雪風に転生しました。これより深海棲艦の指揮に入ります! ……どうして? 作:氷水メルク
雪風が地下へと行っている一方その頃。
重い暗がりに染まった墨染の空。
雨は降り続けて止む兆しは未だ分からない。
そこへ誰かが一度だけ、ちょんと赤色の筆を突いた。
広がるようにして、朱が墨染を覆っていく。
暗い赤に染め上げられた空は、見る人の心すら蝕む怨念そのもの。
だが、艦娘たちは違う感想を抱いた。
艦娘として生まれて初めて見る空色に瞬きを繰り返した。
黒を覆い尽くす赤は、まるで空が晴れ渡るかのようで。
自分の死に場所を前にして、綻ばせながらひとりの艦娘は空を讃えた。
美しいと。
光の刺さない鎮守府に、一筋の光が差し込んだ。
艦娘たちは見上げた。
聞いた。
鎮守府に近付く数百もの深海棲艦の航走を。
悟った。
ここで私たちは死ぬるのだと。
只野艦隊は総勢二十名程度の艦隊だ。
元々は百名以上の艦隊だった。
しかし只野が提督をするようになってからは、多くの艦娘が沈み、売買された。
最初は味方をしてくれた憲兵も、どんどん消えていく。
今では鎮守府に戦える艦娘は数えて五から六人いれば良い方で。
装備だけじゃなく、精神までやられた艦娘。
出撃すればどうなるか、一般人から見ても分かる事実であった。
しかし艦娘たちは喜んで出撃した。むしろ手を叩いて飛び出した。
敵は数百の、深海棲艦の群れ。それを率いる鬼と姫。
憲兵や提督の慰み者としてでない。
艦娘としてこの世に生を持ち、艦娘として人間を守る。
絶望的な状況でも、深海棲艦に立ち向かった誉れを抱いて沈めるのだ。
誰もが死に花を咲かせてやろうと意気込んだ。
勝鬨を上げて、辛い状況でも己を鼓舞する。
少しでも深海棲艦に目に物を見せる。
人間に尊厳を破壊されようと、それでも人間の味方であったと笑うために。
多くの艦娘が海へと特攻する。
船着き場から艤装を装着し、静かなまま発艦する。
ある者は金具の鳴る主砲を背負い。
ある者は空っぽの魚雷発射管を装着し。
ある者は音のない矢筒を付けて。
気合は十分。気迫は溢れんばかり。
高らかに歌い、大いなる海原へ足を付け、そして沈んでいく。
「オイ止メロ! 出テクンナ! オイ! ソコニイロ! オイッ! クソッ、沈ムナオ前ラー!」
精神に身体が耐えられなかったのだ。
もう、まともに走ることさえできやしない。
なぜか姫が沈まないよう促してくるのだけが気になって。
駆ける姫を最後に瞳を閉じる。
これで良い。満足だと。
艦娘たちは、静かで、暗くて、孤独で、けれど天国に昇るかのような心地で。
冷たい水底へと意識を手放す。
ようやく、この場所から抜け出せると。
「何ヨコレェ! 面白クナイ。面白クナイ! マッタク面白クナイワァ!! 勝手ニ満足ソウニ沈ムナ! モット絶望シテ沈メェ!!」
「オイ鬼! サッキハ祝福スルトカ何トカ言ッテタダロ!」
「絶望シテ沈ンデイク姿ガ良イノヨォ! コンナノ、面白クナイ! ドコゾノ提督クライ不愉快ダワァ!」
「アァ? ウチノテートクニ喧嘩売ロウッテカ!?」
「誰モアナタノトコノ提督トハ言ッテナイワァ! ッチ、私ガガラクタヲ助ケルトカ、アリエナイ!」
吐き捨てるようにして鬼は言い放つ。瞳を深海色へと染め、憎々し気に鎮守府へと走り出す。
姫は飛ばす
残った艦娘だけでも沈ませないために。
海に浮かんだ艦娘に叫ぶ。
「ソコノ艦娘共、止マレエエエェェェ!!」
* * *
状況は劣勢。
深海棲艦の群れは依然健在。陸に上がってくるものまで居る。
もう鎮守府としては終わりだろう。
そんな中、鎮守府の提督である
只野は自分が天才だと信じて疑わなかった。
成績は平凡。容姿も醜いと自覚している。
いじめこそ無いが、友達もいない。
クラスに馴染もうとするのではなく、クラスメイトを馬鹿にする学生だった。
これといった根拠のない才能。
只野は本気でそれが自分にあると信じていた。
いつかその才能が開花して、クラスの馬鹿共を見下ろせるのだと。
そんな只野の人生が変わったのは、自分に提督の才能があると分かった時だった。
この日本では、十八歳を迎えた者は、提督検査を受ける義務があった。
ここで妖精を見せられて、提督としての才能があるかどうか判断される。
只野はこの提督の検査に、見事合格した。
艦娘は提督でなければ建造できない。
普通の人間ではダメ。
絶対に妖精を見れる人間、提督の素質を持つ人間でなければ、例外なく建造できた試しがない。
例え艦娘が艤装を背負い、妖精と話せるようになっても提督にはなれない。
過去幾度と無く希少な提督枠を埋めるため、艦娘提督化実験が行われた。
しかし結果は失敗。
艦娘だとどう頑張っても艦娘を建造することが出来なかった。
唯一建造できた事例も、提督に許可をもらった場合のみ。
その際も、近くに提督がいないと建造できないと結果が出た。
艦娘が勝手に資源を使わないため。艦娘はあくまで兵器。艦は人の手で造られるから。
様々な考察が成されているが、未だに原因を解明出来ていない。
ただ世界では「艦娘では艦娘を造れない」が常識として伝わっている。
ゆえに国から見て、艦娘を建造できる提督は貴重な人材なのである。
無論、艦娘なのに建造をする例外もいるがそれはさておき。
只野にとって鎮守府とは、自分が好き勝手に振舞える王国だった。
自分の手で美少女を作り出し、その美少女には何をしても良い。
急に降って湧いた力を存分に振りかざす。
まさに大人向けのゲームに、そのまま自分が主人公になったかのような心地だった。
上層部には頭をぺこぺこするだけでいい。
内心では誰のおかげで艦娘を建造できているのだと。
貴重な人材に手を出せまいと高を括って。
艦娘を人として扱う、なんて思想に舌を出す。
持ち帰ったストレスは、秒で美少女に発散させる。
その美少女はこの国から出ない。
命令すれば自分から服を脱いでくれる。
無視したら無理やりにでも押さえつける。どうせ抵抗などされやしない。
飽きたら美少女をその筋に売る。
いくらでも金が手に入る。
売った分で資材を買い、それを元手に作った艦娘で遊ぶ。
まさに思うがまま。
従えば憲兵にも施しを与えてやった。
喜んで酒と女を貪りながら、只野を讃える憲兵に優越感を味わった。
最初こそまともな感性をしていた憲兵も、只野の与える肴には逆らえず。
逆らった者はみんな静かになった。
只野には不祥事を隠蔽してくれる仲間がいた。
不祥事が何なのか只野には分からない。
ただとにかく、悪く思われる事柄を改ざんしてくれるらしい。
代わりに艦娘を差し出すだけで良いとのことなのだから、それくらいは安いもの。
まさに極楽。まさに愉悦。
圧政に敷かれた自分の王国。
自分の才能の賜物。結晶。その顕現。
そんな自分の王国が今まさに、食後の昼寝休憩から目覚めると、深海棲艦の群れに滅ぼされようとしていた。
「ビッチ共が。こんな時でも役立たずかよ! 股開くしかできなかったみたいだな!」
自分の責任からは目を背けて。
沈みゆく
才能のある自分の行いは決して間違えではない。
もし自分の行いが失敗したならば。それは能力ゴミな艦娘たちが悪い。
そもそも深海棲艦を倒すのが艦娘の務めだ。
人に尽くすのも艦娘の役目だ。
なのに艦娘たちは、その役目をひとつも全うしていない。
王の寵愛をあれだけ受けておいて、その恩義に報いようともしていない。
只野は青筋を浮かべて、何度地団駄を踏んだことか。
勝手に大破し、勝手に治そうとし、勝手に沈む。
そんな使えない奴は処理道具で十分だ。
使えない奴に資材を出す余裕はうちには無い。
食事なんてもっと無い。
お前らに出す金は一円だって削減したい。
むしろゴミクズに使いどころを与えてやっているだけ、感謝してほしい。
材料は鉄と弾丸とボーキサイトと燃料。
そこから生まれる化け物を女と見ているだけありがたいだろと、只野は思う。
憲兵も使えない。
普段あれだけ施しを与えてやっているのに。みんな我先に逃げるか、空爆の餌食になるか。
中には金と女を持ちだそうとする、不届きな奴まで居た。
恩義を忘れてどれだけ調子に乗るのか。
ブクブクと豚みたいに醜くなって。
普段あれだけ良くしているのだから、真っ先に盾になるべきだ。
そうだ、上層部も悪い。
深海棲艦が鎮守府に攻めてくるなんて聞いてない。教わってない。
深海棲艦を一網打尽にする方法を教えてくれない。
臨機応変な命懸けを求めるなど、無能にも程がある。
使えないゴミ以外にも、深海棲艦と戦える武器くらい隠し持っているだろう。
だが格別なのは深海棲艦だ。
いきなり現れて良い迷惑。
何が楽しいのか分からないが、町を襲撃して回る頭の異常な奴らだ。
あいつらが居なければ、今頃艦娘たちでどんな暮らしができていたか。
上の報告のために、一々面倒な手続きで印鑑を押す羽目になる。
百種類もの書類。中には英語で書かれた物も。
読むのも印鑑を押すのも面倒くさい。いつも只野は頭をぐしゃぐしゃ掻いていた。
一日のためだけに、知りもしない艦娘の名前を一々調べるのだと悪態をついていた。
出る杭は打たれるとはよく言ったものだ。
本当に天才という存在を、世間は叩きまくってくる。
世界が敵に周ってくる。
只野は認めない。
全ての責任は只野にではなく、世界にある。
だから俺は悪くない。
只野は金庫にあった金を全てバッグに詰め込む。
高級な調度品からバッグに押し込んでいく。
大丈夫、逃げてしまえばこっちのもの。
使えない女はこちらから願い下げ。
あの人の元に駆け込めば、女はいくらでも用意できる。
王国は再建できる。
国は提督である自分を必要としているのだから。
でも、お金がもったいない。
せっかくここまで稼いだのに、そのすべてがパーなんて絶対に嫌だ。
お金はいくらあっても困らない。どんなものだって買える。
只野はそうして準備良しと、自分では到底持てそうにない荷造りを終わらせる。
後はこれを引き摺ってでも運ぶだけ。
裏口から出れば深海棲艦はこちらに来ない。
なぜか奴らは艦娘寮の方に向かっている。
そんな中古品が欲しければいくらでもくれてやる。
その隙に逃げてやる。
只野は荷物のヒモを掴んだ。
だが、少しだけ遅かった。
ギイギイギイィ。木の板を踏む音が響き渡る。
誰かがこちらに向かってくる。
深海棲艦? それとも憲兵だろうか?
それにしてはゆったりとした足取りだ。規則性がある。
とてもじゃないが、深海棲艦の物とは思えない。
あれに、理性が宿っているとは思えない。
かといって
あれが木の板を踏めば、立ちどころ割れんばかりに響く。
軽く踏みしめる二本足。
その足音は聞き覚えがあった。
これはそう。秘書艦と初めて会った時に聞いたあの足音。
その足音はやがて提督室の前で立ち止まる。
ゆっくりと開かれると思った提督室の扉は、突如金具ごと蹴り壊された。
朦々と立ちこむ木屑。
回るように現れたその娘は、扉を踏み砕いて只野に敬礼をする。
「陽炎型駆逐艦8番艦、雪風! よろしくお願いします!」
* * *
只野は目を疑った。
雪風を名乗るその痴女は、下着一枚だけで服を着ていなかった。
しかもあろうことかこの雪風を名乗る痴女は、指示を出していないのに、勝手に手を下げたのだ。
只野の中ではありえないことだった。
この鎮守府では只野こそが王。
その王を無視して敬意を下げるなど、この場で即刻立場を分からせてもいいくらいだった。
だが、只野は同時にチャンスだと思った。
幸運艦雪風にはとある噂がある。
それは本当に艦娘を大切に思う人のもとにしか、絶対に現れないという噂だ。
本当かどうかは定かではない。
だが事実、この日本で雪風は片手で数えられる程度にしか確認されていない。
もし自身の目の前にいる艦娘が本当に雪風なのであれば。
いったい、好事家やあの方たちにどれほどの値段で売れるだろうか。
只野には、もう目の前の雪風が金になる木にしか映っていなかった。
「あなたがしれぇですか?」
雪風の能天気な問いに、只野はいかにもと頷く。
「あぁ、この鎮守府の提督、只野葛人だ」
雪風の目が少し横に細くなる。小さく「へぇー」と呟いているが気づかない。
只野は雪風の一挙一動に注意を払っていなかった。自分のことしか頭にない。
「ちょうどいい。扉を壊したバツだ。着いてきやがれ!」
「やです」
掴もうとした只野の手を雪風は受け流す。
事態に気づいた時にはもう遅く。
只野正面には床が迫った。
なぜ、どうして。艦娘は人間に抵抗できないはず。
いくら弄ぼうが、反撃をしてこないからこそ、この楽園を作り上げられた。
只野の中にある絶対的な優越。その基盤。
その基盤にピシッと亀裂が走る。
只野は黒ずんだ床に熱烈なキスを交わす。
「貴様、上官に対してなんて! ゴフッ」
起き上がろうとする只野。
その只野の顔に雪風は足を振り下ろした。
強烈な痛みで歯が折れる。鼻も折れたかもしれない。
もしかして本当に。
そこまで考えたところで自分の身体が持ち上げられる。
八十キロ以上はある自身の体重。
それが小学生ほどの背丈しかない少女に片手で持ち上げられていた。
「よっと」
気の抜ける掛け声。なのに馬力は成人男性の何十倍。
只野は放り投げられて壁に叩きつけられた。
衝撃で肺の空気が外へ出た。痛みで上手く呼吸が出来ない。
艦娘からの明確な攻撃意思。
顔を上げた只野が見たのは、無表情の雪風だった。
いつも見てきた艦娘の無表情。けれど、雪風の無表情はどこか違う。
まるでゴミでも見るかのような目。人間を人間として見ていない冷たい目。
その瞬間、只野にあった艦娘に対する基盤は、完全に崩壊した。
「どうして、俺がこんな目に! 俺が! 俺が何をしたってんだ!」
只野は子どものように泣きじゃくる。
だが雪風から目を逸らせない。
見ているだけで恐ろしくなる。
しかし目を逸らせば、それだけで殺されるそんな予感がある。
「俺は天才だ! お前ら凡百な艦娘を生み出せるのは俺のような選ばれし提督だけだ! お前、今何をしているのか分かっているのか! これは立派な反逆罪だ!」
どんな言葉を投げかけても、雪風は動じてくれない。
攻撃意思を持つその瞳に、只野は今度こそ悲鳴を上げそうになる。
人に危害を加えることを、まるで虫でも払うかのようにやってのける。
艦娘と呼べるものではない。それを人は……。
初めて味わう強烈な痛み。
今まで足を捻る程度の痛みしか味わってこなかった只野には、それも恐ろしく堪らない。
生暖かな空気が肌をなぞる。梅雨よりも湿度の強い風は、まるで見えない怪物が手を伸ばしてくるよう。
今まで沈めてきた罪が肌を伝う。
何十、何百、いやそれ以上の手が只野を飲み込もうとしてくる。
もう金などどうでも良い。
逃げるのだ。ここから少しでも早く。
只野は一目散に走りだす。
走る。走る。走る。
少しでも早く、この化け物から逃げるのだ。
「たっ」
「たっ?」
「助げでぇぇぇぇ!! ごわいよママァァァァ!!」
助けを呼んでも誰も来ない。
当然だ。
助けてくれる仲間を、只野は自分の手で沈めていた。
おまけに只野は艦娘を沈めて得た金でブクブクに太っていた。
「……そのママも沈めたんでしょー」
少女の姿をした化け物が一歩踏み出す。
たったその一歩で只野の正面に、化け物が立っていた。
その速度たるや、正しく瞬間移動でもしたかのように思えた。
「たっ、助け……」
「おいかけっこを楽しむ予定はありません」
只野は悟る。逃げられないと。
どこへ逃げようと目の前の化け物は、待つことさえしてくれないのだと。
化け物は容赦なんかしてくれないのだと。
化け物の拳が只野の腹を正面から穿つ。
避けられない上に、目にも映らない。
只野は何が起こったのかすら分からず、意識を手放した。
最後に化け物の身の毛のよだつ言葉を耳にして。
「これで事前準備は終わりですね」