雪風に転生しました。これより深海棲艦の指揮に入ります! ……どうして? 作:氷水メルク
耳に入った言の葉が反対の耳へと抜けていく。
わたしの思考を奪い去り、光の中へ解けていく。
十秒にも満たない沈黙は、わたしの中で一分と長く感じられた。
頭の中が風船にでもなったかのように。身体が浮遊感を覚える。
誰の声かは分からなかった。
けれど、女の子の声なのは分かった。
聴覚が機敏になっていく。
ICレコーダーの声に、神経が注がれていく。
わたしの目は、ICレコーダーしか捉えなかった。
『構わなくて……良いのに……』
思い出す。時雨の話を。
今度こそ。明確に。
時雨が、白露が、夕立が、春雨が。地下で聞いたあの言葉。
地獄なんか生温い環境。与えられた小さな極楽。
面会室。不可侵の姉妹たちの時間。
本来誰も入れない。入っちゃいけない。侵害してはいけない。
暖かくて、穏やかで、涅槃にでも踏み入ったかのような。そんな満ちたひと時なのに。
『……うん、またね』
……。
わたしはICレコーダーの再生ボタンを押し続ける。
流れてくるのは、聞き覚えの無い艦娘の悲鳴。
女の子の声と、下卑た男の声と、そして何かを強制される音。
石と石がぶつかる衝撃音が鳴る。その後は決まって、強打の音をマイクが拾う。
いつしか痛々しい音は鳴りやんだ。代わりに人形のような、感情の無い声が紡がれるようになった。
食い気味だった希望の音色は、潰れて潰れて闇しか吐かなくなった。
初めの内は腕が震えた。手が震えた。指が震えた。
同じボタンを二回も押してしまった。
潰しそうになった。落としそうになった。
震えて震えて。
いつしか、震えはピタリと収まった。
わたしの心は動かない。ただ少し、ほんの少しだけ、息を整える数が増えた。
増えたといっても、既に数えるのが億劫になるくらいしてる。
『嫌だ……助けて……』
最後の録音。
わたしはICレコーダーを握り潰した。
艤装から燃料を取り出して火をつける。
黄緑色の髪を炎にくべる。
如月、文月、初雪、荒潮、那珂、北上、秋雲。
わたしは全ての木箱を炎にくべた。
ICレコーダーはひとつ残してこの足で破壊した。
原型が分からないよう粉々に……、粉々に。
迷いは無かった。
わたしの中にあったのは、こんなものをこの場所に残しておきたくない。
ただそれだけ。
激情の嵐。微かな冷たい星がわたしに問う。
こんなことをして何になる。
過去が消えるわけじゃない。いずれ知る未来を先延ばしにするだけ。
証拠隠滅。
鎮守府の提督の手助けをしてどうするのだと。
残しておけば、後々役に立つ。
わたしは艦娘側じゃない。
法律があるのかどうかは分からない。
上がここみたいに腐っているかどうか分からない。
ならば、艦娘が虐待されていた証拠は残しておくべき。
ひとつだけじゃなく二つ。二つだけじゃなく三つ。
このレコーダーや物品は間違いなく、動かぬ証拠となる。
木箱にでも詰めて、持ち運べばいい。
聞かれても誤魔化せばいい。
そんな客観性を押しつぶし、本来残しておくべき証拠を踏み砕いた。
ぐちゃぐちゃな心をぶつけるように。
足を持ち上げれば、石床に深い亀裂が走っていた。
ほんとは、この地下に来た時点で気づいていた。
この廊下に怨念が無い時点で。赤く塗れてない時点で気づいてた。
だからわたしは、時津風と睦月をここから出したのに。
なのにわたしは目を背けた。艦娘はいると信じ込んだ。
この廊下は、外に比べて綺麗すぎる。
怨念が無いということは、ここで誰も死んでいないということ。
誰も死んでいない。
普通は喜ぶ話だけど、ことこの鎮守府に限っては例外。
誰もがどこかで死んでいる鎮守府。
より劣悪な環境に住んでいる艦娘はひとりも死んでいない。
そんなの、子どもだっておかしいと気づく。
最初から閉じ込められた艦娘なんて居なかった。
みんなICレコーダーに録音されていた声に、自分の姉妹艦として声を掛けていただけ。
ご丁寧に艦娘の髪をガラスに近づけて。あなたの姉妹艦は生存してますと希望を持たせた。
そして本物の姉妹艦は、どこかの誰かに売りつけたのが真実。
食費等の人件費が浮く。
ICレコーダーの声も、閉じ込められてくぐもった声しか出せないなんて言われたら、納得してしまうかもしれない。
復讐?
出来るわけがない。
艦娘は人を守る存在。人を傷つける存在ではない。
どんな扱いをされようと、艦娘は人を攻撃できない。
できたらとっくにやっている。
助けを求める。どうやって?
鎮守府の外には出られない。
海に出ても深海棲艦がいる。
海に出れば資材も底をつく。
普通はわたしがいるとは思わない。
提督より上の人に報告?
それをするには上との通信手段を知らないといけない。
視察の時に来てくれれば良いけど、それすらもグルだったら?
例えバレたとしても、艦娘には深海棲艦を連れてくるしか復讐の方法が無い。
それだって、姉妹艦を危険に晒す。
わたしがぱっと思いつくのはそれだけ。
山賊たちはどんな思いで艦娘の言葉を聞いた?
こう聞いたらこの音声を返す。
何気ない姉妹の会話に山賊たちは何を思った?
これで何度目か。
わたしは空気を肺いっぱいに吸い込む。
手にはもう力が入りっぱなし。奥歯を噛み締めすぎて顎が砕けそう。
ここはもうダメですね。
わたしは最後にひとつ、残ったICレコーダーを手に、艦娘の監禁場所を後にする。
山賊たちが眠る場所へと戻ってくる。
「やっと来たか! さっきはよくもやってくれたな!」
「助けて雪風! 痛いのやだ! 叩かれたくない! 叩かれたくない!」
山賊のひとりが起き上がって、時津風と睦月を人質にとっていた。
睦月は瞳を暗くしていた。
最初から諦めたように手足を揺らしている。
時津風はわたしに、雪風に助けを求めて泣いていた。
「ごめん、ごめんなさい雪風! 雪風が心配で! 帰ってこなかったから!」
「うるせぇ黙ってろ!! お前らみたいな道具が人間様に逆らう方がどうかしてんだよ! なに顔上げてんだよ! こいつらがどうなっても良いのか! あぁ?」
「やだやだやだやだ!! 止めて止めて!」
「だから黙ってろ! 肉人形が!」
わたしは、はぁ────っと息を吐く。
瞳が水に濡れる。自分のブラを引っ張り、背中にICレコーダーを入れる。
「さっきは良くもやってくれたな。お前が戻ってくるのを楽しみに待ってたんだ」
こんな時でも山賊の目には情欲しかない。
わたしの身体を、卑しい目で品定めしてくる。
山賊じゃなく、これもうそっち系ゲームのゴブリンですね。
どうやって人間社会に溶け込んでいたのでしょう。
仮にも憲兵でしょうに。
どうやって通過してきたのやら。
わたしはすぅーっと冷めた眼を山賊に突きつける。
「……そーですね。で、外出ません? わたし、火ー付けてきたので」
「てめぇ、誰が動いていいと言った! こいつらが——」
「そーですね。その艦娘たちが、あなたの命を握ってます。もし少しでも危害を加えてください。今わたし、制御できないほど気が立ってます」
「ッッ……」
山賊が口をパクパクとさせる。
何をそんな、化け物にでも遭遇した顔をしているのでしょうか。
なんで後ずさっているのでしょうか。
あなた方にとって、ただの道具が近づいてきているだけですよ。
あぁでも、確かに。人形から髪が生えたら恐ろしいですね。
それと同じでしたら、確かに怖いですね。
「──死にたいなら、死ねばいーじゃないですか。もっとも、人を呪わば穴二つなんて恵まれた選択肢が、あるとは思わないことですね」
あんなの見せられた自分を抑える訓練を、わたしはしていない。
むしろ感情をぶつけないようにするだけ精一杯。
一歩一歩と山賊たちを回収しながら近づいていく。
「……クソが────!! 肉人形如きが俺にそんな目を向けるな──ー!」
山賊が発狂する。わたしに殴りかかる。
わたしは山賊の腕を紙一重で避ける。時津風と睦月には被害が出ないように。山賊の腕を掴んで引っ張る。
艦娘の力で引っ張られたんだ。片足が浮かんで重心は傾く。わたしはその片足を狩る。
「二人は返してもらいます」
山賊が浮く。一緒に倒れそうになる時津風と睦月。
わたしは二人の手を掴み、引っ張って手繰り寄せる。
転んで起き上がれない山賊。わたしは容赦なく、
「二度と艦娘には手を出せないよーにしましょーね」
山賊の股に足を振り下ろした。
痛いよね、これ。分かるよ、わたしにも昔は着いていたから。
でも良いよね。艦娘にすぐ出るようなものは無くなった方がさ。
劣情に駆られたとき、昔は何度も思ったもの。なんで制御出来ないのかってさ。
これからは、制御する必要無くなってよかったね。
山賊が白目をむいた。ぴくぴくと痙攣しているのを見るに死んでない。良かった良かった。
あれ内臓だから、痛みで死ぬ可能性普通にあるから。
ね、っとわたしは引き摺ってきた山賊にも目をやる。
山賊たちは震えあがって目を瞑って、狸寝入りをしてた。
「ありがとー! ゆきかじぇえええ! 怖かった、こわがっだぁぁぁぁ!!」
「こっちもごめんね。怖い思いさせちゃって。ほんとに、近くで待たせておけばよかった。でも、よく頑張ったね。えらい、えらいよ時津風。流石は英雄、良く恐怖に立ち向かった」
わたしは時津風の頭を撫でてあげる。安心できるなら胸も貸そう。
でもそれは後で。
「さっ、ここから出よ! いつまでも居たくないでしょ、こんなとこ!」
「うん! でも、みんなは? 助けに行ったんじゃないの?」
「閉じ込められた艦娘たちは……その……。ごめんね、時津風。わたしがもっと早くに来ていれば」
わたしは嘘をつく。時津風から顔を俯かせて。
わたしはみんな既に沈んでいたと嘘をつく。
居なかったと、沈んでいた。どっちの判断が良いのか、わたしには分からない。
でもわたしは、地に付していたと姉妹艦に嘘をついた。山賊と同じ嘘を。
地下室で話をしてた。何事にも代えがたいであろう思い出を否定したくは無かった。
ちゃんとあの時、あの場所で、時津風は姉妹艦と話をしてたのだと。
向かい側に時津風の姉妹が居たのだと。
わたしは事実を捻じ曲げて伝える。
「そっか。……そっかあ」
時津風は袖で目を覆う。反応の無かった睦月も少しだけ目が瞬いた。
時津風の目が潤んでいって、喉が張り裂けんばかりに泣き出した。
釣られるように睦月も、手のひらで目を覆い、ワンワン泣き出した。
「時――」
わたしは慰めの言葉でも掛けようとして、やっぱり止める。
わたしは生き地獄を経験してないから。
軽い慰めの言霊を与えるのは違うと思ったから。
ほんとは時津風と睦月が泣き止むまで待っていたかった。
けれど、わたしにはまだやるべきことがある。
いつまでもここに居るわけにはいかない。
だから二人の頭を撫でるだけに留める。
「ごめんね、わたしにはまだやるべきことがある」
「ううん、行く。行くよ! 雪風!」
時津風が袖で目を拭う。赤く目を腫らして訴える。
その瞳は少しの闇を孕んでいて。けれど、光があった。
睦月はまだ。でも、いつまでもここに居ては仕方ないので。
わたしは睦月の居た場所に、偶然にもあった縄で山賊どもを縛る。
階段を上り地上へ出た。
持ち上げられない奴は、蹴っ飛ばしてでも運んだ。
「二人とも、艤装を背負って海に出てください。出られないなら海の近くに。安全だから」
「分かった!」
「それと、深海棲艦に会っても絶対に
「だいじょーぶだいじょーぶ! 時津風もこの子も、ほきゅー受けてないもん!」
……やっぱり心配。
わたしも一度悪雨のところに戻ろう。
さっきみたいに山賊に捕まったら助けられないかもしれない。
恐らくはいないと思う。
この混乱に乗じて、逃げている可能性の方が高い。
最悪なのは提督も逃げている場合だけど。
やっぱり、シロコを連れてきた方が良かったかも。
シロコなら上空で見渡せたのに。
正門から出ようとする山賊に爆撃落とせたのに。
提督の確保と時津風、睦月の安全。後は他山賊どもをどう捕獲するか。
五人しかいないってわけじゃないだろうし。
深海棲艦の群れが何とかしてると思いたいな。
空を見上げればタコ焼きが飛んでる。
……軽巡棲鬼の連れてきた群れにヲ級いたっけ?
時折爆撃。聞こえるのは男の叫び声。
……万が一ということもある。
……っ。
「やっぱり、わたしに着いてきて」
「雪風に?」
うんとわたしは首を縦に振る。
提督の確保と時津風の安全。
二つを考えた場合、わたしの近くにいるのが一番安全。
何より海に出ても、わたしの艦隊以外はその、信用しにくい。
軽巡棲鬼が良くても、他がダメな可能性ある。
それに、時津風が入れば提督の居場所もすぐに分かる。
……次からは前もって、ちゃんとした準備をしてからいこう。
通信機とか用意できなかったの、ほんとにキツイ。
縄も運よく地下室にあったけど。次からは持参しよう。
絶対プレイ用の縄だよね、これ。
「しれぇがどこにいるか分かる?」
「しれー? しれーならこっちこっち!」
「やっぱり、
「……時津風に着いてこーーーい!!!」
さて、この環境を作り上げた張本人に会いに行きましょう。