私に家庭教師はできない   作:335室の主

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 この話の執筆を始めたのは少し昔ですが、その途中、ようつべで期間限定公開されていたので見ていました。
 宇宙兄弟を。

【一言プロフィール】
ワイシャツは第一ボタンまできっちりとめている。



正直者はバカを見る

 つまんないことでも命の限り真剣に考えるタイプの人というのは、勝手に一人で苦悩すれば良いものを、考えまくって煮詰まった疑問を普通に生きている人に浴びせかけるので嫌われる率が高い……ことを、私は理解しているつもりだ。

 

 私はひとたび知らないことや珍しいものを見つければ、好奇が芽生える性格をしている。興味の対象については人から聞いたり文献をあたったりしてそれを分析、研究しようとする。だが、当時はそれまでだった。

 

 知ったところで私は外部に公表したり、話のネタにしたりすることはあまりない。もしかしたら相手にとって価値のある内容かもしれないが、自分の思っていることは口に出したところで価値はないし、誰も聞いてくれないだろうと断じていたからだ。

 

 が、私は彼女たちのおかげで自身の非を認めることができた。

 

 ここは、会議で意見を言わなきゃ能なしと判断され、発信力のないフォロワーゼロの人間が資本を獲得することができない世界である。自分を認めたいなら、無駄にならない意見はないと、言葉は口にするだけで価値があるものだと理解せねばならない。

 

 この物語を通して、「考える」という行為は、口に出して初めて完結するものだということを、私は学んだ。

 

 ○

 

 土曜の昼頃。私は上杉くんの付き添いとして、中野さんが住むマンションへ足を運んでいた。見上げてみると自分が知っているマンションより厳かで、高い。道すがら上杉くんから聞いた話によると、彼女たちはこの建物の三十階、つまり最上階に居るとのこと。流石黒薔薇からきたお嬢様だ。どうやってあそこに住めるだけの資産を形成できたか、いつか親御さんに聞いてみたいと思った。

 

「じゃ、行くか」

 

 上杉くんに続く形で、歩を進めた。

 

 エントランスを通り、エレベーターを出て、廊下を歩いて、ドアをくぐって、靴を脱いで、上杉くんの靴も揃えて、お邪魔する。

 

 なるほど。これは格式高い。リビングへと続く廊下のフローリングも塵一つ見当たらないし、玄関においてある小物も実に興味深い。 

 

 観葉植物はあるのだろうか。あったとしたらどのようなものか。将来家を見るときやインテリアを配置するときの参考になりそうなので、間取りとかをじっくり見て回りたいものだが、人の家に上がり込んで色々物色するのは泥棒と大差ないので控えておかなければ。

 

 上杉くんが一足先にリビングへ向かい、五つ子たちを集めるために声をかけていた。このミニチュアは一体どこで買ってきたのだろうか? 国内? 外国産? これほど洒落たものは祖父母の家でしか見たことがないので、目を奪われていた。こういうのは旅行へ行ったときに土産として買ってきたものと推定した。そういえばもうすぐ祖父母が金婚式を迎えるから、その時海外旅行へ招待するつもりって言っていた――

 

「あーっ!!」

 

 突如響いた後ろからの大声に、体がびくつき、緊張した。この良く通る声、間違いなくあの子が後ろに立っている。

 

 私は振り向いて姿を確認しようとしたが、本来リビングとその向こうの景色が見えるはずの視界が、なぜか天井にすり替わっていた。

 

 ○

 

 まばたき三回。点検に入ります。

 現在の状態、後頭部と背面を強打。外傷はないが痛みはある。痣ができた可能性あり。

 

「すみません、黒田さんの姿を見たら嬉しくなって、つい」

 

 自分の身体を機械的に分析していると、同じクラスの中野さんが通り魔になった理由を説明した。何だそれ。ホテルの部屋に入ったらベッドにダイブするかのようなテンションだったのだろうか。

 

 でも自らの欲求を満たす口実になると思ったため、上体を起こして自分の好奇心を差し出した。

 

「じゃあお詫びとしてこの家案内して」

 

「はい!」

 

 中野さんの承諾を得たので、私は早速例のミニチュアを指差した。

 

「まず、これは何?」

 

「ああ、それはですね……」

 

 そうして目に付いた備品や、部屋の間取りとかを教えてもらった。一階にはリビングをはじめとして、洗面所や浴室、キッチンやトイレなどの生活に必要な共用施設が揃っており、二階は姉妹たちの私室になっているとのことだった。どれも今まで見た中で一番広かった。というかマンションの一室が二階建てって、普通に考えたら常識を疑ってしまうような構造だった。家賃いくらだ?

 

 続いて窓を見た。水族館にありそうな大きなウィンドウガラスからは、街の様子を一望できた。ちょっとだけ自分がここから落ちるという想像をしたが、恐怖はそんなに感じなかった。きっと夜には家族や友達が織り成す素晴らしい夜景が見えるだろう、深夜なら社畜が織り成す残業と昼夜が逆転したニートの数が数えられる。

 

 そんな社会の光と闇を共想し、私は中野さんと別の場所へ向かった。

 

 ○

 

「おい黒田! そろそろ始めんぞ! 来い!」

 

「黒田さん! 呼んでますよ!」

 

 開幕の合図が聞こえてきたので、洗濯機の観察を中断してリビングへ向かうことにした。

 

「黒田君!? 来ていたんですか!?」

 

「こんにちは。お邪魔してます」

 

 食堂で会った中野さんが私の存在に気付いた。意外そうにしている。

 

「黒田は監視兼サポートとして俺が連れてきた。また薬を盛られちゃ敵わんからな」

 

「そゆことで、よろしく」

 

 やがて五つ子が全員リビングのテーブルに座った。ちなみにこの時自己紹介とここに来た理由を説明し、そして区別するため彼女たちを下の名前で呼ぶことの合意を頂いた。

 

「昨日の悪行は心優しい俺がギリギリ許すとしよう! 今日はよく集まってくれた!」

 

「また来たの?」

 

「友達と遊ぶ約束だったんですけどー?」

 

「家庭教師はいらないって言わなかったっけ?」

 

 散々な言われようだ。まるで動物園のように騒がしい。昔のだらしない自分たちを見ているようで腹が立ってくる。

 

「だったらそれを証明してくれ! 今からお前たちにはテストを受けてもらう!」

 

 新米の家庭教師は用紙を数枚テーブルの上に叩きつけた。今日やることは事前に聞いている。それは――

 

「卒業試験だ」

 

「「「卒業試験?」」」

 

「このテストは昨日やろうと思ってできなかったテストだが、合格点を超えたヤツには金輪際近づかないことを約束しよう。勝手に卒業していってくれ」

 

 そう聞いた五つ子たちは食いついた。教える生徒を選択し、集中して教えていくという魂胆だ。あくまで最終目標は「五人全員の卒業」だから、必ずしも全員を教える必要はないってことか。

 

「なんで私たちがそんな面倒なことを――」

 

「わかりました。受けましょう」

 

「は? 五月アンタ、本気……?」

 

 五月さんはそう言いながら、眼鏡を装着した。

 

「合格すればいいんです。これで、あなたの顔を見なくて済みます」

 

 ふむ。雰囲気は優秀そうだ。期待大でいいかな?

 

「ふぁあ……仕方ないなあ」

 

「みんな、がんばろー!」

 

 全員がやる気になったのを確認し、上杉くんが受験者たちに用紙を配った。

 

 

「これお前の分な」

 

「サンキュ」

 

「あれ? 黒田君も受けるのですか?」

 

「まあね。作った問題に不備がないか、私が解いて確かめるためだよ」

 

 あと、彼がどのような問題を作ったか純粋に気になったからだ。

 

「不備があったらどうするつもりよ」

 

「問題ない。それにお前らができなかったのを人のせいにしないためにもな」

 

 それは余計な一言なんじゃないか。私はそんなつもりで試験を申し込んだつもりはないぞ。

 

「……別に受ける義理はないんだけど、あまり私たちを侮らないでね?」

 

 ○

 

 上杉くんの合図で試験が始まり、私たちは問題に取りかかった。制限時間は三十分。彼女たちの合格点は100点満点中50点以上だ。

 

 二十分後。

 

 私は見直しを終わらせ、採点者にテストを提出した。このテストは満点を取らせたくないという出題者特有の意地悪なのか難しい問題もあったが、ほとんどは基礎問題だった。これなら誰か合格してもいいだろう。

 

 採点してもらったところ、私の得点は90点だった。あともうちょっとで96(クロ)だったのに悔しい。まあこれで悪問は少ないということがわかってもらえただろう。脇で誰かが驚いた声がしたのは気のせいか。

 

 そして残りの十分が経過した。

 

 ○

 

「凄ぇぞお前ら、100点だ! 五人合わせてな!」

 

 二人で採点を終わらせた後、自暴自棄な声を絞り出す上杉くんの横で、私は文字通り頭を抱えた。これはアレか? よく双子が二人で一人前って言うみたいに、この子たちは五人で一人前なのか?

 

 家庭教師を雇うくらいだから成績はそれほどよろしくないのはわかっていたつもりだったが、あまりにもひどいことを数字が残酷に見せつけていた。点数の内訳は一花さんが12点、二乃さんが20点、三玖さんが32点、四葉さんが8点、五月さんが28点だった。もう一度言うが100点満点である。私のクラスメイトは8点、8点って、こんな数字は漢字や英単語の小テストでしか取ったことがない。もちろん10点満点の。

 

「お前ら、まさかここまでとは……」

 

「あなたさ、自分たちを侮るなって言っていませんでした?」

 

「うっさいわね! こんなの問題の作り方が下手なのよ! テストの方に問題があるわ!」

 

 どこか自信ありげな態度を見せていた姉妹の一人、中野二乃(にの)さんは弁明を始めた。

 

「言ったろ、そんな言い訳は通用しないって。黒田は90点だったぞ」

 

 上杉くんに連動する形で私が答案を見せると、二乃さんは黙りこくってしまった。

 

「とりあえずこいつらのレベルはわかった。知りたくなかったがな。まずはテストの復習から始めるか。黒田、手分けするぞ」

 

 私は頷く。

 

「待って下さい!」

 

 ようやく授業に入ろうとしたところに、五月さんが急に立ち上がった。

 

「私たちの力不足は認めます……。ですが、自分の問題は自分で解決します!」

 

「何言ってんだお前。この点数じゃ絶対無理だぞ」

 

「……勉強は一人でもできる」

 

「そーそー」

 

 できることなら……この子らの言い分を受け取りたいところだが、やはりそれは無理か。

 

「ちょっといい?」

 

 私は手を挙げて、自分の意見を返す。失礼ではあるが、このまま彼女たちの自主性に任せるわけにはいかないと判断したためである。

 

「厳しいこと言うけどさ……一人で頑張ったからこんな有り様なんじゃないの?」

 

「そ、それは……!」

 

 上杉くんと私の正論に、彼女はへたり込んでしまった。

 

「あはは……。手厳しいんだね、フータロー君もユーゲン君も」

 

「当たり前だ。お前たち、少しは自覚してくれ」

 

「大丈夫。その分私たちが何とかするから」

 

 この子たちを頭ごなしに否定するのは不本意だが、今は耐えてもらわねば。

 

「はいはい上杉さん黒田さん! ここの問題がよくわからないんですけど、どうやって解いたらいいんですか!?」

 

「四葉……!」

 

 おっ、どうやら四葉さんは授業を受ける意欲があるみたいだ。彼女は唯一の一桁台だが同じクラスの私も精一杯加勢すれば意外と伸びてくれるかも。

 

「よし、お前らも――」

 

「逃げろ!」

 

「あ、おい!?」

 上杉くんもやる気を取り戻した直後、誰が合図したのか、その一言と共に姉妹が蜘蛛の子を散らすように駆けていき、自分の部屋へと勢いよく閉じこもってしまった。

 

 リビングには私と上杉くん、四葉さんの三人だけが残された。

 

「アイツら……!」

 

「あ、あはは……すみません」

 

 これは……予想以上の大変さだ。成績が低い人に勉強が好きな者はまずいない。自分の実力が数字で表される世界において、下手の横好きは存在しないからだ。このままでは、机に向かわせることすらできず、卒業はおろか進級すら夢のまた夢である。

 

(この子たちが黒薔薇からうちに転校してきた理由、それは恐らく……いや、やめやめ)

 

 彼女たちがここにやってきた背景を想像したが、かぶりを振ってチャンネルを切り替えた。仮にそうだったとしてもそうでなくても、中野さん達の学力をあげなければいけないのは確かだ。そしてそれは長い戦いになることは間違いない。最初予定していたのは、まず私がある程度の手助けをすれば、近いうちには彼だけでもどうにかなると思っていたが、認識がグラブジャムンくらいに甘かった。

 

 ともかく、うちらができることは……。

 

「……帰っていいか?」

 

「え!? 帰んの?」

 

 上杉くんのひどく後ろ向きな発言に面を食らった。誰一人として合格点に届いた者はおらず、結局全員を教えなければいけないという現実はさすがに戦意を削がれたが、それでもやれること、今から始められることはまだあるはずだ。

 

 ここで止まっていては、当分ツケは返せないと己に言い聞かせてから、私は四葉さんの横に立ち、腰を下ろした。

 

「せめてここに残ってくれた子は教えていこうよ。で? どこがわからないの?」

 

「はい! ここなんですけど……」

 

「ほら先生、ここだってさ」

 

 手招きして上杉くんも呼び、問題を指でつつく。

 

「そうだった……お前に冗談は通じないってこと忘れてた」

 

 渋々だが仕事を始めてくれた。今はこんな状態だが、まあやっている内に気が乗ってくるだろう。

 

 最初から満足のいく仕事ができるはずがない。前途多難であって当たり前だ。かのマイケル・ジョーダンだってシュートを9000本外し、300試合で負けたと言っていたから。

 

 ○

 

 そうして数十分経ったあたりだろうか。四葉さんとついでに私が間違えた所も解説してもらい、彼の仕事風景を一通り見させてもらった。

 

 一年の時に体験したはずだが、彼は教えるのも上手いと改めて感じた。要点がどこだかちゃんと理解しているし、噛み砕き方もよくできている。勉強の虫と伊達に呼ばれている訳ではない。

 

 そして彼の授業を見ていると、そんな表現があるのか、そういう風に理解すればよかったのかと、私はまだ何も知らないということをはっきりさせられる。そのたびに自分の気持ちがリセットされ、新鮮な心持ちを取り戻すことができた。同時にちょっと妬む。

 

 一度休憩に入って水を飲んでいると、四葉さんが話しかけてきた。

 

「お二人って、仲良いんですね」

 

「まあね。一年からの付き合いだし。そっちはどうだった? 上杉くんの授業」

 

「はい! とても良かったです!」

 

 私は何となく誇らしい気分になった。

 

「でしょ? 私も彼に教わってたから、あんな点数を取れたんだよ」

 

 出会って一年程度だが、私は彼と会えて本当に良かった、運があると思っている。よりよい学生生活を送るにあたり、上杉くんは私にとって必要な存在となっていた。

 

「へー! 黒田さんもですか!」

 

「そ、私は生徒第一号ってとこかな」

 

「なるほど! つまり、黒田さんは私たちの先輩ってことになりますね!」

 

「あー……うん、そうなるね」

 

 先輩か……、その呼び名に良い思い出がないな。

 

「ほら、お喋りはそこまでだ。そろそろ休憩終わるぞ」

 

「はーい」

 

 再び三人での勉強会に戻ったが、体力が消耗したか、集中力が途切れ途切れになっているようだった。私も少しぼうっとしてきている。

 

 その点彼は一日中勉強し続けられるような常人離れした集中力を持っている。みんながみんな彼のように勉強することはできないし、このままではガス欠状態になり、勉強に対して苦手意識を持ってしまうかもしれない。

 

 ならば少しペースを落とした方が良いかと、彼女に話しかけた。

 

「ところで四葉さん、あの子たちについて、できる範囲でいいから教えてくれない?」

 

「え? いいですけど……」

 

「おい、そんなことより勉強に……!」

 

「まあまあ、これも作戦の内だから」

 

 上杉くんを抑えた後、耳元で自分の意図を伝えた。

 

 実はこの雑談、気分転換と姉妹に関する情報を手に入れて家庭教師の仕事に役立てる他にも、もう一つ目的があった。

 

 始めに中野さん達の話をしてもらってから、攻守交代。今度はこっちが話す番が回ってきた。手始めに目の前にいる友人の話。彼がどれだけ勉強面において優れているかの話をした。これは上杉風太郎という商品を売り込むためのセールストークとも言えるだろう。

 

「ええっ!? 全教科100点!?」

 

「そうなんだよ。ホントびっくりでさ。日本中探してもこんな凄い人いるかどうか、ね?」

 

「まあな!」

 

 続いて私も交えた思い出話に浸った。主に内容は一年の頃。私と上杉くんが出会い、打ち解けた話。去年あった行事で明らかになった、上杉くんの意外な一面も提供した。

 

「それで、上杉さんはどうなっちゃったんですか!?」

 

「そうそう、そこが面白いんだけどね」

 

「おいやめろ!」

 

 反撃として私の恥ずかしい話も彼の口から曝されたとき、待ち焦がれていた時を迎える。上の方からドアが開く音がし、足音が聞こえてきた。

 

(来た!)

 

 目だけ動かして人が出てきたことを確認してから、彼とアイコンタクトをとる。自分のわからないところを質問し、上杉くんと四葉さんが勉強に意識を向けるようそれとなく促しておく。ポイントは私ができるだけ二人のやりとりを弾ませるように働きかけることだろうか。

 

 中野さんはそのまま下に降りていき、私たちがいるテーブルの側に来たかと思えば、そこで足を止めた。

 

「……まだいたんだ」

 

 リビングにやってきたのはヘッドホンが特徴的な少女、中野三玖(みく)さんだった。よし、ここがこの作戦の本編だ。

 

「よければどうですか? 見ているだけでも構わないけど、やってみたら意外と楽しいですよ?」

 

「そうだぞ! お前もやろうぜ!」

 

 私たちは彼女を引き留めた。これなら四葉さんを教えながら、ここから動かず説得することができる、一石二鳥だ。

 

「ふーん」

 

 冷たい視線でこっちを睨む。つれない反応だ。もう少し押しが必要か。ここで売り込むべき上杉くんの強みは……。

 

「疑ってるなら先生に質問してみて。勉強に関することなら何でも答えてみせますから」

 

「おう! 何でも聞いてくれ!」

 

 私は自慢の作品を見せるがごとく上杉くんを示し、示された彼は自らを大きく見せるポーズでアピールした。さあ、何か言ってくるか?

 

「お前を消す方法」

 

 だなんて聞かれたりしないよね? 服の色がイルカカラーだからといって、流石にそれは誇大妄想か。

 

 が、そんな期待を素通りするように、三玖さんは冷蔵庫から飲み物を取り出し、何も言わず部屋に戻ってしまった。

 

 私たち二人は未来の自分が見ると馬鹿っぽいと笑い転げそうなポーズをしたまま、固まってしまった。これまで慣れない雑談をずっと続けていたため、扉が閉まった音と同時に疲れがドッと押し寄せてきてしまい、床へと崩れ落ちた。

 

「え、ええと……上杉さん? 黒田さん?」

 

「何故だ……! どうしてあいつらは……!」

 

 三人で楽しそうに勉強している雰囲気を出せば、勉強イコール楽しいとの数式が完成し、誰か一人くらいこの輪に乗ってくるだろうとくくっていたが、現実はそうもいかなかった。

 

「すみません。みんな悪い子たちではないんですけど……」

 

「わかってるって、謝ることはないよ」

 

 気を取り直して、再び雑談交じりの勉強を続けたが、三玖さんとのやりとりで一気に下火になり、結局誰一人来ることはなく、話のネタも尽きてしまった。

 

「……ごめん。やっぱつまんなかったみたい」

 

 私たちは敗北し、自分の愚策に乗ってくれた戦友に作戦失敗をわびた。やはり最初はうまくいかないことの方が多い。いや、よく考えたらマシな雑談ができるほど人生に彩りがないことを忘れていた。最初最後問わず、私のやり方が悪かっただけか――

 

「お二人とも落ち込まないで下さい! 私は楽しかったですよ!」

 

 乾いた心に注がれた恵みの声に、同時に顔を上げた。

 

「四葉……お前……!」

 

「ああ、なんていい子なの」

 

「え、えぇ? そ、そんなに褒めないで下さいよ照れちゃいますー」

 

 ビッグウインドウは橙色に染まろうとしていた。

 

「それにしても、黒田さんがここまで面白い人だなんて思っていませんでした!」

 

「あっ……」

 

 口を手で押さえて、彼女から目をそらした。

 

 作戦だったとはいえ、柄にもなく話し込んでしまった。これでは私が口の軽い、軽率な男だと思われたりしていないだろうか? 自分と彼女のイメージに齟齬が発生し、コミュニケーションに支障を来してしまわないか? 

 

 こうなると迎える未来は二つだ。私が彼女のイメージに合わせるために己を嘘で塗り固めるか、そのままギャップを引きずったままギクシャクした日常を過ごすかだ。今修正しなければ、この二択を取らされる。

 

「いや……忘れて。普段の私は、こんなんじゃないから……。だから……」

 

「こいつ普段そんなに喋らないぞ。俺も初めて見た」

 

 しどろもどろになった私を上杉くんが助けてくれた。友よ……! 

 

「まあ、お前が楽しそうにしているのも久しぶりに見たな」

 

「えっ、そう? やっぱり自分の表情薄いからかなー」

 

「そんなことないですよ! 私と教室で話している時、黒田さんは笑ってくれました

よ?」

 

「何っ!?」

 

 四葉さんのフォローに上杉くんは意外そうな返事をした。そんな驚く要素があったか?

 

「あいつが笑っただと!?」

 

 そっちかい。

 というか失敬な。私だって楽しいときくらい笑うわ。

 

「本当かそれ!? 一年の頃のあいつはクラス内では常に仏頂面だったし、どんなに面白い冗談でも、どんなに楽しそうな雰囲気でもずっとつまらなそうな顔をしていたんだぞ! そんな顔面樹木を笑わせるなんて、どんな魔法を使ったんだ!?」

 

 ……ホントにデリカシーのない。というか、自分はやっぱり笑顔が少ないのか。NK細胞の活性化や円滑なコミュニケーションのためには笑顔が不可欠だし。その点では、十分彼女から学ばせてもらったと思う。

 

 そして私がこんなに話せたのは、おそらく聞き手が四葉さんだったからというのもある。私たちの口下手すぎる会話にも嫌な顔一つせず、気さくに接して次の言葉を引き出してくれたり、ぱっと見大げさとも言えるリアクションで場を盛り上げてくれたりもしていた。

 

 一般的に見れば人として魅力的なのは間違いないが、私にとっては勘弁してほしいところだ。一言二言会話するだけで多くのエネルギーを消費してしまう気質を持つ私が、彼女と交友する時間が増えてしまえば、とても身が持ちそうになかったためだ。

 

 だからある程度距離は取っておきたい。そう思った時のことだった。

 

「……ん? ちょっと待て。お前らが『教室で話していた』とはどういうことだ?」

 

 突如私の無二の友人は、先ほどの彼女の発言について掘り返した。この言葉により、私の心拍数が上がり始める。

 

「そのままの意味ですよ。私たちは同じクラスで、席も隣同士だから、すぐ打ち解けられました!」

 

 私は打ち解けられたとは思っていなかったのだが、純心なその言葉に、私は二人から顔を逸らし、ただただ床のフローリングだけを見つめていた。

 

「……お前ら同じクラスだったのか!? しかも隣!?」

 

「そうですよー」

 

 うなだれて何も言えない私に代わって、四葉さんが肯定する。彼が何か考えを巡らして静かな時間が流れる中、私にはこの後、彼がどうしたいのかが自然とわかってしまうのだった。

 

「……よし決めた! 黒田、お前も四葉を教えてやってくれ!」

 

「う」

 

 それを聞いた瞬間、私の背中に大きな岩がのしかかってきたような重みを感じた。

 

 ……ああ神よ、なにゆえそなたは私にこんな試練を与え給うのだ。人に責任を押しつけるのをよしとしない私でも、こればっかりは誰かのせいにしたかった。

 

「黒田さんにですか?」

 

「ああ、もう知っているだろうが、俺はこいつに勉強を教えていた。だからある程度は俺のように教えられるはずだ。同じクラスなんだから、移動の手間も省けるしな」

 

「黒田さん、できそうですか?」

 

「できるだろ。お前、テストで学年3位取ったことあるじゃないか」

 

「いや、せいぜい9位だったはず――」

 

「嘘つけ。いつも1位なのはわかってるから順位に興味のない俺でも、お前のくらいは把握している」

 

 私は友からの信頼に対する憤りで凹んだ。

 なんでそこだけは覚えているのか。

 

 ○

 

 結局のところ、私はこの頼みを受けることになってしまった。

 弁明させておくと、ただ押し切られただけではない。彼がした提案は非常に合理的であるからだ。

 

 いずれは五つ子全員を彼が教える時が来るだろう。でもあの子は一番点数が低い。ということは、一番教える負担が大きいはずだ。彼女にばかり構っていたら、他の子に教えることがおろそかになり、効果的に学力を上げられない可能性が高い。

 ならそうなる前に予め役割を分担した方がいい。変革は余裕のあるうちに行うのが定石だ。

 

 それに私も先日、困ったことがあれば頼れという発言をした。自分の言葉に責任を持たなければ、今度こそ自分の居場所がなくなってしまうだろうから。

 

 加えて申し上げれば、こんな試練に巡り会った因果に、心当たりがないとは言えなかった。これは贖罪の一環だと後から考えて、無理矢理納得させた。

 

 以上を持って、私は言い訳なんかしていないことをここに記しておく。

 

 ○

 

 私が首を縦に振ると、上杉くんは自身の未来に光明が差した気をした。

 

 彼女を卒業させるなら、かかる労力も時間も並々ならないものになるだろう。そういう点では、彼女が自分と同じクラス、さらに隣の席に来たというのは、色んな意味で幸運だったのだろう。

 

 その後はしばらく方針を話し合った。テストと授業で判明した彼女の得意、不得意分野や教えるにあたっての注意点、今後のスケジュールや反省の仕方、お互いの報告体制などを、綿密に会議し合った。

 その中で給料を分け合うかについての話もしたが、彼の経済状況も考慮して、やんわりと断っておいた。今日一番のお礼を言われた。

 

 方向性があらかた定まった後、私は生徒の方を見た。

 

「後悔しないように聞くけど、本当に私なんかでいいの? 決めるのは四葉さんだよ」

 

 勉強するにあたっての主役は彼女であるから、主役の意思を尊重しないわけにはいかない。

 

 さっきの授業を見て、どのように教えればいいのかはわかったつもりである。どこかで詰まることがあるだろうが、その都度上杉くんに相談するなりして修正していけばいい。

 

 この時の私は、この提案を受けてくれるとは到底思っていなかった。むしろ断ってほしいとさえも思っていた。

 

 もし私が生徒側だったら、信用がまだないためにあと数分間ぐるぐると検討した末に、戸惑いながらも同じ結論にたどり着いたかもしれなかった。

 

(こんな役目、私がやるべきことじゃ――)

 

「もちろんです! 黒田さん! よろしくお願いします!」

 

 ――私が満点の笑顔をした四葉さんに手をぎゅっと掴まれた瞬間の顔、どんなだったと思う?

 

 キャパシティを遙かに超えた眩しさを喰らって、むしろ表情が真顔のままだったんだよ。

 

「……え!? 本当にいいの?」

 

 そして時間差で、信じがたいほどの驚愕に溢れたって感じだった。

 

「はい、そうですけど?」

 

「おいおい、俺が言い出したことだが、大丈夫かよ?」

 

「あっ、うん」

 

 ゆっくり手をほどいてもらってから、姿勢を正した。こんな所を見られて実に申し

訳ない。間近はいい、マジかわいいけど。

 

「そうだね、もうこうとなったら、卒業させてみせるから。よろしく」

 

 かっこつけた台詞を、非常にかっこ悪いことをした後で言った。

 

「はい!」

 

「まあ何であれ、決まりだな。そんじゃ頼んだぞ、黒田」

 

「はいよ、相棒」

 

 上杉くんとも握手を交わした。今の彼の生き生きとした感情が声と手から伝わって

きた。

 

 私は安心した。うん。きっと彼ならやり遂げられるはずだと確信が持てたから。

 

 ○

 

 帰り道、まあまあ良い感じに一日を終えることができたが、まだ問題は山積みだということに私たちはすぐ気づいてしまった。

 

「まずは一人ひとり信頼を築くところからかよ……。正直そこに時間をかけている暇はないんだが……」

 

「根気強く四葉さんに勉強教えていって、成果を出させれば、きっと認めてくれると思うんだけどな」

 

「それだともっと時間かかるぞ……」

 

 もらった情報が書かれている手帳を見返してみたが、彼女たちを机に向かわせるビジョンがいまだ思い浮かばない。

 

 厄介なのがあと四人。いずれも筋金入りの勉強嫌いときた。説得の材料探し、実際に説得、さらに授業。一人あたりの時間を考えると最悪全員説得し終わるまでにはタイムリミットになっているかもしれない。

 

 もうそろそろ家に着こうとするところで、ふと気になることが浮かんだ。

 

「そういえば、私が教えている傍らで何をやっていたの?」

 

「ああ、あれか? ちょっと待っていてくれ」

 

 上杉くんは鞄を開け、一枚の紙を取り出した。私が四葉さんの応対をしている間に何かやっていたのは知っていたが、これを作っていたのか。

 

 近づいて確認すると、卒業試験の詳細、各問の正誤が一人ずつ書かれていた。予想通りペケばっかりなので、目を背けたくなる衝動が本能にかかる。どのようにして教えていけば卒業まで持って行けるのか不安になるが、一つ言えることが見つかった。

 

「これさ……二人以上正解している問題が一つもないんだけど」

 

「そうだな……あいつらって本当に五つ子なのか?」

 

「全くだよ。遺伝子的に考えてみればさ、一人ができるなら他の子ができてもおかしくないのに、ますますわからなくなってきた」

 

 私がそこまで言うと、彼は立ち止まってこちらを向いた。

 

「なあお前……、今何て言った?」

 

「え? ますますわからないって――」

 

「違う、その前だ」

 

「えっと……確か一人ができるなら他ができてもおかしくないって――」

 

「それだ!」

 

 急に大声をあげたので、私は身構えてしまった。

 

「あいつらは五つ子、一人ができることは全員ができる。確かに今回やったテストは平均点が20点だった。だが今、俺はここに可能性を見いだせた。

 一花も、二乃も、三玖も、四葉も、五月も、全員が100点の潜在能力を持っていると、俺は信じればいい」

 

 なるほど。こじつけっぽいけどそういう見方もできるわけか。私がなんとなくだした言葉からそこまで導き出せるとは、やはり彼には敵わないな。

 そして嬉しい。彼が私以外の誰かを信じることができるようになって。長年水をあげ続けて育てた植物が、やっと芽を出した心地がした。

 

「……どうだこれ! 説得材料として申し分ないだろ!?」

 

「うん、良いんじゃない? これなら上杉くんでも説得できそうだね」

 

「『でも』ってなんだ」

 

「ごめんって。でも上杉くんだし」

 

 軽口をたたき合い、私たちは今日より希望に満ちた明日へ向かい、それぞれの家路へと渡った。一人で歩きながら、これからのことを胸に刻んだ。

 

 

 

 ここで、なぜ私があの時他の姉妹の説得に向かわなかったのか、疑問に思ったかもしれない。

 

 説得するにはまだ彼女たちを知らないことが多く、仮に私が説得に成功したとしても、それが上杉くんの信用につながるとは限らないためである。五月さんが良い例だ。教えるのは結局彼なのだから、しっかり彼自身の熱い思いというのを直接伝える必要がどうしてもある。

 

 今は協力してくれる人の点数を上げる。そうやって成果を数字で表すことが、弱者でもできる確実な説得方法なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はあ。

 ここまで私の戯言に付き合ってくれた賢明な君なら、これが建前だということもおわかりだろう。

 

 本当は単に自信がなかっただけだ。

 

 あの時より少しはマシになったかと思っていたのに、やはり私はその程度の人間なのだ。

 

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