【賢者エーヴィヒの英雄譚】
それはかつてこの地に栄えた悪を討ち取った賢者の記録。
賢者は時の王の命を受け、数多くの魔物と戦った。
水鏡の悪魔との戦いもそのうちの1つである。
ある時、賢者は時の王から水鏡の悪魔を捕らえる様にと使命を受けた。
時の王は今まで数々の魔物を討ち取ってきた賢者のことを信頼し、今回も問題など起こらないと高をくくっていた。
だが、この時賢者は初めて自分の弟子を同行させる許可を求めたとされる。
驚く王に対し、賢者は水鏡の悪魔の複製体を作る能力を説明して、自らの複製体が如何に恐ろしいかを説いたという。
そして、賢者の言葉通り水鏡の悪魔が作り出した複製体の賢者との戦いは苛烈を極めた。
賢者とその弟子は、実に1月もの間水鏡の悪魔の住処に籠り戦い続けた。
人の心を持たぬ賢者の複製体の強さはまさに怪物。
自らの住処である洞窟を白き極光で破壊し尽くし、辺り一体を地獄業火のような火の海で埋め尽くす。さらには天からは破滅の雷が雨のように降りかかるは、天まで轟く爆発音が響き渡る有様だった。
その光景を見た者は多くの感想を抱いた。
魔法使いは、あれこそ地上に降りた女神だと賢者を褒めたたえた。
市井の民は、賢者こそがこの国の守り神だと賢者を崇め奉った。
そして、時の王や貴族たちは皆――
―――いつかその力が自分達に向くのではないかと恐れ慄いたという。
「冗談だろ……
爆発音を聞いて、駆け付けた私が見たものは
黒い髪に、黒い瞳。肌は青白く、異国の人間のようにどこかのっぺりとした顔をしている。
表情からは覇気は感じられずに、どこかくたびれた印象を感じる。
どこにでもいるような普通の男だ。
だが、一目で分かる。
あれは今までの複製体とは違う。明らかに本物に近しい何かだ。
だというのに、あれは本物ではないとも分かる奇妙な存在。
それが目の前にいる
「何で俺が…俺を…どうやって…複製して……」
「何を言っているんだ、
そこまで言って、ハタと気づく。
「なぜだ…?」
もう一度、
種族は人間で、女性だ。
私の
だというのに、見えているというのに、その容姿が具体的に認識できない。
「どうして言葉に出来ない?」
人間だ。
女だ。
美人だ。
ただ、そういった記号でしか表せない。
「どうして個人を言い表せないんだ?」
美人や、不細工などの抽象的な表し方は出来る。
だが、髪の色や瞳の色、具体的な顔立ちなどが見えているのに認識できない。
そして、認識できないことに
私はただ、目の前の存在を―――
「
精神魔法? 何のために?
いや、思い出せばおかしなことはあった。
私もだが、他の人達の誰もが、
誰もが、エーヴィヒと認識はしてもその姿を正確に捉えてはいなかった。
まるで、エーヴィヒという存在が
「
まるで―――別世界の異物だとでも言うように。
『Quid agitis?』
頁を後ろにめくってごらんなさい?
愕然とした私の耳に聞き慣れた
男の声だ。だというのに、私の耳はそれを
『Munus tuum imple. Munus tuum erit sanctum Deae creare librum』
「……まだ、その時じゃない。早すぎる」
そうすれば分かるわ。
何を言っているかは分からない。
私には理解できない言語で複製体は話しかけて来る。
だが、
『Deae missio est causa meae vitae. Non perdis operam』
「……そういう訳にはいかない。救える命は救うべきだ」
誰一人として。
平坦な声だというのに、漂う僅かな怒気。
そこから何やら口論しているのは分かるが、内容は分からない。
「何故なら――勇者ヒンメルならそうするからだ
『―――Intelligo. Suggestion habeo tibi』
私の可愛い人形の姿を。
何かを言おうとした
相も変わらず、何を言いたいのかは分からない。
ただ1つ分かることは。
『
本当の意味で見たことがないことに。
交渉は決裂したということだ。
それはまさに地獄絵図だった。
一撃一撃が掠るだけで死んでしまう即死魔法の数々。
それをまさに
炎、雷、閃光、爆発。
見たこともない殺傷力を持つ魔法を、何の遠慮も無しに2人は使う。
私はと言えば、身をかがめて何とか被害を受けないようにするので精一杯だ。
だが、そんなささやかな抵抗も直に意味をなさなくなるだろう。
すでに洞窟は崩れ去った。
今日は晴れだったのかと、今生の見納めになるかもしれない空をぼんやりと眺める。
気持ちのいい天気だ。
これで、雷が降り注いでいなければ、なお良かったんだがな。
それに辺りの森も火の海になっていなければ、ピクニックが出来たかもしれない。
お父さんとお母さんが生きていた時は、みんなでよく一緒に出掛けたなぁ。
「ゼーリエ!! 集中力を切らすな! お前も戦いの最中にいるんだぞ!?」
人を殺すためだけに作ったとしか思えない威力の、白い閃光を放つ魔法をぶつけ合わせながら
「そんなこと言ってもどうしたらいいんだ!? 私なんかが参戦しても秒でやられるぞ!!」
だが、そうは言われても戦うことなど出来ない。
どう考えてもこのレベルにはついていくのは無理だ。
足を引っ張って、師弟共に殺される未来しか見えない。
「考えろ! 諦めるな!! お前はお前に出来ることをやれ!!」
またも鏡のように正確に同じ動きをして、相手の攻撃を相殺しながら
「そんな無茶な……」
私に出来ることなんて何も。
そこまで、考えた時にここ数週間で
ああ、俺は確かにお前よりも強い。だが、俺を殺すだけなら今のお前にも出来る。
不意打ちしたり、毒を盛るなり、寝込みを襲うなりいくらでもある。
お前は自分より強い敵にあったら潔く死ぬのか?
「……そうか、頭を使うんだ」
恐る恐る、複製体の方を見る。
戦いに横やりを入れることなんて出来ない。
それは分かっている。だが、それ以外の事なら私にも出来る。
(今回は修行の一環として、自分の複製体と戦って貰っているが本来なら戦う意味はない。俺にやらせるか、逃げて
敵と全く同じ動きをしている
自分なのだから、同じ動きをしても倒せるわけがない。
つまり、
(私に本体を叩かせるために時間を稼いでいる? いや、それならもっと相手の動きを封じるように動くはずだ。自分と全く同じ相手に同じ行動をとり続ける。それを続けていったらどうなる?)
お互いに決着はつくことなく、体力だけが失われる。
そうか!
(狙っているのは魔力切れだ。同じ行動を繰り返していれば、お互い同時に魔力が切れる。そこを私に狙わせようとしているんだ!)
2対1の今の状況なら、それが可能だ。
そして、段々と魔法の威力が低下していっているのは私の目で見ても分かる。
いくら強くても、時間制限付きだ。
そこを狙う。
(と、その前に……私の複製体がいないか確認しないとな)
だが、不安定要素の確認も忘れてはいけない。
私の複製体が再度出現、もしくは既に隠れているかもしれない。
めちゃくちゃな殺意の籠った魔力が渦巻く中ではあるが、私は魔力探知を行う。
(……今のところは大丈夫だ。再出現には時間がかかるのか? まあ、出来る限り早めに決めた方がいいことには変わりない)
息を潜めて機を窺う。
だんだんと、先生の呼吸が荒いものに変わっていく。
魔力が失われている証拠で、それを私に伝えてくれる合図だ。
もう、大技は使えないと見ていいだろう。
つまり、それは
隙が生まれる瞬間を待つ。
1秒か、一瞬か、刹那か。はたまた、永遠か。
私は待ち続ける。そして――
「ここだ!!」
―――チャンスは遂に訪れた。
体力がつきかけ、足をフラつかせ膝をつく
その隙を狙い、私は全力を込めた炎の魔法を複製体にぶつける。
そして、私は立っている
どうだ、
―――待て、どうして
『
そして、私の魔法に手をかざして、
「私の魔力を吸収した…だと…? あり得ない……」
自分の魔力が奪われたという事実に、思わずあり得ないと言葉が零れる。
だってそうだろう。
他人の魔力を吸収するなんてことは人間には出来ない。
普通は拒絶反応が出るだけだ。
だというのに、目の前の存在はそれをあっさりとやってのけた。
「化け物め……膝をついたのも、私の攻撃を誘うためか……」
思わず乾いた笑いが出てくる。
どうやら、あの日
私の
「すまない
これでは、せっかく魔力を削ってきた意味がない。
振出しに戻るどころか、疲弊したこちらに対して相手は回復した状態だ。
どちらが有利かなんて子供でも分かる。
「いや、ゼーリエ。お前はいい仕事をしたよ」
だというのに、
その言葉に、私だけでなく複製体も怪訝な顔をする。
「お前は俺じゃない」
「お前に一つ講義をつけてやろう。魔法において最も重要なものはイメージだ。イメージ出来ないものは魔法として使えない。それが常識だ。例外なんて存在しない」
突如として始まった講義。
しかも、内容は魔法初心者に教えるような内容だ。
そんなことは誰だって知っている。
「お前の複製体を作る魔法は、相手の記憶を読み取ることで
魔物は人間よりも高度な魔法を使うが、その法則からは逃れられない。
故に、人間が使えない魔物の魔法は脳の構造の違いが原因だと言われている。
「なあ、
ピシリ。
何かに罅が入る音が聞こえる。
「“
対する複製体は圧倒的に有利な立場だというのに動かない。
いや、動けない。
自らの魔法の根幹が揺らいでいるから。
「だというのに、お前は使った。危機に陥ったせいで俺の
完璧な複製体を作る魔法で、複製元とは違うものを付け加えてしまった。
自分で自分のイメージを崩してしまったのだ。
例えるなら、それは持ち主を
「大した努力もせずに、思い付きだけで新しい魔法を作れてしまう
そして、一度イメージを失った魔法は――
「―――
簡単に崩れ去る。
『■■■■■■■ッ!?』
今はもはやその顔には人間も魔物も映っていない。
あるのは罅割れた鏡だけ。鏡としての役割を忘れた無用の長物。
「
もう、助からない。放っておいても苦しんで死ぬだけの存在。
そんな発狂する
『
白色の閃光は一瞬で
そして、
「…! まさか……いや、仮にあの魔法が使えても、もう奴は俺の姿を留めることは出来ないはずだ」
「
「……念のために探すか? だが、出現地はランダムだ。どう探す? ……封印すべきだったか?」
「
「!? ああ、すまない。どうした、どこか怪我でもしたか?」
何やらブツブツと考え事をし始めた
いろいろと聞きたいことはあるが、まずはやらないといけないことがある。
「
「……ああ、そうか。本体を壊せば複製体も消えるか……よし、陛下には別の
何故気が付かなかったのかという顔をしながら、
「はぁ……陛下にはどう伝えようか」
これで完全に安全になったと分かり、安堵して座り込む
そんな
「なぁ、
数千年先にあるような魔法。
異常な知識。エーヴィヒとしか認識できない存在。
全てが謎に包まれた私の
「なんだ? 前に言っただろう」
その正体について聞くと
「俺は
初めて出会った時とは、どこか違って聞こえる名乗りを。
自動的に発動した
『■■■…■■■■…ッ』
だが、その体の崩壊を止めることは出来ない。
崩れ去っていくエーヴィヒという
女神の意思と記憶を内包していても、運命は変えられない。
直に本体も殺されて、綺麗さっぱりに全てが消える。
これはそれまでの僅かな猶予時間。
ただ、それだけ。
「タスケテ」
の、はずだった。
それは偶然か、それとも運命の
「タスケテ」
「タスケテ」
一匹の魔物が死にかけの、人間に近づいていく。
助けるため? そんなわけはない。
如何なる言葉を使おうとも魔物の目的は1つ。
「タスケテ」
人間を食らうためだ。
死にかけの動物はその死肉を漁られる。
本体がエーヴィヒに消される僅かな時間に起きた出来事。
それは、天地が創造された日から行われている単なる自然の摂理。
ただ1つ、他と違うことがあるとすれば。
「助けて」
魔物が口にした
主人公のくせにエーヴィヒの容姿が今まで出てこなかった理由が今回の話です。
人間だろうと、魔族だろうと、ドワーフだろうと、エルフだろうと見る人からすれば
全て
種族や性別は認識できても、顔が認識できない。
そして、そのことに気づかない。
名前を変えたこともないのは、全て
永遠は変化しないから永遠なんです。