泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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想いを背負って、ですっ!(前編)

 北海道スプリントカップ。

 モンベツ競レース場を舞台に繰り広げられる、JpnⅢグレード地方交流重賞だ。

 レーティングだけで見れば、重賞の中で最も下となるグレード。戦場が地方競レース場ということもあって、難度を甘く見積もる選手も少なくない。

 だがそこはれっきとした重賞、実力の確かなウマ娘が集うのは自明だし――戦場が戦場だからこそ、地方の名に懸けて死に物狂いで努力を重ねる者も多い。

 そういうわけで、今や毎年熾烈な競争の繰り広げられる名物レースとして知られており――初夏の短距離王者を決める大会としても定着している。

 

「――それに交流重賞ですからね。なかなかお目にかかれない『中央ウマ娘』を一目見ようと、こぞってファンが詰めかけるわけです」

「なるほど。どうりでこの熱気なわけだ」

 

 モンベツ競レース場、スタンド席。リバーマーヴェルからの一連の説明を聞いたコパノリッキーは、周囲を包むがやがやと騒がしい空気に納得する。

 スタンド席は既に満席だ。もしも四人の友人からの『助言』がなければ、今頃外での観覧となっていたことだろう。リッキーはそれ自体に不満があるわけではないが、そうするには、そのレースはイレギュラーな方式だった。

 

「……でもまさかナイターとはね。私初めてだよ……ふわぁ」

 

 リッキーは眠そうにあくびをする。そう――

 現在時刻、夜の8時。これから繰り広げられるレースは、正にこれから始まるところなのである。

 普通、レースは日中、陽が沈み切る前に開催されるところなのだが、こうして夜更けが近いにも関わらず開催されるのは、地方シリーズならではの事情があった。

 

「あれ? 中央ってナイターあんまりやんないのか?」

「あんまりどころか、今では全くやっていないはずではありませんか? ナイターに頼らずとも、十分収益がありますから」

 

 カモンシングの疑問に、リバーマーヴェルが引き続き答える。そう――

 中央にナイターがない理由、それは単純に、そうする必要が無いからである。

 今や一大エンターテインメントとして成長した競レースだが、国営興業の中央とは異なる地方シリーズが、営利面で大きく不利なのは今も変わらない。

 ウマ娘ブームによって興り、今日まで生き残っている地方競レース場が活路を見出したのは、平日でも少しでも来場の可能性が高い『夜の時間帯』。

 モンベツトレセン学園――もといホッカイドウ競レースもまた、生き残りをかけてナイター開催に踏み切った結果、見事に成功を収め――今では全レースを、原則ナイターとして実施している。

 

「日中のお仕事の帰りに気軽に顔を出せる競レース――地方の持つ、唯一にして無二の強みですね。尤もモンベツも、バス停の改修がなければ、今頃窮地に立たされていたでしょうが」

「あれ凄いよな! 当時の理事長が、気合いだけで市に要望を通したとかなんとか」

「け、結構パワー系の理事長さんなんだね」

「普段はそれほどでもないのですけれどね。怒ると『血筋』が垣間見えるらしいですよ」

 

 噂程度ですがね、とリバーは語尾に付け足した。彼女らは、現・理事長が本気で怒ったところは見たことがない――『呆れているところは死ぬほど見てきたが』。そして噂話を聞くに、それを積極的に見ていたい、とは露ほども思っていなかった。そしてその考えは、リッキーもまた同じであった。

 

「ちなみに、愛称は『グランシャリオナイター』っていうんだよぉ~。カワイイでしょ~」

グランシャリオ(北斗七星)か。いい名前だね!」

「おぉ! 初見で当てた奴初めて見たぜ!」

「そりゃモチロン。星は風水にも縁深いものだからね~」

「……」

 

 ほわほわと語るエクセレンスローに、分かりやすく驚愕するカモンシング。そしてどこか居心地悪そうに無言を貫くロミオライト。……四人はそれぞれ、実は重なりそうにない水と油同士のように思われるが、不思議と楽しげな化学反応を起こしている。

 こうした面々に囲まれるのも、それはそれで楽しそうだな、とリッキーは感じた。

 

「――あ、おい見ろ!」

 

 その時、カモンシングの言葉が響く。

 

「みんなが出てきたぞ! おーい、クレイーン!」

「叫んでも向こうには届かないですよ……」

「うふふ~、でもきっと、想いは届いてるよ~」

 

 各々が反応を見せる中、リッキーもコース上に目を向ける。パラパラと依然、霧雨が降り頻る中、艶のある黒髪が優雅に踊る。

 リバーの指摘通り、彼女らの声はガラスに阻まれて外には届いていない。それでもエクセの言葉通り、想いはしっかり届いたのだろう。クレインはふと立ち止まり、視線を寄こすと、小さく手を振り返していた。

 

 さて、一方――外の観客席。

 庄野もまた、その様子を見届けていた。

 付き人のいない彼がひと言も発さないのは、別段おかしなことではない。だが周囲が騒がしくざわめく中、静かに見守る彼の姿は、どこか異様に映った。

 

 その所為は、それほどまでに浮かれてはいられないからである。

 

 既にJpnⅡで勝利を収めているソードクレインの能力の高さは疑うべくもない。だがジュニア級とクラシック級とを同列に比較することなど出来ない。グレードが一つ下だからといって、簡単に勝てる保証などどこにもない。

 

 ――『レースに絶対はない』。不文律のように、誰もがそれを自覚している。

 

 多くのウマ娘が『本格化』の入り口に立つこの時期こそが、最もその能力を的確に見極められるタイミング――即ちこの一戦が、彼女の今後のプランを左右すると言って過言ではない。

そして彼は、少なくとも彼だけは、それを意識して今までトレーニングをつけてきた。

 

 自分(トレーナー)はやれることを全てやった。後は選手(お前)だけだ。さぁ――ソードクレイン。

 

「……お前は、『どっち側』だ?」

 

 ぼそりと彼は、試すように独り言を零していた。

 

 準備が進む。出走者たちがゲートへ入る。

 これまで何度もそうされてきたように、それでもなお新しい静寂が辺りを包み込んでいた。

 それが開幕の旗振りを終えるまでの、刹那の時間の果て――

 

『――さぁ、今出走しました!』

 

 ゲートの開く音と、実況の声が響き渡る。

 そうして、総勢16人の少女たちによる、一瞬の熾烈な勝負が、幕を開けた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ソードクレインのジュニア級、生涯二度目の競争で見せつけた着差2秒1の圧勝は、見届けた多くのファンに衝撃と期待を与えた。

 最初こそ一部の者だけに限られていたが、4戦目のイノセントカップにて初の重賞勝利を上げると、その輪は瞬く間に広がることになった。

 

 モンベツトレセン学園、久々の天才。

 期待の新星だ――と。

 

 しかしソードクレインは、自身を特別視したことはない。周囲は持て囃すが、自分はただ目の前のやれることをやって来ただけ。

 その証拠に、幼少期の彼女は、さしたる特徴のない真面目な少女だった。

 どこにでもいる一介の生徒。実力が開花したのは、その泥臭い努力あってこそだ。

 理論や理屈の下支えのない能力など、自分には無い。

 天才という称賛も、新星という称号も、自分には荷が重かった。

 

 それを投げ出したいと思ったことがあった。

 逃げ出してしまいたい、と思ったこともあった。

 ……だがファンの姿を思い返すと、それではいけないと思い直していた。

 

 そう――自分は天才ではない。全ての能力は、元から持っていたものでもない。

 だがそんな自分だからこそ、偉業の達成に、他にない意義が灯るのだ。

 

 才能など関係ない。

 血筋など必要ない。

 何もかも、理論と理屈で手に出来る──

 自分の姿を見た誰もが喜ぶ上に、そう感じてくれるのなら、それほどまでに嬉しいことは無い。

 

 ファンのみんな。

 同級生。

 大人たち──

 誰もが、自分に期待している。

 負けられない──負けてはいけない。大一番こそ、想いは大きくなる。そうして前のめりになり掛けた心を、

 

「──、」

 

 ――ソードクレインは、何とか落ち着けていた。

 

 さて、短距離戦は、文字通りの短期決戦ゆえ、傍から見れば、戦術もクソもない競走のように思われる。

 だが他の距離と同様、コース取りやペース配分の概念は存在するし、むしろ距離が短い分、中長距離よりも迅速で的確な判断を要求される――そういう意味では、鋭い観察眼と冷静な判断力、そして決断を下す度胸は、より強く大きく持っていなくてはならない。

 

 レース開始直後、クレインは綺麗に飛び出し、難なくハナを切った。この勢いのまま振り切ってしまおうという気持ちもあるものの、それは必ずしも適切な判断とは言えない。

 脳裏に、庄野の言葉が過ぎる。

 

『……圧倒的な速さは、あらゆる戦術を叩き伏せる無慈悲な力だ。ただ走ることだけを考えていていいのは、そういう一部の怪物(モンスター)だけ。『短距離の王』(サクラバクシンオー)とか、『芝の韋駄天』(カルストンライトオ)とかな』

 

 そして、はっきり言うが。

 

『――今のお前は、それらには遠く及ばない』

 

 もちろん、彼女らとは戦場が違う。そもそも同列に考えていいものではないが――それはそれ、これはこれだ。

 例え同じ戦場で走ったとしても、きっとその影を踏むことすら許されないだろう――それが、庄野の分析だった。

 

『……だがそれは、お前が名ウマ娘になれないということじゃない』

 

 ソードクレインが天才ではない。それは庄野も同意するところだ。

 だがそれは単なる現実を観測した結果だ。決して彼女に、夢を諦めろと言うわけではない――

 

『知ってるだろ。今の競レースは、『速さ』(センス)よりも『戦術』(ロジック)がモノを言う。そして俺も、お前に速さだけを求めるバカみたいな要求をするつもりもない――冷静になれ。何時も、活路を見い出すことを忘れるな』

 

 冷静に。冷徹に。

 論理的に。理論的に。

 貪欲に。強欲に。

 勝利をもぎ取る『獣』になれ。

 

 それだけが――『凡才』が『天才』に立ち向かえる、唯一の方策だ――

 

 ……そう言って彼は、またいつものように、やたら制限時間の厳しいボードゲームをやらせるのである。

 

「……」

 

 焦りは禁物。

 掛かりも厳禁。

 油断なんて以ての外。

 

 その思いを胸に抱いたうえで、クレインはレースが思っていたほど苛烈ではないことを感じる。

 先頭を走る自分を食わんばかりに、後方の闘志は凝縮され、まるで巨大な獣のようだ――

 にも関わらず、自分の内心は水を打つように平静を保っている。

 

 周囲に乱されず。自分に驕らず。凛然と走るその姿は、一人だけ別世界にて走っているかのようだ。

 その独特な雰囲気に気圧されたように、他の出走者は満足に彼女に近付けない。

 そうこうしているうちに、レースは終盤へと差し掛かった。

 

 他のウマ娘が彼女に追い縋る。

 ラストスパートを手前に、全力を尽くして前へ出ようと試みる。

 喉元に刃物が迫るさなかですら、クレインは冷静だった。

 頭の中で思い描いた通りに、レースを進める――

 

「――、」

 

 ――ここだ。

 コーナーを抜ける直前――クレインは、最後の力を解き放った。

 冗談のようにぐんぐんと加速し、後団を置いてきぼりにしていく。

 ちらり、と彼女は背後に目をやった。

 

 驚愕に目を見開く者。

 現実に意気消沈する者。

 ……それでも眼光鋭く、諦めずに走る者。

 勝負はひとつかふたつ。勝つか負けるか。負けた者は退き、勝った者は想いを背負う。

 このひとつひとつを、自分は背負って行かなくてはならない――それを感じて、クレインはもはや足を止めなかった。

 

 ――ねぇみんな。

 私は、天才なんかじゃないよ。

 

 みんなが思うほど、出来たウマ娘じゃない。

 こうしてここまで来れたのも、運が良かっただけだとすら思ってる。

 けど自分の弛まぬ努力が、自分をここまで連れてきたと思っているのも――また事実で。

 

 ……だから。

 だからね。

 私は、行くことにするよ。

 それが責任だと思うから。

 

 ――凡才が天才に敵うとは必ずしも言えない。

 だが、運命がその限りではないことを、現実は証明してきた。

 自分もまた、そんな偉大な影の一つを目指すことを宿命づけられているのなら――

 

 泥臭くても。無様でも。足掻いて、藻掻いて、走り切る。

 絢爛豪華に、瀟洒に華麗に、

 

 

 

 咲かせてみせよう、

 武人(モノノフ)の華──……

 

 

 

 ソードクレインの速度は緩まない。

 ハナを切った勢いそのままに疾走する。

 しかし前のめりではなく、焦ることもなく。

 最後まで冷徹に、冷酷に速さを維持し続け──

 

「──っ!!」

 

 最後には、その差は決定的なものとなっていた。

 漆黒の影が――凄まじい速度のまま、青色のアーチの前を通り抜けていた。

 

『――決めましたーっ!! ソードクレイン、驚異の着差でゴールイン!! 地元北海道にて、圧倒的な強さを見せつけましたぁ!!』

 

 ――歓声が轟く。

 流れるような黒髪が、夜更けの空と溶けあうように躍る。

 彼女は徐々に速度を低下させていき、やがては停止した。

 

 視線はまずターフビジョンへ。

 結果を認めて、口元が緩む。

 続いて観客席。

 詰めかけた観衆の熱狂に、目元が綻ぶ。

 

 そして――自身の手のひら。

 軽く汗ばんだそれを握り込んで、今、この瞬間の達成感を噛み締めた。

 

 ――やった。

 私。

 

 速く(強く)

 なってる――……!!

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――うおぉぉぉっ!! すげー!! すげーよクレインッ!!」

 

 レースを見届けた友人たちも、たちまちに飛び上がる。

 

「4バ身差だってよ!! すげー!! 最初から最後まで先頭だったし!! こっちにいた時と全然違うじゃん!! やっぱあいつすげーよ!! すげー!! こう……すげー!!」

 

 カモンシング。

 

「オマエ語彙無くなってんぞ……」

 

 ロミオライト。

 

「まさかレコードタイムを自ら塗り替えるとは……本当に、モンベツの歴史を変え兼ねませんよ」

 

 リバーマーヴェルと続き。

 

「……、」

 

 エクセレンスローは、その目を別の方向へと向けていた。

 このために、遠路はるばる赴いてきた、中央の有名人。

 

「ね、すごいでしょ~、クレインちゃんは」

 

 彼女は、にこにことコパノリッキーに語り掛ける。

 

「あんなに序盤からトばして大丈夫かなーって思ってたけど、あれだけ安定してるなら心配はいらなそうだね~」

 

 彼女は最初、リッキーの様子をしっかりと確認していなかった。

 

「もちろんGグレードってなったら話は変わるけど。でも食らいつくくらいは――」

 

 だから、ほんわかとマイペースに語っていたのだが。

 

「――……」

 

 ――止まっていた。

 なぜならその瞬間。

 改めて目にしたリッキーの横顔は――なんと表現するのが適切か。

 

 恐ろしいほどに、

 狂気的なまでに、

 愉しげな笑みに、

 染まっていたからだ。

 

 獲物を見つけたがごとく。期待が叶ったがごとく。願いが成就したがごとく――

 ……宿敵に仇名すが、ごとく。

 

 

 

 ぞくり、とした。

 

 

 

『――!!』

 

 なおも止まない熱狂の渦中。

 庄野は、ひとり奇妙なほどに冷静だった。

 繰り広げられたレースに納得がいかなかったわけでは決してない。

 むしろ満足いったからこそ、浮かれずに、目の前の現実を分析しているのだ。

 

「……最高だ、ソードクレイン」

 

 ぽつりと紡がれた、その言葉が全てだった。

 

「だが驕るなよ。走り続けろ」

 

 彼の声は、コース上のクレインの元まで届くわけもない。

 だがそれでも、まるで目の前に彼女がいるかのように。語り掛けるかのように。

 

「お前のその刃は――」

 

 言った。

 

GⅠ(最高峰)にまで、届き得るぞ」

 

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