あれは、私だ。
アマリア・エテリウス・ヴィータ・ヴァレリーはそう思った。
馬に鞭を入れる。
ココをさらった騎馬の集団ははるか前方にいるが、まだ見失っていない。
距離がありすぎて、ここから魔術で攻撃するとココも巻き込む可能性がある。
とにかく追いつかないと。
アマリアには、家族がいなかった。
下級貴族だった父と母は幼い頃に流行病《はやりやまい》で死んだ。
残された財産を執事が持ち出すのを、わずか四歳のアマリアにはどうすることもできようはずがなかった。
残されたわずかな土地と、年老いた使用人がたった一人残った。
その老いた使用人ですら、王都の息子が病気になったという理由で土地を去るという。
その時アマリアは十歳。
寄る辺もなかったアマリアは老いた使用人にくっついて王都へ行った。
王都でたぐいまれなる才能を発揮し魔術師学校に学費免除の奨学生として入学、十五の時には戦役に参加して武功をあげ、リリーの姉であるエレオノーラに目をかけてもらい、十八にして宮廷魔術師の称号を得た。
父母が亡くなったとき、執事は財産を奪うだけだった。その気になればアマリアを貴族身分がほしい金持ちに売っぱらうことだってできたはずだ。
老いた使用人――剣を教えてくれたので師匠と呼んでいる――が、もし悪人であったならば美少女であるアマリアを奴隷として売り払うのも容易だったはずだ。
奴隷制度は表向き廃止されてはいるが、その気になれば人間族の身寄りのない女など、獣人族国家である隣国に簡単に売ることができる。
師匠は実際は底抜けの善人で魔術師学校への入学試験の手配までしてくれたが。
運命の転がり方しだいでは、アマリアだって奴隷か、それに近い状態にまで墜ちていたかもしれない。
実際、自宅の屋敷に出入りの業者たちはアマリアをかどわかして奴隷として売る計画を立てていた。あのとき師匠についていかなければ今頃アマリアは奴隷だったのだ。
しかし、めぐり合わせの幸運がアマリアに訪れ、なんとか今の鉄等級貴族という立場を保っていられている。
貴族か奴隷か、ほんの紙一枚の差だった。
ココは、運の悪かった時の自分かもしれなかった。
助けたい。
あと半歩あしを踏み外せば精神が壊れてしまいそうなほどに追い詰められた、あのあわれな獣人の奴隷少女のことを、助けてやりたい。
だから、恩人の妹であり敬愛するリリーの安全を考えるならばベストではないと知りつつも、アマリアはココのために馬に鞭をいれるのだった。
ココをさらって逃げる騎馬たちは、追ってくるのがただ一騎であることを確認すると、町外れの空き地でアマリアを待ち構えた。
アマリアは馬上で剣を抜く。
賊がアマリアを宮廷魔術師だと知っているかどうかはわからないが、物理攻撃を加えてくると勘違いしてもらえるのなら儲けものだった。
ココは特殊なロープでぐるぐる巻きに縛られて猿ぐつわをはめられ、馬に結わえられている。
あのロープは魔力封じのロープだ、あれではココの指折りも発揮できないだろう。
賊の人数は五人。
全員騎馬だ。
馬の数は六頭、そのうちの一頭の背中にココが荷物のように縛り付けられているわけだ。
アマリアは剣を高くかかげて言った。
「私の剣は王国内随一の切れ味を誇るぞ。降伏し、その娘を解放しろ」
「へへへ、一人でなにができる? こっちは全員魔術の心得があるんだぜ」
問答無用で襲い掛かってくるつもりのようだった。
アマリアは戦場に出ていた魔術師だ、実戦経験がある。
まずは、ココが結わえられている馬の尻に向けて、
「ピュッ!」
と針のような細い水流を吐き出した。
それは狙い通り馬の尻に刺さり、馬はいななきをあげて走り出す。
「お、おい……」
賊どもがそちらに気を取られているうちに追撃。
「げぼぼぼぼおえ~~~っ!」
口から多量の水流を吐き出す。
なに、殺すほどの威力は出さない。
だが、天才宮廷魔術師アマリアにとって、人質を失った五人の賊を一度の攻撃で薙ぎ払うことなど、実に簡単なことだった。
水流の勢いで馬上から地面にふっとんでいく五人。
私の手にかかればこんなもんだ、と思った次の瞬間だった。
馬上にいたはずのアマリアの身体が宙に浮き、地面にたたきつけられた。
なにが起こったのかすぐにはわからない。
右足に焼けるような痛み。
見ると……。
右足の太ももが、根元から切り落とされていた。
多量の出血が地面の土を赤黒く染めていく。
「な、な、な……?」
「ひさしぶりだな、アマリア」
頭上から響く男の声。
アマリアは、その声を知っていた。
王太子の親衛隊に所属していた、グルアラだった。
隣国との戦争時、アマリアが正面から敵軍と戦っていたときに汚い手を使って敵の将軍を暗殺したのがこのグルアラだったのだ。
ずんぐりとした体格、背はひくいが肩幅は広く、伸ばし放題に伸ばしたひげが不潔さを醸し出している。
片手にはしなるほど細長い剣。これでアマリアのふとももを切り落としたのだ。
こんなにも目立つ容姿なのに、魔術を使うことで他人に認識されなくなるというスキルを持つ。
「ははは、天才宮廷魔術士もこうなってはいいざまだな」
グルアラが地面に倒れるアマリアに見下したような視線を送って言った。
「まもなくお前は死ぬ。こんなにもお前をあっさりと殺せるならば、あの王女様をさらう必要などなかったな。人質にするまでもない、お前を買いかぶっていたよ」
「くそっ」
太ももからの出血がひどい。
どんどん血が失われていき、意識が遠のいていく。
ココを乗せた馬は連れ戻され、魔力封じのロープで縛られたココがまるで荷物のように地面に転がされる。
「心配するなアマリア、お前が敬愛するお姫様たちは殺さんよ、そういう命令だ。王太子様はその身体をご所望しておられる。……くくく、我が主君ながら実に下品な男だ。だがアマリア、お前はここで殺す。お前を生かしておくのはリスクだからな。……王太子様はお前の死体の屍姦もご所望だそうだ、腐らぬうちに王都へおくりとどけてやるよ」
くっ、この男だけでも……この男だけでも殺せないか……。
アマリアは最後の力を振り絞り、口からグルアラに向けて魔術を放出した。
「ぐぼぼぼぉおおっ!」
だがグルアラはあっさりとそれをかわし、口の端に下卑た笑いを貼り付けて、
「なに大丈夫だ、王太子殿下のアレはでかいそうだが、死んでいれば痛くもないさ」
と言った。
どうやら、アマリアが聞く人生最後に聞く人間の言葉はそれになりそうだった。
――死ぬ。
意識が遠のき、消えていく。
人生最後に見る光景は――。
虹だった。
遠くに、虹が見えた。
しかし虹にしてはあまりにくっきりと鮮やかな色合い。
遠くの虹の端からまた新しい虹ができて、その虹の端からまた新しい虹ができる。
そうやって、虹がいくつもできてこちらへと近づいてくる。
ぐんぐんとこちらへと。
虹ではなかった。
軌跡だ。
なにかが、いや誰かがこちらへと人間では考えられぬほどの大ジャンプを繰り返してこちらへと向かってきているのだ。そしてその一跳び数百メートルのジャンプの軌跡が、七色の虹のようにきらめいているのだった。
――ありがたい……神様、ありがとうございます――。
それを眺めるアマリアは心の中で呟く。
涙が目からこぼれる。
幼いときに父母を失い、何とか生きてきた。戦乱の絶えないこの暗黒の時代、悪政ばかり行う摂政の王太子。こんな世の中に生まれてきてしまった自分をいままでどれだけ呪ったか。
アマリアは思った。
ありがとうございます、こんな奇跡の存在に触れあえることを許されるなんて。
虹の軌跡はついに地面に倒れているアマリアのすぐそばまで来た。
「なんだお前は?」
動揺しているグルアラの声。
バスドラムの強調されたポップな音楽が聞こえ、アマリアの倒れている地面に描かれる青い魔法陣。
そして、奇跡の声が聞こえてきた。
「心の架け橋! 平和でピースな雨上がり! ミスティレインボー!!」
「なのじゃー!」
リリーをだっこで抱えた魔法少女ミスティレインボー――天使様が、アマリアのもとへとやってきてくれたのだった。
「いやー、こんなことができるなら早く教えてくれよ」
「ピュイン。もっと早く尋ねてくれれば早く教えて差し上げられました」
「まあいいや、お前が悪者だな? やっつけてやるぞ! と、その前に。レインボーヒーリング!」
天使様の奇跡の力がアマリアを覆い、切り落とされたはずの右足がジジジと焼けるような痛みとともに復活していく。
王都の一流治癒魔術士の治癒魔術を超えるほどの強力な治療速度だった。
まさに奇跡の力だった。
「天使様……」
「おう、アマリア、お前はちょっと休んでろ、あとは俺にまかせろ」
その姿はあまりに神々しかった。
非の打ち所がないほど美しい十三歳の少女。
ファライルの花のようなピンク色のツインテールとドレス、ヴィオレッタ蝶のように七色に染め分けられた短いスカート、青い瞳に白い肌、完璧を通り越したまさに神による造形とまでいえるほどのプロポーション、あまりにも魅力的すぎて、見るだけで胸の奥がクゥッと苦しくなるほどだ。
「天使様、天使様……」
アマリアは神の使わした聖なる存在の足下にすがりつき、そのブーツにキスをする。
磨き抜かれたように輝くブーツの革は、なんだか甘い味がした。
「うん、けがは治ったようだな、じゃあお前はリリーを守ってろ」
愛くるしくて透き通った声。
「なのじゃー! アマリア、わしを守るのじゃー!」
リリーが屈託のない笑顔で言う。
思わずアマリアの顔にも安堵の笑みが広がった。
もう、大丈夫だ。
天使様が助けてくれたのだ。
そして天使様はむさ苦しく愚かで汚らわしいグルアラに向き直った。
「おい、降参しろ! そしたら命だけは助けてやる!」