泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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夜明けの刻

 

『血統勝負』(ブラッドレース)

 

 

 

 あらゆる世界において、才能に恵まれるか否かは重要な要素だ。

 凡庸な実力を捻じ伏せる圧倒的な力にせよ。

 天才的な能力を打ち崩す、直向きな努力にせよ。

 相応の才が無ければ、ろくに続けることすら出来ないであろう。

 

 ことウマ娘の世界においては、それは顕著に表れる。

 元々、『異世界の名』を背負っているという、トンデモな性質を持つ彼女らだ――

『運命』に恵まれなければ、その壁をも乗り越えなくてはならなくなる。

 

 ただ才能とは、目に見えないものだ。

 誰が持っているか、持っているとしてどんな才能か、見極めるのは多大な困難を伴う。

 試行錯誤を繰り返すしかないのだ――『夢を叶えたい』と願うのならば。

 それが一見して、不可能なものに見えることでも。

 

「……え」

 

 フェアリィルナは、目を見開いていた。

 呆然と漏らした声に、高橋は自信ありげに頷く。

 それが、一番の名案であるかのように。

 

 ――ソードクレインと、同じ世界にいたい。フェアリィはそう言った。

 その願いの解釈は広く、必ずしも芝の世界に居なければならない道理も無い。

 別の戦場にて、ソードクレインに匹敵するほどの実力者になる、という道もあるにはある。

 ……だが昨今の砂戦線は、異様と呼べるほどの戦乱の様相を呈している。

 

 未だ現役で能力を示し続けている、ホッコータルマエやワンダーアキュートといった古豪のみならず。

 新進気鋭の才人、コパノリッキーとは、適正距離が被っていることもあり、まともにやれば、ぶつかることは避けられないであろう。

 彼女の望みを叶えたい気持ちは本当だが――

 ……それらとまともにやり合って、勝てるビジョンが浮かばないのも、また事実だった。

 これは――理想や根性がどうとかではなく、戦績を鑑みた結果としての、現実的な分析だった。

 

 では……

 では、戦場を変えたなら、どうだろうか?

 

 芝戦線を侮っているわけではないが、可能性は、試してみなければ判明しない。

 砂戦線で目立った成果を上げられなかったものが――戦場を変えて活躍したという話は少なくない。事実、ソードクレインがその一例となった。

 ……転向。これまで、自分の中には無かった発想だった。

 

 つまりは、転向し、彼女と同じ戦場を走る。

 のみならず、相応の結果を出す。

 ただ走るんじゃない、それじゃあ今までと同じだ――

 

 結果を出す。

 ちゃんと、勝つ。

 そうすることで、初めて乗り越えられる。

 この難局を。

 

 いや――そうすることでしか、乗り越えられない。

 彼女のぶち当たっている、

 この、運命という、ふざけた壁は。

 

 困難だが――

 高橋は、その先の未来を信じている。

 簡単なことじゃない、思うようにはいかないかもしれない。けれどそれでも、得られるものがきっとあると、信じている。

 壁を乗り越えるための、別のヒントを得られるはずだと、信じている――

 

 ……だが当のフェアリィは、そういうわけではないようだった。

 

「……」

 

 光を避けるように、フェアリィは俯く。

 小さな呼吸が、その肩を微かに揺らした。

 

「……む、」

 

 か細い声が、その口から漏れる。

 

「……無理、ですよ……」

 

 そこに、かつての太陽のような輝きは無い。

 

「だって……私は……

 最弱、ですもん……」

 

 俯いた顔の直下――

 両手を包む高橋の手に、水滴が滴る。

 高橋の、手に込める力が強くなった。

 

「……無理じゃない」

 

 弱々しく呟く彼女に、高橋は言う、

 

「やれる。あたしが、やれるようにする」

 

 それが、自分の使命であるがゆえ。

 それが、トレーナーの責務であるがゆえ。

 

「そのためなら、どこまでだって付き合う。一緒に戦う」

「駄目です……出来っこない……無理です、無理……」

「無理じゃない、出来る」

「――っ、」

 

 懇願に近い少女の悲嘆は――

 

 

 

 

 

「絶対無理だッ!!」

「無理じゃないッ!!」

 

 

 

 

 

 やがては絶叫に変わっていたが。

 呼応する声は、それでも絶望に染まらなかった。

 

「確かにあなたは最弱かもしれない、天才には敵わないかもしれない!」

 

 あと一息、もう少し。

 そう信じて呼びかけ続ける。

 一寸の光も見えない、少女の心の闇の中に、我武者羅に手を伸ばす。

 

「でもあなたは、それでも今まで諦めずに、こうして頑張ってきたでしょ!!」

 

 フェアリィは、ゆっくりを顔を上げる。

 溢れる涙でぐちゃぐちゃの瞳を、恐々と向ける。

 

「もし戦績が、結果が、世界が、あなたを弱いってバカにしても」

 

 高橋の片手が動く。

 そっと、少女の片頬に触れる。

 小さく、薄く――それでも、手には、確かな温もりと感触を覚えた。

 

「あなたのその精神は、」

 

 あなたのその心は。

 

「間違いなく……『最強』だよ!!」

「…………」

 

 二人の瞳が、改めて合致する。

 そこから伝わるフェアリィの想いは、半信半疑、といったようなものだった。

 本当にそうなのか。

 信じていいのか。

 自分に……自信を持っていいのか。などと。

 無言で訊ねているようだった。

 

 高橋の口元が綻ぶ。

 不器用な、かつての自分の影が重なる。

 辛かったよね。心の中で、高橋は語り掛けていた。

 

 心を守るために。

 精神を壊さぬように。

 自ら自分を傷つけていた、フェアリィルナ。

 

 その苦しさは、どれほどのものだろう。

 その辛さは、いかほどのものだろう。

 口にしたって理解は出来ない、共感も出来ない。けれど、推測することも、同意することも、無駄ではないことを知っていた。

 欲しい言葉を与えられることを、得られる安らぎを、彼女はよく知っていた。

 

 ……ただ、誰かが傍にいることの尊さを。

 よく、よく、知っていた。

 

 もういい。

 だから、もういいんだよ、フェアリィ。

 

 辛かったよね。

 苦しかったよね。

 もう大丈夫。あたしがいるから。

 

 負けていい。泣いていい。挫けていい。弱音を吐いて……いい。

 あたしたちは、そうやって――

 

 

 

 泥塗れになりながら。

 未来へと、進んでいくんだ。

 

 

 

 一緒に負けてあげる。

 一緒に泣いてあげる。

 一緒に挫けてあげる。一緒に……弱音を、吐いてあげる。

 何度でも、何度でも、その背中を、擦ってあげる。

 だから、

 だから……

 

 

 

 もう、

 自分を、

 傷つけなくて、

 いいんだよ。

 

 

 

 高橋の身体は、ほぼ無意識に動いていた。

 両手が、フェアリィの身体を捉えて。

 そっと、胸の中に抱き寄せていた。

 

「……」

 

 フェアリィはそれに、しばし硬直していたが。

 やがて、彼女もまた、高橋の背中に両手を回す。

 

「……、……」

 

 それから、嗚咽を漏らすと。

 

「~~~~……」

 

 彼女の胸に、顔を埋めながら。

 慟哭するように、泣き始めていた。……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「……本当に、迷惑かけて、ごめんなさい」

 

 一頻り泣き終えたフェアリィの声は、しおらしさは変わらなかったが、僅かばかりの元気は戻ったようだった。

 

「スーツも、台無しになっちゃって……」

「いーのいーの、こんなのお金出せばすぐ直るんだから」

 

 まぁ、出費が痛くないわけではないが。運命を共にする相棒が、これで立ち直れるというのなら安いものだ。

 どうってことない。笑顔でそれを表明すると、依然痛々しいながらも、フェアリィは穏やかに笑った。

 

 ……しかし、驚いた。

 人間にしろウマ娘にしろ、出来事ひとつで、こうまでがらりと変わってしまうものとは。

 普段の明るさとはまるで裏腹。その異なりように、眩暈すら覚えそうになる――

 

 が、違うな、と思い直した。

 

 彼女の話によれば、それらの振る舞いは、自分の精神を守るための、彼女なりの処世術。

 先の見えない暗闇の中で見出した、自分を勇気づける術だ。

 つまりは……『あの』彼女は、本当の彼女じゃない。

 

 この姿が。

 この、今にも折れてしまいそうな、しおらしい姿こそが。

 

 本当の――この子なんだ。

 

 虚勢を張り続けることは、自分の本心に嘘を吐き続けることと同義だ。

 何年もの間、年頃の女の子が、何よりもまずそれを優先しなくてはいけない。

 そんな苦悩は――そんな苦難は――

 想像するだけでも、胸が締め付けられるような責め苦で――

 

「……っ」

 

 ……あぁ、やばい。

 また、涙が込み上げてきた――と、高橋は、視線を勢いよく逸らしていた。

 

「……? トレーナーさん?」

「う、ううん。なんでもない。気にしないで……」

 

 感情の決壊をグッと堪え、再度、フェアリィと相対する。びくり、と彼女は反応するものの、その視線を曲げることはもはやなかった。

 

「……フェアリィ」

 

 そっとその名を呼ぶと、彼女もまた、ゆっくりと頷いて応じた。

 

「あぁは言ったけど……正直あたしも、上手くやれるなんて自信、これっぽっちもない」

 

 相棒も、試みも、初めてのことだらけ。きっとこれから、いばらの道を歩くことになるのだろう。

 

「でも……言ったからには投げ出さないし、最後まで、絶対にやり遂げる」

 

 だが構うものか。

 これ以上、相方を路頭に迷わせることなんて……しない。

 

「……頑張ろう」

 

 それは単純だけれど。

 自分をも勇気づけるための、魔法の言葉だった。

 

「きっとその先で……今までにないあたしたちと、出会えるから」

「……」

 

 口を結んだフェアリィは、投げかけられた言葉に、それ以上の反論も疑問も返さない。

 ただ――今なお潤んだ瞳のままで。

 

「……、」

 

 今度は力強く、頷いていた。

 にっと、高橋は笑みを深め、その場に立ち上がる。

 長時間座っていたせいか、号泣したせいか。軽く立ち眩みを覚え、視界がぐらついてしまった。

 

「あ……大丈夫ですか……!?」

「う、うん。オーケーオーケー、ちょっとクラってきただけだから……」

 

 しばし、収まるまで耐え忍ぶ。いい加減体力付けないとな、などと考えながら、ゆるくフェアリィを指差した。

 

「じゃ……あたしは行くけど、『変な気』起こさないようにね」

「……、はい、大丈夫です。もう、無茶苦茶やりませんから……」

「信じてるよ。それじゃ――」

「あ――あの!」

 

 告げるべきことを告げて、扉へ向かう。ドアノブに手を掛けた時、フェアリィが背後から名を呼んでいた。

 

 振り返ると、彼女は姿勢を正して直立している。

 目が合ったことを察して――深く、頭を下げていた。

 

「――ありがとう、ございました……!」

「……」

 

 対して高橋は、くすり、と再度笑った。

 

「お礼は、みんな上手くいったらね?」

「……あ。そ、そうですね……にしし」

 

 照れ隠しのように、フェアリィは後頭部を掻く。その表情に、あの明るい姿が重なる。完全ではないであろうが。久方ぶりに見たその面影に、高橋はほっと胸を撫で下ろしていた。

 

「おやすみ」

「はい。おやすみなさい……」

 

 彼女の穏やかな声を背に、部屋から出る。

 後ろ手で扉を閉め、しばらく歩くと――重荷を下ろしたように、どっと脱力感がこみあげてきていた。

 ふらつき、転倒しそうになるのを、壁に手を突くことで抑える。

 

 ――な。

 なんとか、なったぁ……

 

 万策尽きたと思った。もうどうにもならないと感じた。

 それでも最後の最後、希望を繋げられた。

 我ながらスマートじゃない、泥臭いやり方だと自嘲する。だが結果が全てだ――彼女をこうして救えたのだから、過程なんてどうでもいい。

 それよりこれからだ。この先のことを、ちゃんと考えないと。

 

 転向。 

 話に聞くだけの、自分にとっての、初めての試み。

 あぁ言いはしたし、嘘を吐くつもりもないけれど、不安が無いと言えばウソになる……いや不安だらけだ。不安しかない。

 けどやるんだ。やってやるんだ……とにかく先輩に文献、友人に恩師、あらゆる人脈と知識を尽くさないと。そうすればきっと、望む結果を得られる……

 

「……ん」

 

 などと色々考えていると、何かが裏ポケットから床へと、音を立てて落下していた。きちんと仕舞えていなかったのだろうか。

 目をやると、そこには一冊の手帳――

 

「あー……」

 

 高橋は苦笑いしながら、それ――『新人トレーナー指南書』を拾い上げていた。

 ページをぺらぺらと捲った末――自分が先ほど見たページ。

 何も書かれていない一ページを目にする。

 

 ――お父さんさぁ……

 

 結果的には、なんとかなった。

 自力で、なんとか乗り越えることは出来た。

 でもそれは結果論で……あなたの声だけを当てにしていたあたしが。

 もしあそこで絶望して、相棒共々、失意の底に沈んでいたら、一体、どう責任を取ってくれたというのか。

 

 彼にも彼なりの事情があったんだろうけど。本当は書き切るつもりで、途中で力尽きちゃったのかもしれないけど。

 もう少し手心ってもんを――……?

 

「……?」

 

 と、愚痴っぽく内心で呟いていた時だった。

 白紙のはずのページ、次へと繋がる一枚が、滴った涙によって滲んでいる。

 透明ではなく――黒に。

 つまりはそれは――該当のページに、何か記載があるということだ。

 

 ――なにこれ。

 

 まだ。

 続きがある……?

 

 そう疑問に思いながら、捲った先。

 高橋は、目を見開く。

 何も書かれていない、とばかりに思っていたそのページには――

 ぽつりと一文だけ、こう書かれていた。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『これにて、新人トレーナー指南を終了とする』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、ったく、もー……」

 

 高橋は、込み上げてきた想いに、胸が熱くなる感覚を覚えつつ、壁を背に凭れ掛かる。

 メモ帳で目元を隠しながら――誰にともなく、呟いた。

 

「キザなことしてんじゃねーよ……バカ親父……」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 

 ――さて、それより少し前。

 

『……そうか。それは難儀な話だね』

 

 寮室にて――

 窓際に佇むオルフェーヴルは、携帯電話を通して聞こえる『姉』の声に、深刻な無言を返していた。

 

『過去にも、そういった子は何人かいたと聞くけど……まさか、オルの代で出くわすとはね』

「……」

『まぁ、ウマ娘にもそれぞれの事情がある。しっかり向き合ってあげなければね。それも上に立つものの責務だ……』

「……」

『……大丈夫かい?』

 

 ドリームジャーニーは心配そうに声を掛ける。我に返ったのか、オルフェーヴルは、少し遅れて、あぁ、と肯定を返していた。

 

「……余も、『上に立つもの』として、それなりに経験を積んでいる」

 

 それが自惚れや、身の程知らずとは思っていない。『王』として、『暴君』として、相応しい成果をここまで積み上げてきた自信がある。

 

「皆の羨望も憧れも、飽きるほどに浴び慣れてきた」

 

 それらを受け止め、糧にすることも責務であるという、自負もある。

 

「……だがそれは、何かを救うことに、何の役にも立たぬ」

 

 脳裏に、レストランでの高橋の振る舞いが過ぎった。

 以前とは異なり、自分を『ちゃん付け』で呼ぶのみならず――啖呵まで切ってみせた彼女。

 あの時、彼女は言っていた。今のオルフェーヴルは、全然怖くないと。

 

 初めて会い、話した時から、随分と時間も経った。

 高橋がそれだけ、精神的に成長したことの証左であろうが――

 ……果たして、それだけなのだろうか? 彼女は、そう思わずにはいられなかった。

 

 周りは自分を讃える。

 周りは自分を羨む。

 王だと。暴君だと。最強だと――言う。でも……

 

「いかに強くあろうと、いかに速くあろうと……生徒一人すらも、満足に救うことも出来ぬ」

 

 それが一体、何の役に立つというのか。

 それが一体、何になるというのか。……どうなるというのか。

 誰を……救えるというのか。

 

「……姉上」

 

 窓の外へと、真っ直ぐに向けられていたはずのその視線は、いつしか足元へと落ちていた。

 

「……()は……弱いよ」

『……オル』

 

 悔しさ、虚しさ――弱さ。遠く縁のなかった感情を噛み締めながら零した言葉に、ジャーニーもまた、呆然とした声を返す。

 お互い、禁忌を犯したが如く、時計の針の音すらも聞き取れるほどの、しばしの静寂――

 

『――、』

 

 破っていたのは、ジャーニーの息の音だった。

 

『はははははっ』

 

 それをきっかけに弾けた音は、理知的な彼女には似つかわしくなさそうな声――笑い。

 

「……」

 

 そんな反応をされるとは、夢にも思っていなかったオルフェーヴルは、ぽかんとする。

 

「……あ、」

 

 それでも辛うじて紡いだ声は、コミカルに気が抜けていた。

 

「姉上……?」

『あぁ、いや。すまない』

 

 ジャーニーはしばし笑い続けていたが、当惑するオルフェーヴルの様子を汲んでか、それを打ち消すように謝罪する。

 それでも発端となった気持ちを拭いきれないのか、言葉尻は楽しげに上擦っている。

 

『まさか、きみの口から……そんな弱音が出るとは、思わなくて』

 

 ジャーニーの率直な感想は、それだった。

 現代のウマ娘の『王』として、これまで傲然と振舞い続けてきた彼女。

 弱音とは無縁に、軟弱からも遠く、『暴君』として君臨してきた彼女。

 親類とはいえ――まさか、そんな彼女が、こんなことを言うだなんて。

 正直なところ、ジャーニーは、考えもしなかったわけである。

 

 成長と取ることも出来るし、衰退と取ることも出来るだろう。

 だが、ジャーニーとしては――それは、この上ない喜びに値するものだった。

 

『……オル。ずばりきみにとって、弱さとはなんだ?』

 

 ジャーニーは言う。オルフェーヴルを試すように。

 あるいは、冷静に諭すように。

 

『抱いてはいけないものだろうか。捨てなくてはいけないものだろうか。ウマ娘の数だけ、人間の数だけ、認識には種類があるのだろうけれど……』

 

 あるいは……教えるように。

 優しい声色で、言う。

 

『私は、それほど忌避すべきものでもない、と思っているんだ』

「……?」

 

 オルフェーヴルとしては、それは怪訝に聞こえるものだった。

 なぜなら、弱さとは、自分にとって利に働くものではない。

 あらゆる場面において、あらゆる『強さ』を挫く、最も単純で身近な概念だ。崇敬する姉が、まさかその理屈を理解していないわけがないだろう。

 

 にも関わらず、それを口にするというのは――一体、どういう了見なのか。

 

『強さしか知らないものとは、果たして本当に強いのだろうか?』

 

 その理論に、ジャーニーはこう返すのだ。

 

『あらゆる強さとは……弱さが根幹を支える。弱さを知り、不可能を知り……どうすれば強くなれるか? どうすれば可能に出来るか? それを考え、実践することで、初めて強くなることが出来るんだ。……わかるかい?』

 

 弱さを知らないものに、余白は無い。

 絶対的な強者に、伸びしろも無い。

 弱さがある、不可能があるということは――つまりは、それだけ成長できる余地があるということなのだ。

 これからも強くなることが出来る、ということなのだ。

 

『弱さは……強さの種なんだ』

 

 成長のために。

 それは、なくてはならないものなのだ。

 

『……弱さを恥じることは無いよ』

 

 ジャーニーは言う。なぜなら――

 

『弱いことが恥なんじゃない。弱いことを自覚していながら……それを改善しようと思わないことが、恥なんだからね』

 

 だからジャーニーは、弱さという壁にぶち当たったオルフェーヴルを、変に叱責しないし、罵倒したりもしない。

 そこに行き着いた、ここに来て行き着けた彼女を――むしろ、誇らしくすら思う。

 

『……ふむ。そうだね』

 

 その上で、彼女は続ける。

 

『私の方から、それに関する解決策を示すことは出来る。……けれどそれでは、何の意味も無いからね』

 

 厳密には、意味がないことも無いだろう。だが、オルフェーヴルの利になるとは思えない。

 だから告げるのは、少し冷たく思えるようなひと言。

 

『どうすればいいのか……自分で考えてごらん』

 

 しかしその声色は、慈しみに溢れていた。

 

『もしそれでも、どうしようもなくなったなら。もう一度連絡するといい。その時には、私からアドバイスしよう』

「……」

『……出来るかい?』

「……、あぁ」

 

 しばしの無言の後、オルフェーヴルは答える。字面は同じであったが、込められた色はこれまでと異なっていた。

 軽薄ではない、確かな厚みと重みを感じられる声。

 それを聞き、ジャーニーは人知れず胸を撫で下ろしていた――大丈夫そうだな、と。

 

「……恩に着る」

『とんでもない。お安い御用だよ』

 

 そうして、二人の会話は終わる。

 

『それじゃ、またね』

「……あぁ」

 

 淡白な別れの言葉で、オルフェーヴルから通話を切る。

 終了の画面を非表示にしてから、携帯電話の画面を切って、前を見つめた。

 そこに広がる風景は、もうすっかり夜の闇に沈んでしまっている。

 

「……」

 

 それでも、真っ直ぐに伸びる彼女の目線には――

 頑強な決意の光が、灯っていた。

 

 

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