アビドス砂漠の砂糖スレ自作概念置き場   作:砂糖堕ちハナエちゃんの人

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【本作を読む前にお読みください】

この物語は、原作公式ゲーム「ブルーアーカイブ」の公式シナリオである、


・2026年7月実装イベントシナリオ「出航!万魔船 マコト議長の華麗なる避暑」

・2026年8月実装メインストーリー第2部 Vol.1「炎と影」編(通称:ゲヘナ編)


の発表前に構想・一部執筆された作品です。

上記シナリオにて明かされた最新の公式設定や新事実は、ほぼ反映されておりません。

公式設定との乖離や矛盾が多々あるかと存じますが、以上の点を十分にご留意の上、お楽しみいただけますと幸いです。

※このお話は無能の司祭A氏(むのしさ氏)の砂漠の砂糖SSゲヘナ編をベースに作成しており、以下該当作品から設定や台詞や表現・情景描写を多く引用しております。



第5話 フウカ回




第15話 フウカ(1)

ゲヘナ編 第15話

 

 愛清フウカ、16歳。ゲヘナ学園2年生。給食部部長。

 キヴォトス全土を探しても、彼女ほど日々トラブルメーカーたちに振り回され、理不尽な苦労を強いられ続けてきた生徒はいないだろう。

 だが、そんな『不幸』の代名詞のような彼女は今――信じられないほどの平穏と、確かな幸福感に包まれていた。

 

 

 午前九時。ゲヘナの空に昇った朝日が、カフェテリアの大きな窓から厨房のステンレスを眩しく照らし出している。

 広大な厨房に響くのは、一定のリズムでまな板を叩く小気味良い包丁の音と、寸胴鍋で静かに煮出される黄金色の出汁の香りだけだ。

 

 思えば、フウカの学園生活は理不尽と暴力の連続だった。

 いつもなら、このランチタイムに向けた『午前の仕込み』の時間こそが、過酷なサバイバルの幕開けだ。

「今日の朝食にはエレガンスが足りませんわ!」と閃光弾と共に壁を爆破され、無理やり車に押し込まれるのは日常茶飯事。そうでなくても、温泉開発部が床下からダイナマイトと共に湧き出したり、後輩の作った目玉焼きが触手を振り回して襲い掛かってきたりと、まともに料理と向き合える時間など一日としてなかった。

 

 仮に運良く、無事に営業(ランチタイム)を迎えられたとしても、次に待っているのは生徒たちからの心ない反応だ。

 『不味い』『味が薄い』『こんな残飯みたいな給食、食えるか』――。

 徹夜で仕込んだ何千人分もの料理は、文句ばかりの生徒たちに見向きもされずに大量の生ゴミとして廃棄され、時にはカフェテリアで起こる暴動の際の投げ物や、バリケード代わりにされる始末。

 

 『美味しい料理は、人を笑顔にする』

 

 それは、フウカが包丁を握り始めた日から信じて疑わなかった、たった一つの信念だ。

 けれど、このゲヘナという混沌の魔境では、そんなささやかな願いすら叶わないのだと、半ば諦めかけていた。

 

 だが――。

 

 フウカは手元の作業を止め、ギュッと目を閉じて身構える。

 

 1秒、2秒、3秒……。

 

 ……何も、起きない。

 

 すでに学園には多くの生徒が登校している時間だというのに、壁は吹き飛ばない。奇声も聞こえない。

 そっと目を開けると、そこにはただ、料理を作るためだけに完璧に整えられた、静かで平和な厨房があった。

 昨日も、一昨日も、その前の日も。まるで、自分を理不尽な目に遭わせる厄介者たちが、こぞって神隠しにでも遭って消え去ってしまったかのような、奇跡の静寂。

 

 数時間後に始まる営業でも、きっと生徒たちは暴れることなく行儀よく並び、空になった食器と共に『美味しかった』と最高の笑顔を見せてくれるはずだ。

 

 フウカは小さく息を吐き、安堵と充実感に満ちた、これ以上ないほど晴れやかな微笑みを浮かべた。

 

 

 今、彼女は16年の人生で、最高に幸せの真っただ中にいた。

 

 

「フウカ先輩っ! 頼まれていたお料理、全部完成しましたっ!」

 

 厨房の奥から響き渡った元気な声に、フウカはハッと目を開いた。

 声の主は、両手に巨大なステンレスのバットを抱えた後輩の牛牧ジュリだ。彼女の後ろのコンロでは、いくつもの巨大な寸胴鍋がグツグツと湯気を立てている。

 

「お疲れ様、ジュリ。……えっ、もう出来たの!?」

 

 時計を見上げたフウカは、目を丸くした。

 仕込み開始から、まだそれほど時間は経っていない。いくら手際が良くなったとはいえ、指示したノルマは常人では到底終わらない量のはずだった。

 

「はいっ! ご指示の通り、トッピング用の『目玉焼き・4000人分』! それと、A定食の『鶏の照り焼き』が2000食! B定食の『豚肉のすき焼き風・肉豆腐』が2000食ですっ!」

 

 ジュリが誇らしげに並べたバットと鍋の中を覗き込み、フウカは息を呑んだ。

 

 4000個の目玉焼きは、一つたりとも黄身が破れておらず、焦げ目もない完璧な半熟状態。(かつてのように、黄身から触手が生えて奇声を上げながら襲い掛かってくるような気配もない)。

 そして、黄金色の甘辛いタレがツヤツヤと輝く鶏の照り焼きと、出汁の良い香りを漂わせる肉豆腐。どれも大量調理のレベルを遥かに超えた、食欲をそそる完璧な仕上がりだった。

 

(す、すごい……! あの不器用だったジュリが、こんな途方もない量の料理を、たった一人で完璧に作り上げるなんて……!)

 

 フウカは感動に打ち震えながら、手近な小皿を手に取り、グツグツと煮えたぎる巨大な寸胴鍋へと一歩近づいた。

 

「ジュリ、少し味見させてもらうわね」

 

「あっ、お待ちくださいフウカ先輩! 味見用でしたら、こちらに用意してありますからっ!」

 

 フウカが寸胴鍋のレードル(お玉)に手を伸ばすよりも早く、ジュリがスッと一枚の小皿を差し出してきた。

 見ればジュリは、煮えたぎる大鍋から直接掬ったわけではなく、巨大な寸胴鍋の影に隠れるように置かれていた『小さな片手鍋』から、わざわざ別に取り分けてくれたらしい。

 

(まあ。味見のために、わざわざ別のお鍋で少しだけ取り分けておいてくれたのね。配膳前の大鍋をいじらないための、衛生面への配慮かしら)

 

 かつては調理器具の扱いすら危うかったジュリが、そんな料理人らしい細やかな気配りまでできるようになったのか。

 フウカは後輩の目覚ましい成長に改めて目を細めながら、何の疑いもなくその小皿を受け取った。

 

「ありがとう、ジュリ。それじゃあ、いただくわね」

 

 パクッ、と一口。

 その瞬間、フウカの口内に、お砂糖のコク深い甘みと醤油の香ばしさが爆発的に広がった。

 

「っ……!! 美味しい……!!」

 

 フウカは思わず目元を押さえた。

 ただお砂糖の甘さが強いだけではない。

 肉の旨味を引き立てるための『甘み』として、完璧な計算で調味されている。

 自分のレシピをベースにしながらも、これほどまでに砂糖のコクを極限まで引き出した甘辛い味付けにおいては、完全に自分の腕を凌駕しているとフウカは痛感させられた。

 

「すごいわ、ジュリ! 照り焼きのタレも、お豆腐の染み具合も本当に完璧よ! これならゲヘナのみんなも、絶対にご飯をかき込んでくれるわ!」

 

「えへへ……! ありがとうございますっ、フウカ先輩にそう言ってもらえると、すっごく嬉しいですっ!」

 

 先輩からの最高の褒め言葉に、ジュリは満面の笑みでパァッと顔を輝かせた。

 その無垢な笑顔には、一片の曇りも、悪意のようなものも全く見当たらない。大好きな先輩の役に立てたことを純粋に喜ぶ、健気な後輩の姿そのものだ。

 

(……私、本当に良い後輩を持ったわね)

 

 フウカは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、隣でメンチカツを揚げるジュリの横顔を見つめた。

 と同時に、料理人としてのフウカ自身の内にも、静かな闘志と向上心がふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。

 

(でも、先輩として負けてばかりはいられないわ。ジュリがあんなに頑張って自分の才能を開花させたんだもの。私だって、今の技量に驕ることなく、もっともっと料理の練習や研究を重ねていかないと……!)

 

 ギュッと拳を握り込み、フウカはふと、自嘲気味に息を吐いた。

 

 ――そういえば、純粋に自分の技術を磨くための『料理の研究』や『鍛錬』をしたのは、最後はいつだっただろうか。

 

 ゲヘナに入学して給食部に入ってからというもの、毎日が生き残るためのサバイバルだった。

 突発的な厨房の爆破、美食研究会による拉致、その後の膨大な始末書の作成、さらにはジュリが生み出す得体の知れない生物(バイオハザード)の処理。

 常に周りの問題児たちに振り回され、毎日数千人分の給食を『なんとか予定通りに作り上げる(提供する)』ことだけで精一杯だった。

 

 日々の業務に追われ、心がすり減り、新しい味の探求や技術の鍛錬に向き合う時間も、精神的な余裕も、フウカには全く残されていなかったのだ。

 

(だけど、今は違う……!)

 

 ジュリがまともに料理を作れるようになり、業務の半分を完璧にこなしてくれるようになった。

 そのおかげで、フウカには今、久しぶりに明確な『時間と心の余裕』が生まれている。

 

(これなら、放課後に時間を取って新しいメニューの開発もできる。ずっと試したかった出汁の取り方だって、今日からでも練習できるわ……! 久しぶりに、料理の鍛錬を再開しよう!)

 

 

 ジュリと二人で肩を並べ、大量の料理を阿吽の呼吸で仕上げていく。これこそが、フウカが夢にまで見た『普通の給食部』の光景だった。

 暗闇の中でようやく見つけた希望の光に、フウカは晴れやかな笑みを浮かべた。

 そして、自分にその『余裕』をくれるまでに成長した頼もしい後輩の横顔を、熱を帯びた眼差しでじっと見つめていた――その時だった。

 

「んっ? フウカ先輩、どうされたのですか?」

「えっ!? ひゃあっ!?」

 

 ふいに視線を感じたのか、ジュリがパチクリと瞬きをしてこちらを振り向いた。バッチリと目が合ってしまい、フウカは変な声を出して肩をビクンと跳ねさせた。

 

「ずっと私のことを見てましたけど……もしかして、顔にパン粉でもついてますかっ?」

 

「あ、ううんっ! 違うの、何でもないわ! な、何でもないから!」

 

(恥ずかしいっ! 後輩相手に、感動して見惚れてたなんて言えないわ……!)

 

 顔を真っ赤にしたフウカは、自分の視線の意味を誤魔化すために、慌ててキョロキョロと周囲を見回した。

 すると、ちょうどジュリの手元で、油切り用の網の上に黄金色に輝く揚げ物が積み上げられているのが目に入った。

 

「あ、ほ、ほら! メンチカツ、もう綺麗に揚がってるじゃない! 第一陣、バッチリね!」

 

「あ、はいっ! 焦げないように、しっかり中まで火を通しておきましたよぉ!」

 

「す、すごいわジュリ! 本当に完璧な揚げ具合ね!」

 

「えへへ……! ありがとうございますっ!」

 

 フウカのあからさまな話題そらしに気づく様子もなく、ジュリは褒められたことでパァッと満面の笑みを浮かべた。

 

「その調子で、白身魚のフライもお願いしていいかしら?」

 

「はいっ! フウカ先輩の完璧な下ごしらえのおかげで、すっごく揚げやすいですっ!」

 

 二人の楽しげな笑い声が、朝の厨房に響き渡る。

 地獄へ向けたカウントダウンが進んでいることなど微塵も感じさせない、ただひたすらに穏やかで、幸福な調理風景だった

 時計の針が回り、ゲヘナ学園が甘く狂気的な『お昼休み』へと突入していくまで、あと少し。

 

 

 

 時計の針が正午の少し前を指した頃。

 

 全ての料理を保温レーンに並べ終えたフウカは、カフェテリアの入り口――その分厚いガラス扉の向こう側に広がる光景を見て、思わず息を呑んだ。

 

「すごい……。今日もまた、昨日よりも列が伸びてるわね」

 

 扉の外には、開店時間を今か今かと待ちわびる大勢のゲヘナ生たちが、文字通り『黒山の人だかり』を作って詰めかけていた。

 ジュリが料理の腕を上げてからというもの、給食部の利用者数と売り上げは毎日のように過去最高記録を更新し続けている。だが、今日の列はついにカフェテリアの敷地をはるかに越え、中庭の奥まで果てしなく続いており、昨日までの熱狂すらも上回る異常な人口密度だった。

 

 凄まじい熱気だった。

 分厚い防音ガラス越しにすら、地鳴りのようなざわめきと、彼女たちの異常なまでの興奮がビリビリと伝わってくる。

 

『早く開けろぉっ!』

 

『ジュリのメシだ! アタシにジュリ特製のメシを食わせろぉっ!!』

 

『並べ! 横入りする奴はぶっ殺すぞ!!』

 

 扉の向こうで渦巻いているのは、もはやただの歓声ではない。暴動の一歩手前のような怒号だった。

 最前列で窓ガラスにへばりつくようにして中を覗き込んでいる生徒たちの目は、どれも異常なほどギラギラと血走っており、中にはガラスにべっとりと涎を垂らしながら、ハァハァと荒い息を吐いている者すらいる。

 

 客観的に見れば、それは「美味しいご飯を待つ学生」の姿などではなく、完全に「薬物の禁断症状(オーバードーズ)に苦しむジャンキーたちの群れ」そのものだった。

 

 しかし――今のフウカには、それが全く違って見えていた。

 

(みんな、そんなにお腹を空かせて……給食部の料理を、あんなに熱狂的に楽しみにしてくれているのね……っ!)

 

 フウカは胸を打たれていた。

 かつては「不味い」「残飯」と罵られ、見向きもされなかった自分たちの料理。それが今、これほどまでに大勢の生徒たちから、喉から手が出るほど求められているのだ。

 ガラスに涎を垂らす不良生徒すらも、フウカの目には「給食が待ちきれない育ち盛りの元気な子供」として映っていた。

 

「フウカ先輩! 配膳の準備、バッチリ終わってますよぉっ!」

 

 背後から、エプロン姿のジュリが元気よく駆け寄ってくる。

 彼女もまた、外で狂ったように扉を叩く生徒たちを見て、天使のように無垢な笑顔を浮かべていた。

 

(ああ、ゲヘナのみんな、お腹を空かせてイライラしちゃってる。早く私の『奇跡のお料理』を配って、みんなに平和で幸せな気持ちになってもらわなきゃ!)

 

 ジュリの狂気に満ちた使命感と、フウカの料理人としての純粋な喜び。

 二つの全く異なる善意が、最悪の形で完璧に噛み合っていた。

 

「ありがとう、ジュリ。……それじゃあ、今日も気合を入れていきましょう!」

 

「はいっ!」

 

 フウカが深く頷き、入り口のロック(鍵)に手をかけた瞬間。

 外で待つ数千人の生徒たちの熱気は、最高潮に達した。

 

ガチャリ、と重い音が鳴り響き――ついに、狂宴(ランチタイム)の扉が開かれた。

 

 

「ジュリ、急いで厨房へ戻るわよ!」

 

「はいっ、先輩!」

 

 

 開錠と同時、フウカとジュリは阿吽の呼吸でクルリと踵を返し、配膳カウンターのある厨房の奥へと素早く駆け戻った。ここからは一秒の遅れも許されない戦場(配膳作業)になるからだ。

 

 二人がカウンターの内側に滑り込んだ直後、カフェテリアの入り口で「ダム」が決壊した。

 

「うおおおおおおっ!! ジュリのメシだああああああっ!!」

 

「どけどけどけぇっ! アタシが一番乗りだあああっ!!」

 

 分厚いガラス扉が左右に開かれた途端、押し合いへし合いしていた生徒たちが、まるで雪崩のように一斉にカフェテリアへと雪崩れ込んできたのだ。

 ドドドドドッ! と、数百人、数千人の足音が床を叩き、文字通り地響きとなって厨房のフウカの足元までを揺らす。

 

 彼女たちは脇目も振らず、ものすごい形相で一直線に猛ダッシュをキメていた。

 制服を振り乱し、よだれを撒き散らしながら、他の生徒を突き飛ばしてでも前へ出ようとするその様は、もはや「お昼休みの学生」などではない。映画で見るような『バーゲンセールに群がる主婦の群れ』をさらに凶暴化させたか、あるいは『飢えたゾンビの特攻ダッシュ』か。

 転んだ生徒がいれば、容赦なくその背中を踏み台にして飛び越えていくほどの異常な執念だ。

 

 怒号と悲鳴が交錯する中、なだれ込んできた生徒たちの波の大部分は、まるで磁石に吸い寄せられるかのように『牛牧ジュリ調理担当品』の食券機へと殺到した。

 

 そもそも、給食部の食券機がわざわざ個人の名前で二台に分けられているのには理由がある。

 ジュリが料理をまともに作れるようになってからというもの、「ジュリの作った料理が食べたい」「ジュリのメニューはどれだ」と、彼女の料理を名指し(指名)で求める生徒が急増したのだ。

 最初は同じ食券機でメニューを並べていたものの、間違えてフウカの料理を買ってしまった生徒が「ジュリの料理じゃないならいらない!」と窓口で暴れ出したり、配膳カウンターがパニック状態に陥ったりするトラブルが頻発。そのため、フウカが混雑緩和とトラブル防止のために急遽『ジュリ専用の食券機』を独立して設置した、という経緯だった。

 

 かつては不味いと見向きもされなかった後輩が、今や自分専用の発券機を用意されるほどの『大人気カリスマ料理人』になったのだと、フウカは先輩として純粋に喜んでいた。だがもちろん、その実態はただの『重度のお砂糖(麻薬)中毒者たちのための専用窓口』でしかない。

 

 先を争ってボタンを叩き、機械が壊れんばかりの勢いで食券をむしり取っていく。ジュリの食券機の前には、瞬く間に何重もの巨大な人だかり(もはや暴動まがいの乱闘騒ぎ)が形成されていく。

 

 一方で、すぐ隣に設置された『愛清フウカ調理担当品』の食券機には――。

 

「今日のフウカの定食、手作りのメンチカツだって。楽しみだね」

 

「うん、昨日のお魚も美味しかったし。ジュリちゃんの列は今日もすごいねぇ」

 

 決して人が少ないわけではない。ざっと五十人以上の生徒たちが次々とフウカの食券機に並び、順調に長い列を伸ばしている。

 しかし、隣のジュリの食券機に群がる生徒たちとは、まるで別世界のように『雰囲気』が違っていた。

 

 フウカの列に並んでいるのは、行儀よく順番を守り、友達と談笑しながらメニューを選ぶごく普通の生徒たちだ(彼女たちはまだ『砂漠の砂糖』の魔の手に落ちていない、健全な味覚を持つ非中毒者たちである)。

 対するジュリの列は、「アタシが先だぁっ!」「お砂糖たっぷり定食よこせぇっ!!」と、完全に理性を失ったジャンキーの椅子取りゲームと化している。

 

 フウカは配膳カウンターから二つの列を見比べ、小さく息を吐いた。

 

(私の列は平和でホッとするけれど……ジュリの方に並んでるあの子たち、いくらお腹が空いているからって暴れすぎじゃないかしら)

 

 あまりの熱量の差に、フウカは少しだけ複雑な笑みを浮かべた。

 

(ずっと一人で給食部を支えてきた私の料理が、すっかりジュリのお料理の『おまけ』みたいになっちゃったわね。……正直に言えば、ちょっとだけ寂しいというか、料理人として悔しい気持ちもないわけじゃないわ)

 

 手塩にかけて仕込んだ自分のメンチカツも順調に売れているとはいえ、隣であれほどの圧倒的な熱狂を見せつけられれば、一抹の寂しさが胸をよぎるのも無理はない。

 だが、フウカの心の中に、後輩に対する妬みや嫉みといった暗い感情は一切なかった。ほんの少しの寂しさを優しく包み込んでしまうほどに、先輩としての温かい喜びが大きく勝っていたからだ。

 

(でも……あんな風に暴動が起きるくらい、ジュリのお料理がゲヘナのみんなに求められてるってことだものね)

 

 フウカはカウンターの横で忙しく立ち回るジュリの姿を、まるで自分の娘の成長を喜ぶ母親のような、限りなく優しい眼差しで見つめた。

 

(黒焦げのお鍋の前で、『また失敗しちゃいました』って泣いていたあの子が……今じゃ、こんなにたくさんの生徒たちを夢中にさせる、立派な料理人になったんだわ。うん……やっぱり、すごく嬉しい!)

 

 給食を求めて暴動を起こすほど熱狂してくれるなんて、料理人冥利に尽きるではないか。

 あの異常なまでの狂乱ぶりを「育ち盛りの底なしの食欲」と「ジュリの腕前への評価」として100%の善意で解釈し、フウカは胸の奥をじんわりと熱くしていた。

 

「フウカ先輩! 私の定食も、先輩のメンチカツ定食も、どっちもすごい勢いで売れてますよぉっ!」

 

 食券の束を握りしめ、パァッと花が咲いたような笑顔で振り返るジュリ。

 彼女の言葉には、自分だけが人気を集めているという驕りなど微塵もない。「大好きな先輩と一緒に作った料理が、全部たくさん売れて嬉しい」という、純粋無垢な喜びだけが詰まっていた。

 

「ええ、そうねジュリ! 私たちが一生懸命作ったお料理だもの。さぁ、気合を入れて配膳していくわよ!」

 

 自分をおまけ扱いなどせず、心から慕ってくれる健気な後輩の声に、フウカは先ほどのわずかな寂しさなど完全に吹き飛ばし、晴れやかな笑顔で応えた。

 

 健全で穏やかな生徒たちと、致死量の『劇薬』を求めて狂い咲く中毒者たち。二つの全く異なる群衆を相手に、最高に平和で、最高に狂ったランチタイムが、こうして幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 狂宴の扉が開かれてから数分後。

 広大なカフェテリアは、数千人の生徒たちによって瞬く間に埋め尽くされ、かつてないほどの熱気と活気に包まれていた。

 

「はい、お待たせ! 愛清定食の手作りメンチカツね、揚げたてで熱いから気をつけて運んでちょうだい!」

 

「こっちはジュリ特製・肉豆腐と照り焼きチキン定食ですぅ! 順番にお渡ししますから押さないでくださいねぇ!」

 

 配膳カウンターの奥では、フウカとジュリが目にも留まらぬ速さで次々とトレイに料理を並べ、押し寄せる生徒の波を捌いていた。

 何千という食器がぶつかるカチャカチャという音。巨大な炊飯釜や寸胴鍋から立ち昇る、視界が白く曇るほどの熱気。絶え間なく続くオーダーの嵐。

 厨房はまさに戦場だったが、フウカの心はこれまでにないほどの充実感で満たされていた。

 

(すごい……本当に、途切れることなく生徒が来てくれる)

 

 フウカは額の汗を拭いながら、配膳カウンター越しにカフェテリアの様子をぐるりと見渡した。

 そこかしこのテーブルが満席になり、座りきれない生徒たちが立ち食い用のスペースにまで溢れ返り、一心不乱にトレイに向かっている。

 

 フウカの目線の先で、ジュリの定食を受け取った生徒たちは、皆一様にトレイを持つ手を小刻みに震わせ、黄金色に輝く照り焼きチキンを食い入るように見つめながら自分の席へと小走りで向かっていく。

(ふふっ、お腹が空きすぎて手が震えちゃってる。席に着くまで待ちきれないのね)

 

 テーブルに着いた彼女たちの様子も、かつてのゲヘナからは考えられないほど「平和」だった。

 誰も銃を抜かない。誰も喧嘩をしない。

 ただただ、目の前のトレイに盛られた料理に対して、文字通り『一心不乱』に食らいついているのだ。

 

 ある生徒は、肉豆腐を一口食べた瞬間に天を仰ぎ、ビクンッ!と全身を跳ねさせて恍惚の溜息を漏らしている。

 またある生徒は、口の周りに照り焼きチキンの黄金色のタレをべっとりと付けたまま、瞬きすら忘れたように血走った目で、次から次へと白米を胃袋へ流し込んでいる。

 親しい友人と向かい合って座っているグループでさえ、誰一人として雑談などしていない。全員が異常なほどの集中力で、無言のまま皿の上の料理を貪り食っているのだ。

 

 客観的に見れば、それは『飢餓状態から解放された野獣の群れ』か、『ヤバい薬のオーバードーズでガンギマリになりながら快楽を貪るジャンキーたち』の異様な光景に他ならない。

 

 一方で――フウカの作った『手作りメンチカツ定食』を食べている生徒たちのテーブルは、それとは全く違う穏やかな空気に包まれていた。

 

「んーっ! 今日のメンチカツ、外はサクサクでお肉の汁がジュワッて出てきてすっごく美味しい!」

 

「本当だ。隣の白身魚のフライも、手作りのタルタルソースと合ってて最高だね」

 

「ねぇねぇ、午後の授業なんだけどさ、サボってカラオケ行かない?」

 

「えー、またぁ? 補習になっちゃうよ?」

 

 彼女たちは、サクッ、サクッと小気味良い音を立てて揚げたてのフライを頬張りながら、友達同士で楽しげに談笑している。これこそが、フウカがずっと夢見ていた『普通の女子高生の、平和なお昼休み』の光景そのものだった。

 

 フウカは、熱狂に包まれたジュリのテーブルと、笑顔と会話が溢れる自分のテーブルを交互に見渡し、胸の奥から込み上げてくる熱い感動を噛み締めていた。

 

(……すごいわ。私のお料理を食べて笑顔でおしゃべりしてくれている子たちもいれば、ジュリのお料理に夢中になって、おしゃべりすら忘れて無言でご飯を掻き込んでくれている子たちもいる)

 

 本来なら聞こえてくるはずの爆発音や怒号がなく、ただ『料理を美味しく食べる咀嚼音』と『楽しげな笑い声』だけが響き渡る大食堂。

 暴力も理不尽もない。あるのは純粋な食欲と、それを満たすための料理だけ。

 

(毎日大変だけど……諦めずに給食部を続けてきて、本当に良かったわ)

 

「フウカ先輩! お味噌汁のおかわり、追加の寸胴をお願いしますっ!」

 

「ええ、今すぐ出すわ! ご飯も新しい釜を開けるわね!」

 

 戦場のような配膳カウンターの中で、フウカは満面の笑みで頷いた。

 生徒たちを虜にする『劇薬入り定食』と、心を満たす『極上の手作り定食』。

 フウカの思い違いをよそに、ゲヘナ学園のカフェテリアでは、今日も甘くおぞましい多幸感と、ささやかな日常が入り混じる『平和なお昼休み』が着々と進行していくのだった。

 

 

 

-------

 

 

 

「ありがとうございましたー! また明日も来てくださいね!」

 

 ランチタイム終了ギリギリまで粘って定食を食べていた最後の生徒を笑顔で見送ると、フウカは分厚いガラス扉に『CLOSED』の札を掛けた。

 カチャン、と重い音を立てて内側から鍵を下ろし、窓ガラスのブラインドを引き下ろす。

 その瞬間、今までカフェテリアを満たしていた熱気と喧騒が嘘のように遮断され、広大な食堂に深い静寂が舞い降りた。

 

「……ふぅっ」

 

 フウカは扉に背中を預けたまま、長い、長い安堵の息を吐き出した。

 袖口で額に流れる汗を拭うと全身の筋肉が一気に脱力し、まるで鉛のように重い疲労感がどっと押し寄せてくるのを感じる。

 

 無理もない。わずか数時間という短いお昼休みの間に数千食分もの料理を絶え間なく配膳し、寸胴鍋を入れ替え巨大な炊飯釜をひっくり返し続けたのだ。

 体力も気力も、文字通り限界まですり減っている。

 以前のゲヘナであれば、これに加えて『暴動を起こした生徒の鎮圧』や『破壊された備品の片付け』まで加わっていたのだから、ゾッとする話だ。

 

 だが――今、扉に寄りかかっているフウカの胸に満ちているのは、決して嫌な徒労感ではなかった。

 

(……すごく疲れ果ててるはずなのに。なんだか、とっても心地いい気分だわ)

 

 フウカは空っぽになったカフェテリアを見渡し、自然と笑みをこぼした。

 

 テーブルの上には、食べ残しなど一つもない。

 あの大勢の生徒たちが、誰一人として給食を『残飯』と呼ぶことなく、お米の一粒、ソースの一滴に至るまで綺麗に平らげていってくれたのだ。

 返却口に積み上げられたおびただしい数の空の食器の山が、今日の給食部の大勝利(大成功)を何よりも雄弁に物語っている。

 

「フウカ先ぱーいっ! 今日の定食も、無事にぜーんぶ完売しましたーっ!」

 

 厨房の奥から、エプロン姿のジュリがパタパタと小走りで駆け寄ってきた。

 彼女の手には、食券機から回収された分厚い札束(売上金)と、ずっしりと重い食券の束が握られている。

 

「お疲れ様、ジュリ。……ええ、今日も本当に凄かったわね。よく頑張ったわ」

 

「はいっ! 先輩のお手伝いができて、私もすっごく嬉しいですっ!」

 

 疲れを見せずに満面の笑みを浮かべる後輩の頭を、フウカは優しい手つきで撫でてやった。

 

(みんなが美味しいと食べてくれる平和な食堂。そして、頼もしい後輩。……私の居場所は、ここにあるんだわ)

 

『美味しい料理は、人を笑顔にする』

 

 かつては絶対に叶わないと諦めかけていたその信念が、今、確かな現実として目の前にある。

 フウカは心地よい疲労感に身を委ねながら、この何にも代えがたい幸福な時間が、明日も明後日も、ずっと続いていくのだと信じて疑わなかった。

 

「さぁて、私たちも厨房の片付けを始めましょうか」

 

 気合を入れ直し、ジュリと共に奥の厨房エリアへと足を踏み入れたフウカは、そこで展開されている光景を見て、感心したようにほうっと息を吐いた。

 

「……第2セクター(洗い場)、クリア。次、第3セクター(コンロ周辺)の除染作業に移行する」

 

「了解(ラジャー)」

 

 そこに展開されていたのは、息を呑むほどに統率の取れた清掃の光景だった。

 彼女たちが給食部へ手伝いに来るようになってからすでにそれなりの日数が経っており、隣を歩くジュリなどはこの物騒な単語の飛び交う清掃風景にすっかり慣れきった様子で、「みなさん、お疲れ様です!」と呑気に手を振っている。

 厨房に派遣されている助っ人――数人の少女たちが、一切の私語を発することなく、まるで戦場を制圧する特殊部隊のような無駄のない動きで厨房を磨き上げていたのだ。

 彼女たちが通り過ぎた後のステンレス台は、指紋一つ、水滴一つ残らないほど異常なまでにピカピカに輝いている。

 

「あ、フウカ。戻ったか」

 

 フウカたちの視線に気づき、清掃部隊の中心に立っていた小柄な少女が振り返った。

 彼女がこの少女たちを束ねるリーダー――周囲から『小隊長』と呼ばれている少女だ。

 目元に影を落とすようなクールな佇まいの彼女はフウカやジュリを役職や敬称をつけずに呼ぶが、その声色や態度は決して見下しているわけではなく、むしろ現場の責任者に対する確かな敬意が込められていた。

 

「フウカ、本日の配膳任務、ご苦労だった。こちらの事後処理(クリアリング)は我々の小隊で引き受けた。すでに8割方の工程は完了している」

 

「小隊長さん、それにみんなも。……いつもありがとうございます」

 

 最後まで生真面目に報告をしてくれる小隊長に、フウカは底抜けに温かい、太陽のような微笑みを向けた。

 

「でも、今日も午後から風紀委員会との『合同訓練』があるんじゃないですか? 残りの片付けと明日の仕込みは、あとは私とジュリで出来ますので、今日はもう上がってください」

 

 フウカの優しい提案に、小隊長は小さく瞬きをした。

 

(本当に、働き者で良い子たちよね……)

 

 フウカが聞いている範囲では、小隊長たちは以前は別の学園に在籍しており、現在はアビドス高校へ転校生として編入した生徒たちだという。

 そして今は、アビドスからゲヘナ学園へと『留学生』として派遣されてきている身だった。

 留学の目的は、「復興し生徒数が増加しつつあるアビドス高校に、ゲヘナの風紀委員会に相当する新たな治安維持組織を立ち上げるため」

 その中核メンバーとして選ばれた小隊長たちは、ゲヘナの風紀委員会で研修教育と合同訓練を行うために出向してきているのだと、フウカは説明を受けていた。

 

 『風紀委員会での訓練の合間に、給食部の手伝い……特に、ジュリの調理補助を行う』という業務内容についても、初日に小隊長から提示された書類には、風紀委員長である空崎ヒナの正式な署名と認可印がしっかりと押されていた。

 風紀委員会で活動している時の彼女たちは、濃紺のダブルのジャケットに赤い腕章、そして制帽という厳格な『風紀委員の制服』を身に纏っている。

 しかし、こうして給食部へ手伝いに来る時だけは、無用な威圧感を与えないための配慮なのか、グレーの半袖シャツに赤いネクタイ、黒のプリーツスカートという、ゲヘナの『一般学生の制服』に着替えてやって来るのだった。

 

 (風紀委員会で厳しい訓練を受けて、その合間に私たちの手伝いまでしてくれるなんて。あんなに真面目なのね)

 

「総員、撤収準備。第2、第3セクターの残存ツールを速やかに回収しろ。これより本隊へ帰還し、午後の任務(合同訓練)に移行する」

 

「「「了解」」」

 

 小隊長の指示が飛んだ瞬間、少女たちは先ほどの清掃作業と同じく、一切の無駄がない洗練された動作で帰り支度を始めた。

 エプロンを外し、清掃用具を所定の位置へ戻し、荷物をまとめる一連の流れるような動き。

 それを感心したように見つめるフウカに向けて、小隊長は最後に深く一礼した。

 

「ジュリも、次のお湯が沸くまでに少し休んでおけ。……フウカもだ。また明日、サポートに入らせてもらう」

 

「ええ、ありがとう! 午後の訓練、怪我しないように頑張ってね!」

 

 フウカの明るい声援を背に受けながら、小隊長たちは厨房を後にするのだった。

 

 

------

 

 

 

 小隊長たちが厨房を後にしてから、少しの時間が経った頃。

 仕込み作業に戻ろうとしていたフウカの耳に、コンコン、と厨房の裏口ドアを叩く控えめなノックの音が届いた。

 

「あら、誰かしら? 忘れ物……?」

 

 フウカが手を拭きながら振り返ろうとした、その時だった。

 

「はいっ! お疲れ様です、ヒナさん!」

 

 フウカが反応するよりも早く、まるで来訪者が誰であるかを完全に把握していたかのような素早い動きで、ジュリがパタパタと駆け寄りドアを開け放った。

 

 そこに立っていたのは、ゲヘナ学園風紀委員長――空崎ヒナだった。

 

「お疲れ様、ジュリ。営業時間内に来れなくてごめんなさい。……少し"ゴミ掃除"に時間が掛かってしまったの。私の分の料理、残っているかしら?」

 

「はい! もちろんです。ささっ、こちらにどうぞ!」

 

 ジュリは満面の笑みでヒナを迎え入れ、手慣れた様子で厨房の奥へと案内していく。

 その先の厨房の隅にあるステンレス製の作業用テーブルの一つに純白のテーブルクロスを敷き、まるで高級レストランのVIP席のような豪華な装飾を施して待ち構えていた。

 

「ヒナさん、本日の『特別メニュー』です!」

 

 ジュリの手によってテーブルに運ばれてきたのは、ファミレスや学食の王道を往く、まるで『大人のお子様ランチ』のような豪華絢爛な洋食プレートだった。

 

 メインに鎮座するのは、特製照り焼きチキンステーキと、甘口デミグラスソースのハンバーグ。

 付け合わせには色鮮やかなニンジンのグラッセと甘口ナポリタンが添えられ、サイドには濃厚なパンプキンポタージュ。そして食後のデザートとして、生クリームがたっぷりと絞られたジュリ特製のプリンアラモードまで用意されている。

 

「……ありがとう、ジュリ。すごく、美味しそう」

 

 それを見たヒナの瞳孔がスッと開き、ゴクリと喉を鳴らした。

 

(わぁ……大人のお子様ランチみたいで可愛いわね!)

 

 少し離れた場所からその様子を見守っていたフウカは、微笑ましさに頬を緩めた。

 

(いつも厳格で怖いヒナ委員長だけど……あんな風に目を輝かせるなんて。実はああいう甘口の味付けや、子供っぽいメニューが好きだったりするのかしら? ジュリったら、ヒナ委員長の好みをしっかりリサーチして特別メニューを作ってあげたのね)

 

 激務で疲れたヒナの脳に糖分を補給してあげるための、愛情たっぷりの豪華ランチ。

 フウカの目には、その膳がどこまでも美しく、心温まる光景に映っていた。

 

「いただきます……っ」

 

 ヒナは震える手でフォークを握ると、照り焼きチキンを一切れ口に運んだ。

 その瞬間、ヒナの顔がパァッと花が咲いたように綻んだ。

 

「んんんん~~~っ!!」

 

 ギュッと目を閉じ、両手で頬を押さえながら、全身で喜びを表現するような可愛らしい声を上げる。

 さらに、彼女の背中にある特徴的な大きな悪魔の羽までが、今はリラックスしきってキュッと小さく縮んでおり、あまりの美味しさに悶える感情に呼応するように、パタパタと小鳥のように愛らしく羽ばたいていた。

 

 それは完全に、大好物のご馳走を口にして大はしゃぎする小さな子供の仕草そのものだった。

 普段の厳格で恐ろしい風紀委員長の面影はどこにもない。

 142センチという小柄な体格も相まって、満面の笑みで羽を動かしながら料理を頬張るその姿は、万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)のマスコットであるイブキ議員と同じか、あるいはそれ以上に幼い『無邪気な女児』のようにすら見えた。

 

(いつも気を張ってばかりのヒナ委員長だけど……美味しいご飯を食べた時くらいは、ああやって年相応の、ううん、子供みたいに無邪気な素顔を見せてくれるのね。なんだかすごく可愛いわ)

 

(ふふっ、ヒナ委員長、羽までパタパタさせちゃって……あんなに嬉しそうに食べてくれてるわね。ジュリのお料理、大成功じゃない)

 

 

 フウカは、頬を緩ませて心底嬉しそうに頷いた。

 

 

 

-------

 

 

 

 ボリューム満点のプレートが空になるまで、そう時間はかからなかった。

 カチャリ、とフォークが皿に置かれる音が響き、ヒナの至福の『お食事タイム』が終了する。

 

(えっ……もう全部食べちゃったの!?)

 

 少し離れた場所から見ていたフウカは、完全に綺麗になった皿を見つめて、内心で目を丸くしていた。

 チキンステーキにハンバーグ、たっぷりの付け合わせにデザートのプリンアラモード。

 成人男性でもお腹いっぱいになるようなボリューム満点の料理を、142センチという小柄な体格のヒナがペロリと平らげてしまったのだ。

 

(普段からゲヘナの治安維持のために駆け回っているものね。私が想像している以上にエネルギーを消費して、お腹を空かせていたんだわ……!)

 

 たくさん食べてくれる生徒の姿は、給食部にとって何よりの喜びだ。

 フウカは感心と親愛の入り混じった眼差しでヒナを見つめる。

 すると、いつの間にかヒナの背後にピタリと控えていたジュリが、まるで高級ホテルの専属給仕(メイド)のような洗練された手つきで、銀色のポットを持ち上げた。

 

「ヒナさん、食後のブラックコーヒーですよ」

 

 コポポポ……と、上品な音を立ててカップに漆黒の液体が注がれていく。

 しかし、その『ブラックコーヒー』から厨房に漂ってきたのは、香ばしい焙煎の香りではなかった。

 鼻腔の奥にねっとりと絡みつくような、暴力的で濃厚な『甘い香り』だったのだ。

 

(あら? 豆の種類かしら。ブラックコーヒーなのに、キャラメルやシロップみたいに甘くていい匂いがするわね)

 

 フウカは呑気にそんなことを思っていたが、もちろん豆の違いなどではない。

 それはコーヒーの成分よりも『砂漠の砂糖』の濃度の方が圧倒的に高い、実質的な『黒い液状の砂糖(あるいはカフェイン入り液状麻薬)』である。

 

「ありがとうジュリ」

 

 ヒナはトロンとした目でカップを受け取ると、あろうことか、淹れたての熱いコーヒーであるにも関わらず、まるで砂漠でオアシスの水を求める遭難者のように、ゴクゴクッと一気にあおるように飲み干してしまった。

 

「ええっ!?」

 

 そのあまりにも豪快な飲みっぷりに、フウカは思わず小さな声を漏らした。

 

(淹れたてのブラックコーヒーを、一気飲み!? ……す、すごいわ。あんなに子供っぽく無邪気にご飯を食べていたのに、最後はブラックコーヒーを一息に飲み干して締めるなんて!)

 

 口の中に残る料理の甘さを、大人のブラックコーヒーで一気に洗い流す。その洗練された(とフウカが思い込んでいる)所作に、フウカはゴクリと唾を呑み込んだ。

 

(やっぱりヒナ委員長って、根っこはハードボイルドな『大人の女性』なんだわ……! 可愛いところもあるのに、すごくカッコいい!)

 

 

 カチャリ、と空になったコーヒーカップがソーサーに戻される。

 

「……ふぁぁ。ありがとう、ジュリ。本当に、最高だったわ……」

 

「えへへっ! お粗末様でしたヒナさん!」

 

 砂漠の砂糖たっぷりのブラックコーヒーを飲み干し、完全に満たされたヒナは蕩けるような甘い声で礼を告げた。

 ジュリもまた、自分の料理で幸せになってくれたヒナを見て、花が咲いたような嬉しそうな笑顔を向ける。

 

 二人の間に、言葉はいらなかった。

 ヒナのトロンと潤んだ血走った瞳と、ジュリの純粋無垢な瞳。

 二人の視線がぶつかり合い、まるで世界に彼女たちしかいないかのように、熱く、甘く見つめ合う。

 

 

 やがて――ヒナはふらり、と吸い寄せられるように一歩前へ踏み出し、そのまま甘えるようにジュリの身体へと抱き着いた。

 

 

「んんっ……ジュリの匂い、あまい……落ち着く……」

 

「よしよし、ヒナさん、お疲れ様です……いっぱいいっぱい、頑張りましたね」

 

 142センチという小柄なヒナは、背の高いジュリの豊かな胸の谷間にすっぽりと顔を埋め、まるで母親の温もりを求める幼子のように、あるいは愛しい伴侶にすり寄る猫のように、この上なく幸せそうな吐息を漏らす。

 

 ジュリもまた、愛おしげにヒナの華奢な背中に両腕を回し、ギュッと強く抱きしめ返す。

 

 厨房の片隅で、お互いの体温を確かめ合うように深く深く抱き合い、熱い抱擁を交わす二人。

 

 それはもう『先輩と後輩』や『風紀委員長と一般生徒』という枠を完全に超えた、まるで長年連れ添った恋人同士のような、濃密で甘い空気を放っていた。

 

 

 しかし、少し離れた場所からその一部始終を見せつけられていたフウカの胸には、また別の――ひどく複雑で、言いようのない感情がブワッと吹き上がっていた。

 

(な、なんなのよ、あの二人……。いつの間に、あんなに仲良くなって……っ)

 

 フウカは、自分の胸の奥がチクチクと痛み、黒い靄のようなものがモヤモヤと渦巻くのを感じていた。

 ヒナがジュリの料理を絶賛してくれたのは、給食部長として本来なら最高に誇らしいことのはずだ。

 だというのに、目の前で見つめ合い、熱く抱きしめ合う二人の姿を見ていると、どうしようもなく心がざわつくのだ。

 

『私の定食も、先輩のメンチカツ定食も、どっちもすごい勢いで売れてますよぉっ!』

 

 ほんの数時間前、あんなに無邪気な笑顔で自分を慕ってくれていた、可愛くて仕方がない大切な後輩。

 それが今、自分ではない『別の女(ヒナ)』の胸に飛び込まれ、自分には見せたこともないような熱を帯びた顔で抱きしめ合っている。

 

(まるで……私のかわいいジュリが、ヒナ委員長に『盗られちゃった』みたい……)

 

 ぽっかりと胸に穴が空いたような、そして大切なものを奪われたような焦燥感と嫉妬心。

 それは間違いなく、仲の良い友人が別の誰かと親しくしているのを見た時に感じる、女子高生特有の独占欲だった。

 

「…………むぅ」

 

 フウカはフライパンの柄をギュッと握りしめ、蚊帳の外に置かれた寂しさと嫉妬の入り混じった目で二人をジッと見つめていた、その時だった。

 

 ふと、ジュリの肩越しにヒナとバッチリ視線がぶつかった。

 

「……っ!」

 

 目が合ったその瞬間。フウカは心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。

 ヒナの顔が、あり得ない形に歪んだのだ。

 普段の生真面目な彼女からは絶対に想像できないような、見下すような、獲物を嘲笑うかのような邪悪で、ひどく歪んだ笑み。

 それはまるで、ヒナの精神の奥底に巣食うナニかが、ヒナの顔の皮を被って「ジュリは私のものよ」とフウカをあざ笑っているかのような、背筋の凍る恐ろしい表情だった。

 

 だが、フウカがビクッと肩を震わせた次の瞬間には。

 ヒナはパチクリと瞬きをし、すぐにいつもの落ち着いた表情へと戻っていた。

 

「あら、フウカ居たの。全然気がつかなかったわ」

 

「…………っ」

 

 ヒナの口からこぼれ落ちたその無邪気な言葉に、フウカの胸は再び大きくざわ立った。

 ずっと同じ厨房にいて、最初からその様子を見ていたというのに、ヒナの視界には完全に自分の存在が入っていなかった(ジュリのことしか見えていなかった)のだ。

 

(モヤモヤする……っ! なんなのよ、今の嫌な感じ……!)

 

 先ほどの邪悪な笑みは自分の見間違いだったのだろうか。それよりも、完全に『おまけ』扱いされているこの現状への悔しさの方が勝ってしまう。

 己の内に渦巻く言いようのない複雑な感情を必死に押さえつけながら、フウカは努めて冷静に、普段通りのトーンを取り繕って口を開いた。

 

「居ましたよ。……最初から、ずっと」

 

 少しだけ拗ねたような響きになってしまった自分の声。

 しかし、砂糖の多幸感で満たされているヒナが、そんなフウカの微細な内心の揺れやヤキモチに気づくはずもない。

 

 ヒナはジュリの腕の中からゆっくりと身を離すと、まるで遠足の前の子供のようにひどく楽しそうな、ウキウキとした声で告げた。

 

「なら、丁度良かったわ。今日は二人にね、とっても素晴らしいニュースを持ってきたの」

 

 

(つづく)

 

 

 

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