『変質者』溢れる世界で─旧千葉奪還区域管理局変質事件部即応対処課事件記録─   作:半睡趣味友

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 友達と別れてひとりになったとき、反省会しちゃうよねって話です。


第2話【公園ひとり反省会・変質解明『■■欲求』】

 以下条文は『改正日本国憲法』より抜粋。

 

 第16条『何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。ただし、変質した者はこの限りではない。』

 

 

【6】

 

 

「……最悪だ。……またやらかした」

 

 俺は、凛菜に逃げるように別れられた後、近くの公園のブランコに頭を抱えて座っていた。

 ブランコの金属の鎖が、俺の体重と吹いている冷たい風で軋んだ音を立てる。

 思い出されるのは先ほどの凛菜とのやり取り。

 彼女の腕を引っ張って引き寄せ、その髪の毛に付いていた桜の花びらを取った時のことだ。

 

 俺は酔っていたし、しかも本の感想の語らいで更にテンションが上がってしまっていた。

 そのせいで距離感を考えないような行動をしてしまったのだ。

 ……いや、これは言い訳か。

 酒のせいにするなんて、本当に情けない。

 

『へ、ちょ、わた、はみ、はみがきも』

「ぐわぁーー。絶対どん引かれた。……しかも、口くせぇとか思われたんだろうし」

 

 俺はあまりの後悔から、ブランコに座りながら頭を掻きむしる。

 凛菜は引き寄せられた後にそんなことを言っていた。

 これは優しい彼女だから直接的に言わないだけで、本当は『ちけーし口くせぇんだよ。とっとと離れろや距離感考えろ。童貞丸出しなんだよ』的なことだろう。

 いや、凛菜は内心でもこんな言葉遣いはしないか。

 正しくは『少し近すぎるかな。ご飯食べたばっかりだし、歯磨きはこまめにしたほうがいいよ。適切な距離感はお互いのために確保しようか。それができてないと女の子と深い関係になったことがないのすぐわかるよ』みたいな感じだろう。

 ……ああ、こっちのほうが心が抉られるな。

 

 もしくは単純に彼女を怖がらせてしまったか。

 本当に自分が嫌になる。

 

「……はぁ、寒」

 

 少し前までは酒と感想戦によって身体も頭も程よく火照っていたが、冷えた風と肝によって内外両方から急激に熱を奪われた。

 今では0時を過ぎた寒い春の夜に凍えている。

 自販機で買った暖かいお茶を飲みながら、公園にも植えてある桜の木に目をやった。

 さっきまでは純粋に美しいと思えていたが、あんなことがあった後だとむしろ人生の儚さを強く感じてしまう。

 冷たい風に桃色の衣を剥ぎ取られて美しく散らされる樹と、凛菜に上着を持っていかれて半袖で寒い風に凍える俺自身に勝手にシンパシーを感じた。

 

「『鶯よ無常の風に散りゆくは我の(かさね)か左近の桜』……駄作だな」

 

 今の心情を和歌にしてみたが、大したものは詠めなかった。

 あんなにも儚く美しい桜と、距離感を間違えて童貞丸出しだった醜く情けない俺を同じ和歌に並べることは烏滸がましいことだなと、そう内心で自嘲する。

 そもそも二重季語、季重なりだし。

  

 寒いのに部屋に戻らず公園で一人反省会をしているのは、部屋に帰って置いてきたスマホを見るのが怖いからだ。

 きっと彼女からの何かしらのメッセージが入っているとは思うが、それと直面するのが怖かった。

 いつもどおりでも気を使わせてしまっているのではないかと思うし、『距離をおきたい』なんてことが書かれていたら傷つく。

 ……もし無言ブロックされていたらどうしよう。

 泣いてしまうかもしれない。

 

「……帰るか」

 

 部屋に帰らないのは、要するに怖くて逃げているだけだ。

 自分のやらかした現実から逃げ続けることによる、これ以上の恥の上塗りはやめようと凛菜に謝ることを決めた。

 まだ時機を完全に逸してはいないだろう。

 ……ただ、このお茶を全部飲んでからにしようという、踏み出すための条件を定めた情けない決意だったが。

 

「……何だ、この音?」

 

 お茶を飲み干そうとしていた時、どこからからタッタッタとアスファルトを硬質な靴底がたたく音が聞こえた。

 それは一定のリズムではなく、時間が経つにつれて音は大きくなり間隔は短くなっていることから、この公園へ近づいていることが分かる。

 

 音の発生源へと目をやると、公園に隣接する道路を少女がちょうど走り去っていくのが、生け垣の切れ間である出入り口から見えた。

 ブランコから右斜め側10メートル程先の出入り口だったので割と近かったが、少女はなかなかの速さだったので容姿はよくわからない。

 しかし、制服を着ていたこととポニーテールであること、そして何故か何かから逃げているような雰囲気であったことだけは認識できた。

 

「家出か? ……ん?」

 

 親御さんと喧嘩か何かして、こんな時間に逃げるように家を飛び出してきたのだろうか。

 あれぐらいの年頃なら色々あるだろうし、よそ様の家庭の事情にずけずけと首を突っ込めるほど俺は活動的ではない。

 それよりも元陸上部として、アスファルトなんて固いところをローファーなんかで走ったら足を痛めちゃうぞという心配や、足が流れてるからもっと前に引き付けるのを意識したほうがいいぞなんて頓珍漢なアドバイスが頭に浮かんだ。

 

 だが、彼女のローファーの足音が遠くなるのにつれ、その音とは違うぺちぺちぺちという音が聞こえてくる。

 静かな夜に響く、場違いで奇妙な音。

 強いていうならば拍手の様な音だ。

 この音の発生源も彼女が走ってきた来た方向からだったので、お茶の最後の一口を飲みながら何の気なしに見やった。

 

「ぶっ! ゲホッ!! な、何だよあいつ!」

 

 音の発生源を認識した瞬間、あまりの衝撃に口にしていたお茶を全て吹き出してしまった。

 ちょうど飲み込むところだったので、少し気管に入ってしまい咳き込む。

 

「へひゃぁ! 待てぇ!」

 

 何故なら、その音の発生源の正体は叫びながら少女を追いかける変態だったからだ。

 しかもただの変態ではない。

 ド級の変態、ド変態だ。

 

 なぜなら奴は、恐らくは大きめのカーキーのコートしか身に纏っておらず、その裾は猛烈な勢いで風に靡いていた。

 猛烈な勢いで風に裾が靡くのはとんでもない速度で走っているという事の証左であるが、そのフォームはめちゃくちゃだ。

 ボタンを閉めればいいのに、なぜか自分の身体を掻き抱くようにしてコートの前部を固定しているせいで腕が触れていない。

 腕を振らずに全力疾走できる人間などいないだろう。

 そもそもあれでは手を離した瞬間にコートの前が開け放たれ、局部が丸見えになってしまう。

 前を隠しているコートの意味がない。

 いや! 逆にそれが目的なのか!?

 

 さらにガニ股で走っている。

 靴どころか靴下すら着用してないので痛いだろうに、アスファルトをガニ股のまま素足でぺちぺち音を鳴らしながら走っている。

 

 ──なのに速い!

 

 ……俺の現役時代より、目測だが速かったかもしれない。

 地区大会で入賞した程度ではあるが、陸上部の短距離走者の端くれとしてショックを受ける。

 どう考えてもやはり、あんな変態的なフォームで速く走れるわけがない。

 

 その異常さから、あのド変態は『変質者』なのではないかと頭によぎる。

 『変質者』は異能を持ち、肉体も常人より強くなるなんて義務教育で習うことだ。

 

「か、管理局に通報を……あ、スマホ!」

 

 やはり間が悪い俺だ。

 警察ではなく、『変質者』の事件や捜査を主に行う管理局に通報しようとして、スマホを家に置いてきたことを今更思い出した。

 さっきまで散々そのスマホを見たくないから家に帰りたくないと思っていたくせに。

 公園を見渡すが、小学生ですらスマホを持つようになった現代と、不要なものは削減しなければならない行政によってか、公衆電話は見当たらなかった。

 そうこうしているうちに、少女のローファーの音も、ド変態のぺちぺち音も遠くなっていく。

 

『……次のニュースです。東京を中心に起きていた連続女学生一家惨殺事件の同一犯と思われる変質者の犯行が、埼玉県東部でも確認されました。管理局の一等官が犯人と思われる変質者と遭遇しましたが、殺害され──』

「……っ!」

 

 そんな時、みんなでご飯を食べていた際にテレビから流れてきたニュースを思い出す。

 

「くそ!」

 

 気付けば俺は駆け出していた。

 もう0時を回ってるとはいえ、近くの家に電話を貸してもらうだとかの選択肢もあっただろう。

 しかし、まだ酔っていたのか、『英雄願望』でもあったのか。

 とにかくそうするべきだと俺は考えたのだ。

 もしもあの変態が連続女学生一家惨殺事件の犯人なら、あの少女はかなり危険な状況。

 殺されてしまうかもしれない。

 事態は一刻どころか、一瞬すら争うと。

 

 公園から飛び出し、俺は遠ざかっていく二つの音を追いかけた。

 

 

【7】

 

 

「くそ、速すぎる! はぁ、はぁ、どっち行った!」

 

 俺は十字路の前で立ち止まった。

 夜の街を数百メートルほど走ったが、少女が逃げるために曲道を多用しているせいか一時的に見失ってしまう。

 俺の下宿先とは大学を挟んで反対方向なのでこのあたりの土地勘はほぼなく、どの方向が逃げやすいなんてことは分からない。

 かなり上がってしまった呼吸に、高校の陸上部の時にもっとマイル走とか長距離走とかをやっておけばよかったなと内心愚痴る。

 短距離走者だった俺は、大学内の時々通うジムでも有酸素運動系のトレーニングは敬遠してしまっていた。

 

「誰か助けて!」

「こっちか!」

 

 十字路の左側から、おそらく追われていた少女の助けを求める声が聞こえた。

 その声の方向へ再び走り出す。

 そして一番近い十字路で再び立ち止まって道の先を見渡し──見つけた。

 その十字路の右側の道、約30メートルほど先の街灯の下に二人はいた。

 コートをなぜか脱ぎ捨てたところだった露出狂と、露出狂の後ろ姿でよく見えないが腰を抜かして道路にしりもちをついているのだろう少女だ。

 俺もそっちへ全速力で走りだす。

 

「カワイイねぇ! カワイイねぇ!」

「な、なんで! 身体がうごかない!」

 

 残り30メートル。

 パニックか何かを起こしてしまったのか、腰を抜かしたまま逃げる様子がない少女に、露出狂が走っていた時のガニ股のままにじり寄っていく。

 ここまできて、俺はどうするつもりだったのか考えていなかったことに気づく。

 

「声もカワイイねぇ!!」

「だ、誰か!」

 

 残り20メートル。

 少女の声により興奮したのか、露出狂が大声を上げた。

 少女と露出狂の距離は2メートルほど。

 近づいてみて分かったが露出狂はかなり痩せて細身の中年だ。

 ただの露出趣味の変態なら、俺でも押さえつけることは可能だろう。

 

「はぁ! はぁ! はぁ!!」

「ひっ!」

 

 残り10メートル。

 しかしこの露出狂が『変質者』なら、常人よりも強い肉体と何かしらの超能力や異能と呼ばれる類の力に目覚めている。

 それに連続女学生一家惨殺事件の犯人だとしたら、かなり強力な肉体や力を持っているはずだ。

 『変質者』事件対処の専門家である管理局の職員も殺されているのに、少し身体を鍛えている程度の普通の大学生である俺がなんとかできるわけがない。

 

 ──今からでも、周りの家々に助けを求めるか?

 

 そんな弱気な考えが頭に浮かぶ。

 ストロークが短くなり、ピッチが下がったのが自分でも分かった。

 

「本当に! カワイイねぇ!!」

「こ、こないで! ……あっ」

 

 残り3メートル。

 露出狂といまだ動けない少女の距離は1メートルあるかないか。

 この距離になってようやく俺に気づいたのか、少女が声を上げた。

 俺は露出狂の真後ろではなくやや右斜め後ろへと走っていたので、それまではガニ股の露出狂の背中で隠れていた少女と目が合う。

 

 助けるべきか躊躇していた俺が、少女のひどく不安げで恐怖の色に溢れ、涙目になっていたその瞳と。

 

「クソが! こんの! 変態があああ!!」

「は?! ぐギャアああァァ!!」

 

 その少女の恐怖と涙で潤う赤みを帯びた瞳を見た瞬間、俺は無性にイラついた。

 少女にではない。

 こんな状況でも躊躇してしまう情けない自分自身にだ。

 湧き上がってきた激しいイラつきをぶつけるように、露出狂の局部を後ろから走ってきた勢いのまま思いっきり蹴り上げる。

 ガニ股のおかげで蹴りやすく助かった。

 

「っらァ!!」

 

 金的を蹴り上げられあまりの痛みに内股になって悶絶する露出狂を、掛け声とともにその場へうつぶせに押さえつける。

 それどころではなかったのか、露出狂からの抵抗はほぼなかった。

 サッカーなら一発レッドで退場、だいたいの格闘技でも一発アウトで反則負けだろう意図的な金的蹴り。

 男なら『変質者』に対しても効くのだと、今後の人生でもう使わないだろう無駄な知識を得た。

 

「……君! 俺が抑えている間に早く逃げて警察か管理局に通報して!」

「ごめんなさい! わ、わたしもそうしたいんですけど、なぜか口と目線以外動かせなくて!」

 

 俺は、目の前の腰が抜けてしまったのか地面にしりもちをついている少女に叫んだが、彼女は自分でも自分の身に何が起こっているのかが理解できないといった声色で答えた。

 ようやく痛みから復帰したのか露出狂が体の下で暴れ出す。

 その痩せた体躯からは想像もできないほどの力だったが、金的を蹴られた影響か俺でもなんとか抑えられる程度だ。

 

「ッ! 誰だ!」

「暴れんじゃねぇ!」

 

 体の下でもがく露出狂を抑え込みながら、目線だけを彼女のほうへとやる。

 その少女は思った以上に小柄で幼く、0時を回った夜には不釣り合いで中学生ぐらいに見えた。

 制服に着られているとでも表現すべき、小動物のような可愛らしいさと活発さがある顔立ちの少女と目が合ったが、確かに妙な違和感を覚える。

 彼女の言ったように目線と口は動かせているようだが、それ以外の箇所は地面についた掌の指先すらピクリとも動かせていない。

 ……いや、よく見てみれば瞬きの一つもしていない。

 違う。彼女の言葉を信じるのなら、瞬きの一つすらできて(・・・)いないのか。

 まるで眼球と口以外が、極めて精巧な人形のようになってしまったかのようだ。

 

 『変質者』は超能力や異能を持っているというが、それがこの有り得ない現象の正体なのか?

 なら、一体どうすればこいつの異能を止めて、少女を逃してあげられる?

 

「クソッ! どうすりゃいいんだよ!」

「アスファルトで!擦れて! 痛い!」

「お前はうるせえよ!」

 

 暴れているからか興奮しているからか、掌に伝わる露出狂のじんわりとした体温がより明瞭になってきた。

 更に発汗しはじめたのか掌に湿り気すら伝わってきたことに、もう勘弁してくれと心中で愚痴る。

 だが、最近起きている連続女学生一家惨殺事件の犯人がこいつなら、もし逃げられてしまうと新たな被害者が出てしまうかもしれないし、俺も目の前の少女も殺されてしまうかもしれない。

 だから俺は必死に抑え続ける。

 

 せめて目の前の少女が逃げて警察か管理局に通報してくれれば俺も逃げてしまえるのだが、まだ彼女は身じろぎ1つできそうな様子すらない。

 掌から伝わる不快感を押し殺しながら、この住宅地に響く俺たちの声に誰かが通報してくれないかと心の底から強く願う。

 すると俺の願いが天に通じたのか、しりもちをついた少女の後ろに街灯で照らされた新たな人影が現れた。

 

「あー、こんばんは。……どーゆー状況かな?」

 

 新たに現れた人物は、俺たちの不可思議な状況に対する困惑の色が少しばかり気の抜けた声に含まれている。

 まだ完全に街灯で明るみになっていないのと、俺が露出狂を押さえつけるのに必死で顔を伺うことはできない。

 しかしその人物は、声変わり前の少年のようなハスキーさがありながらも、女性特有の柔らかさが含まれた声色からしてどうやら女性のようだった。

 

 闇に溶け込むほどに真っ黒なスーツ──確か、管理局の職員の制服のはずだ。街やテレビで見たことがある──を着て、近代を舞台にした映画に出てくる明治や大正、昭和初期の警察官、軍隊のように略刀帯によって帯刀している。

 しかし、その刀は西洋刀(サーベル)や軍刀ではなく日本刀ではあったが。

 

「助けてくだっ……「痛い痛い痛い!」ッ! 暴れんなって!」

 

 俺が助けを求めようとした瞬間、露出狂が生きの良い魚が跳ねるように暴れる。

 全裸でうつ伏せにアスファルトに押さえつけられてどこが痛いかなんて、同じ男として同情に値するがそれなら大人しくしてほしい。

 いや待て、というか、そんなに痛がるのはこんな状況でも硬く大きくしてるからじゃないのか?

 ……やはり同情はできないし、したくもない。

 

「おおっとー、とりあえず大丈夫? お嬢ちゃん」

 

 そんな下らない激戦を繰り広げる俺たちに対し、女性はしりもちをつく少女を守るためか、いまだ動けない少女の隣へと足をすすめる。

 そうして街灯に照らされ、ようやく完全に露になった彼女の容貌の第一に印象に残るのがその顔立ちだ。

 

 最高級桜瑪瑙(さくらめのう)のような色彩の綺麗な瞳。

 気品を漂わせる小さくツンとした形の良い鼻。

 生命力を示す春の日差しに似た暖かな朱色が絶妙にさした頬。

 朝露に濡れる山桜桃梅(ゆすらうめ)の花弁が如くに淑やかな艶のある美しい桃色の唇。

 純白の陶器を想起させるが、確かな柔らかさが存在する毛穴という概念すら感じられないきめ細やかな肌。

 

 それら等級をつけるのならば至高傑作(マスターピース)であろう各部のパーツは、熟練の人形職人が腕によりをかけて創り出し、彩色し、配置したかのようだ。

 天上より舞い降りし美しき天女を象る彫刻が如くに、この世のものとは思えないほど完全に黄金律的な均整がとれている。

 沈魚落雁閉月羞花と美人に対する最上級の形容でさえ、その美しさを全て言い表すことはできない。

 

 それに、美形という表現は彼女に捧げるためにあると言っても過言ではないが、どこかかわいらしさや愛嬌といった可憐な少女性と呼ぶべき魅力も内包しているのに畏ろしさすら覚えた。

 その声や雰囲気は、純粋無垢で自由奔放な少年性すらも持ち合わせており、性別を超越した中性的な美を彼女という存在において完璧に両立させている。

 

 そして第二に印象に残るのがその髪色だ。

 染色しているのか脱色しているのか、白髪というには生糸のような柔らかな輝きがあり、銀髪というには雪解け水のような透明感がある綺麗な髪色。

 普通ではあり得ないような髪色だが、彼女の場合は何故だか日本人が青色だとかの奇抜な染髪をした際に出てしまう違和感を一切覚えないほどに自然だ。

 まるで、その髪色が生まれ持っての地毛であるかのように馴染んでいて、彼女の神秘性を更に増幅させている。

 ショート……いや、ショートとショートボブの中間位の長さのアシンメトリーな髪形も、良く似合っている。

 月の光と街灯で輝く透銀色(うすしろがねいろ)とでもいうべき美髪は、対照的な黒一色の喪服のようなスーツにもよく映えていた。

 

「擦れてる擦れてる! 痛い痛い痛い!」

「頼むから暴れるなって!」

「わたしの隣に誰かいるんですか! 身体が動かなくて、声だけだと分からないんです!」

「うーむ、何じゃこりゃ」

 

 透銀色(うすしろがねいろ)という強烈な髪色に負けないほどに整ったその顔立ちは、しりもちをついた少女の前で暴れる全裸中年、そしてそれを必死に全身全霊で押さえつける()という不可思議な状況にやはり困惑していて、形の良い眉がわずかながらにひそめられている。

 顎に手を添え、考え込む様に俺たちを見ていた。

 

 その首には管理局に登録された『変質者』であることを示す、黒い管理電子首輪が嵌められていて、鈍い金属光沢を放っている。

 法律上『変質者』が外出する際に着用義務のあるその首輪は、GPSだとかが内蔵されているんだったか。

 確か一般人用や変質犯罪者用、公僕用を色や着用箇所で分けていて、黒色の首輪は公務中の公僕のみが着用できる色だったはずだ。

 

「んー行動強制系……いや、条件付きの拘束系異能かな? 戸隠さんと同じタイプだ。……あ、もしかして」

 

 少し独特の空気感というか、掴みどころのない雰囲気を纏っている彼女は動けない少女を見ながら呟いた。

 しかし、普通の人だと変わってるとか間伸びしているなんてマイナスな印象を受けそうだが、その雰囲気が彼女の容姿と合わさるとむしろ親しみやすそうというプラスな印象になるのは、常々美人は得であると思わされる。

 ……ただ、俺もこんな状況に遭遇したら絶対に面食らってしまうだろうから強くは言えないが、早く助けてほしい。

 

 状況を理解しようとしているのだろう彼女の、最高級桜瑪瑙から削り出した美術品かと見紛うが如き薄桜色の瞳と目が合う。

 

 そこらのアイドルやモデルとは比べ物にならない、顔だけで食っていけそうなその容姿に、俺の体の下で激烈な勢いで暴れている全裸男がいなければ、見惚れていたかもしれないなと思った。

 しかし、体の下から伝わってくる男の体温がもはや熱さになったこの嫌悪感の極限状況だと、もう誰でもいいから早く助けてくれよという想いのが強い。

 そんな強い想いが俺の目から伝わったのか、彼女は口を開いた。

 

「ええーと、僕は管理局所属の八剱(やつるぎ)です。お嬢ちゃんの身体が動かなくなった瞬間について、簡単に教えてもらってもいいかな」

「っ! 管理局! ……わ、わたしがその『変質者』のおちん……局部を見せつけられた瞬間、急に身体の殆どが動かなくなっちゃって、そんな時にそのお兄さんが来てくれたんです!」

「──それは……いや、なるほどね。今助けるから安心して、2人共」

 

 露出狂を取り押さえるので一杯一杯な俺の代わりに、少女が数少ない動く箇所である口を使って状況を簡潔に説明してくれた。

 

 透銀色(うすしろがねいろ)の髪の彼女は、その言葉を聞いてこの不可思議な状況を把握したのか、腰の日本刀を抜きながら動き始める。

 ……少女の言葉を聞いた瞬間、何故だか彼女はほんの一瞬だけではあるが、眉と眉の間により強く深い困惑の色を滲ませたかのように見えた。

 しかし、瞬き一つの間にその困惑の色の一切が霧散しており、俺の勘違いだったのかもしれない。

 

 彼女は俺たちに抜き身の刀を片手で持って近づきながら、スーツの胸元のポケットに入っている機械──恐らくボディカメラだ。カメラレンズが覗いている──のスイッチを空いている手で押し、その小さく艶やかな口を開く。

 

「記録開始。発現異能の違法行使を確認しました。第二段階、丙種級変質者と推定。異能の行使を即座に停止してください。警告に従わなければ、公共の安全と秩序を維持するために人権は制約されます。……異能停止確認できず。警告終了。八剱(やつるぎ)六華(りっか)、即応法執行を開始します」

 

 どこか抜けていた雰囲気の彼女であったが、録画のためのスイッチを押した瞬間に雰囲気が一変した。

 透銀色(うすしろがねいろ)の髪よりも濃い銀色に輝く、黒いスーツに揃えられた黒い手袋をした手に持ったその日本刀のように、鋭く冷えた金属の刃に似た雰囲気だ。

 元々の緩い雰囲気は、彼女本来の刃を想起させてしまう鋭すぎる雰囲気を覆い隠すための鞘なのではと、そう本気で考えてしまうほどの変わり様。

 今まで何度も口にしてきたのだろう警告の言葉も、機械の自動音声や読み上げのように流々と事務的に諳んじていた。

 俺よりは少し年上だろうが若く見える彼女も、命を懸けて市民の安全や秩序を守る管理局の職員なんだと察せられる。

 

 近づいてくる管理局の職員に対し、俺の身体下の露出狂は逃げようと一際抵抗をを強くした。

 だが、俺は最後の力を振り絞り、逃げないように押さえつける。

 黒スーツの彼女が、俺たちのすぐ目の前までやってきた。

 

「ハッ!」

「グッ! ……っ」

 

 彼女は手にしていた日本刀は使わず、掛け声とともに振り上げた足で露出狂の顎を蹴り抜いた。

 まともに食らった露出狂は、一瞬だけ身体を痙攣させたがすぐに動かなくなる。

 痙攣と同時に抵抗もなくなったので、意識を刈り取られたのだろう。

 

「対象の意識喪失、無力化成功を確認。即応法執行を終了。記録終了。……ふーう、おしまーい」

 

 彼女から発せられていた冷たい刃のような雰囲気は、『記録終了』の声と共にボディカメラの録画停止スイッチを押した瞬間に霧散した。 

 あまりの変わりように、結局使っていない日本刀を鞘に納めている彼女を見上げてしまう。

 俺のそんな視線に気づいたのか、彼女が口を開いた。

 

「んー? あー、刀? いやー流石に戦闘系じゃなさそうな『変質者』に使っちゃうと、僕が上の人に怒られちゃうんだよねー。人も殺してなさそうだし、高く見積もっても丙種級位だったし、いかくよーだよ。いかくよー」

「は、はぁ」

 

 俺の不思議なものを見る視線は彼女自身に向けたものだったが、彼女は抜いたのに終ぞ使わなかった刀に向けられたものだったと思ったらしい。

 微妙に知りたいこととかみ合わなかった。

 だがその会話の内容も、今までの人生であったことのないレベルの容姿端麗さである彼女が言っているとは思えないぐらい、どこか緩さを感じるものだ。

 

「キミ、いつまでその『変質者』抑えてるのー? 大丈夫? ほら、僕の手を取って」

「あ、ありがとうござ──いや、一人で立てます」

 

 いろいろなことがあったからか、気絶したうつ伏せの露出狂の上に俺が呆然として座り込むばかりだったので、彼女が黒い手袋をした手を差し出してきた。

 その手を取ろうとして──俺の手が露出狂の汗や多分俺の汗でも濡れていることに気づき、手を取らず自分で立ち上がる。

 

「ありゃ、立てるならよかった。怪我しちゃったのか心配しちゃったよー。別に僕の手を取ってくれてよかったのに」

「すみません。ちょっとこいつの汗とかで俺の手が濡れてそうだったので」

「え……っぷ、あっははは。そんなの気にしなくていーのに、僕手袋してるし。あはは、とっても紳士だね。キミ」

 

 彼女は俺の発言に少しきょとんとしたが、その意味を把握したら鈴を転がすようなその声で楽しそうに笑い始めた。

 美形の人は近づきがたい雰囲気が出ているのが常だが、この人はとても人懐っこい感じというか、人好きしそうな人だなと思う。

 さっきの日本刀を想起させる雰囲気は一切感じられない。

 手の甲を口に当て上品に笑う愉快気な彼女の様子は、写真に収めればそれだけでどこかの美術館に飾られている名画として成立してしまいそうだ。

 ついその綺麗な顔立ちに見とれてしまう。

 

「んー? 僕の顔に何かついてる?」

「え、あ、いえ! あ! か、髪留めが」

「髪留め? お目が高いね。これお気になんだよー」

「と、とても似合ってます」

「ありがとー」

 

 思った以上に見てしまっていたのか、俺の視線に気がついた彼女が聞いてくる。

 気恥ずかしくなり、咄嗟に目に入った彼女の髪留めを指摘すると誤魔化されてくれた。

 女性にしては短髪の彼女だが、管理局の職員として戦闘も行っているために前髪が邪魔しないようにする目的だろうか。

 白い雪の結晶がモデルであろう、六角形の意匠が施された可愛らしい小さな髪留めで横に流している。

 小さかったため、さっきの緊迫した状況では気が付くことはできなかった。

 とっさに出た言葉だったが、彼女の透銀色の髪と白い雪の結晶の髪留めは確かに似合っている。

 

「あ、遅くなってすみません。助けてくれてありがとうございます」

「いーよいーよ、お仕事だし」

「でも本当に助かりました。ええっと……」

「ん? あー名前? 六華(りっか)八剱(やつるぎ)六華(りっか)だよー」

八剱(やつるぎ)さん。本当にありがとうございます。あ!」

「……どうかしたー?」

 

 そういえば、ごたごたしたせいでまだ助けてくれたお礼ができていないなと、彼女に感謝の言葉を伝える。

 彼女──八剱(やつるぎ)さんは、ひらひらと手を振りながら当たり前のことをしたんだと答えてくれた。

 だが、俺はその名前を聞き、どこかで聞いたことがあるようなという感覚と、何かが腑に落ちる感覚がして声を上げてしまう。

 

「いや、もしかしてりっかって下の名前、数字の六とお花の花ですか? その髪留めの雪の結晶って古来から六つの花って異称もあるし、揃えているのかなって思って」

「──へぇ、そっちね(・・・・)。そうだよ。はなの漢字は難しいほうの華だけど。……ねぇ、どう思った?」

「え、ど、どう思ったですか?」

「うん。教えてほしい」

 

 本当にふと思ったことを言ったら、そのことを八剱さんはさらに深堀りして聞いてきた。

 しかも、何故かさっきまでの緩い雰囲気は消え失せており、『変質者』に対し録画ボタンを押した後のような砥がれた刃の冷たい雰囲気になっている。

 本人は凄んだりしているつもりはないのかもしれないが、美人さんに無表情と無言でじっと見られると迫力がすごい。

 強いプレッシャーを覚える。

 なかなか言い出さない俺を、桜瑪瑙の瞳がじっと見つめていた。

 

「えっと……その小さくて可愛らしい髪留めとその不思議で美しい髪色とも合ってますし、綺麗な響きのいいお名前だなぁと……」

「……」

 

 余計なことを言って地雷を踏んでしまったのかもしれないと、おずおずと八剱さんの問いに答えた。

 出来るだけ角が立たないように、それでいて嘘はつかないように無難な感じで。

 嘘をつくのを避けたかったのは、不思議な雰囲気の八剱さん相手に嘘をつくと、何故だか見抜かれてしまうような凄みがあったからだ。

 しかしまだ無言。

 

「……苗字はどう思った?」

「え、苗字も? 珍しい……あれ、いや、どっかで聞いたことが……すみません。苗字には特に何も感じませんでした」

「……」

 

 次いだ苗字に対する問いにも答えたが、やはり無言だ。

 苗字には特に何も感じなかったので、取り繕うこともできず本心を言ってしまう。

 しかし反応はな──いや、その目が少しばかり細められたのが分かった。

 それが良い反応なのか、悪い反応なのかが分かるほど八剱さんのことは知らないので、大した意味はなかったが。

 

「や、八剱さん?」

「……やめて」

「は、はい?」

「僕、その苗字嫌いだから、苗字で呼ぶのやめて」

「わ、分かりました!」

「あはは、何でそんなに畏まってるのー? ねぇ、キミの名前も教えてよ」

 

 ただ無言でじっと見つめられているだけなのに、美人だからか恐怖すら感じ始めたプレッシャーに思わず苗字を呼ぶと、そんな反応が返ってきた。

 すぐに了解の意を返すと、また楽しげに笑って緩い雰囲気になる。

 その様子に安堵する。

 そして、何故だか自分がめちゃくちゃ緊張していたことに気がついた。

 

「えっと、白浜歩生です。や……六華さん」

「おー、いい名前だね。アユムって夢に歩む? それとも歩くで一文字?」

「いえ。歩くに生きるですね。人並みの人生で、人並みの幸福でいいから普通に歩んで生きていってくれって意味のはずです」

 

 二分の一成人式か何かの行事で、両親に聞いた名前の由来を思い出しながら答える。

 俺は名前を付けられる前に変質災害遺児となったので、今の両親がつけてくれた名前だ。

 ……全然関係ないが、今の子達は二分の一成人式を9歳でやるんだろうか?

 

「そっかー。ねぇ、歩生クン」

「は、はい」

「んー? 何で離れるの?」

 

 彼女は、俺の返答を聞いて再び目を細め、少しばかり距離を詰めてきた。

 距離を詰められた分だけ俺が下がり距離を取ると、彼女は不思議そうな顔で訊ねてくる。

 

「いや、ちょっと今汗かいちゃって臭いかもしれませんし……」

 

 少し冷静になって思い出したが、今の俺はかなり汗をかいていたし、凛菜に『へ、ちょ、わた、はみ、はみがきも』といって別れられたのもあって、自分が汗臭かったり口が臭かったりするんじゃないかと不安になったのだ。

 六華さんと今後会うこともないだろうが、それでも臭いと思われたら嫌だった。

 別に六華さんが整った容姿をしているからとかではなく、どんな人にも臭いと思われたら嫌だろう。

 

「くふっ、あははは。やっぱりキミは紳士だねー。僕は管理局の即応対処部隊所属だよ? 仕事中に消化器系ごとバラバラになった死体とか、死後どれぐらい経ったのかわからない腐乱死体とか、裏返った死体に普通に出会っちゃうし、嫌でも臭いが鼻にくるからね。別に汗の臭いなんて気にしないよー。それに──」

「え、ちょ!」

 

 再び鈴を転がしたような楽しげな笑い声を上げ、明るい声の調子には見合わないゾッとするようなことを当たり前に口にした。

 やはり管理局の仕事は大変なんだなと俺が思っていた時、すっと六華さんが距離を詰めてくる。

 余りに自然で流麗な身のこなしに反応が遅れた。

 そして、彼女は少し背中を曲げて俺の胸の辺りにその小さな鼻を近づけ、スンスンと匂いを嗅いでくる。

 

「──うん。別に臭くないね」

「ち、近いですって!」

 

 今まで見た事ないほどに整った顔立ちが俺の胸元にあり、どうすればいいのか分からなくなってしまう。

 六華さんの綺麗な透銀色の髪から、シャンプーかリンスか、はたまた香水だろうか。

 かなり近いせいで、童貞の俺には『女の子の良い匂い』という気持ち悪い表現しかできない、そんな匂いがふわりと鼻を擽ってきた。

 なぜか悪いことをしている気分になり、目線を逸らして出来るだけ吸わないようにと息を止めてしまう。

 

「あは、キミのはんのー面白いね。柔軟剤と美味しそうなご飯の匂い、お酒の匂いにちょっとの汗の匂い──あと、女の子の匂いがするね」

「お、幼馴染たちとご飯を食べて、送った帰りにこんなことになったからですかね!」

 

 俺の胸の辺りの匂いを嗅ぎ、六華さんはからかうようにそう言ってくる。

 最後の言葉だけ少しトーンが違った気がするが、そんなことを意識する余裕はなかった。

 彼女の発する言葉と共に胸元に呼気がかかり、薄めな春用の半袖のせいでその感覚を明瞭に認識してしまうため、ひどくこそばゆい。

 

 その感覚に、俺の実家で飼っている猫を思い出した。

 ただ、俺の家の猫は凛菜にも甘えるぐらい甘えん坊で、俺にも慣れているので甘えてくる可愛らしいさを感じたが、今の六華さんの場合は猫を前にしたネズミが匂いを嗅がれるのはこういう気分なのかという恐怖すら感じる。

 もしかしたら誰にでもやっているのかもしれないが、こんなにも距離感が近い理由が全く分からないのと、戯れのはずなのに何故か危険であるという危機感が警鐘を鳴らしているからだ。

 後者の理由もわからない。

 社会的に殺されるという意味だろうか。

 

「ちょ、いい加減離れてください!」

「んー?」

 

 俺は逸らしていた視線を六華さんに戻してそう言った。

 胸元から俺の様子を伺うため必然的に上目遣いになり、前髪を指で耳にかけて匂いを嗅ぎながら悪戯っぽく笑ってくる彼女と目が合い、くらっとしそうな色香を感じてしまう。

 押し返そうにも女性を無理やりに退かせていいものかという、そんな考えが頭の片隅にあった。

 

「──ねぇ、歩生クン。キミは……」

「す、すみません!」

 

 その声を上げたのは俺ではない。

 俺はもう混乱の真っ最中で、声を上げる余裕は無かった。

 声を上げたのは、六華さんのインパクトのせいで俺はもうすっかり存在を忘れてしまっていたが、露出狂に追われていた少女だ。

 俺も六華さんも彼女の方へと顔を向ける。

 

「お、お取り込み中すみません。……わたしまだ身体が動かないんですが……」

「え」

「え」

 

 少女は、未だしりもちをついた体勢のままでそう言った。

 

 

【8】

 

 

「おー、ほんとに動かないねー。心春ちゃんのポニーテールも石像みたいになってる。ウケるね」

「う、ウケませんよ! お願いします! 助けてください!」

「かわいー」

「六華さん、阿多古さんは助けられないんですか?」

 

 六華さんは、全く動けない少女──阿多古(あたご)心春(こはる)という名前だと、彼女自身に教えてもらった──のポニーテールをつんつんと人差し指で突いている。

 そのポニーテールすら、いまだ原理不明な力の影響下だったが。

 何故か妙に緩い雰囲気のままな彼女に呆れてしまう。

 

 六華さんは車が来たら危ないからと、道路の真ん中から動けない阿多古さんを運ぼうともしたが、外的な力でも一切動かなかった。

 快活そうな印象の阿多古さんだが、全く解決の糸口が見えないこの状況に、露出狂と対面していた時とは違う意味で涙目になっている。

 ……瞬きもできないので、目が乾いてしまうことの防止になってるのはいいかもしれないが。

 

「いやー、僕も助けたいんだけどねー。他者対象型の能力は大体気絶させれば解けるはずだから、だいぶ面倒な能力なのかも」

「ほ、ほかの解決法は無いんですか?! わたし一生このままですか?!」

「ほかの解決法? うーん。本人の意思で解除できる異能なら目を覚ますまで待たなきゃだし、殺したら解ける異能もあるけど、流石に露出ぐらいで殺処分は現場判断じゃできないかなー。『変質者(僕たち)』の人権が制限されているとはいえね」

「さ、殺処分はちょっと……」

「あはは、やさしーね、心春ちゃん」

 

 殺処分という選択肢が当たり前に六華さんの口から出たことに、阿多古さんは面食らってしまったようだった。

 彼女には目線と口元の自由しかないので、声色からぐらいしか感情を伺うことができないのだが、かなり喜怒哀楽がはっきりした分かりやすい子であることが分かる。

 そんな阿多古さんのころころ変わる反応を六華さんは楽しんでいるようだった。

 俺に対する距離感といい、この人は悪戯好きなのだろうか。

 

「ただ、もし『変質者』の意志で解けなかったり、死んでも解けない永続型だったら……」

「だ、だったら」

「キミ、一生このままかもね」

「ひいィィいいい!!」

「あっはっは! 心春ちゃん、やっぱりいいはんのーするね。かわいー」

「えぇ……」

 

 六華さんの脅すような発言に、阿多古さんはいちいちいい反応をしてしてしまっている。

 そんな反応にご満悦そうな六華さんに対し、俺は正直ちょっと恐怖を覚えてしまった。

 この人、悪戯好きとかではなくSなのだろうか。

 もしかすると『加虐欲求(サディズム)』の『変質者』だったりするのかもしれない。

 

「本当にどうにもできないんですか? 六華さんがいじる余裕があるの、解決策があるからでしょう?」

「ほ、本当ですか?!」

「まー、もう回収班呼んだし、その人たちが多分どうにかしてくれる物を持ってきてくれるしね。……なんで歩生クンは、僕が解決策知ってるから余裕あるって考えたの?」

 

 流石に阿多古さんが可哀そうになってきたのでそう聞く。

 すぐに反応しとてもうれしそうな声を上げた阿多古さんに、俺も声だけでこんなに分かりやすく反応してくれる子を弄るのは、確かにちょっと楽しそうだなと思ってしまった。

 どうやら俺の考えは合っていたようで、彼女にそう考えた訳を話す。

 

「本当にどうしようもない状況の子を笑うほど、六華さんが悪い人だと思えなかっただけですよ」

「おー僕何か信頼されてる? よーし、じゃあその信頼に答えるために、回収班が来る前までにこの子を助けてあげよう! ……悪化しちゃったらごめんね?」

「え! 悪化する可能性あるんですか?!」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。あんまし余計なことはしないし、安心して。泥の大船に乗ったつもりで」

「泥だったら結局沈んじゃうじゃないですか!」

「あっはっは!」

 

 なぜか俺の言葉にやる気を出したのか、急に張り切りだした六華さんに阿多古さんがまた反応した。

 六華さんのボケにちゃんとツッコミを入れてくる少女に対して、彼女が上機嫌に笑ったのを俺は見逃さなかった。

 ……この人、俺の言葉にやる気を出したしたんじゃなくて、ただ阿多古さんを弄りたかっただけだな。

 多分、この人はSはSでもドSなのだろう。

 もしくは、かわいらしい彼女に対するキュートアグレッションというやつだろうか。

 

 俺がそんな失礼なことを考えているのとはつゆ知らず、六華さんは顎に手を当てて考え込むようにした。

 

「──歩生クン。露出狂はどんな様子だったかわかる? 出来たら全部教えてほしい」

「え、あ、はい。今思い出しますね」

「うん、ありがとう」

 

 急に六華さんから緩い雰囲気が消え去った。

 そして、あの冷たく鋭い刃のような雰囲気になる。

 なんというか、オンとオフが両極端すぎてびっくりしてしまう。

 ただ、この雰囲気の彼女はとても仕事ができそうというか、二十歳の俺より少し年上ぐらいだろうに一種の仕事人の貫禄すら纏っていて、格好良さすら感じるほどだ。

 

「ええと、この露出狂に対して俺が見ていたのは……コートだけを着て阿多古さんを追いかけるところと、コートを脱ぎ捨てた後に彼女ににじり寄るところですね」

「なるほど。……そのコートって、あの電柱と壁の間でくしゃくしゃになってるやつ?」

「あーはいそうですね」

 

 六華さんが指さした先には、確かに今は全裸で気絶している露出狂が身に着けていたコートがあった。

 風が強い今日だが、運よく近くの電柱のおかげで遠くまでは飛ばされていない。

 

「コートを脱ぐことが発動条件だとしたら、解除条件も……うん。流石に着せるだけなら悪化しないかな。ちょっと待ってて、取ってくる」

 

 彼女は何らかの仮説を立てたのだろう。

 小走りで変質者の着ていたコートを小走りで回収してきた。

 

「あ、現場保全したほうがいいかな? いや、現行犯だし、ちゃんと録画してあるしいっか。……歩生クン、着せるの手伝って」

「分かりました」

「じゃー、まずは左腕から──」

 

 六華さんの指示に従って露出狂にコートを着せる。

 俺はうつ伏せで気絶している露出狂を仰向けにし、上体を起こしてコートを着せやすくした。

 どうしても露出狂の局部が目に入ってしまうが、なんとか心を無にして最後まで行う。

 阿多古さんの目の前でその作業を行ったため、彼女は視線を上にして見ないようにしていた。

 しかし、六華さんは恐らくがっつり目に入っているだろうに何のリアクションもせず淡々と服を着せていた。

 その対比に、管理局の職員は改めてすごいなあと変なところで感心してしまう。

 

「どう? 身体動きそう?」

「いえ、……無理そうです」

「うーん、ダメかー。いい線言ってると思ったんだけどなー」

「わ、わたし、本当に一生このまま……」

 

 露出狂にコートを羽織らせてみたが、結局阿多古さんはまだ動けそうになかった。

 彼女はひどく絶望したかのような雰囲気を放ち始める。

 俺がもし彼女が同じ状況になったらと考えると、確かに絶望してしまうのも無理がないなと思った。

 一生道路の真ん中で過ごさなくてはいけないのは、ちょっと考えたくもない。

 居た堪れなくなって視線を阿多古さんから外し、いまだ目を覚ます様子のない露出狂へとやる。

 

 露出狂はコートを羽織っているとは言っても、前は閉じてないので大事な部分は丸見えだ。

 あんまりみていて気持ちのいいものではないし、コートの前を閉じて隠そうとしゃがみ込む。

 ……局部を蹴り上げた俺だが、流石に少し可哀想だと思ってしまったのだ。

 

「え! あ! 身体動きます!」

 

 俺がコートのボタンを留めて局部を隠した瞬間、阿多古さんがそう言って急に立ち上がった。

 手のひらを開いたり握ったりして調子を確かめている。

 さっきまで一切身体を動かせていなかったのに、それが嘘のように身体の各部の自由を取り戻していた。

 それは喜ばしいことだが、何故今急に身体の自由を取り戻したのだろう。

 まさか、局部を隠したからか?

 

「おー、異能が解除されてよかったね」

「はい! お二人のお陰です! 本当にありがとうございます!」

「いやいや、僕より歩生クンに感謝してあげてー。歩生クンのおかげだし」

「ありがとうございます! 歩生さん!」

「たまたまだし、気にしないで阿多古さん」

「あ! 心春でいいですよ! 六華さんは名前呼びなのに、私が苗字呼びされるとなんか変な感じがしますしね」

「え、あー、じゃあ六華さんと同じ呼び方の心春ちゃんで」

 

 阿多古さん──いや、心春ちゃんはとっても嬉しそうな様子で、感謝の言葉を口にし頭を下げてくる。

 表情筋が固定されていたさっきまでとは違い、表情がつくとより一層彼女の快活な雰囲気と天真爛漫さが分かる。

 ただ、立ち上がったことで分かったのだが、彼女は思っていた以上に小柄であった。

 制服を着ているから中学生ぐらいに見えたのだが、姉の制服をこっそりきた小学生高学年、もしくは制服のある小学校の生徒に見える。

 

「しっかし、よく終了条件が局部を隠すことだって分かったね」

「いや、ずっとおっぴろげだったのが見てられなかっただけですよ。それに、女の子の心春さんの前で丸出しなのもあれかなって思って」

「いやいやー、それでもお手柄だよー。……ってあれ、僕はいいの?」

「あ……すみません。気にしてなさそうでしたので」

「あはは、ひどー、僕も女の子だよ? まぁ、自分の事を女の子っていう歳じゃないし、確かに気にならなかったけど……お、回収班きたね」

 

 すでに無力化してあると六華さんが連絡してあったからか、それともすでに一時をまわっていたからか。

 サイレンを鳴らさずに警察の護送車両のような、しかし黒一色で更に車体を頑強にしたような車がやってきた。

 これが管理局の変質者回収車両なのだろう。

 車両は俺たちのすぐ近くに停まり、六華さんのように喪服を想起させる黒スーツの男が二人降りてきた。

 ただ、装備は彼女の日本刀とは違い、警察のように警棒と銃で武装していたが。

 

「──お疲れ様です。八剱特等官」

「お疲れ様です」

「……おつかれさまー。こんな時間に悪いね」

「いえ、業務ですので。……その気絶しているのが“例の”マルヘンですか?」

 

 三十代前半と四十代中盤に見える彼らは、二十代前半ぐらいに見える歳下であろう六華さんに対して、教本通りの綺麗な敬礼をした。

 ただ、彼女のテンションは心春さんを弄っていた時に比べ、一気に下がってしまったように見えたが。

 男たちは六華さんのそんな様子に気づいているのかいないのか、特に何にも触れずに気絶している露出狂に視線を向ける。

 マルヘンというのは、恐らくこの『変質者』を示していることぐらいは察することができた。

 

「……と、特等官」

 

 隣の心春ちゃんが驚き、妙に緊張した様子でそう呟いたのが耳に入る。

 俺も少し驚いていた。

 確か、現場で変質犯罪に対処する人の中でも特等官は最も上の役職であったはずだ。

 六華さんは俺よりは年上だろうが、それでも二十前半に見える。

 とても仕事ができるのか、よほど強力な能力を持っているのだろうか。

 ……そうだとしても、心春ちゃんは少し緊張しすぎだと思ったが。

 

 六華さんがどれだけ強力な能力を持っていたとしても、俺たちのような一般市民に管理局所属の『変質者』である彼女の力が向けられることはないのだから。

 いや、俺は管理局の人々のお陰で変質災害から助かったが、人によっては『変質者』というだけで悪い印象を持ってしまう人もいる。

 実際、露出狂の『変質者』に追いかけ回された小春ちゃんにとっては、『変質者』であるというだけで少し怖いのかもしれない。

 

「多分そうだね。東浦さんのチームの案件だっけ? “カナシガリ痴漢”なんて言われてた、金縛り現象を伴う痴漢事件のマルヘンだと思う。ガリガリの中年男性っていうマルガイたちからの情報も一致してるし。あ、こっちの女の子がマルガイで、男の子が……捕獲協力者? かな」

「なるほど。マルヘンの詳細は分かりますか?」

「『露出欲求(エキシビショニスト)』の『性的欲求系変質者(ピンク)』だね。能力は事前推測通り、対象の視線と口以外の自由を奪う拘束系であってると思う。発動条件は対象の目の前でコートを脱いで局部を見せつけること。終了条件はコートを着て局部を隠すことかな。……まぁ、規定標準対処方法に則って“クロモリ”に繋げば、回収上の危険はないと思うよ」

「了解しました。情報共有感謝します。……では、コイツを回収するので我々は失礼します」

「うん。ありがとー」

 

 六華さんが露出狂の『変質者』について簡潔に情報を共有した後、男たちはもう一度敬礼してから気絶している彼を車両の後部へと運んだ。

 テキパキとした彼らの動きによって一分もかからず露出狂は車両に連れ込まれ、そのまま回収車両は夜の闇へと消えていく。

 俺も心春ちゃんもそれを見送ることしかできない。

 だが、六華さんと彼らの会話でいくつか気になったことがあった。

 

「……“カナシガリ痴漢”ってもしかして、あの『変質者』が起こしてた事件ですか?」

「んー。そーだよ。若い女の子を追いかけて、異能で逃げられないようにして、悲鳴を聞いて、局部を顔とかに……あーまぁそんな痴漢事件。いやー『特殊性癖(フェチズム)』系の『変質者』の事件はよくわかんないよー」

「ひ、ひぇぇえぇ」

「全く動けそうにない心春ちゃんを見ても、あんなに六華さんが落ち着いてたのは、その被害者たちは動けるようになってるからですか?」

「そだよー。みんな一時的に動けなくなってただけだしね。まぁ終了条件はわかってなかったけど。距離か時間かなって推察されてた。いやー、もし一生動けないままにする異能だったら、凶悪すぎてもっと全国的に報道されてると思うよー」

「……確かにそうですね」

 

 その言葉を聞いて、ようやく六華さんがあんなにも落ち着いてた理由が分かった。

 同一犯と思われる『変質者』の事件を知っていたのだ。

 心春ちゃんも、他の被害者のように動けるようになるとわかっていたのだろう。

 ……それなら、彼女が動けるようになるだろうことを教えてあげてもよかっただろうに。

 

「六華さん! わたしが動けるようになるの知ってたんですか!」

「まー大丈夫だとは考えてたよ」

「一生このままかもとか言ってたじゃないですか!」

「あはは、そうだっけ? 心春ちゃんのはんのーが面白……かわいーのが悪い」

「も、もう! 六華さん!」

 

 六華さんに対して心春ちゃんは少しご立腹な様子になった。

 しかし、彼女なりに凄もうとしているのだろうが、怒り慣れてないのもあるだろうし、その小動物的な可愛らしい容姿のせいで全く怖くない。

 レッサーパンダの威嚇のような、むしろかわいさを感じてしまうような始末だ。

 

「あはは、ごめんごめん。てかさ、この後どーする? 変質事件で常習性もあるからヨンパチじゃなくてキュウロクだろうし、警察よりも管理局(うち)はその辺緩いから、もう遅いし君ら一旦帰ってもいいんだけど」

「えーと、ヨンパチ? キュウロク? ってなんですか?」

「あー立件するか決めるまでの時間だね。48時間か96時間か。変質犯罪だと能力の詳細とか、安全な管理手順とかも調べなきゃだから長くなるんだよねー」

 

 確かに『変質者』の異能について分からないまま検察に送致し、検察の前で暴れても大変だろう。

 管理局には『変質者』が多く勤務しているだろうが、検察には普通の人間のが多いだろうから。

 俺は帰ることが出来るなら、帰らせてもらおうと思った。

 部屋で片付けが終わらせた雄一が待っているかもしれないからだ。

 もうなかなか戻ってこない俺に呆れて帰っていればいいのだが、スマホを家に置いてきたから連絡できないので、まだ待たせていると申し訳ない。

 

「あ! すみません!い、今何時ですか!」

「んー? 今は、1時16分だね」

「な! ど、どうしようもう終電が……!」

 

 俺より先に声を上げたのは心春ちゃんだった。

 少し怒っていた様子から、今度は時間を気にして焦っている様子になる。

 やはり、そんな感情の変化が分かりやすい子だ。

 

「ありゃ、やっぱり心春ちゃんこの辺の子じゃないか。その制服この辺りじゃ見た事ないもんなー。中学生なのにこんな時間まで外でちゃダメだよ?」

「ちゅ、中学生じゃなくて高校生です! 4月から高3です!」

「え、ほんとー? 僕てっきり中1ぐらいかと……って、高3でも未成年の深夜外出はダメでしょ。僕が警察だったら補導してるよ?」

「う、確かにそうですね……」

 

 正直、俺は声に出さなかったが驚いていた。

 心春ちゃんはどう見ても高校生、それも高3には見えなかったからだ。

 快活な印象を受けるポニーテールだったり、小動物感がある喜怒哀楽がはっきりした幼い感じから高校生には見えない。

 制服に着られているぐらいに小柄な140あるかないかぐらいの心春ちゃんは、六華さんの言う通り中学生以下に思えた。

 

「まー補導は僕らの仕事じゃないし、しないけどさ。親御さんに連絡はしてある?」

「あ! 携帯が入ったカバンを露出狂から逃げる時に投げつけちゃったので、できてません……」

「んー、じゃあカバン探しにいこっか。僕は今日2時上がりだし、帰りバイクで送ってあげるよ」

「え! で、でもご迷惑でしょうし、家がちょっと遠いので大丈夫です」

「もう終電なんてないし、親御さんも心配してるよ? またこんな事に巻き込まれてもアレだしさ。最近“カワハギ”とかも出て物騒でしょ? ……ねぇ、歩生クン?」

 

 俺には関係ないだろうと思って黙っていたのだが、六華さんに急に話を振られてしまった。

 ただ、あまりテレビや新聞を見ない俺は、“カワハギ”なんて事は聞いたことが無い。

 しかし、こんな時間に未成年の女の子が帰るのも危ないと考えるのは同じだ。

 今回の『変質者』は“カナシガリ”なんて呼ばれていた痴漢だったが、連続女学生一家惨殺事件なんて恐ろしい事件を起こす『変質者』もいる。

 同意を求めているのだろう六華さんに答えるため、口を開く。

 

「“カワハギ”は分かりませんが、都心で連続女学生一家惨殺事件なんてのもあって物騒なのは確かですね。心春ちゃんは送ってもらった方がいいんじゃないかな」

「……」

「そ、そうでしょうか……」

 

 当たり障りのないだろうそんなことを言ったのだが、急にみんな変な空気になった。

 六華さんは何故かまた俺のことをじっと見ていたし、見ず知らずで異性の俺に送られるならともかく、同性で管理局の特等官というとても信頼できる人に送ってもらうのをここまで遠慮する心春ちゃんにも妙なものを感じる。

 少しの沈黙の後、六華さんがその沈黙を破った。

 

「……ふーん。あ、もしかして心春ちゃん僕に送ってもらうのヤダ?」

「い、いえ! そういう訳では……迷惑かなぁと」

「気にしないでいいよー。僕ドライブ好きだし、心春ちゃんみたいなかわいー子なら、多少遠くても楽しそーだし」

「あ、う。……なら、お願いします」

「おっけー。じゃ、もうカバン探しに行こうか。案内してよ、心春ちゃん。……あ、ごめんちょっと待ってて。ねー歩生クン」

 

 一緒に帰るという方向で話がまとまったようで、露出狂から逃げてきた方へと戻る心春ちゃんと、その後を追うように六華さんも彼女に着いて行く。

 しかし、六華さんは一言声をかけ、俺の方へと一度駆け足で戻ってきた。

 

「どうしました? 今日は俺も帰らせてもらうつもりですけど」

「キミの電話番号教えてよ」

「え! ……ああ、証言とか聞くのに呼び出すためですか?」

「そうだよー。明日……いや、今日の昼でいいかな?」

「構いませんよ」

「ありがとー」

 

 一瞬、これが噂に聞く逆ナン的なアレかと思ったが、普通に考えてあの露出狂を立件するための証言が必要だからかと思い至る。

 六華さんみたいな美人でモテそうかつ仕事も出来るのだろう人から、俺みたいな普通の大学生が逆ナンされる訳がない。

 そんな勘違いをしてしまったことに、少し恥ずかしくなった。

 

 電話番号を教えるのを拒む理由もないので、彼女から渡された紙にボールペンで携帯の番号を書いて渡す。

 

「これでいいですか?」

「うん。大丈夫だよ。……今回はキミのお陰であの『変質者』を逃さず回収できたけど、危険な能力や強靭な肉体を持った『変質者』もいるし、管理局(僕たち)に通報することを第一に考えてねー」

「気をつけます。今回は、俺みたいな一般人でも抑えつけられるぐらいガリガリで非力な『変質者』で助かりましたよ」

「……そーだねー。今は位置情報の利用許可とマイナンバー登録すれば、ワンタッチで通報できる公式アプリもあるし、近くで起こった変質事件の情報が送られてくるからよかったら入れてねー」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 俺から電話番号の書いてある紙を受け取った六華さんは、そんな心配をするような言葉をかけてきた。

 確かに、今回は『変質者』の中でも非力なやつなので俺でもなんとかなったが、普通は一般人ではどうにもならないような力を持っているのが『変質者』だ。

 

 今考えてみるとかなり危なかったのだと認識する。

 それこそ、ここ旧千葉区域で起きた最悪抗争の引き金となった、『屍体偏愛(ネクロフィア)』や『食人衝動(カニバリズム)』の『変質者』のような凶悪な能力だったらとうに俺は殺されていただろう。

 『露出欲求(エキシビショニスト)』なんてちゃっちい『変質者』で良かったと、心の底から安堵した。

 

「じゃ、またね(・・・)。歩生クン」

「……! は、はい。お気をつけて」

「あはは」

 

 六華さんは黒スーツのポケットに紙を入れながら、俺にパチリとウインクをして心春ちゃんの方へと振り返り去っていく。

 その仕草が妙に手慣れていて、どきりとしてしまった。

 アイドルの追っかけになる人々の気持ちは今までわからなかったのだが、彼女のせいで少し理解した気分になる。

 彼女は、そんな俺の反応にまた悪戯っぽく笑っていた。

 

 非現実的な色々なことがあったせいで、彼女たちの背中が曲がり角で曲がって見えなくなるまで呆然と立ち尽くしていた。

 心春ちゃんが無事に帰れるといいのだがと、そんな心配を少しはしていたが。

 

「……ん?」

 

 首筋に冷たいものを感じ振り向くが、そこには人気のない住宅街があるだけだった。

 きっと、汗が風で冷えたのだろう。

 

「……って、ここ何処だよ」

 

 露出狂を追いかけたせいで全く土地勘の無いところまで来ていたのを思い出し、スマホもない自分の心配をするべきだったと、帰れるか分からない不安で青くなった。

 

 

【9】

 

 

「……やっと帰ってこれた」

 

 全く知らない道から大学を探し、それを目印に知った道に出て、なんとか自分の部屋があるアパートまで戻ってくることができた。

 もう二時を回ってしまっているだろう。

 雄一は駐車場にバイクがあったことから、まだ俺の部屋にいるらしかった。

 申し訳なさを感じながら、俺の部屋である二階の角部屋──このアパートは二階建てで各階二部屋しかないので、全ての部屋が角部屋なのだが──に急いだ。

 

「悪りぃ。雄一、遅くなっちまった」

「アユム! ……ああ、リナ、アユムが今帰ってきたぞ」

「あれ? なんでリナと電話してんだ?」

 

 玄関でバイクのヘルメットを手に持ち、ジャケットを着ていた雄一は電話片手に俺を出迎える。

 電話相手は、この場にいない凛菜の名前を雄一が出したので、恐らく凛菜であろうと予測ができた。

 いまにも部屋を出ていきそうな様子に雄一に少し驚く。

 

「なんでって……お前がリナと女子寮で別れてから2時間たっても全然帰ってこねえし、スマホも置いて行って連絡がつかないからだろうが」

「申し訳ありませんでした」

 

 完全に俺のせいだった。

 玄関の置時計を見てみると2時14分をその画面に映し出しており、確かに遅すぎることに申し訳なくなる。

 

「どこで道草食ってたんだか。……ほら、リナも心配してたし、一言かけてやれ」

「ああ、すまん。……凛菜、俺だ。心配かけてすまん」

 

 呆れた様子の雄一は、俺に彼の通話中のスマホを渡してきた。

 凛菜も心配させてしまい、俺のせいでこんな時間まで起きている羽目になったことを謝ろうと電話を代わった。

 

『歩生君?! 何かあったの? 連絡できなくて心配したんだよ!』

「あーごめんごめん。ちょっと帰り道で『変質者』の事件に巻き込まれちゃって」

『えっだ、大丈夫?!』

「大丈夫大丈夫、『変質者』っていっても俺が抑えつけられる非力な奴だったし、人を殺せるような能力じゃなかったから。それに、すぐ管理局の人が来て助けてくれたし」

 

 かなり心配をかけた様子だったので、正直に今日あったことを伝える。

 目の前の雄一も俺が『変質者』絡みのことに巻き込まれたと知ると、呆れよりも心配が勝ったらしい表情になった。

 

『大丈夫ならよかったけど……あんまり、無理しないでね。昔から歩生君はそういうところあるから』

「ああ、気を付けるよ」

『あ! ……う、上着を持ってっちゃってごめんね。明日洗って返すから』

「おーう、分かった。遅くまで悪いな。明日ボランティアなんだろ? もう寝とけよー」

『うん、おやすみ。歩生君』

「おやすみ、凛菜」

 

 そんな会話をして電話を切り、携帯電話を雄一に返した。

 雄一もやはり心配そうな顔をしている。

 

「『変質者』の事件に巻き込まれたって、本当に大丈夫なのか?」

「あー『露出欲求』の『変質者』でさ。女の子に夢中になってる所を後ろから金的蹴り上げたら悶絶してたわ。男なら『変質者』とか関係なく弱点なんだな」

「……想像しただけで痛いな。まぁ、お前が無事なら良かったが」

 

 雄一も男だからか、『変質者』に対する同情も少し覗かせる表情になった。

 いくら強靭な肉体を持とうとも、生物的な弱点はそのままなのだろう。

 あとは目とかも弱そうだな──なんてことまで考え、何故俺はこんな猟奇的なことを考えているのだろうかと、そんな違和感に気が付いた。

 きっと、疲れて気が立っているのだろう。

 

 俺の無事も確認できたし、おそらくもう帰ろうとしている雄一を見て、六華さんから聞いた話を思い出す。

 “カワハギ”だったか。

 会話の流れからして危険な『変質者』なのだろう。

 

「管理局の人が言ってたんだけど、“カワハギ”っていう物騒な『変質者』が出るらしいし、今日はもう泊まってけよ」

「“カワハギ”? 確かに恐ろしげな響きだ。その言葉に甘えさせてもらおう。……なんでそういう気遣いをリナに出来ないんだ」

「凛菜に? なんでここで凛菜の名前が出てくるんだ?」

「聞いたぞ。リナに上着を持っていかれた流れ」

「いやアレは酔ってたんだって!」

「は、1日に2回もよくやるな。もう遅いし寝る。リビングのソファー借りるぞ」

「ちょ、聞いてくれって!」

 

 俺が無事なことを確認した雄一は、今度こそ呆れた様子を隠さず俺を責める。

 ヘルメットを玄関に置き、ジャケットを脱ぎながらリビングに向かう彼に弁明するため、俺は靴を脱いで追いかけた。

 

 雄一に状況だとかを説明した後、自室のベットで色々あった今日を1人回想する。

 なかなかに濃い日だった。

 充電したあったスマホを見ると、凛菜からのメッセージがかなり送られていることに気付く。

 

 最初は『あんな別れ方しちゃってごめんね!m(_ _)m』とか『上着ごめんね(-.-;)y-~~~』みたいな感じだったが、『怒ってる?』『ごめんなさい』『大丈夫?』『連絡ください』と時間が経つにつれ焦りが見え、顔文字が取れたメッセージになってしまっている。

 それに、数回着信があったようだった。

 

 確かに凛菜にかなり心配をかけてしまったようだ。

 電話で一応大丈夫である事は伝えてあるが、『心配かけてすまなかった。本当に俺は大丈夫だ』と送っておく。

 いつもは既読が速い凛菜だが、流石にもう寝てしまったのか直ぐに返事が来る事はなかった。

 それに、女子寮の別れ際のやり取りのせいで怒ったり傷ついたりはしてなさそうだと分かり、安堵することができた。

 

 ようやく色々あったが無事に帰ってこれたことに安心したのか、流石に疲れたのか、猛烈な眠気が襲ってくる。

 だが、六華さんが別れ際に言っていた管理局の公式アプリをインストールするだけはしておいて、泥のような眠気に任せて眠った。

 




 普段は脱力系なのに、真剣な時は別人のようにビシッとする距離感バグってるキミとかクン呼びのミステリアスで一人称僕系お姉さんよくない? ってお話です。
 あと、SCPとかって効果を実験してる時のログが面白いよねって話です。

 以下、読まなくても大丈夫な設定。
『管理局の階級は特等官、準特等官、一等官~十等官の十二階級存在します。
 この等級分類のモデルは、刑務所の懲役刑(現在は拘禁刑)で行う作業における一等工~十等工の分類です』

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