上位存在たちに愛されすぎて地球が崩壊寸前になっちゃう話 作:こんねこ
それは一本の119番通報から始まった。
『火事だ! 早く来てくれ! 国会議事堂が燃えてるんだ!』
最初に一報を受けた当直職員は、緊張で言葉を失った。
国政の中核たる国会議事堂。その火災。
ただならぬことが起こっている。真っ白になった頭の片隅で、職員はそう理解した。
すぐさま管轄の消防署まで緊急連絡が行き、即座に全消防車両の出動が命じられた。
それに合わせ、救急車両も現場に直行させる。
午前5時7分。
時間帯から考えるに、今議事堂にいるのは当直の警備員か各省庁の職員くらいだろう。
もしこの火災が昼間、国会議員やマスコミが集結していた時間帯に発生していたなら……考えたくもない。
とはいえ、ここ――災害救急情報センターでできる仕事はここまでだ。
今はマニュアル通りの完璧な初期対応をやってのけた、職員の辣腕と平常心を褒め称えるとしよう。
そんな、どこか安心したような空気が流れた。その時だった。
『もしもし、消防ですかっ!? 猿江三丁目なんですけど、道沿いの工場が、工場が燃えてる!』
『代々木公園で植えてある木が、何もしてないのに、突然目の前で火が付きましたっ!』
『今新宿三丁目にいて、その、なんていうか、えーっと、あっ、街路樹! そうだ、街路樹が燃えてるんです!』
突然、濁流のように押し寄せてきた無数の緊急通報。
そのどれもが、街中で、何の前触れもなく、突然火災が発生したという旨のものだった。
東京23区内の各地で、同時多発的に。
その瞬間、誰もが理解した。
これはテロだ。
悪意のある無数のナニカが、この街に火を放っている。
恐怖と衝撃に支配された情報センターは、瞬く間にパニックに陥った。
ここに配属された職員は普段から緊急通報の対応に慣れた、歴戦のプロばかり。だが、このような事態は想定していなかった。
同時多発テロの再来? 不良によるただのイタズラ? いや、それにしては規模が大きすぎる。
情報が、思考が、錯綜する。
混乱している間にも、火災の通報件数は膨れ上がっていく。
「警視庁に応援を要請しろ! これはもう、俺たちが手に負える問題じゃあない!」
最早指揮系統が麻痺し始めた時、誰かが悲鳴混じりに叫んだ。
その時、通報件数は150件にまで上っていた。
「な、なんだこれ……?」
通報から少し遅れて国会議事堂に駆け付けた救急隊員は、思わず言葉を失った。
轟々と燃え盛る議事堂を前に、おびただしい数の消防車両が集結し、必死に消火活動を行っている。
東京中の水を全部使い果たしそうな勢いだ。
無秩序に走り回る消防隊員と、整列した警官隊。
命令か 咤かも分からない怒号が、止むことなく飛び交っている。
押し寄せるマスコミや野次馬はまるでミツバチのように群がっている。封鎖用の黄色いテープを突き破ってしまうそうな勢いだ。
騒動の渦中にも続々と消防車両が続々と到着しており、地獄絵図のような様相を呈している。
だが、何かがおかしい。
「怪我人がいない?」
「はい、そうなんです。火傷はもちろん、倒壊に巻き込まれた人も、一酸化炭素中毒に陥った人もいなくて……」
先に到着していた隊員から事情を聞いた彼は思わず息を吞んだ。
「それに、救助者の証言も変なんです」
「変?」
「はい。通報者である警備員の男性が言っていたのですが……その、
「何が?」
「炎が」
一瞬、隊員が言っている言葉の意味が理解できなかった。
「炎が、冷たい……?」
「はい。それに、これも変な話なんですが、彼は煙を直に吸い込んだはずなのに、息苦しさなどは何も感じなかったと言っていました」
もちろんその後、別のチームによって救急搬送されましたが。
隊員はそんなことを付け加えたが、最早彼の耳には何も聞こえなかった。
「一体、何が起こってるんだ……?」
今一度、炎に包まれた議事堂に目を向ける。
懸命な消火活動が続けられているが、火の手が収まる気配はない。
戦前からこの国の政治を支え続けてきた、日本国の象徴とも呼べる楼閣が燃えて……燃えて……。
「ない……?」
奇妙な光景だった。
澄み渡った薄明の空気。それすらも食い尽くさんばかりの勢いでとぐろを巻く業火。
確かにそれは炎だ。ごうごうと立ち昇る熱気も、夜空を埋め尽くす黒煙も、何もかも本物だ。現実だ。
だが、議事堂は燃えていない。
炎に炙られ、少しずつ灰になっていくはずなのに、その荘厳な佇まいは微塵も焼けていない。まったくの無傷だ。
よくよく目を凝らせば、燃え盛る炎の中に煤や灰がまったく混じってないことに気付く。
まるでガスバーナーが放射する炎のように。純粋で、混ざり気のない炎。
それはつまり、建物や内部の調度品も含めて、何も燃えていないということ。
あんなに炎が、激しく燃え広がっているというのに。
「ゆ、夢かこれは……?」
次第に、隊員たちの間で動揺が広がっていく。どうやら皆、ようやく事態の異様さに気付き始めたようだ。
「は、はは、昨日飲んだ酒がまだ抜けてないのかな?」「馬鹿言え!これは現実だ!」「なんで何も燃えてないんだよ!」「表面だけ防火仕様とか、そんな感じだろ! 早く消化するぞ!」「クソ、全然火の手が弱まらねえ!」「怪我人は!?」「それが、一人もいないんですよ!」
その現象は、他の現場でも連鎖的に起こっていた。
建物や街路樹、生け垣や自動車が炎に包まれている。薄暗い夜空に煙が昇っていく。
だが、何も燃えていない。怪我人も、物的損害も何もない。
まるで炎そのものが、鮮明さとリアルさを持つ集団幻覚かのように。
現場が混乱し、『都内で集団放火』という名目でマスコミにも情報が流れ始めた頃。
偶然早起きした誰かがいた。
彼はベッドから這い出すと、寝ぼけ眼を擦りながらカーテンを開き――至る所から火の手が上がる首都の姿を目の当たりにする。
夜明け前、薄暗い街が鮮烈な赤色に包まれている。
そんな光景を前に、彼は呆然とした。
そして何度目をこすっても変わらない光景に目を見開き、やがて恐怖が滲ませた声でポツリと呟いた。
これは神の御業に違いない。
何か酷い夢を見たような気がして、俺は目を覚ました。
最初に見えたのは、まっさらな白い天井だった。見覚えのない景色。
微睡んだ意識の中で、じっとりと滲むような頭痛が頭に張り付いているのが分かった。
どうやらベッドに寝かされているらしい。ゆっくりと上体を起こすと、そこがカーテンで仕切られた病室であることが分かった。
意識は依然としてぼやけたままだったが、視界の隅に見慣れた人影が見えたことで、思考が一気に覚醒する。
パイプ椅子に座ったまま、ベッドの端に突っ伏している白髪混じりの男性。
「とう、さん……?」
呼ぶと、その男――父さんはゆっくりと目を開けた。
「……ぁあ、起きたか。颯太」
父さんは身体を起こすと、俺の顔を見て柔らかく微笑んだ。そのどこか力の抜けたような笑顔は、間違いなく父さんのそれだった。
「一体どうしてここに?」
「実は昨晩、吾一が亡くなったっていう連絡が警察から来たんだ。その第一発見者がお前だってこともな。吾一に関する話を聞きたいから東京まで来てくれって言われたんだ。そしたら、お前が取り調べの最中に倒れて、この警察病院に担ぎ込まれたっていう話を聞いて、ここまで来たんだ」
「そっ、か」
俺は真っ直ぐこちらを見つめてくる父さんから目を逸らした。そして、そのまま膝元に視線を落とす。
何となく、誰とも目を合わせたくなかった。今は何も見たくなかった。
「……警察まで行って、身元を確認してきたよ。あれは間違いなく、吾一だった」
だが、父さんは語りかけてくる。凛とした声で、どこか震えながら。
「発見当時の遺体の写真も見させてもらったよ。アイツがどんな風に死んでいたのか、父さんとしても興味があったからな。……お前、あれを見たんだろ? 怖かったよな」
「……」
「遺体は今、検死に回されているらしい。目立った外傷も争った形跡も無かったから、多分即効性の毒……それもかなり毒性の強い薬品を使った可能性があるって言われたよ」
「……毒?」
「あぁ。詳しいことは検死しないと分からないらしいけどな」
穏やかな微笑を引っ込めて、父さんは真剣な顔になる。
「それにしても、どうして犯人はアイツを殺したんだろうな?」
「……」
「アイツは子どもの頃から優しくて、気弱なヤツでさ。ここ五年くらいは会ってなかったけど、誰かからの恨みを買うようなヤツじゃなかったはずだ」
「……」
「レジと金庫には現金が残されていたらしい。無理矢理開けて中身を確認した痕跡も無かったみたいなんだ。それに、事件の直前に吾一が直接監視カメラの電源を切っていた……犯人の指紋や髪の毛が見つからない限り、犯人の特定は難しいらしい」
「……」
「……悔しいだろうな、アイツ」
ため息混じりに呟いた父さんの声が、病室に虚しく響く。
自分を殺害した犯人が罪から逃れて、のうのうと生き続ける。それは被害者にとって最悪な結末だろう。
邪悪な殺人犯には報いを。
多分マスターもそれを望んでいるはずだ。
……もし法律さえ許せば、俺が犯人を捕まえてやりたい。
どうしてマスターを殺したんだ、そう詰問してやりたい。そして、彼と同じ目に遭わせてやりたい。
そして彼が味わった苦しみを、恐怖を、怒りを、犯人に味わせてやるのだ。
復讐なんて無意味だ。そんな文言が現実創作問わず、この世には溢れ返っている。
実際、その通りなのだろう。
復讐を果たしても、失った人が帰ってくる訳ではない。死んでしまった大切な人はどんなに願っても、祈っても、絶対に生き返ってくれないのだから。
分かっている。そんなこと、最初から分かっているのだ。
だが、復讐に走らずにはいられない。それは自身が持つ悲しみと決別する、唯一の方法だ。
マスター自身が望んでいても、いなくても。
復讐を行う権利とは、生きている人間にのみ与えられた特権なのだから。
「まぁ、今はゆっくり休んだ方がいい。もし辛いなら休学してもいいし、地元に帰ってきてもいい。どうするかは颯太、お前が決めるんだ。お前がどんな決断をしても、父さんも母さんも全力で支えてやる」
「……ありがとう、父さん」
「お前はまだ子どもなんだ。辛い時は、守られてもいいんだ」
どこまでも柔らかい声色だった。
久しく触れていなかった両親の優しさに、涙がこぼれそうになる。
先ほどまで胸の奥で渦巻いていたどす黒い激情がどこかに吹き飛んでいく。
今、復讐などに頭を悩ませてもどうしようもない。
ただ今は、この瞬間は、この優しさに包まれていたい。そう願った。
その時、突然病室に軽快な着信音が鳴り響いた。
音の発生源は父さんの胸ポケットだった。
「……ん、電話だ。ちょっと話してくるよ」
「誰から?」
「警察。多分、まだ話したいことがあるんじゃないかな?」
「何か欲しいものはあるか? 下の売店で何か買って来よう」
「あー……じゃあ、アーモンドミルク。売店にあれば、だけど」
「分かった」
頷いた父さんは俺に背中を向け、病室を出ていった。
「……ふぅ」
ぽすん、とベッドに背中から倒れ込む。
床頭台に置かれていたスマホに手を伸ばす。SNSやらソシャゲの通知が溜まっていたが、急いで確認しないといけないようなものはないようだ。
つらつらと通知を流し見ていると。
「あ、田淵からメッセージが来てる」
LONEで田淵からメッセージが入っているのに気付いた。
『今どこにいる?』
そんな文章が、午前6時過ぎに送られてきている。今から1時間ほど前だ。
俺は早速LONEを開くと、慣れた手付きでキーボードをタップした。
『警察病院』
『病院? どうして?』
『実は色々あって』
『聞かない方がいい?』
一瞬、どう返信するか迷った。それを察したのか、少しの間隔を置いて。
『今からお見舞いに行っていい?』
『こんな時間に?』
『うん』
『大学は?』
『今日日曜だよ』
『あ』
『大丈夫なの?』
『たぶん』
普段と変わらない、軽快なやりとり。
「……ふっ」
こんな状況だからだろうか。
特段変わったやり取りでもないのに、何故だか笑えてくる。
間違いない。田淵は田淵だ。
一昨日の夜、あの喫茶店で感じた違和感はきっと何かの気のせいだったのだろう。
あの時、田淵は病み上がりだった。だから普段からは考えられないようなことを口走ってしまった。
そう推理するのが妥当だ。
『でも、今日行けるのかな?』
「……え?」
ピコン、と送られてきたメッセージに思わず声が漏れた。
『なんか用事でもあるの?』
『そういう訳じゃないけど』
『?』
『今、外大変なことになってるから』
「……????」
コイツ、何を言ってるんだ?
田淵から送られてきた文章の意味が分からず、困惑していると。
『ニュースとか観てないの?』
『うん』
『窓から外見てみて』
そう言われて、俺はベッドから這い出した。一瞬眩暈がして足元がふらついたが、なんとか立ち上がる。
そしてよたよたと赤ん坊のような覚束ない足取りで窓際に立って――。
「……は?」
窓の外に見える景色に、思わず言葉を失った。
街が。東京が燃えている。
見慣れたはずの街並みは至る所から黒煙が立ち込めている。朝焼けの空が灰色に染まる。
窓を開けると、けたたましいサイレンの大合唱が耳を貫く。
まるで地響きのような轟音に思わず度肝を抜かれてしまう。
「なんだ、これ」
真っ白になりかけた頭に冷水を浴びせるように、着信音が鳴る。
呆然としながらスマホの画面に目を落とす。田淵からだ。
『5時過ぎくらいから、23区内の至る所で放火が起こってるんだってさ』
『放火?』
『色んな場所に手当たり次第に火を付けて回ってるみたい』
『すごいな』
『今分かってるだけでも600箇所以上で火が付けられたんだって』
『一体誰が? 何のために?』
一瞬、間があった。
『分からない
今捜査中だって』
『そっか』
俺はスマホを持った手をだらりと下げると、ため息を吐いた。
それにしても――放火か。それも600件以上。
恐らく犯人は集団だろう。しかも大規模で、綿密に練り上げられた作戦の下に行動している。
一体何の目的で? 単なる愉快犯? それとも国家転覆を狙うテロリスト?
……まぁ、今の俺には関係ない。そういう情報を追うのは警察やらマスコミの仕事だ。
俺のような一介の大学生には無縁の話。
「俺が考えても仕方ないよな……」
「――お、元気そうじゃん」
唐突に、病室のドアが開いた。ノックも誰何も、何の前触れもなく。
「もう、探したんだからね?」
どぐん、と心臓が跳ね上がった。
その声の主は、絶対にその場に現れるはずのない人間だったからだ。
恐怖や驚愕よりも先に困惑が滲む。
これは夢なんじゃないか、と憶測が迸る。
だが、寝起きの頭を叩く鈍痛の渦と、耳の奥で鳴り響くサイレンの残響が何よりも強かに現実を叫ぶ。
ゆっくり、ゆっくりと扉の方へ視線を向ける。
そこに立っていたのは。
「こ、コヨミ……?」
「おはよう、颯太っ」
桃色の髪。空色の瞳。恐ろしいほど整った顔立ち。
コヨミ。
数日前、俺の前から姿を消した少女。
「お、お前――」
なんでこの場所が分かった?
そう訊こうと思った。声が出なかった。渇いた口内に舌が貼り付いたまま動かない。まるで発声に用いられる筋肉が、俺の意思を無視しているかのように。
「ごめんね、一昨日は勝手にいなくなっちゃって」
「……」
「あの時はその、なんて言うか、変になっちゃってたんだよね。だから、その、許してほしいな?」
ぺたり、ぺたりと足音が近付いてくる。
その時になって、ようやくコヨミが裸足でいることに気付いた。
だが、今気掛かりなのはそれよりも。
「こ、コヨミ……? どうしてそんな格好を……?」
くりんとした大きな目、きめ細かな玉肌、病室に差し込む朝焼けに照らされる桃の髪。
どこか蠱惑的で魅入られてしまいそうになる美貌は、何度目を疑おうと変わらない、見慣れたコヨミのそれ。
だが、決定的に違うのはその服装だった。
普段のいかにも部屋着といった格好ではない。彼女が身に纏っているのは、神話や物語に出てくる神が着るような、純白の衣装だった。
確か古代ギリシアでよく着用されていたキトーンとかいう装束だ。
大きな織布で細い身体を包んだかのような姿は、現代日本ではまずお目に掛かれない光景だ。
この格好をした人間が見られるのはせめて舞台劇やコスプレ会場といった、ごく限られた場面だけだろう。
そんな奇妙な服装は、病室という無機質な空間とは致命的にミスマッチだ。
だが、何故だろう。
それを身に纏ったコヨミが放つ、独特の雰囲気。
気品? 威厳? 威圧感? オーラ?
的確に表現する語彙が思いつかない。思考が停止している。
コヨミの放つ、どこか奇妙で圧倒的な存在感の前には、全ての猜疑が無駄に感じてしまう。
これでいい。
いや、そもそも不正解などない。
この存在こそが常に『正解』なのだ。
そう言わんばかりの風格。
まるで清純な女神のような姿に、俺は息を飲んだ。