駿大祭。
そして聖蹄祭。
トレセン学園中央校を代表する両祭典は、どちらも似たような内容のものであるとよく勘違いされるが、実際は大きく異なる。
駿大祭は例大祭に近く、生徒たちが闊達に活動するのは、メインイベントの一つである『神輿行脚』の時くらい。
終始、騒ぎとは縁遠い、厳かな雰囲気の中で進行されていく。
神事なのだから、黄色い騒々しさが無いのは当然だろう――と誰もが思うだろうが、実はここまで喧騒と距離を置いていることには、他にも理由があった。
「…………」
……擬音で表現するなら、ぐでー、だろうか。
更衣室兼控室として設けられたスペースにて、ソードクレインは、テーブルにだらしなくうつ伏せになっている。
「おつかれー、クレインちゃん」
「あぁ……ありがと……」
サトノクラウンが、ペットボトルの水を差し出しながら声を掛ける。身体を起こしたクレインはそれを受け取ると、ぐいっとラッパ飲みしていた。普段の彼女にしては派手な所作。
「……はぁ。まさかここまできついとは思ってなかったわ……」
「駿大祭と立て続けだしね。しょうがないよ。他の子もちょくちょくダウンしてるし」
「スケジュールの無謀さも、中央ならではってとこかしら」
「そうでもないわよ? 駿大祭と聖蹄祭とがほぼ抱き合わせになったの、つい最近だって聞くし」
そうなのだな、とやや呆と考えるクレイン。であれば、このタイミングで転校してきたのは、ある意味運が悪かったのかもな──とも感じた。
そう──駿大祭と聖蹄祭、性質の異なる両祭典は、近年では、連日開催されることが多くなってきているのである。
年に数度とないお祭りを、それなりの力で楽しむこと。どちらがメインか、という話ではなく、学生主体となる行事が後に控えているとなれば、前日に控える行事──つまりは駿大祭にて、力をセーブしようというのは、自然な考え方──もとい彼女らなりの処世術、と言えた。
ただ、大勢のファンが詰めかけるお祭りだ。いくら体力を残しているとはいえ──多忙なことには変わりなく、クラウンの言及した通り、今年も今年とて、疲労困憊に陥るものが出てくる事態となってしまっていた。
「……休憩中に、学園を回っていいんだっけ?」
「うん。元より、そのために長めに休憩を設定してるしね」
その辺の采配はお手の物だった。気配りにクレインは頭が下がる思いだが、胸中はというとやや複雑。
「今のうちに、しっかり羽根伸ばしといてね。お役目中に倒れられたら、シャレにならないし」
「……それが叶えばいいけどね」
「うん?」
どういう意味――とクラウンが首を傾げた時だった。
「クレインさぁーんっ!!」
ばーんっ……と、豪快な音と共に控室の扉が開き、黒みを帯びた鹿毛のポニーテールが楽しげに踊る。
フェアリィルナは――クラウンの言う『お役目』の直後であるはずにも関わらず、いつもと全く変わらない調子で、そこに現れていた。
「あっ! クラウンさん! お疲れ様ですっ!!」
「お、おつかれー……すごいね。全然疲れてなさそうじゃん」
「そりゃーもう! 春のとはまた違う盛り上がりですから!! 疲れてる余裕もないですよっ!!」
「きみのお友だちはそうじゃなさそうだけど……」
「はい?」
しばしクラウンと話すフェアリィだったが、ばっちりクレインと目が合う。あ、まずい──と目を逸らそうとしたクレインだったが、時すでに遅し。
「クレインさん!! なんですかその有様はっ!!」
目を見開いた彼女は、シュタタタッ!! とクレインの元に駆け寄る。疲労に重ねられる元気いっぱいな声は、クレインがそれから逃れるように身体を傾けるには、十分な理由付けだった。
「ぐでってる場合じゃないですよっ!!もーすぐ『あれ』が始まるんですからっ! 手っ取り早く行かないとですよっ!」
「……えっと、疲れてるんだけど」
「今ならいい場所で見られるかもしれません!あっ!でも道中で何か食べ物も買いたいですね!クレインさんは何か希望とかありますかっ!?」
まぁ無視よね、とクレインは嘆息する。今のうちに周囲に『伏線』を張っておこうかなー、とぼんやり考える脳裏には『119』の数字の並び。
「あはは……」
そんなこんなで、訴え虚しく、引っ張られるままにクレインは立たせられる。……一応、この子も『仕事』の後のはずなんだけど。一体何がどうなればそんな元気さを保っていられるのか、クラウンはほとほと疑問だった。
しかし、と思考を切り替える。これだけ元気の有り余っている子が学園祭を見て回る、となれば、多くの人の目に触れることだろう。
つまりはそれは――これ以上ない『宣伝』の機会であることに他ならない。
「よしっ、フェアリィちゃん!」
「あ、はい! なんでしょう!」
声を掛けたクラウンは、一枚の用紙を準備する。手早くそこにペンを走らせると、彼女の背後に回り込み、背中にびたーんと貼り付けていた。
……『お化け屋敷営業中!』という文言と、場所や値段の詳細の書かれた、その紙を。
「よしっ! 行ってきなっ!」
「おぉっ!おっけいです! 任せといてくださいっ!」
「え……ひと言も文句言わないとかマジ……?」
それだけの大仰な動き、フェアリィの目に捉えられていないはずもない。が、文句どころか快諾した彼女に、クレインは絶句する。それほどまでに楽しいのか、大らかなのか。鈍いのか寛容なのか――
「ささ、クレインさん! 行きましょうっ!」
「わかったわかった、自分で歩けるから離して……」
「いってらっしゃーい」
どちらにせよ、フェアリィが先導して二人は出て行く。その騒がしい後ろ姿を、クラウンも楽しげに見送った。
さて、秋のファン感謝祭は文化祭的な側面が強く、運動系の催しが開かれることは普通無い。
各クラス、個性的な出店を行うのが通例となっている。
出店にて発生した収益はそのまま生徒たちに分配されることもあり、春のものにも引けを取らないほどの盛り上がりを見せる。
例年ならばグラウンドは使われることはなく、一部が来場者の休憩スペースとして開放されることになっているのだが――
その年の聖蹄祭は、少しばかり様子が違っていた。
『――、――!』
『――、――……』
グラウンドは、大勢の来場客で犇めいている。
中央には可動式のターフビジョンが設置されており、周辺には多くのカメラマンと思しき人物。
いつもと凄まじく異なるその様相は、大物アーティストの大規模ライブ宛らだ。
油断すれば声さえ飲み込まれてしまうであろうその場所に、フェアリィたちは辿り着いていた。
「うわぁーっ! すっごい人ですねーっ!」
「……、……」
「あれ? クレインさん? 大丈夫ですか? クレインさん! クレインさんっ!」
……クレインもこれでトレーニングをサボったわけではない。ただいつもとは違う条件で走らされれば、それだけ体力も浪費してしまうのだ。フェアリィからの容赦ない問いかけに、彼女は息を整えるだけで精いっぱいだった。
「疲れてる場合じゃないですよっ! ほら! もう『皆さん』、揃い踏みなんですから!!」
あんたのせいなんだけどね、と苦情を吐く間もなく示されるまま、前方を見る。フェアリィの言う通り、グラウンドには今回の――その『催し』の。メインキャストが既に揃っていた。
『――さぁ皆様方! 本日はお集まりいただき、ありがとうございますっ!!』
特設実況席から放たれる声が、集結した観衆を焚きつける。
『聖蹄祭スペシャルステージ、開催の時間が近付いてまいりましたっ!』
『ウオオォォォォォッ!!』
「……凄い熱気ね」
「そりゃーもう! なんてったって、『選手』も『種目』もいつもと違うんですから!! これがテンション上がらずにいられますか!?」
まぁ気持ちはわからないでもない、とクレインは内心で同意する。そう――
先述の通り、秋のファン感謝祭において、運動系の種目が催されることは普通無い。
しかしそれは、絶対に開かれないということを意味しているわけではない──今回のように、学園と事情とが一致しさえすれば、開催されることはままあることなのである。
聖蹄祭特別競走──その例外に該当する競走は、開始が目前に迫っていた。
わざわざ延期にする程なのだ、よほどの事情があったのだろう。人々は口々に噂したとかしないとか。
真偽はどうあれ、現実は実は呆気ないもの。当競争が延期になってしまったのは──単に準備が間に合わなかったから。ただそれだけだった。
『それでは早速ですが、ただいまより、今回の出走者の皆様の紹介をさせていただきますっ!』
実況者の言葉の矛先が、グラウンド、スタートラインに立つ『四人』へと向けられる。
そのどれもが、学園に通う生徒であれば、一度は必ず目にするであろう有名人。
『エントリーナンバー1!』
まずは一人目。
『言わずと知れた生徒会長!! ターフを染める黄金の風!! 『金色の暴君』、オルフェーヴルッ!!』
『ウオオオオオオオッ!!』
「……」
雄々しい長髪に、仁王立ち。
紹介に与ったオルフェーヴルは、歓声を浴びても、我関せずとばかりに目を閉じていた。
『エントリーナンバー2!』
続いて二人目。
『覇道を追う紅の影! 王を語るに欠かせぬ刺客! 『深紅の名脇役』、ウインバリアシオン!』
『ワァァァァァッ!!』
「――っし、気合い十分っす!」
ウインバリアシオンは、両頬を叩いて気合いを入れ直す。今回ばかりは負けられない──瞳には、そう言わんばかりの情熱が滾っている。
『エントリーナンバー3!』
三人目。
『綺麗な花には鋭棘がある! 万物退ける、強者の鑑! 『鬼婦人』、ジェンティルドンナ!』
『ワァァァァァァッ!!』
「よろしくてよ」
ジェンティルドンナは、優雅に微笑む。実況の紹介にも満足そうだ。
『エントリーナンバー4!』
そして、最後の一人。
『障壁などいざ知らず! 不屈の心で苦難を越える! 『群青の追跡者』、ヴィルシーナ!』
『ウオォォォォォッ!!』
「負けませんわ……!」
体操するヴィルシーナも、準備万端。彼女もまた、勝利を譲る気は無さそうだった。
『以上、四名――もとい『現行生徒会』が、この『特殊競走』にて鎬を削ります! 勝者には賞状、及び金一封が送られます! 選手の皆様、一位を目指し、目いっぱい頑張ってくださいねー!!』
「うおぉぉぉぉっ!!」
「金一封だぁーっ!!」
「みんな頑張れー!!」
一通りの解説が終わり、観衆の熱はひときわ大きくなる。その関心を率いて、実況者は次なる説明へと移る。
『それでは改めて、本日のレースの説明をさせていただきますっ!!』
さて、これほどまでに盛り上がっている今回の競争だが、その理由は、何も現行生徒会が、直接対決するからというだけではない。
それは──わざわざ『特別競走』とまで銘打たれているこれが、文字通りに『特殊な仕様』を引っ提げているからに他ならなかった。
『標準芝生コースを一周、距離にして1,200mを走るコースとなります! しかし各選手レーンが設定されており、そのレーンを越えて走ることは出来ません! 『不要な範囲で』意図的にレーンを外れた場合は、その時点で失格となりますのでご注意を! そして――』
そして。
『皆さまご覧の通り――コース上には、計4つの『障害』が配置されております!!』
――そう。これが、この競走の特殊たる所以。
勝負の舞台となるコースには、『障害』が設置されているのである。
様々なベクトルで、選手の前に立ち塞がる試練――要は今回のレースは、いわゆる『障害物競走』であった。
『どれもこれも、一癖も二癖もあるものばかりです! 単純なフィジカルだけでなく、機転の良さ、更には運までもを要求するかもしれません……!! 一流アスリートの彼女らは、果たしてどう立ち向かうのでしょうか! さぁ、出走まであと僅かとなります! 皆さま、どうか今しばらくお待ちください!』
「……」
シオンは、実況の喧しい声と黄色い歓声とに耳を傾けながら、今回の戦場の分析を行う。
ウマ娘の各種能力は、人間よりも特段に優れていることが多い。その例に漏れず、シオンは視力にそれなりの自信を持っているが――それでも、コース上に障害があるということは確認出来ても、それがどういったものなのかまでもは、汲み取ることが出来なかった。
一体、何をさせられるんすかねぇ――恐々としながらも、今更逃げようなどとも思わない。
形式は違えど、こうして掴めた再びの好機。障害あり、となれば、普通のレースより勝利に近付けるかも。
『あなた』はどう思っているかわからないけど――
――今度こそ。
『あの言葉』を、真にしてやりますよ……!
……当のオルフェーヴルが、そんなシオンの思考に気付いたかは定かではない。
「しかし……まさかこのような興業の場でまで、貴女と会うとは思いませんでしたわ」
一方ジェンティルドンナは、いかにも愉しそうに言っていた。
「本当に私のことが大好きですのね――ヴィルシーナさん?」
「あら……逆ではなくて?」
水の向いた先――ヴィルシーナはと言うと、そんな分かりやすい挑発に、不敵な笑みを返していた。
「あなたこそ、私の背を追ってこんなところにまで顔を出すなんて。一体いつから、追う側になってしまったのでしょうね?」
「その大口……いつまで保っていられるか、見ものですわね」
各所で火花が散る。そうして選手同士の闘争心も、徐々に高まっていく。
観衆からは黄色い歓声が届けられ、会場の熱気も強まる。
それらが混ざり合い、風船のように膨張し、破裂寸前にまで至った頃合い――
『――お待たせしましたっ!! トレセン学園特別障害物競走、出走となります!』
とうとう、その時がやって来た。
『それでは皆様、位置について――!!』
騒がしかったざわめきも、公式レース宛らに静まり返る。
スタートライン端に立つ担当者が、宙に向けてスターターピストルを構えた。
『よーい――』
いつもとは異なるその開始の合図。
しかし選手たちは何らの動揺も見せずに、準備を整える。そして――
『――!!』
空砲が鳴る。
四人が一斉に走り出す。
競争の火蓋は切られ、鳴りを潜めた声援が、再び溢れ出していた。