上位存在たちに愛されすぎて地球が崩壊寸前になっちゃう話   作:こんねこ

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不可解な酒精

 

 

 俺のバイト先、『ゴールデンスランバー』は繫華街の裏路地にひっそりと立つバーだ。

 

 看板も広告も出していないため、道を通りがかるだけでは到底見つけることもできない。

 仮にそれを見つけたとしても、そのシックな雰囲気が漂う入口に気圧されて、多くの人は踵を返してしまうだろう。

 

 仮に店の中まで足を踏み入れることができたとしても、今度は歳月を経た立派な内装と、寡黙なマスターが醸し出す威圧感に萎縮してしまう。

 マスターは一度話せば、素朴な人柄の老紳士ということが分かるのだが、その見上げるほどの体格と強面から、初めて来る客にとっては多少なりとも怖がられてしまう。

 そんな有り様なので、この店を訪れるのはよっぽどの物好きか通の客だけだ。

 

 繫盛しているというには程遠いが、俺をアルバイトとして雇えるくらいには稼いでいるのだろう。

 

 俺がここでバイトを始めた理由はごく簡単。

 この店のマスターは俺の父親の友人だからだ。

 

 俺が地元から上京するのに際して、父親がバイト先としてこの『ゴールデンスランバー』を紹介してくれたのだ。

 マスターは最初こそ俺をアルバイトとして雇うかどうか迷っていたらしいが、面接した結果、俺の人となりを高く評価して「浜九里の息子なら」と採用に至ったのである。

 

 俺がやれることといえば精々店の掃除やグラス拭き程度だが、それでも俺との会話を目当てにちょくちょく店に来てくれる常連客もいる。

 少しでも店の売上に貢献できていることが、たまらなく嬉しいのだ。

 

 今晩も7時の開店に合わせて、ぽつぽつと常連客が顔を出してきた。彼らが定期的に来店してくれることで、この店の経営は成り立っているのだ。

 酒を注ぎ、アルコールで蕩けた頭と舌で紡がれる客の話に耳を傾け、時折頷いてみせる。

 今まで一度たりとも行ったことはないが、ガールズバーやホストクラブもこんな感じなのだろうか?

 バイト代が高いなら……まぁ、考えてみるのもいいかもしれない。

 俺、全然イケメンじゃないけど。

 

 

 開店直後から賑わっていた『ゴールデンスランバー』だが、日付を跨ぐとぱたりと客足が途絶える。

 それもそうだろう。明日は木曜日だ。早朝から出勤という人も多いだろうし、そうでなくても深酒は避けたいと思うものだろう。

 この時間になると、常連どころか一見さんの客も来なくなる。

 ただ一人を除いて。

 

「浜九里くん。タバコを買ってきてもよろしいでしょうか?」

 

 客足が止まったを見計らってか、マスターはそんなことを言い出した。

 少しの時間とはいえ、バーテンダーが自分の牙城を空にするという蛮行――その意味を知らないはずがない。ただ単に適当なのか、それとも俺を信頼してくれるのか。

 もし後者だったら嬉しいな。

 そんなことを思いつつ、俺は頷いた。

 

「はい。構いませんよ」

「ありがとう。もしお客様がいらっしゃれば、お冷とミックスナッツを出して、色々とお話ししておいてください。もしワインやウィスキーをご注文であれば普段通りに、カクテルをご注文であれば『マスターが帰るまでお待ちください』と伝えてください」

「分かりました」

 

 マスターはドアを開けて店の外に出ていった。雨が降っているのか、一瞬だけ雨音が聞こえたが、ドアが閉まると何も聞こえなくなった。

 店内に心地良い静寂が流れる。

 まるで世界からこの店という空間だけが切り離されたかのようだ。

 

「あれ、曲が止まってる……」

 

 俺は店の裏手に引っ込むと、レコーダーのCDを変えた。再生ボタンを押すと、壮大なオーケストラの音色が聞こえてきた。クラシック。アルルの女だ。

 

「よし、これでいいかな」

 

 我ながら自分の選曲センスに満足する。やはりバーで流す音楽といえばクラシックかジャズだ。これだけは外せない。

 そうして表に戻ると――。

 

「こんばんは、浜九里くん」

 

 カウンター席のど真ん中。

 先ほどまで誰もいなかった場所に、一人の女が座っていた。

 

「今日もお邪魔しちゃった」

 

 すきま風のようにか細く、繊細な声だった。

 綺麗な女性だった。すらりとした体躯に背中まで伸びたウェーブがかったブロンドの髪。

 整った顔立ちには人の視線を惹き付ける独特な魅力が滲み出ている。

 その話し方や口調はどこか気怠げで、顔にはにへらと気が抜けた笑みが貼り付いていた。

 

「こ、こんばんは。ナニガシさん」

 

 俺は引きつった笑みを浮かべながら、深々と頭を下げた。

 この人、いつの間に店に入ってきた?

 ドアが開く音なんて、全然聞こえてこなかったのに。

 

「今日も遅くまで大変だねぇ。明日も大学あるんじゃないの?」

「はい。まぁ一応ありますけど、午後からなのでシフト入れても大丈夫かなって」

「そっかぁ。ふふふ……」

 

 ナニガシさんについて俺が知ってることはほぼ皆無だ。

 本名も年齢も仕事も出身地も来歴も、俺は何一つも知らない。

 整った容姿なので、キャバクラやガールズバーといった『そういう類の店』で働いているのかと思ったが、彼女の地味な服装がそれを否定させる。

 白いワンピースにジャケット、黒いサンダルという出で立ちはまさに普通そのものだ。

 

 俺が彼女について知っていることといえば。

 

 ナニガシさん、と名乗っていること。

 そして。

 毎日俺がシフトに入っている日の深夜。

 店に俺以外誰もいないタイミングになった瞬間を見計らって、ふらりと訪れてくるということ。

 ただそれだけだ。

 

「お外、今雨が降っていましたよね? 濡れていませんか? タオルをお貸ししましょう」

「いや、大丈夫だよ。全然濡れてないから」

「しかし……」

「いいからいいから」

 

 そう言いながら、ひらひらと手を振ってきたので、俺は言葉をぐっと飲み込んで、マスターの言葉通りお冷とミックスナッツを用意することにした。

 カウンター下の冷蔵庫から取り出したボトルの水をグラスに注ぎ、アイスピックで砕いた氷を入れて、コースターの上に乗せる。

 ミックスナッツも同じようにして小鉢に入れると、ナニガシさんの前に差し出した。

 

「…………」

 

 そんな俺を、ナニガシさんはじっと見つめていた。

 まるで一挙手一投足、俺が取る行動の一つ一つを細部に至るまで網膜に焼き付けるかのように。

 

「あの、なにか?」

「んー、別にー」

「そ、そうですか……」

 

 実のところ、俺は彼女のことが少し苦手だった。

 こちらをじっと吟味するような視線。のらりくらりとした態度、間の抜けた話し方。

 ナニガシさんを構成する要素。その全てが、心のどこかで引っ掛かる。

 まるで本能が彼女と接することを避けているみたいに。

 

「あの、何か飲まれますか?」

「お酒?」

「はい」

「えー、どうしよっかなー」

「ワインやウィスキーなどであれば今すぐお出しできます」

「あれ、じゃあカクテルは?」

「今マスターが不在なのでお出しすることはできません。あと十分くらいで帰ってくると思うので、それまでお待ちしていただくことになりますが……」

「え? やだ」

「……え?」

 

 その言葉に、一瞬思考が止まった。

 

「や、やだって……」

「私ね、今日は浜九里くんが作ってくれるカクテルを飲みに来たんだ。ね。駄目かな?」

「そうは言われても……」

「お金ならきちんと出すよ? だから、ね?」

「え、えぇ……?」

 

 金を出されても、マスターに怒られるのは俺だ。

 マスターはカクテル作りにおいて絶対的な自信と責任感を持っており、俺のような一介のアルバイトには決してシェイカーを持たせてくれない。

 客から金を取る以上、生半可なカクテルを提供することは客に対して無礼な行為だと考えているためらしい。

 物腰柔らかで穏やかそうな人に見えても、『ゴールデンスランバー』の看板に懸ける情熱は並大抵ではないのだ。

 

「すみません。お言葉ですが、お前はカクテルを作るなとマスターに言いつけられているので」

「えー?」

 

 俺の一貫した態度に露骨に機嫌を損ねるナニガシさん。

 出来ることなら俺もカクテルを作ってあげたいが、俺は所詮アルバイト。雇われの身だ。

 雇い主の意向に反して、勝手な行動を取ることは許されない。

 頭では分かっているとはいえ、申し訳ない気分でいっぱいになる。

 

「じゃあ、どうしたら私にカクテルを作ってくれるの?」

「それは……『マスターが俺にカクテルを作ってもいい』っていう許可をくれたら、でしょうか」

「……ふーん」

 

 しばしの間、ナニガシさんは両手の上に顎を乗せ、何かを考え込むように視線を空中に放り出していた。

 やがて何かを思い立ったのか、細く息を吐いて。

 

「じゃあ、今日は我慢しようかな。いつもの、頼める?」

「アイラピーツ12年のミストですね。かしこまりました」

 

 俺はロックグラスに細かく砕いた微細な氷を大量に入れると、アイラピーツ12年を注いだ。

 グラスの表面にぶわっと白い水滴が浮かび上がり、コースターを濡らす。

 普通のロックアイスよりもグラスが冷えるスピードが格段に早く、一瞬でグラスが霧のように真っ白に染め上げられるのだ。

 これがミストと呼ばれる由縁らしい。この前マスターから聞いた話だ。

 

「アイラピーツ12年のミストです」

「ん、ありがと」

 

 ナニガシさんは差し出されたグラスを持つと、一口飲んで、眉をしかめた。

 

「……やっぱりキツイね」

「まぁ、氷の冷たさでアルコール感を弱めているとはいえ、度数は四十度ですからね。氷が解けてくれれば二十度くらいにはなると思いますが」

「んー、お酒を前にただただ待つっていうのはあんまり性に合わないかな」

 

 ミックスナッツを口の中に放り投げ、奥歯で嚙み砕いてみせる。

 

「浜九里くんはさ、待つのって得意?」

「待つの、ですか?」

 

 思わずオウム返しに尋ね返してしまう。

 ナニガシさんはそんな俺の反応を見て、嬉しそうに目を細めながら頷いた。

 

「うん。例えば、大好きなお菓子とかごちそうを前に、今すぐ飛びつきたくなる気持ちを必死に抑えて我慢するとかね」

「我慢、かぁ……そういえば考えたことなかったな……」

 

 俺は少しの間考え込んでいたが、やがて結論を出した。

 

「まぁ、普通ですよ。時と場合による、みたいな」

「へえ?」

「もし出先でお腹が減ったり喉が渇いたりしたら、すぐコンビニに駆け込んでパンとかジュースを買うと思います。けど、テスト中にトイレに行きたくなった時などは我慢しますね。もしテストの最中に席を外れたら、時間配分とか退室の報告とか……色々と面倒なことになりますから」

「ふーん……要するに、我慢した方がいい時は我慢して、我慢しない方がいい時は我慢しない、ってことかな?」

「はい」

 

 俺の返答を聞き届けたナニガシさんは両腕を組んで、「う~ん」と唸りながら可愛らしく首を傾げる。

 

「どうしたものかな……」

「何か悩みごとですか? 私でよければお聞きしますよ」

「いや、そういうことじゃなくてねぇ」

 

 困惑する俺をよそに、ナニガシさんは何かに頭を悩ませていたが、やがて。

 

「決ーめた。やっちゃおっ」

 

 やっちゃお?

 え、何を?

 

 彼女の言葉の意味が分からずに呆然としてしまう。

 そんな俺を見てナニガシさんはニタニタと笑いながらグラスを傾けて、一気に飲み干した。がぶがぶと、まるで水みたいに。

 

「っ、ぷはぁ……あー、やっぱりアルコールは苦手だなぁ」

「はは、俺も酒は弱いですよ。ちょこっと飲むだけで、すぐに顔が真っ赤になっちゃうので」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「え?」

「酒の味が苦手ってことだよ」

 

 その表情からは感情が読み取れない。

 一体何を言っているか、理解できない。

 

「…………はい?」

 

 思わず頭上に浮かぶ疑問符。

 

「いや、でもだって、ナニガシさんって毎回この店に来るたびにミストウィスキーを――」

「あ、それやせ我慢」

「や、せ……?」

「だって、こういうお店ってお酒を頼まないといけないんじゃないの? あれ、違うっけ?」

「いえ、えっと、はい」

「でしょ? だからさ、手頃な値段のお酒を頼んでおかないといけないかなーって思ってさ、初めて来た時に君がオススメしてくれたからずーっと飲んでるんだよね」

 

 その言葉で、思い出す。

 

『お、お客様、こういったお店は初めてですか? あ、そうですか……どういったお酒を飲みたいといったご要望は……あ、ない。それでしたら、えーっと、こちらのアイラピーツというウィスキーはどうでしょうか? ウィスキーの中だと比較的クセが多い方ですが、ハイボールやミストにすると風味も出て飲みやすいんですよ』

 

 確かナニガシさんが初めて『ゴールデンスランバー』を訪れた時、そう言って勧めた記憶がある。

 アイラピーツ12年のミスト。

 とはいっても酒を飲めないので、マスターからオススメされた銘柄を、謳い文句もそのままに横流ししただけだ。

 

 当時はまだバーでの仕事を覚えるのに精一杯で、接客をする心の余裕もなかった。

 現に。今までそんな会話をしたことすら忘れていた。

 

 まさか、それを覚えていたのか――。

 

「ふふっ、驚いた?」

 

 未だ衝撃から立ち直れていない。

 そんな俺をナニガシさんはじっと、それこそ俺の心の奥底に渦巻いている彼女への嫌悪感すら見透かすような目で見つめて。

 

 

「私がお酒の味が分からないのに、それどころか嫌いなのにわざわざこのお店に来てるのはね?

 

 

 

――――君を観察するためだよ」

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました。いやぁ、ひどい雨でしたよ……って、どうしたんですか?」

 

 気が付くと、ナニガシさんはいなくなっていた。

 彼女が座っていたはずのスツールは、丁寧にカウンターの下に収められている。

 

「おや、お客様がいらっしゃったのですか? 精々コンビニに行って帰ってくるまで十分もかかってない(・・・・・・・・・)のに」

 

 マスターの声が、遠くに聞こえる。

 まるで分厚い窓ガラスを一枚隔てた向こう側で喋っているかのように、その声はどこか不明瞭だ。

 だから、マスターが何を言っているかよく分からない。

 

「……どうしましたか、浜九里くん? 顔色が悪いようですが」

 

 心臓がどくどくと高鳴っていてうるさい。

 まるで悪夢から飛び起きた直後のように、全身が汗ばんでいる。

 

 俺は……夢を見ていたのだろうか。

 いや、多分違う。

 現実だ。

 どこまでも不可解で、掴みどころのない現実。

 

 俺は口を半開きにしたまま、ゆっくり、ゆっくりと視線を下に落とす。

 

 空になったグラスの中では氷が解けて水になっていて。

 コースターの下には、しわくちゃになった千円札が二枚挟まっていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「実地調査45日目。今日は朝から高校という教育機関に潜入し、日本の教育制度と若年層間で構成されるコミュニティの性質について学習した」

 

 廃墟となったビルの屋上。

 今や使われていない室外機の残骸の上に腰掛けて、少女が一人滔々と喋っていた。

 口元に小さなボイスレコーダーのマイクを引き寄せ、分厚い雲に覆われた大都会の夜空を見上げている。

 

「日本人の18歳の間では、自分が踊っている様子を録画して、SNSにアップロードしているのが流行しているらしい。私はやっていないが、同じクラスの女生徒のグループがしているのを目撃した。どうやら、あれが現代日本の若者のスタンダードらしい」

 

 少女は淡々とした口調で、小さな機械に肉声を吹き込んでいく。

 それは通話などではない。

 自分自身が後で聞き返すための、記録のようなものだ。

 

「それと、今日も『ゴールデンスランバー』に立ち寄った」

 

 だが、その話題に入った途端、ほんの少しだけ声色が柔らかくなった。

 

「やはりあのバーという営業形態は魅力的だ。酒を飲みながら、店員との会話を楽しむ。我が故郷にはああいった形式の飲食店は存在しない。今度の定期報告会の際、また色々と話してみるのもいいだろう。前回の報告会に引き続いて、きっと好評を博するに違いない……ふふっ、楽しみだ」

 

 そう言うと、彼女はごろりと室外機の上に寝転んだ。

 朽ち果てて錆の浮いた外装は見るからに薄汚れていたが、彼女の服や髪はそんなことで汚れはしない。

 

「……私は、この地球という惑星の文化に心底魅入られてしまった。そして――そこに生きるヒトにも」

 

 真っ暗な曇天では星の瞬きどころか、月の明かりさえ地上には届かない。まるで墨汁を塗りたくったような夜空だ。

 だが、彼女の目は分厚い雲の先――遥か頭上に広がる星空を見ている。

 

 その片隅。

 

 

 一千光年先に見える、懐かしき星の鼓動を。

 

 

「一体何故だろうか。彼は私とは人種どころか生命という概念の根底から異なる存在なのに、彼に魅了されている。どうしても彼と一緒にいたいと願ってしまう。これが……人間の言う『愛』――なのだろうか」

 

 ふと。

 作り物の顔に、紅が差す。

 実地調査に合わせて遺伝子レベルの改変を施して擬態した人類の肉体が、熱を帯びる。

 

「もしそうなら…………とても素敵だ」

 

 姿形や声、表情に至るまで全てがニセモノであろうと。

 

 きっとこの想いは。

 

 

 胸の奥で渦巻いている熱い奔流は、間違いないホンモノだ。

 

「私はこれからも調査を続けていくつもりだ。この惑星に満ちる人類という生命体は、我々が想像している以上に複雑で……興味深い。きっと他地域に潜入している同胞たちも同じことを考えているだろう。今度の報告会が楽しみだ」

 

 

 

「記録終了」

 

 

 

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