その日の朝、トロデーン城下を走る茶色い頭が二つ。
歳の頃の変わらない彼らは希望で瞳をキラキラさせながら、どちらが先に城門にたどり着くかを競っているようだった。
彼らは偶然にも同じ髪色、同じ瞳の色をしていたので、仲の良い兄弟がじゃれあっているように見えたのか、すれ違う大人たちはそんな少年たちを微笑ましく見送った。
「トウカ、ちょっと待ってよ!」
「あははははっ、エルト! これから念願のトロデーン兵になるっていうのに、ボクごときの足についてこれなきゃ先が思いやられるよ!」
あはははははと高らかな笑い声を上げながら少しずつ遠ざかっていく、僕の親友。
僕と同じく新兵になるトウカ。
トウカの言うとおり、今日は僕らの待ちに待ったトロデーン兵入隊式だ。
でも同年代でもぶっちぎりに体力馬鹿で、それに見合って身体能力がこれまたぶっちぎりに高いトウカに足の速さで勝てというのは凄い無茶ぶりじゃないのかとは思う。
僕だって決して身体能力が悪くはないはずだけど、彼と比べると誰もが負けていると言うと思う。
というか誰も勝てないよ。
なぜならトウカは三度の飯より鍛錬を優先し、魔物討伐の許可をご馳走かご褒美だと思っている変わり者だから。
今日もきっと早起きして剣の素振りかランニングか筋トレでもして、それから朝ごはんを食べてから来たんだろうなぁ。
僕はギリギリまで寝てたけど。
一回でいいから二度寝の良さを知ったらいいと思う。
「ちょっとは待ってよ!」
「やだねっ! 早く、早くあの鎧を! 兵士の鎧、着てみたいんだもの!」
「それは分かるけど!」
たったの一瞬だけ振り返ってキラッと黒色の左目を輝かせたトウカは更にぐんぐん遠ざかっていく。
充分早く出たんだから、別に普通に歩いても絶対に遅刻でも何でもないのになんで僕らはこんなみんなが見ている前で徒競走をしなくちゃならないの……。
「そこはノリだよ!」
「考えていること分かってるの?!」
「そこは長年の付き合いさぁ! あっはは!」
大人の目がないと本当にトウカはテンションが高いよね。
常にテンション20くらいあるんじゃない?
ぜいぜいと息を切らして走る僕とまるで散歩でもしているかのように涼しい顔をしたトウカを、道行く人々は微笑ましいような生暖かいものでもみたようなような目で見てきた。
とっても恥ずかしい。
しかも僕の方はその大半が顔見知りという。
ああ、これは後でからかわれるな。
そんな恥ずかしい気持ちと、今日が何の日かみんな知ってるって事実。
そのふたつのことを思うと顔が赤くなる。
そんなにトロデーン兵になりたかったのか、エルト。
小さい子どもみたいに楽しみにしていたのか? 小間使いのエルトって。
そう言われるかも。
あとで馴染みの厨房の人たちや小間使いの仲間、教会のシスターなんかにからかわれちゃうに違いない。
「着いたよ!」
にぱっと輝かしい笑顔のトウカが少し憎たらしい。
頭半分程身長が低いトウカが実に憎たらしい。
からだ、鍛えすぎなんだよ、小さい頃から鍛えすぎると背が伸びないって言うじゃないか。
だから最初は僕より大きかったのに背を抜かれたんだよ、なんて小さな意地悪な言葉も思いつくけど言わないでおく。
今まで僕よりも短髪だった髪を何故、規則が厳しいはずの兵士になる段階で伸ばし始めたのかは知らないけど、伸びかけの髪の毛を風になびかせて渾身のどや顔をするトウカが憎たらしい。
この前、大事なことは三回言うべきだとトウカが言っていたっけ。
ああ現実逃避。
もう疲れちゃったよ。
今すぐにでも地面に突っ伏したい。
そうするわけにはいかないのは勿論分かっているけど。
「ここが宿舎かぁ。お城を裏門から入るのって新鮮な気分だね。エルトは毎日こっちからお城に入ってるんだっけ? ボク、裏門に来るの初めてなんだ。兵士の宿舎は……結構プライバシーないかも」
「トウカはいつも正門からだもんね。で……ここが僕の新しい家かぁ」
「ボクは家から通うけどね」
「トウカは家が近いからなぁ。そんな奴他にいないよ」
「いた方が目立たなくていいのになぁ」
「こんだけ目立っておいて何を言ってるの。僕、後でからかわれちゃうよ」
「いいじゃん、からかってもらえて。すでにお城の人脈ができてるっていいことさ」
「トウカにもあるでしょ」
「そりゃあるよ。あ、つまりボクたち二人分でかなりの人脈だね。うまく情報を扱えばきっと昇進間違いなし! 目指せ、最年少近衛兵!」
ようやく息が整ってきた僕はトウカと軽口を叩きながら取り敢えず宿舎に入る。
裏門はもはや顔パスだ。
小さい頃から小間使いとして勤めているんだもの。
トウカは暇なのか、わざわざこっちに来なくてもいいのに付いて来た。
だってここに彼は用がないから。
僕の親友のトウカは、一兵卒になるような人間じゃない。
この宿舎は王城の一部にあるわけだけど、彼にその必要がないのは城の本当にすぐそばに住んでいるから。
それも城下町の中の貴族町の、一番立地の良いところで。
どんと他の貴族の邸宅を霞ませるほど大きな家に住んでいる。
広い庭があって、噴水があって、たくさんの部屋があって、私兵まで持ってる。
いわばもうひとつのお城みたいなお屋敷。
何度招かれて行っても決して慣れることはない、異世界のようなところ。
つまりトウカはお偉い貴族様のひとり息子なんだ。
……いや、お偉いどころじゃ済まなくて、貴族なら世界でも一番って言っていいぐらい偉いところの。
王族のすぐ下に来る、そんなあらゆる人間のヒエラルキーの上の方、ほぼてっぺんの存在。
彼の名前はトウカ・モノトリア。
世界に轟く名家にして、古代人の末裔の一族と言われる貴族の一人息子。
こんなの聞いたらむしろトウカの方が自分のための兵士とか傭兵を雇うんじゃないかって突っ込みたくなるんだけど、トウカの家は特殊なんだ。
多分、トロデーン王国で知らない人はいないと思うけど。
「モノトリア家」は代々トロデーン王家を守り抜く騎士のような存在で、実際にトウカの父君はトロデ王……現トロデーン陛下を、トウカはミーティア、ううんミーティア姫を護るとされている。
そしてトウカの母君は城まるごとを特別な結界で守護しているすごい魔術師をやっている。
そしてその護る地位すらも自分で獲得しにいくんだ。
例外は女性で、普通は結婚を優先するんだけど……今代は一人しか子どもがいないから、どっちにしろ関係なく騎士になるって言っていた。
でもトウカの母君の様子を見ていたら結局自ら王家を守りに行くんだとは思うけど。
トウカの家って、本人に言わせると絶滅寸前らしい。
トウカには兄弟いないし。
前に親戚がサザンビークにいるけれど全然頼りないって愚痴を聞いたことがある。
トウカの母君は病弱で有名だし、つまりトウカは仕事もお嫁さん探しも頑張らなきゃいけない立場なんだなあ。
孤児の僕には想像もできない重圧だ。
僕の前ではとても明るくて、朝っぱらからテンションが高くて、ニコニコしている隠す気もない鍛錬好きの戦闘狂だけど、他の大人の前だとすまし顔をしているだけのことはある。
別人格なんじゃないかってくらい一瞬でスンと真顔になって落ち着いた敬語で話し出すの、本当に器用だもんね。
僕の「最初」はミーティアに拾われたところから始まっている。
そのままミーティアと仲良くしてもらって。
それでミーティアの守護をするトウカにもちょうどいい友達ポジションだって思われたのか紹介されて。
でもトウカって、いや僕もだけど女の子の遊びは良く分からない。
一緒に過ごして、ピアノを聞かせてもらったりかわいいワガママを聞いたり……三人の思い出はなくはないけど、ミーティア……ミーティア姫さまがいるとトウカは仕事モードで真顔だから、結局ミーティア姫と僕の二人ってことが多かったし、小さいながらも家の立場を理解していたトウカが姫さまに気安くなることはなかったし。
というか、その点に関しては僕の方がおかしいわけで。
大国の姫君に孤児の僕が良くしてもらっているのに幼馴染としてこんなにも気安く接して……うぅ、兵士になったんだからこれからは今まで以上にうっかり呼び捨てしないようにしないと。
つまるところ、僕はミーティア姫とトウカ、両方と仲良くなったけど架け橋にはなれなかった。
大人たちの思惑は僕の友達を増やして終わり。
トウカは僕がいなくたって姫さまと面識はあっただろうし……あれ、僕だけ幸せになってない?
「おっ、エルトの坊主じゃねぇか」
悶々と考え込んでいる途中、いきなり後ろから声をかけられて振り向くと、そこにいたのは門番の兵士、バートランドさんだった。
僕は何度か話したことがある顔見知りの人だ。
髭の似合う大柄な兵士。
宿舎に居たのは休憩中なのか、それともこれから入隊式だから?
いやいや、入隊式だからって門番がいないわけにもいかないし、交代なんだろうけど。
「あんなに小さかったお前さんが俺と同じ兵士になるとはなぁ。俺も年をとったもんだ」
「お久しぶりです。これからよろしくお願いします!」
そう彼は過去を懐かしむように目を細める。
絶対僕のこと、まだ小さい子どもだと思っているよね?
それをどこかぼんやり眺めているトウカが、視界の端でちょっとつまらなそうな顔をしていた。
どっちかというとトウカは兵士を遠巻きに見てるもので、場合によっては命令する立場だから個人的な知り合いが少ないって前にこぼしていたのを思い出した。
トウカは正式に兵士になるけれど、これまでの立場がなかったことになるわけじゃないから。
階級としてはただの下っ端兵士だけど、同時にモノトリアの守護者。
変な立場で、胃が痛そう。
さっきまで絶対に従っていた上官に、緊急事態だと突然立場が逆転して命令しなきゃいけないってこと、だよね?
昔、遠巻きで見てるって、真ん中で守られる側ってことだよね?
って聞いたら、逆だよって言われたなあ。
兵士が魔物退治で戦う最前戦よりも前で父君と二人突撃しまくっているらしいけど、一体モノトリアってなんなの。
定期的な魔物の間引きって大事だよって、貴族だよね?
あの、威張って兵士を顎で使っている側のはず。
そういうわけで、モノトリア家はおかしな貴族。
うん、僕の理解はこんなものでいいでしょ。
「こっちはお前さんの友達かい? 見慣れないし、エルトの同期のようだが」
「……初めまして、先輩」
「モード」を切り替えた無感動な声で挨拶したトウカはさっと僕の背後に隠れてしまった。
トウカって人見知りじゃなかったよね?
一体何やってんだか。
身長的にすっぽり隠れるねって、そうじゃない。
どうせ知られるのにそんな行動?
トウカ、普段の高笑いと体力馬鹿っぷりをみんなにも見せたらきっと友達増えるのに。
……増えるかな。
減ることはないよ。
「ははは、こっちの坊主はずいぶん人見知りだな。かわいいもんだ。これからよろしく頼む! 俺はバートランド・ヘッスだ。お前さんの名前はなんて言うんだ?」
もしかして。目立たないようにしてた?
本人にその気がなくても大きすぎるネームバリューが邪魔するってやつ。
例えば真剣勝負でも影で八百長を疑われたり、八百長を疑え無いほど圧倒的に勝っても妬まれたり。
そんな風な腫れ物扱いはトウカ、大っ嫌いだから。
でも、先に名乗られてから名乗れと言われたらトウカは同時に名乗らないことは絶対にない律儀な人間。
「ボクは、新兵のトウカです」
「……噂のモノトリア様とは。これからどうぞ、ご指導よろしくお願いします。
なぁエルト、お前はいつもとんでもないな」
「?」
「相変わらず人たらしだよお前は」
心底嫌そうな声で取り敢えず名前だけ名乗ったトウカと、一瞬にして察して一気に表情が固まり、声を無理矢理絞り出したようなバートラントさん。
その顔に緊張の色。
同時に僕への呆れ。
それは流れ弾じゃない?
まてよ、他人からすると後ろ盾のない、どこの馬の骨とも知れない奴が大国の姫や大貴族のお世継ぎに次々と取り入っているってことになってない?
「ボクは確かにトウカ=モノトリアですが、エルトのただの友でごく普通の新米兵士ですから、様付けは不要です。有事の際以外は上官に従いますので敬語も不要です」
「……しかし」
「どうか、エルトのように接して下さりませんか。もしボクがあなたの階級を抜いたらその時は存分に敬語を使っていただいて構いませんので」
「……しかし、ですな」
「あの、トウカがスライムみたいに震えているのでお願いできますか。それに、えっと、今のはトウカなりの精いっぱいのジョークですし」
何故か昔からトウカは妙な所でメンタルが脆い。
人間関係が特に。
だからといって簡単には折れたりしないけど、兵士になるような歳の大の男が簡単にぷるぷる震えないで欲しい……いや、それ以前の問題だ。
親友の後ろでぷるぷるしないでよ。
小動物さながらに。
とても扱いにも反応に困る。
実家に連れていくべき?
いやいや、今日は入隊式だしそんなわけには。
「……ぶっ」
「ひゃ」
「なんだ、かの有名なリトル・モノトリア様がどんな方かと思えば可愛らしい子どもじゃねえか! はっはっは、悪いな、トウカ! これからは気にせず接させて貰うさ」
トウカはそれを聞くと僕の背から飛び出し、恐る恐る門兵さんを伺い始めた。
……取って食われたりしないってのに、同い年のはずがこういう時だけは幼い子どもみたいで困る。
「怖がらせたりしないぞ?」
「……ええ、分かっています、先輩」
「怯えてこっち見ないでよ」
「エルトの薄情者」
「ははっ、見捨てたか?」
「あはは……いいえ? 見捨てたりしませんよ。トウカは僕の親友なんです」
先輩と笑い合いながら、おどおどとするトウカを少しだけ生暖かい目で見た。
でも、僕は知っている。
こんなトウカはすでに、大の大人が何人飛びかかっても勝てないほど強い剣士であることを。
門兵のおじさんも、勿論それを知っている。
でも、彼は笑顔を引っ込めることはもう無かった。
入隊後の初訓練でペアになったトウカに八つ当たり気味にボコボコにされたのはまた別の話。
忘れもしないあの出来事、父上、母上、陛下に姫さま……そしてエルトに私……その他、ほとんど全てのトロデーン国民を巻き込んだあの忌まわしい出来事は、ある夏の暑い日だった。
エルトと私は順調に昇進し、近衛兵として国を守る立場になっていた。
「おはようトウカ……」
「おはよう、きっちり時間いっぱい仮眠できた癖に眠そうなエルト。ボクは今日、完徹組なのにさ」
「ベッドの寝心地は良かったよ」
「こいつ言うじゃないか……その寝癖どうにかしなよ」
城の夜の警備のペアだった同期が交代して仮眠に行き、代わってきた相手はおなじみの相手であるエルトだった。
その、私が言えたものでもないけど童顔をふにゃっと眠そうにしてて、見るからにぐしゃぐしゃの髪の毛。
あぁもうそれくらい直してきてよ。
いっぱい寝てたんだろ、ぐっすり寝てたんだろ!
……しっかり寝てたんだろ!
本当に羨ましい。
仕事の内容は嫌じゃないけど夜勤はからだに悪い。
心底そう思う。
きっと筋肉と鍛錬にも悪い。
夜型人間になると必然的に音のする鍛錬は控えるようになるし。
あ、でも強い魔物は夜に出るから全部が全部悪いことばかりじゃないね。
寝癖をどうにかすることに関してすっごく適当なエルトは小脇に抱えた支給品の兜をくせっ毛を隠すようにカポッと被ってみせた。
確かに分からなくなるけど、誤魔化し方、杜撰にも程があるよ。
あーあ、そういうあざとさがメイドたちにモテる要因なんだろうなあ。
私も男装を気取るならこういう路線を目指せばよかったのかな?
うーん、エルトのは天然か。
真似できそうにない。
「……明日はトウカが仮眠ありの夜警でしょ」
「うん、そうだね」
「じゃあ、おあいこってことで。ふわあ……」
そう言われるともう何も言い返せない。
その通りだ。
でも今、今日羨ましいのには変わりないんだろ?
そういうもんでしょ?
ねぇ、エルト?
ちょっとだけ軽口を叩いて、それからは二人して真面目な顔をして押し黙り、静かに、これまた支給品の槍を片手に持ちながら、しん……とした城を見守る。
ここからちょっと見える城の前の庭も、特に風も吹かず静かだ。
時折遠くからカツンカツンと響く音には聞き慣れた。
巡回の兵士か交代の兵士の足音だから。
みんなも頑張って仕事中だと思うと私も負けていられないや。
私たち二人は、とうとう近衛兵まで登りつめたんだ。
単純に戦闘力をかわれた私と、姫さまの推薦のエルトで。
勿論、エルトの実力も近衛兵として充分足りている。
きっと推薦なんか無くても大丈夫だったはず。
だから特に反対意見もなく、エルトは異例のスピードで昇進している。
スキルがなくてもある程度まではその武器は扱えるけど、スキルがあった方がいい。
剣スキルがなくてもレベルアップやほかの要因で剣の特技を覚えられる人はいるけど、あった方がずっと強くなる。
その点、エルトは兵士として必須の剣か槍のスキルを両方持ち合わせているし、魔法の適性もある。
魔法は兵士の必須技能じゃないけどないよりもあった方がいい。
攻撃魔法でも回復魔法でも補助魔法でも、その本人のほかの適正と組みあわせて立派な個性になる。
魔物が蔓延るこの世界で、それも死者が出ることもある世界で、……ただの無知性なやつらでもない魔物を相手にしなくちゃいけない世界で、やっぱり多才な方がいい。
私自身、自分の戦闘能力に対して過剰に自惚れているわけではないけれど、「転生」の「せい」というか「おかげ」というか、赤ちゃんの時から自我があったものだから、幼い時から父上に頼んできちんとしたコーチを用意してもらい、理論に基づいて鍛えに鍛えることができたし。
身長が伸びなくても構わずに筋トレを重ねてきた。身長に関してはどっちにしろ女の私は男性に比べて大きくもならないだろうし。
最終的には魔物相手に実戦で戦い続けたものだから……さすがに、弱くはないはず。
そういうわけで忖度人事だとは思わないけど、ふたりして早い昇進。
訓練や手合わせでも最近では負けなしで、そのお陰か男装は成功して、女だと疑われることはない。
というか最初から特に疑われることはなかった。
そもそも「長男」とは名乗ってないし。
「長子」としか言ってないから何も間違ってない。
長子なら長女でも問題なし。
言葉遊びかもしれないけど。
それから、私の名前は「トウカ」という日本ではありがちな女性名だけど、この世界ではなんだか変わった響きの名前だというだけというのも大きい。
男性名にも女性名にも分類されない。
何故名前が「前世」と同じなのかについて、「前世」のように名づけた理由を聞いてみたところ「決まっていたことだから」としか返ってこなかった。
なんでも、すべてのモノトリア家の人間は産まれる前から名前が決まっているらしい。
ライティアの「夢見」がちな力が昔は本当にあって、それは正しく「予知能力」だった。
その先祖が作ったのかはもう定かではないけれど言い伝えを信じるならすべての、今後生まれるモノトリアの人間の名前は書き留められて保管されている。
その中には養子として記録されている人間のものもあった。
つまり、私のものも。
その人間が生まれたり迎えられると分厚い本のページに文字が浮かび上がってくるシステム。
それにしたって昔の人はなんで遠い子孫に「トウカ」と名付けたんだろう?
父上や母上の名前は別に日本っぽいわけではないし。
不思議だなぁ。
名前をつけたのは両親じゃないからそれ以上聞いたって分からないし。
夜勤は何もなければ暇なもの。
それこそ歓迎すべきで、兵士なんてやることなくて穀潰しになっているのがその国が平和な証。
なんて、つらつらと考えごとをしながらエルトの肩に乗っている小さなネズミのトーポを眺める。
小さい家族が定位置のポケットから脱走していることに寝ぼけまなこのエルトは気づいていないみたいだった。
可愛らしくくしくしと顔を洗い、こっちを見てきて、くりくりした目を見ているとちょっと癒される。
十八歳にもなってこんなに可愛い小動物が肩にいても似合う男、エルト。
チーズを与える姿は一撃で老若男女を虜にする。
あざとさのレベルが違う。
しかも天然でやってるんだ。
取り繕わなくてもこんなエルトの隣にいたら一生性別なんてバレそうにない。
同い年のエルトが十八歳になっていて、私も当然十八歳になっているのに家の跡を継がず、まだ単なる近衛兵をやっているのは私の誕生日……ということにしている、私が拾われた日……がつい先日だったから。
十八歳で跡を継ぐ伝統とは言ってもそんなにすぐには当主が代わるなんてしないみたいだ。
父上も健在だしね。
そもそも、伝統的に前当主、つまり父上の誕生日に継ぐことになっているから。
そしてそれは三ヶ月後のことだし。
そして、それは私の詐称の終わりも意味する。
当主になったら性別詐称は辞めるから。
エルトや陛下、姫さまにはものすごく謝らなきゃいけないな。
詐称が許されるかは分からないけれど、当面の私の目標は姫さま専属の近衛兵になることだ。
まだ、達成できていない。
だけどこのままいけば、エルトがなるだろうね。
能力も高いし、その上に姫さまとエルトはちゃんとした幼馴染なんだから。
同い年の同性だけど、残念ながら姫さまと私の交流はあんまりないし。
姫さまと同性であることは姫さまはおろか、陛下も知らないんだし、それが考慮されることはない。
孤児で身寄りがなかったエルトがうんと偉くなって、仲のいい姫さまの近衛兵になったらどれだけ幸せだろう。
私はそれを見守りつつ、そうだな、玉座の番にでもなれたらいいと思ってるよ。
だけど、姫さまの専属近衛兵になるというこの目標は私だけのものではないから簡単に諦めるわけにもいかない。
この目標はモノトリア家のものだから。
ああ、どうしよう。
このままでは父上と母上の期待に背いてしまう。
でも、正々堂々とした勝負以外でエルトを蹴落とすようなことをするのは絶対に嫌だ。
それ以前に姫さまの希望は人となりを知らない私ではなくて、間違いなく素朴で優しいエルトだ。
親友だからこそ、エルトがいいのはすごくわかる。
姫さまにとってエルトは唯一無二の同年代の友達で恐らくは初恋の相手で、しかもそれは両想いなんだし。
姫さまのサザンビーク王子との婚約、なんとかしてぶち壊せないかな。
そうすれば私の大切な人がみんなハッピーになるんだもの。
エルトが優勢すぎて姫さまと特に関わりのない、一応同年代だけども異性だと思われている私がいくら腕力とかで勝ったって選ばれるはずがないんだよね。
これこそ玉座の間の番になるのが精一杯。
これなら近衛兵隊長でも目指したほうがいいかもしれない。
家の方の役目との兼ね合いがあるけどさ。
しかも、あの二人の仲のことを陛下は好ましく思われているし。
結婚させるおつもりはサザンビークの件もあるし、今のところはないだろうけど……現状、優しく見守られていられるし……。
サザンビーク王子に貴族の娘を差し向けるとか、できないかな?
いやいや、流石に王家の意向に背いて勝手なことは出来ないけど。
隣にいるエルトの規則的な呼吸音を聴きつつ、悶々とひたすらに考える。
……穏やかすぎるなぁ、寝てない?
寝てなかった。
寝てないならゆっくりと背中に移動してるトーポのことを教えてあげる。
夜は寒いし早くポケットに入れてやりなよ。
そして、そんな何時ものトロデーンが一瞬にして変貌してしまう瞬間が来てしまう。
予兆はなかった。
襲ってきたのは強い衝撃。
何者の気配もなく、いきなり全身を襲った、破滅的な衝撃。
王城の守護魔術師の母上の結界は、外部の攻撃から内部の人間を守るものだからこんな風に内側からの攻撃を想定していないんだ!
まるで目から火花が飛び散ったような、激しい衝撃とそれに伴ってこみ上げる全身の痛み。
同時に込み上げる、何かを強く強く拒絶するような感覚。
首に装着している、男装のために声を低くする魔具が破滅の衝撃に耐えられずに弾け飛ぶのを感じる。
その下に隠されている首の、ライティアによって刻まれた古傷が強烈に痛む。
それから、生まれつき見えないはずの右目が刺すように痛む。
痛い、痛い、だけど、それよりも!
「エルト!」
隣の親友の無事を確認したい。
同じ攻撃をエルトも受けたらしく、エルトも槍を取り落として顔が真っ青だった。
そしてなお悪いことに意識が遠のいていき、暗くなっていく視界。
構わず私は意識を失いかけて崩れ落ちるエルトに手を伸ばす。
エルトもすがるように私の手を取った。
一言、トウカ、と返事をして……。
私の視界はあっけなく暗転した。
ふと首もとに慣れない、風を受ける涼しさを感じ、とっさに首を抑えた。
これはあの忌まわしい事件の名残。
とはいえ、事件前から首元にはもともと傷があったとのことだけど赤ちゃんだった私は自分で確認していないから傷跡のどれだけが事件由来でどれだけがその前からあったものなのかわからないけど。
傷跡を隠す意味もあるし、私は正真正銘女だから十八歳でも当たり前だけど声変わりをしていない。
男装しているんだから声変わりをしていない青年という不自然さを無くす為に声を変えるチョーカー型の魔道具を付けている。
それがなきゃ、声で簡単に女だとばれてしまう。
私の地声は残念なことに誤魔化せないくらいに高いらしく、いまだに大人の女性らしくなく、小さい女の子みたい……と母上に言われたから。
自分ではよくわからないけれど、子どもっぽい少女の声ではどれだけ立ち振る舞いに気を付けても意味がないと思ったし。
しまった、さっきエルトにその問題の声でうっかり話してしまったかも知れない。
と、そこまで考えて、首を抑えながら起きあがると、心配そうな顔をしたエルトが倒れた体勢から上半身を起こしてこっちを見た。
「トウカ、大丈夫? さっきはすごい衝撃だったね。って、その首はどうしたの? 今ので怪我したの? 交代の先輩呼んでこようか?」
「……」
抑えるのは間に合ったのか、傷跡は見ていないらしいエルトは首を抑える仕草に反応しただけのようだった。
ならいいか。さっさと予備のチョーカーを巻けばいい。
傷跡の方は別に見られたっていいのだけど、あんまり気分が良いものなわけがない。
首の傷は致命傷を負った証じゃないか。
事実、あの場に母上という優秀な魔術師がいなかったらライティアは目標を達成していたし。
質問に答えられずにポケットから出した予備の変声器を巻いてから、エルトに向き直った。
暗いから首元は見られなかったみたい。
「あー、あー、なんか声、変じゃない?」
「もしかしてなかったら喋れなかったり? なんか僕が知っちゃいけない、あー、お家の事情?」
「そこまで深刻なことじゃないんだけど、小さいころにした怪我の痕が目立つんだ。顔のすぐ下だし。そういうの、貴族は気にするでしょ?」
「確かに気にしそう。今は痛くない?」
「痛かったことなんて一度もないよ。見た目の問題だから」
まぁ、そういう反応になってもおかしくはないけど。
妙な誤解をされかけた。
返答に嘘は、ないはず。
嘘をつくことは、何度ついても慣れないからなるべくしたくないし。
それにしても……さっきの衝撃は一体何だったんだろう?
魔物が攻めてきたにしては、静かすぎる。
「……!」
「は、母上……」
持ち場にいても何が起こったのか分からなかったので、二人して城を回っていると、見知ったトウカの母君が廊下の向こうに立ち尽くしていた。
訓練された兵士を簡単に気絶させるような衝撃があったすぐのことだし、まだ危険があるかもしれない。
急いで近寄ってみると、彼女はそこで立ったまま、人の形をした植物のような姿になっていた。
驚きの表情を浮かべたまま。
その美しい顔も、祈るように組まれた手も、全部全部緑がかった色とトゲに変わっていた。
まるでイバラのように。
さっきまで走ってきた城の中も、見たこともないほど大きくて邪悪な気配のするイバラが巻き付いていたり、廊下に穴を開けていたりしていたけれど、まさか、人までこんな姿になっているなんて……。
一瞬、呆然としたトウカはすぐに動かない母君の頬に手を伸ばした。
他の部位とは違って、目立った棘がない頬から体温を感じ取れたらしく、トウカはほっと安堵の息を吐いた。
生きているならばきっと手立てはあるから。
変わり果てた母君を見ても、トウカはすぐに頭を回転させ始めた。
少なくとも、そう見えた。
小さい時のようにどうしたらいいのかわからなくて寂しそうにしていたり、どんなに感情が動いても、泣いたりいじけたり、あぁいう負の感情を僕に見せてくることはもう、めったにない。
「呪いだ」
「……え?」
「からだが温かい。母上は間違いなく生きている。なら、これは呪いだ。陛下を狙ったの? モノトリアを狙ったの? それとも城ごと、国ごと? そもそもの目的は? 陛下はご無事なの? 姫さまはご無事なの? エルトと私はどうしてこうならなかった? 母上はどうして狙われたの? 私に魔法が使えたら、呪いを打ち払う魔法を今すぐ使うのに! 神父さまを呼んでくる! そこで待っててよ!」
まくし立てるだけまくしたててトウカは走り去った。
声こそ叫ぶように大きかったけれど、その表情だけは鉄仮面のように無表情のまま。
チグハグな表情が表すようにまったく冷静ではなかったんだ。
トウカは、大人の前では得意だった感情の操作すらうまく出来ないほどに混乱している証だった。
……、まだ、小さいころのトウカがいなくなった訳じゃないんだ、と不謹慎にも思ってしまう。
トウカはわかりやすく喜んだり笑ったりもするけれど、小さい頃みたいに怒りも悲しみもあんまりしなくなっていたから。
その方が貴族らしくはあるけど、貴族らしくないトウカに振り回されているのが僕だったから。
走り去ってしまったトウカはあっという間に廊下の向こうに消えた。
仕方なく僕はトウカの母君に向き直る。
その、ため息の出るほど美しい、黒髪の女性は虚ろな黒い目から一筋涙を流していて。
あぁ良かった。
トウカが言うようにこの人は確かに生きている。
ピクリともしない彼女はトウカと、それからどこかミーティアに似ている、と思った。
ミーティアの方は単に長い黒髪だからかもしれないけれど。
強くて、優しそうで、穏やかそうで、……それで、地位から考えられないくらい僕にも良くしてくれるこの人は。
確か、世界でも指折りの偉大な魔術師じゃかったっけ。
あれ、この人が呪いに負けてしまうなら、もし国中が、城中がこの調子なら、神父さまは、神父さまでも、抗えないんじゃないだろうか。
その「嫌な予感」は的中してしまって。
戻ってきたトウカはひとりきりで、神聖な教会の有様を見てしまい、真っ白な顔色になっていて。
とてもとてもゾッとした僕たちは今度は二手に分かれることなく互いの位置を確認しながら、死にものぐるいで生存者を探すために走り回った。
そして幸いと言っていいのか、変わり果てた姿だけれど、イバラにはなっていないミーティアと陛下を見つけることになったんだ。