制止の声も耳に届かない。光は瞬く間に凝縮し、ジュリの胸元で――パァンッ!と、弾けた。

 

弾けた光の粒子が収束すると同時に、ジュリの空いた右手の中に見覚えのあるコンパクトな火器が吸い込まれるように収まる。

それは、給食部の短機関銃——フウカの愛銃《給食部の護身用銃typeA》だった。

 

何より恐ろしかったのは、ジュリの表情だった。

傷つき追いつめられているはずなのに、ジュリは苦痛の素振りすら見せない。

まるで大好きな先輩に優しく抱きしめられ愛を与えられているかのような、うっとりとした恍惚の笑みを浮かべていたのだ。

 

ハルナとアカリの視界には、ジュリに寄り添う「幻影のフウカ」の姿など何一つ見えない。

ただ、胸元から光が弾けて銃が現れる怪現象と、狂気的な多幸感に満ちたジュリの笑顔だけがそこに存在していた。

 

「胸から、光が……!? なぜ、ジュリさんがフウカさんの銃を持っているのですか……!? まさか、フウカさんの身に何か……!?」

 

ハルナの顔から完全に血の気が引く。アカリもまた、かつてない戦慄に表情を強張らせた。

 

「奪わせない……フウカ先輩のことも……全部……!」

 

恍惚とした呟きと共に、ジュリが短機関銃の引き金を絞る。

散弾銃での「連射力の遅さ」「装填数の少なさ」という弱点は、完全に過去のものとなっていた。

幻覚のフウカがもたらした「大技への労力を半分にまで引き下げる」極限の支援により、通常ではあり得ない手動の限界を超えた連射が現実のものとなる。

 

ズドドドドドドドドドドダダダダダダッ!!!!

 

短機関銃特有の猛烈な超高速フルオート弾幕が、咆哮となって弾け飛ぶ。

反動を完璧に殺した超絶的な手返しと、致命傷の威力を跳ね上げる祝福の光を纏って吐き出される弾丸の雨が、ハルナとアカリを容赦なく襲う。

あまりの密度の弾幕にハルナたちは狙撃どころか、瓦礫の陰へ身を隠すことすらままならない。

 

「きゃああああっ!?」

 

「くっ……弾幕が……途切れませんわ……っ!?」

 

弾薬の尽きかけた愛銃で防戦に追われるアカリの腕を、照準を揺らされたハルナの肩を、容赦のない着弾衝撃が穿つ。

分厚い壁を無理やりこじ開けるほどの激しい連撃に、二人の身体に焦げたススと擦り傷が覆っていく。

 

「あは……あはは……! 先輩が……私に力を貸してくれている……!」

 

恍惚とした笑みを深めながらジュリは引き金を弾き続け、一歩、また一歩と前進して二人を追い詰めていく。

ハルナとアカリもまた、攻撃を重ねるごとに自身の腕力が研ぎ澄まされる才能を発動し、激しい銃弾の雨を打ち返そうと試みる。

だが、持てるすべての力を解放し、幻覚のフウカと二位一体の攻防を繰り広げるジュリの前には、その必死の反撃すらも分厚い盾に弾かれ届くことはなかった。

 

 

 

そして、ついに限界が訪れる。

 

 

 

「くぁっ……!!」

 

至近距離からの集中掃射の衝撃を受け、アカリの手から愛銃《ボトムレス》が弾き飛ばされた。膝の力が抜け、ガラガラと瓦礫の山へ背中から崩れ落ちる。

ハルナもまた、全身を襲う強烈な打撃とショックに耐えかね、愛銃《アイディール》を支えきれずに手放した。ガクリと膝をつき、冷たい地面に両手をついて伏せてしまう。

 

二人の頭上のヘイローは力無く点滅を繰り返し、今にも消え入りそうなほど弱々しく明滅していた。

手加減なしの本気で挑んだ二人だったが、全身のススと打撲、そして消耗により、完全に体の自由を奪われ――戦闘不能へと追い込まれたのだ。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

ハルナとアカリの二人が完全に無力化し、地面へ倒れ伏したのを確認すると、ジュリは手にしていたフウカの短機関銃をそっと下ろした。

彼女は一度二人から視線を外し、先ほど弾き飛ばされた自身の愛銃——《給食部の護身用銃typeB》が落ちている瓦礫へと歩み寄る。

 

血と埃にまみれた愛銃を労わるように拾い上げ、愛おしそうに胸に抱くと、ジュリは再びゆっくりと戻り、冷たい殺気を孕んだ瞳で倒れ伏す二人を見下ろした。

手に握られた自身の散弾銃の黒い銃口が、地面に突伏するハルナとアカリの眉間を等しく捉えている。

 

「……降参、ですわ……」

 

ハルナは掠れた声で呟き、悔しさに唇を噛み締めながら目を閉じた。

 

「私たちの……負けです……。どうか……ジュリさん……落ち着いて……私たちは、あの砂糖の呪いから覚め……正気に戻ったのです……」

 

「そうですよ……、ですからその銃口を引いてくださいな……★」

 

アカリも苦しい息の下で、必死に説得の言葉を紡ぐ。

二人はこれで最低限の対話のテーブルにつける――そう信じていた。

 

しかし、銃口を突きつけたまま、ジュリの唇が歪んだ。

うっとりとした多幸感の残る瞳の奥で、ドス黒い殺気が蠢いている。

 

「ふふ……正気に、戻った……? 呪いから、覚めた……?」

 

クスクスと、喉を鳴らしてジュリが笑い出す。その笑顔には、かつての温厚で健気な彼女の面影は微塵もなかった。

 

「……なら、もう一度……ごちそうをしますね? もう二度と、覚めたなんて……言えないくらいに……」

 

「え……?」

 

ハルナとアカリが息を呑んだ、その瞬間。

 

ジュリの足元、そして彼女の両手から、どろりとした不気味な影が溢れ出し、地面を濡らし始めた。全壊した店舗から漂う甘い香煙と、ジュリの身体から溢れ出る狂気の神秘が混ざり合い、蠢く。

 

じくじくと波打つ影の中から這い出してきたのは――粘着質で気味の悪い、無数の『パンちゃん』たちだった。

 

一つ一つは、いつもの小さな通常サイズ。

しかし、それが十、数十、数百――と、溢れ出す湧き水のようにジュリの足元から次々と生み出され、アスファルトの上をズルズルと蠢きながら埋め尽くしていく。

 

「あ……ぁ……っ!?」

 

アカリの瞳に、明確な恐怖が走る。

地面を這い回る大量の異形。まるで砂糖に群がる無数の蟻や、獲物を囲む毒蜘蛛の群れのように、それらは一斉にアカリへと向きを揃えた。

 

ジュリは冷酷な笑みを深め、アカリに向けてそっと片手を差し伸べた。

 

「アカリさんは……食べっぷりがいいですから。たくさん、要りますよね? ……どうぞ、お好きなだけ、おかわりしてください」

 

「やめ……来ないでっ、来ないでぇっ――!?」

 

アカリの短い悲鳴も虚しく、ジュリが指を鳴らした瞬間。

 

ゾワッ……!! と、一斉に蠢いた無数のパンちゃんが、地を蹴り、滑り、弾けるようにして倒れ伏すアカリへと一斉に飛びかかった。

 

「嫌ぁああああああっっ――!!」

 

脚から、腕から、腹部から。

動きの取れないアカリの全身へ、無数の小さな異形が瞬く間に纏わり憑き覆い尽くしていく。

肌を蠢く不快な感触と、逃げ場のない圧迫感。アカリが恐怖に口を開き、悲鳴を上げようとしたまさにその隙を異形たちは見逃さなかった。

 

粘着質なパンちゃんたちが吸い寄せられるようにアカリの半開きの唇、鼻の穴、耳の穴へと触手を容赦なく滑り込み、潜り込んでいく。

 

「んぐぅっ!? ぁ……ん、ぐぁ……ッ!!」

 

喉奥を塞がれ、耳腔を塞がれ、悲鳴すらも甘い気味の悪い感触によって窒息するように押し潰される。

体内へと直接侵入したパンちゃんたちの触手から焦げた砂糖の濃密で毒々しい香煙が放たれ、粘膜を通して彼女の脳へとダイレクトに駆け巡っていった。

 

視界が真っ白に染まる。

外側からは全身を埋め尽くすパンちゃんの群れが、内側からは粘膜を侵食する邪悪な甘みが、アカリの意識と理性を泥のように溶かし、塗り替えていく。

抵抗のために震えていたアカリの手足から、急速に力が抜けていった。

 

「あ……は……っ、ん……ぁ……★」

 

悲鳴は次第に、甘く濁った恍惚の吐息へと変わっていく。アカリの瞳から焦点が消え無数の異形に埋もれながら、その口元が歪んだ微笑みを形作り始めた。

 

「アカリさんっ!! アカリさんっ――!!」

 

隣で伏せるハルナが必死に声を張り上げ、手を伸ばそうとする。

だが、パンちゃんの群れに全身を覆われ内側から完全に屈服させられていくアカリは、もはやハルナの声すら届かない快楽と洗脳の渦へと沈んでいた。

 

抵抗を完全に止め、泥のように横たわるアカリを見下ろしながら、ジュリは冷酷に指先を振り下ろした。

 

その合図と同時に、アカリの肌に纏わりついていたパンちゃんたちが一斉に蠢きを変えた。

今度は粘液だけではない。分厚く重い生地でできた本体そのものが、アカリの耳、鼻、そして大きく開かされた口へと、無理やり押し広げるようにして侵入を開始したのだ。

 

「――ッ!! ――ッッ!?」

 

喉の奥、鼻腔、鼓膜の奥底までをとてつもない質量にこじ開けられ、アカリの口から声にならない悲鳴と絶叫が漏れ続ける。

全身を激しく反らせて悶え苦しむアカリの目は完全に白目を剥き、端からは大量の白い泡と涎が噴き出していた。

侵入しきれなかったパンちゃんの不気味な触手が彼女の目や耳、口の隙間からダラリとはみ出し、生き物のように蠢き続けている。

 

 

破れかけた制服の上からでもはっきりと分かるほど、アカリの腹部が異常な膨らみを見せ始めた。

胎内で暴れ回る大量のパンちゃんたちに合わせて、お腹が歪なボコボコとした形に波打つ。

その内側からは、メキメキ、ブチブチ、バキン、ゴキン、ゴリッ……という、人体から決して聞こえてはならない骨肉の軋む異音が無慈悲に響き渡っていた。

 

「あ……あぁ……っ、そんな……アカリさん……!」

 

あまりの惨状にハルナは恐怖で歯の根が合わなくなる。

やがてピクピクとした痙攣すら収まり、アカリが完全に動かなくなったのを見計らい、ジュリは静かに声をかけた。

 

「――さぁ、アカリさん。起きてください」

 

その優しい声を絶対の命令と受け取ったかのように、アカリの身体がマリオネットのようにぎこちなく、ゆらり、ゆらりと起き上がった。

 

立ち上がったアカリの瞳には、もはやどのような光も映っていない。

ただ焦点の定まらない濁った瞳孔が、左右に常時揺れ動いている。

まるで何日も眠っていないかのように目の下には濃い黒隈が浮かび上がり、鼻からは赤い出血がダラダラと顎へ垂れ流されていた。

だらしなく半開きになった口からは、粘っこい涎がとめどなくあふれ落ちる。

 

「うぐうううあああああああああ!!!」

 

アカリの喉から漏れ出たのは、知性ある言葉ではなく完全に獣に堕ちた獣性の呻き声だった。

 

「きひィ……! カッ……!!! ケヘッ……ア……!!!」

 

「……シ……タ……イ……‼」

 

完全に理性を溶かされ、パンちゃんに寄生洗脳された怪物の姿。

そのアカリがゆらりと顔を向け、こちらを見下ろしてきた視線に、ハルナはかつてないほどの底知れぬ恐怖に怯え切っていた。

 

その時、ジュリが歩み寄り、アカリの血と粘液に塗れた耳元で悪魔のように優しく囁いた。

 

「アカリさん……あなたの大好きなお砂糖とお菓子を破壊したのは、目の前にいるハルナさんですよ。……さぁ、アカリさん。ハルナさんにとびきりのお仕置きをしてください」

 

「ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙~~~~~!!!」

 

ジュリの囁きに反応した瞬間、アカリは耳を裂くような叫び声を上げながら、ハルナを目掛けて猛スピードで突進した。

 

「きゃあっ!? こ、来ないで――がはっ!!?」

 

逃げようと這いずったハルナだったが、全く間に合わない。

アカリの丸太のように重い拳がハルナの横腹に思いっきり突き刺さり、その華奢な身体を数メートル先のアスファルトへと吹き飛ばした。

 

「ごほっ……! ぎゃあっ!!」

 

倒れ込んだハルナの上へ、アカリが獣のように飛びかかり馬乗りになる。

そして、無慈悲で重い殴打の雨を、ハルナの顔面と身体へと容赦なく振り下ろし始めた。

 

ドゴッ! バキィッ! ガッ!!

 

「がはっ……! アカリ……さん、やめ……ごほっ……! やめて……ください……ぎゃあっ……!」

 

口から血を吐き出し、攻撃を喰らって痛みに呻きながら、ハルナは必死に長年の相棒へと懇願する。

だが、焦点の狂ったアカリの耳にその願いが届くはずもない。

 

「ゔぅぅぅぅ……ふぅぅぅぅぅ……!! ぁ゙はぁ……!」

 

ハルナの意識が朦朧とし、頭上のヘイローが限界の点滅を迎えたその時、ジュリの静かな声が響いた。

 

「――アカリさん。もうそのくらいにしましょう」

 

ピタリと、振り上げられたアカリの拳が止まる。

助かった……。ハルナが血の滲む視界で安堵の吐息を漏らしたのも束の間、ジュリは冷徹なまでの決定的な命令をアカリへと下した。

 

「アカリさん。ハルナさんにも……とびきりのご馳走をしてあげてください」

 

「きヒィ……♪」

 

アカリが不気味に嗤った次の瞬間、馬乗りになっていた彼女の上半身が、仰向けに倒れるハルナの顔面へとべったりと覆いかぶさってきた。

至近距離まで近づいたアカリの口、鼻、耳、そして破れた衣服の隙間から、体内に寄生している太いパンちゃんの触手が何本も鋭く伸び出し、ハルナの半開きの唇、鼻腔、耳の穴へと一斉に突き刺さったのだ。

 

「んぐぅっ!!? ――~~~ッッ!!!」

 

ドクドクと心音のような脈打ちと共に、高濃度の砂糖の毒を帯びたパンちゃんの熱い粘液がハルナの体内へと大量に流し込まれる。

さらに、侵入した肉厚な触手そのものが喉を越え、食道を押し広げ、ハルナの内部を無慈悲に蹂躙し始めた。

 

さらに、ハルナの目を見開かせる極限の恐怖が襲う。

アカリの破れたスカートの中から、ひと際大きく極太のパンちゃんの触手がズルリと這い出し、そのままハルナのスカートの裾をくぐり抜けて、彼女の下半身の隠された乙女の秘裂へと体内へ容赦なく侵入を開始したのだ。

 

ミチミチミチィィブチブチブチィィィィーーー!!!

 

 

「んぐぁあああっ!! ――ッッッ!!!」

 

上下から同時に貫かれ、体内を直接突き破られるような激痛と、流し込まれる大量の邪悪な粘液。

ハルナの喉から、これまでに出したことのない絶望の悲鳴が悶えとともに跳ね上がった。

 

(痛いっ痛いっ痛いぃぃいいいいーー!!嫌っ!!嫌ですっ! 死にたくない! まだやりたいことも、世の素晴らしい美食を味わい尽くすこともできていないのにっーーー!!!)

 

心の中でどれほど泣き叫ぼうとも、それを表現する余裕は今直面している地獄の現実のどこにも存在しなかった。

視界の至近距離に映るアカリの顔に、理性は欠片も存在していない。「ゔぅぅぅ!!!」と獣のように唸る相棒が、この手を止めてくれる可能性は万に一つもなかった。

 

自身の美食家としての終わりと、人間としての死を悟り、ハルナの意識が白く朦朧と薄れていく。

体内と脳内を高温の糖蜜で激しく焼かれるような致命的な衝撃に、ついにハルナの心が折れ意識を手放そうとした――まさに、その瞬間だった。

 

 

 

 

「うぁあああああーーーーー!!!」

 

 

 

 

突然、爆心地の瓦礫を蹴り飛ばす猛烈な叫び声が響いたのと同時に、すさまじい衝撃音が轟いた。

 

ドッガァァァァンッ!!

 

何かがアカリの側頭部に激しく叩きつけられ、馬乗りになっていたアカリの重い身体が、まるでボールのように横の瓦礫の山へと弾け飛んだ。

 

「ハルナぁぁっ!!」

 

目を見開いたハルナの視界に飛び込んできたのは、弾け飛んで倒れたアカリの上へと迷いなく飛び掛かる、一人の少女の姿だった。

病院の入院着の上から制服を羽織っただけの乱れた服装、そして何より、傷だらけの身体から鬼気迫る気迫を放つその少女――イズミだった。

彼女は自身の愛銃である重い機関銃を、まるで鉄の棍棒のようにフルスイングして、アカリを側頭部から打ち据えたのだ。

 

「がはっ……! ごほっ、ごほっ、げぇっ……!」

 

馬乗りを解除され、口と鼻から流し込まれていた大量のパンちゃんの粘液を激しく咳き込みながら吐き出すハルナ。

 

「イ……イズミさんっ……」

 

絶望の淵で見た相棒の姿に、ハルナの目から涙がにじむ。

 

立ち上がろうと暴れるアカリの背後に回ったイズミは、自分の細い腕でアカリの首と両腕を必死に羽交い絞めにしながら、血を吐くような声で絶叫した。

 

「ハルナぁあああ!! 逃げてぇぇぇぇっ!! 早く、早く逃げてぇぇぇぇえええ!!」

 

「ゔあ゙っ!? ゔぅぅぅ!! ゔあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ーーーッ!!」

 

イズミの細い腕の中で、アカリが人間離れした怪力で暴れ狂う。口から泡を吹き、溢れ零れ出た触手をはためかせて噛みつこうとするその異様な姿。

イズミの叫び声に一瞬だけ留まって加勢しようかと考えたハルナだったが、羽交い絞めを振り払おうと蠢くアカリの完全に洗脳された瞳を見た瞬間、先ほどまで全身を貫かれていた絶対的な恐怖と絶望の記憶が脳髄で蘇った。

 

「ひっ……!」

 

体が勝手に動いていた。美食研究会としての矜持も、仲間を救う誇りも、すべてが恐怖の前に砕け散っていた。

 

「イ、イズミさんっっ!!ごめんなさいっっっ……!!」

 

ハルナは泣き叫びながら立ち上がり、ぶざまに瓦礫を何度も足を取られ這いずわるように街の向こうへと脱兎のごとく逃げ出す。

 

「……っ!! 逃がしません!」

 

獲物が逃げ出したのを認めたジュリの瞳に鋭い殺気が戻り、追撃の銃弾を放とうと自身の愛銃のショットガンをぐっと構え直した。

 

だが、引き金を引こうとした彼女の手を、ふわりと幻覚のフウカの温かい手が包み込んで止めた。

 

【駄目よ、ジュリ。……これ以上の深追いはいけないわ】

 

「どうしてですか!? 今なら……今ならハルナさんを追い詰めて、今度こそトドメを刺せますっっ!」

 

焦燥に叫ぶジュリに向かって、幻覚のフウカは静かに、冷静な声で告げた。

 

【もう、あなたの身体が限界だからよ】

 

その言葉が脳内に響いた瞬間――ジュリの身体から、ガクリとすべての力が抜け落ちた。

 

「え……!? あっ…う…ぐぅ……!」

 

驚くジュリの膝が折れ、くぐもった痛みの声が漏れる。

慌てて地面に愛銃を杖代わりに突き立てることで、何とかその場に倒れ伏すことだけは避けたが、かつて経験したことのない異常なほどの激しい疲労感と虚脱感が全身を襲う。

まるで、自分の中にある一番大事な何かがゴッソリと抜け落ちてしまったような感覚。

奥歯がガチガチと鳴り、恐ろしいほどの寒気と体の震えが止まらない。

 

【少し、力を使い過ぎたみたいね。……もう今日は無理よ、ジュリ】

 

幻覚のフウカの優しい声に、ジュリは顔を歪めた。

 

「そんなっっ!!……ごめんなさい……フウカ先輩……。私、私が力不足なばかりに……大好きな先輩の期待に添えなくてっ――」

 

自分を責めて涙を浮かべるジュリを、幻覚のフウカは愛おしそうに抱きしめる。

 

【そんなことないわ。あなたは十分よくやった……最高よ、ジュリ】

 

幻覚のフウカがそっと顔を寄せ、ジュリの冷たい唇へと柔らかく口づけを落とした。

その瞬間、失われていた熱と神秘が微かに脈打ち、ジュリは自分の体力がいくらか回復したような安堵と癒しの感覚に包まれる。

 

【イズミの始末は、アカリに任せましょう。……さぁ、帰るわよ、ジュリ】

 

「……はい。フウカ先輩」

 

ジュリは杖代わりの銃を支えにゆっくりと立ち上がり、背後でアカリとイズミがもみ合う凄惨な爆心地を振り返ることもなく、その場から撤退した。

 

 

 

 

 

 

日が完全に昇り、朝の光が照らし始めるゲヘナの静かな裏路地。

自宅へと向かって重い足取りで歩くジュリの隣で、幻覚のフウカがふと何かを思い出したかのように足をとめた。

 

【ああ、そうだわ。……ジュリ】

 

「何ですか、先輩?」

 

【ヒナ風紀委員長に連絡を入れてちょうだい』

 

「ヒナさんに……ですか?」

 

ジュリが不思議そうに首を傾げると、幻覚のフウカはかつてないほど底知れぬ、邪悪に歪んだ微笑みを口元に浮かべた。

 

【そうよ。ヒナ委員長が電話に出たら、こう伝えなさい】

 

【――“これから素敵なバラエティショウが始まるので、特等席でパンケーキを食べながら観劇しませんか?”ってね】

 

「バラエティショウ……ですか?」

 

問い返すジュリに向かって、幻覚のフウカは甘く、毒々しい声で囁き返した。

 

 

 

 

 

【ええ、そうよ。……“黒舘ハルナの哀れな最期”と言う、最高の演目(ショウ)よ】

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

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