泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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暴君来訪、ですっ!

 突き抜けるような青空の真下、静々と降り注ぐ冬の陽光を受け止めるその一室で、壮年の女性は紙束を見つめている。

 机の上に紙束の端を軽く打ち付け、僅かに乱れていたその並びを整えた。未だ活気の失われていない老健な瞳が、目の前に立つ男性に向けられる。

 

「委細承知しました。……『暴君』様の受け入れ、くれぐれも粗相のないよう」

「無論です。この日のために、リハーサルを何度も行ってきました」

「しかしイレギュラーは、往々にして準備の隙間を縫ってくるもの。何が起きても、冷静に対処するように」

「生徒がやや浮足立っているようですが」

「構いません。生徒との接触も、最低限になるようにしています。彼女らが面倒を起こすことはないでしょう」

 

 そう考える。女性――モンベツトレセン学園の理事長は、全てうまくいくという確信を9割ほど抱いていた。何も起きなければ、全て上手くいくはず。ご満足して帰っていただけるはずだ、と。

 

 ――そう。

 ()()()()()()()()

 

「……ただ、」

 

 彼女の気がかりは、その残りの『1割』にあった。

 

「『彼女』のことは、注視しておくように」

「『彼女』、ですか?」

「フェアリィルナです」

「あぁ……」

 

 男性は理事長の返事を受けると、いかにも厄介そうに声を零していた。そして彼女もまた、まぁ、士気にかかわる挙動はしたくなかったが。それでも、憂いを隠し切ることが出来なかった。

 

「あれは放っておくと、何をしでかすかわかりません。出来る限り先生方の監視をつけておくように」

「わかりました」

「お願いしますよ」

 

 男性は、要請に頭を下げる。尤も、そのような言葉は当人に直接投げかけたかったが……それが実現したとて、きっと大して意味がないであろうと、彼女は感じていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 オルフェーヴルは、何も自ら生徒会長を志したわけではない。

 競レースを天賦、ターフを領土、三冠を我が物と宣言して憚らない彼女が拘るのは、文字通りレースに関するあらゆる栄光だけ。レースに無関係な権力など無用の長物であり、生徒会長の席など、そもそも興味の対象ですらなかった。

 しかし、新学期が始まるや否や、取り巻きのウマ娘たちが、一様にこう懇願してきたのである。

 

「――どうか生徒会長になってください!!」

 

 ……最初こそ下らない、と一蹴したが、取り巻きたちは、なぜかその時ばかりは、異様に根気強く彼女に縋りついていた。

 

 曰く、██のスイーツを献上いたしますから!

 曰く、一日……いや、一ヶ月、犬として扱っていただいて構いません!

 曰く、お金ですか、お金が欲しいんですか!? ……

 

 どうしてそこまで必死になれるのか、自分にはほとほと理解不能だった――というか最後の条件はなんだ一体。

 実際のところ、そこには深い意味などない。取り巻きは本当にただ純粋に――当時海外にまでその名を馳せつつあった彼女に、会長の任まで是非とも請け負ってもらい、名実ともに『歴史的名バ』として名を刻んでほしい、と思っただけのことである。

 が、それは言ってしまえば周囲の都合。オルフェーヴルには関係がない。だからそのしつこい願いも退け続けていたのだが、

 

「――あら。あなたともあろうお方が、会長の席如きに怖気付くとは。見損ないましたわ」

「あぁ?」

 

 ……ジェンティルドンナのその発言で、すっかりレールに乗せられてしまい。

 結果、渋々会長に立候補。

 対抗バが現れなかったことから、自動的に当選となり。

 見事(?)、第6期生徒会長として、君臨することとなったのである。

 

 取り巻きたちはそれに色めき立ったものの、無関係な生徒たちは戦慄した。

 あの暴君と呼ばれたウマ娘が、生徒会長に。

 これはいけない流れなんじゃないか。

 圧政でも敷かれたらどうしよう! ――そんな噂すら流れたが。

 

 前述したように――レース以外には興味の薄い彼女は、元々トレセン学園の掌握など無関心。

 課せられる仕事もそつなくこなすことで――

 程なくそのような噂は立ち消え、生徒たちは、これまでと何ら変わらない学園生活を謳歌していた。

 

「……」

 

 そんなオルフェーヴルの姿は、今、北海道は日高町にある。

 校外の緑豊かな牧場、木製の柵に凭れ掛かる姿は、普段の姿からは想像もつかないほど穏やかだ。

 それもそのはず。彼女はつい先日、生涯二度目となる凱旋門賞を終え、日本へと帰国したばかり。

 年末の有マ記念へ向け、最終調整をしながらも、その隙間を縫って、会長としての『仕事』までこなさなければならないのだ。

 今や『歴史的名バ』の座を確たるものとしているとはいえ、多少なりそれに疲労するのも。当然のことといえた。

 

「――オルフェさーん」

 

 そんな彼女に投げかけられる声が、ひとつ。

 振った視界の中に、オルフェーヴルは見知った姿を認める。赤色に近い鹿毛に、羽根を象った髪飾り。

 

「……来たか。シオン」

「来たか、じゃないっすよ~。お散歩行くなら、ひと言言っといてもらわないと~」

「何故だ。貴様がこうして出迎えるのだから、良いであろう」

「探す方の身にもなってほしいんすけどねぇ……」

 

 ウインバリアシオンは、がっくしと肩を落とす。一見するとあんまりな物言いだが、オルフェーヴルは悪意があるわけではない。その言動は、彼女への信頼の証でもあった。

 

「ってか、こんなところで何やってたんすか。まさか牛とお戯れっすか?」

「戯れてなどおらん。彼奴から余の側に控えただけの話だ。剛毅なことよ……もし同族であれば、余の宿敵となったやもしれん」

「邪推が過ぎません? さすがに……」

 

 牛相手にそこまで言うかよ、と内心呆れるシオン、相変わらず傲然と振舞うオルフェーヴル。そしてそこに響く牛の呑気な鳴き声。

 二人の視線が、自然その牛へと向けられる。一時の静寂が流れ、シオンはこんなことをしている場合じゃない、と我に返った。

 

「とにかく来てください。あちらさん、オルフェさんが今来るか今来るかってそわそわしてますよ」

「そうか。貴様の頼みとあらば仕方あるまい。行ってやるとしよう」

「何よりっす。じゃ、こちらっす」

 

 素直に応じてくれたオルフェーヴルに、ほっと一息。しかし大変なのはこれからだ。気を入れ直して、訪れた名もなき牧場の出口へと足を向けた。

 

 

 

 見知らぬ少女と、目が合っていた。

 

 

 

「……」

「……」

 

 いや、厳密には、少女ではない。

 特徴的な耳に尻尾。シオンにはすぐにそれとわかった。

 ウマ娘だった。

 

 黒っぽいポニーテールの鹿毛。前髪はメッシュのように一部白く染まっている。服装は動きやすそうなジャージ。見たところ、自主トレーニングに励んでいたというところか。

 

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、彼女は目を疑う。

 なぜならその姿は、あまりにも酷似していたからだ。

 かつて、『帝王』と称えられた、第2期生徒会長――

 

「……トウカイテイオー?」

「む?」

 

 あまりに頓狂で唐突な発言に、オルフェーヴルもまた、気の抜けた声を漏らした。

 

 

 

「――ああぁーーーーーーッ!!!!」

 

 

 

 刹那だった。

 絶叫に近い声を、その少女が放っていたのは。

 

「『暴君』様だぁぁぁぁッ!!」

 

 それに晒された二人がびくり、と身体を震わせたと同時。少女はドドドドドド――と荒々しく彼女らとの距離を詰めていた。

 目前に辿り着くと、真っ先にオルフェーヴルの手を握る。

 

「『暴君』様だ!! 『暴君』サマですよねっ!!??」

「そ――そうだが」

「ふわぁぁぁっ!! 今日視察に来るとは聞いてましたけど、まさかこんなところでお会いできるとは思ってませんでしたっ!! なんという幸運でしょうかっ!!」

「ちょ、ちょっとちょっときみ、少し離れて――」

「どうですかモンベツの大自然は!! お気に召したのならこのフェアリィ!! 幸いに存じます!!」

 

 聞いちゃいねえ、と、ウインバリアシオンは顔を顰める。一方のオルフェーヴルは、あまりの出来事に呆気にとられ、まともに返事も出来ずにいる。それを見て、シオンは驚愕していた。

 

 ――オルフェさんが。

 あの『暴君』とまで呼ばれたお方が、気圧されてる!?

 ただ、二人がそんな風に衝撃を受けようとも、少女は止まらなかった。

 

「それでそれで、お二人はこんなところで何をしていらっしゃったんですかッ!?「あぁ……まぁこの牧場の」あ!! もしかして迷子か何かでしょうか!! ご心配なく!! モンベツトレセンはすぐそこですので!! なんなら走っていける距離ですよッ!!「いや、だから、」あ!! っていうかお近づきのしるしに一枚写真いいですか!? 大丈夫です!! 悪用したりしないんで!!「はっ? おい、ちょ――」はい行きますよーっ!! カシャッ ――ありがとうございますっ!! 家宝にさせてもらいますねっ!!「いや貴様、少しは話を」ってしまった!! フェアリィとしたことが、もうすぐ始業の時間です!! これはいけない!! というわけで私はここで!! また学園でお会いしましょうね!! それではーっ!!」

 

 ――そして。

 ドドドド……と少女は、嵐のような騒々しさで、彼女らの目の前から立ち去っていた。

 

「……」

「……」

 

 残された静寂が、二人にやけに大きく聞こえる。それを緩く追い払うように、牛が再び鳴き声を上げていた。

 

「……な」

 

 現実に引き戻されたシオンは、顰めた眉を戻すのも忘れ、言葉を漏らす。

 

「なんすかあれ。あれがかの有名なサクラバクシンオーっすか……?」

「……」

「――っ! お、オルフェさん、大丈夫っすか!?」

 

 オルフェーヴルは、気を取り直したように、服の乱れを整えていた。それを見たシオンは、わたわたと慌て始める。

 

「髪乱れちゃってますよ! 今整えます……!!」

「よい」

「え?」

 

 折り畳み式の櫛を取り出したシオンは、オルフェーヴルの僅かに乱れた髪を整えようとするが、彼女はそれをぴしゃりと止めた。そこには既に、先の彼女の姿はなかった。

 いつもの、威厳漂う佇まい。

 

「それより……あの者は何だ。未だかつて、余の会ったことのない人種だ」

「えー……っと。たぶん、モンベツトレセンの関係者だと思うんすけど」

「調べよ」

「あ――はいっ」

 

 オルフェーヴルの命のままに、シオンは携帯電話を取り出して検索を始める。その傍ら、彼女は手鏡を取り出し、自ら乱れた髪を整え始める。

 

「――いました!」

 

 事前にダウンロードした生徒のデータから、該当の人物を見つけ出すのにはそう時間はかからなかった。程なく声を上げるシオンだったが、

 

「――はっ?」

「?」

 

 が、それに頓狂な声を続ける。感情表現豊かな彼女にしても珍しい発声に、オルフェーヴルの内心も自然、薄い怪訝に染まる。

 

「どうした」

「あ……いや、そのー……」

 

 訊き返しに、シオンは気まずい気持ちで答えた。

 

「あの子はフェアリィルナ。モンベツトレセン学園の、中等部二年生っす」

「それの何がおかしいのだ」

「そのー……」

 

 オルフェーヴルが容赦なく追及すると、シオンは彼女に携帯電話を渡す。同じように資料をスワイプして目を通すが、ぴたり、とその指が止まった。

 それを見計らったかのように、シオンは続ける。

 

「……自己申告も上乗せしてるらしいんで。なんとも言えないんすけどね。そのー……戦績が……ですねぇ……」

「……なんだこれは」

 

 しどろもどろになるシオンに、今度はオルフェーヴルが猜疑に染まった声を上げる。怪訝を通り越して不審そのものな声を隠すことなく、彼女はそこに穿たれた文字を読み上げていた。

 

「……142戦6勝……?」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ソードクレインとフェアリィルナは同じ教室であり、席順も教室の後ろの方にて、前がクレイン、後ろがフェアリィというかたちだ。

 二人で始業まで話しこむのは日常茶飯事であり、今日も今日とて、他愛のない世間話に花が咲くところのはずなのだが――

 そうはなっていなかった。というのも、フェアリィの様子が、何やらおかしかったからだ。

 

「……」

「……」

 

 言うなればにっこりと――いかにも楽しげな笑顔を浮かべている、というもの。

 それ以上は何も言わない。いつもなら頼まずとも話すはずの彼女が、今日に限って何も言わない。理由も魂胆も、一切口にしていないものの――付き合いの長いクレインだ。彼女がどんな展開を望んでいるかが、なんとなくわかっていた。

 

「……」

「……、」

 

 それを敢えて始業まで放置するという選択も出来た。しかし変に放置して始業を過ぎて、承認欲求の爆弾が望まぬ形で爆発してもそれもそれで不味い――

 心理的物理的双方で距離の近いクレインも、そうなれば無傷ではいられないかもしれない。ふぅ、と面倒臭さを吐息に乗せて棄てた彼女は、仕方なく望み通りに動いてやることにした。

 

「……一応聞いてあげるわ。何があったの?」

「えへへ~。知りたいですか? 知りたいんですか~? そうですね~、教えてあげてもいいんですが~」

「じゃあいいわ」

「超有料級コンテンツですよ? しょうがないなぁ。クレインさんにだけ、特別に見せてあげますっ」

「いいって言ってるでしょうが」

「こちらです!!」

 

 フェアリィは、クレインへ勢いよく携帯電話の画面を突き付ける。本当に人の話聞かねえな、と思いながらも、クレインはそれを見た。……そこには。

 

「……なにこれ。オルフェーヴル?」

「そうです!! 写真撮ってもらったんです!! いいでしょう~!! 欲しがってもあげませんからねっ!!」

「はぁ。あの『暴君』がねぇ……」

 

 本当にそんなことをするのか、とクレインは思ったが。それが彼女が無理矢理に実行したものだということはすぐにわかった。なぜなら、

 

(ものすっごく困った顔してる……)

「な、なんですかなんですか!? あげないって言ってるでしょう!! これは我が家の家宝にするんですから!! いくらクレインさんでもこれは譲れませんっ!!」

「いやまぁ。うん。勝手にすればいいと思うわ……」

 

 肖像権の侵害にはならないだろう、とクレインは思い、それ以上ツッコむのをやめる。今日は朝からムダな体力を消費するわけにはいかないのだ――なぜなら。

 来る、『あの日』なのだから。

 

「はーい皆さん、席についてくださーい」

 

 聞き慣れた担任の女性の声が響き、教室内に散らばっていた生徒たちが席へ戻る。全員の眼差しがいつもよりそわそわしているのは、気のせいではない。

 

「はい、では朝のHRを始めますが……今日が何の日か、皆さんよくわかってますね?」

 

 生徒たちは、その担任の声に煽られたように、口々にああだこうだと話す。

 

「そうです、」

 

 そんな囁きに近い推測を、担任は肯定していた。

 

「『金色の暴君』、オルフェーヴル様が、ここモンベツトレセン学園に、視察にいらしています!!」

『――……!!』

 

 推察の囁きは、確信のざわめきへ。

 生徒たちの動揺は、最高潮に達しかけるが――ぱん、と担任が拍手を一つしたことで、鎮まっていた。

 

「ご心配なく。生徒と関わる予定はありませんので」

『え~!』

「え~、ではありません! 元々『暴君』様は、お忙しいご身分なんです。こうして来ていただけること自体、喜ばしいことなんですよ! 我々があのお方と直接お話しようなんて、そもそもが恐れ多いんです!」

「せんせー、それは言い過ぎだと思いまーす」

「やかましい!」

 

 生徒たちは、担任に向けて不平不満を口々に漏らしている。だがそれも、彼女にとっては想定内。

 理事長も想定した、取るに足らない『9割』に過ぎない。

 

「とにかくそういうわけですから、万が一会うことがあっても、粛々と挨拶だけするように。いいですね!」

『はぁーい』

「特に!!」

 

 残念そうに生徒たちが返事をする中、担任の言葉の矛先は、その中のある一人へと向けられる。そう、彼女らが懸念する『1割』。まるっきり制御の利かない、ただ一人の『不穏因子』――

 

「フェアリィルナさん!!」

「はいっ!! フェアリィです!! なんでしょうかっ!!」

 

 がたっ、と元気よく立ち上がったフェアリィに、担任はびしっ、と指差しながら言った。

 

「くれぐれも、くれぐれも大人しくしているように!! あなたですと、『暴君』様と出会い頭に無断で写真撮るとかやりかねません!! 用事のない時は、教室から出ないように!! いいですね!!」

「ご心配なくっ!! 既にやりましたのでっ!!」

「あぁそう、既に――ってはぁ!? 既にやったぁ!?」

 

 一連のやり取りを聞いていたクレインは、思わず片手で顔を覆う。なんで全部自分で言うんだこのバカは――と、とりあえず自分は無関係を決め込むことにした。

 そして続けて思う――承認欲求の爆弾は解除出来たが。他でもない『彼女自身』という爆弾を解除するには、どうやら専門の資格が必要そうだな、と。

 

「ちょ――えぇ!? ふぇ、フェアリィさん!! あ、あなた、いくら冗談が下手だからって、そんな……!!」

「いいえ!! 冗談ではありません!! 見てくださいッ!! ちゃんと実物もあります!! ほら!」

『お~!!』

「お~じゃないっ!! あ、あなた!! ちょっと職員室まで来なさいっ!! 他の子は授業の準備!! はいHR終了!!」

「先生!! この写真は先生でもあげませんよ!!」

「やかましい!! 黙って着いて来なさい!!」

「……やぁー、やっぱすごいねぇ、フェアリィちゃんって」

 

 これから怒られるだろうに、全く動じていないフェアリィの姿を見送ったクレインに、フードを被った別のウマ娘が話しかけていた。

 

「さっき色々話してたの、あれだったんだぁ」

「あぁ、まぁ。私も正直、目を疑ったわ」

「先生も色々準備してたのに、先越されちゃったんだねぇ~。あはは」

 

 そのウマ娘は、あどけなく笑った。

 

「――レースも、あれだけ速ければ――」

「何?」

「――!」

 

 そして――続いた言葉に。

 クレインは、その瞳に鋭い光を宿す。

 刃物の如きそれに刺された少女は、ハッと口を手で覆っていた。

 

「い――いや、ごめんごめん。冗談だってぇ。そんな怖い顔しないでよ、もぉ~……」

「……」

「……、」

 

 気まずさに耐えきれなくなったのか、彼女はそそくさと席に戻る。クレインもまた、それから目を逸らすように、視線を窓の外へと向けていた。

 

 レースも速ければ。

 だが、それはその通りではあった。

 もしもそうであれば――

 

 誰にも何も。

 言うことも言われることも、なかったろうにな、と。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――いやぁー、絞られに絞られましたぁ」

 

 お昼。

 食堂の片隅の席で、フェアリィとクレインは昼食を摂っていた。

 

「皆様には申し訳ないですねっ、私のせいで、授業開始が30分も遅れましてっ」

「うんまぁ。それに関しちゃみんな感謝してたけど」

 

 授業の一時間目は、他でもない担任教師による国語だった。戻ってきたフェアリィは変わらぬ調子だったが、担任の方はというと、二、三歳ほど加齢しているように見えた。

 

「でも緊張してきますね!! 今日の放課後でしたっけ、『暴君』様にレースを見てもらうの!!」

「予定ではね」

 

 そのままいつも通りに話し始める彼女を、クレインはある意味尊敬しながら答える。そう――

 オルフェーヴルによる視察、そのメインイベントと言っても過言ではないもの。

 生徒たちが走り、その様子を見てもらう、というもの。実施は放課後、時間にして数時間後に迫っている。

 彼女から直々に感想をいただき、今後の改善に役立てる――というのが、名目上の目的だが。実際には、もっと大きな別の目的がある。

 

 優秀な生徒の中央への勧誘――スカウトである。

 

 もちろんそれは、明言されていない噂でしかない。

 ただその視察によってスカウトされたウマ娘は、実際に数多くあり――

 今や生徒間では周知、いわば公然の秘密となっている。

 

「クレインさん()出るんですよね、確か!!」

 

 フェアリィは、クレインに言う。

 

「大丈夫です!! クレインさんならきっとトップをぶっちぎれます! そうすれば、中央移籍なんて一発ですよ!!」

「……そうかもしんないけどさ」

 

 先日にも思ったことだが、それは飽くまで、モンベツという庭に収まっている限りでの話。

 自分の走りが、実際問題、かの『暴君』の目にどう映るかは、想像に任せるしかない。

 自信はあるが。

 それでも、湧き上がってきた考えは、言うなれば『謙虚』、であった。

 

「そこまで都合よくいくわけが――」

 

 なので、『ないだろう』、と。

 彼女は言葉を結ぼうとしたが、止まっていた。

 先のフェアリィの言葉に、聞き捨てならない単語、というか一文字があったからだ。

 

「……フェアリィ?」

「はい?」

「今、クレインさん『も』って言った?」

「? はい! 言いましたよ!」

「……それだとまるで、あんたも出るみたいに聞こえるけど」

「へ? 何言ってんですか? 出ますよ?」

「はっ?」

 

 返ってきた答えに。クレインは声を上げる。対してフェアリィは、まるで常識を語るかのように、きょとんとしていた。

 

「あれ。もしかして知らなかった感じですか?」

「あ、うん。知らなかった感じ……じゃなくて。え? 出るの? 本当に?」

「も~、なんですかなんですかクレインさんらしくない! そんなに何度も確認して! そんなに私と一緒のレースに出られるのが嬉しいんですかっ?」

「いや、そうじゃなくてさ……」

「??」

 

 目の前の彼女は、何がおかしいのか、とでも言いたげに目をぱちくりさせている。クレインからしてみれば――その佇まいこそが、おかしさそのものだった。

 

 ――フェアリィルナ。

 通算戦績142戦6勝、自称最弱のウマ娘。

 尤もその戦績は、彼女がお遊びや授業の一環としてのレースも自主的にカウントした結果としての戦績であるため、確定的な数字は不明なものの。

 メイクデビューから初勝利を挙げるまで、十何戦と未勝利戦を積み上げたことから、少なくとも『優秀』と言えるような生徒ではないことは確かだ。

 

 そんな彼女が、『暴君』の視座でレースをする。

 中央の『生徒会長』が見守る中で、走る。

 そんなの、あまりに不審だし――あまりに非合理だ、とクレインは考えた。

 

 レースの出走者を決めるのは学園側だ。彼女が出走することも、学園側が決めたはず。

 ならばその目的は――あるとすれば――……

 

「……なるほど」

 

 聡明なクレインには、すぐに行き着いていた。

 

「引き立て役ってわけね……」

「?」

「あんた、私たちの引き立て役にされてるのよ」

「そうですか! それは光栄です!」

「……」

「……?」

 

 クレインは出来るだけ深刻に言ったつもりだったが、フェアリィは小首を傾げるばかりだった。相も変わらず──邪気のない瞳で、クレインを見つめ続けている。

 ……それに、クレインは少し不満げに言った。

 

「あんたさ、」

「はい!」

「怒らないの?」

「へ? 何にですか?」

「それに」

「いえ別に?」

「……なんで?」

 

 何一つ変わらない調子の彼女に、クレインの不満と疑問は積もる一方だ。それともお前は──状況を理解出来ていないのか、と。

 

「あんた、周りの強さを引き立てるために使われてんのよ。誰もあんたの活躍を期待してないって事じゃない。……悔しくないの?」

「えぇ、全然!」

「いや、全然じゃなくてさ……」

 

 ……クレインの、フェアリィとの付き合いは長い。

 彼女の、一見すると不可解な言動にも慣れてきた。

 それでも今回の、輪にかけて非合理な考え方には──さしもの彼女でも、そうそう納得出来なかった。説得するかのように、彼女は続けた。

 

「……悔しがりなさいよ、少しは。学園にいいように使われてさ。その……まぁ。泣け、とまでは言わないけど」

「んー、でもむしろ、素晴らしい方々の実力を、更に高めることが出来るのであれば、本望ってとこもあってですね」

「それ見かけ上そう見えてるだけでさ……」

「なんてったってフェアリィは、最弱ですからっ」

「……」

「――にししっ」

「…………」

 

 一見は何とも思ってなさそうな、眩しいほどの明るい笑顔を見て、クレインは複雑な気持ちになる。

 

 ……降り注ぐ雨、薄暗い校舎裏――佇む一人の少女。

 

 使命感に駆られ、更に深く踏み込もうとする気持ちを、脳裏に過ぎった映像が引っ掴んで留める。現実的な思考が沸騰を始める脳内に瞬時に流入し、猜疑心に似た義侠心を凍り付かせ、胸の奥底へと圧し鎮めていく。

 

 ――そうだ。言ってしまえば、自分のこの考え方も、確証のない推測でしかない。

 

 もしかしたらそんな裏は無く――単にあみだくじでもやった結果、たまたま彼女が選ばれただけかもしれない。

 ……そうだ。裏の取れない予測の元で、あれこれ言ってもしょうがない。

 それよりも――結果は覆らないし。それを当人が受け入れている以上。覆す理由もない……

 

「……、」

 

 すっかり落ち着いたクレインは、自分に言い聞かせるように言った。

 

「……まぁ、あんたがいいなら、いいけどさ」

「そうです! 私がいいからいいんです! ささ、そんなことより、さっさと食べちゃいましょうっ!」

 

 フェアリィの言う通りだった。気付けば、食堂の人影は疎ら。喧騒も霧散し始めている。色々話していたせいで、気付くのが遅れてしまっていた。

 

 午後の授業の開始は、目前に迫っていた。

 

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