泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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王の血統

 本当は、それこそ精一杯の虚勢だったんじゃないか。

 高橋の胸には、そのような不安が、ぼんやりと浮かんでいた。

 

 部屋から出る間際に見た、フェアリィルナの表情はよく覚えている。

 紛れもなく、彼女は諦念の類と離別していた。

 けれどもし、それが強がりだったら。あの子がこれまでそうしたような、虚勢だったなら。

 

 ……あの時の言葉は、全てそのための『嘘』で。

 今日、姿を現さなかったなら。

 そんな不安ばかりが、胸の中を満たして止まなかった。

 

「……!」

 

 グラウンドに辿り着いた時、目を見開いていたのは、そんな後ろ暗い想像が、否定されていたからに他ならない。

 

「フェアリィ!」

 

 佇むその姿は、薄く目を閉じ、胸に手を当て、精神統一しているようだった。

 軽率に声を掛けるべきでなかったかもしれない、と高橋が考えたのは、声を発した直後だった。

 

「あ……お、おつかれさまですっ」

 

 が、振り向いたフェアリィルナは、それを払拭するように、勢いよく頭を下げる。

 虚勢ではなく、嘘でもなく。こうしてしっかり来てくれたという事実に、高橋は改めて安堵した。

 

「待たせてごめん。調子はどう? いい感じ?」

「なんとか……まだ本調子って感じじゃないですけど……」

 

 しゅんと肩を落とすフェアリィだが、まぁ仕方がない、というのが高橋の感想だった。

 使わない部位、行使されない能力は、時と共に退縮していってしまうものだ。

 フェアリィがトレーニングを放棄したのは、たった三日ではあるが――されど三日。

 それまで毎日のように動かしていた肉体が、休眠を通り越して、他部位への栄養に筋肉を利用し出すには十分な時間だろう。

 これまでの能力値が、放棄する前よりも、格段に下がっていても不思議ではない。

 

 ただ――かといって、焦らせてもいいことは無い。

 

 錆び付いた歯車が、突然に全力で動いてしまえば、負荷に耐え切れなくなってしまうように。

 遅れをとってしまったからと、無理なトレーニングを課せば、無用な負担を身体に掛けてしまうことになる。

 焦る気持ちはあるが――急がば回れだ。そういう時こそ、冷静に、落ち着いて、いつもの感覚を取り戻さなくては。

 

「……大丈夫。ゆっくり調子を戻してこう」

 

 飽くまで冷静に、高橋は、フェアリィに語り掛ける。

 

「『目標』まで、まだ時間はある。必ず間に合わせるから……任しといて」

「……、」

 

 反駁されたらどうするか、と高橋は語りながら考えていた。

 だが、その心配は杞憂だった。言葉を受け取ったフェアリィは、安堵したように口元を緩め、ゆっくり頷いていた。

 

 ――『目標』。ひとまず彼女らは、それを三月の『東風ステークス』に定めた。

 期日としては、今からだいたい一か月後。時間の有り無しで言えば――『無い』、というのが実情だった。

 加えて、お互いにとって初の試み、もっと時間をかけて、じっくりと調整したいのが本音ではある。

 

 だがキャリアと併せて見れば、そうのんびりとしてもいられないのも事実で――

 ……とにかく、一度試してみるしかない。高橋はそう考えた。

 

「おし、」

 

 大丈夫。

 負けていいわけじゃないけど、くたばるわけじゃない。

 重要なのは、悔いなくやり切ること。

 恐れず、怯えず、少しずつ、前に進んでいこう。

 

「じゃ、まずは軽い走り込みからね」

「はい。あ……トレーナーさん」

 

 フェアリィに告げると、彼女は肯定と同時に、高橋を呼ぶ。

 小首を傾げることで応じると、彼女は姿勢を正して、

 

「――よろしく、お願いします!」

「……」

 

 再度、深々と頭を下げるフェアリィに、高橋は目頭が熱くなるのを感じながら、こちらこそ、と優しく返した。

 

 ……そうして二人の、転向に向けた特訓が始まる。

 かつて庄野がそうしたような、伝手と知識を総動員した、手探りの訓練。

 長年砂を走ってきたウマ娘にこそ、芝の感触はまず慣れるのが難しい――といわれているが、思っていたほど感触が悪くなかったのは幸いか。

 

 一週間ほどにして、タイムも安定し始める。

 悪くない滑り出しに、高橋も安堵しかける。

 けれどそれは、飽くまで始めたてと思えば、というだけの話だ。

 

 今から自分たちは、天性の芝の選手たちとやり合いに行く。

 そうなれば、ただ走れるだけじゃとても歯が立たない。

 安定させるべきは、低い基準じゃない。

 出来る限り高い基準で、安定させなくちゃいけないんだ――それも、長くもない時間で。

 

「……」

 

 ……本当にやれるのか?

 もや、と曇天のように、不安が立ち込めかけた時。

 

「!」

 

 グラウンドを走っていたフェアリィが、転倒していた。

 しまった、と口を開けた高橋は、彼女の元に駆け寄ろうとする。

 だがそれには及ばなかった――そう思った瞬間、フェアリィは立ち上がり、再び走り出していたからだ。

 スピードが乗っていないこともあってか、それほど深刻な怪我を負ったわけではなさそうだった。

 

 ……そうだ。

 そうだ、こんなことで、不安になってちゃいけない。

 

 直向きに、我武者羅に頑張る相棒の姿を見て、高橋は思い直す。

 やれるかどうかじゃない、やるんだ。後ろ暗い感情を振り払って、視線を向け直す。

 手元のタイマーと、彼女の走りとのにらめっこ。

 これまでしてきたことと同じように。更なる改善点をそこに見い出そうとして――

 

「――?」

 

 止まった。

 何者かが、自分の傍に立ったことに気が付いたからだ。

 もう交代の時間だろうか、と緩く振り返った先――

 

「――え」

 

 呆然と、声を漏らしていた。

 次の利用者が誰なのかは、軽く確認していたものの。そこに立っていたのは、自分が脳裏に刻んだその子ではない。

 それどころか、本来ならば、この場所にはいないはずの勇猛な立ち姿、豪奢な長髪――

 

 ……オルフェーヴルが。

『暴君』が、隣に、困惑気味の表情を貼りつけたウインバリアシオンを従えて、そこにいた。

 

 彼女は腕を組み、グラウンドを一心に見つめている。

 何をしているのか。何の用なのか――など、改めて問うべくもない。

 宝石のような紫色の瞳には、確かに、あの子の――フェアリィルナの姿が映っている。

 威厳ある佇まい。

『あの時』の、どこか荘厳さの欠けた姿は、もうそこにはない。

 

「――お、」

 

 高橋は、久々の気圧される感覚を覚えながらも、辛うじて声を紡いだ。

 

「オルフェちゃ――」

「なっておらんな」

「……え」

 

 それを遮って、オルフェーヴルは言う。

 

「全身に力が入り過ぎている。フォームも整っているとは言い難い。転向直後であることを鑑みれば、及第点であろうが……あのような走りを続けていては、彼奴の身体に、無用な負担がかかることになる」

「……えと」

「あれでは、満足のいく結果なぞ、到底出せまい」

「……」

 

 ――仰る通りで。

 反論出来ず、高橋は押し黙る。

 仕方がないじゃないか、まだ始め立てて――なんて言うことも出来たが、全て言い訳でしかない。

 そして言い訳を捲し立てたところで、現実が、そう簡単に変わるはずもない。

 

 変えようのない事実、厳然たる現実。

 真っ向からそれを突き付けられ、視線が、自然、彼女の脚元に落ちる。

 

「……」

 

 それを見てか見ずか。

 オルフェーヴルは、吐息をひとつ零していた。

 

「――どれ、」

 

 そして。

 ジャージの上着を派手に脱ぎ捨てながら――歩き出す。

 

 

 

「――王が見てやろう」

 

 

 

 ――言葉に反応し、高橋が振り返った時には。

 彼女の姿は、すでにグラウンド上にあった。

 

「え……」

「止まれ!」

 

 喝に似た声が響き渡る。ちょうど高橋たち側に戻ってきていたフェアリィは、声に反応し、急停止する。

 困惑の瞳が向けられようと、オルフェーヴルは厳と視線を返している。

 

「……貴様に、王の走りを見せてやる」

「へ……」

「やり直しは利かん。精々、模倣の中で答えを見つけてみせよ。……貴様がかつて、そうしたように」

「あ、あの、」

「行くぞ」

 

 フェアリィの心情や実力を勘案してか、オルフェーヴルの初速は遅めだった。先行されたとはいえ、追い付くことは難しくないであろう。

 が、フェアリィはすぐには走り出さない――走り出せない。未だ困惑から抜け出せず、縋るように、高橋へと目を向けるばかりだ。

 

「――、」

 

 気持ちは一緒だったが、立ち直るのは、高橋の方が早かった。

 大ぶりなジェスチャーによって、フェアリィへ走るように指示を出す。

 受け取った彼女は、慌てて追い始めた。未来へと続く、金色の旅程を。

 

「……おぉ」

 

 シオンもまた、その一部始終を目撃していた。口から漏れた声は、呆然としていた。

 

「まさかっすね……あのオルフェさんが、後輩の併走に付き合うなんて」

「……珍しいの? やっぱり」

「あたしが記憶してる限りじゃ……そもそもみんな、遠慮して頼もうとしなかったっすね……」

 

 ――そんなあの子が。

 必要に駆られたわけでもなく、頼まれたわけでもなく、ただ助けるためだけに、協力してくれる。

 考えれば考えるほど――珍しく、奇妙なことであった。……そしてそれだけに、その親切心が身に染みた。

 それだけ……自分に、自分たちに、寄り添ってくれるのか、と。

 

 どうしてなのか、とか。

 何故なのか、とか。

 色々、疑問はあったが。それら全て、純粋な感謝によって上書きされていた。

 ……ただ同時に、ちょっとこれはズルなのでは? などとも思った。

 

「――、よーっし!」

「あ、シオンちゃん!?」

 

 すると、それを打ち破るように、シオンもばたばたと駆け出す。

 二人が戻ってきたことを確認すると、おーい、と大きく手を振った。

 本来なら無視しそうなところを、律儀にも停止したのは、それだけシオンの振る舞いが想定外だったからか。

 

「オルフェさーん!」

 

 どちらにせよ、シオンは言った。

 

「あたしも、あたしも一緒に走りますっ!」

「なっ――あぁ!?」

 そしてそんな申し入れは、正しく予想外だったのだろう。

 柄に合わない、頓狂な声を上げたオルフェーヴルは、しかし即座に、眉を吊り上げていた。

 

「貴様……『従僕』の分際で、余に無償で教えを乞おうと言うか。大きく出たな……」

「いやいや! 目の前でこんなにいい感じに走られてるのに、一緒に走らなかったら、ウマ娘の名が廃れるってもんすよ!」

「言っている意味が――」

「え、そ、それともなんすか……?」

 

 オルフェーヴルには、そんな申し入れを受け入れようという雰囲気を感じられなかった。

 だがめげずに続けられたシオンの声は、王に救いを求める民草のように思われたのだろうか。

 

「まさか……『会長』ともあろうお方が、生徒に分別つけるおつもりっすか!?」

「っ……」

 

 吊り上げられた眉は、複雑そうに歪められる。

 そこを衝かれると痛い、とばかりに口を結ぶオルフェーヴルだったが、今の問答の時間と、自身の貫いてきた信条とは、実際のところ、天秤に掛けるまでもない。

 

「――……しろ」

「へ?」

「――、」

 

 何度も言わせるな、とばかりに、オルフェーヴルは視線を切った。

 

「勝手にしろと言ったのだ! 行くぞ!!」

「はいっ! 勝手にしますっ!」

「……」

 

 再度走り出す二人の背を見て、フェアリィも、口元を緩めながら駆け出す。

 不安の霧は、高橋の表情から立ち消えていた。

 騒がしい少女たちの姿に、胸を撫で下ろす。

 

「おー、やってますね」

 

 と、同時。

 そんな彼女らの元に、更に人影が現れる。

 

「……タルマエちゃん」

「どうも」

 

 にこり、と笑うのは、ジャージ姿のホッコータルマエ。傍らには、パートナー――西浦の強面。

 ぺこり、と頭を下げる彼に、高橋も遠慮がちに会釈した。

 

「あーあ」

 

 タルマエは、ぽすんと高橋の隣に座る。

 手を組んで伸びをしながら吐き出した声は、どこか悔しげだ。

 

「結局、勝ち逃げされたみたいになっちゃいましたね~……」

「あー……えと……」

 

 気まずく口籠る高橋。思い返してみれば、彼女とやり合ったのは、あの総武ステークスの時だけ。

 再戦を熱望していたのは、彼女も同じであろうが、転向するとなれば、それもほぼ不可能になる。

 仮に戻って来たとしても、『あの時』と同じ実力でやり合えるとも限らない――

 つまりは、純粋なリベンジの機会は、既に逸してしまったのだ。

 

 ごめん――という言葉が口を衝いて出てきそうになったのを、高橋は辛うじて踏ん張った。

 タルマエとて、自分を責めるつもりで言ったわけではあるまい。

 ただの事実確認、あるいは悪戯――謝罪で応じることなど、全力でやり合った間柄として、この上ない失礼にあたると感じた。

 

「……、」

 

 だから、しばしの思案の後、高橋は別の言葉を返す。

 

「……行ってくるよ。行けるところまで」

 

 視線は、再び『相方』の方へと向いた。

 二人の大先輩による気迫には、さすがに怖気付いているように見えるが――彼女はそれでも、必死にその背中に追い縋っていた。

 

「きっとあの子なら……うぅん。あたしたちなら」

 

 もっと、もっと『いい』場所へと行ける。

 そう、信じているから。

 

「……」

「……?」

 

 すぐには言葉が返ってこないことを、高橋は訝しむ。

 やばい、やっぱり悪手だったか? ――などと怯えながら、再び目を向け直してみると。

 しかしタルマエは、ぽかんと目を丸くしているばかりだった。

 

「タルマエちゃん?」

「あ――えぇ。ごめんなさい。まさか、そんな返事をされるとは」

 

 いかにもそんな返事は予想外だった、と言わんばかりだったし、実際その通りだった。

 先の反応を隠すように、彼女は苦笑いする。

 

「そうですね。過ぎ去った日々よりも、未だ来ていない日々のことを思わなくちゃ」

 

 視線は前へと向いた。

 柔らかく緩む瞳は、その姿を羨んでいるようでもあった。

 

「……、」

 

 彼女は、結ぶように言った。

 

「……眩しいなぁ」

 

 彼女らは、走り続けている。

 一心に、ひたすらに、走り続けている。

 その瞳に、未だ見ぬ何かを見て――進み続けている。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 そうして、練習を重ねたのちの、ある日のトレーナー室にて。

 

「……まぁ、一旦はそんな感じか」

 

 話にひと段落が付き、高橋は深めの息を吐いた。

 視線は手元の書類に落ちており、握ったペンの末端は、いつかのように額を軽く打っている。

 思案の対象がどこなのか、などはわざわざ言及するまでもないだろう。

 

 練習の成果は、少しずつ出ていると言っていい。

 砂が主戦場だったことを鑑みれば、なかなかの速度だろう。

 だが高橋の気持ちはやや曇り気味だ――長い目で見れば喜ぶべき状況ではあるのだが。

 いかんせん、あまりにも長い目に過ぎる。

 

 ……東風ステークスまでは、残り一週間ほどだ。

 仕上げるには――あまりに時間が足りない。

 あとひと月――いや、あと一週間でも時間があれば。

 多分だけれど――掲示板に乗るくらいなら、なんとかなると思うのに。

 

 焦りは禁物、後悔も厳禁。

 わかってはいるが、たらればが頭の中をぐるぐると回転してしまう。

 それを包むように、不穏な不安の霧も、どんよりと。

 ……本当に。

 本当に、これで、大丈夫なのか――? と。

 

「……ごめんなさい」

 

 高橋は、一言も言葉を発していなかった。

 だが雰囲気で、何となく良くないモノを察したのだろう。

 フェアリィは、心底申し訳なさそうに、声を零していた。

 

「私が……引き籠ってなければ……」

「……」

 

 ――そんなことない、と言えればどれだけ良かっただろう。

 口の中で転がした言葉は、虚しい響きと共に、虚空の中に溶けていった。

 冷徹なまでの現実を見る目は、それがある程度は事実であることを高橋に告げていた。

 確かにそうだった。たかが三日、されど三日――

 動くのがそれだけ早くても、何か現実は違っていたかもしれない。

 今更、彼女を責め立てるつもりはないけれど。

 

 それが無ければ――もしかしたら。

 もっと余裕をもって、今のこの時を、迎えられたかもしれない。

 

「……、」

 

 かといって、無言を貫けば、彼女に無用なダメージを負わせてしまうことになろう。

 高橋は、言葉の辞書を開き、冷静に、現況に相応しそうな言葉を引き出した。

 

「……しょーがないよ。もう過ぎたことなんだしさ」

 

 何にしても、時間はもう戻らない。嘆いても悔やんでも、やり直しなど利かない。

 秒針を戻せば戻ってくれるような、都合のいい時計などこの世界には――無い。

 ならば、今までに出来なかったことよりも。今から出来るだろうことに、目を向けた方がいい。

 取り返しのつかない薄暗い過去より、この先に広がる、明るい未来を想った方が――いい。

 

「……」

 

 きっとフェアリィも、そのことはよくわかっていることだろう。

 だが理解と納得は別物だ。安心とも不安ともつかない複雑な表情を浮かべた彼女は、視線を浅く下へと落とす。

 まぁ、そんなに簡単なことじゃないよね――理解を示した高橋は、これ以上この話題を引きずることに、あまり大きな意味はないということを悟った。

 

「あー……」

 

 だから、話題転換を。

 それに代わる別の話を、繋ぐ声を橋渡しに差し出した。

 

「そういえば、そろそろ始まるんだったよね」

 

 結びの単語は、学園にとって重大な意味を孕むものだった――

『生徒会長選挙』、と。

 

「……」

 

 意図を汲み取ったフェアリィは、やや目を丸くした後に、はい、と首肯する。

 トレセン学園在校生の総意、生徒会。その次期会長選挙――

 第7期生徒会長選挙は、あと一週間と少しで投開票日となる。

 確か明日か明後日くらいに、候補者開示と所信表明演説があったはず。

 候補者が複数いれば、続く一週間、候補者による熾烈な舌戦が繰り広げられるわけだが――

 

「どう? やっぱり()()()()()で当確しそう?」

「そうなるんじゃないかなって思います。直接聞いたわけじゃないですけど……学園全体が、そういう空気になってますし」

 

 そっか、と高橋は短く返す。そう――

 どうやら噂によると、来期の生徒会長は、かのキタサンブラックでほぼ確定なのだそうだ。

 本人が言及したわけではないものの、『絵に描いたようなお人好し』たる彼女が、立候補しないようには思えないし。

 そうでないにしても――申し訳ないが、戦績の面からしても、現状、彼女ほど会長の座に相応しい子も他にいない。

 

 きっとそうなるであろう――風の噂を小耳に挟む程度でも、高橋の中には、確信めいたものがあった。

 

「どういう生徒会になるんだろうね~」

 

 ここまで、6期に渡って続いてきた生徒会。

 聞けば、それごとに特色も違ってきたようだ。

 

 初代、『皇帝』による、『始まりの生徒会』

 2期、『帝王』による、『不屈の生徒会』

 3期、『怪物』による、『進撃の生徒会』

 4期、『覇王』による、『覇王生徒会』

 5期、『特異点』による、『混沌の生徒会』

 そして6期――『暴君』による、『暴君の生徒会』

 

 もちろんそれこそ、確定的なことはわからないが――会長の性格が色濃く反映されてきていることを考えれば、自ずと、性質は想像がついてくる。

 

「……『人情の生徒会』、かな?」

「……ですかね」

 

 フェアリィも、微笑みをたたえて応じる。史上、一番過ごしやすい生徒会になるかもしれないな――などと、高橋は呑気に考えた。

 

「頑張んないとね、あたしたちも」

 

 その上で、現実を見つめ直す。

 ともあれ――今は頑張り続けるだけだ。

 

「そうでないと、示しがつかないから」

「……? 示し……?」

「何としてでも、絶対、前に進む!」

 

 小首を傾げたフェアリィに、高橋は誇らしげに人差し指を立て、言った。

 

「それがあたしの、『信条』ってね!」

「……」

「……あ、あれ?」

 

 人情、そして信条。

 本人としてはいい具合に韻を踏んだつもりだったが、フェアリィの反応は微妙なもの。

 想定と違う結果に動揺する高橋に、フェアリィはどこか申し訳なさそうに視線を逸らして、

 

「あ……あんまり、上手くないです……」

「え、嘘……!?」

 

 がーん――と驚愕する高橋に、フェアリィは、先ほどとは打って変わっての、憑き物の取れたような、軽やかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 そうして日々は過ぎる、時は過ぎる。

 生徒会長選挙は恙なく実施され、当初の予想通り、キタサンブラックが立候補。

 対抗バが現れなかったため、そのまま会長に就任することになった。

 

「まだまだあたしも、至らない点の多い半端者ですけど、トレセン学園をもっといい場所に出来るように、精一杯頑張ります!」

 

『皇帝』より、『暴君』まで受け継がれてきたバトンが、こうして今年も渡される。

 後に呼ばれる、『人情の生徒会』の始まりであった。

 

 一方で、高橋たちの練習も大詰めとなる。

 弱音はほどほどに、最大限前向きに。霧中に夢中で努力を積んでいく。

 やれるだけのことを――その一心で重ねた経験が、どれだけ活きるかもわからない。

 しかし、お互いの力を、心を、信じる気持ちは不変だった。

 もうそこに――薄暗い猜疑も、疑心も、介在していなかった。

 

 放たれた矢のように。羽ばたいた鳥のように。時間は過ぎ去って――

 ……そして。

 

 三月初旬、生徒会長選挙から、少し経った頃。

 二人にとっての、運命を分かつ舞台――

 東風ステークス。その当日が、やって来ていた。

 

 

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