私に家庭教師はできない   作:335室の主

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――その布に垂らされた色は、模様か、汚れか――

この作品は『五等分の花嫁』に対する作者の長い長い「感想」みたいなものです。


命運の輪

 運について、私はこう考える。

「指向性を持ったベクトル」なのではないかと。

 

 よく知られた運の性質に関わる一説として、人が持つ運の総量は決まっており、それを消費しながら生きている、というのがメジャーだろうか。

 違う。と私は言いたい。運は、矢印なのだ。意思を持っているのだ。人の感情に合わせて、寄り付き、離れるを繰り返すことで、運勢は波のように、三角関数が描くグラフのように変化していくものなのだ。

 そして運は好き嫌いをする。ポジティブな人、誠実な人を好んで侍り着く。逆にネガティブな人、不誠実な人からは逃げる。運の良さはそうやった「日頃の行い」で決まっているのだと主張してみる。

 

 だから、私は自分のことを幸運に恵まれていると思い込んでいる。自分を不幸な人間だと思い、悲劇に酔いしれているのは傲慢と変わりないことだと悟ったのは、もう数年前の話。

 それに、事実運がよかった出来事はある。誰だって十数年分も生きていれば、幸運なことの一つや二つはすぐに見つかるだろう。思い返せば色々あるけど、特に挙げるなら高校生時代に恵まれた二つの幸運。それはもう劇的、ドラマチックだった。

 

 一つ目は、今ドレッサーに突っ伏して眠りこけている新郎と友人になったこと。

 彼は今どんな夢を見ているのだろうか。未来? それとも過去? いずれにしても、彼女たちがその夢に関わってきそうだ。

 

 もう一つは、あの子たちに出会ったこと。彼女たちとの物語は、もう夢のようだった……いや、悪夢と言った方が正しいかも知れない。

 

そうして今までに起こった、そしてこれから起こる人生のビッグイベントに思いを馳せながら、私は幸福ベクトルの渦中にいる彼を起こすのだった。

 

 ○

 

「今日は合理的なやつにするかな」

 

 食堂で何を食べようか考える際、目新しいメニューがなければ、定食や丼物以外に頼める小鉢をトレーに置く。私は頭の中で野菜や肉などに含まれる栄養を推定し、お国の提唱している配分になるよう比重を振り分け、そして白米は一番小さいサイズを頼む。うむ。これで完全合理アラカルトの完成だ。さて、どこで食べようか――

 

(……おや?)

 

 座る席を探している途中で、私は視線の奥によく見知った姿を見かけ、そちらに注目した。あれは学年一の成績保持者で、なおかつ私のかけがえのない友人の上杉風太郎くんじゃないか。彼は相変わらず焼肉定食焼肉抜きを頼んでいたのだろうか。

 それと、向かい側にいるのは誰だ? 見ない顔だ。女子みたいだけど?

しばらくその場に突っ立って様子をうかがっていると、上杉くんが立ち上がり、こちらへ歩いてきた。どうやら食べ終わったみたいだ。

 

「やあ。上杉くん」

 

「よう。黒田」

 

 お互いに挨拶を交わし、私は上杉くんに質問をした。

 

「ねえ、さっきあの子と何をやっていたの?」

 

 普段はこれ以上話を続けることは稀だが、今回は知的好奇心が働いたことで、彼に話しかけた。

 

「ああ、ちょっとな。あいつは気をつけた方がいい」

 

 そう話す友人の声には、不機嫌さが含まれていた。さてはあの子と喧嘩したな。彼は人との接し方において、経験値がゼロに近いため、ああなってしまうのも仕方ないのだろう。

 

「あんま意地とか張らない方がいいよ。後が大変になる場合もあるから」

 

「そうは言ってもな……気が合わないやつとはどうやっても無理なんだよ」

 

 それだけ言い残すと、上杉くんはさっさと立ち去ってしまった。全く、人間関係が上手くいかないようじゃ、人生幸せになれないんじゃないか。あの時の自分みたいに。

 

(やれやれ、仕方ないなあ)

 

 そんな親心みたいな思いを抱えた私は、彼の株をできるだけ下げないためにも、件の女子の方へ向かうことにした。

 

 

(えーと、あの子だったかな)

 

 私は上杉くんがさっきまで話していたらしい女の子のそばまで来た。肩まで伸びるロングヘアにはウェーブがかかっていて、星型のヘアピンを身につけている。

そして赤色の胴着の上には、ここでは見ない制服を着ていた。なるほど。この子が朝から学校で噂になっている転校生か。話題の情報をいち早く知れて、得した気分になった。

これはしばらく噂がヒートアップしそうだな。顔もスタイルもいいし。あいつがそんなかわいらしい転校生と何を話しているのか、気になってしょうがなかった。

一瞬話しかけようかどうか迷ったが、座右の銘を反芻する。自分から動かないと、チャンスは掴めない。

 

「すみません。ちょっといいですか?」

 

「ええ? はい」

 

 最初何を話そうか悩んだが、今の私の目的は我が友人のフォローだ。ここは事実確認に入る。

 

「さっきここに男子がひとり来たと思いますが、彼と何かありましたか?」

 

 すると彼女はキョトンとした顔から、苦虫をかみつぶしたような顔をして。

 

「そうなんですよ! あの人私に『太るぞ』なんて言ったんです! ひどいと思いませんか!?」

 

「うん……。それは、確かに」

 

 打って変わって上杉くんに対する非難を訴えた。

 なるほど。そりゃ怒るわけだ。相変わらず彼はデリカシーがないな。これが女性に対する一番の禁句だというのは、母親から言われた。

そう思いつつテーブルの方へ目を遣ると、転校生が今食べているものが見えた。

 そのラインナップがすごい。まず主食のうどん、次にそのお供たる天ぷらの数々、おまけにプリンなどのデザートがトレーを埋め尽くしていた。

 あいつが太ると言っても納得がいくなこれは……というか腹うんぬんというより、懐の方は大丈夫なのか? 私の場合そっちが気になる。

 

「おまけに人相も悪いじゃないですか! あの人絶対悪い人です!!」

 

「うーん、人相が悪いのは否定できないかな」

 

「でしょう!?」

 

 やってしまった。これ以上彼を悪く言ってどうするのだ。今必要なのは消火剤だ。油でもLPガスでもない。安直な返しをした自分を戒めるためにも、一旦気持ちを整理するためにも、一つ息をついた。

 

 ここで安易に男がよくやりがちな、相手にクールダウンを求めたり怒りの原因を分析したりしてはいけない。今彼女は上杉くんの言葉によって傷ついている。フォローという目的を果たしたいなら、まず傷を癒やすことが先決だ。

 

「それはひどいことをしました。この件に関しては友人の私から謝ります。傷つけてしまいごめんなさい」

 

「……いえいえ!? あなたが謝る必要はないのですよ!?」

 

 女の子は動揺さを声に表していた。

 

「ありがとうございます。まあ私は彼の友人として言いますけど、あいつ根は悪いやつじゃないですから。きっとたくさん食べているあなたをうらやましいとか思っていたんでしょうね。学生でそんな多く食べれる人なんて、経済的に難しいですし」

 

 特に彼は焼肉定食焼肉抜きを頼むくらいだから、という言葉は飲み込んだ。言っても理解されないだろう。

 

 焼肉定食焼肉抜きとは、上杉くん曰く「学食の最安メニューはライス(200円)だと思いがちだが、焼き肉定職から焼肉を抜くと同じ値段で味噌汁とお新香が付いてくる」という非常に合理的な節約メニューだ。彼はそれを連日頼んでいるのは、それだけ経済状況が逼迫している証だ。

 ちなみに、以前私もそれを頼んでみたのだが、あまりにも量が少なくて空腹度が増し、さらに食べてしまうという悲劇を生んでしまった。より集中するには満腹より空腹がいいことは知っているが、私には耐えられず、彼の集中力がどれだけ抜きん出ているかをまじまじと見せつけられたのは、今となっては良い思い出。

 

「たくさん食べられるというのは、かなり大きな喜びですからね。嫉妬するのも仕方がないですよ」

 

 念押しとして、さっきと似たような発言を僅かに変えて言ってみた。

 

「なるほど……それは彼の気持ちを考えていませんでしたね……。

 ですがそれでも! あの人が私に100点のテストを見せびらかしたのが不愉快です!」

 

「あら。そんなこともしたのか」

 

 私はちょっと苦笑いをした。

 

 さっきも述べたが、上杉くんはホントに勉強ができる。それこそテストで全教科100点満点をたたき出すという神業を成し遂げるほどの逸材だ。私は最初、彼のその面に惹かれたと言ってもいいだろう。

高校に入って初めての中間試験で、私はクラス2位という結果になった。一体誰が一位なのだと調査した結果、それが上杉風太郎という人物だということがわかった。それが彼との出会いである。

 当初は彼に対してライバル心を抱いていたものの、学生諸君ならおわかりだろう、全教科100点満点を記録することの難しさが。さらに焼肉定食焼肉抜きという絶対的存在が引導を渡してきた。

 勉強に対する情熱が足りないと痛感した私は素直に敗北を認め、以降はお菓子や食べ物を差し入れたり、健康面での助言をしたりするなど、彼を支援する側に回ることにした。

 おかげで「友達は勉強の邪魔」だと突っぱねてきた彼にお礼を言われたときは嬉しかった。彼に心を開いてもらったことが、人との友情を大事にしていきたいという気持ちの芽生えでもあったから。

2年生に進級してクラスが異なりはしたが、彼との友好は絶えていない。

 

「まあ確かに、あいつは学校の勉強ばかりで、『人との付き合い方』という名の勉強は全くしなかったからですからね。テストで100点取ること以外も、よほど大事なのにって私も言ってますが」

 

 少々気が早いかもしれないが、就職活動において企業が学生に不足していると思う能力は「コミュニケーション力」や「主体性」を挙げており、学生が自分に不足している能力は「資格・スキル」や「専門知識」を挙げているとの統計データがある。つまり座学で培った知識や試験のためだけに努力を積み重ねた末に醸成される人間は、社会という名の戦場で悉く淘汰されてしまうのである。残酷な話だ。

 

「別に無理に許して欲しいと言うつもりはありません。でも、こう考えてみたらどうですか? 子供って意気地になることってよくありますよね? 彼はまだ何も知らない『子供』みたいなものだと思えばいいんじゃないですか? そうすればそれを許せる自分を『大人』として優越感に浸れると思いますけど」

 

 この言葉はどこかの経営者からの受け売りだが、彼女には効果があったみたいだ。目を丸くして、感心した声を漏らした。

 

「なるほど……、『子供』ですか。あなたの言うことにも一理ありますね……。にしてもやけに彼の肩を持つんですね」

 

「そうですね。じゃないと友達なんてやっていませんから。とにかく、あいつの失礼な言葉に対しては私から謝っておきます。すみませんでした」

 

「ですから、あなたが謝る必要は……」

 

「ああ、そうでした」

 

 そこで彼女の吐露を受け止め続けたせいか、私のお腹が補給を求めてきた。

 

「ところで……そこに座ってもいいですか?」

 

「あっ……すみません気づかなくて! どうぞどうぞ!」

 

 今更他の席へ向かうのが面倒だと判断した私は、目の前の女子に交渉を持ちかけたが、すんなりうまくいったみたいだ。

 さっきまで上杉くんが座っていたであろう、彼女の向こう側の席に座り、話を再開した。

 

「そういえば、自己紹介してませんでしたね。私は黒田侑弦(くろだゆうげん)、二年生です」

 

「私は二年生の中野五月(いつき)です。同じ学年ですね」

 

 互いに自己紹介をし、軽く会釈をする。

 そして私は箸を野菜の方へ動かし、口に運んだ。やっと昼食にありつけることで、とりあえずの安心感を得る。

 一通りお腹を落ち着かせ、気になっていることを聞いてみた。

 

「さっきから気になっていたんですけど、その服装から見るに、あなたって転校生だよね? どこから来たのですか?」

 

 同い年だとわかったので、敬語は少しずつ外すことにした。

 

「はい。黒薔薇女子から来ました」

 

「黒薔薇? あの?」

 

「はい。あなたが想像している通りで間違いないかと」

 

 驚いた。男だから当然かもしれないが、女子校界隈に疎い私でも名前くらいは知っている。偏差値も家柄も高い女子が集う、日本でも有数のお嬢様学校だ。それなら財布の中身を気にすることはないなと、納得した。

 

「あの、私も気になっていたことがあるのですが、黒田君って自分のこと『私』って言うんですね」

 

「ああ、珍しいよね。昔あるドラマの男性キャラが自分をそう呼んでいることに憧れて真似してみて……、気づいたらこの一人称が定着していた、ってところかな」

 

「へえ、そうなんですか」

 

「変だった?」

 

「いえ!? むしろ紳士的で、いい人そうだなと思いました。あの人とは全然違いますよ」

 

「それはどうも……あっ、中野さん。彼の件はどうなの? 必要ならあいつに謝らせるけど」

 

「そうですね……あなたが謝ったのもありますし……わかりました。あなたに免じて、もう少しだけ信じてみることにします」

 

「あっ、本当? ありがとう」

 

「いえ。あなたにお礼を言われる筋合いはありません」

 

 よかった。ひとまずは最悪の事態を免れたとほっとする。

 にしても、「いい人」か。今の私はそう見られているのだな。素直に喜んでいいものか……おっと、いつのまにか全部食べ終わっていた。相変わらず自分は食べるのが早いな。ちゃんと噛まないと消化に悪いのにと独りごちて、私は席を立つ。

 

「では、私はこれで」

 

「はい。ではまた。もし同じクラスになったら、その時はよろしくお願いしますね」

 

「わかった、じゃあね」

 

 中野さんに挨拶をしてから、私は食堂を後にした。今日は美人と食事が出来て良い一日だな。きっかけを作ってくれた上杉くんには感謝しないと。

 

 ○

 

 食堂を抜けて、自分の教室に戻ろうと歩く最中、ちょっといいかしらと声がかかってきた。

 私の前には、明らかにこの学校の生徒ではない、利発的な印象を与える女性が立っていた。

背格好は余計な肉付きがないすらりとした体型であり、本来腰くらいまであるだろう長さをした髪は、後ろにまとめてあった。

 

 その女性は理事長がいる部屋はどこでしょうかと訪ねてきた。この人は来客だろうかと考えて、私は素直にその質問に答える。彼女はお礼を告げてから、目的地のある方向へと歩き出した。

 

 その時すれ違い様に「貴方の人生が、幸福なものでありますように」みたいな感じの言葉をいただいた。お礼にしては大げさである。

 あの人は本当にここの理事長に用があって来たのだろうか。それはわからず仕舞であるが、きっと私には関係のないことだろうし、この先会うこともないだろうなとの予感もした。

 

 ○

 

 さて、食堂から戻ってきて、授業開始まで少し時間がある。

 私は机から一冊の本を取り出し、ちょっとだけ読み進めることにした。

 その数分後、本鈴がなるが、授業が始まるまでまだ少しだけ時間がある。もう少しだけ。

 担任の先生が教室に入ってきて、ようやく今読んでいたページにスピンを挟んでから、本を閉じ、机の上に置いた。

 教卓の前に立ち、先生が話し始めた。

 

「はい皆さん。今日はこのクラスに転校生が来るよ」

 

 その言葉に教室内で期待の声が高まった。

 ああ、中野さんはここに来るのか。さっき食堂で話したし、私が行事とか施設とか色々説明する係になるのだろうか。それよりもどう挨拶しようか。改めてよろしく? 久しぶり? でもそんな会話したら、周りの目が集まって、新たな噂ができるかも?

 

 そんなくだらないことを思案していると、先生が外に向かって手招きし、女の子が一人教室に入ってきた。

 

 次の瞬間、ざわざわとクラス内が一層騒がしくなる。特に男子の声の比率が大きいのは、その子がなかなかの美少女であるからだろう。あまり美人というのを見ていない私でも、見た目はかわいいんじゃないかと思う。うん。

 でも私の頭にまず浮かんだのは、違和感だった。髪は肩に届かない程度の長さでウェーブがかかっておらず、ベストも赤色ではなく薄い黄色だ。そして頭にはうさ耳を連想させる大きなリボンを身に着けており、緊張こそしているものの、生き生きとした表情も相まって食堂の子に比べて少し、いやだいぶ雰囲気が違う。

 

「では、自己紹介をお願いします」

 

「はい!」

 

 先生の言葉に対し、転校生は元気のいい返事をした。そしてひと呼吸おき、自己紹介をする。

 

「初めまして皆さん! 私は中野四葉(よつば)です! これからよろしくお願いします!」

 

 中野さんは教室の奥までよく届く声で話し、クラスの皆は拍手で迎えた。ふむ、第一印象はかなりよい。あの調子ならすぐみんなと打ち解けられるだろうな。

 

 …………。

 

 ん? 四葉? 

 

 確かあの子は五月って言っていたよな? 人の名前を覚えるのが苦手な私でも、ほんの数十分前に聞かされた名前を忘れるほど、薄情ではない。苗字は同じだが、偶然か? まさか、ドッペルゲンガー? 

 ……なわけないか。とりあえず納得のいく答えを考えながら、この疑問を解消するために後で中野さんに聞きにいく予定を立てた。知らないことを知らないままにしておくのが一番の罪であるから。

 

「では中野さん。あっちの黒田君という子の隣が空いているから、そっちに行ってくださいね」

 

 ……と、中野さんが何だかスキップしそうな足音を鳴らしながらこちらにやってきた。用意されていた空き席がすぐ隣にあるので、わかりきっていたけど。

 

「よろしくお願いします! 黒田さん!」

 

「……はい、よろしくお願いします」

 

 中野さんはニッコリと笑顔を見せて挨拶をした。それを見た私は一瞬苦手意識を抱いたが、ここはできるだけの笑顔で返した。これはデュシェンヌ・スマイルだろうか。

 彼女が席に座ると、クラスからの視線を感じた。おそらく大多数は転校生の中野さんに注目しているのだろうけど、一部は私に注がれていることもわかった。多分、嫉妬だろう。男というのはわかりやすい。

 見られているだけで羨ましいとか代われとか言われないのは、まあ自分の気質というか、ある意味才能だ。気にならないといえば、嘘になるけど。

 

 ○

 

 そして授業が始まった。前回の軽い復習に始まり、今は新しく入る単元を学習している。そういえば転校生は大丈夫なのだろうか? いくら偏差値が高い学校から来たといっても、進みかたがここと違うだろうし、戸惑うこともあるのでは?

 ……いや、あの女子校ならうちより進むのが早いだろう、と思った。とある進学校では、中学一年の時点で数学的帰納法を学ぶと聞くし。だとしたら、あの子の学力はいかほどのものか……。

 

 突然「カラァン」と音がした。あっ、と心の中で呟く。授業中にマイワールドに入っていた所為で、机の端に置いた予備のシャープペンシルが自分の袖に引っかかって落ちてしまったのだ。すぐに音から落ちた場所を推測し、拾おうと床を見つめるが、そこにペンはなかった。

 

「はい。落としましたよ」

 

 声に反応して見上げれば、中野さんが私のペンをこちらに渡してくれた。直視するのも憚れそうな笑顔を浮かべて。これがパンナム・スマイルでも動揺してしまう。

 

「ありがとう」

 

 一言だけお礼を言ってからちゃんと授業に向き直ろうとした……が、これを好機と捉えた私はすかさず口を動かしていた。

 

「ちょっとすみません。聞きたいことがあるので、後でいいですか?」

「はい! わかりました!」

 

 先約を入れることに成功した私は、心の中でガッツポーズを取り、自分の袖とシャーペンに感謝した。何か感じた視線が増えた気がするが、まあ思い込みだろう。

 

 思えばこの日だ。これから起こる出来事に私が組み込まれた物語、その緞帳が上がった瞬間は。

 

 ○

 

「さて黒田さん! 質問とは何でしょう!?」

 

 授業後、中野さんが声をかけてきた。にしても、この溌剌とした性格、私には少し眩しすぎる。

さて、予定通り答え合わせに入ろう。

 

「実は昼に中野五月さんっていう人と会ったんだけど、あの人って双子の姉妹?」

 

 そう、私が授業中、たっぷり50分近く考えて出した結論、それが双子ではないかという説である。似ている顔つき、同じ苗字、双子なら十分あり得る話だった。うん、いい線だろう。むしろこれ以外に答えがあるものか、と自分の推理を誉めた。

 が、その自信はあっけなく折れる。

 

「違いますよー。双子じゃないですー」

 

 え? 何? 違うのか。だとしたら一体なんだろう? 他人のそら似にしては、あまりにも似すぎだが……。

 私が思い詰めている中、彼女のくれた正答は――

 

「私たちは五つ子なんです!」

 

 

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「あれ? 黒田さん?」

 

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 はっ。情報処理に時間がかかった。

五つ子……あー、はいはい。なるほど。そうかそうか。

 予想外も予想外。まさかそういう形で、私の推理を外してくるとは。

にしても、五つ子か。漫画の中だけかと思っていたが、実際にいるものなんだな。

 とりあえず五つ子である事実を受け入れた私は、話を続けることにした。

 

「五つ子ってことは、あと三人姉妹がいるってこと?」

 

「はい! そして私は四番目にあたります!」

 

 別に聞いてもいないのに、中野さんは四女であることも明かしてくれた。

 

「その三人もこっちに転校してきたの?」

 

「その通りです!」

 

 わお。とんでもない大番狂わせだ。もしその子たちと会ったら、ちゃんと顔を覚えられるだろうか。

 

「五月は私の妹なんですよ。まあ初めて私たちのことを知った人はみんな、こういう反応をするんですけどね」

 

「確かに、一生に一度あるかないかだよ」

 

 なるほど。無理もない。あらゆる事象を柔軟に受け止める姿勢を持つ私ですら、処理に詰まっていたし。

 

「まあでも、ありがとう。おかげで疑問が解決してすっきりしたよ」

 

「どういたしまして。また何かあったら、何でも聞いて下さいね!」

 

「うん。そっちもこの学校についてとか、わからないことがあったらどうぞ」

 

 中野さんはまた眩しい笑顔を見せた。正直、羨ましい。自分はこういう顔ができなくなったのはいつからだろうかと、切ない気持ちになった。

 

「あの、何ですか? それ」

 

「ああ、これ?」

 

 早速質問してきたかと思えば、中野さんは私の机上にある本を指して言った。私は要望に応えて、表紙を見せる。

 

「へー。『友情』って名前の本ですか! えーと……むしゃころじつ……?」

 

「ああ、これは『むしゃのこうじさねあつ』と言って、この本の作者だよ。まあ初見じゃ読めないよね。ちょっと見てみる?」

 

 漢字では、「武者小路実篤」と書く。明治期に活躍した、文豪とよばれる小説家のひとりだ。なんでも、村を造ったこともあるのだとか。

 中野さんは本を受け取り、ぱらぱらとページをめくった。

 

「うーん、私には少し難しいかもしれません……。こんなのが読める黒田さんって、頭いいんですね!」

 

「ありがとう。でもそれほどでもないよ。私より頭いい人はまだまだいるし」

 

 少々、ほんのちょっとだけ嬉しいが、謙遜した。

 いくら自分が学年上位の成績を誇っている事実があるからといって、上には上が居るのもまた事実。そう、例えば上杉くんとか。もし勉強を教えてもらうなら、彼のほうが良いと思うんじゃないかな。教えてもらえるかは別として(いや彼女なら壁を難なく突破しそうかも)。

 

 思えば彼のおかげで、自らの足るを知れたのだろうか。

 そう思っていると、不意に後ろから中野さんを呼ぶ声がしたので、話をそこで切り上げることにした。

 

「あっすみません! 友達が待っているので、また明日お願いしますね!」

 

「うん。今日は色々教えてくれてありがとう。また明日」

 

 ○

 

 一人になった廊下で、何か感慨深いものを感じた。さて、一気に転校生が五人来たというわけか……しかも内一人は私の隣、あの印象から予想すると、これからの日常がうるさくなりそうだな。

 そう思っていると、自分のスマホが着信時の画面に変わった。ディスプレイにはかけてきた相手の名前が書かれている、今回は私と中野さんを引き合わせた恩人だった。

 

 応答ボタンを押して、私は通話に出る。

 

「はい」

 

『黒田、話したいことがある。少しいいか?』

 

「いいよ、何?」

 

『……会って直接話したい、校門へ来てくれ』

 

「あい、すぐ行く」

 

 私は早足で外へ向かいながら、何を相談してくるのか予想を立てた。

 さっき微妙な間があったのは、私に相談することを一瞬ためらったからだと推察される、それほど重要度が高い問題が彼のもとに舞い込んだと考えられた。さらに直接呼び出すところを見ると、私と面と向かって会話することによって精神的な安定を手に入れたいことに違いない。そこまで彼を追い詰める事態とは、一体何なのだろうか?

 

 私は下駄箱から靴を取り出し、履き替える。

 

 彼の経済状況を顧みるに、お金を貸してほしいと言われるのだろうか? 別にお金には困っていないが、貸すか貸さないかを決める前に、どうしてそうなったのかの背景を理解する必要があると考えた。

 別の可能性はあるか? 最近変わったことと言えば、転校生が五人もやってきたこと、もしかしたらその子たち絡みの問題かも知れない。中野さんの家柄は高そうだったし、家庭ぐるみで首根っこを掴まれた可能性も考えられる。それなら私ができることはあるのか?  

 ……もし後者なら、ある程度の覚悟はしておかなければならないと思った。

 

 ○

 

 昇降口を出て少し歩いた後、私は校門の端に一人の男子の姿を確認した。初見さんならその雰囲気から不審者と間違えてしまうかもだが、私は臆することなくその人物に声をかけた。

 

「お疲れ、待った?」

 

「いや、大丈夫。話の件なんだが……歩きながらでもいいか?」

 

「わかった。そっちの方があまり聞かれないしね」

 

 到着して二言三言交わし合ってから、私たちは歩き始めた。

 

「しっかし、こうして二人で下校するのはいつぶりかね」

 

「そうだな。およそ一年ぶりか?」

 

 目的地に居た待ち人の表情は、当初どこか浮かない感じだった。彼にとって重大な知らせをこれから私に話すのだから、緊張するのも無理はないだろう。

 それを少しでも取り除くためにも、まずは世間話から入ることにした。この時出した声からは、安堵の感情が聞き取れた。

 

「あの時のあんたといったら、ずっと教科書や単語帳に目が行ってたからねえ。おかげで何度も前の情報を教えなくちゃならなかったよ」

 

「なんだよ。ながら見してた二宮金次郎は称えられてるのにか?」

 

「そうそう、その金次郎こと二宮尊徳って、農村を復興させるとき周りとうまくいかなくて、村から逃げ出しちゃったらしいしね」

 

 このことを伝えると、彼は微妙な面持ちで黙り込んでしまった。きっと二宮尊徳の失敗を今の自分と重ね合わせてしまったのだろう。

 

「まあでも、その人は最終的に成功したから大丈夫だよ。で? 話したいことって何?」

 

 このまま暗い気持ちを引きずってもらわないように、少々強引に本題へ切り込んだ。

 

「あ、ああ……それは」

 

 上杉くんはちょっとだけ声を詰まらせると、含みのある声で話し始めた。

 

「俺、家庭教師をやることになった」

 

「うん……?」

 

 もっと重い話かと考えていたが、意外と大したことなさそうに思えて、僅かに瞳を丸くさせた。

 彼がいくつものバイトをしていることは知っているし、家庭教師をやるくらい珍しいことではないはずなのだが、自分のイメージとの乖離を感じざるを得なかった。

 

「……ただの家庭教師じゃないみたいだね」

 

「流石だな、実はそれでうちの借金問題が解決するかもしれないんだ」

 

「おお、それは」

 

 上杉家には不慮の事故により、借金をしてしまう程家計が逼迫していることは一年の終わり頃に教えてくれた。

 食堂で私と別れた後に、彼の父親がこの仕事を見つけてきたことを、妹さんから電話で告げられたと説明してくれた。得られる給料は相場の五倍とのこと。

 

 怪しい予感しかしなかったが、ここで私は「五」という数字に既視感を覚えた。

 

「その生徒は高校生で、最近越してきた金持ちの娘らしい」

 

 昼に得た情報が一気に繋がる感覚がした。黒薔薇出身の転校生、五つ子、これらから導き出した結論は一つ。

 

「……それ中野さんのことじゃない?」

 

「……そうらしい」

 

 なんてこったい……おっと、らしくない言葉を使ってしまった。中野さんって食堂で会ったあの子のことか。

 

「てか、第一印象最悪じゃないか……。食堂でケンカしたんでしょ?」

 

 あの後私がフォローしたとはいえ、上杉くんへの印象が好転しているとは限らない。

 

「実を言うとそいつは俺と同じクラスに来たんだが……どうにも避けられているようだ」

 

 あきれた。まさかこんなにも早く因果が巡ってくるとは。いや、私が口に出したから?

 

「……だから言ったじゃん? 後が大変になるって」

 

 って、ケンカした後に注意したようでは、後出し孔明になるか。「上杉くんと仲良くしてあげて下さい」と別れ際に付け加えるべきだったと悔やむ。

 

「それは……悪かった」

 

「私に謝らないでよ……まあ過ぎたことは仕方ないし、次からは気をつけなさい」

 

「ああ、努力する」

 

 正直、コミュニティ経験値ミリの上杉くんが彼女と和解できる確率は限りなく低い。私も似たようなものだが、彼ほどではないとの自負はある。

 

「で、私にどうにかするよう頼みたいってわけ?」

 

「鋭いな。お前のことだからあいつと何か話をしたんだろ?」

 

「まあね、話のわかる子だったから、そういうことなら引き受けるわ」

 

「すまないな……お前は頼りになるやつだよ」

 

「……あんがと」

 

 頼りになる、そう言われると、心のどこかが針のようなもので刺される感覚がした。

 でも、私が仲人になるならハードルは下がるか。幸い、私に悪い印象は抱いていないみたいだし、もう一人とのパイプもできている。使える手はとことん使いこなさないといけない……もう一人、ああ。

 

「そういえば、生徒ってその中野さんだけ?」

 

 私は同じクラスの中野さんのことを思い出し、新たに質問を重ねた。

 

「え? そうだろ、家庭教師というものは、マンツーマンでやるものじゃないのか?」

 

 そうか、彼はまだ知らないのか。

 

「じゃあ言っとかないと、心して聴いて」

 

「お、おお……」

 

 上杉くんは不安に満ちた声を出した。真実を伝えるのは時として残酷なことだが、ここで言わなければもっとひどいことになる。

 

 私は指を立てた。

 

「信じがたいと思うから順に説明するね、まず一つ、うちのクラスにも中野さんが来ました」

 

「……は? お前のところにも?」

 

 私は首を縦に振って同意する。

 

「二つ、中野さんが教えてくれました、『自分たちは五つ子』だって」

 

「五つ子!?」

 

「そう、ここまでは大丈夫?」

 

「信じられるかよ……! いや、でも、お前が言うことだし……わかった、五つ子なんだな?」

 

 上杉くんは固唾を呑んだ。私は答えを言いたいと逸る気持ちを抑え、慎重に言葉を選ぶよう話を続ける。

 

「三つ、上杉くんがやろうとしている家庭教師の給料は相場の五倍です。さて、私が何を言いたいかわかる?」

 

 私の確認に、彼は重々しく口を開いた。

 

「……俺の生徒は、五つ子全員ってことか……?」

 

 私はゆっくり頷いた。

 

「あくまで仮説だけどね、でも用心するに超したことはないんじゃないかな」

 

 なぜ高校生である彼が同級生の家庭教師としてオファーが回ってきたのかは謎だが、それは雇い主の思惑であって彼の知るところではないと自己完結する。

 

「最後に聞くけど、その仕事、受けるの?」

 

「受ける。まだ五人の担当をするとは限らないし、こんな好条件のバイトなんて他に見つからないだろうしな。それにらいはのこともある」

 

「ああ……なるほど」

 

 私たちは顔を見合わせて笑った。妹想いの彼からしたら断るわけにもいかないか。

 

「まあ仮にあの子たちでもあんたならきっと大丈夫だよ。教えるのが上手いってことは私が一番知っているし。もし他に助けが要るなら、いつでも呼んで」

 

「ああ、恩に着る」

 

「うん、じゃあね、家庭教師頑張ってね」

 

 そうして別れてからすぐに施策する。どうすれば自然な感じで中野五月さんと上杉くんを引き合わせることができるか、どうやって他の姉妹にこのことを説明するか、脳内で演習を繰り広げて考え続けることに一日の残りを費やした。

 

 今は何となくでしかなかったが、これから忙しくなりそうだなと暮れるのだった。

 




とりあえず、簡単な主人公紹介をば。


黒田 侑弦

身長174cm
体重63kg
血液型:B型
好きな食べ物:サラダチキン(チーズが入っているとなお良し)
座右の銘:先手必勝、独断専行

 上杉風太郎の同級生にして無二の友人。四葉と同じクラス。
 知的好奇心が強く、誰に対してもすぐ質問することができるため、面倒見と社交性は高めだが、内向的な側面を持ち、人付き合いは苦手としている。
 何かにつけて考え込んでしまう性格でもあり、自分が無知であることを嫌い、仕組みは自分が完璧に納得するまで執着し、学習する。その姿勢と風太郎に勉強を教わったこともあって、学年順位一桁台の学力を持っている。得意科目は国語と理科(物理を除く)。

 存在感を消すという特技もあり、人の後ろに立っては驚かれることもしばしば。いつも好奇心の赴くままに動くからか、放浪癖がついている。
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