雪風に転生しました。これより深海棲艦の指揮に入ります! ……どうして?   作:氷水メルク

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ブラック鎮守府

 毒々しい暗雲。

 まるで工場から吹きあがる汚染ガスが、そのまま雲になったかのよう。

 指令室はもっと酷い。いるだけでもむせかえる刺激臭が立ち込める。

 趣味の悪い調度品が怪しく光る。部屋の雰囲気を徐々に仄暗くしていく。

 

「おい、もういっぺん言ってみろ」

 

 丸々と豚のように肥えた男が怒気を強めて時雨を殴る。

 

「僕ら第二艦隊は深海棲艦との交戦に敗北。被害は駆逐二隻、戦艦一隻、共に大破」

 

 時雨は殴られた頬を抑えながら、消え入る声で再び報告を口にする。

 もしも旗艦が撤退を決意していなければ、三名の艦娘を失っていたと。

 あそこで進軍をするのは得策ではないと強く主張する。

 しかし豚男、もとい鎮守府の提督は時雨を蹴り上げた。

 

「成果は?」

 

 提督は道端の痰でも見るかのよう目を時雨に向ける。

 

 

「……リ級二隻、ル級一隻——カハッ!」

 

 時雨は最後まで言い切ることができなかった。

 提督は横に伸びた身体を震わせる。

 何度も何度も時雨を蹴り飛ばす。

 

「成果は!」

 

「……それだけ」

 

 提督は時雨に唾を吐いた。

 磨くように靴を押し付けて。

 今回の出撃は、明らかに実力の伴っていない場所への出撃だった。

 演習などしたことのない艦娘を放り投げているため練度も足りていない。

 唯一練度の足りていた戦艦ですら、すぐに大破するという事態となっていた。

 おまけに出撃は現状動ける艦娘だけで出撃している。

 駆逐三隻と戦艦一隻の四人編成。

 手に入れた資材は提督が建造に費やすので、入渠すらさせてもらえないという有様だ。

 こめかみに青筋を浮かべていた提督は、突如妙案を思い付いたとばかりにご機嫌になる。

 

「今回の失態の分、お前の姉妹の妹に取ってもらおうか」

 

「止めて。山風には手を出さないで」

 

 起き上がり懇願する時雨。

 提督は気を良くした様子で時雨の髪を掴んで乱暴に揺さぶる。

 

「つってもなぁ、成果を出せないんじゃ俺の信頼ガタ落ち出しなぁ?」

 

「僕が……」

 

「おっ?」

 

「僕が……代わりになるから。……お願いだよ、提督……。山風には……」

 

「あっ、それが俺に頼む態度か!? あぁ!? 地面に頭を擦りつけるくらいしろよ! この豚が!」

 

 提督は時雨の顔を床に叩きつけた。

 そのまま土下座を強制するために、足で頭を抑え付けて。

 逆らえば自分の妹に魔の手が及ぶ。

 そうなればもう、山風には一生会えなくなる。

 

「お願いします。提督。僕がやりますから。だから……山風には……」

 

「誠意がたんねぇーな? 無能でも服を脱ぐくらいはできんだろ」

 

 時雨には提督に従うほかなかった。

 最初こそ震えていた手も、今ではもう微動だにしない。

 少女の羞恥心はどこへやら。

 時雨は自分の服に手を掛けて、ひとつずつボタンを外していく。

 提督が出来る限り欲情できるよう、多少の緩急をつけて脱いでいく。

 

「お願いします提督。僕を——」

 

 これが時雨の、この鎮守府に暮らす艦娘たちの日常だ。

 姉妹を人質に取られている以上、艦娘は提督に反抗することができない。

 艦娘の艤装は、そもそも人間を攻撃できるように造られていない。

 一度人間を攻撃すれば、それだけで艤装は使えなくなる。

 時雨が完全に服を脱ぎ去ると、提督に命じられたことを実行する。

 鎮守府にはいつも止まない雨が降り続いていた。

 

 *  *  *

 

 轟く雷に照らされて、廊下の壁に背もたれる艦娘だった者が現れる。

 大破状態のまま入渠すらさせてもらえない。

 ボロボロになった服の隙間から見える肌は、少女とは思えぬほど黒ずんでいた。

 沈み切ったその瞳は横切る時雨を映さず、どこか遠い場所を延々と見つめている。

 時雨もその艦娘に目線ひとつやることない。

 心を壊した艦娘など、この鎮守府にはいくらでもいる。

 一々構ってなどいられない。

 

 一度トイレに寄った後、お腹を撫でる。

 自室を目指して廊下を歩き続ける。

 修理されることなく放置された廊下は既に老朽化が進んでいる。

 歩くたびにミシミシと音が鳴る。今にも床が外れそうだ。

 

「もううんざり!」

 

 時雨がスライドドアを開くと、机に拳を打ち付けて絶叫する姉、白露の姿があった。

 すぐ後ろには白露を止めようとする春雨と、壁にもたれ掛かってうわ言を呟き続ける夕立。

 時雨と違い、白露姉妹たちは全員もれなく大破状態であった。

 白露は奥歯をぐっと噛み締め、瞼を深く深く降ろした。

 それから時雨の姿を目にとめると、目を袖で拭い笑顔を見せる。

 

「時雨、お疲れ様!」

 

「ただいま」

 

 時雨は後ろ手で扉を閉めて部屋に入る。

 

「時雨姉さん、お帰りなさい」

 

「ただいま、春雨」

 

「……」

 

「ただいま、夕立」

 

 夕立から返事が来ないのはいつものこととして、時雨は座布団に腰を下ろした。

 窓の外を見れば、雨はまだまだ降り続けている。

 止まない雨は無いとは、誰の言葉だったか。

 時雨にはもう、それさえ思い出せなかった。

 

「……雨、止まないね」

 

 ボソッと呟いた時雨の言葉は、それでもこの場にいる全員に聞こえたようだ。

 言ってしまったからにはもう遅く、時雨は姉妹たちの顔を見るなり、「ごめん」と続けて謝った。

 雨音が部屋中を支配する。

 脳にこびりつくかのように、煩わしくも止められない。

 白露は時雨たちを見渡すと、今まさに思い出したと言わんばかりに言葉を紡ぐ。

 

「ご飯! 食べに行かない?」

 

 そう言って白露は立てた人差し指を高く掲げた。

 

「良いですね! 時雨姉さん、夕立姉さんも行きましょう?」

 

 春雨は手を合わせて賛同した。

 提督の部屋で何があったのかはあえて聞かない。

 報告にしに行った時雨が、いつもより遅く帰ってきた時点で察しは付く。

 白露も時雨たちを守るために、自分の身体を使ったことがあるのだから。

 

 それに聞いてしまえば、時雨に辛い記憶を思い出させることになる。

 白露たちは自分たちを守るために、時雨が身体を捧げていることなど、とうにお見通しなのである。

 辛い過去は、楽しい今で上書きできる。

 だから白露は、気分を変えさせるためにも時雨たちを食事に誘う。

 

「僕は……」

 

 ぼーっとする時雨に、白露はまたも指を立てる。

 

「一番に食堂に付いた人が、全員分のお菓子をゲットってことで!」

 

 白露はそう言い切ると、「十ー、九ー、八ー」と高らかにカウントダウンを始める。

 負けませんよと、春雨は両手を握って扉をすぐに出られるよう陣取った。

 

「五ー、四ー、三ー! 時雨の分も全部貰っちゃうよ!」

 

「……それは少し、困るかな」

 

 時雨は鎮守府に戻ってきてからようやく、笑みを見せることができた。

 この中で塞ぎこんでいるのはただひとり、夕立だけだ。

 夕立だけが白露のカウントダウンを聞いてもなお、体育座りをしたまま動かない。

 昔であればフライングしてでも走り出したというのに。

 

「二ー、いーち!」

 

「……行こう、夕立。……夕立」

 

 時雨に手を差し伸べられても、夕立は顔を俯かせたまま反応しない。

 代わりに時雨は夕立の手を取って引っ張る。

 夕立は立ち上がりこそしたものの、やはり反応に乏しかった。

 

「ゼロ! ドーン!」

 

 最後の言葉を終えて白露は走り出す。

 その後ろ姿を懸命に追いつこうと走り出す春雨。

 二人の姿に時雨は少し笑みを柔らかくする。

 そして身体をドアの方に向けて、ふと首を後ろに向けて立ち上がらない夕立を見る。

 

「行こう、夕立」

 

 声を掛けてもやはり反応はない。

 時雨はそんな夕立の手を取り、立ち上がらせる。

 時雨が走れば、引き摺られる犬のように夕立も進み始める。

 二歩、三歩、夕立の反応はそれでも乏しかった。

 

 *  *  *

 

 結局、一番最初に食堂に辿り着いたのは春雨であった。

 途中傷んだ床板を踏み抜いて、埋まってしまった白露を抜いたのだ。

 間宮も鳳翔もいない食堂。

 提供されるご飯は固くて味が無く、とても食べられたものではない。

 深海棲艦に海が支配されているため、魚なんか手に入るわけがない。

 肉や酒といった嗜好品は全て、提督や息のかかった憲兵が持っていく。

 艦娘たちにはご飯と具の無い味噌汁、それから野菜くずぐらいしか与えられなかった。

 それでも時雨たちには美味しいと感じられた。

 白露、春雨、それに夕立。

 姉妹たちで口にするご飯は美味しかったのである。

 

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