アマリアの師匠ってのは、かなり年取ったジイさんだった。
御年八十五歳だそうな。
「魔術の先生ってことか?」
「いえ、剣術の師匠です! 師匠はなんと誰にも習わず一人で指南書のみで剣術を極めたお方で……」
いやまて、それは通信教育で空手を習うのとどう違うんだ?
そりゃ弟子のアマリアもあんな感じになるわな。
その師匠のじいさんは真っ白なひげを撫でながら、
「そうなんじゃ、今は治ったが、都に住んでいる息子が病気で倒れたことがあってな。孫の面倒を見るためにわしも都にすんでいたことがあったんじゃ。そのときに剣術を教えてやったのじゃ」
よくしらんけど、アマリアは宮廷魔術師だって聞いた。
それって偉いんだろう? そんなアマリアがどこでどうこの通信教育じいさんと知り合ったんだろう?
まあ、あとでおいおい聞くか。
「ほうほう、天使様……とな。まあそれが本当かどうかはわからんが、アマリア様や姫様がたをお助けくださったのは本当じゃろう。ここは小さな村じゃが、食い物には困らん。ここでゆったりと暮らすがよいじゃろう」
そういっていただけるととても助かる。
ここは乾燥地帯の中にあるオアシスのようなところらしく、ここでしか取れない珍しい果樹に恵まれ、そしてその果樹を穀物や肉に変えることでそこそこの暮らしができているらしかった。
人口は数百人といったところだが、みんなのんびりした性格でひとなつっこい。
ただし、問題はひとつあった。
「天使さま、のお……。いま、アマリア様がそういうなら信じぬでもないが、ここはの、聖女派の村なんじゃ。もちろん、村長のわしがいいといっているんだからいいんじゃが、トラブルになるといかんのでの、あまりここでは天使様といわんほうがいいかもしれん。この先、聖女派の人間に会うことも多いじゃろう。その恰好も目立ちすぎるからわしとしてはおすすめしないがのう」
確かに俺の衣装は目立ちすぎるよな。
あと、なんかよくわかんないとこがあるんだけど。
「天使派と聖女派って?」
俺がそう聞くと、じいさんは、
「そうじゃの、別の世界からきたといっておったな。それが本当かどうかはしらんが、教えてやろうか。この国ではタルミナス教というものを住民の九割が信じておる。そしてそのタルミナス教において、人民の救世主として聖典にかいてある存在が二つ」
じいさんは分厚い本をだしてきて、それを開いた。
そこには、確かに俺そっくりな少女のイラスト。
「第二部第一章じゃ。世が悪に満ちたそのとき、天使は神聖なる音楽とともに地上に降り立つであろう。ファライルの花のような色の髪の毛、ヴィオレッタ蝶のような美しい虹色のスカート、青空のような色の澄み切った瞳をしていてまばゆい光を発している。……天使は悪を滅し、人々を救うであろう」
うーん、このイラストの衣装、見れば見るほどまじで俺じゃん。
こりゃ天使扱いされるわ。
「しかしの、この表現では『世が悪に満ちたとき』にやってくることになる。つまり、王や貴族たちにしてみれば、自分たちはちゃんと政治をやっているのだから、世が悪に満ちることはない、という建前でな」
「すると?」
「別の節に、こうある。第五部第五章じゃ。『マライルの花の蕾から聖女が生まれ、ひとびとのために舞いおどる。
聖女の舞いを敬いなさい。
聖女は神の意志とともにあるのだから』とな」
ふーん。
まあ宗教の教義なんて、ちょっと聞いたくらいじゃ絶対に理解なんかできないからあれだけど、
「これ別にどっちも排他的じゃないような……両立できるんじゃ?」
「いや、貴族たちにしてみれば天使がおりたつということは現在悪政が行われているのと同義。良い政治の下だとしても、人々の苦しみが消えるわけではない。やはり聖女が苦しむ人々を救うはず。だから聖女こそが人民たちの救世主だとして、現在の国立教会をはじめ、上級貴族たちを中心に聖女派というのが形成された。貴族の庇護下にあるものもだいたい聖女派じゃ」
「天使派は?」
「この部分を読んでみてくだされ、この聖典を」
読んでくれと言われても、俺はこの世界の文字を読めない。
「聖女がひとびとを救うために舞いおどる、とは書いてあるが、救う、とは書いてないじゃろ? つまり聖女は救世主ではない、聖女は神が遣わす存在なのは間違いないが、しかし世の中を救う存在ではない、やはり天使こそが救世主だとして地方を中心にひろまったのが天使派じゃ」
「ほーん」
「とはいってもそれだって数百年前の話で、別にそこだけが論点ではないし、今となっては社会的身分と聖女派天使派の関係はうすくなっておるな。歴代王には天使派もいたし」
「聖女派と天使派で血で血を洗うような抗争があったとか……?」
「いや、直接的な戦闘などはなかった。しかし、論争は何度も行われ、それぞれが中央や地方の権力者とつながったりして、お互いに論敵とはみなしておるな。同じタルミナス教を信じる教徒という面においては認め合っておる」
なるほどね。
日本の仏教の宗派みたいな感じかな?
まあ、宗教ってのは複雑怪奇にできていて、それが数百年もつづいてきたとなると俺みたいな門外漢がすぐに理解できるわけもないよな。
★☆★
聖典 第二部第一章
神は聖者クロエにこうおっしゃった。
「世に悪なる支配者が立ち、善民が苦しむときがくる。
善なるものはすべてを失い、悪なるものはすべてを奪う。
だがクロエよ、私は正しきものを決して見捨てはしないのである。
別の世で命を失いし者をこのうつしよに招き入れるだろう。
その者は人間でもあり神の祝福を受けた神聖なる存在でもある。
男性の姿でもあり女性の姿でもある。
その姿をたたえよ。
世が悪に満ちたそのとき、天使は神聖なる音楽とともに地上に降り立つであろう。ファライルの花のような色の髪の毛、ヴィオレッタ蝶のような美しい虹色のスカート、青空のような色の澄み切った瞳をしていてまばゆい光を発している。
彼であり彼女であるこの存在こそが私の遣わした奇跡の天使である。
天使は悪を滅し、人々を救うであろう。」
★☆★
「ところで師匠、エレオノーラ様についての情報はなにかないですか?」
エレオノーラってのは確か、リリーの姉だったな。
そうだ、俺はその辺のところを何も聞いていない。
「うむ、今伝書カルトをほうぼうに飛ばして情報を集めているが、今のところは……。ただ、王太子殿下がもしエレオノーラ王女殿下を捕らえたとかそのような情報は入っていないぞ」
「伝書カルト?」
俺が聞くと、アマリアが答える。
「はい、高速で空を飛べる魔獣を飼いならしたものです。時速六十カルマルトで長時間の飛行が可能で、通信は主にこの伝書カルトによって行われています」
「……カルマルト?」
「ピュイン! 翻訳システムによる補足をいたします。1マルトはおおよそ0.99999987メートルに相当する単位です。カルマルトはマルトの1000倍の単位です」
おお、つまりメートルとマルト、キロメートルとカルマルトはまあだいたい同じってことか、度量衡が同じだと助かるぜ。
「ピュイン! 翻訳システムにより、今後マルトをメートルやヤードやマイルとして翻訳もできますが?」
「そのままでいいよ、っていうかマイルってなんだよふざけんなヤードポンド法は滅びろ」
というか、時速60キロで通信できるなら、時代に比するとかなりの情報化社会ともいえそうだ。
「ほかに通信の魔術もありますが、使える者は非常に限られます」
「なるほど。で、いったい全体、王太子殿下? がなぜリリーたち姉妹を襲うんだ?」
リリーがむくれた顔で叫んだ。
「それはなー、母上が美人だったからなのじゃー!!」
どういうことだ?
アマリアがふう、とため息をついて、
「エレオノーラ様とリリー様の母上は貴族のご身分を持たないお方でした……。ただ、非常にお美しい方であられました。それで、国王陛下が見初められまして側室に入られたのです。ご正室の王妃陛下とそのご長男であられる王太子殿下からすると、非常にお厭いになられておりました。特に、この国の法では庶子の女子であっても王位継承権がありますので、王太子殿下からすると目の上のたんこぶのような存在であったのでしょう」
「いや、もう立太子されてその地位が盤石ならいちいち腹違いの妹を殺そうとなんかしなくてもいいんじゃないか?」
「王太子さまは非常に人をお疑いになるご性格で……。王陛下が病に倒れられてご自分が実権を握ると、ご自分に意見をするものの粛清の繰り返しを行いました。百人を超える臣下が処刑や流刑になったのです」
うーん、俺の知っている地球の歴史でもそういうことをやる独裁者ってのはたまに存在してたよな。
「エレオノーラ様とリリー様は王太子殿下に忠誠の誓詞を差し出し、地方の私の領地で隠棲しておられたのですが、それでも王太子殿下はご自分のほかに王位継承権者がいることを許せなかったようです。特に、エレオノーラ様は隣国のバックがついていると思われてましたから。ご母堂様は隣国に友人がたくさんおられましたから」
「ん? その母親は?」
そう聞くと、ちらっとリリーの方を見て悲しそうな顔をするアマリア。
そして、俺の耳に口を近づけてこっそりと、
「毒殺されました」
といった。
……きっついなあ、こんなかわいい幼女の母親が毒殺とか。
やべえな、どろどろとした宮中政治ってだけではすまねえな。
「王太子殿下は軍を私の領地に派遣したのです。私の領地など人口二千人ほどしかおらず、兵力も数十人、すぐに逃げたのですが、エレオノーラ様とははぐれてしまったのです……」
俺たちは数秒間、黙りこくった。
けっこうやばめの話だった。
「じゃあ、リリーもまだ命を狙われている……? 国家権力に……?」
「そうなります……。ただ、ここからさらに西の隣国はご姉妹と縁の深い国。そこは王国の領土の外でありますのでそこまでなんとか逃げていくことができれば……」
国軍に追われながらそんなことができるのだろうか?
「大丈夫なのじゃ! 天使様がいるから、大丈夫なのじゃ! 神様が天使様をわしに遣わしたくらいじゃからな、あねさまも絶対に無事なのじゃ! えへへ、うまくいくのじゃ、天使様がいるのじゃから!」
リリーは天真爛漫な笑顔でそういう。そして信頼しきった顔で俺に向かって、
「えへへ!」
と笑った。
もちろん守ってやりたいが……。
暗い雰囲気を破るようにじいさんが言った。
「まあお話はいったんここまでにして、リリー様、それに天使様……? かどうかわからぬが、とにかくお風呂にでも入ってくるとよい。ちょうど召使にお湯を沸かせていたのだ。アマリア、お前が湯伽をして差し上げるとよかろう」
おお、それはありがたい。
あんな草原を歩いてきたんだ、体中汗とほこりでベタベタだ。
「そうですね、それでは私が天使様とリリー様に湯伽をいたしましょう」
ん?
湯伽って、なんだ?