泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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いざ聖蹄祭、ですっ!(後編)

 レースの開始と同時、飛び出したのはウインバリアシオンとヴィルシーナ。

 その背後にジェンティルドンナ、オルフェーヴルと続く。

 絶対的な強者として名を連ねる二人が、無策に背後に控えるはずもない――無論それは、考えあっての位置取りだ。

 該当の競争が執り行われるにあたり、選手たちに伝えられている情報は、単に障害物競走であるという事実のみ。

 

 どういった障害が用意されているのか、までは共有されていない。

 先んじて轍を踏むリスクを犯すよりも、まず情報収集から入るのが適当だと判断したわけだ。

 言ってしまえば、飛び出した二人は人柱――ならぬ『ウマ柱』、そのことも先頭の二人はよく理解していたが、

 

 ――後悔させてやるっすよ、その判断!

 

 シオンは怖気付かず、先頭を駆け抜けていく。そしてその思いは、ヴィルシーナとて同じだった。

 

『さぁレースは早くも1コーナー、選手たちを阻む最初の障害が姿を現します!』

 

 コーナーの始点――

 最初の障害物が、シオンとヴィルシーナの目に入っていた。

 端っこにぽつねんと建てられた看板にまず――一言。

 

『この先 靴厳禁』

 

 目に入った文字に一瞬の思考の空隙、眼の前の現実が、それを即座に埋める。

 そう、コーナーを覆うように地面に設置されたそれは、無数の丸みを帯びた石礫のような絨毯――

 

『第一障害は――『健康足つぼマッサージエリア』です!!』

『ウオオオオオオッ!!』

 

 ――足つぼォ!?

 

 シオンとヴィルシーナの脳裏に、頓狂な声が響く。そんな彼女らの反応もいざ知らず、実況は続ける。

 

『医学的見地と人間工学観点から最適化された最新鋭のマッサージマットは、毎日の体験によって将来的かつ長期的な健康に繋がると言われています! 長さはウマ娘の速さを持ってすれば一瞬で走り切れるほどですが――普段とは違う環境で無事走り抜けられるのでしょうか!』

『これはですねー、配置がまた嫌らしいですね! コーナーは足に力が入る箇所ですから、否応なくツボの威力が最大限に発揮されるようになっています! ウマ娘は普段から鍛錬を積んでいるアスリートですが――これに耐えられるかどうかは未知数ですよ!』

『そうですねー、桑原さん!』

『はぁい』

 

 呑気に言ってんな、と実況と解説に心の中でツッコみつつも、立ち止まるわけにもいかない。

 足つぼエリアに到達したシオンは、看板の警告通りに手早く靴を脱ぎ、一瞬の躊躇い――

 その間にヴィルシーナが追いつき、シオンの傍ら、何の躊躇もなく前へと踏み出したのを見て。

 自信もそれに倣い、エリアへと足を踏み入れていた。

 

「――っ!?」

「――うぐっ!?」

 

 直後――鋭い痛みが、それぞれを襲う。

 顔を歪めながらも、二人は進む足を止めないが、その速度は先程までとは比べるべくもない。

 解説の発言通り、ウマ娘は普段から鍛錬を積んでいる。

 が、それとツボのあれこれとは話が別というわけだ。

 

 シオンは、顰めたことで狭まった視界の中、続くコーナーを睨むように見る。

 いつもなら一瞬で過ぎ去るはずの勝負どころが、今では永遠にも感じるほど遠い。

 

 ――これ考えたヤツイカれてないっすか!?

 

 人の心とか無いのか、と毒づくが、他方――

 

「――情けないですわね」

 

 そんな思考を切り裂くように、優雅な声が響いた。

 

「こんなもの――砕いて進めばいいのですわ!」

 

 ジェンティルドンナのレーンから、物騒な音が響く。

 彼女は――足をスライドさせる歩法、いわゆる摺り足にて、器用にも自身のレーンの足つぼパッドを破壊しながら前進していた。

 

『おぉーっとこれはジェンティルドンナ選手! 斜め上の攻略法で強引に進行! さすがの膂力、さすがの鬼婦人! 『鬼』の名は伊達ではありません!』

「あれ反則じゃないんすか……!?」

 

 驚愕するシオンの傍ら、特にストップの声がかからないのが全てだった。あっという間にジェンティルが二人を追い越し、先頭へと躍り出る。

 

「っ……!」

 

 それを、ライバルたるヴィルシーナが見過ごすわけもない。

 

「――負けるかあぁぁぁぁっ!!」

 

 絶叫と共に、彼女は足つぼエリアを疾走する。

 痛みを感じていないはずはない。対抗心と気合だけで無理矢理押し通っているだけだ。

 それを見たシオンも、一瞬は停止するも、もう一瞬で我に返る。

 

 ――あたしだって! その一心で、自身もエリアを駆け抜ける。

 

『さぁ初っ端から白熱の展開! ゴリ押しするジェンティルドンナ選手を、ヴィルシーナ選手とウインバリアシオン選手が追跡します!』

 

 そんな彼女らの背後――

 

『そして最後方を走るはオルフェーヴル選手! 先団からやや出遅れていますが、果たしてどう攻略するか――!』

 

 オルフェーヴルは、恐れた様子もない。

 手早く優雅に靴を脱ぐと――

 顔色一つ変えず、軽やかに、マットを駆け抜けていく。

 

『おぉ――おぉ! オルフェーヴル選手、全く動じることなくエリアを走り抜けていきます! 凄まじい! 暴君の風格が溢れ出ています!』

『オルフェーヴル選手は体重移動が巧みだと語り草ですからね。足つぼにかかる力を最小限に抑えつつ、最速を維持しているのでしょう。これは逆転は大いに有り得ますよ!』

『そうですねー、桑原さん!』

『はぁい』

 

 さて、レースはコーナーを抜け、第二障害――

 レーンごとに設置された勉強机、そのひとつを前にして――

 ジェンティルドンナは、硬直していた。

 

「……」

 

 机上には一枚のトレー。

 トレーの中には、白い粉。

 それら、設置された物品の示すところは――単純。

 

『さぁ先頭が第二障害に到達したようです!』

 

 答えを、実況者は宣言していた。

 

『第二障害は――『飴玉探し』です!!』

『ワァァァァァァッ!!』

「っ……」

 

 古典的、かつ明快な仕掛け。

 特に難しいこともないのだが、ジェンティルは硬直してしまっていた。

 

『各机に置かれたトレーの中に、飴玉が隠されています!選手は己の口のみを使ってそれを探し出してください!もちろん、口以外を使った時点で、失格となりますよー!』

 

 ……その性質上、確実に挑戦者の顔は白い粉で塗れることになる。

 剰え、近くに控えたビデオクルーがばっちりとカメラをこちらに向けている。ターフビジョンにて、その顔が否応なしに映し出される仕掛けなのだろう。

 無論そんなことは、ジェンティルにとって、経験のない屈辱だ――

 そんなことを。

 

 ――そんな醜態を、私に晒せと!?

 

 屈辱の辛酸と、勝利の美酒。

 どちらを取るべきか、無言のプライドバトルを繰り広げるジェンティルだったが――

 

「――あら、ジェンティルさん?」

 

 状況は彼女を待ってはくれない。

 

「こんなところで立ち止まるなんて――お優しいですのね!」

「っ……!」

 

 ヴィルシーナは追いつくばかりか――既に飴玉を発見しており、不敵に笑いながらジェンティルを挑発する余裕すら見せつけていた。

 ジェンティルはそれを見て唇を噛む一方――ヴィルシーナの顔を見て複雑な表情になる。

 なぜなら、口周りに粉を貼り付けた彼女は――

 

 ――サンタクロースみたいになってますわ!?

 

 観衆も笑いと興奮の入り混じった声援を上げている。恥じらうこともなく、ヴィルシーナはジェンティルから先行した。

 そこまで見て、ようやくジェンティルも覚悟を決める。

 

「――っ!」

 

 やる気になった彼女は早い。

 即座に飴玉を見つけ出すと、勢いそのままにヴィルシーナの背を追う。

 ……彼女もまた、サンタクロースのように、口の周りを白く染めながら。

 

『さぁ一時立ち止まっていたジェンティルドンナ選手も再び走り出し、先頭を走るヴィルシーナ選手を追う形となります! そして後方――』

「っ!」

 

 シオンもやや遅れて飴玉を見つけ出し、走り出す。

 彼女はヴィルシーナとほぼ同時に到達していたが――ここまで遅れた理由は単純。

 

『ウインバリアシオン選手も遅れてクリア! これはどちらかというと、単に探すのに手間取ったということのようです!』

「もぉ~変なとこで手こずったっす……!」

 

 悔しがるシオンの更に後方、最後に到達しかけるのはオルフェーヴル。

 

『さぁそしてオルフェーヴル選手も遅れて到着! この難所を、暴君はどう乗り越えるか――!』

「……」

 

 実況の声を耳にしつつ――

 オルフェーヴルは、机上のトレーを睨みつける。

 

 ――飴玉よ。

 

 そして――そこに潜む飴玉へと、『語りかけていた』。

 

 ――王が命ずる。

 

 

 

 

 ――キサマが来いッ!!

 

 

 

 

『――~~』

 

 ――起きた現象は奇想天外。

 トレーの中に隠れていたはずの飴玉がひとりでに動き出し――オルフェーヴルの口元へ、一直線に飛来していたのだ。

 それを歯で受け止めた彼女は、そのまま飴玉を噛み砕き、嚥下する。

 

『おぉーっとこれはまた凄まじい攻略法! オルフェーヴル選手、『強力かつ的確な吸引』で、飴玉のみを吸い出して見せました! ……心做しか飴玉から向かっていったように見えましたが、まぁ気の所為でしょう!』

 

 実況者はやや雑にその現象を処理すると、再び関心を先頭へと向ける。

 

『さぁそして! 先頭は第三の関門に到達です!』

「これは……」

 

 立ち塞がるは、一見物干しのような、やたらとゴツい構造。吊り下げられているのは、袋に入れられたひとつのパン――

 

『第三障害は――『パン食い競争』です!』

『ウオオオオオオッ!!』

「!?」

 

 ここに来て!? と驚くヴィルシーナとジェンティル両名、あとから追いついたシオンも、予想だにしなかったモノに思わず立ち止まる。

 

『これもまた単純にして明快! 選手は飴玉と同様、口のみでパンを獲得してもらいます!』

「……っ」

 

 ――突っ立っているわけにもいかないと、ひとまず説明の通り、シオンは、吊り下げられたパンを口で掴み取ろうと飛び上がる。

 それに倣うように、他の二人も動き出した――

 

『――しかしご注意を!』

 

 その時。実況が告げていた。

 

『その『竿』は――普通のものではありません!』

「――!?」

 

 それを裏付けるように――

 口で捉えようとした各人に反応し、パンがぴょん! と動いていた。

 宛ら、捕食者から飛び引く獲物のよう。

 その突然、かつ予想外の動きに、観衆を含む誰もが驚愕に晒される――

 

「……クックック」

 

 その中にあって――不敵に笑う影がふたつあった。

 

「申し訳ないが……そう簡単に突破されては困るのだよ、『後輩』諸君」

「心苦しいが、我々の沽券に関わるからな」

 

 片方は純白の白衣を身にまとい、もう片方は車椅子に乗っている。

 双方とも、頭部に耳を生やし、尻尾を携えた――『ウマ娘』。

 

『この『最新鋭人感センサー搭載パン食い競争用竿』は、アグネスタキオン博士、並びにシュガーライツ博士共同開発による最先端機器となっています! ウマ娘といえど、その反応速度に追いつくのは至難の業! 果たして選手は、突破することが出来るのかぁー!』

「ウオオオオオ!」

「よくわかんねーけどすげぇー!」

「いくら使ってんだこの企画ー!!」

 

 実況からの凄まじい情報量に、観客の熱も我武者羅に高まる。その最中にて、ヴィルシーナは再度挑戦するも、パンの反応は確かに鋭く、獲得には至れない。

 さてこれはどうしたものか、と上気しかけた熱が収まり始め――

 

「――、」

 

 が。その隣。早くも状況が動く。

 ジェンティルドンナが飛び、パンが跳ねるが――そこで終わらない。

 

「っ!!」

 

 身体能力を振り絞り――

 無理矢理に身体を曲げ――

 逃げるパンを、強引に噛み取って見せたのだ。

 

「……!!」

 

 力に物を言わせた攻略法に、ヴィルシーナは目を見開く。

 目を合わせたジェンティルはにやりと笑い、硬直する彼女を尻目に、最後の障害へと向かった。

 

「――っ、」

 

 ヴィルシーナも、黙っていられない。

 彼女もまた飛ぶと、跳ね上がるパンを視認して――

 

 ――身体を、

 

「ぅぉらぁっ!!」

 

 捻る!! ――見様見真似で動きを再現し、同様にパンを獲得していた。

 

「行かせませんわよ、ジェンティルドンナァァァッ!!」

「ふふっ、それでこそ貴女ですわ!」

「……」

 

 さてそうなると三番手、ウインバリアシオン――

 二人の様子を見守っていた彼女もまた、一瞬はそれを真似ようとするが、即座に否定する。

 流石に自分には、あそこまでの膂力はない――だから、また別の切り口から攻略法を見出していた。

 

 先ほど、実況は人感センサーと言った。

 こちらの存在に反応して動く仕掛けなら……それならば……

 

「――……」

 

 ――存在感を。

 ――消す……!!

 

 呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。大丈夫。『脇役』の自分なら、それくらいお手の物だ――

 人感センサーは一時の戸惑いに晒される。当然だ。眼の前にいたはずの存在が、前触れなく消えたのだから。

 そんな惑いの隙を、シオンは見逃さなかった。

 

「――どりゃーっ!!」

 

 結果――見事に彼女もパンを捉え、レーンを走る。

 各々、個性を活かした攻略に、観衆もまた盛大な歓声を上げた。

 

『素晴らしい! ここまで選手一同、科学の粋を集めた仕掛けでさえ、難なく突破していきます!』

 

 そして最後に到来する王――

 

『さぁそしてオルフェーヴル選手は――』

 

 と、続きかけた言葉は、それ以上は紡がれることはなかった。

 脚力を爆発させたオルフェーヴルは、目にも止まらぬ速さで『標的』に向かい――

 装置を抜けた時には、その手に獲得したパンを持っていた。

 

『おぉーっとオルフェーヴル選手! なんという速力でしょう! 装置が反応する隙も与えず、『獲物』を奪取してみせました!』

「……やれやれ。まだまだ改良の余地がありそうだねぇ」

「嬉しい悲鳴だな」

 

 突きつけられた『結果』を前に、アグネスタキオンとシュガーライツは楽しそうに笑う。

 その傍らで、会場の盛り上がりは最高潮に達し、レースもまた最終局面。

 選手たちを待ち受ける、最後の障害――

 

『さぁ! レースは最終局面! 第四の障害は――!』

「……これは……」

 

 ヴィルシーナが、怪訝そうに声を漏らした。そこには再びの勉強机。机上にはトレーは載せられていないが、代わりに一枚の紙が貼り付いているのがわかる。

 傍の看板の内容を読み取ったと同時、実況の声が再三響いた。

 

『――そのものずばり、『借り物競走』です!』

『ワァァァァァァッ!!』

 

 出迎えた最後の障害、その内容を理解して、ヴィルシーナは机上の紙を引き剥がす。

 

『それぞれ、紙にはある『品物』の名前が書かれています! それに該当する品物をどなたかから借り、装着した状態でゴールまで走らなくてはなりません! 可能であれば、もちろん出走者から借りてもオーケーです! 運とコミュニケーション能力を問われるこの最後の難関、選手は乗り越えられるのかぁー!!』

「…………」

 

 実況の声を聞きながら、ヴィルシーナは絶句していた。

 彼女が担当する紙には……こう書かれていた。

 

『装飾の付いたカチューシャ』

 

 ――装飾ってのは、つまり……!

 

 ちらり、とヴィルシーナは観客席を見た。それはすぐに見つかった――小さな女の子がつけている、有名なアニメキャラクターの『耳』を模したカチューシャ。

 すぐに見つかったことは幸いであるものの、彼女の中に躊躇いが湧いてくる――え、嘘でしょと。

 

 私、あれを着けなきゃいけないの!? ――と。

 

「……」

 

 客観的にそのような光景を想像して、身悶えそうになる。

 最後の最後で、そんな姿を観衆に晒さないといけないなんて。

 ――公式レースのようなプライドバトル。彼女は、先のジェンティルが立ち止まっていた気持ちを、実感として理解していた。

 

「――っ」

 

 なればこそ――立ち止まっているわけには行かない。

 嘲笑う自分を決死の思いで振り払って、ヴィルシーナは少女の下へと駆け寄る。

 彼女は、見るからに驚いた表情をしていた。

 

「あ――あの! そ、そのカチューシャ、借してもらってもいいかしら!?」

「え――い、いいの!? わたしので!?」

 

 ウマ娘は、アイドルとしての側面も持っている。

 当然、ここまで戦ってきたヴィルシーナにも、少なからずファンはいるのだ。

 思わぬ使命に、少女は舞い上がったような声で応じる。ヴィルシーナはそれに、何度も首肯することで答えた。

 

「は――はいっ、どうぞっ!」

「ありがとございますっ!!」

 

 受け取ったヴィルシーナは、カチューシャを手に一瞬だけ躊躇う。

 が、ここまで来て諦められない――羞恥心を押しのけるように、彼女は勢いよくそれを装着した。

 

「わぁー、かわいい!! ヴィルシーナさん、似合ってるよ!」

「あ、ありがとうございますっ……!!」

 

 この企画考えた奴、絶対にどうにかしてやる――!

 心に物騒な誓いを立てながら、ヴィルシーナは走り出す。

 何はともあれ、追うものは誰もいない、このまま行けば、自分が優勝――

 

「お待ちなさいな!!」

 

 出来る。しかし、そう簡単に行くはずもない。

 声に反応して振り向くと、そこには、見飽きるほどに見慣れた鹿毛。

 

「このまま逃げ切れると――思わないでくださいませ!」

「ジェンティルさん……!!」

 

 ジェンティルドンナもまた、すぐさま借り物を確保していた。

 先頭を分捕ろうとするヴィルシーナを、彼女も猛然と追跡する。

 立場が逆になる――などという軽口を叩く暇もなかった。それはそれだけ、レースが逼迫していたというのもあるが――それ以上に。

 

 ――嘘でしょ……

 

 驚愕に値する情報があったからだ。そう。いくら借り物とはいえ――

 

 ――鼻眼鏡はナシでしょ!?

 

 ……それも、ジェンティルは一切恥ずかしがっている様子を見せていない。

 真顔で鼻眼鏡を装着した様子に、異様なのかシュールなのかよくわからない感情に晒されながら、ヴィルシーナは必死に逃走する。

 

 そして時を同じくして、ウインバリアシオン。

 事によっては、ここで大差がついてしまうぞ。急げ、急げ――と紙を引き剥がした先。彼女の担当する借り物は――

 

「……!」

 

『紐付きカメラ』

 

 ――ここに来てフツーなの来たーっ!!

 

 持ってんのか持ってないのか、どちらにせよ好都合であることには変わりない。シオンは該当の人物を見つけ出し、頭を下げに行く。

 

「あのっ! そのカメラ、借してもらえないっすか!?」

「お、おぉ! いいぞ! 持ってきな!」

 

 よし、と順当に借り物を確保したシオン。先の二人は既にコースに復帰し、最終直線へと向かっている。行けるか? いや、もう無理では――いや行くんだ、諦めるな、行くぞ!

 

 自分を勇気づけ、コースに舞い戻る。前を見据え、遠ざかる2つの背中に照準を合わせた――

 

 

 

 

「――シオン」

 

 

 

 

 刹那だった。

 背後から、あの聞き慣れた声が聞こえる。

 

「――え」

 

 それに反応する――よりも早く、彼女の身体は『動いていた』。

 

「きゃあっ!?」

 

 背中からぐあっと身体が持ち上がる感覚。

 普段はあまり聞かれないような声を上げるも、行動は止まらない。

 もぞもぞと体を動かし、反転した視界を元に戻した時――彼女は、自分が『担がれている』という事実に気付いた。

 誰がそんなことをしたのか――など、問うべくもない。

 

「え、あ、あの……!?」

 

 動揺しながら、シオンは声を上げる。

 

「お――オルフェさん……!?」

「動くな。落とす」

「は、はぁ……!?」

 

 オルフェーヴルは――

 シオンを肩に担いだまま、ぐんぐんと加速していく。

 シオンの目には背後の光景しか見えていなかったが、まるでスポーツカーにでも乗っているかのように、景色が急速に遠ざかっていく。

 ――その景色の中に、間もなくジェンティルドンナとヴィルシーナの姿が入り込む――

 

「……」

 

 ――すごい。

 すごい景色だ。

 感嘆すると共に、少し憎らしくもなる。

 

 ずるいな、この人は。

 こんな凄まじい景色を。こんな美しい光景を。

 

 最後まで。

 独り占めにしてたなんて――

 

 ――特等席の旅程は、そう長くは続かない。

 

『――!!』

 

 やがてはち切れんばかりの歓声が上がり――

 彼女の、いや彼女らの身体は、停止していた。

 競争の結果は――

 

『決めましたぁー!! 競争の名のつくものにて、勝利の美酒は渡さない! トレセン学園特別障害物競走――優勝は、オルフェーヴル! オルフェーヴル選手です!!』

『ワアアアアアアアァッ!!』

『二着は、担がれた状態でゴールしたウインバリアシオン選手! 三着はジェンティルドンナ選手とヴィルシーナ選手の同着となります! 皆様、お疲れ様でしたー!! 表彰はこのあとすぐの開催となります、今しばらくお待ちください――!』

「……」

 

 ……それでいいのか着順は、とシオンは苦笑いする。というか――少し不満になる。最後は自分の足で走っていなかったのだけれど。なんだかなぁ、と。

 

「……、悪くない勝負でしたわ……」

 

 一方で、ヴィルシーナが口を開いていた。

 

「まさかここまで白熱するとは。同着、というのが悔やまれますけれどね」

「同感ですわ。……まぁ、今回のレース。多少なり見どころがあったのは認めて差し上げましょう」

 

 応じるジェンティルドンナは、ヴィルシーナに手を差し伸べる。

 

「……次はターフで。私の前に立ってみせなさい」

「……、望むところです」

 

 普段から、互いに火花を散らすライバル同士。

 そんな二人が、結果に拘らず、熱い握手を交わす。

 その光景は、とても尊く眩しいものだったが――シオンには、手放しでは感動できなかった。……なぜなら。

 

 ――鼻眼鏡とカチューシャは、ちょっとシュールっすね……

 

 ……絵面が、あまりにも似つかわしくないものだったがため、であった。

 

「――っと」

 

 と、そこで肩から降ろされる。

 着地したシオンの眼の前、オルフェーヴルは、まるで先程までそんな事実がなかったかのように、朴訥と彼女と視線を合わせる。

 

「シオン、」

 

 彼女は言う。

 

「よくぞ無駄に藻掻かなかった。大儀であったぞ」

「あ……あぁ、まぁ。それはいいんすけど……」

 

 お褒めの言葉を受けるのはいいが――シオンにはわからなかった。先の競争、最後は借り物競争、という話であったはずだが。

 なぜそこで彼女は、自分を担ぐなどという頓狂な選択をしたのか。

 自分を哀れんでのことか、あるいは気まぐれなのか――

 

「……なんで、あんなことを……?」

「仕方があるまい」

 

 問うと、彼女はポケットをまさぐる。そして差し出されるのは、一枚の紙。彼女の担当した『指令書』。

 

「そういう要求だったのだ」

「……」

 

 受け取ったシオンは、その紙面を確認すると――

 

「…………」

 

 みるみるうちに。

 

「………………っ」

 

 顔を赤らめていた――なぜならそこには。

 ぽつりと、こう書かれていたからだ。……

 

 

 

 

『親友』

 

 

 

 

「――あ」

「?」

「あ、あ、あ――!」

 

 込上げてきた思いの名を、シオンは知らない。

 それでも無言で飲み込むには、理性が足りず。

 

「あんたって人はぁーっ!!」

「なぜ怒る……?」

 

 感情のままに放たれた絶叫に……しかしオルフェーヴルは、わけがわからないと言わんばかりに、首を傾げるばかりだった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「すっごいレースでしたねクレインさん!!」

 

 興奮冷めやらぬ様子で、フェアリィルナは親友に感想をぶつけていた。

 

「皆さん見どころ多すぎてどこから語ればいいかわかんないですよ! ジェンティルさんはマット壊しましたし、ヴィルシーナさんはサンタみたいでしたし! 副会長様の気配消しも、会長様の俊足も素晴らしかったです!!」

「なんかほとんど悪口になってない?」

 

 しかし、どれも事実なのだから仕方がない。

 最初こそ障害物競走なんぞ盛り上がるのか、と疑問だったクレインだが、終わってみればこの盛況ぶり。なるほどウマ娘というコンテンツが続くわけだな、と妙に冷静に納得する。尤も、参加者の威厳があってこその盛り上がりというところはあるだろうが――

 

「本当は表彰式も見たかったですけど、これ以上は迷惑になっちゃいますからね……!」

「ちゃんとそこまで式を用意してるのがすごいわよね……」

 

 前述した通り、休憩時間は、全員で過不足なく現場が回るようサトノクラウンがしっかりと計算している――競技だけでなく、式まで見ていたら時間を超過してしまうのは想像に難くない。

 名残惜しいが、こればかりは、『出店側』の宿命であった。

 

「まぁ、特に連絡も来てないみたいだし。焦らなくてもいいでしょ」

 

 ただ、ソードクレインの心持ちは軽かった。役目を終えたわけではないが、ちらと確認した携帯電話に新規の連絡はない。

 つまりはそれは、それだけ現場は異常なく回せている証明に他ならなかった。

 

「あんまり気負わずに行きましょう。特にあんた……空回りしたらどうなるかわかんないんだから」

「はいっ! そうですね! 今度はお客様を泣かせないよう、頑張りますっ!」

 

 一応お化け屋敷としては成功なのだろうが。やり過ぎがいいことだとは必ずしも言えない。

 そこのとこ、くれぐれもよろしくね――そんな風に二人はやり取りしながら、クラスに続く最後の廊下の角を曲がった。

 

「……んん?」

「?」

 

 クレインは頓狂な声を漏らす。

 それもそのはず、自分たちの向かう先、今日のための特設出し物会場から――長い列が伸びているからだ。

 悪寒に似た予感が背筋をなぞる。そんなまさか、と冗談めかして考える彼女だったが、残念ながらその勘は的中していた。

 

「――あ! 帰ってきたー!」

 

 ちょうど室内から顔を出したキタサンブラックが、慌てて二人に駆け寄ってくる。いつも明るいムードメーカーな彼女にしては珍しい、焦燥に駆られ切った顔――

 

「すぐにヘルプに回って! もー、フェアリィちゃんの集客が思ってた以上に凄かったみたいで!」

「え? 集客?」

「あぁ……そんなもの着けてたわねそういえば……」

 

 行列が自分たちの出店から伸びていることは、火を見るよりも明らかだった。しかしなぜそんなことが、と思ったクレインだったが、キタサンの声に納得する。

 ちらりと向けた視線の先、フェアリィの背中では、クラウンお手製のゴキゲンな『宣伝』が今でも存在感を醸し出している。

 

「『コレ』だけで『この』事態なんて、俄かには信じられないけど……」

「まぁ色々要因はあると思うけど! なんでもいいから早いとこ行ってあげて! ホントにすっごいんだから!」

「ん……わかったわ」

「よーっし、クレインさん! 気合い入れて行きましょうっ!」

 

 あんたのせいなんだけどね、とも言えなかった――これはしばらく休めそうにないな。

 密かに覚悟を決めて、クレインたちは運営のサポートに回る。生徒たちの、悲喜交々な様子を目にしながら。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死屍累々。

 現状をこれだけ的確に表現した言葉もそう無いだろうな、とソードクレインは考えていた。

 

「おつかれー、みんなー」

 

 サトノクラウンの声が聞こえてくる。字面だけを見れば労う管理者といった風で、あまり疲労していないように見えるかもしれないが、その実声色は明らかに憔悴している。

 そしてそんな彼女の言葉が実態を示すように、廊下には生徒たちがあちらこちらで自主休憩に入っていた。

 壁にもたれている者もいれば、床に伏してしまっている者もいる。

 まるで野戦病院か戦場そのもの。無関係な者が目にしたなら、何事かとすっ飛んでくることだろう。あるいはだらしないと叱責するところか。

 

「お化け屋敷って、思ってたよりしんどいものだったんだね……」

 

 普段は疲弊とは無縁のキタサンブラックの声からも、いつもの明るさが失われている。辛うじて呼応する声も、ゾンビ映画宛らだ。だが――誰がそんなだらしなさを責められようか。

 ほぼ絶え間なかった客足に、常にアグレッシブさを要求される役目。それほどまでに疲弊することが、普通であるのだ――

 

「――いやぁー、楽しかったですね!! 春のとはまた違った感じで、感激しましたっ!!」

 

 ――……一部のものを除いては。

 

「それでそれで、これからどうしましょうかっ!! お片付けですか? 打ち上げですか? それともこのまま解散ですか? どれでもフェアリィはお供しますよ!!」

「うんおっけい。とりあえず落ち着いてね」

 

 フェアリィルナの体力が、モンベツトレセン時代と比べて、明らかに増しているのはトレーニングの賜物か。何にせよ今この状況でのそのような言動は、無用な敵を作りかねない。

 頼むからじっとしていてくれ、とクレインは冷静に諭していた。

 

 全体を見渡しているサトノクラウンにも、もちろん彼女の様子は確認できていた。フェアリィルナが底抜けに明るいことは、兼ねてより知り及んではいたが、その光景は信じ難いものだった――おいおい、冗談だろと。

 これだけ過酷な労働を終えてなお――体力有り余ってんのかコイツは、と。

 

「……えと。ごめん。騒がしくて」

「――っと、あぁ」

 

 絶句しているクラウンを見て、クレインが申し訳なさそうに言う。だがとんでもない。

 驚愕に言葉を失っていただけだ――慌てて気を取り直し、クラウンは応じた。

 

「大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから。気にしないで」

 

 何はともあれ、今日の日程は終わり。

 もうこれ以上、疲労困憊の同級生たちを留めておく必要はない。

 

「さ、みんな!」

 

 一つ手を叩き、注目を集めたクラウンは言う。

 

「今日は本当にお疲れ様! 片付けは明日にして、今日は解散にしようと思うけど……」

 

 幸いにも、明日は撤収も兼ねた予備日となっている。今日無理に片付ける必要はないが――今日でなければ出来ない『行事』も、またある。

 

「知っての通り、出店を通した売上は、そのまま生徒の利益になります」

 

 言いながら取り出したのは、一枚の茶封筒。

 

「さっき集計した結果、ある程度使っても『次年度』の聖蹄祭への運営資金に支障は出ないことがわかりました」

 

 くつくつと不敵に笑うクラウン。一方で、何を言っているかわからない、と言わんばかりの雰囲気のクラスメイト達に、

 

「――コイツを使って、」

 

 彼女は、高々と宣言した。

 

「これからパーッと打ち上げといこうっ!!」

『――!!』

 

 瞬間、誰もが顔を見合わせ、歓喜の声を上げる。

 対応しきれないほどに疲弊した生徒も、微笑みを浮かべられる程度には活力を取り戻した。

 ただまぁ、全員が全員、それに呼応する訳でもない。

 

「ご、ごめん……あたしはパスで……」

「私も、ちょっと難しそうかな……」

「ん、大丈夫。ゆっくり休んでね」

 

 体力的に余裕がない生徒は離脱し、しばし人数の変動が起きる。

 結果的に居合わせた生徒の半分ほどが残り、打ち上げへと出向くこととなった。

 

 とはいえ、全員揃って同じ店というわけにもいかない。

 突然の提案だし、単純なキャパシティの問題もある。

 というわけで、急ごしらえではあるが、とりあえず何かお腹に入れたいグループ、それより話がしたいグループ、とにかく騒ぎたいグループ……とさらに別れ、各々行動することと落ち着いた。

 

「中からでも声聞こえてたから、なんとなく想像ついてたけど……本当にすっごい盛り上がりだったんだね~」

「フェアリィがずっと騒いでてやかましかったわ」

「はいっ! ありがとうございます!」

「褒めてないっての」

 

 フェアリィとクレインは、キタサンブラックはじめとする話すグループに混じり、今日あったことのあれこれの会話に花を咲かせる。

 とは言っても、ほぼ勢いだけで反応するフェアリィの手綱を握るのが主で、気付けばツッコミだけで帰寮の時間を迎えていた。

 

「――っく」

 

 同級生の列の最後尾、歩きながら、クレインは込み上げてきたあくびを噛み殺す。それを見たフェアリィは、何故か目を爛々と輝かせて覗き込んでくる。

 

「クレインさんお疲れですか? 珍しいですね! あの体力おばけのクレインさんが疲れるなんて!」

 

 それは微妙に悪口だし、体力おばけなのは現状あんたの方だし。そもそもこうなったのはほとんどがあんたのせいだし――と、限りなく文句に近いツッコミがとめどなく溢れてくる。

 ただそれを口にするような体力ももはや無い。『うん、そうね』――結果として、相対的に素っ気なく聞こえる、淡白な返事で応じていた。

 

「……ん」

 

 元気の出る食べ物教えましょうか! それとも楽しい動画をご所望ですか!? ……なおも喧しく話しかけるフェアリィに生返事をしていると、彼女の携帯電話が震える。

 連絡の着信を報せるものだ――のそっと携帯電話を取り出すと、灯った画面にひっそりと新着メッセージが表示されている。

 

『お前、今度のJBCスプリントの出走者一覧見たか?』

 

 それは、彼女のトレーナーによるものだった。

 

「……」

 

 前置きが一切ないことなどは、今更気にならない。

 これまでの連絡だってそうだったし、これからもそうだろうと半ば諦めているから。

 内容だって、そこまで特筆すべきものではない。こんな程度の確認くらい、他のウマ娘だってしていることだろうし――

 

 ――しかしなぜだろうか。

 そんな有り触れているはずの文章を認識した時、クレインはこれまでと違う感覚を覚えていた。

 

 それは根拠のない感覚。本能的なセンサーが、理由なく形無き何かを感知して、刹那的に送る危険信号。

 ぞくり、とする。

 悪寒だった。

 

『まだですけど どうかしましたか』

 

 その正体を解き明かしたいがために、トレーナーへ連絡を返す。

 

「――っ?」

 

 直後に面食らったのは、返信には時間がかかるだろうと踏んでいたからだ。それもまた、これまでと同じだったから。

 まさか『既読』がついて、数秒と待たず返ってくるとは、夢にも思わなかった。

 

『厄介なことになったぞ』

 

 そんな文章と共に送付された画像は、件のJBCスプリントの出走者一覧表。

 もやもやをかき消すように、すぐさまそれを確認したクレインだったが――

 

「――……」

 

 

 

 瞬間。

 立ち止まっていた。

 

 

 

「?」

 

 フェアリィもまた、クレインの様子のおかしさに気が付いたのか、気付けば静かになっていた。

 ただ、突然で不可思議なその行動に、口を開かずにはいられなかったのだろう。

 

「クレインさん? どうしたんです?」

 

 顔を覗き込みながら問いかけるが、クレインは返事をしない。

 

「もしかして体調不良ですか? でしたら負ぶってあげますけど」

「……」

「……クレインさん?」

 

 

 

 

 

「――嘘でしょ」

 

 

 

 

 

「……へ?」

 

 いかにも深刻なその反応に、フェアリィはきょとんとする。

 そんな彼女の傍ら、クレインの脳裏に――フラッシュバックのように、記憶が蘇った。

 

 それは鮮やかな鹿毛。明るい笑顔。透き通った瞳に――元気な声。

 

『風水』、という単語。

 

 ……いつぞやの『あの言葉』は、思い返せば、宣戦布告だったのかもしれない。

 

「……なんで」

 

 それを本能で感じながら――

 震える声で、クレインは言っていた。

 

 

 

 

 

「――なんで、

 リッキーがいるの……!?」

 

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