泥に塗れた私たちへ   作:Ray May

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永い眠りからの目覚め(前編)

 中山競レース場、10R。

 東風ステークスは、古くはダート競走として行われていたことを、高橋はつい最近知った。

 何故変更されたのか、までは知ることは叶わなかったものの、何にしても、レースでさえ『転向』を経験している事実に、何か不思議な因果を感じる。

 たまたま直近だったから。その感覚で選んだだけなのに、そのような偶然に遭遇するなんて。

 尤も、歴史的に見れば、そんなレースは少なくはないであろうが──

 

 ともあれ、今日も今日とて、多くの観客で賑わう中山競レース場。

 控え室にて、高橋は、深めに息を吐いていた。

 

「いよいよだね……」

 

 噛み締めるような言葉に、フェアリィは答えない。

 

「あいっかわらずお客さん多いし、相手も手練揃いだけど、練習通りにやれば、いい結果を出せるよ、きっと」

 

 心からの激励にも、答えない。

 

「全力でやろう。悔いが残らないように。最初で最後……ではないけど。ちゃんと、次に繋げられるようにさ」

 

 彼女は答えない。

 

「が……頑張ろうね、ね!」

 

 全く。依然として。

 答えない……

 

「……」

「……」

「あのー……」

「──! は、はいっ!! なんでしょう!!」

 

 絵に書いたような、遅延した反応だった。

 目と鼻の先にいながら、海外にでもいたんだろうか。

 緊張しています、と表情で主張する彼女が、なんだかおかしく見えてしまって、高橋は小さく笑った。

 

「えと、あたしの話、聞こえてた?」

「え……あ、あぁ! その……そうですね、最近オープンしたカフェが、私はおすすめで……」

「うんうん、頑張ってそれっぽい話で繋ごうとする努力は認めてあげるよ」

 

 高橋の柔らかな目で全てを悟ったらしいフェアリィは、しゅんと肩を縮こまらせる。

 眉尻を下げた高橋は、頬を指で掻いた。

 調子が狂うが、仕方がないし、これが当然の反応なのだ。

 以前の彼女なら、明るさだけで――『空元気』だけで。どうにかしようとするところだけれど。今はそれも失われている。

 不確定の未来に恐れることは、何も恥ずべきことじゃない。

 

「……失敗したって、死ぬわけじゃない。そんなに深刻に考えなくてもいいよ」

「はい」

「その先を考えるのは、あなただけの責任じゃないんだから。私だって一緒に背負う。肩の力抜いて行こう、ね?」

「……はい」

「……、」

 

 ……が、全く変わる兆しの見えないその緊張っぷりに、さてどうしたものか、と高橋はしばし思案する。そしてその直後に――引っかかりを覚えた。

 そういえば――それこそ以前、自分が競走前にブルーになっていた時、彼女が元気づけていてくれたな、と。

 その時にしたことは――なんだったっけ。長らく忘れていたが、彼女はこういう時の元気付け方を知っていた。

 

 かつての居場所で。

 他にない親友と。

 まるでルーティーンのような……

 

「――そうだ!」

「へ……?」

 

 果たして、思い出していた。

 高橋は、尚も暗い表情をしているフェアリィに、瞳を向け直す。

 暗闇の底から引っ張り出すように、自信満々の顔つきで、両の拳を握った。

 

「ゲン担ぎしよう!」

「ゲン……え?」

「ほら! あなたが前にやった、あのゲン担ぎだよ!」

 

 彼女の言葉に、フェアリィは小さく目を見開く。

 きっと思い出したのだろう、あの日――忘れもしない、あの総武ステークスの時、自分が相棒に何をしたのかを。

 当時高橋は、彼女の勢いに押されるまま、何となくあぁしただけだった。奇妙で奇天烈で……奇抜なそれが、今や、何よりも輝かしい救いの糸のように感じられる。

 

「ほら、そうと決まればやろう! 今すぐやろう! 時間も無いよ、ほら、いいね!」

「わ、わ、」

「せーのっ!」

 

 高橋の言動は、無意識に当時のフェアリィルナに似通っていた。

 当惑する彼女へ、ゲン担ぎをかます――

 

 お互いの掌を、上から下へ、下から上へ。

 次は反対に。

 そして最後に――ハイタッチ。

 

「よっし!」

 

 その末に高橋は、自信満々にガッツポーズ。

 

「これで、フェアリィの中の最弱は吸い取ったよ! もうフェアリィの中には、あなたの持つ『最強』しかない!」

「トレーナーさん……」

「どーんとやって来て! 大丈夫、あなたは一人じゃない、あたしが……着いてるから!」

「……」

 

 フェアリィの瞳が潤む。間もなくそれは零れ落ちそうになるが――無理矢理引っ込めるように、瞼を強く閉じた。

 

「っ、」

 

 そして――深々と頭を下げて。

 

「行ってきます!」

 

 元気いっぱいに返事をすると、ポニーテールを振りながら、退室していた。

 

「……」

 

 高橋は既に、彼女の『仮面』を見ている。

 これで大丈夫――と安心し切れないのは、無理からぬ話だ。

 だが、不思議な確信も同時にあった。

 きっと、上手くいく。なぜだか、そう感じられた。

 

「――っと、行かないと」

 

 かといって、いつまでも感傷に浸ってもいられない。

 腕時計を見て、運命の出走がもうすぐということを確認した彼女もまた、身を翻し、控室を後にした。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 生徒会室に入室したウインバリアシオンは、目の前に広がった光景に絶句していた。

 

「あ」

「……」

 

 執務机――生徒会長席には、オルフェーヴル。

 それ自体は、特に奇妙なことではないように見える。

 だがそれは、飽くまでオルフェーヴルが、そこに座すに相応しい称号を『保っていれば』の話だ――

 シオンが絶句したのは、手前の接客用スペース――

 テーブルとソファのエリアに落ち着いている、『ある人物』がいたがためだ。

 

「ち、ちょっとオルフェさん!」

 

 ずかずかと歩み入ったシオンは、もうすっかり恐れなく、オルフェーヴルに言う。

 

「なんで当たり前のように会長席に居座ってるんすか!? 次代の『生徒会長』に譲るべきじゃ……!」

「い、いいんですいいんですシオンさん! あたし、まだ会長の仕事なんて全然わかってないですから……正式な会長職は四月からですし」

「だからって、そんなとこで『引継ぎ業務』しなくても……!」

 

 テーブルの上には、所狭しと置かれた書類。よく整理されているのは、彼女の――キタサンブラックの性格の表れだろう。これは丁寧な生徒会になりそうだなー、とシオンは、現実逃避するように考えた。

 

「それに……オルフェーヴルさんも、やることがあるみたいですから」

「やることっすか……?」

「見届けないといけないレースがある、とか何とかで……」

 

 そこまでやり取りし、シオンは思い至る。見届けなくてはいけないレース――あぁ。確かに、今日はその日だった。

 自分だって、印象に残っている。忘れてはならない――『あの子』の、『復帰後』初となる大一番。

 彼女をこの世界に連れてきた者として――見落とすわけにはいかない勝負。

 

「――で、でもだからって、それと席を譲らないのとは無関係っすよ!」

 

 が、納得がいかないシオンは、オルフェーヴルにずかずかと歩み寄る。彼女は依然として意に介さず、例のテレビに目を向けるばかりだ。

 

「別にテーブルでもテレビは観れるじゃないっすか! その机に固執する意味はないっすよね!」

「し、シオンさん! あたしはホントに大丈夫ですから……! どうぞお気遣いなく……!」

「気遣いとかじゃないっすよ……! これは『人間』としての常識の話で……!」

「寂滅せよ」

 

 白熱しかける二人の会話を、オルフェーヴルがぴしゃりと咎める。そもそもこの会話はアナタのせいなんすけどね――と視線を向けるシオンを相変わらず無視し、彼女の口にした言葉は、奇しくも『あの時』と同じものだった。

 

「始まるぞ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 観客席の欄干を握るスイープトウショウの手は、そわそわと落ち着きがなかった。

 

「……だ、大丈夫? スイープさん」

 

 隣に立つシュヴァルグランが、心配そうに声を掛ける。びくり、と反応したスイープは、べ、別に大丈夫よ、といつものように答えるが、元より心配性なシュヴァルには、それだけでは安心するに足らなかったようである。曇った顔のまま、その小さな背中を擦った。

 

「無理しなくて、いいからね。いつでも、出られる準備はしておくから」

「な、何言ってるのよ! 病気でもないんだし! 大丈夫だっての!」

「うん……ごめんね。でも、どうしても、放っておけなくて」

 

 シュヴァルもシュヴァルで、場数を踏んで少なからず成長した――以前ならたじたじになっていたであろうスイープの勢いにも、ほとんど動じない。

 飽くまで真摯に向き合う彼女の姿勢に、スイープも絆されたように口を結ぶ。

 

「……アイツが頑張ってるのは、よく知ってるわ」

 

 重い金庫の蓋のように、スイープの口が再び開く。

 

「正直、『あれ』から立ち直るなんて思ってなかったもの。出てきて初日とか、すごい騒ぎだったし」

「あはは……有名人の凱旋みたいだったよね……」

「でも! まだ解決してない()()もあるでしょ!」

 

 ぱん、と彼女は欄干を叩く。シュヴァルもその気持ちをよく理解し、表情を歪めた。

 

「勝っても負けても……()()に向き合わなきゃいけないって思ったら、そりゃ気が気で無くなるってもんでしょ」

「……スイープさん」

 

 が、続けられた彼女の言葉に、今度は目を丸くする。

 口端が、優しげに緩んだ。

 

「やっぱり……あなたは優しいね」

「は――はぁ!? だからそんなんじゃなくて……もぉなんで伝わらないかなぁコレ!?」

 

 わたわたと動揺するスイープの傍ら――客席からは歓声が上がる。

 見るとターフ上に、今日の出走者たちが、姿を現し始めたところだった。

 

「……気張りなさいよ」

 

 改めて欄干を握り直したスイープは、そこに紛れる影のひとつに向けて、言った。

 

()みたいにへらへらしたら……ショーチしないんだから……!」

 

 さて――一方。

 

「なんだか、こっちも緊張してきましたね……」

 

 少し離れたところのホッコータルマエは、高鳴る胸の鼓動を抑えながら言う。

 

「初めてのレースでも、ここまでの気持ちにはならなかったですよ」

「大事な『後輩』の活躍を見守ることは、それはそれで気を張ることだからねぇ……」

 

 隣に立つワンダーアキュートは、亜麻色の癖っ毛を和やかに揺らしながら答える。

 

「それも、短くないブランクがあるとなれば、なおさらさぁ」

『あの子はここまで たくさん練習していたのだ!』

 

 補足するのは、そこに集ったもう一人。西浦の意志を乗せた声は、手元の携帯電話から。

 

『トップは難しいかもしれないけれど きっと悪くない順位には入れるのだ!』

「観てる側は信じるのみ……ですね」

『正しい方向を向いた努力は きっと裏切らないのだ!』

「……トレーナーさんからして」

 

 タルマエの瞳が、ほんの少し陰る。

 それを見た西浦の表情は、相も変わらず無、だったが、どこか神妙なものに思われた。

 

「彼女のそれは……正しいものだったと思いますか?」

「……」

 

 彼も。傍から聞いているだろうアキュートも。それには答えない。応じるのは、盛り上がる周囲の歓声のみだ。

 ――それもそうだな、と納得したタルマエは、改めて前を見据える。

 慰める準備をする、なんてことは、既に失礼に値するだろう。

 だから、彼女もまた、覚悟と信頼を胸に。その勝負の行く末を見守る。

 

 そうして、時間は進む。

 出走の時が、刻々と近付いていく。

 スタンド席――その最後方にて。

 

「……」

 

 一人の少女もまた、それを見守っていた。

 艶のある黒髪。

 ソードクレインの瞳は――しかし、朴訥と据わっていた。

 

 前だけを見ているフェアリィは、そのことに気が付かない。

 ゲートへ向けて歩きつつ、自身の掌を見つめ、握り締める。

 

 大丈夫。

 きっと、大丈夫。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、ゲートまで辿り着いた。

 

 穏やかなバ場。

 静寂は完全なものでなく、ところどころから、話し声や声援が聞こえてくる。

 状況は、それらが鎮まるのを待ちはしない。

 刻まれ続けた時は、やがて満たされ――

 

『――スタートしました!』

 

 中山競レース場、10R。

 東風ステークスの戦いの火ぶたが、切って落とされていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 立ち上がりは、決していいものとは言えなかった。

 

「っ……」

 

 足が芝を踏みしめる感覚は、練習でも何度も経験したもの。

 今更、砂との違いに動揺するほどのものじゃない。

 けれどそこは場数の差――単純な地力で負けてしまい、あっという間に最後尾に達してしまう。

 まだ至近の選手との距離は、一バ身も離れていないが――このままでは、惨敗を喫するのが関の山だろう。

 

「……、……」

 

 落ち着いて、気持ちを整理する。

 これまでに教わったことを、反芻する。

 今まで自分は、感覚とその場のノリだけで走ってたとこが多々あった。理屈も理論も、自信を支える柱でしかなくて――戦いの根幹を為すものにはなり得なかった。

 けれどこのひと月余りの時間で、それらが補強された。感覚的なものでしかなかった戦い方に、理論による裏付けがされた。

 

 自分は――どちらかと言えば、先行型なんじゃないか、ということらしい。

 出来るだけ前に位置取りをして、高い順位を狙うやり方。そのためには、最低限半分より上の順位くらいにはいないといけない。

 理想形を取り戻すために、すぐにでも前に出なくてはいけない状況だ。

 

 ただ、むやみやたらに走ったって、簡単に前へなんて出られない。

 追い抜くなら、タイミングを見極めるのが重要。

 そしてその、最も適したタイミングというのが――コーナーだ。

 

 直線距離で勝負しようとなれば、どうしても地力の差が出てしまう。

 悔しい話だが、オープン戦とはいえ、ここまで芝で戦ってきた者たちに、移籍したての者が簡単に勝てるほど、レースの世界は甘いものではない。

 況して、このレースはマイル距離。

 繊細なペース配分がモノを言う、刹那のレース。

 冷静に、冷徹に……慎重に、大胆に。追い抜くためのタイミングを見極めなくては。

 

 焦るな。

 焦るな。

 焦るな――言い聞かせる言葉は、天に許しを乞うているようでもあった。

 

 レースは進んでいく。

 開始から一分足らずで、勝負の分け目、コーナーへと差し掛かった。

 どくん、と心臓が高鳴る感覚。

 それでも、緊張と恐れを振り払い、彼女は息を入れ、脚に力を籠める。

 

 ――行くぞ。

 覚悟を決め、前を見据える。

 前進するための最適解――最後の関門、コース取りの選定のために。

 先行する集団の様子を、改めて確認した。

 

 

 

 ――その時だった。

 

 

 

「――……」

 

 視界が突如、真っ暗に染まる。

 光に満ちていたはずの行路が、瞬時に闇に包まれる。

 同時、耳に聞こえてくる囁き声――

 その持ち主を、彼女はよく知っていた。

 

「…………」

 

 冷汗が頬を伝う。

 あぁ、とフェアリィルナは、昂っていた胸が、落ち込み始めたのを感じた。

 あぁ――

 来た。

 

 

 

 また、

 ()()が来た――と。

 

 

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