大きな屋敷の最も広い部屋の中。
定位置となっている玉座の前で座り込む青年は頭を抱えながらうずくまっている。
呪文で呼び出された半透明のヒトガタの召使いたちが慌ただしく水を運んできたり、掛物を用意したりと甲斐甲斐しく動いていたが術者の集中力が切れたのか姿がさらに薄れて行き、慌てて手に持っていたものを手近なところに置いていっせいに消えていった。
静かで寂しい空っぽな部屋の中、投げ出された手鏡の中だけが鮮やかで、映し出された女剣士が魔物をぶった斬った瞬間に吹き出す血の赤が陽の光に透けてまばゆく散っているようだった。
目まぐるしく場面は変わり、仲間たちと合流した彼女が怪我はないかと駆け寄ってきた赤い騎士に検分されている場面になると、這いつくばったまま鏡を食い入るように眺めていた影の青年は床に拳をたたきつけた。
が、彼は貧弱すぎるあまり自分の拳に破滅的なダメージを受けてのたうち回ることになったのだが。
彼は鏡で見られているとは露知らずなトウカとほぼ同年代の容姿で、血の気のない真っ白な肌に病的な細さをしていたが、しばらくすると割と元気そうにむくりと起き上がった。
「僕の身体で痛いことをするなよ。アヤツリも消えたし。再展開は面倒なのに。ねぇそろそろ身体、返して。早く」
『これが正気でいられるって?! トウカに悪い虫がついてしまう! そうなる前にレティスを焼き鳥にして早く向こうに行ってくれない?!』
「現実的じゃなさすぎる。できるならとっくにご先祖さまがやらかしてるに決まってるけど? 試したバカ曰く、レティスは肉体がほとんど魔力みたいなものだからあんまり魔法で燃やしても燃えないって話じゃなかったっけ? とりあえず興奮するのやめてくれないかな。僕の心臓まで痛くなってきた」
『うるさいな。俺の身体でもあるから好きにさせて』
「黙れよ死人が。そういうところ両親そっくりだね」
『いきなり何さ、褒めてるの?』
青年は顔を上げた。
視線の先には壁際に飾られている精巧な銅像があり、こちらに手を伸ばすポーズをしていた。
その出来はまるで生きているかのよう。
貴族の格好をした男の像は青年に微笑みかけ、そしてもちろん動きはしない。
その隣に寄り添うドレスを着た女の像の目は潤んでいるかのような見事な造形だったが、涙が流れる日は来ない。
彼らはミハエルの両親だったが、とっくの昔に唯一の息子に命を捧げていた。
そうでなければ、一方の世界では死んでしまった唯一の息子の運命を覆すほどの魔力リソースを得ることなど到底できなかっただろう。
彼らも「当然」、稀代の魔道士だった。
それでもなお、その膨大な魔力だけではなく残った一族すべての命まで捧げて、それでも足りない。
なにせ、ミハエルは強烈で決定的な死の運命を背負っていたのだから。
近親相姦スレスレの危険な掛け合わせを長年続けてきたせいで発現した老化の呪いと虚弱体質。
その身に流れる古代の血が他に残っていないのは古代人が現代に適応できなかったからで。
魔法に親しみ、肉体に魔力を溜め込むほど漏れ出ていく生命力。
郷愁だけが彼らを突き動かし、次こそは次こそはと次世代を遺した妄執の果て。
己たちの持ちえるものすべてを投げ打っても息子の命を繋げないと知った彼らが最期に起こしたのは死者への冒涜である。
もうひとりの息子と言うべき魂を捕まえて運命を補強し、己の生命を全て息子に注ぎ込む。
そうまでしてやっとミハエルは死から少し遠ざかったのだ。
そして、愛しい息子は一族の執念を背負って、しかし何も為せずに鏡を覗き込んでいる。
少女の姿をした暴力が、同じように黒の一族の妄執の果て、唯一の彼女が、生き生きと駆ける様を見ていることしかできない。
「呆れているだけ。良かったね、モノトリアの男たちは二十を超えると急速に衰える。それも子どもが生まれたあとだと割増だ。生まれなかったとはいえお前がいたから義理の父と娘を掛け合わせようなんていう考えに至らなくてさ」
『それはそっちも同じでしょ。ふん。そうなってたら世界を滅ぼすしかないよ』
「残った女は二人とも分家筋。血の濃さは今更本家も分家もないくらいだけど? それでも分家筋だし、相手が本家の男でもなきゃもう子どもに跡継ぎの資格はない。
ま、そんなの関係ないか。だってもう子孫を残す必要なんてないんだから。本当にモノトリアが羨ましくて……愚かしいね」
『俺たちはギリギリ間に合ったんだよ。そうでしょ? 羨ましいからって八つ当たりしないで貰えるかな。まぁそんなこと俺には関係ないけど。十九まで生き延びられたけど来年も呼吸できていると思うなよ』
ミハエルは……いや、ルゼルは鏡から目をそらさなかった。
『何より大事なことがある。トウカにはまだ色恋沙汰は早い』
「何言ってんだか」
ルゼルは血の繋がりはないけれどいちばん大事な妹のことが大好きだった。
妹の応援以外最初から死んでいる人生でやった事がないくらいだったので、ミハエルを無視してククールに魔力のこもっていない呪詛を送るのに熱心だった。
本当に魔力を込めたらなにか出来そうだったのでやめておく程度には煮詰まった魔術師のチカラは強く、そのくせ使える魔法から考えると信じられないほどに練度が低い。
無理やり死の運命を退けただけの彼らは何をしても命を削るからだった。
ちぐはぐな彼は独り言のようにしか見えない会話を繰り返す。
「エルトは許してたくせに」
『エルトは良い奴だって知ってるから。何より好きな女の子がいる。安全な男じゃないか』
「あっそ……」
ふたりはその寂しい部屋から出たことさえ、数える程しかなかった。
抱きしめてくれる肉親もなく、使命すら叶えられないと知っているから失ってしまったも同然で、だけど覗き見だけはできたのでめいめい好き勝手なことを述べるのだ。
「あっははははは! いっぺんにぜーんぶかかって来い!」
魔物が現れた瞬間、魔物のせいじゃない緊張が走った。
にっこりと微笑んだトウカが大剣を片手で引き抜いて、首をぽきぽき鳴らして見せたものだから。
あたしたちにとってはだんだん見慣れてきたことだけれど、一番最初に動いたのはトウカだった。
真っ先にまっすぐ飛び出していって、高らかに笑いながら遠くの魔物から攻撃し始めて、本当に楽しそうに駆け巡り始めたわけよ。
剣を手に踊っているみたい。
敵意を失って逃げる魔物は追わないけれど、向かってくる魔物は次々と細切れ。
彼いわく、「サイコロステーキ」にされて、四角い肉片がバラバラと地面に散らばって、一拍おくと青い光になって消えていく。
「……嘘だろ」
「気持ちはわかるけど、アンタもさっさと戦いなさい」
「あぁ」
「駄目だわ、意識が全部持って行かれちゃってるみたい。トウカが全部倒しちゃうわよ」
「あぁ……」
何かトウカに幻想でも抱いていたのかしら、この男は。
見た目が小柄でも彼はあたしが住んでいた大陸じゃ知らない人はいなかったわ。
それに気づかなかったのかしら?
もしかして気付かないふりをしてた?
さっきもなんだか自分に言い聞かせているようだったし。
それに、目の前で鉄格子を引きちぎられたら誰だって……まぁそこまでくると男とか女とかもう何も関係ないわね。
本人も気にしていないようだし、性別もトウカなのかもしれないわ。
ドルマゲスとは違う意味で危険なのかもしれないけど。
でも彼は優しいからまぁ、大丈夫なのかも。
名のある貴族の令息がよりにもよって女の子と勘違いされた無礼にちっとも怒らないくらいだから相当温厚よね。
ただ、戦っていい場面で信じられないほどハイテンションになってしまうっていうところだけが……単に彼を頼りがいのある人だとは思えなくさせてくる。
長い付き合いのエルトさえとっくに匙を投げていて、今日も武器を構えながらちょっと目が死んでる。
ふたりとも近衛兵だっけ?
強いけど飛び出していくトウカとそれを諌めてちゃんと隊列を組もうとするエルトじゃエルトの方が出世しそうじゃないかしら。
素人意見だけど。
「あっはははははは! はははっ! 逃げない奴はぜーんぶ皆殺し!」
「ちょっと、トウカ! 隊列を乱さないで!」
「トウカの兄貴、どこへ行くんでがすかーーっ!」
まだまだ本当の意味で新入りだったころには慌ててトウカを追いかけようとしていたあたしも、早くも慣れてしまったみたい。
一気にハイになったトウカが魔物を狩りながらどこまでも走っていくのを遠くから見ながら、それでも諦めないで声を上げるエルトとヤンガスの声を聞きながら近寄って来る魔物を攻撃するっていう構図。
エルトがそれでも追いかけて、ヤンガスが慌ててエルトの後ろを走っていくのは前と変わりないけど、もう分かっちゃったの。
彼、放っておいてもすぐ帰って来るって。
強いから放っておいてもきっと大丈夫なのに馬車を中心にぐるぐる回るように進みながらクタクタになっているのよ。
闇雲に遠くに向かっているようで放物線のように緩やかに弧を描いて走っているから本当の意味で遠くに行ってしまったりしないのだけど。
エルトとヤンガスは離れたトウカを起点に縦一列になるように立ち位置を調整しながら、同じように馬車の周りを回るようにして撃ち漏らしの魔物を倒していく。
あたしは魔法で遠距離攻撃ができるからその間に入るようにして攻撃をするの。
でも、今は二人の努力でいい感じに戦線を維持していることよりも、隣で呆けるこのククールが問題ね。
いくらトウカが間引いてくれたって、エルトとヤンガスが大半を倒してくれるからって、魔物はそれでもいるのよ?
それでも馬車の真横の後衛は安全だけど、あんまりにも他人任せじゃないの。
「アンタ、そろそろ前を見て!」
「……! 悪いな」
庇うなら、やっぱり初めて見る人間なら思わず呆然としてしまうのは仕方が無いかもしれないわ。
声に反応してククールはレイピアを一応引き抜いたけれど、ここじゃ武器は使えないわよ。
だって馬車の近くには魔物は生き残っちゃいないし。
そうだわ……エルトがククールがいることを考慮していないはずがないし、後衛に回されるぐらい、回復呪文に期待しているのかしら。
あたしが後衛にいるのは攻撃呪文を魔物に邪魔されないように打つためだろうし、そんなふうに。
一番怪我するのは突っ込んでいっているトウカだし、戻ってくる時に回復するのはエルトの役目だったけれど、エルトも攻撃呪文を使えるしククールが引き受けてくれるなら戦術が広がるものね。
ククールも攻撃呪文、なにか使えるのかしらね。
そういう話もした方がいいかもしれないわ。
とりあえずククールについては「慣れて」としか言い様がないから放っておきましょう。
あたしはとりあえずヒャドで前線の加勢をしましょうか。
「そろそろ休憩! ほら休憩するよ! トウカ! 戻ってきて!」
「あっはははは!! ムーンサルトもどき!!!!」
「あれは芸術でがすねぇ」
「トウカ、魔力ないんでしょ? あそこまでアクロバティックなのに魔力補助なしであの動きね……」
「草刈りしながらバク転繰り返しながらこっちに迫ってきているのはいいのか?」
「ちゃんと呼んで直ぐに戻ってきたから戻り方までツッコミたくないんだよ。慣れてねククール」
「戻ったよ!」
「はいおかえり。じゃあ左腕出して。だいたい二十分前に攻撃受けてたでしょ。ククールお願い」
「あ、あぁ……癒しの光よ、『ホイミ』」
「ありがとう!」
全く気づかなかった。
トウカは止まることなく縦横無尽に回転する草刈り鎌じみた動きをしていたし、その動きが鈍っていたようにも思えなかった。
……だが、確かに途中で武器を持ち替えていたようだった。
両手に剣を持っていたが、気づけばあのバカでかい大剣に装備が変わっている。
信じられないことにこんな剣を右手一本で振っているわけだが、つまり左腕を庇っていたというわけか。
回復するように指示が来なかったことからもエルトはすぐに回復する必要はないと考えていたのか、単純に呪文の射程外だと思っていたのか。
ギリギリ届かなくはないが命中には苦労しそうな距離かつ動きだったしな……。
それぞれ馬車の近くに座り込んだり話し込んだり。
水を飲んだり寝っ転がったり、非常に自由な休憩スタイルを取り始めた。
とはいえ、ひとかたまりになって会話を楽しむスタイルのようだ。
長居はする気はないらしく、聖水を撒くなどといった魔物避けはしていないが……まぁ、あれだけ派手に暴れたあとだからか、魔物の気配は近くにない。
さっきの掃討で生き残りは逃げる気があるやつだけになったらしい。
「ククールは回復呪文が使えるんだね。あとは何が使える?」
「ルーラにスカラ、攻撃呪文はバギだな」
「教えてくれてありがとう。スカラは便利そうだね、エルト」
「そうだね。使える人いなかったし。たしか防御力を上げるんだって?」
「そうだ。前線を固めるもよし、後衛を固めるもよしだ」
「あっしなら全員固めてカチカチのまま突撃したいでがすねぇ」
「あー、たしかスクルトというパーティ全員に効果がある呪文もあるな。スカラほどひとりあたりの効果は高くないが」
「へぇ。あっしはエルトの兄貴に教わってホイミを勉強中でさぁ、覚えられたら次はそのスクルトって奴を勉強するのも悪くねぇな」
……人は見かけによらないもんで。
だが「勉強中」という時点で強面のおっさん……ヤンガスはホイミの契約ができたってことなんだろう。
「ねぇ。剣に油塗ったらやっぱりよくないと思う?」
「どうだろう。保管の時に油で錆止めをするでしょ? ものによるんじゃない?」
「火炎斬りの再現のためにさ、摩擦は起こせても燃えるかはちょっとわかんなくて。油塗ったらきっと燃えるよね!」
「勉強熱心なのはいい事だと思うけどねトウカ、威力を上げなくても『サイコロステーキ』にしたらもう魔物は死んでると思うよ」
「そうだね。それに焼いたら止血になっちゃうよね」
物騒な会話を聴きながら、雲の少ない空を見上げる。
昨日の雨が嘘みたいにいい天気だった。
・だいたい書き直し
・お兄ちゃんはずっと見ているのに描写がなかったので都度追加中
・契約してから習得するダイ大、好き