「お待ちください!」
あの時、ユリマさんの言葉がなければ、とっとと僕たちは関所に向かって旅を再開していたと思う。
夜に街の宿に泊まることなく、トウカは「石畳」なんて心配もせずにさ。
でもそうしなくてよかったと思う。
急いで出発したせいでもしも「追いついてしまっていたら」、きっと僕らの旅はそこで終わっていたはずだから。
街からそこそこ離れた洞窟の中。
なんでこんなところで剣を構えなきゃいけないのか……と思わなくもないけど、投げ出そうとは思わない。
僕はそういうモチベーションだった。
あのあと街を出ると、ただひとり追いかけてきたユリマというトラペッタの女の子のお願いごとを「ミーティアと同じくらいの年頃の娘の健気さ」に感動した陛下が聞かれて、そのせいというか……そのせいで僕らはじめじめした洞窟で魔物を狩りまくっているってだけなんだけど。
ドルマゲスの師匠だったマスター・ライラスが亡くなっている以上、手がかりがなくなったから焦っても仕方ない、と思うことにする。
それに陛下がこういう優しい方だから僕は今ここにいるのだし。
それに、陛下が言うなら黒も白にするトウカは僕よりずっと素直に受け入れたから。
「まるでリンゴを握りつぶしてジュースにするみたいに弱い奴らばっかりだ」
「それは雑魚の例えなの?」
「あっしは出来るでがすよ?」
「そう。僕も出来るって便乗すればいいの?」
「握力自慢しかいないのは幸先いいね。そのうち腕相撲大会でもやる?」
「トウカの一人勝ちになるでしょ。その背中の剣の重さを言ってみなよ。それを片手で振ってるんでしょ」
「ボクより重いのは知ってるかなぁ。だいたいエルト三人分くらい?」
「なんとか上がらなくはないか……」
「ボロい宿屋に泊まった日にゃ床が抜けそうでがすね」
ボロ屋じゃなくてもそっと置かなきゃ床抜けると思う。
「言えてる。駄目そうならこの空間拡張収納機能付き手袋に収納するから大丈夫。手袋だけどエルトの『ふくろ』みたいなものなんだよね。魔法ってとっても便利」
「僕の『ふくろ』は本来遠征の時とかに使う補給兵の備品だからね」
「陛下がエルトに使うように仰ったんだからもうエルトの物だよ。全て終わっても返せなんて仰らないさ。陛下は慈悲深くていらっしゃる」
「僕の給料何ヶ月分なのかな……」
話しながらも頼りの明かりの松明を僕に押し付けたトウカは、現れる魔物がこちらに敵意を示した瞬間にバッサリ切り捨てて進んでいく。
ここはごうごうとした水の音が響く滝の洞窟。
外よりも魔物が強くて、外では見かけない姿の魔物も多かった。
だけどそういう違いはあまりトウカには関係ない様子。
外のスライムたちと同じ勢いで狩っていくだけ。
僕とヤンガスはそれを半分くらい傍観していて、たまにこちらに向かってくる魔物をやっつけるくらいだった。
それもだいたい、一撃で倒れなかった不幸な瀕死のモンスターばっかり。
まぁ、最前線で踊っているみたいに斬りまくり、殺意がなければ器用に見逃しつつ、両手に一本ずつ普通の大きさの剣……ごく一般的なバスタードソードくらいの剣だから本来は両手剣……でなぎ倒していく。
背中に僕の三倍の重さの例の大剣を背負ったまま。
まぁトウカをかいくぐる魔物はあまりいなかったけれど。
疲れも見せずにトウカは戦う。
なんだかとても楽しそうなのは気のせいじゃない。
大声で笑い出さないのが不思議なくらい。
「長靴とかもぐらとか、ダンスする悪魔とか、変なの。魔物の生態系って不思議だね!」
結構な勢いで振り下ろされたスコップをとっさに剣で受け止めた僕をトウカは観察する。
その余裕しゃくしゃくな態度が憎いというか、兵士としては同期なのに一段と違う強さを痛感させられるというか。
僕は流れ弾……もとい流れモンスターを倒すのですら苦労していたから。
瀕死の相手なら簡単だけど、今回みたいに怪我をしていない魔物なら一撃では倒せない。
「んーー、エルト、ボク松明持つの変わるよ」
「ありがとう……」
「かわりにさ、ちょっと戦闘のアドバイスしてあげるからエルトとヤンガスだけで戦ってよ?」
「トウカが相手取ってた数を倒すのは無理なんだけど」
「? エルトもヤンガスも平均的な兵士よりよっぽど強いじゃない? ならもっと強くなれるよね? これからどんな旅になるのかも分からないし、ドルマゲスがとんでもない魔力持ちなのは分かっているんだから強ければ強い方がいいよね」
僕の手から松明をもぎ取ったトウカは構えていた剣を片方腰の鞘に収め、片手に松明、反対の手に剣を構えて、いつも通りの無邪気な笑顔でにこにことした。
駄目だ、こんな時のトウカは有言実行。
無理だよ、あの数の魔物と戦うのなんて。
僕はトウカほど強くないのに。
戦い慣れだってしていないのに。
でもトウカは問答無用。
そして最悪助けてくれるのは知ってる。
あぁ、得意の槍が欲しい。
トウカに借りようかな。
きっと快く貸してくれると思う。
……ダメだ、トウカの槍はものすごく重いんだ。
トウカの腕力とご両親の財力の相乗効果で重い方が強いという謎の理論で作られてたはず。
誰か止めなかったの。
「ヤンガス、よそ見は危ないよ!」
「すいやせん!」
内心嘆いている間にもトウカはヤンガスの背後に迫ったメタッピーを蹴り落としていた。
蹴りは素早すぎて目撃していたはずの僕にも見えないほど。
そのくせ、確か靴にもなんか仕込んでたような。
自分の体重よりも何倍も重い装備を「生きているだけで鍛錬」だって喜ぶタイプの戦闘狂。
ああ、でも、アドバイスと本当に怪我しそうなときの補助はしてくれるってこと?
それならもう、最初から戦ってよ。
全部倒してくれなんて言わないから。
「それじゃあエルトたちが強くなれない!」
「僕の考えを読むの、得意だよね」
「そうさ! だってエルトも分かるでしょ?」
トウカは幼い時と同じ顔で笑う。
小さな女の子みたいな屈託のない笑顔で。
顔に飛び散った返り血がなかったら、うっかりトロデーンの外の世界にいることを忘れてしまいそう。
明日目が覚めたらいつも通りの兵舎で目覚めたらいいのにな。
いつもみたいにトウカが裏門から出勤してきて寝ぼけた僕を叩き起して、僕らの鍛錬をミーティアが遠目から見ていて、昼休みに城の厨房の美味しいご飯を食べて、警備をしていたら昔馴染みの人たちにからかわれて、巡回しているとトーポがポケットでモゾモゾ丸まるのがわかって、僕が彼を手のひらに乗せていると誰かがチーズをくれるんだ。
非番の日、部屋の近くを通るとミーティアが上手にピアノを弾いているのが分かって、陛下が廊下でピアノを聴いていらして、僕は一緒にそこで聴かせてもらうんだ。
あんまり長くは話せないけど、いつもそのあと昔みたいに僕らはおしゃべりして、それから、それから……。
トウカの言う通り、もっと強くならなきゃいけないな。
エルトは同世代の中ではかなり強い。
数居るトロデーン近衛兵の中でも上から数えた方が早い。
近衛兵だけじゃなく、兵士全体でも結構上の方。
だけど、魔物との実戦経験は少なめ。
若いから訓練が中心だし。
私もトロデーン兵としての実戦経験はない。
それ以上に、トロデーンの兵士全体の弱さが伺えるというか。
陛下を貶すわけじゃ、決してないけどさ。
前にサザンビークに行ったけど、兵士は全体的にもう少し強かったかな?
それぞれの領内の生息する魔物がぜんぜん違うっていうのもあるけど。
というか絶対にそのせいだと思うけどね。
その必要がなければ人間誰だって強くなれないのは当然のこと。
張り合いもないのに無限に強くなろうとするのは無理だ。
私だって生まれられなかったルゼル兄上という死者を追っているから強くなりたいのだし、死者を相手にしているから目処がつけられなくて、どこまでも強くなりたがっているだけ。
つまり、エルトには無理にでも強くなって貰えなくちゃこれから先、辛い。
危険と言い換えてもいい。
ヤンガスももっと強くならなきゃいけない。
ドルマゲスは一夜にして国ひとつを滅ぼせる、強力な呪いを使える存在なんだから、実戦慣れしている私も絶対に慢心できないし、下手すればこのメンバーで死ぬ人が出るかもしれない。
仲間の数だってもっと多い方がいいに決まってる。
回復魔法が使えるのはエルトだけ。
ヤンガスにも素養があったみたいで、練習して上手くいきそうだったのは嬉しい誤算。
私は魔法に関しては何を試してもダメだったからもっと物理的に強くならなきゃな。
だからいろいろ考えて今、この洞窟の攻略に時間がかかるのを承知で前で戦って貰ってるんだけど。
ドルマゲスの脅威から考えると弱すぎる。
私も含めて、パーティ全体として。エルトは本来それでもいいんだ。
伸びしろが期待できるし、兵士として有利なスキルを複数持ち合わせているし、魔法だって使えるし、ゆくゆくは攻撃魔法も使えるようになるだろうし。
でも、今は弱い。
元山賊だっただけにヤンガスは実戦経験がたっぷりあるみたいでとっさの対応力がぜんぜん違う。
その点は悪くないけど……まだまだ足りない。
私は実戦経験ならたっぷりある。
父上にことある事に頼み込んでさ、沢山魔物討伐の前線で戦ったから。
単純な強さの自己評価では対ドルマゲスを意識するとまぁまぁ。
中の中。
私はあのエルトよりは戦い慣れしているからその点は強いといえば強いかな。
少なくとも力と素早さは結構あると思うけど。
この辺の魔物なら一も二もなく倒せるけど、それはここの魔物が弱いからだし。
トロデーン周辺よりもこの辺りの魔物の方がずっと弱い。
でも私にも弱いところが沢山ある。
ヒットポイントとかいう耐久の目安はエルトの半分もないだろうし、モノトリア家の金にものを言わせて揃えられた防具があるから守備力が高いだけで私自身は紙装甲だし。
戦うことに関しては遠慮なく権力と金のチカラを存分に使わせてもらったおかげ。
耐久に難があるのはそれだけじゃなくて、対魔法の弱さが致命的。
人並み以下、でまったく済んでないから。
むしろ魔法耐性がマイナスになっているんじゃないかってくらい。
全ての魔法が通常以上に効く特異体質らしい。
常にディバインスペルがかかっているって言えばいいのかな。
だから初級呪文のメラ一発、ギラ一発でもまともに受ければ真面目に死にかけてしまう。
それをこれでもかと防護魔法の込められた防具が何とか軽減してくれて、かろうじて直撃二発、本当にぎりぎり耐えれるぐらいしか私のヒットポイントはない。
私より素早く強力な魔法を唱える魔物がいたらおしまいだと思う。
あるいは避けに徹するか。
倒せなきゃいつか終わりが来そうだ。
つまり、装備している防具がすごいだけで私自体は脆い。
攻撃力だけはあるつもりだけど、ずいぶん反省するべき偏ったステータスをしている。
エルトみたいななんでも対応できちゃう万能型から最も遠い、尖ったガラスの破片みたいな性能。
ここまでそこまでのピンチに陥ったことがないのは、単に先手必勝、単に魔法を使いそうな相手には魔法を使わせないという単純な戦法の結果で。
ドルマゲスは魔法使いなのが分かってるし、これじゃ駄目なのは分かってる。
これから先に進めば進むほど魔物が強くなる地帯に行くのに、こんな戦い方じゃあいつかひどい目にあいそう。
知ってるけど直せない、直しようもない。何とかしたいのに。
私専属のスーパーヒーラーがいたらなんか解決しそうだけどなかなかそんな運命みたいなことはないよ。
だから魔法がとても怖いよ。
どんな魔法でも。
魔法は未知だから。
魔法は「前」になかったから。
魔法は私が努力したって使えなかったから。
理論を理解しても使えないものだから結局得体のしれないものだし、まともに当たれば瀕死になるし、魔法は相性が最悪すぎる。
だけどどうしても魔法自体は嫌いにはなれない。
何故か。
嫌いではないんだ。
ただ怖いだけ。
食わず嫌いのようなもの。
あ、エルトが攻撃を受けてしまいそう。
そうなる前にあの長靴みたいなモンスターを切り刻んじゃおう。
魔法が使えたらこうやって飛び出していかなくていいのに。
でも、結局身体が動いてしまうだろうな、とも思う。
すっかり今の「トウカ」は戦うのが大好きな人間になったものだから。
思い込みじゃなくて、心の底から。
間違いなく「今」と「前」の私は別人だと表す証拠のように。
「固有の名前のある魔物は強いよ! 二人とも気をつけて!」
滝の洞窟最深部。
行き止まりのその場所には、ぽつんと大きな水晶玉が浮かんでいた。
どうぞ触ってくれと言わんばかりに人間の手に届きやすい位置に浮遊しているそれは、ユリマさんの父、ルイネロさんのものだと思う。
これを持って帰るのがユリマさんの頼みだ。
だけど明らかに怪しい。
でもここまで来ておいて引き下がる訳にもいかない。
なんとなく振り返ってみるとヤンガスは頷き、トウカはにこやかに剣を引き抜いたので、僕は罠に引っかかったふりをしていかにも怪しい水晶玉に触れてみた。
すると滝つぼから飛び出してきて喋る魔物が登場する。
そのまま水晶玉の持ち主だと嘘をついて、引っかかったふりを続けたら戦うことになった、というのが戦闘までの経緯。
その魔物の名前はザバンという名前らしく、姿は赤いマーマンのようだけど、昔に図書室で見たトロデーンやトラペッタとかの近郊地域のモンスター図鑑にいた覚えはないなあ。
つまり、図鑑に載らないような希少種で個体名があるってことはトウカの言う通りなかなか強いはず。
ここいらに君臨するボスモンスターってこと。
そいつが怒った様子で襲いかかってきた瞬間、トウカは既に構えていた剣を下から鋭く斬りあげて反撃し、鋭い爪で反撃されてしまう前にさっと後ろに飛び退いた。
トウカがとても身軽で身のこなしが素早いからこそできる技。
……トウカは重たい鎖帷子を服の下に着込んでいるんだから装備はぜんぜん身軽じゃない、はずなんだけど。
相変わらず筋力どうなってるの。
僕はトウカが十分ザバンから離れてからブーメランを投げ、体に命中させた。
そのまま剣を抜いてブーメランと武器を交換する。
当てられそうならまた当てたいけど。
ザバンが連続攻撃にうめいたその隙にヤンガスが丈夫な木槌を思いっきり頭に命中させた。
会心の一撃だったらしく、ゴチンとものすごく痛そうな音が洞窟に反響する。
そこでザバンの怒りが最高に達したらしい。
見るからに怒り狂って、奥の手らしきものを出してきた。
「小癪な奴らどもめ……これでも食らえぃ!」
きっと怒りに任せて激しい攻撃を仕掛けてくる!
そう思って僕は盾を構えた。
でも、すぐにアテが外れたとわかった。
パァン!
こちらを睨んだまま、ザバンが鋭く手を打ち鳴らし、波でも巻き起こすかのように腕を下から上に払った。
すると、地面からザバンが喚んだまがまがしい霧のようなものが、僕たち全員に降りかかる。
きっと逃げようとしたトウカも、盾を構えたままの僕も、一番近くにいたヤンガスも関係なく、巻き込まれるのは一瞬のことだった。
慌てて身をよじって逃げかけたヤンガスは、そのまがまがしい霧に当たった瞬間に身体を震わせているだけになってしまって、動けなくなったらしい。
僕はブーメランで攻撃するために一番ザバンから離れていた。
だから仲間ふたりの様子がよく見えた。
ヤンガスはまがまがしい霧にすっかり取り込まれたようで、呪われてしまった。
さっきまで軽々と持っていた木槌を重そうに持ち、立ってはいるけどそれがやっとの様子。
戦闘続行できるのか怪しい。
早いところ彼を連れて退避する必要がある、と思った。
そしてそんな時、いつも先に行動するはずのトウカは……霧に巻き込まれそうになった瞬間、いきなり目の前に現れた大きな謎の紋章が、その霧を取り込むかのように消し去っていくのを呆然として見ていた。
珍しく、何もできずに呆然としていたんだ。
それは僕もだった。
トウカと同じく目の前に守るかのように現れた紋章……それはまるで蝙蝠のような、ドラゴンのモチーフのような紋章に心底びっくりした。
見覚えはない。
だって僕はこんな魔法は覚えてない。
トウカは魔力がないんだし、なおさら心当たりがないんだろう。
全員がそのとき、まるっきり無防備だった。
その大きな隙は……ザバンはただ頭の痛みにうめいただけだった。
ここでもし攻撃されていたら、と考えると背筋が凍ってしまう。
戦闘の初めにトウカがかわした一撃は、聞いたこともないほど鋭く空気を切り裂いていたからきっと無事ではすまなかった。
まがまがしい霧を浴びてから、最初に動いたのはやっぱりトウカだった。
腰に差している剣をさっと引き抜き鋭く投げつけ、ギリギリのところをかすめて地面に突き刺さるのをかわすのに必死になったザバンに向かってその破壊的なチカラを両手にこめ、大剣でバッサリ切り捨てた。
強烈な一撃にザバンは倒れ、同時にヤンガスの呪いも解けたらしい。
僕はやっと我に返ってヤンガスに肩を貸した。
トウカはすぐに投げた剣を回収して、目をぱちくりさせながら僕に向かって「ねぇ今の見た?」なんて場違いに呑気なことを言った。
流れる水はささやくように伝えた。
かの呪われし王国。
生き残りはただふたり、姿は人間にあらず。
生還したふたりは、共に人間にあらず。
ひとり、トロデーンの兵士にしてトロデーンの者でなく。
姫の刃なり。
身に宿すはチカラ。
邪を払うチカラ。
雷の魔力。
そして竜の加護なり。
彼は人間である。
彼は魔物ではない。
彼は人間でない。
彼の本質は光なり。
彼は世を救う勇者なり。
ひとり、トロデーンの兵士にしてトロデーンの者でなく。
王家の盾なり。
身に宿すはチカラ。
圧倒的なるチカラ。
魔力。
光。
そして闇の加護なり。
彼女は人間である。
彼女は魔物ではない。
彼女は現世の人間でない。
彼女は現世の人間である。
彼女の本質は魔なり。
そして彼女は光である。
彼女は王家の剣を全うする者なり。
トラペッタの街ですれ違う様々な人に程度の違いはあるとはいえ怯えられているんだけど、それを完全に無視してユリマさんの家に向かって進んでいく。
怯えられた原因の殆どはトウカかもしれないけど、まぁ向こうからしたら仲間って時点で同じようなものかもしれないな。
そして、心の中のどこかに今もいるトロデーンでただただ平和を享受していた僕は、トラペッタの街の人たちが怯えるのが分からないでもなかった。
記憶にある限りトロデーンの内部に魔物が現れたことも、石畳を破壊する男も、怒りのあまり剣を抜きかけた現職の兵士もいなかったから。
そんな、理解できてしまう僕自身がとても腹立たしいし、怯える街の人たちには、理不尽にも、なんでミーティアと陛下に対して加害者だったはずのお前たちが怯えていて、一方的に守りたかっただけのトウカを悪者にするんだという怒りもあった。
もやもやしてなんだか落ち着かないこの気持ちは複雑だけど、当のトウカは表情すら変えないんだから今は気にしないでおくよう努める。
こんな針のむしろで何を考えてるんだろう。
街の外に出たら教えてくれると思う、聞けば。
聞いてもいいかな。
いいと思う、けど。
僕、あのまま剣を抜けたら良かったのかも。そしたら気兼ねなく聞けたのに。
お優しい陛下は怒るかもしれないけど。
ミーティアに血を、それも人間のものなんて見せたくないけれど。
魔物に関しては街に来るまでに見せてしまったから……。
でも、剣を抜いていたら。
トウカと同じくらい僕にもあの怯えた目が向けられたでしょ?
その方が僕は気が楽だったかも。
親友を盾にしているみたいで今が嫌だ。
そのまま僕らは談笑することもなく、一直線に目的地の井戸の裏の家へ急いだ。
細い道で先頭を行く僕はとても後ろが気になったけれど、振り返っている暇はなかった。
「水晶玉、取り返してきましたよ。……ユリマさん? 寝ちゃってる。待ちくたびれちゃったかな?」
一抱えもある大きな水晶玉を持ったトウカは、占いのテーブルですやすや眠るユリマさんを優しい口調とは真逆の無表情でじっと眺めた。
あの戦闘のあと。
ザバンの、流れる水が伝えたというトロデーンの話を聞いてからはトウカはどうも何かが引っかかっている様子だった。
トロデーンの生き残りは二人。
そんな話を聞いてから。
陛下や姫も生き残りと言えばそうなんだけど、呪いを受けられてしまったから生き残りとして数えられないのかな……。
呪いといえば。僕もトウカもザバンの呪いの霧、変な紋章に守られていたよね。
後ろにいた僕が見た限り全然種類は違うようだったけど、呪いが効かなかったという効果は一緒だよね。
僕の紋章は呪いをかき消していたけど、トウカは吸い込んでいたような。
結果は同じでも、明確に違う。
何だったんだろう。
トウカもびっくりしていたし、家宝の魔道具とかの効果ではなさそう。
僕にこっそりなにかしてくれるならきっとヤンガスにもしてくれただろうし、トウカに心当たりがないなら僕にわかるわけもない。
後で陛下に聞いてみようかな?
でも、そんなアイテムがあるならおふたりとも無事なはずだし……。
たまたま効かなかったとか、離れていたからとかなら分かるんだけど。
そんなわけないし。
気になる。
「……あ! すみません、すっかり寝入ってしまっていて。水晶玉、取り返してきてくださってありがとうございます! これで、きっと父の占いも……」
トウカがちょっと近寄るとすぐに目を覚まして、ばっと顔を上げたユリマさん。
その言葉を遮るように、台所の方からぬっとユリマさんの父親である、占い師のルイネロさんが姿を現した。
その顔には怒りが浮かんでいて、ううんきっとそれだけじゃなくて、なんだか悲しそうというか……色んな負の感情を混ぜたようなものがあって。
僕には壮絶に見えた。
そういえば。ルイネロさんの奥さんはどこにいるんだろう。
つまりユリマさんの母親。
亡くなってしまった、あるいは離婚したとか?
でも、その割にはあまりにもユリマさんとルイネロさんの関係が二人だけで完結しているような。
わからないな、僕には両親がいないから。
小さい頃に亡くなったならそんなものなのかも。
人の家庭に口出ししても仕方ないし、邪推はいけない。
小間使いの仕事中に何を知っても黙っていろと教わったように。
誰に話しても悪いことなんて見なかったけどさ。
疑問は全部口に出しちゃいけない。
「ユリマ。ご客人に何を頼んだのかね。そしてその水晶玉は」
「お父さん……私。評判だったお父さんの占いが外れるようになったのは水晶玉がただのガラス玉に入れ替わったからだと思ったの。どうにかして取り戻したいと思ったから、この人たちに頼んだ。街の先にある滝の洞窟から、水晶玉を取り戻してもらえるって分かった。
私ね、ある日夢を見たから……滝の洞窟に、水晶玉があるって。そして人でも魔物でもない旅の方が、私を助けてくれるって……だから私、」
「勝手なことを……!」
ルイネロさんはユリマさんの話を聞いているのか聞いていないのか分からない顔をして、突然強引にユリマさんを押しのけ、大きな水晶玉を、本当に残念なことによりにもよって「トウカの手から」ルイネロさんは奪おうとした。
そうだよね、見た目も痩せていて、見ようと格好によっては女の子でも通じそうな、そんなに力も無さそうに見えるトウカから物を奪うのは、見た目だけなら簡単そうだけど、無理だよ。
やるからにはでっかいボストロールかトロルキングを連れてこないと無理。
それでも危ういかもしれないっていうのに。
トウカとチカラ勝負で勝つためにトロルが一体何匹必要なんだろう?
というのがトロデーン始まって以来の腕相撲キング。
兵士でも戦士でもないルイネロさんならたとえバイキルトをかけようが、豪傑の腕輪をはめてちからの種をたくさん食べようが無理な気がする。
つるつるの水晶球をしっかりと、それも布製の手袋をしているにもかかわらず掴んでいるトウカ。
何をされても平然としていてとても力を込めているようには見えない。
ただ普通に持っているだけみたいだ。
でも、多分ものすごい力がかかっているんだろうけど。
水晶球の強度の方が心配だ。
かたや奪おうとするルイネロさんは顔が真っ赤になってしまった。
きっとお酒のせいじゃないね。
数十秒粘ったのち、ルイネロさんはとうとう諦めてトウカに頼んだ。
攻防の最中は眼中にないと言うかのように、話しかけられて初めてトウカはルイネロさんを見た、みたいなフリをした。
「その水晶玉を渡して下さるか、ご客人?」
「これは貴殿の物だったのですか?」
「そうだ。だが、私が滝の洞窟に捨てた。今度は二度と返って来ないように粉々に砕かなくてはならん。私の元に水晶玉があってはならんのだ」
「……そうですか、でしたらなおさら私は水晶玉を渡す事はできませんね」
トウカは相変わらず無表情で、冷たく感じる黒色の目には何の感情もない、怒り狂ったルイネロさんと対称的な様子だった。
これは、結構怒っている。
感情的な怒りじゃなくて、トウカのプライドに触れる冷たく静かな怒り。
多分。
トウカはユリマさんに頼まれて、ユリマさんのために水晶球を取り返したつもりなんだろう。
ユリマさんの手に渡った後、ルイネロさんがユリマさんの意志に反して砕いてしまってはいけないと思っている……とか?
「私たちはユリマさんに頼まれて滝の洞窟の主から水晶玉を奪って来ました。そしてユリマさんは水晶玉を砕く事を歓迎していませんから、私はユリマさんに従って貴殿に水晶玉は渡せません」
声は低く、とても重々しかった。風もないのにトウカの髪の毛がゆらりと揺れる。
いつも通りの「ボク」ではなくて「私」と言った以上、トウカは「トウカ・モノトリア」として渡さないつもりなんだ。
「家族って、いいですよ。時にはユリマさんのお話も聞いてあげてはどうでしょうか。私はあなたがたが、家族としての絆を取り戻すのを願っていますから。親子喧嘩も、一方的な愛のカタチもそれくらいにしませんか」
あなたはユリマさんの本当のお父さんじゃないでしょう。
でも、それを知っている上でユリマさんはあなたを本気で心配しているんですから。
この水晶玉をどうか砕かないであげて下さい。
トウカはそう、無表情のまま、そう言い切った。
僕の知らなかったことをどこで知ったんだろう、トラペッタでは一緒にいたのに。
ルイネロさんは、そしてユリマさんは、互いに沈黙していた。
でも、それはもう嫌な沈黙じゃなかった。
リメイク前、ブーメラン入手の描写がないのに生えてきたから持ち替えということにした