展開は決まっていたのに超難産だった。
「できましたー!」
大きめのミトンを両手に着けてトコトコと鍋を抱えてきた綾波は、そのまま小上がりに設置されたちゃぶ台に鍋を置こうと両手を伸ばして━━、手の長さが足りずに、意図せず賞状を授与するような姿勢を取った。
「ふぬぬぬ…」
見かねた環が【くじけいびふ】と可愛く縫われた鍋敷きを机の端にずらすと、綾波は小さく「あ、ありがとうございますっ」と言ってそこに鍋を置き、ワッペンがたくさんついたエプロンを脱ぎ始めた。
時刻はヒトゴーマルマル。
14時過ぎから始まる予定であった歓迎会は、
指揮官の着任と艦娘の増員、それに伴う任務ローテーションの移行期間確保を目的として、一時的に変則的なスケジュールとなる久慈警備府のこれから。
本来であれば任務が残る艦娘達も本日はもう上がりで、目の前にいる【
「それでは、これよりささやかながら歓迎会を開きたいと思います。司令官」
「ああ」
隣に座る白雪がそう言って、環に言葉を促した。
彼は白雪から順に綾波・吹雪を流し見ると、本日何度目か分からない喜びを胸に秘めて口を開く。
「吹雪さん、綾波さん、白雪さん。今日は素敵な会を開いてくれてありがとう。改めて、久慈警備府の指揮を執る指揮官の佐野環だ。これから先、至らない部分も多々あるだろうが、同じ戦場で働く仲間として信頼を勝ち取っていけたらと思う」
「━━━」
「と、堅苦しい挨拶はここまでにして。3人とも、会えてとても嬉しいよ。これからよろしくね」
そう言って環は微笑を浮かべ、全員の目をしっかりと見ながら会話を締めくくった。
いくら男性との対話経験が皆無であっても、一般的な対人コミュニケーションに全くの不足はない彼女達。
環の浮かべる笑顔と真剣に目を見るその姿勢は、彼の「会えてとても嬉しい」という言葉の真実味を如実に表していた。
その事実を咀嚼しようとすればするほど、火傷するような感情が胸の奥から襲ってきて、綾波は真っ赤な顔を伏せて肩を萎める。
ちなみに吹雪さんは先程から半放心状態である。早く戻ってこい。
「でっ、では。冷めちゃう前に綾波ちゃんが作ってくれた料理を食べましょう」
吹雪、綾波ら2人と対照的に一見するとノーダメージのようである白雪は、少し噛ながらそう音頭を取り、土鍋蓋をゆっくりと持ち上げた。
その瞬間、真っ白な湯気がふわりと隙間から零れて上に立ち昇っていく。
彼女が蓋を完全に取ると、よく煮込まれた【綾波特製肉じゃが】が中から現れ、甘辛く煮た醤油とホロホロになった芋の香りが鼻の奥を刺激した。
どう考えても明らかにウマいであろう
夢中で鍋をつつくのであった。
~◇~
それから半刻ほど。
無我夢中に肉じゃがを食らった彼らは、腹が満たされたことでようやく落ち着きを取り戻した。
満足そうに腹を揺する環。
こりゃ日課に運動を入れないと数か月後には大変なことになるなぁ…。毎朝ランニングするか━━と将来の体重に危機感を覚えながら、周りを見やる。
見ると艦娘達も大抵同じ様子で、吹雪だけが少し残った具を丁寧に集めて自分の小皿によそっていた。
まだ食べるんかーいと一瞬驚いた彼だったが、よくよく考えてみたら毎日海上で大量のカロリーを消費する彼女らである。
むしろもっと食った方がいいんじゃないか、と彼女の細い二の腕を見て心配になった環であった。
「みなさんの緑茶淹れてきますね」
「ありがとうございます、白雪さん!」
「ありがとう」
朗らかな春の日差しが吹き抜けの窓から柔らかく差し込む中。
おおよそ全員食べ終わったことに気づいた白雪が、食後のティータイムをするために席を立った。
横座りをしていた彼女は、膝下でスカートの端を押さえながら華麗に立ち上がって、そのままキッチンの方に向かっていった。
「そ、そういえば司令官、お聞きしたいことがあるんですけど…」
「なんだい、綾波さん。何でも聞いてくれ」
出会ってから今まで、夢のような状況に常に緊張していた綾波。
されど、そこは同じ釜の何とやら。
未だぎこちない部分は残るが、共に鍋を囲むことで少しの落ち着きを見せていた。
「どうして司令官は司令官に…いや、そもそも軍人になろうと思ったんですか?」
「あぁーそれか」
「わ、私もそれ気になります!」
「男性が軍人になる…なんて、とても珍しいことだと思ったので…」
そうして綾波が質問した内容は、この世界の誰しもが彼に聞いてしまうであろう普遍的な疑問だった。
いつの間にか鍋の隅々を食べ終えた吹雪も会話に合流して、環の返答を待っている。
2人の顔は心底不思議そうで、本当に理由が思いつかないことを表情で訴えていた。
そんなきょとんとした顔も可愛いなーと環は思いながら、さあてどう答えたものやらと逡巡した。
大学校時代。
同期や先輩、教官に至るまでありとあらゆる人間からこの手の質問をされてきた環は、場を流す意味でもとりあえず「日本近海の通商路を安定化し自由な海を取り戻すため」と意識高い感じの回答をしていた。
無論、環も
転生したのも要因として大きいだろうが、別段、この社会に対しての怒りや憎しみなどを持たない彼は、進歩的に事態を向上していくこと、つまり深海棲艦からの防衛成功と海域開放の実現を、ごくごく普通に望んでいる。
しかし彼の平和に対する想いの強さと言ったらその程度で、艦娘やその他一般市民を犠牲にして勝利を得ようとか、護国の鬼になるとか、そういった極端な思考までは行かない小市民らしい考え方の持ち主なのであった。
まぁ代わりに、こと艦娘の事となると身に余る
憧れだけで軍学校の門を叩いたと知れると後々の配属先選定でまずい気がしたので、本当のことは校長ぐらいにしか語らなかった環である。
ちなみにそのことを打ち明けられた校長は、「(周りの女共のために)最初からそう言った方が良かったやん」と独り言を残したとか。勿論、腹の虫もキリキリと鳴ったらしい。
…。
閑話休題。
大学校での4年間で染みついた外用の回答を流れるように読み上げるところであった彼は一転、指揮官として実際に着任した今ならもう話してもいいやろということで、本当の動機を話すことにした。
「うーん。まぁ、いろいろ理由はあるけど。一番はみんなと肩を並べたかったから」
「「へっ?」」
その返答に呆気にとられる吹雪と綾波。
少し遠くの方では、緑茶を煎じ終えた白雪が急須と湯吞をトレーに乗せているところだった。
「憧れは理解から最も程遠い感情って言うし。普段君たちが何を食べて、何を考えて、どう生きているのかも全然知らないけど」
「でも、少なくとも僕は生まれた時から、いや、
「いつか会える日がくればいいなって、その時にちゃんと指揮官として申し分ない実力を身につけなきゃって、訓練してた」
「だから、何て言うのかな。上手く伝わらないかもしれないけど」
いつの間にか、トレーにお茶を乗せた白雪が小上がりまでやって来ていた。
環がそれに目線を向けると、何を話していたか知らない白雪は、会話を続けてくれという意思を込めて軽く頭を動かす。
彼は笑みを浮かべて頷くと、スリッパを脱いでお茶を配り始めた白雪から吹雪達に目線を戻して、会話を再開した。
「少なくとも僕は、君達艦娘に会うために軍人になったんだと思うし」
途端、湯呑を持った腕をぶるぶると震わせる白雪。
今にも零れそうな波を立てていた湯呑だったが、白雪はポーカーフェイスを維持したまま、落ち着きを取り戻してゆっくりと机に置いた。
艦娘が持つのに腕を震わせる湯呑ってどんだけ重いんだ!?と戦々恐々になる環であったが、そんな驚きを見せない彼は、更に
「君たちの頑張りで人生が変わった奴が、少なくともここに1人居ることを、なんというか分かっててほしいなって」
ポリポリと頬を掻く環。
もっと、嬉しいってことをちゃんと伝えたいんだけどな。
締まらない終わり方しちゃったなーと目線を下げて、難しい顔で俯くと。
そこには白雪が置いてくれた緑茶が置いてある。
湯呑から出る一本の湯気はまるで、春の陽気にそのまま溶けていくようで、環の気持ちは少し軽くなった。
まぁ、ここでかっこつけても、かっこがつかないよな。俺はキム○クじゃないんだし。
俺は俺らしく彼女達に気持ちを伝えていこう。
MOR○HAみたいなマインドセットを取り戻した俺は、この流れで彼女たちと距離を詰めようと画策する。
「そういえばなんだけど」
そう言って空気に乗せた言葉は、されど何の返答もなく。
不安に思って顔を上げた環は、艦娘それぞれが形容しがたい表情と仕草をしていることに気づく。
正面に座る吹雪は顔を机に押し付けて何やら呪文のような言葉を吐き続け、
綾波は血が出るか心配になるぐらい拳を固めて、膝上のスカートをこれでもかと押し伸ばし、
白雪は超不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「…え?」
三者三様の不審な様子に不安を覚える環。
「し、白雪さん?」
「はい、なんでしょうか」
明らかにやばそうな吹雪を一旦放置することにした環は、隣に座る次女に話しかけるが、返ってきたのはぶっきらぼうな声色だった。
「し、白雪さん?俺、なんかとんでもないことしちゃった?」
「ぃ。いえ…。…。いえ。はい、しました」
「どっち!?」
咄嗟になろう主人公が如き問答をしてしまう環。
白雪の容赦ない一言に魂が轟沈しかけるが、それはさておき。
自分が鍋を食べ終えてから今このときまで。動作とか発言とかを振り返って━━。
あれ、もしかしてさっきの俺の発言、めちゃくちゃ生意気言ってなかったか!?
ただの実戦経験もない新米監督が言っちゃいけない言葉のウェイトだったか!?
というか白雪さんの顔!
極道やん!
可愛い女の子がしちゃいけない顔してるやん!
なにやら恥ずかしさで居た堪れなくなった彼は、未だ冷めない緑茶をカッと一気に飲み干す。
いや!
だいぶ気持ち悪いことを言ったであろうことは理解したが、そう思ったのは白雪だけかもしれない…!
そんなオッズ高めの可能性に一抹の望みをかけ、勝負師佐野環は綾波に話しかけた。
「綾波さん!」
「はっ、はい!」
「さっきの、(俺の発言)恥ずかしかったか?」
「ええっ!えっと…。(あんなこと言われると)恥ずかしくなっちゃいます…」
「あはは…。そっかぁー」
終わった…!
俺の人生は終わったんだ…!
はにかんだ綾波は正直このまま持ち帰りたいぐらい可愛いが、このタイミングでその笑顔はただの凶器だよ!
あーーぐさぐさ刺さる!恥ずかしいと思われた事実が胸にぐさぐさ刺さる!いやぁー!
このまま消えてなくなろうかな━━。
彼の(非公式裏)ファンクラブ所属会員が聞けば発狂しそうな考えを頭に過らせていると。
「それで、先ほど何か仰ろうとしていませんでしたか?」
「えっ?ああ」
白雪にそう言われて、俺が始めた会話の切り出しが中断していることを思い出した。
そうだったそうだった。
先程、鍋も囲んで少し関係が構築できた気がしたので、その雰囲気にかこつけて1つお願いをしようとしていたのだ。
先程のくだりで本当に仲良くなれたのか疑心暗鬼になってしまったので、正直このタイミングで言うべきではないかもしれないのだが…。
まぁ言うだけ言ってみるか。
お願いしたいこと。
それは、めちゃくちゃ端的に言って、呼び捨てにしたいということだった。
「君達のことを敬称を付けずに呼びたいんだが、良いだろうか」
勿論、指揮官として着任した俺は彼女らにとって上官であるのだからそんな確認は無用なのかもしれないが、少なくとも久慈警備府の先輩は彼女達であるのだし、俺も大学校を出ただけの2等海尉である。
年功序列にしたって見た目的な年齢は俺の方が上だが、そもそも論を言うと1927年に進水した吹雪はそう考えると100年を少し超える存在なわけで…。やめよう、この議論は不毛だ。
艦娘の精神性は何故か、その見た目に大きく依存するという研究結果が出ているし、彼女は中学~高校生あたりの精神年齢なのだろう。そう考えると俺が敬称を付けるのもおかしな話で…。
ごたごたと理由を並べているが、この男。
吹雪!とか綾波っ!とか指揮官っぽい呼び方に憧れて、ただただ呼び捨てしたいだけである。
「わっ、私は嬉しいですっ!」
バンッと机を叩き、飛び上がる綾波。
予想外に食い気味な彼女に少々面食らった環は、少しだけ時間が空いて、しかし、喜色満面で応えた。
「ありがとう、綾波」
「はいっ司令官!えへへ…」
にへらと笑う綾波。感情が収まりきらないのかゆらゆらと体を揺らして、そのまま隣に座る吹雪に話しかける。
「吹雪さんもいいですよねー?」
「吹雪さーん?」
先程から机と額がくっついたままの吹雪は綾波に背中を揺さぶられると、その体勢を維持したままで小さく口を開いた。
「もうどうにでもしてください…!」
「おっけーらしいですっ!」
え、それ本当にオッケーなのかと綾波のパワープレイを見ながら疑問に思う環だったが━。まぁ言質取れたんだしいいかと自分を納得させることにしたらしい。
「よろしくな、吹雪」
「~~っ!」
実のところ、彼女が"吹雪"と呼ばれるのは2回目であった。
もちろん、1回目を覚えていないはずがない彼女は、その記憶が脳裏に鮮明に過れて━━━。
再び屍と化すのであった。
本日何回目であるかは…。数えるのが面倒なので伏せておく。
「白雪さんはどうだ?」
さて、綾波、吹雪両名共に快諾(?)を得た環。
若干1名怪しいところだが、ともあれ。
そうとなればラスト、白雪にも環の魔の手が襲い掛かるのは当然の話で。
「私はどちらでも構いません」
白雪は目線を環に合わせないまま、冷静そうに返答をした。
やっぱりクールだなぁ、かっこいいなぁと環は感心しながら、お礼の言葉を返す。
「ありがとう、白雪」
「っ! い、いえ。お役に立てたようで何よりです」
身体ごと横に向けて白雪の方を見る環。
その表情はとても喜びに染まっていて、この世界の一般人なら誰しもが恋に落ちる魔性の笑みであったが。
クールで冷静沈着な白雪さんは当然、そのようなモノに欠片も動揺するハズもなく━。
サッと環を見た瞬間、
「し、白雪?」
「お気遣いなく。少し手の運動をしているだけですので」
だいぶ無理ある誤魔化しに怪訝な目を向ける環。
「いきなりどうした?どこか具合でも悪くなったのか?」
「いえ、本当に何でもないです」
いや、なんでもなくはないだろ━━と不審に思いだした
その動きに対応するように白雪の
「本当にどうしたんだ」
「ですから、本当に何でもないです。あっ司令官。お茶、早くお飲みにならないと冷めますよ」
「もう飲み干したから大丈夫だよ。ありがとう、美味しかった」
「で、ではっ!もう一杯いかがでしょうか。まだ余っていますので!」
「うん、後でまた飲ませてもらうよ」
「えっと、では、えっと…」
「おいしょぉ!」
「…!?」
一瞬の隙をついて白雪の両手首を掴み、グイっと左右に広げる環。
一本取ったりい!と勝ち誇りながら白雪の方を見ると、彼女は。
「いやっ…見ないで…くだ、さい…!」
真っ赤に紅潮した顔のやり場を失くし、どうにかして赤面を隠そうとして、必死に右に顔を向けていた。
「あっ、ごめ」
見惚れるほど可愛らしいその様子に心臓がバクバクと波打って、二の次が継げなくなった環はそのまま弾くように掴んだ手首を離す。
自由になった彼女の両腕はそのままスカートの上に零れ落ちて、その端先をきゅっと握った。
「……」
「━━っ!」
彼女は、赤一色に染まったその頬はそのまま、唇をプルプルと震わせて環を睨み。
あまりの可憐さに心拍数がさらに上昇した環は、呆然と白雪を見つめ。
久慈警備府。午後。日没前。
何とも言えない甘酸っぱい青春の空気が環と白雪の間を包む頃。
カッコウがつがいを探すために鳴きだした。
既に返信した感想も嬉しくて何回も見る侍。
みんなも白雪ちゃんをスコれ。
あまり大立ち回りなラッキースケベイベントばかりにはしたくないとか思いつつ、そうではない場合の繊細な機微の表現に匙を投げたくなるこの感じ、嫌いじゃない。そのせいで執筆時間が増えるのは嫌い。