眠い。
住宅街の裏道を、俺はとぼとぼ歩いていた。
眠い理由はただ一つ。
夜勤明けだったからだ。
俺は高齢者介護施設で非正規職員として働いていて、昨日から今日にかけて一晩中一睡もせずに働いていたのだ。
ぼんやりした頭で自宅アパートまでの道を歩いていたその時。
突然のことだった。
衝撃で、俺の身体がアスファルトに叩きつけられた。
最初、あまりの疲れにめまいでも起こして倒れたのかと思ったけど、そうじゃない。
なにかの力に突き倒されたのだ。
「いってぇぇぇ……」
すげえ痛い。
俺はもう年くったおっさんだ。
ガタがきているこの身体で、アスファルトの道路に叩きつけられるってのはかなりのダメージをくらうなあ。
しばらく全身がジンジンとしびれて、あちこちの痛みで動けなかった。
やっとのことで顔を上げると、そこには怪物がいた。
この令和の日本で、怪物って。
夜勤明けの疲労で脳みそがバグっているのか俺は?
しかしどうみても怪物だ。
ごつごつしたうろこのある皮膚、でかい頭部、鋭い牙、長い尻尾、それだけ見ればワニなのだが、しかし、こいつは二足歩行している。
リザードマン、とかいう名前でゲームとかによく出てくるよな。
そいつが目の前にいるのだ。
最初は着ぐるみかと思ったけど、どう見ても作り物には見えなかった。
本能的な恐怖で身の毛がよだつ。
ああでも夢か、きっと夢だなこれは。夜勤の疲労と眠気で見ている白昼夢に違いない。
リザードマンは俺をギロリと見て、
「貴様は……もしや……」
としゃがれた声でいった。
こいつ、喋れるのか。
うーん、夜勤明けに見る夢としてはなんというか、リアルな質感すぎて怖い。
とか思っていたら、リザードマンは俺に向かって持っているトゲトゲがついた棒のような武器を振り上げた。
「まあいい、ここで死ね」
ああ、これでこの夢から覚めるんだろうな。
夜勤明けに酒を飲みすぎたわ。
こんな変なリアルな夢を見るなんてなー。
などと思っていたら。
「あぶなーーーーい!」
突然、俺の前に女の子が立ちはだかった。
いや、俺に背を向け、俺をリザードマンから守るようにして手を広げている。
え、なになに?
なにこれ?
なんとか立ち上がって確認する。
俺の目の前には女の子の背中。
俺よりちょっと背が低い。
そして俺が驚愕したことには。
その女の子の姿があまりにも派手だったのだ。
長いポニーテール、それは赤いメッシュが入ったド金髪。
着ているのも、ええと、これほとんどドレスだな、ふわふわひらりのレースとフリル満載の、黄色を基調としたドレス。背中がちょっと開いていて、肩甲骨のラインがはっきり見える。
彼女は顔だけ振り向いて、俺にこういった。
「にはは、間に合った! おじさん、大丈夫?」
おお、かなりの美人。
っていうか、かなり若いな、美人というより美少女か?
ちょっとつりあがった切れ長の目、そいつの瞳も透き通った黄金色で、俺をまっすぐ見据え、彼女はにかっと笑った。特徴的な八重歯が目に入る。
「うん、だいじょぶそうだね、よかった! にはは!」
「あ、あの、君、なにそれ? これなに?」
これさー、夢だと思うんだけど、万が一夢じゃなかったとしたら、いったいなにがどうなってるんだろう?
彼女は屈託のない笑みを見せ、
「にはははっ! 聞かれたら答えなきゃいけないねえ!」
そしてその場でくるりと回転するように舞い踊る。
ん?
どこからか、軽快なポップミュージックが聴こえてくるぞ?
んん?
なんだこれ?
「心を照らす! 今日も朝日がサンシャイン! 魔法少女、ミスティシャイニー‼」
シャキーン! という効果音付きだった。
いかにも日曜日の朝に放送しているアニメの魔法少女! って感じの名乗りだ。
ちなみにこの名乗りの最中にリザードマンが攻撃してくる、なんてことはなくて、ちゃんと待っていた。
律儀だな。
「ぐぬぬ……ミスティシャイニー……また、お前か……」
「えへへ! 今日こそは決着つけるよ、リザードマン!」
あ、こいつほんとにリザードマンって名前だったわ、まんまだな。
「はぁぁぁぁ!」
ミスティシャイニーと名乗った少女は、人間とは思えないほどの跳躍を見せ、リザードマンに襲い掛かる。
目にもとまらぬスピードの攻防。リザードマンはシャイニーの攻撃をこん棒で跳ね返し反撃するが、シャイニーもまたそれを徒手で受け止め、キックで応戦。
一進一退の近接格闘が行われるが、しばらくするとシャイニーはジャンプして少し距離を置く。
俺はというと、怖かったので近くの家の
「
ミスティシャイニーはそう叫び、キラキラに輝く短い棒をどこからか取り出した。
黄色い魔法少女、ミスティシャイニーが持っている棒。
シャイニングクリスタルロッドとかいったか、そいつは金銀に輝くハートに
それを振りかざすと、ミスティシャイニーは叫ぶ。
「シャインフラッシュ!」
するとロッドの先の星がシュイーンと回転する。
そして、またもや軽快なポップミュージックがどこからか流れてくる。
この音楽の演出、いちいちリアルでやるのかよ。
そしてシャイニーはロッドを両手で構え、叫んだ。
「私の太陽が燃えさかる! シャイニングピュアアターック!」
魔法少女の叫びとともに、ロッドの先から蛍光イエローの光線が発射され、リザードマンを
「ピュアピュアジャスティース!」
ミスティシャイニーの声とともに、リザードマンはその場で消え去った。
後に残ったのは小さなトカゲ。
カサカサとどこかに
「にはっ! おじさん、ケガない?」
魔法少女がまぶしい笑顔で俺に言う。
黄色い髪のポニーテールが揺れた。
やっべ、まじで美少女だな。
めっちゃかわいいわ、こいつ。
「あ、ああ、大丈夫だ……」
俺が言い終わるかどうかのタイミングで、どこからやってきたのかパステルイエローのタヌキの妖精が突然目の前にシュポーンと出現して、俺を指さし、大声で言った。
「シャイニー! 彼だポン! 彼こそがボクたちが探していた
「ファニポン、それ、本当……? だってこの人、……おじさんだよ?」
「間違いないポン! 純潔なる人間、この人で間違いないポン!」
ミスティシャイニーとファニポンと呼ばれたタヌキの妖精は、二人して俺の顔を見つめる。
「本当かな~~? だって、おじさんなのに……」
不安げな声を出すシャイニーをよそに、ファニポンは俺にこういった。
「君! 君の汚れなき身体でこの世界を清き世にしないか?」
ファニポンの瞳が気持ち悪いほどキラキラと輝いている。
「汚れなき身体って何だよ……」
思わずつぶやいた俺に、ファニポンは瞳をさらにキラリンときらめかせた。にこやかな表情。その笑顔は最高にキモくて神経を逆なでされたところにタヌキはこう言う。
「異性と性的に触れあったことないってことだポン!」
ガクッと膝が折れそうになった。
ついでに心も折れるわ。
そんな本当のことを、こんなかわいい魔法少女の前でアウティングされるとか、恥ずかしくて死にそう。殺してくれ。
もうとにかくわけがわからなすぎる。
「あの……あなたたちはどこからきたんですか?」
敬語になってしまったのは、あれだ、普通に怖いだろ、こいつら。
逆に初対面でこんな魔法少女だの、喋る妖精に出会ってため口お前呼びできるやつがいたらおかしいぞ。
そろそろどうやら、これが夢じゃなく現実だってことにさすがの俺も気づき始めてたしな。
俺に聞かれて、黄色い魔法少女、ミスティシャイニーはニカッと笑って答える。
「ファニポンはね、はるか遠い宇宙の向こうからやってきたんだって! にはは、私たち、この街で、
「それを探してどうされるんですか……」
明らかに年下の少女に対して尊敬語を駆使して尋ねる俺。
「にははっ! 心と
魔法少女……。
「この町じゃあ、私が魔法少女第一号だってさ!」
ミスティシャイニーが八重歯を見せて笑う。
ん?
ってことは、この子も
まあ、見た目中学生くらいだし、そうかもな。
で、体が
「俺の心も
「そうだポン! この星にきて、たくさんの人間を見てきたけれど、君が
「おじさんって、清らかな人なんだね! にはっ」
くっそ、中年独身の一人暮らしの男なんて、世の中で一番汚れてる可能性すらあるぞ、特に心がな。
自分でいうのはなんだが、そんなに清い心はもってない。なめてるのかこいつら。
わからせ系のエロ同人が大好きだしな。
「で、なんのために俺を魔法少女にしたいんですか?」
俺の質問に、タヌキのファニポンはこういった。
「君にはこの世の悪を浄化してもらいつつ、プリンセスを探しだし、守り抜いてほしいポン!」
プリンセスって。
うーん、正直おもしろそう。プリンセスを助け出す騎士ってやつ、男なら一度はやってみたい。ドラクエもマリオもみんなこのパターンだしな。
……でも、この場合、俺がなるのは騎士じゃなくて魔法少女だけどな!
いやまて、それはそれで面白そうだと思わないか?
でもさー、今は死ぬほど疲れてるんだ俺。
そんな重要な決断、こんな寝不足フラフラの状態でやりたくない。
早くアパートの部屋に戻ってストロング酎ハイを飲んで気絶するように眠りたい。
「すみません、興味はあるんですけど、今すごく疲れているんで、返事はあとでいいですか? いや、まじで眠いんす……」
俺はファニポンたちを置いて、その場を離れようとしていた。
ふらつく足で砂利道を行こうとすると――。
「逃がさないポン! 僕はやっと君をみつけたポン! 魔法少女になってもらうポン!」
「悪い奴をやっつけて
「ん? なにいってるんだポン、魔法少女は戦闘少女じゃないから悪をやっつけも懲らしめもしないポン。浄化するだけだポン」
ほんと、幼女向けのアニメ設定だな。
「な、なあ、おじさん、ファニポンもこういっているし、私と一緒に魔法少女、やってみない?」
黄色い魔法少女もそう言ってくる。
俺みたいなおじさんと仲間になりたいだなんて、この子も珍しいな。
「私も、半年以上ずっとひとりぼっちで戦ってきて、にはは、恥ずかしいけど一人は結構怖かったりもするしさ、体力もそろそろもたなそうだし、仲間が欲しかったんだよ……」
まあなあ、中学生女子がひとりで悪と
だけど、俺は足を止めずに俺は歩き続ける。
正直、もう眠気が限界だった。
いっとくけど、介護施設の夜勤って、拘束時間十八時間のやべー激務だからな。
ほんと、寝ないと死ぬって。
だが、ファニポンは俺を自由にさせるつもりなど、なかったようだった。
「待つポン! これを見るポン!」
このタヌキみたいな妖精は、どこから取り出したのか、金銀に輝くハートで飾られた短い棒を手に持っていた。棒の先には透明にキラキラ輝く、星をかたどった宝石のようなもの。
ミスティシャイニーが持っているものとほぼ同一のものだ。
持ち手の色だけが違う。
そいつを、いきなり俺に投げつけ、叫んだ。
「さあレインボークリスタルロッドよ、
フラッシュが
「さあ、そのレインボークリスタルロッドを手に持つポン!」
手に持つもなにも、レインボークリスタルロッドは俺の手の中に勝手に飛び込んできた。
なんだこれ、怖えぇ!
と、とにかくわけわからん!
しかもレインボークリスタルロッドは俺の手の平に吸い付いてくる。
くそ、どうなってんだこれ、どうしても手を離すことができないぞ。
「悪いけど、こっちは徹夜明けで死にそうなんだ、いいから帰らせてくれ!」
俺はロッドを持ったまま、その場から早歩きで去ろうと大通りへ向かう。
そして。
大通りに出た瞬間、でかいトラックが俺に向かって一直線につっこんでくるのが見えたのだった。
その後の記憶はあいまいだ。
どこか柔らかな光につつまれた場所で、温和な表情の神様……いや、女性にも見えたな、女神様かな? とにかく、その人に、なんやかや言われた気がする。細かい会話の内容はまじでおぼえていない。
会話の最後に、
「あなたにはその資格があるのです。さあ、いきなさい、新たなる世界へ……」
と言われ、気がついたら異世界にいたのであった。