「ばいばい」
「トウカちゃん、また明日ね!」
いつも通りの挨拶をかわして、さっさと帰路につく。
ここからは友達はみんな私と道が違うんだ。
少し寂しさを感じながら何時も通りを歩く。
いい天気。
なんだかあったかくて、いい陽気でちょっとウキウキしながら公園をお散歩したいところだけどあんまり吞気なことはしていられない。
だって、ほら、学生だからいっぱいテストがあるわけで。
得意な科目も苦手な科目もあるけれど、今日の最高の陽気に暢気になれない原因は苦手科目のせい。
普段から女の子らしくなくって、昔から考え事するより行動派な私には珍しいこと。
こんな素敵な陽気なのに、自分の勉強不足のせいで寄り道もできない一抹の寂しさを胸に、この辺りではやや広い道を……車通りが少ないからという安直な考えで真ん中をてくてく歩く。
手に握って無残にもしわくちゃになっていた数学のプリントをシワを伸ばしつつ開けば見慣れた私の字で名前。
右上がりの特徴的な時で遠藤桃華。
漢字が面倒だから、いつも友達とのお手紙の名前に書くのは「トウカ」。
みんなが書いてくれるのもそう。
桃の香りの
由来は「桃の花のような優しい子になってほしいこと」と「華やかに咲いてほしいこと」の混合、らしい。
その話をするお父さんやお母さんは別人みたいになんだか嬉しそうに話してるからそれ以上は聞かないことにしていた。
なんだかすっごく女の子らしい。それが少し、いやかなり、照れ臭い。
お父さんもお母さんも、私のことが大好きでいてくれる両親だけど、普段はなんだかそっけないから。
これまでずっとバリバリのキャリアウーマンだったお母さんと、そんな「残業」がご飯より好きなお母さんが好きだったお父さん。
中学生にもなるとホントは子どもが欲しくなかったんじゃないかな? って分かるようになってきた。
だけどふたりはそんなこと言わないし、でもその考えを裏付けるように私はあんまり両親に遊んでもらった記憶はない。
育休明けにすぐに職場復帰したお母さん、ずっと仕事のお父さん。
もちろん、もうちっちゃな子どもじゃない私には、ひとりの子どもを育てるのにお金がたくさん必要だって分かってる。
だけど、寂しかった。
一生懸命働くのは子どもの私のためであり、そもそもお母さんが仕事が好きでお父さんは元気に働いているお母さんを見るのが好きで、一石三鳥じゃないか。
じゃあなんにも問題ないじゃない。
わかってるけど。
ただ私は寂しかった。
身勝手に寂しがってた。
だってぜんぜんこっちを見てくれない。
勉強しても、かけっこで一番になっても、変わらない。
ちゃんとご飯もお洋服も部屋までもらって、文房具や雑貨も買い与えられて、お小遣いだってあって、一人で留守番が危険な小学生の時は学童保育に預けてもらって、夏はキャンプや塾に行かせてもらって、たくさん目をかけられていると思う。
でも両親の目はこっちを見てくれない。
毎日ちょっとずつ寂しくて、それがゆっくりと降り積もっていく。
友達が家族で遊園地に行った話が羨ましい。
兄弟で喧嘩したとか、逆にすごいお兄ちゃんの話や自慢の妹の話なんかを聞くと心底羨ましい。
だから、名づけの話になると「かわいい名前にしたんだよ」って話す両親が普段と全く違う人たちに見えてそれが嬉しくて、嬉しすぎて恥ずかしかった。
だいたい同じ答えが返ってくるって知ってるのに何回も何回も名づけの話をせがむくらいにはその話が好きだった。
普段の、無感動な「ただいま」と違って心からキラキラした目で私を見てくれる唯一の瞬間が大好きだった。
だから、私はこの名前が好き。
誰かが「トウカ」って呼んでくれる時がいちばん大好き。
カタカナで書いた方が読みやすいから、みんないっぱい呼んでくれるかなって。
そんな漢字が読めないような名前じゃないけどね。
少しでもって。
私はめんどくさい数式がいっぱい載ったプリントを見ながら左へ右へフラフラと歩いていた。
数学はあんまり点数は良くないけど名前を書き忘れたことはないのが自慢だった。
勉強にはどうでもいいことだけど、大事なことだから。
この後、私は後悔する。
いくら車通りが少なくたってあまりにも無防備だったのが悪かったことを。もっと気をつけておくべきだったと。
でも、変な陽気で私の頭はぼんやりしてた。
らしくなく、これまで「ながら」で帰ったことなんて一度もなかったのに。
プリントを開いてほんの数メートル歩いた後、私は「また明日」という言葉を守ることなく、要するに明日を迎える間もなく即死した。
死因はありふれた自動車事故。
前も見ずに運転していたトラックが悪いのか、私が道の真ん中なんて歩いていたのが悪いのか……圧倒的に私が悪いんだろうけど。
だって車道は車のもの。
歩道があればそっちを歩き、なければ端っこを歩くのが歩行者のあたりまえ。
それを破った私が一番のババを引いた。
それだけ。
私は多分、ミンチみたいになったかバラバラ死体になったことだと思う。
ひとつ覚えているのは体が砕け散るように激しい衝撃、暗転する視界だけ。
怖い、というのはなかった。
一瞬過ぎて。
ほら、びっくりしたら「びっくり」だけどそれだけじゃない?
ドキドキするとか「なにするんだ!」ってなるとか、そういうのはそのあとのことだし。
そこからの記憶は勿論ない。
だから私は自分の無残な死体も、自分の葬式も見ずに済んだのだ。
ほんの少しくらいは、きっと哀しむであろう両親も、「またね」を叶えられなかった友人のその後も。
死ぬ瞬間、私はどこかへ吸い込まれていくような感覚だった。
どこか懐かしいところへと向かうような、懐かしさすら湧いたんだ。
ある時、特に仲がいいわけでも悪いわけでもない祖父母にこっそり聞いた話だと私の両親は、最初から結婚しても子どもを作るつもりはなかったし……それ以前に生まれつきお母さんは、子どもが産めない体だったはずだったのに、予想しないタイミングで妊娠し、そのまま私が生まれたんだって。
それで、そう、それだけ。
じゃあ普通は奇跡を喜んでくれるはず?
ううん、何年も前にすっかり事実を飲み込んで忘れたはずなのに、もうあとはただびっくりして、そして、それだけだった。
義務的にお母さんの字で名前が書かれたクレヨンが好きだった。
事務的にお父さんが書いてくれた学校の書類が誇らしかった。
家で、私の名前は呼ばれなかった。
名づけの話の時以外は。
「あなた……」
「分かってるさ」
どこからか、妙にくぐもった声が聞こえる。
小声で話しているの?
ううん、聞こえにくいのは私の耳の方らしい。
頼りの目は開けない。
いや、開けられない。
酷く疲れた時のように重くて重くて目蓋が開いてはくれない。
ここは、どこなんだろう?
「ここにいれば、少しの間はこの子は幸せだけど……」
「そうだ。幸せだがここは危険だ。あいつは確実にやってくる。こっちの気も知らないで」
「あなた」
「もう、あいつとは決別することに決めたんだよ。この子が生まれてから」
触る感覚は大丈夫だ。
なにかからだ全体がふわふわとしたやわらかい何かに体が包まれている。
それは大好きなマシュマロのよう。
何だろう……これは。
タオル?
布団?
何かいい布みたい。
どこか夢うつつに感じる。
まさかこれが「明晰夢」なのだろうか。
夢を夢だって自覚できる夢。
友達の話には聞いてたけど、これがそうなのかな。
なんだか記憶に靄がかかったみたいで、ぼんやりする。
少し前のことが思い出せない。
夢だから?
「難しい魔法ね……でもやり遂げないと」
「三つもいっぺんに行うのは難しいが、うかうかしているとこの子までもが狙われてしまう。結界を張らせたが人間の魔法でどこまで持つかどうか。だが、この魔法は他の誰にもできないだろう……」
ああ、頭がくらくらする。
それに拍車をかけて頭がぼんやりする。
どんどん意識が遠退いていくような感覚もある。
懐かしい、ああ、懐かしい香りが遠のいていく。
閉じたまぶたから涙がなぜか、止まらない。
聞こえるくぐもった声から遠ざかるのが嫌でしょうがない。
この人たちのもとに居たくてたまらないんだ、何故か。
家でのんびりしている時より心が落ち着いている。
お風呂に入ったときみたいに、自分のベッドでウトウトしている時みたいに、安らかで、心が静かで。
知らない声。
誰かもわからない。
ここがどこかも。
ただの夢かもしれないのに。
「私たちの娘……」
「どうか健やかに。どうか、平和な世界で暮らしておくれ」
聞こえる声はそこだけ、理解した。
私は、この人たちの娘なんだと。
この人たちこそ、本当の父や母なのかもしれない。
ああ、「桃華」と名付けた両親が嘘だとは思えないのだけど、この人たちも本物だと思うのだ。
遠のく意識。
私を置いていかないで。
そして、またいくらかして、また目覚めた。
私のからだはびっくりすることに赤ちゃんになっていた!
夢かと思ったけど一向に目覚めないから本当らしい。
トラックに轢かれて、それでうっかり「前世」を忘れないまま次の人生に突入したらしい。
そんなありきたりな物語みたいなこと、ある?
赤ちゃんの私はいわゆる捨て子として誰かの家に拾われていた。
それを知ったのはぼんやりと赤ちゃんらしく食べたり寝たりとして日々を過ごす中、意識が珍しくはっきりしているときに聞いたからだ。
その場所は覚えていないけれど、確か赤い壁紙の広い部屋で、二人の大人の男と二人の大人の女と小さな女の子が私の前にいた。
赤ちゃんのお披露目会って感じ。
大人二人はなぜだか口々に私のことを「賢そう」だの「丈夫そう」だの誉めていたけれど、その二人の間にいた少女が赤ちゃんの私を見て、笑いながら言ったんだ、たった一言、「捨て子なのに?」って。
慌てた男女と怒り狂った今の「義理の」両親の声を覚えている。
「何を言うの! ライティア、『私に従いなさい』! この部屋から出ていけ!」
「いや、いやよ、だって! だって私の運命の王子様はこの子じゃないわ、ルゼルさまを出して!」
「お許しください! お許しください! もう古き血は薄く、株分けのヴェーヴィットは私どもの代で終わりなのです、このように魔法もうまく使えぬ、『強制力』も効かない出来損ないしか生まれないのです! お許しください!」
「アハハハハハ! 王子様を出せ、王子様を出しなさいよ! お前じゃない、お前じゃないのよおお!」
そう、それだけなら「来世」の私の生まれを知る機会だっただけだけど。
それだけじゃなかったから。
笑いながら少女に突き立てられた鋭い刃の痛みと狂った少女の声も鮮明に焼き付いているんだ。
ああ、「義理の」両親と分かるのはもっと後だっけ?
もうそこは覚えていない。
赤ちゃんの脳みその理解力だもの、ちゃんとなんて分かりやしないよ。
だけど何故私が刺されたのかは簡単な話で「捨て子」の私が少女の許婚……「王子様」の居場所に取って代わって「モノトリア家」の養子になったから、と思われていたからだ。
「ルゼル」というのは本来の「モノトリア家」の長男に与えられるはずだった名前で。
「モノトリア家」の分家にあたる「モノトリア=ヴェーヴィット家」の長女ライティアが知るはずはなかったのに、知っていた。
ライティアは不完全な魔法使いで自称「未来予知」の使い手だけど嘘っぱち。
本当は未来じゃない世界の夢を見る、文字通りの夢見がちな少女。
だって「ルゼル」は私が拾われる一年前に死産だった男の子の名前だったのだから……。
魔法で名前だけ知って、それだけでヒートアップした。
そんなところ。
養子とはいえ「モノトリア家」の後継者の女の私が少女と結婚することはない。
だから「未来」と違うことに怒ったんだろう、というのが私の勝手な予想だ。
「ルゼル」……兄上がいない今、後継者がいない。
それでは問題だからと身寄りのない私を養子にした。
何故私にしたのか。
ここは魔法のある世界、王さまも、そして貴族のいる世界。
「血」が何よりも尊い価値観。
古めかしい価値観の中、後継者がいないことは問題だった。
だから。
幼い私は何度も何度も調べられた。
本当にこの捨て子が後継者にふさわしいのかと。
モノトリアにはそういう道具があったんだ。
本当にその人物がその家の血を引いているか確かめる装置が。
水晶玉のような魔法の道具。
それに手をかざすと父上も母上もその水晶玉はキラキラ輝いた。
そして、片っ端から身寄りのない子どもや過去に「モノトリア家」の人間が嫁いだり婿に行った家の子孫たちに道具を使わせ……水晶玉を光らせることに成功したのが唯一私だったというわけ。
身寄りのない、両親も分からない私だけどそれが命運を分けた。
一方、少女ライティアはわずか五歳にして明確な敵意を持って人を刺した上に、貴族の本家の後継者を養子とはいえ殺しかけたために分家は「モノトリア=ヴェーヴィット」の名前を取り上げられたと聞いた。
これも後で知ること。
……なにはともあれ、そんな幼少期だった私は危機感を覚えて男装して自分を守ることになった。
この一連のことで知ってしまったのだ。
きっと、大貴族の後継者が「女」であっては侮られる。そういう世界だからだ。
私が生まれたのは。
男装することは女らしくなかった私は何も辛くない。
「前世」を知っているから男装というよりただ、ドレスよりもよっぽど動きやすい服装とズボンを履いているだけにしか感じないし。
性格すら女らしくなく、親にも可愛がられなかったこの可愛げのなさがやっと役に立ったね。
女のままで侮られて、そして私がまた殺されかけたら駄目だ。
もう死ぬ気はないけど、もしも、ということがあるんだもの。
いろいろもっと苦労して育つはずだったのを救い出してもらって、衣食住何も気にすることなく育ててもらった恩を返さなきゃいけないし、死んでしまうわけにはいかない。
私はそのへんの男よりも力も剣も強くなろう。
そうすれば私の性別を疑わなくなるだろうから。
それが、今の両親たちへ出来る恩返しだから。
私は、あの温かく平和な世界しか知らない。
本当の両親を知らないけれど、でも。
実のところ、養子だったけど「前世」よりよっぽど愛されて育った。
月日はあっという間に経った。
弱くて、泣き言ばかりで、いつまでも寂しがり屋だったただの女子学生の私はもう、心の奥底へ追いやって「殺した」。
あんなに私の頭のなかで泣き叫び、本当はどうすればいいのか分かっているくせに逃げようとする役立たずはいらない。
私はもう「遠藤桃華」ではないの。
「トウカ=モノトリア」、それが今の私の名前。
「モノトリア家」という大貴族の長子にして未来の当主、それが私だ。
今の私に必要な物は強い精神力に強い肉体、理性的な考えだ。
女らしさも平和ぼけした考えもみんないらない。
私がドレスを着る日には、もうすべてを黙らせた後。
「今更」女だと知っても侮れなくなってから。
「あいつが女だとしても、勝てない」と思わせてから。
でも泣き言は言えないし、言いたくもない。
愛してくれた両親に報いたいって思うでしょ、「トウカ」。
じゃあ、そこで死者の冷たい「感情」を頂戴。
そうしたら私はもっともっといいように振る舞えるから。
死んでいるから寂しいって思わない。
死んじゃっているんだもの、辛いって思わない。
全部楽しくて、楽しくなくても悪くないって思えるくらいでありたいんだ。
そうしたら大丈夫。
心配もかけないし、私も嫌じゃないし、みんな幸せってことさ。
「トウカさま、当主さまがお呼びで御座います」
「父上が? 分かった」
手始めに私は髪を短く保つように心がけた。
より「男」だと思わせるために。
どうしても憧れてしまいそうになる長い髪は、大人になってからでいい。
大人であれば長い髪でも、素敵な長髪の父上を真似したのだと言えば済むから。
今はダメだ。
もっと大きくなったら、そうしたら。
昔みたいに髪を伸ばして、それだけ。
そんなに許されたら幸せじゃない?
というか、許されなくても十分今の方がハッピーだし。
女らしさはたったの十八年間、我慢すればいいんだ。
その十八年はもう五年も過ぎたのだし。
前世も合わせたらもう、二十歳を超える。
ね、大人なんだもの何も辛くなんかない。
それに十八歳になれば私は当主を継ぐと決まっている。
それにモノトリア当主の命を狙うものは早々居ないもの。
どれだけ当主が強いのかは世界に噂が轟くほどだから。
モノトリアは武を重んじる貴族だ。
そこらの戦士には引けを取るはずがない。
それに、「モノトリア家」を消して喜ぶ人間も、困る人間も両方いるから。
誇り高きモノトリア家の存在意義は「トロデーン王国の王家を守護する」というものと「古い血を絶やさない」というもの。
だから強くなきゃいけない。
弱いあまり淘汰されたらおしまい。
守護者となるために、ある者は剣と魔法の使い手、ある者は大魔術師として名高く、ある者は接近術に特化していたという。
連なる家系図、そこに記された血の証。
ああ、……最初は世界に「魔法」が存在することに驚いたっけ。
魔法のある世界。
夢みたいな世界。
だからしばらく夢だと思ってた。
母上が魔法でランプを灯し、父上が私を浮遊させてあやしていたものだから。
モノトリア家は現在、血を引くものは私を入れてもたったの六人しか残っていないし、内三人は名を捨てさせられていたりしているから頭数に入れられない。
ここまで減っていて、母上が病弱で、子供を生むのが困難であるならば私を養子にしたのは納得できること。
だから恩返ししなくちゃいけないんだ。
できれば、私がきちんと跡を継いで。
それでようやく血に呪われた父上は安心できる。
血に呪われた母上は心置き無く私を着せ替え人形にでもしてくださる。
それで、それで……その先は、考えない。
考えたって仕方ないよ。
私は男らしくあるために剣を習う。
剣は騎士の嗜みだから。
まわりまわって私の身を守ってくれるから。
そして君主を守れるから。
そのためにはどんな努力もしよう。
モノトリア家の使命……「トロデーン王家」を守るために私は生きているから。
それはすべて、両親へ感謝の心を示すために。
私をよく理解してくれ、民にも慈悲深い父上の期待を裏切らないように。
優しく、優しい心をもつ母上が、「ルゼル」という息子を失った悲しみを忘れるように。
私は、今日も頑張ろう。
自分なんていらないんだ。
小さなトウカ、泣き虫で、臆病で、一人が嫌いで、嫌われることが何より嫌いなトウカは要らない。
ね、「トウカ」も今の方が幸せでしょう?
名前を呼んでくれて、抱きしめてくれて、たっぷり心配してくれる義理の両親が心底愛おしいでしょう?
なら、お願い。
私が泣かないようにしてくれる?
心を少しだけ凍らせておいて欲しいんだ。
泣いて弱味を見せないように、泣いて隙を見せないように。
「トウカ、今日は堅苦しい場ではないんだよ?」
「はい、……父さん」
「それでいい。今日も一生懸命剣を振ったのか? 小さなトウカ。今日も頑張り屋さんだ。手は痛くないかい」
少年のように悪戯っぽく笑った父上は頭がくらくらするぐらいわしゃわしゃと私の頭を撫でた。
すかさず母上は私を抱き上げて奪い、ぎゅっと抱き締めた。
豊満な母上の体に圧迫されて呼吸が危ない。
ちょっと苦しかったけれど、それよりもずっと嬉しかった。
両親は私のことが大好きで、たくさんたくさん愛してくれた。
頭を撫でてくれて、勉強を褒めてくれて、何かを頑張ろうとしたら背中を押してくれる。
普段の生活を聞いてくれ、足りないものはないかと尋ねてくれ、そしてとっても心配性。
もし……もしも、私が何もしたくないって言ったら。
それさえ、叶えてしまいそうなくらい。
そんなこと絶対言わないけれど。
「もう、女の子に何てことをしているんですか! 可哀想に、可愛いわたくしのトウカが男の子の格好をしなくてはいけなくなったのは全部わたくしたちが不甲斐ないせいなのに! それならば今だけでもそんながさつな扱いをするのはおよしになって! ほら、わたくしの小さな子。お菓子でも食べますか?」
「……ぎゅむ……」
母上は優しいからそう言ってくださるけれど、多分何もなくたって私はこうして男装していたのだから、関係ないのだけど。
だって、強くなきゃ。
強くなきゃいけないの。
もう死にたくなかったら。
でも今は、この空間に安らぎを感じていたいから何も言わないの。
母上の膝の上で大好きなやわらかいマシュマロを頬張る。
大好物は今日もおいしくて、私はにっこりする。
「お、俺だってかわいいトウカにそんな格好をさせたくなかったが、もし可愛い格好をしたせいで変な虫がついたらどうする! トウカを狙う不埒な輩が出たらどうする! それにだな……」
「だからってトウカはかわいい女の子ですよ! 事実を曲げても変わらないのに! ドレスをしたてる時どうやって言い訳しましょう、いいこと? 着たいならなんだって着たら良いのですよ。外に行く時だけズボンだっていいの。素敵なリボンを沢山つけましょう、護身用のナイフを沢山作らせましょう、そしてそしてはやくあの娘を処分しなくては。どうせ生かしておいても後継にもならないのよ」
「母さん、もうよして……」
「いいえ、白黒つけさせて頂きますわ。えぇ、モノトリアだけに。あぁ、私は娘も欲しかったの。叶って嬉しいのよ、トウカ」
叶うなら、男女ひと揃い欲しかったのは知っていたけど、それなら良かったのだけど、何も言わない。
兄上はいないので。
もうどうにでもなれ。
すべては母上のご意向のままに。
だってこの話は終わることはない。
私が決まって「きっと十八歳になれば女の格好をします」と言って、喜んだ母上にふりふりの母上手製の……残念ながら似合わない格好をさせられて終わるというのがセオリーなのだから。
母上はちょっと心配性。
父上よりちょっぴり過激。
立ち塞がるものはぜーんぶ魔法で燃やしてしまうか家の権力で潰してしまえというタイプ。
父上の方がお顔は怖いけど、ずっと穏やかで、罪があるなら牢屋に入って償いましょうってタイプ。
だから、母上の中で私の男装は私の言い出したことじゃなくてライティアのせい。
ある意味そうだけど、そうじゃない。
でも言い出せない。
母上が優しくて……心配性で……私のことを思ってくれるのが心地いいから。
私は悪い子なのだ。
さっきまでの恩返しへの覚悟はどこへやら。
私は母上の腕の中でただただ幸せな子どもだった。
ゆっくりと噛み締めて感じられる、とても温かいこの場所。
私は、恵まれている。
そう感じられるんだ。
愛されているって。
例え、生まれつきこの体の右目が見えなくても。
ライティアに付けられた、首の大きな傷跡があったとしても。
私は恵まれていた。
だから、外の不幸な人達のことを知らなかったから。
まだ私は薄く微笑んでいられたのだ。
私は本当の父と母をどんな人なのか知らないけれど、今、迎えてくれる家族がいるんだって。
私は少しずつ「トウカ=モノトリア」になっていく。
自覚を持って、少しずつ。
寂しがり屋の小さな女の子から、剣の得意な少年のような存在に変わっていく。
だけど優しい母上は変わらなくていいよと言ってくれて、頭を撫でてくれる。
優しい父上は変わらないでいいと言ってくれて、だけど望んだとおり私専用の剣をくれる。
少しずつ、水が浸透するように。
私は平和な国の女の子じゃなくなって、剣と魔法の世界のひとりの剣士に成っていく。
ご挨拶
黒歴史化に耐えられなくなり非公開を経てチラシの裏にしまい込んだ挙句、連載開始から9年ちょっとを経て完結させたので黒歴史を薄めるために全編リメイクします。
展開はリメイク前とほとんど変える気はありませんが、辻褄が合わないなと思ったり描写不足だと感じたりしたら容赦なく変える可能性もあります。
原作沿い原作介入の上主人公の親友の女オリ主で原作キャラと恋愛もあり と事実を羅列すると作者の気が狂いそうですが、またゆっくり進行していきますのでお付き合いいただければ幸いです。