願いの丘の頂上に着いたのは朝日の眩しい早朝だった。
後は不思議な力に守られたこの場所で今夜、満月が昇るのを待つだけか。
本当かどうか最初はかなり胡散臭く思っていたが、この場に立ち込める神聖にも似た何とも形容しがたい魔力を感じれば全くの眉唾話だとは考えにくい。
おとぎ話の通り、満月の夜に何かしらはあるはずだ。
そんな緊張感が俺やゼシカにはあるが、それ以外の連中は魔力に鈍感らしくまったくもって気楽な感じだ。
「朝日ぼっこって気持ちいいかも」
「用意良いな、その敷物」
「エルトの『ふくろ』とこの『手袋』は同じだからね。かなりボクは荷物がある。空間拡張式いっぱい仕舞える業務用収納術式。エルトのは本来兵用品。国家緊急事態につきエルトに貸し出されてる実質容量制限なしのやつ。必要なら荷物預けたらいいよ。袋に入っちゃえば重くもないし。だからなんか要りそうなものは何でも持ってる」
「そうか」
隣で無防備に寝転がっているトウカをさりげなく見る。
結び目が寝転がるのに邪魔だったのかリボンが解かれて広がる髪。
かなりの無防備に見えるが、まくれた腹から鎖帷子の白い輝きが覗いているし、腰の剣は両方とも装備しっぱなしで例の大剣はしっかり体の脇に置かれている。
武装を認識してなお、相変わらずどこからどう見てもボーイッシュなレディにしか見えない上、とろけるような笑顔で光を浴びて笑っていた。
直視したらまた自分への暗示のかけ直しだ。
再びあいつは男だと自分に言い聞かせなくてはいけない気もする。
どう考えても服の下にもがっつり鎖帷子を着込み、ごつい腕当てをした重兵にレディを感じるのは間違っている。
この世の重力そのものを圧縮したような槍をやすやす持ち上げ振り回し、牢屋の鉄格子を飴を延ばすように素手で破壊する人物には変わりない。
もはや男だからできるってレベルの話でもないが、それはさておき。
なんて決意したのもつかの間、ふわりと風が吹き、トウカの顔半分を隠していた前髪が流れて顔全体があらわになった。
つい、わざわざ隠しているのに悪いと思いつつもしっかりその顔を目に焼き付けてしまう。
当然気づいているだろうにトウカは別に慌てる様子も何もなく、そこまで顔を隠すつもりはないらしい、と安心しつつ。
トウカの素顔は、はっきり全面を拝んでも年下の少女にしか見えなかった。
当然化粧っ気はないが。
そして隠されていた右目はぼんやりと見開かれたまま、虚ろでどこも見ていない。
さっと伸びてきた手が前髪を元の位置に戻した。
細めた左目が俺の方を見ている。
「見たっていいもんじゃないでしょ?」
「そんな顔してたんだな」
「あ、顔みてもエルトの『妹』に見えた?」
「いや……その節については悪かったな」
「兄妹に見られたのは初めてだったなあ。ま、トロデーンじゃエルトとボクが同い年なのは周知の事実だったからね」
「兄弟の勘違いはあるじゃん」
「外の人はね。エルトの方が背が高いからみんなそっちを兄扱いするのかな!」
こうして見れば顔は全く似ていない。
そっくりのカラーリングに大きな目、やや小柄な体格は似ているが出身が国が同じだからそりゃ身体的特徴は似ているか。
「……えらく」
「ん?」
「可愛らしい顔だな」
「か、かわいらしい? びっくりした!」
「うわ言ったね」
「言うわね」
「言いやがったな」
「そこうるさいぞ」
「だってさ、ボクのことを『かわいらしい』なんて思っているのなんて父上と母上だけだと思ってたよ。性別の区別もないような小さい時は母上の趣味全開のリボンやレースまみれの衣装着せられたりしてさ」
「絶対あのお方ならやってると思ってたけど、本当にやっていたんだ」
「最近は『もうちょっと』ね」
「さすがに終わったの?」
「いや、『もうちょっと』だって。子どもの頃より悪化しててね。少し化粧したらそのまま舞踏会に出られそうな感じ。つまり母上はフリルもお好きだ」
「それにしても突っ張ったら破れそうな服はトウカの趣味じゃないでしょ。出たいのは武道会なのにね」
「うーん、その通り。踊るなら剣の舞がいいよ。着るなら鎖帷子がいいな」
びっくりした、と言いつつもそのままエルトとの軽口に移行する。
怒っている様子はなく、言い分を信じるなら両親に、特に母親に猫可愛がりされているようで慣れているのか。
貴族にしてはかなりシンプルな格好をしているが、単に変装しているつもりなわけではなく、母親からの扱いに辟易している反動なのかもしれなかった。
ま、もっと単純にいろいろと飾りがついているような服は戦いにくいからわざわざ着る必要も無いと笑い飛ばされてもおかしくないが。
そんな事を考えているとトウカがあくびをして目をこすった。
そういえば俺たちは徹夜でここを登っていた。
エルトに見事にあくびがうつり、……こっちは寝起きが悪いのを知ったので本気で寝かねないと思うが。
「眠いね」
「夜勤で長い時間起きてるの、慣れてるはずなんだけど最近規則正しかったからね」
かくいう俺も眠い。
トロデ王なんて馬姫さまに寄りかかったままうたた寝をしている。
「あぁ風が気持ちいい……」
「爽やかだね」
「なかなかここまでの景色を味わえる場所も無いだろうしね」
確かにこの「願いの丘」は見晴らしが素晴らしく、晴れ渡る青空が、真っ白な雲が、そして心地よく吹き抜ける風が印象的だった。
そしてしばらくしたあと、周囲に魔物の気配がないのをいいことに全員で夕方まで寝こけてしまった。
月という物は、どこの世界でも変わらず美しい。
空に浮かぶ月にはきっと神秘的な何かがある、と思う。
理由なく心が惹かれる。
だからこそ前世の人間はロケットを飛ばしてまで降り立ったわけだけど。
絶対に地球ではないこっちの世界でも不思議なことに「月」は存在する。
同じように大きく見えて、青白く、時に赤く、丸くて、満ち欠けもある。
「太陽」がただひとつの太陽であるように、月も同じでロケットは多分ないだろうけど、「星」の概念もある。
同じように空を回るただひとつの月。
不思議なことだけど、確か潮の満ち干きにも月って関係あったんじゃなかったっけ。
魔法のある世界だけど、植物も動物も人間も若干の違いはあるけど知っている生き物と違いすぎるほど違うのって魔物くらいだから「こういう形」の生物が生まれて存続するには月が必要、だったりして。
「前」、高校まで行けていればもう少し詳しくわかったかもだけど、天体観測が趣味だった訳でもないただの中学生程度の知識じゃよく分からない。
なんにせよ、月の美しさとは別にこの光景はこの世界だから見れるってことは確かだね。
透明の階段が浮かんでいる原理なんて魔法以外にないと思う。
あー、磁力とかでどうにかしたらいけるのかな?
この景色に対してあまりに夢がない発想かも。
「綺麗!」
美しい月の世界に一歩踏み出すごとに心が浄化されるよう。
目を疑うような異世界はどこまでも広がっているみたい。
しかもどこからか、これまた綺麗な音楽の旋律まで聞こえるし。
「奇跡だ。こんなことがあるなんて……」
「びっくりしすぎ、エルト」
「そう、かな。トウカも目がまん丸だよ」
「そう? そうかも! こんなの普通じゃ見られないよね」
同じように驚くエルトやヤンガスやゼシカやククール。
しばらく見回したけど、階段の先にきっと目的地らしいものを見つけて、指さした。
「ね、あそこに行ってみようよ」
この月の世界の真ん中にはドーム状の建物がある。
おとぎ話の通りなら、その中に願いを叶える何かがあるんだ。
そこにいるのは人じゃないかもしれないし、入っただけで叶うのかもしれない。
足取りも軽く飛び出せば後ろからみんなが追いかけてくるのが分かる。
あそこに早く行ってみたい。
何があるんだろう?
好奇心のまま、進んでいく。
着いた先には青く長い髪をした……人でない者が居た訳だけど。
神秘的で美しい顔をした、精霊らしい不思議な存在が。
「イシュマウリ」さんを見た途端、さっきまではしゃいでいたトウカがちょっと落ち着いて、警戒したような気配を出した。
敵意は感じないけど、どう見ても人間じゃないし、こんな不思議な場所に住んでいるくらいだから信じられないくらい長生きしているんだろうなという予想もある。
でも、警戒はトウカに任せておこうかな。
僕は大丈夫だと思うから。
「記憶というものは、物にも宿る。さあ、君の靴に聞いてみようか」
イシュマウリさんが鳴らしたハープが澄んだ音色が僕らを包む。
途端に僕の靴が光って、音楽に共鳴したみたいでまたまた驚いた。
ただの靴のはずなのに、音楽に反応して返事したみたいだ。
「このように、私にはあなたたちの望みが分かる。靴は健気なメイドと悲観にくれる王の話をしてくれたよ」
「靴が」
「記憶を持つのは生き物だけではないのだよ」
本当に僕たちの靴に聞いたって?
そんなことが可能なの?
「私は願いを叶える者。さて……悲しみにくれる王の元へ向かおうか」
ただただ驚く僕達の前で、彼は再び手に持っているハープをかき鳴らしてみせた。
月の世界を出ると、そこは不思議なことにアスカンタのお城の中。
「ルーラ」や「リレミト」のように移動する呪文は使えるけれど、それとはまた違う気がする。
夜の城が部外者立ち入り禁止なのは兵士として重々承知しているから、僕らは足音を潜めつつ玉座の間に向かう。
イシュマウリさんがハープをかき鳴らす度に、パヴァン王が求めて止まなかった亡きセシル王妃……らしいドレスの女性が現れる。
彼女の姿は透けていて、元気そうで、とても亡くなったようには見えない。
きっと病気にかかる前の元気な姿なんだろう。
しかも、今立ち尽くして彼女を見ているパヴァン王は見えていないようだから……もしかして、過去の姿?
その考えを裏付けるように彼女の幻の隣に別人のように朗らかな笑みを浮かべたパヴァン王……の半透明の姿が現れたから、あの王妃は魂のある幽霊ではなくて、過去の幻……。
きっと、パヴァン王にはそれでも良かったのだと思う。
踊るように、歌うように、楽しげに笑うな彼女はパヴァン王に語りかける。
彼を信じきった目、心底楽しそうな笑顔。
本当に、本当に彼を愛している彼女の声が、時間を超えて聞こえる。
この記憶はパヴァン王の記憶?
それとも、この「部屋」に刻まれた記憶?
王妃の姿を食い入る様に眺めているパヴァン王の表情は、悲しげで、切なげで、呆然としているようで、目を疑って、でも……少しずつ、その目に光が戻ってきているみたいだった。
僕は運良く、まだ大切な人を失った記憶を持っていない。
何も持っていない僕に優しく分け与えてくれた誰かを失ったら、立ち直れる気がしない。
トロデーンで呪われてしまったみんながもしも、戻らなかったとしたら、僕はこんな風に、鮮明な過去の幻を見れたとしても……。
料理番のみんな、気にかけてくれるおばさん、新しくできた兵士の後輩たち、近衛の同期、先輩たち、僕が小さい頃から見守ってくれた大人たち……。
そうだ、トウカのご両親も。
考えていると少し胸が痛んだ。
トウカは僕より前に立っていたから、どんな顔をしてこの幻を見ているのか分からなかった。
『私の王様』
「セシル!」
『民のことを考えて一生懸命なあなた、誰よりも慕われる優しくて賢い王さま』
彼女は笑う。
健気に笑う。
あくまでこれは過去の幻であって、彼女はそこには本当にいないって、きっとパヴァン王もわかっていると、思う。
だけど、その笑顔は、時間を超えても……一途に愛し続けたひとに届いた。
パヴァン王は決して強いひとじゃないと思う。
でも、セシル王妃が愛した「王さま」を投げ出さないで三年越しに立ち上がった、そんな人だった。
「不躾ながら、ひとつお願いしてもよろしいでしょうか?」
乾杯の後、ただの「トウカ」と名乗った剣士の少年……だけども、見る者が見れば剣に刻まれた紋章を見ればその正体はすぐに分かる……は口を開いた。
「食事をいくらか包んでいただきたいのです。馬車の方にも私たちの仲間がいるので、あの方にも食べて頂きたく。……ゆえあって、馬車に残られていますのでこの場に呼ぶというのは……ご配慮いただきたいのですが」
「お易い御用ですとも。いくらかと言わず! そうだ、あなたがたの次の食事分も包ませましょう。少しでも旅の助けになれば」
「寛大なご対応、ありがとうございます」
もしかすると彼の父か母か、あるいは別の貴人がいるのかもしれなかったが、この場に顔を出さないということはのっぴきならない事情があるか、あるいは負傷されていて動けないということ。
口を出すのはやぶ蛇だ。
キラの話によると、キラの故郷に伝わるおとぎ話に従って私の「願い」を叶える奇跡を起こしてくれたというが……。
なんというお人好したち。
そして不思議な一行だ。
完璧な所作で食事を口に運ぶ「かの令息」、この一行のリーダーだという優しげな面差しの青年、彼らと比較して一回りかそれ以上歳上に見える男は青年たちに従っていて、食事会に驚く様子のなかった「令嬢」、そしてワイングラスを手にした騎士の格好をした青年はさっきから一向にトウカさんから目を離さないので実のところ仲間に扮した護衛なのかも……いや……彼が本当に「彼」なら護衛なんて必要がないはずだった。
どうにもちぐはぐにも見えるが、しっくりくる。
彼らに共通項など見えてこないのに、まるでバラバラの格好をしているのに。
はてさて、話を聞きたい好奇心はむくむくと湧き上がったけれど、ともすれば恩人たちの気を悪くさせるような話題は相応しくない。
聞けば「ドルマゲス」という杖を持った道化師を追っているらしい。
口ぶりからして、凶悪な強盗殺人犯を。
残念ながら聞いたことがなく、宰相も知らないらしかったが情報を集めておくのがせめて報いる方法だ、と頭に入れておく。
さぁ、これから忙しくなる。
めいっぱい動かなければ。
三年間、長く感じた嘆きの日々は国民にとっては重苦しく先の見えない三年間だったに違いない。
それでもこの国を出ずに待っていてくれた国民たちに報いなければ。
・文章消したり新しく書いたり昔の文章を読み返して悶え苦しんだり(十年前のリメイク)