新千歳空港より、車を走らせること約50分。
静々と広がる田園風景の果て、目的地へと辿り着いた庄野は、後部座席へと振り向いた。
二人の少女は、互いに肩を寄せ合って、安らかな寝息を立てている。
「……おーい、着いたぞ」
「ん……」
まず目を覚ましたのはソードクレインだ。唸りと共に目を擦った彼女は、起き抜け自分がなぜ、どこにいるのかが一瞬分からなくなったが、窓の外に見えた風景で、すぐに理解していた。
「……あ。着いたんですね」
「今言ったろーが」
「リッキー、着いたよ」
「むぅ……」
庄野の言葉をやや聞き流しつつ、クレインはリッキーを揺さぶる。いかにも眠たげに瞼を開けた彼女は、声を上げながら伸びをしていた。
「――っはぁ。もう着いたんだ。あっという間だったね!」
「そりゃあんだけ眠りこけてたらな……ほら降りろ、車中泊したくはねーだろ」
はーい、と返事をした二人は、降車して荷物を下ろす。周辺に背の高い建物はひとつもない。どこか居心地が良さそうに見える青空を見て、リッキーは微笑んだ。
「……いいところだね」
「え……そう?」
「うん。都心のぎちぎちした感じよりか、長閑で過ごしやすそうだなーって」
そうなのだろうか、とクレインは半信半疑。都会の喧騒に揉まれている人々にとっては憧れなのかもしれないが、まだ移籍してから一年も経っていない方からしたら、その感想は共感し難いものがあった。
「隠居したら、こっちにお引越ししようかなー」
「……いいことばっかりでもないわよ。真冬なんかは地獄だから」
日本最北の地、北海道。大降雪はもはや暮れの風物詩であり、日高町――モンベツトレセン学園も例外ではない。その証拠として、『ホッカイドウ競レース』は、だいたい11月上旬ごろにはシーズンオフとなる。後は遠征するか、除雪の手伝いをするかだ。
いくら力が強いウマ娘であれ、後者がしんどいことは人間と同様であった。……尤も、『ばんえい競レース』*1を主戦場としている『特別なウマ娘』に関しては、その限りではないのだが。
「でも、歓迎はされると思うわよ。『頭数』が増えるしね」
「……やっぱ考えとくね!」
リッキー、しばしの無言の後に、快活な笑顔。賢明な判断だ、とクレインは肩を竦めた。
「……じゃ、俺は職員室に用があるから。お前は寮に行っといてくれ」
そんな二人に、庄野は頃合いとばかりに話す。
「落ち着いたら連絡する。それまでリラックスしてるといい」
「……だいたいどれくらいかかりますか」
「さーな。一時間くらいなんじゃねーの」
アバウトだな、と思うクレインだが、彼が細かいことを気にしない性分なのはよくわかっている。頭の隅に数値を入れ込み、逆算して大まかな予定を組み立てた――別に問題ないか。果たしてそう結論する。
「……おっけいです。じゃ、行こっかリッキー」
「うん! お邪魔するね!」
「おー。存分に羽伸ばしてくれよー」
そうして三人、それぞれの行先へと足を向ける。庄野は学園へ。クレインとリッキーは学生寮へ。数分ほど歩き、二人は目的地へと辿り着いた。
「……」
見劣りしていることは確かだ。
行き慣れた故郷の寮は――中央を見た後だと、よくある安物のアパートに見えてしまう。
しかし感じるのは、物足りなさではない。
胸の内に湧き上がってきた懐古の情念に抱擁され、暖かな安心感を覚える。
――帰ってきた。
それを、改めて実感する。
「おぉ~……これはまた……」
一方のリッキーは、何やら言葉を頑張って探しているようである。嫌そう、というわけではないが、必死に当たり障りのない表現を探しているかのようだ。
自分への気遣いである、と思い至ったクレインは、可笑しそうに言った。
「いいのよ、率直に言ってくれて」
「え。い、いやいや! その……小ぢんまりとしていいなーって思ってたんだよ? 本当だよ!?」
わたわたと手を振るリッキーに、この子はいい子だな、とクレインはもうひとつ微笑み。まぁどんな感想を抱いているであれ、外で野宿するよりかはマシなはずだ。そういうわけで、クレインは彼女を中へと案内する。
エントランスを見回し、リッキーは感動しているような反応を示した。
「おぉー、意外と中は普通だね!」
「意外と」
「あ――いや! お、思った通り!? うん! 想定通りの内装です!!」
「うん、ごめん。冗談。大丈夫よ、実際古臭いし」
そう思う。これは中央への移籍前から実は思っていたことだ。一時は危機に陥った経営も建て直したはずなのだから、そろそろ大規模な改修をすべきなのでは? 天井にしつこくこびりついている薄汚れを見つめて、クレインはそう思った。
「――あ」
ともあれ、まずは手続きか――と、受付に目を向け、不在らしいな、と認識した刹那。
リッキーのものではない、聞き覚えのある声に反応し、クレインは視線を振る。動いた視界の中に、よく見知った姿が飛び込んでいた。
短めの鹿毛と耳。吊り気味の目つき。
「クレイン!」
「あ、カモ――」
「おーい、みんな!! クレインが帰って来たぞーっ!!」
クレインの声を振り切るように振り返った彼女は、背後の廊下へとはち切れんばかりの大声をかます。遠く反響すると同時、ばたばたといくつかのドアの開閉音が聞こえてきて、あぁ――何も変わってないな、と彼女は苦笑いをしていた。
ばっと振り返り直した少女。そこには、やや威圧的な顔つきとは裏腹の、嬉々とした表情が浮かんでいた。
「半年くらいぶりだなっ! どうだ、元気してるか!? 中央はいい感じか!? 虐められたりしてないか!?」
「別に普通よ……っていうか何なのよその中央=いじめみたいな構図」
「いやいや! だって心配だろ! 都会ってなんか怖そうなイメージで――ってあっ!?」
忙しなく騒ぎ出した彼女の関心は程なくクレインの隣。リッキーへと向いていた。
「――え、あんたもしかして、コパノリッキーか!? なんてこった……!! ダート界の新星とこんなとこで会うだなんて……!!」
「あ、あぁ……えへへ。どうもー」
「……?」
この勢いにどこで彼女を紹介するか、ということばかりを考えていたクレイン。が、そこで明るみに出たリッキーを知っている、という意外な事実に、目が点になってしまう。思わず彼女の方を見る――視線の先、リッキーは困っているように笑っている。
……この子、実は結構な有名人なのか? ようやくクレインは、その可能性を考慮し始める。
「――おぉ~、クレインちゃん、久しぶり~」
そんな思考に割り込んだ、柔らかな声と共に現れるのは、フードを被ったウマ娘。
「お元気そうで何よりです」
眼鏡のウマ娘。
「……おう」
そして、ツンツン黒髪のウマ娘。
先の短髪の彼女を含めると、計四人。クレインの友人の中でも、特に親交のある生徒たちだ。
他の子たちは留守か取り込み中か――そうでなければ面倒臭いかのどれかだろうな、とクレインは推測する。
「おぉ~、一気に出てきたね」
リッキーは、その大所帯に面食らった反応をする。総じてクレインの友人とは言え、これだけの人数がいっぺんに現れたのであれば、無理もない話であった。
「……えと。順番に紹介するわね」
その心境を汲み取ったクレインは、一人ずつ紹介することにした。
「カモンシング。勝気な料理好き」
「おう、みんなからはカモって呼ばれてるぜ!」
短髪。
「リバーマーヴェル。真面目な委員長」
「よろしくお願いします」
眼鏡。
「ロミオライト。見た目の割に親切」
「ひと言多いっての……」
黒髪。
「エクセレンスロー。みんなのストッパー」
「どうも~」
フード。
「ふふっ、みんな個性的でいいね!」
そののちに、リッキーは楽しそうに笑う。何よりよ、とクレインは胸を撫で下ろした。特に悪印象とかはないらしい――
そしてそのリッキーも、姿勢を整えると、浅めながら恭しく一礼していた。
「初めまして、コパノリッキーと言います。この『三日間』だけの滞在になりますけど、よろしくお願いします!」
「あぁ……やはり、
それを聞き、まず反応したのはリバーマーヴェルだった。
「見た目からもしかして、とは思ってましたが……」
「な! な! すごいよな!! おいクレイン! お前もスミに置けねーなー! こんなユウメイジンと友だちになるなんて!!」
「うふふ~、クレインちゃんはやり手だからね~」
「……えっと」
色めき立つ一同。四人とも共通の認識の下で囃し立てていることは言うまでもない。が、一方のクレインはと言うと、それに困惑の声を漏らすことしか出来ない。
「どうした、ボーっとして」
「いや……その」
冷静に声を掛けたのはロミオライトだ。その鋭い目つきに射抜かれた彼女は、表情に浮かべた困惑の色をさらに濃くしながら答えた。
「……リッキーって、
そんなに有名なの……?」
『……』
対して四人はと言うと――
お互い、顔を見合わせて、口を閉じる。
「――なっ」
果たして、まず跳ね上がった声を上げたのは、リバーマーヴェルだった。
「なんですとっ!? クレインさん、リッキーさんが何者かを存じ上げずにここまで……!?」
「え。いや、その……」
「逆にすげーな! あっちで生活してたら、嫌でも名前聞きそうなもんだけど!」
「そ、そうかな……」
「しょうがないよ~、クレインちゃんは周りに興味ないから~」
「い、いやいや! 語弊ある言い方しないでくれる!?」
それを知っているのは当たり前、と言わんばかりの扱いだった。クレインは罪を詰められる悪人のような気持ちになる。リサーチの不足していたこちらにも非はあるだろうが、まさかここまでの反応をされるとは夢にも思っていなかった。
ちらりとリッキーの顔を見る。彼女は相変わらず、恥ずかし半分困り半分、といった様子。クレインが彼女のことを詳しく知らないことには何も思っていなさそうだが、クレインの申し訳なさを取り払うには、いくらか力不足だった。
「……、まぁ無理もねーな。オレたちみんな、自分のことで精いっぱいだし」
皮肉じゃねーぞ、とロミオライトは皮肉っぽく言った。
「でも、あの『ダート界の新星』くらいは知っとくべきだと思うけどな」
「えと……ご、ごめん……」
「うぅん。いいんだよ。私もこう……ちやほやされるのも、あんまり慣れてないしね……」
それを聞き、リッキーの先の発言が蘇る――『いいところだね』。後ろ向きな印象に染まっていたその言葉が、前向きな色を帯びる。生憎と自分はそこまでの段階に至ったことはないが。それこそ華やかなイメージが着いて回っていた。
矢面に立つのも、必ずしも良いとも限らないのだ。
「……それよりどうなんだよ。調子の方は」
それら諸々を汲み取ってのことか、ロミオライトによる、やや強引な話題転換。
「北海道SCだろ。大丈夫そうなのか?」
「そうだよ! まさかお前があの大一番に挑むとは思ってなかったけど、勝てそうなのか!? どうなんだ!?」
「大丈夫よ。しっかり調整はしてきたから」
ずい、と前に出てくるカモンシングに苦笑しながら、クレインは応じる。それは強がりでも、虚勢でもない。単なる事実、変わらない自信。今日のこの小旅行、色々と想定外なことは起きているものの――
当のレースそのものに関しては、クレインは全くと言っていいほど恐れていなかった。
何もかもを完璧にこなした自覚はない。完全な準備を出来たと思ってもいない。それでも心は落ち着いており、未来を真っ直ぐに見つめている。
――きっと勝てる、と。
不思議な確信に満ち溢れている。
「……まぁ、仮にもジュニア級でJpnⅡに勝ってるしな。今更JpnⅢにビビるわけねーか」
「いえライトさん。ジュニア級のJpnⅡとクラシック級のJpnⅢを同列に考えてはいけませんよ。油断せずに臨んでもらわなくては」
「ふふっ、クレインちゃんもいい走りしてるんじゃん」
「私は――常に最善を尽くしてるだけよ」
ロミオライト、リバーマーヴェルに続いたリッキーの言葉に、クレインは毅然と応じる。言われずとも――油断する気は、元より彼女には無かった。
油断と自信は別物だ。やることはやった。手は尽くした。何か不確定な要素があるとすれば……あとは。
「……運が巡るか、だけよ」
「まぁ、そうですね」
「運……」
と、そこでリッキーは、何かに気付いたように声を零す。反応したクレインが返事をするよりも早く、彼女はそうだ、と拍手をしていた。
「クレインちゃん!」
「あ、はいっ」
「あなたの運勢、風水で見てあげる!!」
「え、へ……?」
いきなりなんだ、と面食らうクレインの傍ら、リッキーはどこからか盤を取り出す。中心に円盤と方位磁針の装着されたそれの名を――生憎と、クレインは把握していなかった。
「リッキー、それは……?」
「これはね、風水羅盤っていうものだよ!」
「風水……え?」
「風水に用いる盤ですね」
リバーマーヴェルは知っているらしく、品定めするようにそれを見つめている。
「風水で占いをする時に用いる道具ですよ。テレビ越しでしか見たことがありませんでしたが……まさかここでお目にかかるとは」
「お? なんだよなんだよ、もしかして占いしてくれるのか!?」
「けっ、くだらねぇ。占いほど当てにならねぇもんもねぇだろ」
「まぁまぁ、そう強がらないで~。一緒に占ってもらおう~?」
「おぉっ、いいねみんな乗り気で! それじゃあちょっと、風水のこと、みんなに教えちゃおうかなっ」
「は? え?」
リッキーと友人たちが盛り上がる一方で、クレインは完全に置いてきぼりだ。そんな彼女の肩に腕を回し、リッキーは高らかに宣言した。
「それじゃっ、コパノリッキーの風水講座、開講だよーっ!!」
「……えっ?」
「……え、マジでやるの?」
※一時的に台本調になります。苦手な方はご注意ください。
コパノリッキーの!
コパっと開運☆風水講座
ドンドン パフパフ
/
そもそも! 風水とは何か!!
それは古代中国より続く、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、『気の流れを物の位置で制御する』という思想のことである!
起源は殷周時代*2にまで遡り、元々は宅地や村落の吉凶を占うもので、後の楊宅風水の基礎となった!! 一方で晋の時代*3には風水の語が誕生し、後の陰宅風水の基礎となったとされる!!
風水の思想は唐代*4に盛んになり、時代の流れと共に新たな学派が誕生、発展!! 明・清時代には羅盤を扱う技術も発展し、現在の風水となったとされている!!
リッキー「風水には『巒頭派』と『理気派』っていう二つの学派があって、それぞれ方式がちょっと違うんだよ!」
――五人、ソードクレインの寮室にて、リッキーの話を聞く。
リッキー「巒頭派は土地の気の勢いとか質、形成みたいな、有形のものだけで判断する方法で、理気派は陰陽五行思想とか八卦、易、方位みたいな、目に見えないもので判断するんだ。私はどっちかという理気派になると思う。ただどっちの学派になるにしても、有形の作用が重視される傾向にあるから、何がどこにあるのかっていう要素がとっても重要なんだよ!」
エクセ「あ~、確かに風水っていうと、お部屋のどこに何があるかだもんねぇ」
リッキー「そうそう! でね、まずはその人の持ってる『本命卦』っていう方位を調べないといけないんだけど、クレインちゃんの生年月日によれば『艮』になるから……おぉ! 東京ってちょうど西南の方角じゃん! すごい! 『生気』だよ『生気』!」
クレイン「えっと……それって、どれくらいすごいの?」
リッキー「とんでもない! 吉方位の中で一番いい方位なんだから! 旅行先とか引っ越し先に選ぶと、仕事の発展や運気の上昇に繋がるって言われてる方位なんだよ!」
カモ「おぉ!! すげーじゃねーかクレイン! やっぱお前は選ばれたウマ娘なんだな!!」
クレイン「あ、ありがとう……?」
リッキー「さてさてそれでね、次はこのお部屋のお話なんだけど……」
――リッキー、部屋をざっと見回す。
リッキー「……風水だとね、東はやる気が出る方角ってされてるの。だからほぼ東側に勉強机が置いてあるのはいいね! ただ机の上がちょっと殺風景すぎるかな。水色とか青色のインテリアを置いてみると、物事が発展しやすくなるよ。音とか電気、電波とも相性がいいから、電子機器はこっちに置くといいかも!
ベッドも東南側にあるから問題ないね! あ、でもカーテンの遮光が強めだね! あんまり良くないかも! もし生活に影響がないなら、普通のカーテンに替えてみるといいよ! 太陽光は、運気をアップしてくれるって言われてるからね!
そしてお手洗い! 綺麗に保たれてるけど、このフレグランスを置いてみよっか! \ジャジャーン/ トイレはオンナノコにとっても重要なポイントだよ! 特に重視してみようね!
最後に! 部屋は常に清潔な状態を保っておくこと! 不潔だとそれだけで運気の巡りを妨げちゃうからね。散らかった部屋にいると気分も落ち込んじゃうし、こまめに掃除するようにしようね! 尤も、この部屋はその辺も問題なさそうだけどね……!
以上! 簡単だけど、リッキーのスーパー☆風水講座でしたー! ねね、どうだった? ちょっと興味出てきた?」
カモ「おぉ……なんか最初は胡散臭かったけど、思ってたより本格的でびっくりしたぜ……!」
エクセ「講座の名は伊達じゃないね~」
ライト「……少し宛てにしてみるか……」
リバー「そうですね。もしお時間あるようでしたら、私たちの部屋も見てみてもらえませんか?」
リッキー「おぉっ! いいよいいよ、お安い御用だよ! それじゃ、早速移動しよっか!」
――リッキー、申し出にはきはきと応じる。五人、がやがやと一斉に動き出す。クレイン、置いてきぼりを食うが、五人に着いて行く。
※参考サイト
風水における方角とは。間取りの見方と色との関係 - マイナビウーマン
【Dr.コパ監修】風水視点で考える部屋の模様替えリビング・寝室・トイレ・玄関・キッチンの運気アップ - Mat&Rug Factory
リッキー「――みんなも、興味があったら真似してみてね!」
コパノリッキーの講座は思いのほか盛り上がり、気が付けばクレインはミーティングへ行く時刻に。最後の調整を終えれば夕食となり、あっという間に就寝の時間になった。
「いやぁホント、一緒に来てよかったよー!」
クレイン、もとい理事長の計らいで、彼女らはちょうど空いていた元・寮室に宿泊することとなっていた。
入浴も終え、ベッドに座ったリッキーは、いかにも満足げな表情を浮かべている。
「楽しくていいお友だちだね。お陰で風水のこともたくさん教えられたし、私もー大満足だよー」
「そう……そりゃよかったわ」
「ん? なんか疲れてる? 大丈夫?」
「うん、とりあえずは……」
なんだろうか、決してクレインは気を張り続けていたわけではない。スケジュールもきつかったわけではない。それなのに一息ついた今、ドッと疲労が押し寄せてきていた。横になってしまえばすぐに眠りの世界へ突入出来ると思えるほどの甘美なもの。
もうこれ以上は予定はない。クレインが寝落ちしたところで、咎める者もいるはずはない。それでも彼女は意識を保ち、同じようにベッドに座りながら、リッキーと相対していた。――全ては、ひとつ、はっきりさせておきたいことがあったからだ。
「……ねぇ、リッキー」
「ん? なぁに?」
「……その」
こてん、と首を傾げた彼女に、クレインは訊ねた。
「どうして、着いてきて、くれたの?」
――結局、そこのところは曖昧なままだった。
クレインの問いかけに、リッキーは目を丸くする。
そんなことを訊かれるとは夢にも思っていなかった、と言わんばかりの表情。
「……友だちの応援しに来ちゃ、駄目なの?」
「いや。そうじゃないけど。それにしたって……自分も学園休んでまで……北海道まで来るとは思ってなくて」
「それだと、着いて来ないでほしかったって聞こえるけど」
「あ――い、いやいや! そういうわけじゃなくて……!」
「――ふふっ、冗談だよ。そんなに焦んないでよー、かわいいなぁ」
ころころと笑うリッキーに、クレインはペースを乱されっぱなしだ。自分は彼女を特別避けているわけでも、嫌っているわけではないが――やはり、苦手ではあるかもしれない。
あまりにマイペースで。
あまりに――ミステリアスで。
「でも、特別な意味なんてないよ。友だちのためにいくつも県を跨いで移動するなんて、結構あることなんだからさ」
「……」
「信じてほしいな」
ルビーのように透き通った瞳は、嘘という淀みを生まれてこの方知らないと言わんばかり。うん――きっと彼女は、嘘は言っていない。きっとそれは本心で、自分のことを心から想っていてくれている。クレインにも、その程度の信用は出来た。
ただ、真実はひとつとは限らない。真実を語らないことは――嘘とは違う。
きみはどんな走りをするのかな。
ちらついた過去の映像が、彼女が全てを語っていないと囁く。
「――ま、そんなに根詰めてもいいことないよ」
依然として難しい顔を消し切れていないクレインを見て、リッキーは立ち上がる。数歩の距離を詰めて彼女の目の前に辿り着くと――その両肩に手を置き、そのままぽすん、とベッドに押し倒していた。
――え、とクレインが動揺するよりも早く、リッキーは彼女の身体に布団を被せる。
呆然と丸くなった瞳が向けられると、リッキーは、今度は母のような柔和な微笑みを浮かべた。
「大一番なんだから。ゆっくりおやすみ」
「……」
それだけ言うと、自身も布団の中に潜り込む。追及に応じてくれそうな雰囲気ではなかった――お互いにとって良くないと、やんわりと拒絶しているようであった。
……不満ではあったものの、同意出来ないわけではなかった。散々追い、追われる時間に見舞われてきたのだ。確かにここまで来て、睡魔にまで追われるのはご免だった。
「……リッキー」
手元のリモコンを、天井の蛍光灯に向ける。意識が朦朧とする中で、クレインは言った。
「おやすみ」
「ん――おやすみ」
その日の会話は、それが最後だった。部屋が暗闇に包まれると、程なく、安らかな寝息が静かに響き始めた。