私に家庭教師はできない   作:335室の主

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 実は、この二話の執筆が、四話や五話より時間がかかりました。
 人を説得する、人と交渉することが苦手だとこんなに難しいんですね。

 誰かに面白いと思っていただければ幸いです(一話遅れ)。

【一言プロフィール】
風太郎と並ぶ際、彼との身長差をいつも気にしている。



奇妙で、面白い姉妹

 夢を見ていた。

 こんな書き出しから始まるお話は出尽くしていると思うが、とにかく見た。

 

 見た内容はとあるワンシーンのみ、六人の男女が、テーブルを囲んでいた。

 その内五人は生徒で、一人は教師。そんな関係性を持つ彼らは仲睦まじそうに話しているのが見えた。

 テーブルを囲み、ノートを広げ、楽しさを噛みしめるように、笑っている。

 

「ん……」

 

 目が覚め、しばらく布団に身を預けていた数分後、携帯から何度も繰り返された合図が鳴る。

 私はその音を止めるべく、腕を精一杯伸ばして画面に触れた。

 この仕事は終わりだと告げ、また翌朝働いてくれるために。

 

 次に、掛け布団をめくりながら私は考える。今日一日の始めに考えることは、さっきまで見ていた夢についてだった。

 夢の内容は、ただ勉強を教えている、それだけの光景だ。昨日友人が家庭教師を始めるという内容と関連性があるため、これから起こる未来を知らせてくれているのかと推測したが、どこか引っかかっていた。伝えたいことは、そうじゃないのでは、と。

 

 床から立ち上がり、流し場に向かい、うがいをし、やがて父とともに朝食を摂る。

 今日の朝飯は主食の白米に味噌汁、鯖の切り身に冷蔵庫に作り置きしてた切り干し大根である。

 

「昨日さ、転校生が来た。しかも私の隣の席に」

 

「へえ、どんな子だった?」

 

 父は転校生のことに興味を持ち、私は中野さんの特徴を伝えた。活発な印象なこと、転校初日に友達ができるほどにコミュニケーション能力に優れていること、笑顔が眩しすぎて蒸発してしまうのではと恐れたことを話した。

 

「それって、侑弦とは真逆な子なんだね」

 

「そ、うまくやりとりできるかな」

 

 私の弱音とも取れる発言に、父は思案の色を見せた。この人は責任感に強い性格だから、不確定なことは言えないのだ。

 

「ま、大丈夫じゃないかな」

 

 そう励ましてくれた父の声には、いつも通りの後ろめたさが隠れていたのだった。

 

「……今日もいいことあるよ」

 

「うん。そうだね。きっと」

 

 この人の罪悪感を薄めるために前を向かせるのも、いつも通りである。

 

 食器を片付け、鞄を持ち、ドアを開けて、外に出る。

 そうして通学している最中、再び複数人の姿が頭に浮かび上がった。

 

 私が見ていたあの光景は、ただの夢だろうか? ありもしない幻想だろうか?

 それとも――

 

 ○

 

 自分の教室に入った私は、まず電気をつけ、空気が籠もっている感じもしたので、窓を開けて換気をする。

 その次にカバンから教科書やノート、筆記用具や本を机の中に入れ、カバンをロッカーへとしまった。

 

 それが終わればあとは自由。私はスマホからイヤホンもつけずに音楽を流した。最近はJ-POPのピアノカバーを流すことが多い。

 

 今この教室には、私一人を除いて誰もいない。高校生になってからは基本、教室に一番乗りで登校している。

 朝の日を浴びながら静寂に包まれていると、真っ白なキャンバスに絵の具を気の向くまま塗りたくるように、今日一日を好きなように創造できるという気がする。

 

 でも今日の私には、決められた絵の具を持たされている。それは上杉くんとの仲を取り持つため、同じクラスの中野さんに話を持ちかけることだ。

 

 彼と別れてからあれこれ施策を練っていった結果、何の奇をてらうことなく、普通に話を持ちかけることに決めた。あの子は物分かりも良さそうで、こちらの話も変に疑うことなく聞いてくれそうだから、ストレートが最適であると判断した。

 ただ家族の中でしか知らないはずの家庭教師の件を、全くの部外者たる私が持ちかけるのは流石に警戒されるだろうから、人目のつかないところに移動してから話すのがベストだろう。

 

 あとは時を待つ他ない。もし彼女が早めに来てくれたら、あまり噂になることもなく事を進められるが、反対に本鈴ギリギリまで来ない場合、衆人環視の中での行動となり、精神的負荷はかなり上がってしまうため、ここはどうしても運否天賦になってしまう。

 それでも友人を助けるためなら、これくらいどうってことないと暗示しながら、残りの時間は実際に目に見えたとき、すぐ声をかけられるようにシミュレートすることに時間を注いだ。

 

 ○

 

 結論から言うと、この試みは失敗した。

 

「ねえ中野さん。今日ご飯いかない?」

 

「中野さん。好きな食べ物は?」

 

「中野さん! 写真撮ってもよろしいですか!?」

 

 人懐っこそうな印象だからうまくいくかなと思った自分が甘かった。件の中野さんは本鈴が鳴った数秒後に姿を現したため、早い内に話をすることは叶わなかった。

 そして今は朝のホームルームが終わったあとの時間だが、見ての通り、付け入る隙がない。彼女の明るく元気なオーラに、いつも人が集まってくるのだ。

 昨日彼女と話せたのはただのビギナーズラックに過ぎなかったと痛感する。そうして話しかけるタイミングを掴めぬまま、昼休みを迎えた。案外小心者なんだなと、自分のふがいなさを悔やんだ。

 

 仕方ないので別のプランを実行する。直接中野五月さんを探し出して話をしよう。昨日あれだけ食べていたし、今日も食堂にいる可能性が高い。

 

 ○

 

「黒田」

 

 食堂へ向かう廊下にて、私は上杉くんと遭遇した。

 

「ごめん、同じクラスの子に相談しようとしたけど、ずっと他と話しててダメだった」

 

「……まああんなやつの姉妹なんだから、一癖も二癖もあるだろうな」

 

 私たちはそのまま料理の注文をしに、窓口へと並んだ。毎度のことだが、この時間帯はどうしても人が混む。中々動かない列で待つというのは、空虚な時間でもある。

 

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

 ようやく順番が回ってきた上杉くんがオーダーしたのは、もはや彼の象徴ともなっている例のメニューだった。

 

「え、あんたまたそれー? やっぱり弁当作ろうか?」

 

「お前の飯を食うと眠くなってしまうからいい」

 

「それでも食べたら? 育ち盛りなんだから栄養摂らないと」

 

「もう第二成長期は過ぎただろ?」

 

「そうだけどさ、高校生は筋力が一番付きやすい時期だから、せめてたんぱく質だけでも摂ろうよ」

 

「あの、ご注文は?」

 

「あ、すみません、では油淋鶏で」

 

 上杉くんとの会話に夢中になっていた私は、列を止めてしまったことを恥じながら料理を受け取った。これは後で一切れあげるか。

 

「じゃ、水取ってくる」

 

「ああ。って、いた」

 

 席を探しに移動している途中、上杉くんは一人の女子に目を付けた。赤い中衣が特徴的な中野五月さんだ。関係性を修復する算段はあるのだろうかと彼の顔をのぞき込んでみたところ、目を薄くしながら歯を大っぴらに見せた笑顔をしている。誰が見ても碌な考えをしていないのは明らかだ。

 とりあえず水を汲んでから、頃合いを見計らってフォローに入ればいいかと考え、一度別行動を取ることにした。

 

 ○

 

 彼が向かったらしい場所へ行くと、中野さんがもう二人の女子と同じテーブルに座り、一緒に食べている姿が見えた。少し辺りを見回すが、上杉くんの姿はいなかった。

 あいつの企みは玉砕したかと考え、私も挑戦するかどうかを思案した。同席している彼女たちがどう反応するかがわからないから、自分も同じように失敗する可能性が高いだろう。しかしここを逃せば、何もできないまま家庭教師の仕事が始まってしまう。それに、私と彼女たちの関係はこれっきりになりそうなので、ならば踏み出すのが得策か――

 

「ねえ? 何してるの?」

 

 そう思って声をかけようとしたところ、逆に後ろから声をかけられた。動物が一番気の緩む時は、獲物にとどめを刺そうとした瞬間だと聞いたが、まさに今がそれに当たった。

 もし声の主が暗殺者だったら、私はたやすく命を奪われていただろう。もちろんその気はないだろうけど。

 

 動悸を隠しつつ振りかえれば、そこに中野さんそっくりな人物がたたずんでいた。三人目の姉妹だとすぐにわかった。首までのショートヘアーに着崩したワイシャツ、上着を腰に巻いた格好をしている。

 

「もしかして、私たちとご飯一緒したいのかなー?」

 

 こちらを下からのぞき込むようにしながら推し量る声色から、すぐに私とは相性が合わない性格をしていると察知した。

 

 私は、自分は自分、他人は他人と割り切っているタイプなため、同じクラスの中野さんのようにこちらの懐に詰めてくるような行動をしてくる人とは馬が合わないのだ。

 でも無自覚でやっているあの子と違い、この子は確信犯めいたところがある。まるで全てを見透かしたかのような。

 

「あれ? 食べないの?」

 

 向こうから同席の提案をしてきた、この行動の意図は恐らく、本当に興味があるわけではなく、こちらが取り乱す姿を見て愉悦を得たいがためだろう。上目遣いで誘われたら、大抵の男子は頬を赤らめて意表を突かれたような態度をとるだろうから。

 そうはならんぞとの反骨心が芽生えた私は、起死回生の一手をひらめいた。

 

「そうですね。それもいいかもしれません」

 

「え? ほんと? 度胸あるねー」

 

 私は左斜めへと前進し、彼女たちとは一つ離れたテーブルに座り、若干の距離を取った。

 

「あなたは、昨日の……」

 

「え? 五月知ってる人?」

 

 中野さんらの話に注意しながら、私は味噌汁を啜る。コミュニケーションにおける燃費と自分が今使えるエネルギーを考えれば、一度に複数の人たちと会話することは難易度が非常に高い。いかにして中野五月さんのみとの会話に持ち込めるかが重要だろう。

 そのためには彼女に質問することがいいと考えた。

 

「そちらのクラスには馴染めた?」

 

「ええ、良くしてくれる人が多いです」

 

「そう、よかった」

 

 私はご飯に手を付けた。

 

 クラス内での不和がマイナスイメージを増幅している線はないか。ならばどうして上杉くんとの溝は深いままかと考察する。

 彼のことを質問するのが効果的だろうが、直接彼の名前を出せば、途端に苦虫を口にすることになるだろうし、周りの女子も庇うという名目上、よってたかって私を攻撃してくるに違いない。そうすると私の高校生活は崩壊の一途をたどることになるだろう。

 

 だからさりげなく聞く必要があるか。ならどう聞けばいいかと脳内で議論を始めた。

 

「そういえば、四葉から君のこと聞いたよ」

 

 不意に、さっき食事に誘った女子が介入してきた。結論を出すのが遅かったと嘆く。

 悪ふざけが行動の中に含まれている彼女のことだ、きっとからかい目的だと勘繰る。

 

「四葉が言うには『優しそうな人』だってさ。ひょっとして、気を引きたいとか考えてる?」

 

 私は彼女らに聞こえない程度にため息をつき、答えた。

 

「そんな恐れ多いことはしません。仮に気があるにしても、私なんかが成功するわけないでしょう」

 

「うーん、そうなの?」

 

「そうですよ。中野さんも、そう思いませんか?」

 

「えっ? 私ですか? えーと……」

 

 楽しく食事していた中野さんが返答に困っている様を見ることで、ようやく自らの不機嫌を自覚した。込み上がってきた変な気分を、油淋鶏と一緒に咀嚼し、水で胃へと流し込んだ。

 その一口を最後に、手元にある食器はキレイになっていた。

 

「すみません、私はこれで」

 

 私は他の子に何か言われる前に、トレーを返却しに席を立った。

 

 そうして私はあの場における反省について悶々と考える。限りある質問時間をあんなくだらないことに使ってしまったと嘆き、他にももう少しゆっくり食べるべきだったとか、変な回り道をせずに本題へ踏み込むべきだったとか、変に焦らず堂々と話すべきだったとかと叱る声が聞こえ、そのまま非生産的な自己嫌悪へと励むこととなる。

 

 ○

 

 授業は午後のフェーズに移る。

 

 昼休みが終わって最初の授業、その十数秒後、中野さんが出し抜けに手を挙げた。一体何をするのかとクラス中の注目が集まる。

 

「すみません。教科書、忘れてきちゃいました」

 

「そうか、じゃあ隣の人に見せてもらって」

 

(あら……んん?)

 

 先生の言葉の受け手は自分ではないので、最初だけは気にも留めなかったが、すぐにこれから起こる出来事を察知し、冷や汗がたらりと頬を伝った。

 

 ……この時先生は、黒板に単元のタイトルを書きながらそう言っている。

 だから、今の発言がもたらす結果は、どんなものか深く考えなかったに違いない。

 

 私の中で緊張感が生まれるのと同時に、すぐ横から期待するような視線を感じた。

 

「……すみません、黒田さん」

 

 隣の中野さんは、申し訳なさそうな笑みを浮かべながらお願いしてきた。

 

 転校生が来て二日目、私はとんでもない試練にぶち当たった。

 

 なぜ私はこんなにも恐れている? それは先生の言うとおり教科書を見せたら、当然私もその教科書を見ることとなる。でも今の距離ではお互いが文字を十分に見ることはできない。

 それなら距離を近づけるしかない。どうするかというと机を寄せることとなる。これが同性なら大した問題はない。だが相手は女子、それも顔面偏差値70以上の美少女だ。

 

 そんな人と密に接することが幸か不幸かと問われたら、この時の私は迷いなく不幸だと答える。

 

 人の心は千差万別。例えば棚から餅を発見したとして、飢えを凌ぐものが見つかって幸せだと思う者もいれば、不衛生なものを見たと気持ち悪く思う者もいるだろう。

 どんなに人が羨む、都合の良い状況に巡り会ったとしても、それを「幸せ」と受け取れるかは個人の感性による。私の場合、こんな状況を嬉々として甘受できる器の持ち主ではなかった。

 しかし頼みを断るというのも、倫理的に許されないことだ。この板挟みの中、必死に頭を回して打開策を考える。

 

 そして思考の末、ようやく至る。私が辛みを感じることなく、中野さんの助けになる方法を。

 

「……貸してあげる」

 

 私は目線を自分の机に向けたまま、教科書を彼女の机に、やや乱暴に置いた。

 

「えっ、それじゃあ黒田さんは――」

 

「大丈夫、これくらいなくてもわかる」

 

 教科書の代わりに問題集を見れば要点はわかるし、最悪行き詰まったとしても上杉くんに教えてもらえばいい。

 

 こちらに集まっていた視線が散開した代わりに、どこからか笑いをこらえる声が聞こえてきた。

 

 なぜ彼女が私の隣に来たか、わかった気がする。

 この子の学力は自分が想像していたよりも遙かに低い。だから私が底上げしろという学校側の意図だろうか。それとも最近の自分はどこかいけ好かない部分があるから、私を貶めるためにこの子をぶつけようと考えた輩がいる可能性もなくはないか……。

 

 いや流石にそれは考えすぎか。

 

 今日の授業が全て終わるまで、上杉くんの家庭教師事情について打診することは、もう頭から抜け落ちていた。

 

 ○

 

 放課後がやってきてしまった。

 

 校門を出て少し歩いたところ、挙動不審になっている上杉くんを見た。彼の視線の先には、中野さんと女子生徒数名が歩いているのが見える。彼はまだ謝罪の機会をうかがっているのだろう。

 

 しかし今の状況では、犯罪者予備軍にしか見えないので、私は止めるために彼を追うことにした。ストーカーのストーキングというのは、案外気づかれにくいものである。

 

 そこから三分くらい経った頃だろうか。上杉くんは何を思ったのか、大仏の顔ハメ看板から中野さんらを観察している。いい年してそんなことを大真面目にやっている様からは、共感性羞恥が湧き出てくる。

 もうこれ以上は見ていられないと、私は上杉くんに近づいた。

 

「君、ちょっといいかね?」

 

「うわっ!? いや、俺は……ってなんだお前か、脅かすなよ」

 

「なんだ、じゃないでしょ」

 

 彼は焦りながら看板から顔を引っ込め、こちら振り向くと、いくらか落ち着いた感じになった。法に触れようとする友人を止めるのも、また人の役目なのだろう。

 

「あんた何やってたのさ」

 

「ああ……これは――」

 

 上杉くんの苦しげな言い訳を聞きながら、中野さんの方へ目をやった。隣にいる子たちをよく見ると、目鼻立ちが似ていることがわかった。きっと彼女たちも五つ子の姉妹なのだろう。ということは、あの子らも上杉くんの生徒になるわけか。

 

「一応目的はわかったけど、流石にあれはないと思うよ。あの子たちって、最近ここに引っ越してきたんでしょ? あんたがこの調子じゃ『この町にまともな家庭教師は一人もいないのか』って思われかねないと思うけど」

 

「……じゃあどうすればいいんだ?」

 

 彼は返す言葉を探しに黙っている。ここでたしなめても、直接的な解決へと繋がらない。実際に行動を起こすことも必要だ。

 

 少し先を見ると、一際高いマンションが目に見えた。中野さんの家は金持ちだから、あれが彼女たちの住居だと思った。それならあまり時間が残されていないこととなる。

 

「……一つ、確実な方法があるけど、やる?」

 

 ならばこれしかない、と思って、聞いてみる。もし了承してくれたら即刻実行だ。

 

「わかった。任せる」

 

「あいよ。恨まないでね」

 

 その言質をいただいた私は、彼の腕を両手で掴み、引いた。

 

「……は? おい!? どういうつもりだ!?」

 

「どういうって、正面突破だけど」

 

 身長は私より高いはずなのに、貧乏故の体重の軽さと筋力の無さから、発泡スチロールを動かしているようだ。

 

「ちょ、離せ! くそっ、抜けられない!」

 

「私はちゃんと鍛えているからね。筋力を伸ばすなら今って、今日も言ったのに」

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼を引きずりながら、私は中野さんに追いつき、声をかけた。

 

 

「すみませーん」

 

「えっ?」

 

 後ろからの喧噪が聞こえたからか、三人の女子はこちらを振り向いた。

 

「離せ黒田! こんなやり方望んでない!」

 

「転校生に暴言吐いた報いと捉えなさい」

 

「暴言って何だ!? そんな覚えはないんだが?」

 

「あんた『太るぞ』って言ったんでしょ? 女子にそんなこと言うのは『貧乏人』と馬鹿にされることと一緒なんだから」

 

 私たちが追いついたことを確認し、私は手を離した。

 

「……君、昼にいた」

 

 蝶を模したリボンを装着した女子が、中野五月さんと私たちの間に立った。

 

「何か用なの? 変なことなら承知しないわよ」

 

「いえ、要件はこの男子が抱えておりまして」

 

 私は警戒の視線を向けてくる彼女に対し、堂々とすることを意識した。

 どうせ価値のない人生を送ってきたんだ。ならこうやって誰かのために身を投げるくらいの使い方はしないと。

 

「すみません、私が言ってもいいですが、やっぱりこういうのは本人の口から伝える方がいいかと。ほら、中野さんに何か言うことあるんでしょ?」

 

 彼の背中を軽く叩きながら、私は謝罪を促す。

 これなら失言の被害者はもちろん、他の教え子にも誠意を見せることになるから、印象はよくなる見込みが高い。

 

 それが功を奏したのかはわからないが、ようやく上杉くんは覚悟を決め、自身が中野さんの家庭教師であるということを伝えた。

 その時の中野さんの反応は、驚嘆と苦汁に満ちていた。まあ彼の人相はお世辞にも良いと言えず、内面も問題点があることを知ってしまった故しょうがないだろう。

 さらに彼女は「こんな人が私たちの家庭教師だなんて」ということも言ったため、やはり生徒は五つ子全員という可能性が確定してしまった。

 

「じゃあ、そっちの男の子は一体?」

 

 ヘッドフォンを首にぶら下げている女子が私のことを聞いてきた。私は「ただの部外者です」と答え、上杉くんが持つなけなしの誠意を増幅させて伝えた。

 

 

「……わかりました。しっかり、お話することにしましょう」

 

 しばらくの膠着状態だったが、中野五月さんはようやく上杉くんを受け入れる言葉を出してくれた。

 

 ようやく一歩進めたという感覚と期待を得られた表情をし、姉妹とともにエントランスをくぐり抜けていく。

 

 私は外で立ち止まりながら、マンションへと入っていく彼の背に「ご武運を祈るよ」と言って見送った。

 そして自分の役目が終わったと安堵し、帰路につくべく振り向いた。

 

「……あれ? 黒田さん? どうしてうちに?」

 

「おや? 食堂で会った子じゃん。やっほー」

 

 

「……」

 ああ、自分は疲れているな。

 何せ目線の先には、散々私を悩ましたリボンの子と、反りの合わなさで太鼓判を押したショートヘアーの子が見えるのだから。

 

「もしかして、何か用でも?」

 

「……いや、私の知り合いがここに住んでるから、見送っただけ」

 

「またまたー。気になる子に声をかけようと張ってたんじゃないの?」

 

「一花。そんなこと黒田さんに言うのやめた方がいいと思うよ」

 

 不愉快さが顔に出ていたのか、中野四葉さんは一花と呼ばれた女子を諫めた。それにしても、どうして人をからかえるものかと疑問に思えた。人の神経を逆なですれば仕掛けた側にも損失がいくと思うが、それを承知の上で刺激を受けることが好きな性質なのだろうか。私のクラスメイトにも同じタイプの人はいるが、どういう精神構造をしているのか未だに理解できない。

 

 そして、私が「そういう人」だと見抜いていた彼女にも、少々ではあるが感嘆した。感覚的ではあるが、こういう振る舞いをすれば相手はこう反応することを理解し、距離を近づけるための道のりがすぐにわかるから、クラスの子たちに頼まれ事をされる程度には打ち解けることができたのだろう。

 

「大丈夫ですよ。違いますよね?」

 

「……いや、正直なこと言うと、そうじゃなかった」

 

 私は彼女の純真さに負け、ここにいる本当のわけを話すことにした。片方は突然の告白に困惑し、もう片方はやはりそっちの気があるのかと期待している。

 

「ここに来た理由は、あんたたちの面倒を見る家庭教師を見送るため。なぜ私が家庭教師の件を知っているのかと言うと、単にその人と友達だから。今日が初めての仕事日だから、私は発破をかけに来た。こういう訳だよ」

 

 私はそこまで話すと、彼女たちの反応を確認せず、別れの挨拶だけを告げて横切り、その場を後にした。これ以上はきっと身が持たなかったから。

 

「黒田さん!!」

 

 後にしようとしたのだが、後ろから大声で私の名を呼ばれた。疲労感を隠しきらずに振り返ると、私のクラスメイトが一切の邪気も混じっていなさそうな笑顔をして。

 

「また学校で会いましょうね!」

 

 と、手を振りながら呼びかけていた。

 

「……はい」

 

「あ、ちょっと嫌そうな顔してる」

 

 ○

 

 その日の夜。帰ってきた私は上杉くんの様子が気になり、電話をかけていた。

 

「薬を盛られたー?」

 

『ああ、まともな話なんてできなかった。しかも家庭教師なんていらないと言われた』

 

 上杉くんの家庭教師生活一日目は、とんでもない事態で終わったことを知った。

 

 まず彼女たちは上杉くんを家に上げたや否や、一斉に自室に立てこもったらしい。なんとか五人中四人を呼び出してリビングのテーブルに集めたはいいものの、彼の教えを真面目に聞かないどころか、出されたクッキーかお茶に睡眠薬を盛られ、追い返すことまでしたのだ。

 目が覚めたらタクシーに乗せられており、最後まで説得に応じることのなかった、彼と同じクラスの中野さんが費用を受け持ったとのこと。

 

「それで、お茶の味はどうだった?」

 

『何でそんなことを聞く?』

 

「睡眠薬が盛られている飲み物は、辛く感じるらしいよ」

 

『もっと早く言ってくれ』

 

 そうは言ってもと返答する中、彼の声には少し言いよどんだ雰囲気が含まれていた。今までの振る舞いから考えてみると、頼み事をしたいが、断られるかもという猜疑心に抑えつけられているといった状況か。

 

「眠らせて即刻家に返すとは、これがアットホームの意味だったんかな?」

 

『洒落になってないぞ』

 

「てかさ、そんなことされても、やっぱり家庭教師は続けるんだ?」

 

『ああ、俺は諦めるわけにはいかない。明日もう一回あいつらの家を訪ねてみる予定だ』

 

「健康だけは損なわないでよ? あんたに何かあれば悲しむ人がいるんだから」

 

『大丈夫だ。無茶はしない』

 

 上杉くんの力強い言葉に、私は安堵する。

 

『……なあ黒田。ひょっとして、疑っているか?』

 

「え? そんなこと……ああ、そうだね。心配だよ」

 

 直後、彼は詰め寄る口調をしてきたが、すぐに意図を掴み直し、合わせてあげた。

 

『だったらお前にも来てほしい。頼みたいことがあるから』

 

「はいはい、わかったよ。何すればいい?」

 

『助かる』

 

 かくして私は、戦地のごとく厳しい舞台に出向くこととなった。

 

 なぜこうも簡単に引き受けたかって?

 

 親しくしていた者に役立たずと思われ見放されることは、人間にとっては死ぬより辛いことなんだよ。

 

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