昨日どうやって帰った 体だけが確か
おはよう これから また迷子の続き
見慣れた 知らない 景色の中で
ここはモンベツ、ですっ!
北海道は日高町。
際限なく広がる暗闇の中、煌々と灯りを放つ施設――モンベツトレセン学園では、今正に大一番の雌雄が決したところだった。
『――決めました! 3番、ソードクレイン! 見事レコードタイムにて、このモンベツの競レース場を駆け抜けました――!』
情熱的な歓声が、出走したウマ娘たちを讃えるように上がる。だがそれらは分厚いと言うには力不足で、広大な北海道の空に、どこか寂しげに吸い込まれていった。
短髪を鮮やかな鹿毛に染めたそのウマ娘は、底冷えするような空気の中に白い息を燻らせる。
その行く末を見届けた後、振った視線の先には黒髪。よく見知った後ろ姿に、まずは悔しさがこみあげてくるが、それを称賛で上書きすると、ゆっくりと歩み寄りながら口を開いていた。
「よっ、このスーパーウーマン」
皮肉交じりの声色に、その少女も弾かれたように振り返る。
鹿毛の少女は、その表情を見て少し意外な気持ちになった。てっきり、嬉しさ一色に染まっているものと思ってばかりいたからだ。
「なんだよ、あんまり嬉しそうじゃねーな」
「……嬉しいわよ、そりゃ。でも後詰でちょっと焦っちゃったなって」
「おいおい、もう一人反省会かよ。恐れ入るぜ、全く……」
『自分たち』は全力を出した。その証拠に疲弊し、息を整えることに必死だった。その傍らで、『彼女』は休息は愚か、既にレースの反省をしているというのだ。こういうところが、自分たちとの決定的な差なのかもしれないな、などと彼女は自虐的に考える。
「でもおやすみは重要だからな! この後ライブだってあんだから、しっかり休めよ!」
「トレーナーじゃないんだから……」
呆れ声に、鹿毛の少女は男前に笑う。黒髪の少女は、それに困ったように微笑みを返していた。
「おーい、クレイン!」
そんな彼女らに呼びかける声が一つ。お互いに聞き慣れた声に、まず反応したのは鹿毛の少女だ。
「……ほれ、お呼びだぜ」
「ん。行ってくるわ」
鹿毛の少女に見送られ、黒髪の少女――クレインと呼ばれた彼女は駆け出す。向かった先には一人の男性、彼女のレースの相棒――トレーナーがいる。
位置としては観客席の目の前であるそこは、限られた者しか経つことの許されない栄誉ある席だ。観衆がぱらぱらと拍手をしながら、おめでとうと、がんばったなと、暖かく声を掛ける。少女はトレーナー共々、それにしばし対応する。
要はウィニングサークルだった。普通は目と鼻の先にまで近付くことはないのだが、これほどまでに選手と観客との距離が近いのも、地方シリーズならではであった。
「勝利ウマ娘が戻って参りました! それでは早速、勝利インタビューに入ろうと思います!」
とそこで、傍に控えていたインタビュアーが、頃合いとばかりに彼女に近付く。カメラが向けられたことを悟ると、クレインとそのトレーナーは姿勢を正した。
「ソードクレインさん! 第13回イノセントカップ1着、おめでとうございます! ずばり、勝因はなんだったと思われますか?」
「いえ……誰もが気迫に満ちた走りをしていました。油断をしていれば、喰われていたのは私だったでしょう」
「いやぁー、いつもどおり謙虚ですねぇ! そんなソードクレインさんですが――」
余計なお世話だ、と彼女が心の中で毒づく中、インタビュアーはどこか嫌らしい笑みを張り付けたまま続けた。
「噂ですと、『中央』への移籍を検討されているとか……?」
「……」
そして続けられた質問に、クレインは眉を顰めそうになってしまっていた。
周囲の時間が止まったような感覚。インタビュアーの顔も、ぐにゃりと歪んだように感じられる。
ふつふつと湧き上がってくる不満と憤怒。それを必死に抑えようとするプロ意識と、爆発させんとするうら若き本心。鬩ぎ合いは刹那とも永遠とも取れる時間続き、果たしてプロ意識を本心が呑み込んでしまいそうになるが、
「――ノーコメントでお願いします」
割って入ったのは、彼女のトレーナーだった。天啓のように響いた声に、クレインが思わず視線を振ったことに、彼が気付いたかどうかは定かではない。
「いやー、そこをなんとか!」
どちらにせよ、しつこく食い下がるインタビュアーに、
「検討しているかどうかだけでも「ノーコメントで、
お願いします」
「……」
彼は、強めの語気で応じていた。ぴり、と嫌な緊張感に包まれる周囲。観客たちもまた、そんな展開を望んでいないことが肌で伝わってくる。多勢に無勢、自身がアウェーであることを、インタビュアーも悟ったのだろう。
「……、わかりました」
観念した、と言わんばかりの言葉を捨て台詞に、その話題は引っ込む。そしてそこからしばし、当たり障りのないインタビューが続いたのだった。……
一連の行事を終えたソードクレインは、控室にて着替えを済ますと、そのままトレーナーと軽いミーティングを行う。
レースの復習に、『移籍』の話。……それとちょっとした愚痴やら何やら。
「あんまり気にするなよ。あぁいう連中は、スクープのためなら何でもするんだから」
「大丈夫です。……ありがとうございます、色々と」
クレインの容態を気にした彼からの、暖かみある言葉を最後に、ミーティングも終わる。レース場を後にし、寮への道を歩き始めた。
帰ったらどうするか。すぐに休んでしまうか、それとも明日の準備をしておくか――勝利の余韻も冷めやらぬまま、今日残された僅かな時間の活用方法を頭の中に巡らせながら、寮のエントランスに入った。
「――おっ――っつかれさまでぇぇぇぇすッ!! クレインさぁぁぁぁんッ!!!」
その時だった。
底抜けてなお底を打つほどの明るい声と共に、バスタオルと思しき巨大なタオルが、彼女の頭を覆っていたのは。
「今日のレースも素晴らしいものでしたっ!! 誰もあなたに追いつけないモンベツの希望の星っ!! あまりの内容にこのフェアリィッ!! もはや感動通り越して戦慄すらしましたッ!!」
「……」
わしゃわしゃと。
その声の持ち主は、タオル越しに彼女の頭を掻き撫でる。
「どうしますかっ!? お風呂にしますかっ!? ご飯にしますかっ!? それとも、れ、え、す? なんてねっ!! にししーっ!!」
「……が」
「はい!? なんですか!?」
「髪飾りが」
そんな明るい声とは対照的に。
低く、威圧的な声で、クレインは言った。
「髪飾りが壊れるでしょうが……!!」
「――はっ!! ごめんなさいっ!! フェアリィとしたことが!!」
声を受け、少女――フェアリィは、勢いよくバスタオルを剥ぎ取る。クレインの流れるような黒髪は、すっかりぼさぼさになっていた。
「これは末代まで祟る失態!! かくなる上は、この腹掻っ捌いてでも……!!」
「いや、そこまでしなくていいから……」
実際、髪飾りが壊れたわけではない。髪がぼさぼさになっただけだ――腹は立ったが。まぁ、いつものことだった。
「ってか、こんなとこで何してるのよあんたは」
「はい!! みんなで出迎えてあげましょうって話をしてたんですけど!! みんな朝型ですから!! 次から次へと脱落した結果、私しか残りませんでしたっ!!」
それでいいのかモンベツ、と思いながらも、彼女はため息を飲み込む。手段は乱暴ではあったが、こうして出迎えられるのも、悪い気はしなかった。
「……あんがとね」
「――!!」
ぼそりと感謝の言葉を零し、クレインは自分『たち』の部屋へと向かう。その背後――フェアリィは、目を輝かせると、騒がしく追い縋っていた。
「クレインさんの感謝の言葉ッ……!! やってしまいましたっ!! こんなことなら録音機器を持ってくるべきでした!! クレインさん!! もう一度!! もう一度今のお願いしますっ!!」
「あんた騒いでるとまた苦情言われるわよ」
「もう一度今のお願いします……!!」
「潜めればいいって問題でもないから」
言うわけないだろ、と顔を赤らめながら、クレインは先へと進む。部屋へと近づく中、途端に、フェアリィが彼女に先行した。
「? どうしたの?」
「少しお待ちくださいっ!!」
小首を傾げるクレインを傍目に、フェアリィは部屋の中へと入る。言われた通り、そのまま少し待つと。部屋の中から、どうぞー!! という元気な声が響いた。
なんでこの子の声はここまで響くんだろうな、と思いながら、クレインは部屋の扉を開けた。
――すると。
「――っ!?」
ぱんっ――
という破裂音と共に、いくつかのテープが、彼女の頭に垂れかかっていた。
目の前には、相変わらずフェアリィがおり。
その手には、発射済みのパーティクラッカーが握られている。
何が起きたか――など。わざわざ問いかける必要はなかった。
「――ソードクレインさんっ!! イノセントカップ優勝!! おめでとうございますっ!!」
「……あんた」
それでも呆気にとられたクレインは、気を取り直し、一旦真っ先に浮かんだ疑問を投げかけることにした。
「私が負けてたら、どうする気だったの?」
「ご心配なく!! 慰労会に変わるだけですので!!」
「……題目は?」
「『ソードクレインさん、負けちゃって悔しいね、でも次があるよ頑張りましょう』、です!!」
勝ってよかった、と息を吐いたクレインは、テープを髪から取り除く。ご丁寧にテープに文字――が書いてあることは、さすがになかった。
「さぁさぁ! こちらへクレインさん!!」
使い慣れている室内も、申し訳程度に飾り付けがされている。フェアリィが溌溂と示す部屋の中心のちゃぶ台には、所狭しとお菓子や飲み物が置かれており、その様相はクリスマスパーティ宛らだった。
「さぁさぁ! 飲みましょう食べましょう! 今夜は寝かせませんよ!! さぁさぁさぁ!!」
「わかったわかった、今行くから」
バシバシとちゃぶ台を叩きながら言うフェアリィに急かされるまま、クレインは彼女の正面に落ち着く。同時、手元の紙コップに麦茶が注がれたが、あまりの勢いに少し零れてしまった。
「それではっ、かんぱーいっ!!」
「かんぱーい」
「――っ、ぷはぁー!! キンッキンに冷えてやがるぅっ!!」
別に冷えてないけど、とクレインは冷静に分析する。むしろ紙コップ越しに伝わる液体は、自分常温ですよ、と無言で語っていた。まぁその『常温』が、既に『冷たい』に値するわけだが――
それでも口にした麦茶は、乾いた喉に心地よい潤いを齎し、今日気負ったもの、背負ったもの、蓄積した疲労の全てを洗い流していく。
一山超えたのだな。
と。そこで改めて実感する。
「それでそれでっ、クレインさん! どうなんですか実際のとこ!」
「何が?」
「も~!! 移籍の話ですよ、移籍の話!!」
なおもフェアリィはバシバシとちゃぶ台を叩く。彼女はちゃぶ台に何か恨みがあるんだろうか、とクレインは思う。
「どうなんですか!? 行っちゃうんですか!? 中央に!!」
「……インタビューでも言ったけど、まだはっきりとは言えないわよ」
実の親友――トレセン学園入学前からの相棒にも、それは言えない。
言わないのではなく――言えないのだ。なぜなら、
「『それ』を決めるのは、『向こう』でしょ」
「え~? そうですか~? クレインさんくらいビシッ! バシッ!! ってしてたら、二つ返事でオーケーだと思いますけど!」
「意味わかんないからソレ」
「やっていけると思いますよ!! 『あの時』のスマートファルコンさんみたいに、あるいは我らが『英傑』、ホッコータルマエさんのように……!!」
「それは言い過ぎ」
えー、とフェアリィは不満の声を上げる。クレインとて、自分の実力を疑っているわけではないが、それはこのモンベツという庭に収まっている範囲での話だ。
中央という大海に出た時、自分がどこまで出来るのか。それは未だに、推測すらも難しい。
「――とにかく、そんなにビビらなくて大丈夫ですよ! 行きたいって思うなら、行っちゃえばいいと思います!」
「そんな簡単に――」
「『最弱』が保証します!」
「……」
「にししっ」
「……、」
明るく笑う彼女に、クレインも微笑する。彼女にそう言われると、もしかしたら出来るんじゃないか、と思えてくるから、不思議なものであった。
「……ま、こっちから行かなくても、向こうからくるんだから。焦らなくてもいいわ」
「え!? そうなんですか!? まさか自費で招待を……!?」
「なわけないでしょうが」
実家は貧乏ではないが、そこまで裕福でもない。逆に嘗めんな。
「あんたもわかってるでしょ。来月」
「全然わかりません!! 何かありましたっけ!?」
「……」
臆面もなく言うフェアリィに、クレインは嘆息しながら答えた。
「……『暴君』の視察よ」