雪風に転生しました。これより深海棲艦の指揮に入ります! ……どうして?   作:氷水メルク

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白露の悩み

 

「ありがとう悪雨! それじゃあ任せたよ!」

 

「オウ、任セトケ!」

 

 雪風はここまで抱っこして運んできた時雨を悪雨に託す。

 腕の中にいるのにすぐにでも崩れてしまいそうな時雨。

 そんな虚ろな目をした時雨に目配せをしてから、悪雨は問題ないと自分の胸を強く叩いた。

 

「次ハイツクライニ帰ッテクンダ?」

 

「今日の夜か明日の昼かな。白露と夕立も泊まって行って良いから! というか、泊って行って!」

 

 それだけ言い残すと雪風は脱兎のごとく、ビュンと再び家から飛び出していった。

 大方、また何かやらかしたのか、やり残したことでもあるのだろう。

 何となく察しがついた悪雨は、「イッテラー」と気の抜けた返事で雪風を送り出した。

 悪雨は「デッ」と一呼吸おいて、腕にいる時雨に声を掛ける。

 

「久シブリダナ、時雨姉貴!」

 

「……うん」

 

「ナンダナンダ? 見ナイ間ニ随分ト変ワッチマッタナ」

 

 ハハハと悪雨は時雨の肩を叩きながら大笑する。

 言葉をひとつ発することなく、されるがままの時雨。

 ブラブラと揺れる時雨の様子に、決心した様子で白露は悪雨の腕を掴んだ。

 

「悪雨、ちょっとこっち来て!」

 

「ンッ?」

 

 白露に腕を引っ張られて悪雨は部屋の隅に移動する。

 部屋の隅とはいえ、雪月と御潮が入るほどの広い部屋だ。

 小さな声で話せば反対まで聞こえない程度には距離が離れている。

 腕から離れた時雨は近くの壁に背中を合わせると、引っ張られるかのように沈んでいく。

 そんな時雨の頭を夕立はバシバシと叩いていた。

 

「実は──」

 

 と、白露は時雨がこうなった経緯について声を潜めて雪風にした話をしていった。

 話が進むにつれて悪雨は「フーン」と鼻を鳴らす。

 それから頬杖を突き、胡坐のまま頭を掻いた。

 困り果てたとばかりに目を垂れさせて、白露は前かがみで手を合わせる。

 

「時雨を戻すのに協力して!」

 

「断ル」

 

「やっぱり協力……へっ、断る?」

 

 すんなりと悪雨の口からは協力を却下する言葉が飛び出た。

 想像だにしていなかった言葉が飛び出たからだろう、白露は唖然とする。

 

「テートクダロ? ココニ連レテキタノ。艦娘ニアメェモンナァ。ダガ、悪雨サンカラスレバ迷惑ダ」

 

「時雨と仲がいいって雪風から聞いてたのに」

 

「時雨姉貴ハ好キダゼ! ダガ、悪雨サンガ好キナ時雨姉貴ハ……アレジャネェ」

 

 言いながら顔を暗くして俯く時雨を、悪雨は親指で指さした。

 初めて会った時よりも、さらに見ていられない黒い顔。

 

 自分勝手に突き放した雪風を追いかけてきた時の気迫も、演習に見せてくれた優しく厳しい顔も、雪風との日々の中で開いてくれた心も感じない。

 そこにあるのは、セミの抜け殻よりも価値のない魂の入れ物。

 生きていても死んでいても、今の悪雨には心底どうでもよかった。

 

「それでもあたしは元の時雨に戻ってほしいから。お願い悪雨!」

 

 こういうのは自分の柄じゃないけどと、悪雨は頭を掻きむしる。

 

「シャーナイ」

 

「じゃあ」

 

「タダシ、悪雨サンノヤリ方デヤラセテモラウカンナ。ッタク、ヘタレハアイツ一隻デ十分ツゥーノニ」

 

「誰?」

 

「今サッキ出テ行ッタ奴」

 

「雪風? あの子は勇気あるんじゃないかなぁ? 鎮守府で堂々と深海棲艦バンザイなんて言う艦娘普通はいないよ」

 

「ヘタレダヨ。ソシテ毎度毎度進行方向ト明後日ノ方ニ舵ヲ切ル」

 

 何かやらかさないか冷や冷やすると、悪雨は愚痴をこぼす。

 それが提督の良さでもあるのだが、それは決して口にしない。

 提督なのだから甘やかすのは良くない。

 悪雨が甘やかせばこの場所には御潮くらいしか、提督を厳しく叱る者が居なくなる。

 そしてその御潮の言葉は提督に届かず、おまけに御潮の性格上、伝わったとしても何も言わない可能性が高いだろう。

 

 悪雨は膝を伸ばし、向かい側の床で蹲っている時雨を見下ろす。

 

「テートクト違ッテ悪雨サンハ甘クナイゼ、時雨姉貴。ココハ深海棲艦ノ居場所ダ」

 

「……」

 

「返事クライシロヨ、ガラクタ姉貴。深海ニ沈メンゾ」

 

「悪雨!」

 

 悪雨の言葉を聞くが早いか、夕立は悪雨に喰い掛かる。

 オオカミのような紅い瞳で悪雨に唸る。

 

「時雨はガラクタじゃないっぽい」

 

「ソーカ? 悪雨サンニハ動カナイガラクタニシカ見エネーガナ」

 

「本気で言ってるっぽい?」

 

「本気ダゼ? 妹ガ沈ンダクライデ塞ギ込ミヤガッテ。ナァガラクタ、ナンデマダ生キテンダヨ」

 

 悪雨の言葉に夕立は悪雨の胸倉に掴み掛かる。

 悪雨はどうにか夕立の手を放そうとするが、想像よりも固く外せない。

 

「放セヨ」

 

「見損なったっぽい」

 

「コッチノ言葉ダ。大体、ウチノクソテートクモソウダガ、周リガ甘ヤカシタカラコウナッテンダロ。今ノ時雨姉貴ニ必要ナノハ優シサジャネェ。トットト死ンダ事実ヲ受ケ止メルコトダ。ソレガ出来ナキャ、悪雨サンタチノエサダナ」

 

 パンと乾いた音が鳴り響く。

 悪雨の言葉が終わるが早いか、夕立は手を振り下ろした。

 強く放ったはずのビンタは、悪雨の手の甲で受け止められる。

 道理の通っていない叱咤を受ける気など、悪雨にはさらさらなかった。

 

「お前はやっぱり……。春雨なら」

 

「ナラソノ春雨トヤラニ頼レバイイダロ。居レバノ話ダガナ! ッタク、慰メ悪クナイヨト駄犬ミテェニペロペロペロペロ。甘噛ミスルニモ口ヲ大キク開ケタラドウダ?」

 

 悪雨の言葉に夕立は目をぎょっとさせる。

 ふら付くように膝が揺れたのを悪雨は見逃さない。

 同様に見逃さなかった白露は、後ろから悪雨に腹に腕を回す。

 

「ありがと悪雨。それと、ごめん」

 

 白露は眉を垂れ下げて時雨と夕立を見る。

 その表情に悪雨に対しての怒りは微塵も無かった。

 まるで自分の今まで逃げてきた罪と向き合うかのような、そんな物悲しい表情で二人を見つめていた。

 

 悪雨の言葉は正しい。

 夕立は鎮守府にいたころ、山風が囚われたショックと妹たちを失ったことによってやさぐれてしまった。

 すべてを憎むかのような、それこそ深海棲艦よりも深海棲艦らしい雰囲気。

 放っておけば人間に牙を剥けそうなほど。

 だが艦娘では人間を攻撃することが出来ず、行き場のない怒りと憎しみは着々と夕立を蝕んだ。

 深海棲艦に攻撃できればまだ良かった。

 艦娘の誇りと意地を抱いて、深海棲艦を沈めて海を平和に出来れば、どれほど姉妹たちの無念を晴らせたことだろう。

 だが実情は、碌な装備を持たされていない状態で深海棲艦と戦闘だった。

 姉妹を失い、人間に虐げられ、深海棲艦にも勝てず、海を取り戻せず無能扱い。

 自尊心なんかとっくに砕かれて、地面に流れた水が再び盆に戻ることは無い。

 

 そんな夕立が前のような明るさを取り戻した。悪雨と出会ったことで。

 沈んだと思っていた春雨とよく似た姿。

 前の記憶こそ持ち合わせていないが、夕立からしてみれば深海棲艦に堕ちてでも戻ってきてくれた、まさに奇跡の体現だっただろう。

 

 だがその奇跡は歪なものだ。

 白露は初めてが悪雨で良かったと思えた。

 これがもし、本来の駆逐棲姫だったらと思うとぞっとする。

 そうなれば夕立はきっと、笑顔で春雨との遭遇に涙して、そして……。

 

 だから白露は、悪雨と春雨は違うと答えた。

 実際違うのだから違うのだが、夕立は違うと受け取らなかった。

 白露は夕立の悪雨に向ける目を見て察した。

 夕立は悪雨と接しているように見えて、本当は悪雨を通して遠くにいる春雨を見ているのだと。

 

 悪雨も気づいているのだろうとは思っていた。

 気づいたうえであえて何も言わずに居てくれたのだろう。

 今この場で時雨が来るまで黙っていてくれたのだろう。

 自分を見てくれない相手に、悪雨はどう感じていたのだろうか。

 それを想えば、悪雨に感謝こそあれ恨みや怒りの感情なんて無い。

 

 悪雨は口調や態度こそ乱暴だが、根は物凄く優しい。

 雪風もそれが分かっていて、かつ自分が悪いと考えているからこそ、悪雨に強く言えないのだろう。

 夕立を落ち着かせる白露に、悪雨は背中を見せて尋ねる。

 

「ナァ白露ノ姉貴。姉貴タチノ居タ鎮守府ハ地獄ダッタカ? 姉貴タチガ精神ヲ壊サレルホド地獄ダッタカ?」

 

「そうだね。前の前の提督から居たからさ、あたしたちは。あの提督は本当に人間なのかって思ったよ」

 

「ソウカ、ナラ勧誘ハ無理ソウダナ」

 

「艦娘の誇りを舐めるなよ~、深海棲艦。それに雪風が許さないでしょ」

 

「ダカラヘタレナンダヨ」

 

「なるほどねー」

 

 白露たちの鎮守府に攻め込んで提督を含んだ人間を何とかしたのに。

 その後の艦娘のケアは、艦娘を助けたいと言っているくせに深くまで土足で踏み込んでこない。

 自分は鎮守府にいた艦娘じゃないからと、自分が説教したり、説得したりするのは違うんじゃないかなと一歩引いている。

 鎮守府に新しい提督が着任する件も、深海棲艦の提督だからと、演技はできそうにないからと、白露に頼ってきた。

 艦娘が虐げられないように、艦娘が過ごしやすい環境を作るために。

 資材やら妖精さんの介護やら掃除やら。

 そこまでやってきていたのに、いざ肝心の提督が来るとなったらこれだ。

 自分には出来ない難しいと人に丸投げ。

 確かにへたれかもと、白露は悪雨の言葉に共感する。

 

 *  *  *

 

 どうすればよかったのだろう。

 外で入る露天風呂は海に近いこともあって肌寒い。

 温かな湯船に身体を埋め、白露は天上に広がる星空を眺めていた。

 ここに来たおかげで時雨だけじゃなく、夕立までもが塞ぎこんでしまった。

 

 あの時どうすれば良かったのだろうと、白露は頭の中で反芻する。

 ダメだと分かっていても、白露は夕立が元気になってくれたのが嬉しかった。

 これで良いのだと、いけないと分かっていても、悪雨を春雨と誤認させたままにさせたかった。

 

 そういう意味ではもう少し心が回復してから事実を突きつけてくれれば良かったのにと、白露は「もーう!」とバスタブから腕と足を突きあげる。

 

「悪雨は確かに正しい! 正しいけど!」

 

 白露目線ではもう少し時間を置いてほしいという考え方だが、悪雨目線で見れば早くに突きつけた方が良いのも確か。

 夕立が悪雨に依存する。取り返しの付かない状況になる前に。

 

 時雨の件もそう。

 むしろ時雨を思うのなら悪雨のように鞭を入れた方がよかった。

 閉じこもっている暇は無いと、前を向かないとダメなんだと、それこそ手を上げてでも咤激励をした方がよかった。

 でも白露にはそれが出来なかった。

 同情をしてしまったから。

 

 風で手足が冷えるのを感じて、湯船に戻した白露は「はぁ」とひとつため息を吐いた。

 

 姉妹を守るためにはどうすればよかったのだろうか。

 今まで何度も心が折れそうになったのは、時雨たちだけじゃない。

 白露も同じように心が壊れそうだった。

 あんな環境にいて壊れないわけがない。

 壊れてしまえば、希望なんか捨て去ってしまえば、いったいどれほど楽に現実を受け入れられたことだろう。

 けれど白露はそうしなかった。

 白露の心には時雨や夕立、春雨や山風、姉妹たちが居たから。

 ここで一番艦の姉である自分が壊れてしまえば、艦娘としての自尊心も、白露型として誇りも見失うと思った。

 

 だから何でもないように気丈に振舞って。

 希望はあると姉妹たちを鼓舞して。

 自分は誰にも見えない場所でひとり夜空を眺めていた。

 そして再び姉妹たちと顔を合わせる時は、感情を奥に秘めた。

 

 でも無意味だった。

 あの戦いから自分たちが得たものは平穏と変わり果てた鎮守府だけ。

 姉妹たちの心が戻ることは無く、今も殻に閉じこもっている。

 白露をひとり取り残し、罪悪感と決闘をしている。

 

「あたしだって、もう嫌だよ」

 

 周囲には誰もいないからこそ呟いた泣き言。

 誰に聞かせるわけでもない言霊は、夜の風に吹かれて霧散する。

 零れ落ちた静かな月光の雫は、白露の頬を一筋煌めかせる。

 

 雪風に語った深海棲艦が羨ましいという言葉は、紛れもない本音だ。

 今日ここに来た時だって、シロコの作った暖かいご飯を食べ、イゴーの遊びに付き合い、マガツチとの演習に参加する。

 この場所での日々は、白露たちの大切なものばかりが詰め込まれていて。

 ここで過ごしているだけでも、白露の心は今にも泣き出してしまいそうだった。

 懐かしさに押しつぶされそうだった。

 ふと現実に帰ると、まるで旅行から戻ってきて明日の仕事を思いだす時のような。

 言葉ひとつ言い表せない強烈な喪失感が襲ってくる。

 

「帰りたくないなー」

 

 帰ってしまえばこれからくる提督がどんな人物なのか、内心びくびくと震える日々が始まる。

 明日を迎える、ただそれだけが怖くて仕方ない。

 みんなそう。

 白露だけじゃなく、あの鎮守府にいるみんなそう。

 心の奥底に人間に植え付けられた恐怖の種は、茨のように成長して身体を雁字搦めにしている。

 

 それでも雪風や深海棲艦が居てくれる安心感からか、今日という一日を乗り越えることが出来ている。

 本当にばかげた話だ。

 艦娘たちの心の拠り所が深海棲艦だなんて。

 正しく雪風の語る深海棲艦バンザイだ。

 あの鎮守府にいる艦娘は、人間に対しての恐怖を、深海棲艦に守ってもらう形で和らいでいる。

 よりにもよって艦娘たちがだ。

 

 少なくとも白露は自覚している。

 他のみんながどうなのかは分からないが、雪風になんの危害も行っていないのを見るに、もしかすればみんな同じように自覚しているのかもしれない。

 深海棲艦の提督であれど、雪風は艦娘だから。

 これは決して深海棲艦に屈しているわけではなく、あくまで同じ艦娘に助けてもらっているだけ。

 なんて弁明を考えているのかもしれない。

 

 艦娘の誇りもあったものじゃないと、白露は自嘲する。

 水音をたて、バスタブの縁に顔を乗せて、腕を枕に伏せる。

 

 どうせみんなの前では見せない顔だ。

 ならばひとりでいるくらい吐いてしまっても良いだろう。

 まるで大人が嗜むアルコールのように、自分も言葉を紡がないとやってられない。

 そうして毒を吐き終えたら、またみんなにいつもの姿を見せよう。

 元気でいれば、より良い未来に進むために行動をすれば。

 そうすればきっと、昔のように時雨が、夕立が、戻ってきてくれるかもしれない。

 山風を助ける手がかりを見つけて。

 そしていつかは、姉妹たちとまた。

 例えそこに春雨は居なくとも、情けない姿なんか見せられない。

 白露は瞼を一文字に締め、もう一度星空を見上げる。

 

 静かなる月の光、河のように流れる星々、河は流れ、木々からは鈴のような虫の音。

 自然に帰るとはこのことを言うのだろうか。

 いや、艦が自然に帰るときは海に沈むときのような気もするが。

 今だけは心の疲れを吐き出したい。

 

 白露はもう一度大きなため息をひとつする。

 大丈夫、あたしはもう大丈夫。

 言い聞かせるように良しと白露は両頬を叩いて立ち上がる。

 もう大丈夫。

 くよくよタイムはもういい。

 走り続けることが艦娘の使命なのだから。

 立ち止まっている暇は無い。

 自分がしっかりしないと、白露型は終わりなのだから。

 自分だけでも一番に明るく振舞わないと。

 

 PT小鬼群から渡された、悪雨と似た色合いの白露型の制服に袖を通す。

 袖の無い脇を出した制服に。

 雪風が何度もぼやいていたように、深海棲艦に屈したみたいと、白露は自分の姿に少笑する。

 雪風の場合、屈したどころではないのだが。

 

「お風呂上がったよー」

 

 雪風たちのいる家に戻った白露は、扉を開けて言い放つ。

 床で正座をしながら、シロコから何やら説教を受けていたマガツチが、待っていましたとばかりに立ち上がる。

 そうして歩き出そうとするマガツチの手首を、シロコは強烈な覇気を孕んだ笑顔で食い止める。

 レ級よりも立場が下の空母棲姫の姿に、白露はクスリと笑う。

 

「白露チャン、ゴーロチャン寝チャッタカラベッドニ運ブノオ願イシテイイ?」

 

「良いよ」

 

 シロコに頼まれて床で蹲るイゴーを抱き上げる。

 この家にベッドはいまだ雪風の物しかないが、いない時くらい使っても良いだろう。

 そもそも自分より小さなイゴーを床で寝かせることに抵抗があると、鎮守府で話をしていたこともある雪風のことだ。

 この場に居たとしても、快く譲ってくれることだろう。

 むしろ新しくベッドを作らない雪風の落ち度ともいえる。

 雪風の落ち度、陽炎型の落ち度、受け継がれる落ち度。白露はにやけた。

 

「アタイノ勝チ……。見タカ、白露ネーチャン」

 

 二階に向かう途中、イゴーは寝言を溢して白露の胸にしがみ付く。

 

「夢の中とはいえ、一番のあたしに勝つとは生意気な」

 

 白露はイゴーの寝顔に小さく声を掛け、雪風のベッドに寝かせる。

 離れようとしたところで、イゴーに裾を握られているのに気づく。

 白露は顔を綻ばせて、イゴーの手を外す。

 代わりにイゴーの額を優しく撫でてから、一階へと降りて行った。

 そこにはシロコひとりだけが起きて白露を待っていた。

 どうやらマガツチはお風呂に入りに行ったらしい。

 シロコは白露を目に入れると、おおよそレ級とは思えないほど穏やかな笑顔を向けてくる。

 

「ゴーロチャンノコト、アリガトウネ」

 

「良いって、これくらいは」

 

 白露からしてみても、イゴーと遊ぶと心が軽くなる。

 純粋に懐いてくる子どもは可愛く見えるものだ。

 むしろ嬉しいと、白露はシロコの正面に座り込もうとして床に躓く。

 

「あれ?」

 

 思っていた以上に疲れていたのだろうか。

 足がもつれて崩れそうになる身体を、シロコが抱きとめる。

 

「ありがと、もう大丈夫」

 

 そう言って白露は床に足の裏を付けようとして、

 

「オ疲レ様、白露チャン」

 

 白露の頭がシロコの膝に置かれる。

 これはいったいどういう状況だろうか。

 まるで自分の子どもを慈しむかのような手つきで、シロコは白露の頭を撫でてくる。

 

「シロコ? あたしはもう大丈夫だから」

 

「モウ少シコノママ。ネッ?」

 

「えっと、じゃあうん?」

 

 よく分からないが白露はシロコの好きにさせることにする。

 断る理由も特にない。

 何よりこの家に枕は雪風のベッドにある奴ひとつしかない。

 毛布がない、枕が無い、床は木の板で固い。

 寝るに寝にくい状況である以上、何かひとつでも改善できるものが欲しかった。

 

 白露が顔を上げると、真正面からシロコと目が合う。

 暗くて、白くて、絶対に違うけれど、見覚えのある顔。

 なんだろうと思う前に顔が赤くなるのを感じて、白露は寝返りを打つ。

 そんな白露の額をシロコはあやす様に優しく叩き、眠気を誘う。

 

「こんな場面、姉妹たちや雪風、イゴーに見られたら恥ずいなー」

 

「ソウカシラ? 少ナクトモゴーロチャント司令官ハ笑ワナイト思ウワ」

 

「そうかな?」

 

「ソウヨ、モシ笑ッタラ司令官ニオ説教スルカラ大丈夫ヨ」

 

「この家、雪風の扱い悪いなー」

 

「司令官ニハチャントシテモラワナイト」

 

 乾いた笑いを浮かべる白露に対して、シロコは優しい口調で言う。

 ちゃんとしているかどうかで言えば、確かにちゃんとはしていないような気もする。

 けど、ちゃんと提督をしている時はしているので、言われるほどのことでもないようなとも白露は思う。

 もう少し考えてやっぱりちゃんとはしていないかと、自分の中で納得する。

 

「司令官、今ドウシテイルカシラ?」

 

「多分、時津風か睦月ちゃんと遊んでいるかも。時津風とは姉妹艦だし、睦月ちゃんとは鎮守府に居る時によく遊んでいる姿を見かけるから」

 

「コンナ状態ノ白露チャンタチヲ放ッテオイテ。司令官ッタラ」

 

「先に約束をしていたのはあっちだから」

 

「ソウナノ? デモ友達ガ落チ込ンデイルノニ遊ビニ行クノハイケナイコトヨ」

 

 シロコは困った顔でそう言う。

 恐らく約束を破ったら時津風が怒るからだろうと白露は推察する。

 時津風は大雑把というか、その辺りはさっぱりとしている。

 一日二日忘れた程度、ましてや事情が事情なので、理不尽に怒るようなことはしないだろう。

 もっとも、雪風は時津風を悲しませた後ろめたさもあって、約束を破れないのだろうとも思う。

 時津風が、睦月が、寂しい思いをしないならそれで良いと思う。

 

「ソノ時津風チャント睦月チャンモイズレ遊ビニクルノカシラ」

 

「睦月ちゃんはどうかな? 時津風は……雪風的には、あんまり艦娘を来させたくないみたいだけど」

 

「司令官ッテ、ヤッテイルコトト言ッテイルコトガ違ウノヨネ」

 

「部下は苦労しそうだよね」

 

「大丈夫ヨ、ナニカアッタラ悪雨チャンガ魚雷デ叩クモノ」

 

「あはは、やるやる」

 

 何かやらかして悪雨に叱られる雪風。

 あまりにも想像しやすい光景に白露は笑う。

 魚雷を受けても小破すらしないため、悪雨も容赦ない。

 悪雨の魚雷どころかマガツチの空爆ですら、直撃しても小破すらしない。

 雪風の艤装はいったいどれほど頑丈なのか。

 使用している当人がはぐらかすため、詳しくは究明されていない。

 

 横になっているからか、それともシロコの手が心地よいからか。

 白露はひとつ大きなあくびを溢す。

 何もしていなくとも瞼が垂れ下がってくる。

 シロコの膝の上はなぜだか安心感が強くて。

 

「ごめんシロコ……、もう眠くて……」

 

「良イノヨ、寝チャッテモ。白露チャンハ頑張ッテイルンダカラ」

 

「頑張っている? あたしが?」

 

「エェ」

 

 聞き返そうにも眠気が酷くて白露はもう一度大きくあくびをする。

 

「白露チャンハ誰ヨリモ頑張ッテイルワ。司令官モ悪雨チャンモ、雪月タチモ。私モ分カッテイル。誰カノ相談ニ乗ッテ、頼ラレテ。自分モ辛イノニ。感情ヲ押シトドメテ。デモ、白露チャンモ誰カヲ頼ッテモ良イノ。私デモ良イシ、悪雨チャンデモ良イ。司令官ナンテ、スグニデモ動イテクレルワ」

 

「本当に……雷みたい……」

 

 鎮守府がちゃんと鎮守府として機能していた時。

 提督は今のシロコのような言葉を雷から掛けられていた。

 大人が小さな女の子に甘える姿に昔は何と思ったか。

 今はもうレコードのように、記録くらいしか思い返せないけど。

 でももし、このシロコから与えられる安心感や母の温もりを雷から感じ取っていたのなら。

 それはもう……。

 

「あたしは、白露型の姉として、あたしだけでも、明るく、振舞わないと。みんなの拠り所じゃないと」

 

 天界のゆりかごに揺られるかのような、頭のてっぺんから湧き上がる快楽物質。

 まるで正月のハレ時に眠った時に湧き出るあれ。

 抗いがたく、抗えば気分が悪くなる。

 

 シロコは自分より小さな女の子で、自分より早くに生まれて。

 いつもはお願いをされる立場だけど。

 今この時だけはと、白露はすぅーすぅーと寝息を立て始める。

 閉じた瞼の隙間から一筋の線をひいて。

 

「オ休ミナサイ、白露チャン」

 

 そんな白露の髪を手櫛でほぐしながら、シロコは聖母のような笑みを浮かべた。

 

「……白露。夕立は……こんなことしている場合じゃないっぽい」

 

 階段の一段下、壁に手をついた髪の長いシルエットはひとり言葉を呟き、また階段を登っていった。

 

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